第54話「サイパン上陸とマリアナ沖海戦――海兵四十三期生、それぞれの場所で」
◆ 前書き 中澤 佑(なかざわ たすく、海軍少将/軍令部第一部長/海兵43期)
いまでも、あの夏のことを思い出す。
もう三十年も昔になる。私は軍令部の第一部長として、あの作戦の指導の真ん中にいた。机に海図をひろげ、赤い鉛筆で敵の針路を引いていた男だ。
白状すれば、私は読み違えていた。
敵がマリアナに来ることは予期していた。だがそれは西カロリンを片づけ、ニューギニアの作戦に目鼻がついてからだと踏んでいた。六月にいきなり来るとは考えていなかった。
南のアドミラルティに敵の大輸送船団がいるという報せがあった。私はそれに気を取られた。敵の本当の爪は、もっと北へ伸びていたのに。
四十三期の同期に高木惣吉という男がいる。
あの頃あいつは海軍省の教育局長で、東京で妙な動きをしていた。私のところへは来ない。だが人づてに聞こえてきた。「軍令部の山本一課長は弱い。中沢部長にも伊藤次長にも、その決意がない」――そう言って回っていると。
腹は立たなかった。図星だったからだ。
私は決意などしていなかった。サイパンを取り返すと口では言いながら、飛行機が足りぬ、油が足りぬと、できぬ理由ばかり並べていた。
兵学校の四十三期に、私と同じ釜の飯を食った男たちがいる。
大林末雄。砲術上がりの、不器用な男だ。前衛の航空戦隊を率いて、いちばん敵に近いところを進んでいた。
矢野英雄。座を持たせるのが上手い、目から鼻に抜ける男だ。サイパンで南雲長官の参謀長をしていた。
有馬正文。南の島で、基地の航空隊を立て直そうとしていた。
三人とも、最前線にいた。
そして机の前にいたのは、私だ。
赤い鉛筆で針路を引いた男が生き残り、その針路の先で死んでいったのは、あいつらのほうだった。
これから語るのは昭和十九年六月の話だ。机の上の私たちが右往左往しているあいだ、海と島の現場が何を見て何にいら立っていたか。私の同期の、大林末雄が見た海の話を、聞いてやってほしい。
【本文】
一 触角
千歳の艦橋は、朝から鉄が焼ける匂いがした。
六月のマリアナの陽は、まだ高くもないのに容赦がない。鋼鉄の甲板は素足では立てぬほど熱を持ち、防暑服の背中はとうに汗で貼りついていた。
俺は双眼鏡を置いて前方の海を見た。
濃い藍色の、底の知れぬ海だ。
この海のどこかに敵がいる。
俺は大林末雄。海軍兵学校を四十三期生として卒業し、今は海軍少将で第三航空戦隊の司令官をやっている。
同期には高木惣吉、中澤佑、矢野英雄、有馬正文、柴田恵次などがいる。
航空母艦・「千歳」、「千代田」、「瑞鳳」。空母三隻と第六五三海軍航空隊。それが俺の手の内のすべてだった。
この決戦を俺たちはずっと待っていた。いや、待たされていた、と言うほうが近い。
つい先頃まで、艦隊はボルネオの北のタウイタウイという泊地にいた。敵を迎え撃つために集められた虎の子の機動部隊だ。だが、その泊地がいけなかった。
湾の外には敵の潜水艦がうようよしていた。
一歩でも外洋に出れば、たちまち魚雷を浴びる。だから艦隊は湾の中に閉じ込められたまま、ろくに訓練もできなかった。
飛行機乗りにとって、これがどれほど辛いか。
いちばん腕を上げねばならぬ時に、その飛ぶ海がない。湾の中の狭い空をぐるぐる回るだけで、肝心の発着艦の稽古も満足にできぬ。若い搭乗員の腕は上がるどころか錆びていった。錆びていくのが、艦橋から見ていてわかった。
そのうえ、海軍の力はあちこちに削られていた。
南のニューギニアでは、ビアクという島の取り合いが続いていた。そっちを助けるために、マリアナを守るはずの飛行機まで引き抜かれ、西へ西へと動かされていた。決戦の備えを固めるどころか、兵力を小出しにすり減らしていたのだ。
敵がいつ来るのかも、はっきりとは知らされなかった。
来る、来る、と上は言う。だが、いつどこへ来るのかは、机の上でもまだ定まっていないらしかった。最前線の俺たちは、ただ錆びていく腕を抱えて、その「いつか」を待つしかなかった。
その「いつか」が、ついに来た。
五月の末、艦隊は「あ号作戦」の備えにかかった。あ号――マリアナで敵を食い止める、海軍最後の決戦の符牒だ。
俺は艦橋に立つたびに、妙な気分になる。
俺は元々鉄砲屋だ。砲術畑を這い上がってきた男で、飛行機のことなど四十を過ぎてから覚えた。兵学校を出たときも要領のいいほうではなかった。入ったときは百人中の九十四番。びりに近い。それを卒業のときに二十二番まで上げた。
誰に褒められたわけでもない。ただ不器用なぶん、人より長く机に向かっただけだ。
その不器用な男が、いま空母三隻を預かって艦隊のいちばん前を進んでいる。
俺の戦隊は「前衛」と呼ばれていた。
小沢長官の本隊――一航戦、二航戦の主力――は、はるか後ろにいる。その百浬も前を俺たち三航戦が進む。栗田中将の第二艦隊、旗艦愛宕を主力とする一群に組み込まれて、俺たちは敵にいちばん近いところを行く。
作戦の書きものには、こうあった。
――機動部隊ノ最前線ニ立チ、全艦隊ノ触角トナリ。
触角。
虫が前に伸ばす、あの細い触角だ。
敵に最初に触れて、最初に潰される。そういう役回りだということを、俺はその二文字ではっきりと知らされた。本隊が攻撃の支度をする時間を稼ぐために、まず俺たちが出て敵の空母の甲板を叩く。叩いたあとのことは書いていなかった。
六月の十一日、敵がマリアナの島々を空襲しはじめたという報せが入った。
俺は腹の底が冷えた。来た、と思った。錆びた腕のまま、いちばん来てほしくない形で来た。
聯合艦隊の司令部はただちに決戦の兵を出そうとした。それを東京の軍令部が止めた。同意を取りつけるのに三日かかったと、あとで聞いた。
三日だ。
敵はもう島に取りついているのに、上ではまだ出すの出さぬで揉めている。最前線の千歳の艦橋から見れば、その三日がどれほど重いか、東京の机の上ではわからぬらしかった。現場のいら立ちは、その机には届かない。
六月の十六日、海の上で巨きな影と行き会った。
大和と武蔵。
四十六センチ砲を積んだ、世界でいちばん大きな戦艦だ。陽を弾いて、灰色の山のように波を割って進んでいた。
艦橋の若い参謀が、思わず声をあげた。
「あれが付いていれば心強いですな」
俺は答えなかった。
あの主砲が一発撃つ前に、勝負はおそらく空の上で決まる。鉄砲屋だった俺には、それがわかりすぎるほどわかっていた。巨きな戦艦はもう海の主役ではない。主役は、甲板から飛び立つあの小さな飛行機だ。
俺はその小さな飛行機に乗る子らのことを思った。
二 爆戦隊
六五三空の搭乗員は、ほとんどが子どもだった。
甲種飛行予科練習生の九期。それが半分以上を占めていた。飛行時間は、隊に入ったときで百時間から百五十時間ほど。一人前の搭乗員なら、その何倍も飛んでいる。
その子らが乗るのは爆戦と呼ばれる飛行機だった。
零戦に二百五十キロの爆弾をぶら下げたものだ。戦闘爆撃機を縮めて爆戦という。本来なら身軽に空を駆けるはずの零戦が、重い爆弾を抱えて鈍くなる。
その爆戦で敵の空母の甲板に突っ込んで、爆弾を叩きつける。
それが子らの任務だった。
俺は一度、飛行長に尋ねたことがある。
「あの子らは、空戦の訓練はどれくらい積んでいる」
飛行長はしばらく黙ってから答えた。
「……やっておりません」
「やっていない」
「爆弾を落とすところまでしか教えておりません。落としたあと、敵の戦闘機をかわして還ってくる――そこまでは手が回りませんでした」
俺は何も言えなかった。
爆弾を落とすまでしか教えていない。ということは、落としたあとは生きて還ることを初めから当てにしていないということだ。
あとで、一人の若い大尉がこんなことを言っているのを耳にした。
「戦死したら二階級特進だと司令部で聞きました。あれは特攻と同じ考えですよ。爆弾を落としたあとは、相当の損耗を見込んでいる――そういうことでしょう」
損耗。
書きものの上では、そういう言葉になる。
爆撃のあと、敵の戦闘機に落とされるか。あるいは独りで還る航法も知らずに、広い海のどこかへ墜ちていくか。それを初めから勘定に入れて作戦は組まれていた。
神風と名のついた特攻が始まるのは、これより何月もあとのことだ。
だが俺の眼の前では、もうそれが始まっていた。名がついていないだけだ。
二年前のミッドウェーで四隻の空母を一日で失ったとき、俺は瑞鳳の艦長だった。
同期の有馬が、あとになって俺に言った。
「あのとき大林の隊が出て、南から横刺しにしていれば勝負は決まったかもしれん。残念だった」
横刺し。
敵の横腹に食らいつく、猛々しい攻めのことだ。有馬は俺にそれを期待していた。
あの頃の俺は、たしかにそういう男だったのかもしれない。
それが今は、横刺しどころか、まともに空戦もできぬ子らを一機ずつ送り出す側に回っている。
俺は艦橋の手すりを握った。鋼が陽に焼けて熱かった。
六月の十五日。
サイパンに敵が上陸したという報せが飛び込んできた。
西の岸に輸送船が二十隻。続いて戦艦、巡洋艦。数えきれぬほどの艦影が、あの島に取りついたという。
ほどなく、聯合艦隊の豊田長官から全軍への電報が来た。
「皇国の興廃、この一戦にあり。各員、いっそう奮励努力せよ」
日本海海戦のときの、あの言葉だ。
艦橋がしんと静まった。
この一戦に国の興廃がかかっている。
その言葉の重さを、俺は子らに伝えねばならなかった。明日、あの百数十時間の子らを敵の真ん中へ送り出すために。
三 七面鳥
決戦は一日延ばされた。
六月の十八日、午後三時。索敵機が敵の機動部隊を見つけた。
俺は攻撃隊を発進させかけた。甲板で子らが爆戦のエンジンを回しはじめていた。
そこへ本隊の小沢長官から命令が来た。
――攻撃、見合わせ。
飛行機を収容するのが夜になる。夜の着艦は未熟な子らには無理だ。明日の昼に改めてやる。そういう判断だった。
俺は唇を噛んで収容を命じた。
いったん甲板に戻ってきた子らの顔を、俺は艦橋から見ていた。
まだ生きている。
今日は死なずにすんだ。
だがそれは、明日死なせるための一日でしかなかった。一日延びたぶんだけ別れが先に延びただけだ。俺の胸の底に、その一日が冷たい澱になって沈んだ。
六月の十九日、朝。
索敵機が敵の機動部隊を三群見つけた。
俺は作戦の手順どおり、本隊よりも先に攻撃隊を出した。前衛の触角が、まず触れにいく。
午前七時二十五分。
中本大尉を先頭に、爆戦四十三、天山七、零戦十四。あわせて六十四機が、千歳、千代田、瑞鳳の甲板を蹴って朝の空へ昇っていった。
俺は艦橋から、その背を見送った。
子らの編隊は高度六千まで上がって、敵のいる東へ向かった。小さくなって、やがて雲に紛れて見えなくなった。
その直後だった。
俺の戦隊の瑞鳳が、突然、対空砲を撃ちはじめた。
「撃ち方やめ! 味方だ!」
艦橋から怒鳴ったが、声が届くはずもない。
近づいてきた大編隊を、瑞鳳の見張りが敵と見誤ったのだ。後ろの本隊から一航戦の攻撃隊が百二十機、上空を通り過ぎようとしていた。それを敵機と思い込んで瑞鳳が火を噴いた。
大和から警告が飛んで、ようやく撃ち方がやんだ。
味方の機が二機か三機、煙を引いて海に墜ちていった。
俺は艦橋でこぶしを握りしめた。
まだ敵の影も見ぬうちから、味方が味方を撃っている。それほどに艦隊じゅうの神経が張りつめていた。それほどに皆が未熟で、怯えていた。
崩れる、と思った。
戦う前から、もう何かが崩れはじめている。
九時三十五分。
東の空へ消えていった子らの編隊に何が起きたのかを、俺はずっとあとになって知った。
敵に近づくはるか手前で、グラマンの群れが上から降ってきたのだ。
敵は目に見えぬ電波で味方の戦闘機を導いていた。こちらの編隊がどこにいるか、どの高さを来るか、すべて筒抜けだった。爆弾を抱えて鈍くなった爆戦は、空戦の術も知らぬまま、上から襲いかかる敵に片端から落とされた。
のちに敵は、あの日のことをこう呼んだそうだ。
――七面鳥撃ち。
撃ち落とすのが七面鳥を撃つほどに容易かったという意味だ。
逃げ場のない空で、子らはそれでも逃げなかった。爆戦隊はまっすぐ敵の空母群へ突っ込んでいった。空戦のできぬ子らに、できることはそれだけだった。
六十四機が出て、四十一機が還らなかった。
爆戦が三十一、天山が二、零戦が八。
還らなかった、というのは、つまり墜ちたということだ。
戦果は、空母一隻、巡洋艦一隻に爆弾命中、ほかにも数隻に当たった――そう報告は上がってきた。
だがそれは、ほとんどが見間違いだった。あとで知った敵の記録では、戦艦に爆弾が一発、巡洋艦のそばに一発外れただけ。空母にはかすり傷ひとつ負わせていなかった。
四十一の命と引き換えに、敵の戦艦に爆弾が一つ。
その同じ時刻、後ろの本隊でも海が裂けていた。
敵の潜水艦が主力の空母を雷撃した。
翔鶴が午後二時すぎに沈んだ。
最新鋭の大鳳は、朝に魚雷を一本食らったあとしばらく走り続けていたが、午後になって突然、艦の中で大きな爆発を起こし、燃えながら沈んでいった。
主力の空母が二隻。
俺の触角が四十一機をすり潰したのと引き換えに、艦隊は心臓を二つ失っていた。
俺は千歳の艦橋に立って、還ってくる機を数えていた。
一機、二機。
雲の切れ間から、ぽつりぽつりと傷ついた機が戻ってくる。脚が出ない機。煙を引いた機。
俺は出ていった機の数を覚えていた。だから還ってこない数も、いやでもわかった。
甲板に、空いた場所がある。
そこに在るはずだった機が、もう永久に戻らない。そこに乗っていたはずの子が、もうこの世にいない。
俺はその空いた場所を、ずっと見ていた。
四 羽黒
主力の空母を失って、本隊の司令部は混乱に陥っていた。
小沢長官は沈む大鳳を捨て、駆逐艦を経由して重巡洋艦の羽黒に将旗を移した。
だが羽黒は、もともと巡洋艦だ。艦隊全体を束ねるだけの通信の力がない。
その結果、本隊の司令部は戦の様子がまるでつかめなくなった。攻撃隊が何機還ったのか。いま手元に飛べる飛行機が何機あるのか。それすらもわからなくなっていた。
目隠しをされたまま艦隊を率いる。そんな按配だった。
前衛の俺たちは、もっと先の、もっと深い闇の中にいた。
本隊からの指示がほとんど来ない。来ても切れ切れだ。
いま自分たちがどういう状況に置かれているのか。次に何をすればいいのか。誰も教えてくれない。俺は手元に残った機をかき集め、傷ついた子を一人でも多く拾い上げることに、ただ追われていた。
あとで知ったことだが――
東京の海軍省では、俺の戦隊のことをこう書いた者がいる。
「第三航空戦隊は、敵機に触れられた様子だが、詳しいことは不明」
不明。
俺たちが子らを四十一機すり潰し、味方を撃ち、闇の中で必死にもがいていたその時、東京には、俺たちが生きているか死んでいるかすら届いていなかった。
あの男――東京で妙な動きをしているという同期の高木にも、たぶん何も見えていなかったろう。
海の上の俺たちと、机の上のあいつらの間には、見えない深い溝が口を開けていた。
六月の二十日。
今度は敵が追いかけてきた。
夕方近く、敵の艦載機の群れが空を覆って襲いかかってきた。
空母の飛鷹が火を噴いて沈んだ。
そして俺の戦隊の千代田が、爆弾を食らった。
俺の眼の前で、味方の二番艦が黒い煙を噴き上げた。
もう立てる脚は、ほとんど残っていなかった。
この戦いに入る前、俺の六五三空には九十機の飛行機があった。三隻の空母に三十機ずつ。
二十日の戦いが終わったとき、残っていたのは二十二機だった。
九十が、二十二。
俺はその数字を何度も胸の中で数え直した。数え違いではないかと思った。だが何度数えても二十二だった。
五 還り道
それでも命令は来た。
二十一日の朝、本隊からこう伝えられた。
――本日、敵を見つけしだい、各航空戦隊は飛行機の全力をもって最後の攻撃を実施すべし。
全力。
俺の手元の全力は二十二機だ。
空戦のできぬ子らが半分は墜ちて、残った半分のそのまた一部。それを最後の一機まで敵に投げ込めという。
俺は残った機の中から索敵機を出した。九七式の艦攻が四機。広い海へ敵を探しに飛んでいった。
だが、もう敵には届かなかった。
二十一日の昼、ついに反転の命令が出た。
敵はこちらの届かぬ彼方へ去っていた。追っても捕まらぬ。これ以上、何も投げ込むものはない。
艦隊は北西へ針路を返した。
俺は艦橋から後ろの海を見た。
子らをあの海に置いてきた。四十一機を、東の空に。味方を撃ち、味方に撃たれ、誰も助けには来なかった、あの海に。
六月の二十二日。
艦隊は沖縄の中城湾に入った。
油を入れるためだ。
穏やかな、緑の濃い湾だった。岸には亜熱帯の木が茂り、蝉の声が潮の匂いに混じって流れてきた。
三日前まで、子らはあの空にいた。
いまは、いない。
「あ」号作戦は終わった。
完全な失敗として。
主力の空母を三隻失い、搭乗員の大半を失った。機動部隊は、もう二度と立ち上がれない。
俺は艦橋でひとり立っていた。
鉄砲屋から這い上がってきた不器用な男。横刺しを期待された、かつての武人。その俺が率いた触角は、敵にかすり傷ひとつ負わせられぬまま、子らの命だけを置いてきた。
俺は子らの名を、一人ずつ思い出そうとした。
だが半分も思い出せなかった。あまりに若く、あまりに多くが、あまりに早く逝った。
サイパンには矢野がいる。
同期の、座持ちの上手い、目から鼻に抜ける男。あの島で南雲長官の参謀長をしている。海軍はもう、あの島を救えない。俺の触角が潰れた今、誰がサイパンを救うのか。
東京には高木がいる。
あの男は何を企んでいるのか。机の上で、まだ何かを動かそうとしているのか。
軍令部には中沢がいる。
赤い鉛筆で針路を引いた男が、いまこの大敗をどんな顔で受け止めているのか。
俺は緑の湾を見ていた。
この海も、いずれ敵のものになる。
サイパンが落ちれば、敵の大きな爆撃機が本土の空を覆う。そうなれば、もう終わりが見えていた。
俺はそれを、はっきりと知っていた。
艦隊は中城湾で油を入れ、二十四日の夕、内地の桂島泊地に帰り着いた。
ふるさとの海は、何も変わらず、ただ静かだった。
◆ 後書き 矢野 英雄(やの ひでお、海軍少将/中部太平洋方面艦隊参謀長/海兵43期)
私は、サイパンの土の下でこれを思っている。
壕の中は昼でも暗い。砲弾が地を揺らすたびに、天井から土がぱらぱらと落ちてくる。外では敵の艦砲が、絶え間なく島を削っている。
私は矢野英雄。中部太平洋方面艦隊の参謀長だ。
この島も、現場は現場でずっといら立っていた。
陸軍は水際で敵を皆殺しにすると言っていた。渚に火砲を並べ、舟艇が取りつく瞬間に叩き潰す。その構えに絶対の自信を持っていた。
だが、その自信が立つはずの足場は初めから崩れていた。
兵を運ぶ船が、来る途中で次々と沈められた。陣地を造る資材も、据えるべき大砲も、海の底に消えた。残された者は足りぬ手駒で、それでも水際で阻めと言われた。
そして上陸の前の数日、敵は島が消えるかと思うほど砲弾を浴びせてきた。渚に並べたはずの火砲は、撃ち合う前に半分が吹き飛んだ。
六月十五日の朝、敵はその傷ついた渚を苦もなく乗り越えてきた。
皆殺しにするはずだった敵が、その日のうちに島へ雪崩れ込んだ。水際撃滅という言葉だけが宙に浮いて残った。
海の戦いも、敗けた。
マリアナの沖で味方の機動部隊が、立ち上がれぬほどに叩かれた。それを私はこの島で聞いた。
もう誰も来ない。
救いの艦隊は来ない。
三月の桃の節句に、私の送別の宴があった。
南雲長官と私が、この中部太平洋方面艦隊へ発つ前のことだ。
南雲長官は盃を手にして、笑いながらこう言った。
「今度という今度は白木の箱か。それとも男爵さまだ」
白木の箱――骨を入れる箱のことだ。死んで帰るか、手柄を立てて爵位をもらうか。冗談のかたちを借りた、死の覚悟だった。
私はその隣で笑っていた。征く者は皆おなじ思いだった。
私はもともと、座を持たせるのが得意な男だった。
だがあの送別会の夜、私はちっとも弾まなかったらしい。
そうだろう。
あの夜、私はもう、この島の土の匂いを嗅いでいたのだから。
四十三期の同期は、皆、最前線にいた。
大林は海の上で前衛を率いていた。あの不器用な男が、いちばん危ないところを進んでいたと聞く。
有馬は南の島で、基地の航空隊を立て直そうとしていた。
中沢は東京の机の前で針路を引いていた。
そして高木――あの男は内地で、何かを企んでいるという。
私には、あいつが何をしようとしているのか見当はつく。
この戦を、どこかで止めようとしているのだ。机をひっくり返してでも。
止められるものなら、止めてほしい。
私はもう間に合わない。
この島で長官の最期を見届け、私も逝く。それが参謀長の役目だ。
だが私の後ろには、まだ大勢の若者がいる。海の上で死んだ子ら。これからこの島で死ぬ子ら。本土で、これから生まれてくるはずだった子ら。
その子らのために、誰かがこの狂った戦を止めねばならない。
東京のあの男よ。
頼む。
【次回予告】
第五十五話「合法の道、尽きる」。
昭和十九年六月十五日。ついに米軍がサイパンに上陸する。絶対国防圏の中核が、破れる。
艦隊は還らず、島の同期も還らぬ。海軍省教育局長・高木惣吉は、絶望のどん底に沈む。重臣は動かず、長老は昼寝でもするしかないと笑う。合法の手は、一つずつ閉ざされていく。
そんなある日、部下の神重徳大佐が、ひとりの男に会ってきたと告げる。十二年前、この東京で総理大臣を撃った、あの男に――。
弱音を吐いていた春は、終わった。智将の胸に、赤い火が灯る。
第五十五話、ご期待ください。
【執筆者補記】
■ 史実と創作の区別
【史実に基づく部分】
決戦前、機動部隊がボルネオ北東のタウイタウイ泊地に集結したが、周辺に米潜水艦が多く外洋に出られず、搭乗員の発着艦・空戦訓練が十分にできなかったこと。多くの搭乗員が未熟なまま決戦に臨んだこと。
ニューギニア・ビアク島の争奪(渾作戦)に海軍が兵力を割き、マリアナ用の基地航空部隊まで西方へ転用されて、決戦兵力が分散・消耗していたこと。連合艦隊が5月に『あ号作戦』を発動し、6月13日に決戦用意、15日に決戦発動を発令したこと。
6月11日の米軍マリアナ空襲開始、聯合艦隊の決戦用意発令を軍令部が3日渋った経緯、6月15日のサイパン上陸と豊田長官の電文(『皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ』)。
陸軍が島嶼防衛で水際撃滅を基本構想とし、絶対の自信を持っていたこと。増援部隊の輸送船が途中で多数撃沈され兵力・資材の集積が滞ったこと。上陸前の数日の空襲・艦砲射撃で水際陣地の火砲の半数が破壊され、6月15日に上陸を許したこと(後書きの矢野の述懐に反映)。
三航戦が栗田中将の第二艦隊(旗艦愛宕)を主力とする前衛部隊に所属したこと、旗艦が千歳であったこと、作戦方針の『全艦隊ノ触角』。
六五三空の爆戦隊の実態(甲飛9期中心・飛行時間100〜150時間、空戦訓練を行わず降爆訓練に終始、『戦死したら二階級特進』『特攻と同じ考え』という現場の証言)。
6月18日午後の攻撃中止(小沢長官の判断)、6月19日の第一次攻撃隊(中本道次郎大尉指揮、戦爆43・天山7・零戦14の計64機が午前7時25分発進、未帰還41機)、戦果が実際にはほぼ皆無であったこと。
瑞鳳が味方の一航戦第一次攻撃隊(120機)を敵機と誤認して対空射撃し、大和の警告で射撃を中止、味方機が墜落したこと。
大鳳・翔鶴の喪失、9時35分のグラマンの奇襲、米側が『マリアナの七面鳥撃ち』と呼んだこと、レーダー・電波管制による迎撃。
小沢司令部の羽黒移乗と通信不良による戦況不明、高木日記の『第三航空戦隊ハ敵機ニ触接セラレシ如キモ詳細不明』、6月20日の飛鷹喪失と千代田被弾、三航戦の残存が22機まで減じたこと、6月22日の中城湾入港と24日の桂島泊地着。
中澤佑の戦後の述懐(敵がマリアナに6月に来るとは思わなかった、西カロリンに逐次来攻すると読んでいた、アドミラルティの輸送船団に幻惑された)。高木が高松宮に語った中澤ら軍令部首脳への批判(『中沢部長にも伊藤次長にも、その決意がない』)。
南雲長官が3月3日の送別会で漏らした『白木の箱か、男爵さまだ』、矢野が南雲の介錯ののち自決したこと(自決は7月6日)、矢野が『聡明才敏・目から鼻に抜ける』『座持ちが上手い』と評され、送別会では弾まなかったという高木日記の記述。
【創作部分】
大林の心中・独白・艦橋での所作、飛行長や若い参謀との会話、子らの名を思い出そうとする場面、大和・武蔵を見上げる挿話など、情景と心情はすべてオリジナルです。中澤の前書きと矢野の後書きの独白も、史実の言動を踏まえたうえで文言は創作です。
史料に残る発言は現代文に直して用い、状況や登場人物の感情はオリジナルに組み直しています。
大林・矢野・中澤・有馬・高木が海兵43期の同期であることは、戦史叢書本文ではなく一般的な経歴情報に基づきます。大林の経歴・生没年は大林末雄の項、中澤・矢野の経歴・生没年は人名事典・国立国会図書館の典拠等で補いました。
【人物紹介】
■ 中澤 佑(なかざわ たすく、1894-1977)
当時、海軍少将。軍令部第一部長(作戦部長)。長野県諏訪の出身で、海軍兵学校43期、海軍大学校甲種を上位で卒業したエリート官僚型の軍人。進級が早く嶋田海相の信任が厚く、実務能力は高く評価される一方、進級の早さゆえ同期との間に溝があったとも言われる。本話のこの時期は軍令部第一部長として『あ』号作戦の指導の中枢にいた。戦後、海軍中将に進級。B級戦犯として服役した。本話の前書きの語り手。
■ 大林 末雄(おおばやし すえお、1895-1983)
海軍少将。第三航空戦隊司令官。本話の本文の語り手。愛知県(現・豊川市)の出身で海軍兵学校43期。入校時は100名中94位と下位だったが、卒業時には96名中22位まで順位を上げた苦労人。砲術畑から航空へ転じ、鹿屋・館山などの航空隊司令や戦艦日向艦長、ミッドウェー・南太平洋海戦の頃の瑞鳳艦長を歴任。マリアナ沖海戦では前衛・三航戦を率い、旗艦千歳に座乗した。戦後まで生き、昭和58年に没した。
■ 矢野 英雄(やの ひでお、1894-1944)
海軍少将。中部太平洋方面艦隊参謀長。本話の後書きの語り手。香川県出身で三豊中学から海軍兵学校43期、海軍大学校甲種を3位で卒業した秀才。英国駐在を二度経験し(在英大使・吉田茂に重用された)、軍令部第三部長兼大本営海軍報道部長、戦艦長門艦長などを歴任。『聡明才敏・目から鼻に抜ける』『座持ちが上手い』と評された英米通だが、大勢に順応するたちでもあったという。高木惣吉とは海兵同期で、少尉候補生時代の練習艦『磐手』も同じだったため親しかった。昭和19年3月、南雲長官とともに中部太平洋方面艦隊参謀長としてサイパンへ赴任。7月6日、南雲長官の介錯ののち自決した。戦死により海軍中将に特進。
■ 南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887-1944)
海軍中将。中部太平洋方面艦隊司令長官。海軍兵学校35期。真珠湾攻撃以来の機動部隊指揮官として知られる。サイパン防衛の最高責任者として矢野参謀長とともに最前線に立ち、7月6日に自決した。
■ 高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893-1979)
海軍少将。海軍省教育局長。本作の主人公格で、本話には登場せず三人の語り手の口に名のみのぼる『東京のあの男』。海兵43期の同期たちが前線で死んでいく現実こそが、彼を倒閣・終戦工作へと駆り立てていく。
■ 小沢 治三郎(おざわ じさぶろう、1886-1966)
海軍中将。第一機動艦隊司令長官。アウトレンジ戦法を採ってマリアナ沖海戦を指揮した。
■ 栗田 健男(くりた たけお、1889-1977)
海軍中将。第二艦隊司令長官。三航戦を含む前衛部隊を率いた。
■ 豊田 副武(とよだ そえむ、1885-1957)
海軍大将。連合艦隊司令長官。サイパン上陸を受け『あ』号作戦決戦を発動した。
■ 有馬 正文(ありま まさふみ、1895-1944)
海軍少将。高木・大林らの海兵43期同期。本話時点では基地航空部隊の指揮にあたっていた。のちに台湾沖航空戦で自ら特攻に身を投じて戦死する。高木が倒閣に命を懸ける動機――第一線で死んでいく同期への思い――の象徴。
■ 中本 道次郎
海軍大尉。三航戦第一次攻撃隊の指揮官として6月19日に出撃した(生没年・詳細は史料で未確認)。
【用語集】
■ 「あ」号作戦
サイパンを含むマリアナ方面に来攻する米機動部隊と上陸部隊を撃滅するための、日本海軍の決戦作戦。その海空戦がマリアナ沖海戦。
■ タウイタウイ泊地
ボルネオ島北東の泊地。決戦前、日本の機動部隊がここに集結した。だが周辺に米潜水艦が多く、艦隊は外洋へ出られず、搭乗員の発着艦や空戦の訓練が満足にできなかった。未熟な搭乗員の練度を上げられぬまま決戦に臨む一因となり、本話で大林がいら立つ場面の背景となっている。
■ 渾作戦
ニューギニア西部・ビアク島を守るための作戦。米軍がマリアナへ来攻する直前まで、海軍はこちらに戦力を割いており、マリアナ防衛用の基地航空部隊まで西方へ転用された。決戦兵力が分散・消耗する原因となった。
■ 水際撃滅
上陸してくる敵を、渚に取りつくその瞬間に海岸の火砲で叩き潰す島嶼防衛の構想。陸軍はこれに絶対の自信を持っていたが、サイパンでは増援の海没と上陸前の砲爆撃で水際陣地が壊滅し、初日に上陸を許した(後書きの矢野の視点に反映)。
■ 前衛部隊
艦隊本隊のはるか前方に展開する部隊。本話の三航戦は、栗田中将の第二艦隊を主力とする前衛として最も敵に近い位置を進んだ。
■ 触角
三航戦の作戦方針に記された語。艦隊の先端で敵に最初に触れ、本隊の攻撃準備の時間を稼ぐ役割を、虫の触角になぞらえたもの。事実上の捨て石を意味した。
■ アウトレンジ戦法
航続距離の長い日本機で、敵機の行動半径の外側から一方的に先制攻撃を加える戦法。理屈は優れていたが、未熟な搭乗員には複雑すぎ、かえって被害を拡大させた。
■ 爆戦
戦闘爆撃機の略。零式艦上戦闘機(零戦)に250キロ爆弾を装備したもの。敵空母の飛行甲板を破壊することを期待されたが、空戦能力は乏しかった。
■ 甲種飛行予科練習生
旧制中学校卒業程度の少年から採用した搭乗員養成制度。略して甲飛。六五三空の中核はその9期生で、飛行時間が極端に少ないまま決戦に投入された。
■ 二階級特進
戦死した軍人の階級を二つ上げて顕彰する措置。これを前提に編成された部隊は、生還を当てにしない『特攻的』な性格を帯びた。
■ マリアナの七面鳥撃ち(マリアナのしちめんちょううち)
6月19日の航空戦で、レーダーと電波管制(GCI)に導かれた米戦闘機と、VT信管(近接作動信管)の対空砲火により、日本機が一方的に撃墜された有様を米側がこう呼んだ。
■ 羽黒
重巡洋艦。主力空母を失った小沢長官が将旗を移した艦。本来巡洋艦のため通信能力が足りず、艦隊全体の指揮が麻痺する一因となった。
■ 中城湾・柱島泊地
前者は沖縄本島東岸の湾で、敗退した艦隊が燃料補給を行った。後者は瀬戸内海・柱島泊地のことで、艦隊が内地へ帰り着いた先。
■ 海兵43期
海軍兵学校第43期。高木惣吉・大林末雄・矢野英雄・中澤佑・有馬正文ら本話の主要人物の同期。柴崎恵次・伊集院松治ら多くが第一線で戦死し、高木が倒閣に命を懸ける動機となった。
【参考文献】
■ 一次史料・回想録
防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 マリアナ沖海戦』朝雲新聞社、1968年
防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦(1)マリアナ玉砕まで』朝雲新聞社、1967年
高木惣吉『高木海軍少将覚え書』毎日新聞社、1979年
高木惣吉『高木惣吉 日記と情報』みすず書房、2000年
中澤佑(中澤佑刊行会編)『海軍中将中澤佑――海軍作戦部長・人事局長回想録』原書房、1979年
宇垣纏『戦藻録』原書房、1968年
細川護貞『細川日記』中央公論社、1978年
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第七巻』中央公論社、1997年
■ 二次史料・研究
吉松安弘『東條英機暗殺の夏』新潮社、1989年
鈴木多聞『「終戦」の政治史 1943-1945』東京大学出版会、2011年
山本智之『「聖断」の終戦史』NHK出版、2015年
(注)大林末雄・中澤佑・矢野英雄の経歴と生没年は、上記のほか一般的な人名事典・国立国会図書館の典拠等で補いました。海兵43期の同期関係は戦史叢書本文の記載ではなく一般的な経歴情報に基づきます。




