表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第5章 海軍少将:高木惣吉編(昭和17(1942)年6月~)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
54/65

第53話「高木惣吉、弱音を吐く――矢部教授の励まし」


◆ 前書き 高木 惣吉(たかぎ そうきち、海軍少将・海軍省教育局長)


 俺は高木惣吉。海軍少将。いまは海軍省の教育局長を務めている。


 熊本の人吉の在の、貧しい家に生まれた。中学にも行けず、製本工場で職工をしながら独学で海軍兵学校に受かった。海軍では珍しい叩き上げだ。


 その俺が、いま二つの戦をしている。


 一つは表の戦。教育局長として、海軍の質を守る戦だ。


 もう一つは裏の戦。東條内閣を倒し、嶋田海相を更迭し、この国を破滅から救う戦だ。


 昭和十九年の春、その二つの戦が、両方とも行き詰まった。


 重臣に説いても動かぬ。皇族に伺候しても及び腰だ。打てる手はすべて打った。それでもどれ一つ実を結ばぬ。


 おまけに本職の教育の場でも、嶋田大臣と正面からぶつかった。


 四面楚歌だ。


 俺は疲れ果てていた。


 こういうとき、軍人は弱音を吐かぬ。吐けぬのだ。海軍の中で弱音を漏らせば、たちまち足をすくわれる。だから俺は、海軍省では誰にも本心を見せなかった。


 ただ一つ、本心を吐ける場所があった。


 築地の料亭「増田」。


 あの在野の与太者たちの座敷だ。矢部貞治。伏下。天川。本流の軍人ではない、自由な連中。


 奇妙な話だ。同じ海軍の制服を着た仲間にではなく、軍服も着ていない学者の前でだけ、俺は弱音を吐けた。


 第五十三話「高木惣吉、孤独の春――弱音を吐ける場所」。


 これは、二つの戦に疲れ果てた一人の海軍少将が、たった一人の民間人にだけ本心を打ち明け、そしてまた立ち上がるまでの、誰も知らぬ孤独の物語である。



【本文】


一 四月十三日――岡田邸の落胆


 四月十三日。俺は胸を膨らませて岡田啓介大将の邸を訪ねた。


 岡田大将は海軍の最長老だ。元総理でもある。重臣のなかで反東條の旗を立てられるのは、この人をおいて他にない。


 前日、重臣と政府の懇談会が開かれていた。重臣たちが東條に直接物申すまたとない機会であった。俺はそこで何かが動いたのではないかと期待していた。


 玄関に通された俺を、岡田大将は渋い顔で迎えた。


「高木君か。まあ上がれ」


 座敷に通されて、俺は単刀直入に尋ねた。


「大将。昨日の懇談会はいかがでした。重臣の皆様は、東條に対して何か」


 岡田大将は煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吐いた。


「懇談会などと言えたものではない。あれは東條の独演会だ」


「独演会、ですか」


「東條が一人で、一時四十五分まで喋りどおしだ。船舶の被害が最近は少なくなった、などと得意げに吹聴しておった。重臣どもは誰一人、まともに反撃できなんだ」


 俺は言葉を失った。


 一時間四十五分。その間、海軍の長老も元総理たちも、ただ東條の演説を黙って拝聴していたというのか。


「では、何も決まらなかったと」


「何も決まらん。誰も腹を括っておらん」


 岡田大将は疲れた声で言った。


 俺は失望と焦りを抱えて岡田邸を辞した。


 夕暮れの坂道を下りながら、俺は自分に腹を立てていた。


 人のことは批判できる。重臣どもは及び腰だ、皇族は慎重すぎる、と。だが俺自身はどうだ。結局その重臣や先輩たちの政治力に寄りかかっているだけではないか。あの人たちが動いてくれることを当てにして、自分の足で立っていなかったのではないか。


 重臣に寄りかかる。皇族に期待する。


 そのどれもが、いま音を立てて崩れていく。


 合法の手段が、ことごとく行き詰まっていた。


二 四月二十五日――箱根の春雨、近衛の談


 四月二十五日。


 その日、俺は箱根にいた。


 湯本の木村別荘で静養している原田男爵から、近衛公も来るから一緒に昼飯でも食って雑談しようと誘いがあったのだ。


 糠のような春雨の箱根は静かであった。世の煩わしさを、しばし忘れさせてくれる。


 近衛文麿公は、湯河原のほうから来たらしい。すぐに着いて、三時半頃まで雑談が続いた。


 近衛公の話は、いつものように当たりが柔らかく、それでいて鋭い。


「木戸が最近、東條のことをひどく悪く言うようになってね」


 近衛公は茶をすすりながら言った。


「十一日会でも、大いに東條を扱き下していた。あいつは不熟慮断行だ、などと皮肉を言ってね。木戸の、東條内閣に対する気持ちが変わってきたのではないかと思う」


 俺は身を乗り出した。木戸内大臣は天皇のいちばん近くにいる。その木戸が東條を見限りつつあるなら、これは小さからぬ兆しだ。


「ただ」


 近衛公の顔が曇った。


「豊田大将の転任は、困ったことだ。海軍部内に希望を与え、統制を保たせる。あの大事な役目を果たしていた人が、ぽつんといなくなるのだから。困ったことになりはしないかと、心配している」


 俺は黙って頷いた。豊田大将を失った痛手は、近衛公も同じように感じていた。


「それから、迫水のことだが」


 近衛公は続けた。


「迫水が、東條を参謀総長だけにして、政権のほうは他人に渡させるという案を木戸のところに持ち込んだらしい。だがそれが岡田大将の肚なのかどうかは、私には疑問に思える」


 東條を総長だけにして、首相の座から降ろす。なるほど、と俺は思った。正面から倒すのではなく、兼任を解かせて少しずつ力を削ぐ。迫水らしい搦め手の策だ。


 話はやがて、陸軍の派閥に及んだ。


 近衛公は、こう言った。


「統制派の幕僚政治、軍部独裁の考えを一掃するには、どうしても皇道派にやらせてみたい気がする」


 俺は意外に思った。皇道派といえば二・二六事件の青年将校たちの源流だ。危ない連中という印象が強い。


「近衛さん。皇道派は、危なくはありませんか」


「いや、あなたが心配するほどではない」


 近衛公は穏やかに首を振った。


「思想的にはむしろ、皇道派のほうが自由主義的で現状維持的なのだ。鳩山一派と通じているくらいでね。国体に関する考えも、皇道派ははっきりしている。その点、統制派のほうがよほど怪しい」


 思想の上では皇道派のほうが穏健だ、という見方は、なるほど一理あった。世間の見立てとは、ずいぶん違う。


 だが俺は、内心で首を傾げていた。


 近衛公の話には、いつもこの調子の落とし穴がある。理屈は美しいが、では誰がどうやってそれを実行するのか。そこが抜け落ちているのだ。


 皇道派にやらせてみたい、と公は言う。だが、皇道派の将軍たちに、いまの陸軍を実際に抑え込むだけの力があるのか。


 いまの陸軍を動かしているのは、道義でも思想でも国民の支持でもない。膨大な組織と利害だ。その鉄の塊を握る統制派の首脳を取って代えるなど、難事中の難事だ。真崎にも小畑にも柳川にも、それだけの力はない。柳川は確かに立派な人だ。だが真崎や石原は、俺はどうにも信用できぬ。


 結局、皇道派は何を当てにしているか。海軍が東條を倒してくれること。そして陛下が大号令をかけてくださること。つまりは他人の力だ。


 虫のいい、棚から牡丹餅を待つような構想だ。


 そんな実力のない者に大掃除をやらせれば、統制派が黙ってはいまい。国内に大きな混乱と多くの犠牲が出るだけだ。しかも、それで成功する保証は何一つない。


 だが俺は、それを口にはしなかった。


 春雨の箱根で、静養中の老公の理想論に水を差すこともない。それに近衛公の語る宮中・政界の機微そのものは、得難い情報であった。


「お考え、よく分かりました」


 俺はそう言うに留めた。


 こういう話を、俺は海軍省では聞けぬ。


 軍の中にいると、どうしても物の見方が一面的になる。ところがこうして近衛公や原田男のような軍の外の達人と春雨を眺めながら語り合うと、世界がぐっと広く見えてくる。


 これもまた、軍の壁の外に頭脳を求めてきたことの、思わぬ余得であった。


 ただ――近衛公の皇道派論には、俺はどうしても乗れぬ。理屈は分かる。だが力の裏づけのない理想は、ただの絵空事だ。倒閣は、もっと泥臭く力で押していくしかない。


 そしてこの日の雑談で、その倒閣が一歩でも前に進んだかといえば、そうではない。


 木戸の心境の変化も、迫水の搦め手も、皇道派論も、どれもまだ雲をつかむような話だ。確かな手応えは何一つない。


 春雨の箱根は美しかった。だが俺の心は、晴れなかった。


三 兵学校の試験――嶋田との一時間


 裏の戦が行き詰まる一方で、表の戦もまた俺を追い詰めていた。


 俺は三月一日付で教育局長になったばかりであった。海軍の士官をどう育てるか、その大本を司る職だ。


 ところがこの職が、嶋田大臣との正面衝突を生んだ。


 発端は、海軍兵学校の入校試験であった。


 嶋田大臣は東條陸相のやり方に迎合して、こう言ってきた。


――兵学校の入校試験を廃止せよ。志願者の成績と中学校長の推薦状だけで、無試験で採れ。


 戦局が悪化し、士官がいくらでも要る。だから数を揃えるために選り好みをするな、というのだ。


 俺はこれを聞いて、腹の底から怒りが込み上げた。


 海軍は七十余年、自由志願でやってきた。入校試験に受かりさえすれば、どんな家柄でも、どんな経歴でも、士官への道が開かれていた。試験という一点で、誰にでも機会が均等に与えられていた。


 それを無試験にして、中学校長の推薦だけで採るとなれば、どうなる。


 学歴のない下士官兵。独学の青年。彼らの道が、根こそぎ断たれる。


 俺は思った。


――かく言う俺自身が、中学の課程と縁のない男ではないか。


 中学にも行けず、職工をしながら独学で海兵に受かった。もし嶋田大臣の言う通りにしていたら俺のような人間は最初から門前払いだ。海軍への希望を、抹殺されていた。


 これは制度の話ではない。海軍の美風そのものを壊す話だ。


 俺は次官の沢本さんに相談した。


「沢本次官。この無試験採用の件、なんとか大臣を説得していただけませんか」


 ところが沢本さんは逃げた。


「それは局長が直接、大臣に説明したまえ」


 仕方がない。俺は単身、嶋田大臣の部屋に乗り込んだ。


 大臣室での押し問答は、一時間に及んだ。


「大臣。無試験採用は、海軍永年の自由志願の建前を捨てることになります。独学者や下士官兵から志願する者に、全く門戸を閉ざすことになります」


「戦局を考えろ、高木。いま士官が何人要ると思っておる。試験などやっている暇はない」


「数を揃えるために質を捨てれば、海軍そのものが瓦解します」


「大臣のいうことが解らなければ判を押さぬというのか」


 嶋田大臣の機嫌は、見る間に険悪になっていった。


 俺は引かなかった。一度引き下がり、試験の課目を最小限まで減らした案を作り直してもう一度押した。試験そのものは残す。そこだけは譲らなかった。


 とうとうこの案で押し切った。


 ただ代償は大きかった。


 嶋田大臣は俺に決定的な不興を抱いた。


 以来、大臣は俺をまるで親の仇のように見るようになった。あるいは故意に俺を敵視しているのではないか。そう感じることすらあった。


 裏では倒閣の同志として、表では教育局長として。


 俺は二重に、嶋田という壁とぶつかっていた。


四 四月二十七日――増田の座敷で


 四月二十七日の夜、俺は築地の増田に呼ばれた。


 矢部君たちが、俺と「思想統一」をしたいという。


 矢部貞治。東京帝大の政治学者だ。あの「戦争指導刷新論」を書いた男である。伏下大佐と天川君が数字と忠告を出し、矢部君が理屈に仕上げた。俺の倒閣工作の、いちばんの武器となる文書だ。


 奥座敷に通ると、矢部君が原稿を前に待っていた。


「高木さん。今日はこの文書の核について、あなたと思想を一つにしておきたいのです」


 矢部君の目は鋭かった。


「この理屈の肝はこうです。決戦と切り離した国内態勢の刷新など無意味だ。決戦に勝つために態勢を立て直す。立て直すために東條を倒す。この順序を崩してはならない。――高木さん、あなたはこの理屈で、本当に上層部と闘えますか」


 俺は答えに詰まった。


 理屈は分かる。矢部君の言うことは、一分の隙もなく正しい。


 ただ俺の心はもう、その正しさに付いていけなくなっていた。


「……矢部君。理屈はその通りだ。何も間違っていない」


 俺は盃を見つめた。


「ただ俺は、不断に手を打ってきた。岡田大将に説き、高松宮殿下に伺候し、木戸内大臣にも当たった。重臣にも軍の局長部長にも、片端から説いて回った。だが――何一つ、成功しなかった」


 座敷が静かになった。


「打てる手はすべて打った。そのどれもが、東條と嶋田の壁に跳ね返された。俺は疲れた。正直に言う。ひどく疲れた」


 そこまで言って、俺は普段なら決して口にせぬ言葉を漏らした。


「いっそ――この国が一度、敗北したらどうなる」


 矢部君が顔を上げた。


「一度この国が滅びて、民族として、骨の髄まで重い苦しみを味わう。そのほうが、永遠の生命から言えば、かえってよいのではないか。中途半端に小手先の工作を続けるよりも」


 言ってしまってから俺は自分の言葉に慄然とした。


 これは弱音だ。いや弱音を通り越した敗北主義だ。一度滅びてしまえ、などと。倒閣の旗を掲げてきた男の言う言葉ではない。


 矢部君はしばらく黙って俺を見ていた。


 そして静かに言った。


「……高木さん。立派な方だ」


 俺は耳を疑った。


 叱責されるかと思った。それは敗北主義だ、と詰られるかと思った。


 ところが矢部君は俺の弱音を責めなかった。むしろ、そこまで追い詰められてなお国を思うこの男を、立派だと言った。


 俺はこのとき、奇妙なことに気づいた。


 いま俺が漏らしたこの言葉を、もし海軍省で同じ制服を着た誰かの前で口にしていたら、どうなっていたか。


 たちまち噂が広がる。高木は腰が砕けた、と。あいつはもう使えぬ、と。海軍という組織のなかでは、弱音は命取りだ。だから俺は海軍省では決して本心を見せなかった。常に強がっていた。沢本次官にも、嶋田大臣にも、一歩も引かぬ顔をしてきた。


 ところがこの増田の座敷では違う。


 軍服も着ていない、軍の序列とも無縁のこの民間の学者の前でだけ、俺は鎧を脱げた。


 奇妙な話だ。


 同じ海軍の仲間にではなく、まるで畑違いの一介の学者に俺はいちばん深い本心を預けていた。


五 なぜ、この男たちなのか


 なぜ俺は海軍の仲間ではなく、この在野の連中の前でだけ弱音を吐けるのか。


 帰りの夜道で、俺はそれを考えた。


 軍人というのは本来、軍人の世界だけで生きるものだ。兵学校から始まり、艦と陸上勤務を行き来し、付き合うのは同じ制服の者ばかり。民間の人間と深く交わる海軍士官など、めったにいない。


 俺はそこが少し違っていたのかもしれぬ。


 思えば俺は調査課長の頃から軍の外に頭脳を求めてきた。陸軍の横暴に海軍だけで立ち向かうのは無理だ。ならば民間の一流の学者を集めて、知恵と理屈と世論を武器にするしかない。そう考えて、矢部君たちを海軍に引き入れた。


 あの頃からもう五年近くになる。


 その付き合いのなかで、俺はこの連中の妙な気楽さにいつしか救われるようになっていた。


 海軍の仲間は皆まじめだ。まじめすぎる。国を背負って悲壮な顔をして、一歩も退けぬ顔をしている。俺もその一人だ。だから仲間の前では、俺も悲壮な顔を崩せぬ。


 ところが増田の連中は違う。


 国を憂えていることは同じだ。だがどこか祭りのような陽気さがある。憲兵がうろついていようと、酒を飲んで笑い、天下国家を肴にする。失敗しても、誰も咎めぬ。腰が砕けても、温かく受け止めてくれる。


 自由なのだ。


 あの連中の前では、俺は海軍少将でなくてよい。教育局長でなくてよい。ただ国を憂える一人の男として弱音も愚痴も吐ける。


 それがどれほど有難かったか。


 俺の胸には、いつも一つの思いがあった。


 同期の有馬がいる。海兵四十三期の有馬正文だ。あいつはいま第一線で死闘を続けている。柴崎も伊集院も、同期の多くがもう還らぬ人となった。第一線で、無残に死んでいった。


 あいつらが命を懸けて戦っている。


 ならば内地にいる俺が、命を懸けて成し遂げねばならぬ仕事がある。それがこの倒閣だ。無謀な戦争指導を一日でも早く終わらせること。それが、死んでいった同期への、俺のたった一つの手向けだ。


 その思いがあるから俺は表で強がれる。嶋田にも沢本にも、一歩も引かぬ顔をしていられる。


 だが人は強がってばかりはいられぬ。


 どこかで鎧を脱がねば、潰れてしまう。


 その鎧を脱げる場所が、俺にとっては増田であり、矢部君たちであった。


 軍人が民間人に心を開く。世間から見れば奇妙なことかもしれぬ。


 だが俺には、あの自由な連中こそが、最後の砦であった。


六 五月――喪失の春、そして封じられた切り札


 五月は、喪失の月であった。


 倒閣は相変わらず動かなかった。日記を繰っても、この一月は教育局長としての本務の記録と葬儀の記録ばかりだ。倒閣の工作は、ほとんど書き留めるべきことがなかった。停まっていたのだ。


 そして私事でも、俺は次々に大切なものを失った。


 五月六日。


 その夜、横須賀界隈の学校や航空隊の視察に追われ、八時過ぎにようやく帰宅した。すると九時過ぎ、郷里から電報が届いた。


 取る手ももどかしく開くと、こうあった。


――ケサ八ジ ハハ エイミン。


 今朝八時、母が永眠した。


 俺は電報を握ったまま、しばらく動けなかった。


 母は四十四で寡婦になってから三十二年、女手一つで俺を育ててくれた。親子二人で暮らしたのは、ほんの一年ほどだ。関東の寒さに参った母は郷里に引っ込んで、とうとう二度と東京には出てこなかった。嫁との板挟みになるのを嫌ったのも、理由の一つであったろう。それを思うと、なお更すまない。


 去年、容体が思わしくないと急報があり、舞鶴から帰って見舞った。だが急変もなかろうということで、五日看護しただけで別れた。あの頃はまだ、戦局にも今より余裕があった。


 今度は、最後の看取りに帰ることすらできなかった。


 親子ただ二人の間柄でありながら、その臨終を看取れぬとは。俺も悲しいが、母も不運な最期であった。


 だが俺には、悲しみに沈んでいる暇すらなかった。


 五月九日。


 母の喪も明けぬうちに、俺は妻を伴って横須賀鎮守府の合同葬儀に参列した。


 この日祀られたのは、タラワ守備隊の指揮官として戦死した、海兵四十三期の級友・柴崎恵次中将であった。


 柴崎。同期の柴崎が、還ってきた。白木の箱に入って。


 昨年十一月、タラワの孤島で五日間、海と空からの猛攻に勇戦し、最後の突撃で散った男だ。正午、水交社で、未亡人の良子さんや遺族を同級生の家族で囲んだ。


 あいつも、逝った。


 俺の同期は、もうずいぶん少なくなった。第一線で、次々に死んでいく。


 五月十日。


 午後は故古賀大将の告別式、夜はその通夜であった。連合艦隊司令長官として海に消えた、あの古賀峯一大将だ。


 国民が、ほとんどみな喪服を着るようになってしまった。残念な世の中になったものだ。


 母を喪い、同期を送り、長官を送る。


 公でも私でも、俺は打ちのめされていた。


 倒閣は停まり、母は逝き、同期は散る。喪失ばかりの春であった。


 これが、俺の孤独の春であった。


 その喪失続きのさなか、もう一つ、頼みの綱が断たれた。


 豊田副武大将だ。


 横須賀鎮守府の長官であったこの提督は、見識もあり肚も据わっていた。俺はかねてから豊田大将を海軍大臣に担ぎ上げ、内側から嶋田を突き崩そうと考えていた。


 ところが古賀長官が海に消え、その後任として豊田大将が連合艦隊司令長官に引き抜かれてしまった。


 前線へ送られては、政治には動けぬ。


 それでも俺は、最後の望みを託した。矢部君たちが書いた「戦争指導刷新論」を出師之表として豊田大将に突きつけてもらう。死地へ赴く長官が、政府と統帥部に最後の諫めを叩きつける。そういう形にできぬか、と。


 伏下大佐を横須賀へ走らせた。


 ところが伏下大佐は力なく帰ってきた。


「高木さん。間に合いませんでした」


「間に合わぬ、とは」


「豊田大将は、もう艦上の人です。親任式と同時に、艦隊へ出されました。会えませんでした」


 俺は天を仰いだ。


 親任式と同時に、前線へ。政治的に動く隙を、一切与えぬ早業であった。


 敵もなかなかやる。東條も嶋田も、反主流派の芽を人事という刃で巧みに摘み取っていく。豊田大将という切り札を、俺は使う前に奪われた。


 ただ、この喪失と停滞の春に、たった一つだけ、前へ進んだことがあった。


 あの「戦争指導刷新論」だ。


 矢部君たち三人が起草し、俺が手を入れたあの一枚を、俺は細川護貞さんに託した。高松宮殿下にお届けしてくれ、と。


 五月十日、細川さんはそれを果たしてくれた。その夜、殿下に拝謁し、こう言上した――高木少将より『戦争指導刷新論』を受け取りました、と。


 殿下は、たしかにそれを受け取られた。


 豊田大将という切り札を奪われたその同じ日に、俺は別の一枚の札を宮中のいちばん奥へと滑り込ませた。


 あの紙が殿下の手のなかでどう芽吹くのか、このときの俺には、まだ分からなかった。


 喪失ばかりの春に、それだけが、ただ一つ蒔けた種であった。


七 五月二十日――逃げた夜


 五月二十日。


 その日、俺は増田で矢部君たちと会った。手土産にウィスキーを一本提げていった。


 だが俺の心はもう、すり切れていた。


 前日、矢部君と天川君は大達茂雄東京都長官と会っていた。大達さんは肚の据わった人で、東條にも木戸内大臣にも遠慮なくものを言う。矢部君たちは、その痛快さに高揚していた。


 その高揚を抱えたまま、三人は俺に詰め寄った。


「高木さん。頼みの岡田大将は、どうも動いておられない。いろいろ情報を集めても、何もしておられぬし、言うことも当てにならぬ」


 天川君の舌鋒は鋭かった。


「決戦が目前だからこそ、いま政局を変えねばならんのではありませんか。我々はそのために動いているのでしょう」


 俺は答えられなかった。


 いや答えたくなかった。


 なぜなら岡田大将への期待など、俺自身もう六分程度しか抱いていなかったからだ。あの人に全てを託しているわけではない。だがそれを、いまこの場で正直に言えば、倒閣の旗そのものが折れてしまう。


 それに俺の心はもう、決戦を前にして政局を変えることにためらいを覚え始めていた。


――いや、これも本心ではない。


 本当のところ、俺は疲れていた。表でも裏でも壁にぶつかり、嶋田には敵視され、豊田大将は奪われ、心がもう前へ進む力を失いかけていた。


 その本心を、三人に正直に言えなかった。


 だから俺はつい口にしてしまった。


「決戦に臨んでいるこのときに、政局を変えるのは、かえって困るのではないか」


 自分でも、何を言っているのかと思った。


 これまで倒閣を叫んできた俺が、決戦を理由に政局変更を渋っている。矛盾している。三人が怪訝な顔をするのも当然だ。


「高木さん、それは話が違います」


「我々は何のために箱根で決起し、あの紙を書いたのですか」


 三人が口々に詰め寄った。


 俺はその追及に答えられなかった。


 本心を言えば、心配をかける。取り繕えば、矛盾する。どちらもできず、俺はただ黙り込んだ。


 そして耐えられなくなった。


「……すまん。今日はこれで失礼する」


 俺は腰を上げ、三人の追及を振り切るようにして逃げるように座敷を出た。


 手土産のウィスキーだけが、座敷に残った。


 夜道を一人で歩きながら、俺は自分が情けなかった。


 あの連中は、俺のために命を懸けてくれている。矢部君は炬燵の上で二日酔いの頭を抱えてあの紙を書いた。天川君は足を棒にして数字を集めた。伏下大佐は何度も横須賀へ走った。


 その連中の前で、俺は本心も言えず、逃げ出した。


 いま頃あいつらは、俺の置いていったウィスキーをあおりながら煮え切らぬリーダーに憤慨しているだろう。


 それでいい。


 憤慨してくれていい。あの連中の前でなら、俺は無様な姿を晒してもいい。


 なぜならあいつらは、それでも俺を見捨てぬからだ。


 夜空に星もなかった。


 俺はもう一度だけ、本心を打ち明ける相手が要ると思った。


 取り繕いも強がりもなく、ただ洗いざらい、洗いざらい打ち明けられる相手が。


 その相手は、決まっていた。


八 五月二十二日――海軍大学校、空襲警報の下で


 五月二十二日。


 俺は矢部君だけを、密かに海軍大学校に呼び出した。


 天川君も伏下大佐も呼ばなかった。矢部君ただ一人だ。


 あの三人のなかでも、俺がいちばん深い本心を預けられるのは、この男であった。


 その日、空襲警報が鳴り響いていた。遠くで高射砲の音がする。窓の外の空には薄く煙が流れていた。


 がらんとした一室で、俺は矢部君と向かい合った。


「矢部君。先日は、すまなかった」


 俺は頭を下げた。


「あの夜、俺は逃げた。本心も言わず、君たちの追及を振り切って帰った。煮え切らぬ態度を取った。さぞ腹が立ったろう」


 矢部君は静かに首を振った。


「いえ。ただ、案じておりました。あなたらしくない、と」


 俺はようやく本心を打ち明ける気になった。


 この男になら、言える。軍の序列の外にいて、俺を海軍少将としてではなく、一人の男として見てくれるこの男になら。


「矢部君。実は――いろいろ手を尽くしてやってみても、要するに望みはないのだ」


 俺は言葉を選びながら、それでも正直に語った。


「合法の手段では、もう行き詰まりだ。頼みの岡田大将にしても、初めから期待は六分程度で、全てを託しているわけではない。あの人を当てにしきってはいない」


「では、なぜ五月二十日に、あんなことを」


「逃げるわけではないのだ。ただ――このまま、いい加減な態度で君たちに応対しているのは、良心が許さぬ」


 俺は拳を握った。


「望みもないのに、さも望みがあるかのように振る舞い、君たちを引っ張り続ける。それは欺くことだ。結局、俺はだら幹的な存在になるだけだ。看板だけのリーダーだ。それくらいなら――」


 俺はついに口にした。


「いっそ、ここらで役者を代えたらどうか、と思うのだ」


 役者を代える。


 つまり俺がこの倒閣工作の旗を降ろす、ということだ。


 矢部君が息を呑むのが分かった。


 言ってしまった。最も信頼するこの男にだけ俺は最後の弱音を吐いた。もう降りたい、と。


「それだけではない」


 俺は続けた。もう堰が切れていた。


「実は、兵学校の教育の問題で、嶋田大臣と正面から衝突した。入校試験を無試験にせよという大臣の命令を、俺は突っぱねた。海軍七十年の自由志願の建前を、独学者の道を、守るためだ」


「それで、大臣は」


「大臣は俺を、決定的に憎んだ。あるいは故意に、俺を敵視しているのかもしれぬ。表の仕事でも、裏の仕事でも、俺は嶋田という同じ壁にぶつかっている」


 矢部君はじっと俺の話を聞いていた。


「教育局長として、俺は海軍の質を守ろうとして大臣に憎まれる。倒閣の同志として、俺は嶋田を倒そうとして壁に跳ね返される。表も裏も、八方塞がりだ」


 俺はそこで、少し言いよどんだ。


 これは、言うつもりのなかったことだ。だがこの男の前では、つい口をついて出た。


「それに……矢部君。実は今月の初め、郷里の母が亡くなった」


 矢部君が顔を上げた。


「臨終の看取りにも帰れなかった。親子二人きりで生きてきた母なのに、最期に間に合わなかった。九日には同期の柴崎の葬儀があった。タラワで死んだ。十日には古賀大将の告別式だ。葬儀ばかりの月だった」


 俺は自分でも、声が沈んでいくのが分かった。


「公の仕事で潰れかけ、私のほうでも次々に人を失う。こんな月に、君たちの追及を冷静に受け止める力など、俺には残っていなかった。だから、逃げた」


 言うべきことではなかったかもしれぬ。倒閣の同志に、母の死など関わりのない話だ。


 だが矢部君は嫌な顔一つしなかった。ただ静かに、深く頷いた。


 俺は深く息を吐いた。


「矢部君。俺はもう、疲れ果てた」


 空襲警報が、なお鳴り続けていた。


 言い終えて、俺は奇妙な軽さを感じていた。


 洗いざらい打ち明けた。取り繕いも強がりもなく。海軍省では決して見せられぬ顔を、この一人の民間人の前で全部さらけ出した。


 矢部君はしばらく黙っていた。俺の話を、一言も聞き漏らすまいという顔で。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


「高木さん。一つ、申し上げてよろしいか」


 矢部君の声は、静かだが芯があった。


「そもそも我々三人が動き出したのは、高木さんという明星があったからです」


 明星。


 思いがけぬ言葉であった。


「箱根で決起し、あの紙を書いた。それも海軍に高木惣吉という一つの星が輝いていたからこそです。その星が自分から落ちると言われては、我々は何を頼りに動けばよいのですか」


 俺は黙っていた。


「大局の見通しについては、私もあなたと全く同感です。合法の手段が行き詰まっているのもその通りでしょう。重臣は動かず、皇族は慎重で、豊田大将は奪われた。どれもあなたの言う通りだ」


 矢部君は俺の目を見た。


「ただ――それで投げてはいけません」


「投げるな、と」


「土用中に秋風が吹く、ということもあります」


 俺は顔を上げた。


「土用の盛りの暑さのさなかに、ふと秋の風が吹くことがある。いまがどれほど八方塞がりでも、好機というのは思いがけぬときに、思いがけぬ方角から吹いてくるものです。それを摑むには、旗を立て続けていなければならない」


 俺の胸の奥で、何かが小さく動いた。


「ですが矢部君。望みもないのに、君たちにぶら下がられ続けるのは――」


「逆です」


 矢部君ははっきりと言った。


「我々が全面的にあなたにぶら下がるわけではありません」


「……どういうことだ」


「あなた一人に全部を背負わせはしない、という意味です。岡田大将への期待が六分なら、それで結構。残りは我々が他の役者を捉えていく。大達さんのような肚の据わった人も、内務省にも、まだ役者はいます。あなたは舞台の一つの星であって、舞台そのものを一人で支える柱ではない」


 俺は息を呑んだ。


 この男は、俺の重荷を、そっと分けて持とうとしている。


「それに」


 矢部君は続けた。


「仮に、決戦の前に国内態勢を転換するという我々の目論見が不成功に終わったとしましょう。それでも――いや、それならなおさら、その後の事態のためにも、いまから同志を繋いでおくことが要るのです。倒閣がこの夏に成らずとも、来る日のために、我々の連繋だけは絶やしてはならない」


「この夏に成らずとも……」


「一度の失敗で終わる話ではないのです。だからこそ高木さん、とにかく、いままで通り続けてください」


 とにかく、いままで通り。


 その言葉が、すっと俺の胸に落ちた。


 役者を代えるな、とは言わなかった。降りるな、とも、強くは言わなかった。ただ、いままで通り続けてくれ、と。それだけだ。


 だがその一言が、俺を縛っていた重荷を、ふっと軽くした。


 全部を一人で背負わなくてよい。明星として、ただそこに在ればよい。重荷は、この連中が分けて持つ。好機は、土用の秋風のように、いつか吹く。


「……矢部君」


 俺は不覚にも声が震えた。


「ありがとう。海軍の誰にも言えなかったことを、君にだけは言えた。そして君は、俺が思ってもみなかった逃げ道をいくつも示してくれた」


 矢部君はふっと笑った。


「逃げ道ではありません。続ける道です」


「同じことだ。続けるための逃げ道だ」


 俺も少し笑った。久しぶりに笑った気がした。


「しかし矢部君。なぜ君に、こんなことまで打ち明けられるのだろうな。海軍には、同じ釜の飯を食った仲間が大勢いる。それなのに俺は、軍服も着ぬ君にだけ、いちばん深いところを見せている」


「我々が軍人ではないからでしょう」


 矢部君は静かに言った。


「序列も、出世も、面子もない。あなたが弱音を吐いたところで、それを噂にして足をすくう者もいない。だからあなたは、我々の前でだけ鎧を脱げる。軍人どうしでは、そうはいかんでしょう」


 その通りであった。


 この男は、俺がなぜ海軍の仲間ではなく在野の連中に本心を吐くのか、俺自身よりも、よほどよく分かっていた。


「もう少し、やってみる」


 俺は言った。


「役者を代えるのは、まだ早い。明星でいろと言うなら、もう少しだけ、この旗を持っていよう。土用の秋風とやらを、信じてみる」


「それでこそ高木さんです」


 空襲警報が、ようやく鳴りやんだ。


 窓の外の空に、薄い陽が差していた。


 その光が、不思議と暖かかった。


九 その先へ


 五月二十二日のあの告白で、俺は鎧を脱ぎ、そしてまた着直した。


 矢部君に洗いざらい打ち明けたことで、不思議と心が軽くなった。降りたいと言葉にしてみて、かえって降りられぬ自分に気づいた。


 あの連中が支えると言ってくれる。明星でいろと言ってくれる。ならば、もう少しやれる。


 思えば、あの五月のひと月、俺の手帳は寂しいものであった。


 書きつけたのは教育局長としての本務の記録ばかり。兵団の視察、予備学生の数、勤労動員の苦情。そして葬儀の記録。母の死、柴崎の葬儀、古賀大将の告別式。


 倒閣のことは、ほとんど何も記せなかった。記すべき動きがなかったのだ。手を打っても打っても跳ね返され、工作は完全に停まっていた。


 あの一月の手帳の寂しさが、そのまま俺の絶望であった。


 ところが。


 二十二日に矢部君と別れた、その翌日からだ。


 俺の手帳に、また倒閣の文字が戻ってきた。


 五月二十三日、迫水久常が訪ねてきた。石川案――岡田、末次、米内の三大将で嶋田に辞職勧告をやらせるという新たな策を携えて。俺は嶋田の背後を断つことが肝心だと説いた。


 五月二十四日、岡田大将と会った。期待は六分でよい。矢部君がそう言ってくれた。ならば六分の期待で、また会えばいい。全部を託さねばと気負うから潰れるのだ。


 五月二十六日には、米内光政大将を訪ねた。


 会って、説いて、また会う。倒れかけていた足が、ふたたび動き出していた。


 我ながら、現金なものだ。


 あれほど役者を降りたいと言っていた男が、たった一人の学者に慰められただけで、翌日からまた動き出している。


 だが、これが人というものなのだろう。


 人は一人では立てぬ。どれほど強がってみせても、どこかで誰かに支えられねば、ぽきりと折れる。俺を折れさせなかったのは、あの空襲警報の下の、矢部君のひと言であった。


――とにかく、いままで通り、続けてください。


 その一言があったから、俺はまた手帳を開き、また人に会いに行けた。


 倒閣の文字が戻ってきた二十三日からの記録こそ、矢部君の慰めがいかに大きかったかを、何よりも雄弁に物語っている。


 六月が来る。


 サイパンに敵の大軍が押し寄せ、絶対国防圏が破れようとしていた。国家の破滅が、目の前に迫っていた。


 皮肉なものだ。


 その決定的な破局が、かえって俺を奮い立たせた。もはや合法の手段に望みはない。ならば、別の道を探すしかない。たとえそれが、どれほど危うい道であろうと。


 五月にあれほど弱音を吐いた俺が、六月にはまた立ち上がる。それも、もっと過激に、もっと冷徹に。


 だがそれはまた別の物語だ。


 いま振り返って思うのは、あの孤独な春に、矢部君という男がいてくれたことの、計り知れぬ有難さだ。


 もしあのとき、本心を吐ける場所がなかったら。


 もしあのとき、弱音を受け止めてくれる相手がいなかったら。


 俺はおそらく、本当に潰れていた。役者を降りて、ただの抜け殻になっていたろう。


 海軍の仲間ではなく、軍服も着ぬ一人の学者が、俺を救った。


 奇妙で、有難い縁であった。



◆ 後書き 高木 惣吉(晩年の回想)


 戦が終わって、長い歳月が過ぎた。


 俺はいまあの孤独な春のことを思い返している。


 昭和十九年の四月から五月。表の教育局長としての戦と、裏の倒閣工作と、その二つが両方とも行き詰まり、俺は人生でいちばん深い穴の底にいた。


 重臣は動かぬ。皇族は慎重だ。豊田大将は前線へ奪われた。嶋田大臣には公私ともに憎まれた。打てる手はすべて打って、どれ一つ実らなかった。


 あの頃、俺は本気で、一度この国が滅びてしまえばいいとすら思った。役者を降りたいと、最も信頼する男に打ち明けた。


 いま思えば、あれは俺の人生で、いちばん弱い俺であった。


 だがその弱い俺を、まるごと受け止めてくれた連中がいた。


 築地の増田の、あの自由な座敷。矢部君。伏下。天川。軍人ではない、在野の与太者たち。


 海軍の世界では、弱音は許されぬ。強がり続けねば、足をすくわれる。だから俺は同じ制服の仲間の前では、決して鎧を脱げなかった。


 ところがあの軍服も着ぬ連中の前でだけ、俺は素の自分に戻れた。


 考えてみれば、軍人が民間人と深く交わること自体、珍しいことであったろう。軍人は軍人の世界で生き、死ぬ。それが普通だ。


 だが俺は調査課長の頃から軍の壁の外に頭脳を求めてきた。陸軍の横暴に抗うには、海軍だけでは足りぬ。在野の知恵が要る、と。


 その縁が、思いがけず、俺自身を救うことになった。


 理屈を求めて引き入れた連中が、いつしか、俺の弱音を受け止める友になっていた。


 矢部君は言った。我々は軍人ではないから序列も面子もない、と。だからあなたは鎧を脱げるのだ、と。


 その通りであった。


 あの自由な座敷がなければ、あの連中の温かさがなければ、俺はあの春に潰れていた。終戦を見ることもなく、どこかで抜け殻になっていたろう。


 いまになって俺の古い手帳を繰ると、昭和十九年の五月は、本務と葬儀の記録ばかりが並んでいる。母の死、同期の葬儀、長官の告別式。倒閣のことは、ほとんど何も書いていない。それだけ、あの春の工作は停まっていた。あれが俺のいちばん深い絶望の季節だ。そして二十三日から、また倒閣の文字が戻ってくる。矢部君と話した、その翌日からだ。あの手帳の頁に、俺はいまもあの男への感謝を読む。


 俺が最後まで旗を持ち続けられたのは、半分は、あの増田の酒のおかげである。


 次回。物語はふたたび矢部貞治君の視点に移る。だが時は流れ、いよいよ六月。サイパンが陥ち、絶対国防圏が破れる。弱音を吐いていた俺が、今度は命を捨てる覚悟で立ち上がる。合法の道を断たれた男が、最後に何を選んだか――それは、いずれ語られることになる。


【次回予告】


 第五十四話「サイパン陥落――合法の道、尽きる」。


 昭和十九年六月。


 米軍がサイパンに上陸し、マリアナ沖海戦で日本海軍は決定的な大敗を喫する。絶対国防圏が破れ、本土が敵機の射程に入る。


 高木惣吉は最後の絶望に沈む。決戦も思うようにいかず、和平内閣も作れず、結局は最も惨憺たる結末に終わるのではないか――。


 だがそのとき、部下の神重徳大佐が、ある計画を持ちかける。


 合法の手段がすべて尽きたいま独裁者を物理的に排除するしかないという、命がけの非常手段。


 絶望のどん底にあった高木の胸に、ぼうっと赤い炎が灯る。


 弱音を吐いていた春は終わった。狂気と隣り合わせの、灼けるような夏が始まる。


 第五十四話、ご期待ください。


【執筆者補記】


 


 ■ 史実と創作の区別


 【史実に基づく部分】


 4月13日、高木が岡田邸を訪ね、前日の重臣・政府懇談会が東條の『独演会』(一時四十五分喋りどおし、船舶被害減を吹聴)に終わったと聞き落胆。『人のことは批判しながら自分自身も重臣や先輩の政治力に寄りかかっていた』(高木海軍少将覚え書)。


 4月25日、高木が箱根・湯本の木村別荘で静養中の原田熊雄男爵に招かれ、近衛文麿公と三時半頃まで雑談。近衛の談話――木戸が最近東條を悪く言うようになった(十一日会で扱き下した)、豊田大将の連合艦隊転任は困った、迫水が『東條を総長だけにし政権は他人に渡させる』案を木戸に持ち込んだ、統制派の幕僚政治・軍部独裁を一掃するには皇道派にやらせてみたい・皇道派は思想的にむしろ自由主義的、等(高木惣吉日記4月25日条)。


 高木が近衛らの皇道派起用構想に一貫して否定的だったこと。皇道派には陸軍を抑える実力・人材がなく海軍や天皇の他力に頼る『虫のいい棚ボタを待つ構想』であり、実力のない皇道派に粛軍をさせれば混乱と犠牲を招くだけで成功の保証もない、柳川平助は立派だが真崎甚三郎・石原莞爾は『信を措くに足らず』とする評価(高木海軍少将覚え書・細川日記昭和19年3月14日条)。本話第二章では、近衛の皇道派論に高木が内心で懐疑を抱く形で反映した。


 兵学校入校試験の無試験採用問題。嶋田海相が東條に迎合し志願者成績と校長推薦のみの無試験採用を要求、高木が『七十余年の自由志願』『独学者・下士官兵の門戸を閉ざす』と反発(高木自身が中学の課程と無縁の独学者)。沢本次官が『局長直接、大臣に説明しろ』と逃げ、高木が単身大臣室で一時間の押し問答、試験課目を最小限に減らす案で押し切る。これにより嶋田の決定的不興を買う(高木海軍少将覚え書)。


 4月27日、増田で矢部が『決戦と切離した国内態勢刷新は無意味ではないか』と詰め、高木が『理論的には認めるが不断に手を打って何一つ成功しなかった』『一度敗北して民族的に重大な苦しみを味ふことが永遠の生命から言へばよい』と吐露、矢部が『立派な人だ』と評した(矢部貞治日記4月27日条)。


 5月6日、高木の郷里の母が死去。横須賀方面の視察で帰宅が遅れ臨終に間に合わず(『親子ただ二人の間でその臨終のみとりもできないとは』)。5月9日、海兵43期同期・柴崎恵次中将(タラワ守備隊指揮官として戦死)の合同葬儀に妻同伴で参列、水交社で未亡人良子を遺族・同級生家族と囲む。5月10日午後、古賀峯一大将の告別式・夜に通夜。いずれも高木惣吉日記。


 この4月下旬〜5月下旬、高木日記の記述は教育局長としての本務(兵団視察・予備学生・勤労動員問題等)と葬儀の記録が大半を占め、倒閣工作の目立った動きはほとんど記されていない。工作が停滞していたことを示す(高木惣吉日記)。


 5月10日、伏下大佐が出師之表の件で横須賀へ行くも豊田大将は既に艦上で会えず、『親任式と同時に艦隊に出され政治的に動く機会を封ぜられた』『敵も中々やりをる』(矢部貞治日記)。


 同5月10日夜、矢部ら三人が起草し高木が手を入れた『戦争指導刷新論』を、高木が細川護貞に託し、細川が高松宮に呈上。高松宮日記5月10日条『一九〇〇護貞。高木少将ヨリ「戦争指導刷新論」受』。すなわち経路は〔矢部ら三人・高木〕→細川→高松宮(高松宮日記第七巻)。


 5月20日、矢部・天川・伏下の追及に高木が『決戦に臨んで政局の変更も困る』と敗北的発言をし追及を振り切って帰る、ウィスキー一本を置いていった(矢部貞治日記5月20日条)。前日5月19日に矢部・天川が大達茂雄東京都長官と会い痛快な思いをしていた文脈も史実。


 5月22日、空襲警報のなか高木が矢部だけを海軍大学校に呼び出し、『合法手段では行詰り』『岡田大将への期待は六分位』『いい加減な態度は良心が許さず、だら幹的存在となるだけだからここらで役者を代へたら』『兵学校教育の問題で大臣と正面衝突となり或は故意に自分を敵視してゐるのかも知れぬ』と苦衷を吐露(矢部貞治日記5月22日条)。なお同日の高木日記は住友・目崎調査部長の勤労報国隊批判の記録に充てられており、矢部との会談は矢部側のみが記録。


 5月23日、迫水久常のほうから高木を訪ねてきて石川案(岡田・末次・米内の三大将で嶋田海相に辞職勧告をやらせる)を持ち込む。高木は嶋田の背後(東條・伏見宮の支持)を断つことが肝心と説く。5月24日に岡田大将、5月26日に米内大将と会うなど、矢部に苦衷を吐露した翌日から活動を再開(高木惣吉日記5月23日条ほか)。


 矢部の5月22日の応答――『我々三人が動き出したのも高木少将といふ明星があったから』『大局の見透しは全く同感だが、それで投げてはいかぬ』『土用中に秋風が吹くといふこともある』『全的に少将にぶら下るわけではなく他にも段々役者を捉へて行く』『国内態勢の決戦前の転換が仮し不成功であってもその後の事態のためにも同志を連繋しておくことは不可欠』『兎に角今迄通して下さい』、伏下・天川には失望的な感を与えぬよう二人きりの話とした(矢部貞治日記5月22日条原文)。


 高木が同期の有馬正文ら第一線で戦う仲間への思いを倒閣工作の動機としていたこと(高木の回想)。海兵43期同期の柴崎恵次・伊集院松治・矢野英雄らの戦死。


 高木が海軍省調査課長時代に民間ブレーン(矢部ら)を組織した経緯。


 【創作部分】


 前書き・後書きの高木の晩年の回想。語りの形式は創作。


 岡田邸・大臣室・増田・海軍大学校・箱根での各台詞の細部は文学的演出。出来事・日付・史実の発言要旨は史料に拠り、語り口と心理描写は創作。


 第二章の4月25日の箱根会見は、近衛公の談話を高木惣吉日記の記述に沿って再構成した。近衛の見解(木戸の東條評の変化、豊田転任への憂慮、迫水の搦め手案、皇道派論)は史実。これに対し高木が内心で皇道派起用に懐疑を抱く描写は、高木の一貫した皇道派否定論(『棚ボタを待つ構想』、真崎・石原への不信、混乱と犠牲の危惧)という史実を高木の心中として再構成したもの。会話の細部・情景は創作。


 第五章『なぜこの男たちなのか』の考察は、高木の民間ブレーン重視・同期戦死者への思いという史実を踏まえた内面の再構成。


 第六章で母の死・柴崎の葬儀・古賀の告別式を『喪失の春』として配し、5月22日の弱音の伏線とした。各出来事は高木惣吉日記に基づく史実、心理描写は創作。


 第八章の告白で高木が母の死に触れる場面は、史実(5月6日の母の死)を踏まえ、弱音の背景として配した演出。


 5月22日の会談における矢部の応答は、矢部貞治日記5月22日条の原文(『明星』『土用中に秋風』『他にも段々役者を捉へて行く』『今迄通して下さい』等)に忠実に沿って会話として展開した。地の文の心理描写・情景は創作。


 空襲警報や窓の外の空の描写等の情景は創作(5月22日に空襲警報下で会談したことは史実)。



【人物紹介】


 ■ 高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893-1979)


 海軍少将。熊本県人吉出身。貧家に生まれ、中学に進めず製本工場の職工などをしながら独学で海軍兵学校(43期)に合格、海軍大学校甲種29期を首席卒業した叩き上げ。本話時点で海軍省教育局長。反東條・反嶋田の倒閣工作を主導する一方、教育局長としても兵学校の質を守るため嶋田海相と衝突。本話の語り手。公私両面の行き詰まりに疲弊し、最も信頼する民間人・矢部にだけ『役者を代えたい』と弱音を吐く。


 ■ 矢部 貞治(やべ ていじ、1902-1967)


 東京帝国大学法学部教授(政治学)。鳥取県出身。高木が海軍省調査課長時代に組織した民間ブレーンの中核。『戦争指導刷新論』の起草者。本話では、軍の序列の外にいる民間人だからこそ、高木が唯一鎧を脱いで本心を打ち明けられる相手として描かれる。高木を『高木さん』と敬語で呼び、高木は矢部を『矢部君』と呼ぶ。


 ■ 嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう、1883-1976)


 海軍大将。海相・軍令部総長を兼任。東條首相に迎合し『東條の従僕』と揶揄された。本話では、兵学校の無試験採用を強要して高木と大臣室で一時間の押し問答の末に決定的不興を抱く、表の仕事における高木の最大の敵として描かれる。倒閣工作上の標的でもあり、高木は公私両面で嶋田という同じ壁にぶつかる。


 ■ 岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868-1952)


 海軍大将。元内閣総理大臣。海軍最長老。本話では、高木が倒閣の切り札として頼みとするが、重臣懇談会が東條の独演会に終わるなど動きが鈍く、高木の期待は『六分程度』に過ぎなかった。


 ■ 沢本 頼雄(さわもと よりお、1886-1965)


 海軍大将。海軍次官。本話では、兵学校無試験問題で『局長直接、大臣に説明しろ』と高木に難題を押し付ける。後(6月)には岡田邸への出入りを咎め『東條に好意を持て』と圧力をかけるが、高木に『首にされても御断り』と撥ね付けられる(次回以降)。


 ■ 豊田 副武(とよだ そえむ、1885-1957)


 海軍大将。横須賀鎮守府司令長官から連合艦隊司令長官へ。高木が海軍大臣に担ごうとした切り札だったが、古賀長官の遭難後、前線へ引き抜かれ政治工作の機会を封じられた。本話では『封じられた切り札』として言及。


 ■ 大達 茂雄(おおだち しげお、1892-1955)


 内務官僚。東京都長官(のち内相)。肚の据わった反東條の人物で、東條にも木戸内大臣にも遠慮なくものを言った。5月19日に矢部・天川と会い、その痛快さが翌20日の三人の高木への追及の伏線となる。本話で言及。


 ■ 有馬 正文(ありま まさふみ、1895-1944)


 海軍少将。高木の海兵43期同期。本話時点で第一線にあり、後に台湾沖航空戦で自ら特攻に身を投じて戦死する。高木が倒閣に命を懸ける動機――第一線で死んでいく同期への思い――の象徴として言及。


 ■ 細川 護貞(ほそかわ もりさだ、1912-2005)


 近衛文麿の女婿。高松宮宣仁親王の情報係。本話では、高木から『戦争指導刷新論』を託され、5月10日に高松宮へ呈上した人物として描かれる。


 ■ 原田 熊雄(はらだ くまお、1888-1946)


 男爵。元老・西園寺公望の側近(秘書)を長く務めた宮中政界の事情通。本話では、箱根・湯本の木村別荘で静養中に高木と近衛を招き、4月25日の会見の場を設けた。


 ■ 近衛 文麿(このえ ふみまろ、1891-1945)


 公爵。元内閣総理大臣。本話では4月25日の箱根会見で、木戸の東條評の変化、豊田転任への憂慮、迫水の搦め手案、皇道派論など、宮中・政界の機微を高木に語る。軍の外の視点を高木にもたらす存在。


 ■ 迫水 久常(さこみず ひさつね、1902-1977)


 大蔵・内閣官僚。後に鈴木貫太郎内閣の書記官長として終戦の聖断・玉音放送に深く関わる。本話では、高木が矢部に弱音を吐いた翌5月23日、自ら高木を訪ねて石川案(岡田・末次・米内で嶋田に辞職勧告)を持ち込み、高木の活動再開の契機となる。


【用語集】


 ■ 教育局長きょういくきょくちょう


 海軍省教育局の長。海軍兵学校をはじめとする士官教育の制度・採用・運営を司る。高木惣吉は昭和19年3月1日付で就任。本話では、戦局悪化に伴う士官の促成栽培を迫る嶋田海相と、質を守ろうとする高木が衝突する舞台となる。


 ■ 兵学校無試験採用問題へいがっこうむしけんさいようもんだい


 戦局悪化で士官を急増させるため、嶋田海相が海軍兵学校の入校試験を廃止し、志願者の成績と中学校長の推薦のみで採用しようとした問題。高木は、海軍七十余年の自由志願の建前が崩れ、学歴のない下士官兵や独学青年(高木自身もその一人)の門戸が閉ざされるとして強く反対し、試験課目を最小限に減らす案で押し切った。


 ■ だらだらかん


 『だらしのない幹部』の略。名目だけで実質的な働きをしない、看板倒れの幹部・指導者を指す当時の俗語。高木が5月22日に『このまま望みもないのに同志を引っ張れば、結局だら幹的存在になるだけだ』と自嘲した言葉。


 ■ 役者を代える(やくしゃをかえる)


 高木が倒閣工作の旗(リーダーの役)を自分から降りる、という意味で用いた表現。5月22日、合法手段の行き詰まりと公私両面の疲弊から、最も信頼する矢部にだけ『ここらで役者を代えたら』と弱音を吐いた。これに対し矢部は『他にも段々役者を捉へて行く』と応じ、高木一人に役者を限定せず同志を広げていく方針を示した。


 ■ 土用中に秋風どようちゅうにあきかぜ


 矢部が5月22日に高木を励ますのに用いた言葉。土用(夏の盛り)の暑さのさなかにも、ふと秋の涼風が吹くことがある――どれほど八方塞がりに見えても、好機は思いがけぬときに訪れうる、という励まし。絶望していた高木に希望を説いた。


 ■ 出師之表すいしのひょう


 いくさに出陣するにあたり君主に決意や諌言を奉る上奏文。高木は、海相に担げなくなった豊田大将に『戦争指導刷新論』を出師之表として託そうとしたが、豊田が前線へ送られ実現しなかった。


 ■ 絶対国防圏ぜったいこくぼうけん


 昭和18年9月設定の、絶対に守り抜くとされた防衛線。マリアナ(サイパン)等を結ぶ。本話末尾の6月、サイパンへの米軍来攻でこの線が破られようとし、高木を再起へ向かわせる契機となる(次回詳述)。


 ■ 増田ますだ


 築地の料亭。高木機関の隠れ家。本話では、海軍省では弱音を吐けぬ高木が、在野の矢部・伏下・天川の前でだけ本心を漏らせる『鎧を脱げる場所』として描かれる。


 ■ 海兵43かいへいよんじゅうさんき


 海軍兵学校第43期。高木惣吉の同期。柴崎恵次・伊集院松治・矢野英雄・有馬正文ら。多くが第一線で戦死し、高木が倒閣に命を懸ける動機となった。


 ■ 皇道派・統制派こうどうは・とうせいは


 昭和初期の陸軍内の二大派閥。皇道派は真崎甚三郎・小畑敏四郎・柳川平助・荒木貞夫らを擁し、精神主義・天皇親政を重んじた。二・二六事件(昭和11年)で失脚し傍流に転落。これに対し東條英機・武藤章ら統制派が、官僚的・組織的な手法で陸軍中枢を掌握した。近衛文麿らは『統制派の幕僚政治・軍部独裁を一掃するには皇道派を起用すべきだ』と説いたが、高木惣吉は、実力を失った皇道派に粛軍は不可能で混乱を招くだけだとして、一貫してこの構想に否定的であった。


【参考文献】


 ■ 一次史料


 高木惣吉『高木海軍少将覚え書』毎日新聞社、1979年


 高木惣吉『高木惣吉 日記と情報』みすず書房、2000年


 矢部貞治『矢部貞治日記』読売新聞社、1974年


 細川護貞『細川日記』中央公論社、1978年


 高松宮宣仁親王『高松宮日記 第七巻』中央公論社、1997年


 ■ 二次史料・研究


 吉松安弘『東條英機暗殺の夏』新潮社、1989年


 吉見直人『終戦史――なぜ決断できなかったのか』NHK出版、2013年


 山本智之『主戦か講和か――帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年


 山本智之『「聖断」の終戦史』NHK出版、2015年


 鈴木多聞『「終戦」の政治史 1943-1945』東京大学出版会、2011年


 ※ 本話は上記史料に基づく歴史小説であり、史実を踏まえつつ会話・心理・情景描写に創作を加えています。とくに高木惣吉の内面・台詞は、矢部貞治日記に残る5月22日の苦衷の吐露(『役者を代へたら』等)や高木海軍少将覚え書の記述を踏まえた再構成です。史実と創作の区別は前掲の補記に明記しました。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ