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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第5章 海軍少将:高木惣吉編(昭和17(1942)年6月~)

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第51話「戦争指導刷新論(中編)――第2回箱根合宿、豊田長官への意見具申」

◆ 前書き 矢部 貞治(やべ ていじ、東京大学名誉教授・政治学者、晩年の回想)


 わたしは矢部貞治。


 前回はあの築地「増田」での夜ごとの酒盛りと、雪の箱根での三人の決起、そして海軍の巨魁・高木惣吉さんとの邂逅を語った。


 今宵はその続きである。


 昭和十九年の四月から五月。わたしたちは一枚の文書を書き上げた。


「戦争指導刷新論」。


 東條内閣を倒し戦争指導の態勢を根本から立て直す以外に国を救う道はない。そう説いた、極めて過激な倒閣のシナリオである。


 あの紙にわたしは生涯でいちばんの精根を注ぎ込んだ。鴬の鳴く春の箱根の離れで一人ペンを走らせ、世田谷の自宅では炬燵にもぐって二日酔いの頭を抱えながら書き直した。天川が数字を投げ伏下が忠告を返し島田大尉がどこからか機密の書類を運んできた。


 そして書き上げたこの紙を携えて、わたしたちは横須賀へ行った。


 連合艦隊司令長官・豊田副武大将。


 古賀峯一長官が海に消えた後を承けて、いままさに死地へ赴こうとしていた提督であった。


 あの夜の横須賀の料亭で、わたしは初めて知った。


 国を救うという仕事には、賑やかな酒盛りの底に、どうしようもない死の匂いが沈んでいるのだということを。


 いまも目を閉じれば芸者の三味線の音と豪快に笑う豊田大将の横顔が浮かぶ。あの夜わたしはこの人を、もう生きては会えぬ人のように見送った。


 第五十一話「戦争指導刷新論(中編)――春の箱根、豊田の絶望、横須賀の痛飲」。


 一枚の紙が鍛え上げられ、やがて死地へ赴く武人の手に渡るまでの物語である。

【本文】


一 四月六日――もう一度、箱根へ


 三月二十八日の夜、わたしたち三人は高木さんの手足になることを誓った。


 ただ手足になると言っても何をすればいいのか。


 答えはすぐに出た。


 理屈と数字で固めた一枚の文書を作るのだ。高木さんが重臣や皇族を口説いて回るための弾丸を鍛える。それがわたしたちの役目であった。


 四月六日の夕方、いつものように増田に集まった。


「やはり腰を据えて一気に書き上げねば駄目だ」


 わたしが言うと天川が膝を打った。


「また箱根に籠りましょう。あの奈良屋で」


「今度は雪見ではないぞ。春の箱根だ」


 伏下が静かに笑った。この男は笑っても声を立てない。


「ちょうどよろしい。私が海軍省の矢牧大佐に話をつけてきます。作業のために箱根へ行くと言えば公式に許しが出ます」


 伏下はその場で算段を整えてきた。海軍の主計将校という立場を使えば旅費も宿も都合がつく。こういう実務の手際はこの男の独壇場であった。


「では明日からだ」


 話は決まった。


 ママが燗をつけながら口を挟んだ。


「先生たち、またお揃いで箱根ですか。今度はわたしもお供しましょうか」


「いや今度は仕事だ。遊びではないぞ」


 わたしが真顔で言うと座敷にどっと笑いが起きた。


「先生のおっしゃる仕事は、いつもお酒の匂いがいたしますけれど」


 ママの一言に天川が腹を抱えた。


 確かにその通りであった。雪の箱根も結局は半分が酒であった。


 ただ今度ばかりは違う。書き上げねばならぬ文書がある。あれを仕上げねば高木さんに顔向けができぬ。


 わたしは盃を置いて立ち上がった。


 翌日からの春の合宿が、わたしの生涯でもっとも濃密な仕事になる。このときはまだ知らなかった。


二 四月七日〜十三日――鴬の鳴く離れ


 翌四月七日、わたしたちは再び宮ノ下の奈良屋に入った。


 半月前とは景色がまるで違っていた。


 雪はとうに消えていた。桜の枝には蕾がふくらみ、樹々には浅黄色の芽が吹いていた。箱根の山の姿も春めいて、空気には土と若葉の匂いが満ちていた。


 宿は十号館の離れを用意してくれた。母屋から少し離れた、静かな一棟であった。


 この合宿はわたしの生涯で忘れがたいものになった。


 鴬が朝の五時頃から澄んだ声で啼き出す。その声で目を覚ますとわたしは一人で離れに移り誰よりも早く机に向かった。


 障子越しに薄青い朝の光が差す。鴬の声を聞きながら万年筆を走らせる。実にいい心持ちであった。


 書いたのはひたすら理屈であった。


 太平洋の決戦がいかに重大か。敵の機動部隊を捕らえて一年から一年半は再起できぬほどの打撃を与え、その隙に外交で講和に持ち込む。それが戦争を終わらせる唯一の道だと。


 そしてそのためには国の総力を決戦に集中させねばならぬ。集中させるには戦争指導の態勢を根本から立て直さねばならぬ。すなわち東條内閣を倒さねばならぬ。


 作業はわたし一人に集中した。文章を組み立てるのはわたしの役目であった。


 ただわたし一人では書けない。


 天川が満洲物動の数字を投げてくる。伏下が独逸仕込みの冷たい目で世界の現実を突きつけてくる。そしてもう一人、島田大尉が機密の書類を運んできた。


 島田大尉。一高から東京帝大を出て三井物産に入った男だ。ところが病を得て療養したのち、こともあろうに海軍へ志願し直して主計士官になった。変わり種である。


 いまは海軍省の法務局にいて榎本書記官長の代わりに官房の副官室に出入りして書類を見ている。だから軍の最高機密に手が届く。


 その島田が分厚い書類を抱えて箱根に現れたとき、わたしは思わず尋ねた。


「島田君。君は三井物産にいれば安全だったろうに。なぜ病み上がりで軍服など着た」


 島田は眼鏡の位置を直して静かに答えた。


「ただの物産社員では国が滅びるのを眺めているしかありません。軍の書類を見るためにこの軍服を着たのです」


「さあ先生、このデータで東條を刺してください。理屈で刺し殺すのです」


 わたしはこの静かな男の覚悟に胸を打たれた。


 昼間は離れにこもって理屈を組み、夜になればいつもの宴であった。


 伏下が四升もの酒を担ぎ込み天川がウィスキーを二本ぶら下げてきた。


「伏下君、君はいつもながら酒の調達がうまいな」


「主計の本領であります。弾薬の手配と酒の手配は同じことです」


 伏下が真顔で言うので皆が笑った。


 湯に浸かり酒を酌み交わし他愛もない話に夜を更かす。雪見の宴と何も変わらぬ陽気さであった。


 ただわたしは日記にこう書きつけた。伏下中佐の人物いよいよよろし、と。


 この合宿でわたしはこの男の知性と度量にすっかり惚れ込んだ。理屈の通った話なら相手が文官の学者であろうと素直に頭を下げる。軍人にありがちな独善や横暴がまるでない。


 鴬の声と桜の蕾と四升の酒。そして机の上で日に日に厚みを増していく原稿。


 あの春の箱根の数日間が、わたしの生涯でいちばん幸福な仕事の時間であった。


三 四月十五日――海に消えた長官


 箱根から東京へ戻って二日後の四月十五日。


 午後二時半、わたしは増田へ向かった。天川と伏下が「重大な話がある」と言ってきたのだ。


 奥座敷に入ると二人の顔が硬かった。


「先生」


 伏下が低い声で切り出した。


「連合艦隊司令長官の古賀大将が、飛行機で消息を絶ちました」


 わたしは息を呑んだ。


「消息を絶った……生死は」


「不明です。福留参謀長の機は敵地に不時着して救出されましたが長官機は行方知れずのまま。海軍はこれを極秘にして『乙事件』と呼んでいます」


 天川が舌打ちをした。


「後任には横須賀鎮守府の豊田副武大将。今日あたり発令されるそうです」


 わたしは天井を仰いだ。


 これは痛い。


 わたしたちが描いていた絵図はこうであった。横須賀鎮守府長官の豊田大将を次の海軍大臣に担ぎ上げる。部内に人望のあるあの提督を海軍のトップに据え内側から東條・嶋田の独裁を突き崩す。それが倒閣の本筋であった。


 ところが古賀長官が消えたことでその豊田大将が連合艦隊司令長官として前線へ引き抜かれてしまう。


「これでは我々の計画は大行き詰まりです」


 天川が頭を抱えた。


「豊田さんを大臣にする目論見は、根こそぎ潰れた」


 奥座敷に重い沈黙が降りた。


 わたしは箱根で書き上げたばかりの原稿を膝の上でめくっていた。


 そして、ふと気づいた。


「いや」


 わたしは顔を上げた。


「豊田大将が連合艦隊に出るなら、かえって好都合だ」


 二人がわたしを見た。


「この『戦争指導刷新論』を、豊田大将が前線へ赴く際の出師之表として使ってもらえばいい」


 出師之表。いくさに出るにあたって、君主に決意と諌言を奉る上奏文のことである。古来名将がしたためた死を賭した文章だ。


「死地へ赴く連合艦隊司令長官が無能な政府と統帥部に最後の諌めを突きつける。そういう形にすれば、東條とて無視はできまい」


 天川の目が輝いた。


「なるほど。担ぐのが駄目なら、刃を握らせるのか」


「その通りだ。大臣の後釜は、また高木さんと相談すればいい」


 絶望が一転して新たな策に変わった。


 そこへ天川がもう一つ報せをもたらした。


「先生、朗報もあります。内務省の町村警保局長との会談がうまくいきました。町村さんは『現政府では勝てぬ』とはっきり言って、この増田を特高で守ってやると請け合ってくれました」


 治安の元締めが味方についた。憲兵がいくら嗅ぎ回ろうと内務省の特高が上から押さえてくれる。


 国家の重大事と、それを逆手に取る知略と、警察権力という後ろ盾。


 これらが一夜に合流した。


 伏下がコニャックの瓶を開け三つのグラスに注いだ。


「絶望の淵から反撃が始まる、というわけですな」


 わたしはグラスを掲げた。


 国の一大事のさなかであった。連合艦隊長官が海に消えたという、これ以上ない凶報のさなかであった。


 それなのにわたしは自分たちの工作が歴史の歯車を確かに回し始めたという手応えに心の底が妙に浮き立つのを抑えられなかった。


 わたしたちはしたたかに酔った。


 泊まっていけと言うのを振り切って終電で帰った。ママが帰り際にまた飴を持たせてくれた。


 腹を括った人間というのは、凶報のなかでも酔えるものらしい。


 いま思えばあの夜の愉快さにはどこか正気を外れたところがあった。


四 四月十八日――炬燵の上の戦争


 箱根で骨格を組んだ原稿を、東京の自宅で仕上げる。それが残された仕事であった。


 わたしの家は世田谷の松原にある。妻の静子と五人の子がいる。


 ただ正直に言えばわたしは家ではろくに仕事ができぬ男であった。


 四月の半ばはまだ朝晩が冷えた。わたしは炬燵が恋しくてたまらぬ。朝起きて新聞を広げればもう昼近い。夜は炬燵にもぐり込んでうとうとしてしまう。これでは駄目だと自分で自分を叱る。


 おまけに増田で飲みすぎた翌朝は決まって二日酔いであった。胃が痛む。頭が割れる。


 四月十八日。


 その日もわたしは炬燵にもぐって割れる頭を抱えていた。前夜また飲みすぎたのだ。


「あなた、また飲んでらしたの」


 静子が茶を運んできて呆れた顔をした。


「すまん。ただ今日はどうしても書かねばならぬ」


 わたしは炬燵の上に原稿用紙を広げた。万年筆を握る手がまだ少し震えている。


 書きながらわたしは高木さんの言葉を反芻していた。


 先日この原稿を見せたとき高木さんはいくつも注文をつけてきた。あの人はこの文書を自分の政治工作の最大の武器として使う。だから理屈の一つひとつに厳しい目を向ける。


 わたしはその批評を思い返しながら文章を削り足しまた削った。


 炬燵の天板が即席の机であった。傍らには静子の淹れた茶。庭では先日植えた南瓜の芽が出ている。


 こんな炬燵の上で国家の運命を懸けた文書を書いているのだと思うと、われながら可笑しかった。


 高木さんは表舞台で重臣や皇族を相手に命を削っている。わたしは炬燵にもぐって二日酔いの頭で原稿用紙に向かっている。


 同じ工作に身を投じていても、軍人と在野の学者ではずいぶんと景色が違う。


 ただわたしの炬燵の上の一行がやがて高木さんの口を借りて宮中の奥深くで火を噴く。そう思えば、この二日酔いの頭痛さえ誇らしかった。


 わたしはペンを走らせた。


「政府はただ『必勝の信念』ばかりを声高に叫ぶ」


 原文ではこう書いた。「必勝ノ信念ノミ呼号セラルルモ苛烈ナル客観情勢ノ透視ニ立タザルヲ以テ単ナル独善的自己陶酔ノ御題目ニ化シ」。


 ――客観の情勢を直視せぬ必勝の信念など、独りよがりの自己陶酔の念仏に過ぎぬ。


 わたしは胸の奥の冷たい怒りをそのまま字にした。


「諸般の施策は戦局に適合せず後手後手に回り、威勢のよい掛け声と作文だけで終わり、実践性のないうわべだけのジェスチュアに成り下がっている」。


 原文――「多クハ単ニ楽隊入ノ要綱作文ト掛声ノミニ終リ、周到ナル準備ヲ欠ク故ニ実践性ナキ皮相ノ『ゼスチュア』ニ堕セリ」。


 書きながら手が熱くなった。


 これは東條内閣そのものへの弾劾状であった。炬燵の上で書く弾劾状である。


 静子が黙って茶を注ぎ足した。


 妻は何も聞かなかった。わたしが何を書いているか薄々は察していたろう。ただ何も聞かず、ただ茶を淹れた。


 その沈黙がありがたかった。


五 四月二十七日――高木との思想統一


 四月二十七日、増田の奥座敷に高木さんを招いた。


 原稿はほぼ仕上がっていた。ただ高木さんと最後の詰めをしておかねばならぬ。あの人がこの理屈で本当に腹を括って上層部と闘えるのか。思想を一つに合わせておく必要があった。


 わたしは原稿を前に切り出した。


「高木さん。この文書の核はこうです。決戦と切り離した国内態勢の刷新など無意味だ。決戦に勝つために態勢を立て直す。立て直すために東條を倒す。この順序を崩してはならない」


 高木さんはしばらく黙っていた。


 いつもの静かな知性の光が、この日は少し曇って見えた。


「矢部君」


 高木さんは低い声で言った。


「正直に言う。私は手を打って打って打ち続けた。岡田大将にも高松宮殿下にも重臣にも説いて回った。だがどれ一つ実を結ばぬ。東條の壁は厚い。嶋田の壁も厚い」


 高木さんは盃を見つめた。


「いっそ一度この国が敗北して民族として重い苦しみを味わうほうが永遠の生命から言えばよいのかもしれぬ。そんなことすら考える」


 わたしは思わず息を呑んだ。


 この人がこんな弱気を漏らすのか。


 重臣や皇族を相手に一人で巨大な暗闘を背負い続けてきた男が、ついに底の見えぬ疲れを覗かせていた。


「高木さん」


 わたしは身を乗り出した。


「それは違います。一度滅びて苦しめばよいなどとそれこそ傍観の理屈です。我々が傍観できぬと誓ったのは、滅びを座視できぬからではありませんか」


「……君の言う通りだ」


 高木さんは苦笑した。


「すまんな矢部君。少し疲れていたらしい」


 わたしは胸が痛んだ。


 わたしたち三人は安全な増田で酒を飲み高木さんの愚痴を肴に気勢を上げていればよい。ところがこの人は表舞台で妥協を強いられ罵られそれでも一人で歩き続けねばならぬ。


 重圧の質がまるで違う。


 わたしたちが陽気でいられるのは、この人が防波堤になってくれているからであった。


「高木さん。我々が後ろから理屈の杭を打ち込み続けます。あなたが倒れぬよう、いくらでも打ち込みます」


 高木さんは静かに頷いた。


 その夜は深くは飲まなかった。高木さんの疲れた横顔が、わたしの胸に長く残った。


 国を救う仕事には、こういう陰がある。


 前編の雪見酒の陽気さの裏にこんな影が貼りついているのだと、わたしはこのとき初めて思い知った。


六 四月二十二日〜二十三日――豊田副武、死地へ


 話は数日前後する。


 四月二十二日、高木さんが一人で動いた。


 連合艦隊司令長官に決まった豊田副武大将のもとを訪ね直に腹を割って話したのである。後でわたしが高木さんから聞いた話だ。


 豊田大将は東條が参謀総長まで兼ねたことを鋭く見抜いていた。


「あれは陸軍の第一の射弾だ。見事に命中した。第二射は国軍の統一という形で来る。それへの備えはあるのか」


 そう警戒を口にしたという。次の海相には米内が適任だという点でも高木さんと意見が一致した。


 そもそも豊田大将は、この連合艦隊長官という役目を貧乏籤だと思っていた。高木さんによれば、はじめは強硬に断ったのだという。


 自分は開戦以来ずっと内地の部隊にいて、前線の作戦には直に関わっていない。開戦の経緯にも関わっていない。いまさら作戦の最高指揮官になる柄ではない、ほかに適任者がいる――そう言って固辞した。なにより、戦はもう守り一方で、攻めてくる敵を抑えきれずに一歩また一歩と退いている。国力そのものが下り坂だ。この重荷を背負ったところで、難局を打開できる確算は到底立たぬ。だからこの話は真っ平御免だ、と。


 ところが嶋田海相は取り合わなかった。誰が出たってこの戦局を盛り返す確信のある者などおりはせぬ、と開き直る。そのうえ、事はすでに伏見の宮様の御承認も得て決まっているのだ、と。


 問答無用であった。豊田大将は、勝てぬと分かっている戦の最高指揮官の座を、こうして無理やり背負わされた。


 そして豊田大将は、いちばん重い本音を高木さんに打ち明けた。


「率直に告白する。私は古賀の後を承けて連合艦隊に出る。だが戦局の挽回には成算がない。陸軍の飛行機を回したところでもう間に合わぬ」


「対独対米の外交の手を、即刻打たねばならぬ」


 前線の最高指揮官になる男が、自ら勝機はないと言い切った。即刻和平に動けと言い切った。


 わたしたちが命を懸けて書いた過激な倒閣の理屈とこの提督の実感とが見事に重なった。


 だから翌二十三日、今度は豊田大将のほうから「会いに来てくれ」と声が掛かったのだ。


 四月二十三日の午後、わたしと伏下と天川は東京から車を仕立てて横須賀へ向かった。


 鎮守府の官邸の、閑静な一室に通された。


 午後三時から六時まで、まるまる三時間。戦争指導の問題を突っ込んで協議した。


 わたしは「戦争指導刷新論」の草案を豊田大将の前に置いた。


 豊田大将は黙ってそれを読んだ。


 一度読み、二度読み、三度読んだ。


 そして顔を上げた。


「三度読んだ。全く同感だ」


 低く重い声であった。


 わたしは食い下がった。海軍の自己反省について。死地へ赴く長官が突きつけるべき出師之表について。一介の学者が連合艦隊司令長官に食い下がるなど本来あり得ぬことだ。ただ豊田大将は嫌な顔一つせずわたしの理屈を受け止めた。


 大きな武人であった。大きな人格であった。


 協議が終わったのは六時であった。


「場所を変えよう」


 豊田大将が腰を上げた。


 わたしたちは横須賀の料亭「小松」へ移った。海軍の士官たちが小と松をもじって「パイン」と呼ぶ店であった。


 宴が始まった。


 鎮守府参謀長の横井少将も加わった。横井少将はかつて伏下中佐と一緒にドイツから潜水艦で帰ってきたのだという。豊田大将は実によく飲んだ。下世話な話がまた巧い。豪快に笑い座を沸かせた。


 横須賀にはまだ芸者がうようよいた。三味線が鳴り酌が回り座敷は賑やかに沸き立った。


 ただ。


 わたしは盃を干しながらその賑わいの只中でふいに胸が冷たくなった。


 豪快に笑うこの提督はもうじき海へ出る。古賀長官が消えたあの海へ。そして自ら「成算なし」と言い切ったいくさの矢面に立つ。


 その豊田大将が、ふと盃を置いた。


 笑い皺の刻まれた赤ら顔から、酔いの色がすっと退いた。


「矢部さん。あんた方は、いまの連合艦隊にどれだけの力が残っていると思う」


 わたしは答えられなかった。


「肝心の機動部隊は、まだ訓練の途中だ。母艦に乗る搭乗員の腕は、開戦の頃とは比べものにならんほど落ちている。おまけに艦隊を動かす油を運ぶ船すら、足りておらん」


 豊田大将は手酌で一杯あおった。


「決戦だ必勝だと大本営は言う。だがな。どう足掻いても、いまの戦力でサイパンの海に出て勝てる算段はつかんのだ。艦も、人も、油も足りん。足りんものは、気合いでは埋まらん」


 座敷の隅で三味線がまだ陽気に鳴っていた。


 その音だけが、やけに白々しく響いた。


 精神論では戦は勝てぬ。天川が数字で、わたしが理屈で、さんざん書き連ねてきたその冷たい真実を、いままさに死地へ赴く当の提督が、誰よりも醒めた目で口にしていた。


 この人は、もう生きては帰れまい。


 そう思った途端、三味線の音も芸者の笑い声もどこか遠くの幕の向こうの出来事のように聞こえた。


 賑やかであればあるほど、その底に沈んだ死の匂いが濃くなった。


 豊田大将は一時を過ぎても腰を上げなかった。


 飲み疲れた。それでも長官が動かぬ以上わたしたちは付き合った。


 いま思えばあの人は内地で過ごす最後の夜の酒を、少しでも長く誰かと分かち合いたかったのだろう。武人の情念であった。


 これで連合艦隊に出て行けば、生還は期せられぬ。


 わたしは日記にそう書いた。最後の機会にわたしにとっては大きな想い出になる、とも。


 芸者の三味線が鳴り続けるなか、わたしは生まれて初めて賑やかな酒席で泣きたくなった。


 国を救う仕事の底には、こういう別れが沈んでいる。


 前編の雪見酒のあの陽気さとこの夜の横須賀の宴は、同じ酒でありながらまるで色が違った。


七 五月一日〜三日――一枚の紙、成る


 五月一日。


 この日、伏下中佐が大佐に昇進した。


 わたしと天川は祝いを兼ねてもう一度横須賀へ向かった。先日豊田大将と痛飲したあの「小松」で伏下の昇進を祝うつもりであった。


「伏下さん、大佐昇進おめでとう。これで名実ともに我々の大黒柱だ」


 天川が嬉しそうに言った。


「いやめでたい。今日からは伏下大佐だな。一献やらねば」


 わたしも盃を掲げた。


 伏下大佐は照れたように頭を下げた。


「ありがとうございます。ただ階級が上がったところで、やることは何も変わりません。相変わらず酒の手配と数字の手配です」


 相変わらずの男であった。


 ところがその「小松」は、前線のトラック島から引き揚げてきた兵で溢れかえっていた。蒲団も足りぬという。


 祝いの宴どころではなかった。


 夜が更けて電車もなくなり、わたしたちは結局いつもの増田に泊まった。


 そしてその晩も三人で画策した。


 増田に戻ると、海へ去った豊田大将から伏下大佐宛に親書が届いていた。わたしや天川への厚情まで記され、高松宮殿下に拝謁したことなどもよく分かる内容であった。


 あの提督は、艦上の人となってもなお、わたしたちを気にかけてくれていた。


 わたしは胸が熱くなった。


 五月三日。


 いよいよ仕上げの日であった。


 わたしは朝から机にかじりついて「戦争指導刷新論」の清書にかかった。何度も削り何度も書いた文章を、丁寧に浄書していく。


 午後、増田へ持っていった。


 ところが天川が待ったをかけた。


「先生、待ってください。『決戦所要兵力』のところ、数字を直したいんです」


「いまさらか」


「いまさらでも直さねば嘘になります。敵の機動部隊を撃沈するのに要する空雷の本数、攻撃機の数――概算で二千機を要する。この数字に責任を持ちたい」


 天川は新しい資料を広げて数字を書き換え始めた。


 せっかく浄書したものをまた書き直さねばならぬ。


 わたしは内心で溜め息をついた。ただ天川の言うことは正しい。数字に嘘があれば理屈ごと崩れる。


 わたしは夜の七時半まで一心に書き直した。


 二日酔いでもなく炬燵でもなく、ただ一意専念に。


 そしてついに「戦争指導刷新論」を二通、書き上げた。


 あとは伏下大佐が複写してくれる。


 わたしは万年筆を置いた。


 肩の荷が下りた。


 全身から力が抜けるようであった。雪の箱根で決起してから一月余り。鴬の離れ、炬燵の上、横須賀の夜。そのすべてがこの二通の紙に注ぎ込まれた。


「できましたな」


 伏下大佐がコニャックの栓を抜いた。


「先生、お疲れさまでした。これで剣が鍛え上がった」


 わたしは差し出されたグラスを受け取った。


「そうだ。ただ剣は鍛えただけでは人を斬れぬ。これを振るう人が要る」


「高木さんですか」


「そうだ。そして高木さんが振るうこの剣は、やがて宮中の奥にまで届く」


 天川が手を打った。


「では我々の仕事は、ひとまず終わりですか」


「いや」


 わたしは首を振った。


「終わりではない。これからが本番だ。ただ今夜くらいは飲もう」


 三人はグラスを合わせた。


 窓の外で五月の宵が暮れていった。


 あの一枚の紙がこれからどんな道を辿るか。細川護貞の手を経て高松宮殿下に届き、迷っておられた殿下を「闘う皇族」へと変えていくことを。そしてその先に、東條内閣の崩壊が待っていることを。


 この夜のわたしたちはまだ知らない。ただ鍛え上げたばかりの剣を前に、静かに杯を傾けていた。



◆ 後書き 矢部 貞治(晩年の回想)


 いま戦後の静かな書斎で、わたしは「戦争指導刷新論」の写しを膝に置いている。


 黄ばんだ紙である。あの春、炬燵の上と箱根の離れで書いた一枚だ。


 読み返すたびに、鴬の声が蘇る。横須賀の三味線が蘇る。そして豊田大将の豪快な笑い声が蘇る。


 あの夜わたしは、この人はもう生きては帰れまいと胸の底で思った。死地へ赴く長官の最後の酒だと思った。だからこそあの宴は、生涯忘れがたいものになった。


 国を救うという仕事は、賑やかな酒盛りの底に、いつも誰かの死の匂いを沈めている。


 前編で語った雪見酒の陽気さも、この中編で語った横須賀の宴の別れも、同じわたしたちの流儀であった。笑いながら泣く。酔いながら覚悟する。それがわたしたち在野の者の戦い方であった。


 高木さんの疲れた横顔も忘れがたい。一度滅びて苦しむほうがよいのではないか――あの人がそう漏らしたのを、わたしは生涯忘れない。表舞台で一人巨大な暗闘を背負い続けた人の、底知れぬ孤独であった。わたしたちが陽気でいられたのは、あの人が防波堤になってくれていたからだ。


 あの「戦争指導刷新論」は、この後、細川護貞の手を経て高松宮宣仁親王に届けられる。


 殿下は早くから「いかにしてよく敗けるか」を一人で考えておられた孤高の親王であった。ただ具体的にどう動けばよいかは手探りであった。そこへわたしたちの一枚の紙が届いた。迷いに理屈の裏付けが与えられた。


 殿下はやがて軍令部の会議で公然と「東亜共栄圏の理想を捨てよ、いかによく敗けるかを考えよ」と言い放ち、ついには兄君である天皇にすら直言する「闘う皇族」へと変わっていく。


 炬燵の上のわたしの一行が、皇族の口を借りて宮中の奥で火を噴いた。


 ペンと理屈が、確かに歴史の歯車を回したのだ。


 わたしはいま静かに、写しを閉じる。


 次回。第五十二話は、この一枚の紙が高松宮殿下に届き、殿下を覚醒させ、やがて夏の倒閣へと向かっていく後編である。


【次回予告】


 第五十二話「戦争指導刷新論(後編)――闘う皇族、夏の倒閣」。


 昭和十九年五月十日から七月十八日まで。


 五月十日、細川護貞の手を経て「戦争指導刷新論」が高松宮宣仁親王に呈上される。迷っておられた殿下は、この一枚の理屈を得て覚醒する。


 殿下は軍令部の会議で公然と言い放つ。


「いかにしてよく敗けるかを考えよ」


 そして兄君である昭和天皇にすら直言する。


「私は雑音のみ申し上げます」


 一方、高木機関の暗闘も大詰めを迎える。サイパンが陥ち、絶対国防圏が破れ、東條内閣は揺らぐ。


 ただし五月二十日、高木さんが弱気を吐いて逃げるように帰ったあの夜――矢部・伏下・天川の三人が、高木の置いていったウィスキーをあおりながら憤慨する、忘れがたい一夜も描かれる。


 在野の与太者たちの愛と憤りと結束。そしてついに来る、七月十八日。


 第五十二話、夏の倒閣のクライマックスへ。ご期待ください。


【筆者補記】


 ■ 史実と創作の区別


 【史実に基づく部分】


 4月6日、増田で第二次箱根行を決定、伏下が矢牧大佐の諒解を取り付けた(矢部貞治日記)。


 4月7日〜13日頃の第二次箱根合宿(奈良屋)。桜の蕾、浅黄色の芽、鴬が五時頃から啼く、十号館の離れで矢部が一人早朝に執筆、「いゝ心持」「伏下中佐の人物益々よろし」、伏下4升・天川ウィスキー2本持参、湯に入って愉快(矢部貞治日記原文)。


 起草の役割分担「作業は僕に集中し、伏下、天川それに島田大尉は資料と忠告を出した」(矢部貞治日記)。


 島田大尉が一高・東大→三井物産→病気で海軍に志願し直したインテリ将校で、法務局系で官房副官室に出入りして機密書類を閲覧し、矢部にメタボリン(ビタミン剤)を手配したこと(海軍反省会証言・矢部貞治日記)。


 4月15日、増田で古賀長官遭難(海軍乙事件)を知る。豊田が後任連合艦隊長官に、自分たちの「豊田を海相に」の計画が大行き詰まり、矢部が「出師之表として使えばよい」と転換、天川の町村警保局長会談成功・増田保護の快諾、「却って心中愉快になり酔ってしまった」(矢部貞治日記原文)。


 4月18日頃、矢部が自宅で「高木さんの批評も考慮し」起草を継続。矢部の二日酔い・炬燵好き(矢部貞治日記)。世田谷区松原在住、妻静子と5人の子。


 4月22日、高木が単独で豊田大将を訪問、「陸軍の第一の射弾」「第二射は国軍統一」「米内が適任」「戦局の挽回は成算がない」「対独対米の外交的措置は即刻」(高木日記・高木海軍少将覚え書)。

 豊田が連合艦隊長官就任を「貧乏籤」として固辞したこと、嶋田海相が「誰が出ても盛り返す確信のある者はない」「伏見宮の御承認も得て決まっている」と問答無用で押し付けたこと(豊田副武『最後の帝国海軍』)。

 「あ号作戦」前夜の連合艦隊の実態――機動部隊が練成・整備の途上で搭乗員の練度が低下し、艦隊用の燃料を運ぶ油槽船も不足していたこと(防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書 マリアナ沖海戦』)。本話の豊田が「小松」で「艦も人も油も足りん」と漏らす場面の典拠。


 4月23日、矢部・伏下・天川の三人が車を仕立てて横須賀の豊田大将を訪問、官邸で3時〜6時協議、草案を「三回熟読し全く同感」、矢部が海軍の自己反省と出師之表に食い下がる、「大きな武人であり人格だ」。6時から横井参謀長も加わり料亭「小松」(通称パイン)で痛飲、芸者、一時過ぎても長官動かず、「これで聯合艦隊に出て行かれれば生還は期せられぬ」(矢部貞治日記原文)。


 5月1日、伏下大佐昇進、矢部と天川が横須賀へ、「小松」がトラック帰りの兵で溢れ蒲団もなく、増田に泊まって三人で画策、豊田から伏下大佐宛に親書(矢部貞治日記)。


 5月3日、矢部が朝から執筆没頭・清書、増田で天川が「決戦所要兵力」の数字修正を要求、夜7時半まで書き直し、二通書き上げ「あとは伏下大佐が複写してくれるので肩の荷が下りた」(矢部貞治日記)。「撃沈所要空雷」「攻撃機約二千機」等のデータが高木メモに残る(高木メモ)。


「戦争指導刷新論」原文の引用句(「必勝ノ信念ノミ呼号(中略)単ナル独善的自己陶酔ノ御題目ニ化シ」「楽隊入ノ要綱作文ト掛声ノミニ終リ(中略)実践性ナキ皮相ノ『ゼスチュア』ニ堕セリ」)。


 【創作部分】


 前書き・後書きの矢部の晩年の回想。語りの形式は創作。


 箱根・自宅・横須賀・増田での各台詞の細部は文学的演出。出来事・日付・参加者・数字・天候・豊田の発言要旨は史実、語り口は創作。

 「小松」で豊田が「艦も人も油も足りん」と崩れた前提を漏らす場面――就任固辞の経緯(『最後の帝国海軍』)とあ号作戦前夜の戦力不足(『戦史叢書』)は史実、それを宴席の台詞として豊田に語らせた構成と具体的な言い回しは創作。


 島田大尉との「なぜ軍服を着た」の問答――経歴と覚悟は史実に基づく再構成、台詞は創作。


 妻・静子が無言で茶を淹れる場面――松原在住・家族構成は史実、家庭描写は創作。


 4月27日の高木との「思想統一」で高木が漏らす「一度敗北して民族的に苦しみを味わうほうが永遠の生命から言えばよい」は、史料上は別日(5月前後の思想統一の文脈)に高木が吐露した極限の弱気を、4月27日の思想統一の場面に集約して描いた。矢部がそれを叱咤する台詞は創作。


 横須賀の宴で矢部が「泣きたくなった」等の内面描写――「生還は期せられぬ」と感じたのは史実(日記)、感情の細部は文学的演出。


 伏下大佐昇進の祝いの台詞(天川・矢部)は創作。


【人物紹介】


 ■ 矢部 貞治(やべ ていじ、1902-1967)


 東京帝国大学法学部教授(政治学)。鳥取県出身。本話の主人公・語り手。「戦争指導刷新論」の起草者。冷静沈着な理論家だが、酒好きで弱く二日酔いに苦しみ、炬燵を恋しがる人間臭さを併せ持つ。世田谷区松原に妻・静子と5人の子と暮らす。


 ■ 伏下ふしした 哲夫てつお


 海軍主計中佐、本話の5月1日付で大佐に昇進。大分県出身。海軍経理学校→上海勤務→東京帝国大学経済学部→独逸駐在を経て海軍省調査課勤務。冷徹な国際経済アナリストで、兵科将校より文官のエリート官僚に近い。酒・資料の手配に長け、コニャックや煙草「光」を同志に振る舞う気前のよさを持つ。「戦争指導刷新論」に資料と忠告を提供し、完成稿の複写を担った。


 ■ 天川あまかわ いさむ


 海軍嘱託(のち海軍教授)。慶應義塾大学文学部講師から転身。経済・物資動員データ収集に執念を燃やす熱血漢。感情の起伏が激しく酒癖が悪いが純粋に国を憂う。本話では「決戦所要兵力」の数字に最後までこだわり、完成直前に修正を要求した。


 ■ 島田しまだ 大尉たいい


 海軍主計大尉。一高・東京帝国大学を出て三井物産に入社後、病を得て療養し、改めて海軍に志願し直した異色の経歴。海軍省法務局系で、榎本重治書記官長の代行として官房副官室に出入りし、軍の機密書類を閲覧できる立場にあった。第二次箱根合宿に参加し、矢部の起草を機密データで支えた。激務の矢部にメタボリン(ビタミン剤)を手配する細やかさを持つ。フルネーム・正確な所属は史料未確定。


 ■ 高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893-1979)


 海軍少将。熊本県人吉出身。海兵43期、海大甲種29期首席。本話時点で海軍省教育局長。反東條の中心人物として倒閣工作を主導。「戦争指導刷新論」を自らの政治工作の最大の武器として用いるべく、起草段階で矢部に批評を加え、思想統一を図った。本話では一人で巨大な暗闘を背負う孤独と疲労を覗かせる。矢部を「矢部君」と親しく呼び、矢部は「高木さん」と敬語で応じる。


 ■ 豊田 副武(とよだ そえむ、1885-1957)


 海軍大将。本話時点で横須賀鎮守府司令長官、4月に連合艦隊司令長官へ親補。豪放な性格で酒に強く下世話な話が巧い「大きな武人」。当初この長官職を「貧乏籤」として固辞したが、嶋田海相に問答無用で押し付けられた。高木に「戦局の挽回は成算がない、即刻外交の手を打つべきだ」と本音を告白し、矢部らの「戦争指導刷新論」を三度熟読して「全く同感だ」と全面賛同した。4月23日、横須賀の料亭「小松」(通称パイン)で矢部らと深夜まで痛飲。なお5月2日に高松宮に拝謁、翌3日に連合艦隊司令長官に親補され前線へ赴く(この拝謁が後編の鍵となる)。史実では終戦まで連合艦隊・海軍総隊司令長官等を務め、戦後も生存した。


 ■ 古賀 峯一(こが みねいち、1885-1944)


 海軍大将。連合艦隊司令長官。昭和19年3月31日夜、パラオからの移動中に搭乗機が消息を絶ち殉職(海軍乙事件)。後任に豊田副武大将。本話では4月15日に矢部らがその一報を受け、倒閣計画の転換を迫られる契機として描かれる。


 ■ 横井よこい 忠雄ただお


 海軍少将。横須賀鎮守府参謀長。4月23日、料亭「小松」での豊田大将と矢部らの宴に加わった。本話に登場。伏下と一緒にドイツから潜水艦で帰還してきた。


 ■ 町村まちむら 金五きんご


 内務官僚。警保局長として全国の特高・治安を統括。「現政府では勝てぬ」と東條内閣を見限り、天川を介して矢部らのアジト「増田」を特高の手入れから守ることを快諾した。本話で言及。


 ■ 静子しずこ


 矢部貞治の妻。世田谷区松原の自宅で5人の子を育てる。本話では、二日酔いの夫が炬燵で原稿を書く傍ら、何も問わず茶を淹れる姿で描かれる(家庭描写は創作)。


【用語集】


 ■ 戦争指導刷新論せんそうしどうさっしんろん


 矢部貞治が起草し、伏下哲夫・天川勇・島田大尉が海軍機密データと忠告を提供して作成された極秘文書。「決戦必勝のためには東條内閣を打倒し戦争指導態勢を根本的に刷新する以外にない」と説く、過激かつ論理的な倒閣のシナリオ。本話で4月に起草・5月3日に二通完成。5月10日に高松宮へ呈上される(後編で詳述)。


 ■ 出師之表(すいしのひょう/しゅっしのひょう)


 いくさに出陣するにあたり、君主に決意や諌言を奉る上奏文。三国時代の蜀の諸葛亮が劉禅に奉ったものが名高い。本話では、海相に担げなくなった豊田大将に「戦争指導刷新論」を託す形を、矢部が「死地へ赴く長官が政府・統帥部に突きつける出師之表」と表現した。

 ■ あ号作戦あごうさくせん

 昭和19年、米軍のマリアナ諸島方面への来攻を迎え撃つために連合艦隊が計画した決戦作戦。6月のマリアナ沖海戦として実施されたが、母艦搭乗員の練度低下と燃料・油槽船の不足などにより日本側は大敗を喫した。本話の時点(4月)では、その前提がすでに崩れつつあった。


 ■ 海軍乙事件かいぐんおつじけん


 昭和19年3月31日夜、連合艦隊司令長官・古賀峯一大将がパラオからの移動中に搭乗機ごと消息を絶ち殉職した事件。福留繁参謀長機はセブ島沖に不時着し参謀長は捕虜となった後に生還。海軍は極秘扱いとした。本話では4月15日に矢部らが一報を受ける。


 ■ 決戦所要兵力けっせんしょようへいりょく


 敵機動部隊に殲滅的打撃を与える決戦に必要な兵力の算定。「戦争指導刷新論」の中核データの一つで、撃沈に要する空雷の本数、攻撃機約二千機といった具体的数字を含む。天川勇が完成直前まで修正にこだわった。


 ■ メタボリン


 当時の疲労回復用ビタミン剤(ビタミンB1製剤)。戦時下では貴重品であった。島田大尉が海軍の割引制度を使い、胃腸を弱らせ激務に追われる矢部のために手配した。


 ■ 十号館の離れ(じゅうごうかんのはなれ)


 箱根・宮ノ下の旅館「奈良屋」の一棟。第二次箱根合宿で、矢部が早朝に一人こもって「戦争指導刷新論」を執筆した場所。


 ■ 小松/パイン


 横須賀にあった海軍指定の料亭。海軍士官が「しょう=パイン、まつ=ツリー」をもじって「パイン」と愛称で呼んだ。4月23日、豊田大将と矢部らが深夜まで痛飲した。


 ■ 海軍省法務局かいぐんしょうほうむきょく


 海軍大臣官房の下に置かれ、海軍の法務・国際法・政治的問題を扱った部局。書記官長・榎本重治が重きをなした。調査課(高木・伏下・天川)と局課の垣根を越えて連携し、島田大尉がそのハブ(結節点)として機密情報を融通した。


 ■ 増田ますだ


 築地の料亭。矢部ら「高木機関」の東京での隠れ家。女将ママと大さんが酒と食糧を提供し工作を陰で支えた。内務省の町村警保局長により特高の手入れから保護された。


 ■ 奈良屋ならや


 箱根・宮ノ下の老舗旅館。3月の第一次(決起)と4月の第二次(戦争指導刷新論起草)の二度の合宿の舞台。


【参考文献】

 (表記は「著者『書名』出版社、刊行年」の順。本話の執筆にあたり特に以下の史料・文献に依拠した)

 ■ 一次史料(日記・覚え書・記録)

 ・矢部貞治著、日記刊行会編『矢部貞治日記(全四巻)』読売新聞社、1974年〜1975年

 ・伊藤隆ほか編『高木惣吉 日記と情報(上・下)』みすず書房、2000年

 ・高木惣吉『高木海軍少将覚え書き』毎日新聞社、1979年

 ・高松宮宣仁親王『高松宮日記』中央公論社、1995年〜1997年

 ・細川護貞『細川日記』中央公論社、1978年

 ・重光葵著、伊藤隆・渡邊行男編『重光葵手記』中央公論社、1986年〜1988年

 ・戸高一成編『[証言録]海軍反省会』PHP研究所、2009年〜2018年

 ■ 回想録・伝記・略歴

 ・松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年

 ・川越重男『救国・聖断の史』人吉中央出版社、2003年

 ・豊田副武述、柳沢健編『最後の帝国海軍 軍令部総長の証言』世界の日本社、1950年(中公文庫、2017年)

 ・「伏下哲夫教授略歴」(『八幡大学論集』第22巻1・2号、八幡大学法経学会、1971年)

 ■ 研究書

 ・鈴木多聞『「終戦」の政治史 1943―1945』東京大学出版会、2011年

 ・山本智之『「聖断」の終戦史』NHK出版新書、2015年

 ・山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮文庫、2013年

 ・吉見直人『終戦史 なぜ決断できなかったのか』NHK出版、2013年

 ・防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書 マリアナ沖海戦』朝雲新聞社、1968年

 ■ 史料テキスト

 ・「戦争指導刷新論」原文(高木惣吉旧蔵)。本話で引用した判定要旨・各項目(「必勝ノ信念ノミ呼号……独善的自己陶酔ノ御題目」「楽隊入ノ要綱作文ト掛声ノミニ終リ……実践性ナキ皮相ノ『ゼスチュア』ニ堕セリ」等)はこのテキストに拠る。

 ※ 本話は上記史料に基づく歴史小説であり、史実を踏まえつつ会話・心理・情景描写に創作を加えています。史実と創作の区別は前掲の補記に明記しました。



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