第50話「戦争指導刷新論(前編)――料亭「増田」、夜ごとの梁山泊」
◆ 前書き 矢部 貞治(やべ ていじ、東京大学名誉教授・政治学者、晩年の回想)
わたしは矢部貞治。
明治三十五年に鳥取で生まれ東京大学(かつては東京帝国大学)で政治学を講じた。
全ての始まりは、近衛文麿公のブレーンとして昭和研究会に関わったことであった。
昭和研究会というのは、近衛公の頭脳として国の進むべき道を研究した在野の知恵袋であった。後藤隆之助が束ね、佐々弘雄も三木清も蠟山政道も大河内一男も、当代きっての俊才が膝を突き合わせて新しい日本の形を論じていた。わたしもその末席に連なっていた。
ところがこの集まりは、右翼や軍部から「赤の巣窟だ」と猛烈に叩かれた。自由にものを考え、自由にものを言う。ただそれだけのことが、あの時代には危険思想と見なされた。昭和十五年の秋、昭和研究会はとうとう非難の嵐に耐えかねて解散した。
わたしたちは言論の城を一つ失った。これでもう、まともに国を論じる場はどこにもない。そう肩を落としていた、ちょうどその頃であった。
昭和十五年の春のことだ。海軍省調査課長の高木惣吉という大佐がわたしのような民間の学者を集めて頭脳集団を作ろうとしていた。陸軍が政治のあらゆる場に口を出し国を牛耳ろうとしている。これに抗うには海軍に知恵と理屈という武器を持たせるしかない。高木さんはそう考えていた。
人選を頼まれたのは哲学者の西田幾多郎先生であった。先生はわたしの名を挙げてくださった。やがて商法学者の田中耕太郎先生がわざわざ研究室まで訪ねてきて海軍への協力を口説いた。
正直に言えば気は進まなかった。軍人とそりが合うとも思えなかった。
ところが芝の水交社で高木さんたちに会ってみると印象がまるで違った。皆が血の通った好い男たちであった。嘱託の辞令も役所の冷たい紙切れではない。一片の辞令ではなくゲマインシャフトだ。わたしは日記にそう書きつけた。打算で結ばれた間柄ではなく理念と運命を共にする共同体。海軍にはそういう温かさがあった。
その温かさが、ただの言葉でないことをわたしは身をもって知ることになる。
昭和十六年の秋、昭和研究会にいた尾崎秀実がソ連のために働いていたとして捕らえられた。世に言うゾルゲ事件である。治安当局はこれを口実に、昭和研究会のかつての面々を一網打尽にしようと動いた。わたしの名も、大河内一男君の名も、追及の的に挙がっているという。
国家機密もスパイも、わたしたちには毫も関わりのないことだ。それでも一度疑いをかけられれば、特高や憲兵が何をするか分からぬ時代であった。
その魔の手を払いのけてくれたのが、高木さんであった。海軍省で、あの人が当局を突っぱねてくれたのだ。昭和研究会と尾崎の一件はまるで別物だと。海軍の軍服が、丸腰の学者たちを庇う盾になった。
潰された昭和研究会の知恵と憂国の情は、こうして高木さんの海軍という鎧のなかに匿われた。わたしが海軍に尽くしたのは、陸軍を抑えるという大義のためばかりではない。あの恩義に報いたいという、それも確かに半分はあった。
ただ正直に打ち明ければ理屈は半分だ。
残りの半分は――あの店の酒であった。
築地に「増田」という小さな料亭があった。
わたしたちの梁山泊である。
夜になると誰からともなく集まってきた。海軍の主計将校、休職中の大学教授、外務省の俊英、新聞記者くずれ。肩書はばらばらで本業もばらばら。ただ酒が好きで、国の行く末が我慢ならぬという一点だけが皆に共通していた。
ママの燗をつけた酒を飲みながら天下国家を論じる。誰かが大声を上げ誰かがそれを宥め誰かが眠ってしまう。そういう座敷であった。
軍人たちが眉間に皺を寄せ悲壮な顔で国を背負っていたのとは少し違う。わたしたちは在野の気楽さで国を憂えていた。憂えながら笑っていた。
戦争が終わってもうずいぶんになる。
あの夜ごとの酒盛りに集った男たちの幾人かはすでにこの世を去った。
戦後になって知ったことだが憲兵や特高はわたしたちの一団を陰で「高木機関」と呼んでいたという。海軍少将・高木惣吉を頭とする厄介な民間人と主計将校の群れ。そう囁いて執拗にわたしたちの動静を探っていたらしい。
当時のわたしたちは自分が何と呼ばれているかなど知る由もなかった。知っていたところで気にもしなかったろう。
憲兵が何だ。怖いには怖いが、からかってやればいい。何しろ特高を上から押さえる内務省の要人たちが、別の座敷でわたしと酒を酌み交わす仲であった。そういう連中とも細い糸で結ばれていた。
第五十話「戦争指導刷新論(前編)――築地『増田』、夜ごとの梁山泊」。
昭和十九年の一月から三月まで。一介の政治学者と二人の風変わりな同志が酒を酌み交わしながらやがて海軍の巨魁・高木惣吉と結びついていく。その愉快で熱い日々の物語である。
【本文】
一 昭和十九年一月二十六日――後藤隆之助邸のビフテキ
すべては一枚のビフテキから始まった。
昭和十九年一月二十六日の夜、わたしは大学の講義を終えて近衛文麿公の側近・後藤隆之助の邸を訪ねた。
戦時下の食糧難のさなかである。卓に並んだものを見てわたしは目を疑った。
巨大なビフテキ。それに、軍鶏の鍋。
この御時世にどこからこんなものを。そう問うのも野暮であった。後藤という男は、そういう伝手を持っていた。
「矢部先生、まあお座りください」
後藤に促されて座ると見知った顔があった。
有沢広巳。
東京帝大経済学部の俊英で、いまは休職中の身であった。例の人民戦線事件で大学を追われ、裁判を抱えている。マルクス経済学の徒でありながら、陸軍に呼ばれて戦争経済の研究まで手伝わされた変わり種だ。
「有沢君。久しぶりだね」
「矢部さん。ご無沙汰しております」
有沢はにやりと笑った。
「今日は面白い男を連れてきました。私の後輩で経済学部を出た海軍の主計士官です」
有沢の隣で一人の士官が会釈した。
「伏下哲夫と申します。海軍主計中佐であります」
仕立てのいい主計科の軍服をきっちりと着こなした、端正な男であった。軍人にしては、目つきが涼しい。
「矢部です」
わたしは会釈を返した。
伏下中佐。これがその後、わたしの生涯でもっとも信頼する同志の一人になる男との、最初の対面であった。
話してみると縁が次から次へと出てきた。
伏下は有沢と同じ東京帝大の経済学部の出だという。今夜も、有沢の引きでこの席に呼ばれたのだ。
「先生の政治学の講義を学生の頃に拝聴したことがあります」
「ほう。それは奇縁だ」
「それに私は扇一登中佐と同期であります」
わたしは思わず身を乗り出した。扇は海軍にいるわたしの親友である。
「扇君と同期か。世間は狭いね」
「昭南で扇さんとすれ違いました。扇さんは独逸へ私は日本へと入れ替わりに」
伏下はそう言って微笑んだ。
「いまは海軍省の調査課におります」
経済学部の後輩で扇の同期で調査課勤め。これだけ縁が重なればもう他人ではない。
しかも伏下は、昭和十五年から四年近く独逸に駐在していたという。上海も踏み、ナチス・ドイツの戦時経済を内側から見てきた男であった。
軍鶏の鍋がぐつぐつと煮え、酒がまわるにつれ、議論は白熱した。
「先生、独逸はもう駄目です」
伏下は静かに言った。声を荒げない。荒げないからこそ重い。
「スターリングラードで腰を折られて以来ずるずると後退しております。経済もとうに底が抜けました。私はあの国が膨らんで萎んでいくのをこの目で全部見てきました」
「日本は」
「同じ穴に向かって走っております。いや独逸より足が速いぶん始末が悪い」
有沢が箸を止めて横から口を挟んだ。
「数字で言えばもっと無慚ですよ。鉄も船も油もまるで足りていない。陸軍の連中は精神で補えると本気で思っている。困ったものだ」
休職の身でありながら、有沢の舌鋒は少しも鈍っていなかった。むしろ、大学を追われたぶん遠慮がなかった。
わたしは唇を噛んで聞いていた。
ビフテキはとうに平らげ、軍鶏も骨だけになり、酒だけが残った。それでも誰も腰を上げない。
気づけば終電車を逃していた。
深夜の甲州街道を、わたしは有沢と二人で歩いて帰った。冷たい夜風が頬を刺した。
ただ胸の奥には妙に熱いものが灯っていた。
今夜は面白い男に会った。あの伏下という主計中佐となら、本気の話ができる。
その予感がやがて、わたしを国家の運命を懸けた地下の酒盛りへと引きずり込んでいく。このときはまだ、思いもしなかった。
二 築地「増田」――夜ごとの梁山泊
築地の路地の奥に「増田」はあった。
間口の狭い、目立たぬ料亭である。表からは、ただの小料理屋にしか見えない。ところが、この店の奥座敷がわたしたちの根城であった。
女将を皆で「ママ」と呼んだ。気風のいい、江戸前の女である。裏では「大さん」と呼ばれる男が、店を切り盛りしていた。
戦時下で、酒も米も配給が絞られていた。それでもママと大さんは、どこからか酒を手に入れ、鶏を一羽つぶし、水飴の缶まで用意して待っていてくれた。
「先生、また難しいお顔の方々がお揃いですよ」
ママはそう言って笑いながら燗をつける。
夜になると常連が誰からともなく集まってきた。
まず佐々弘雄。これがなかなかの曲者であった。独逸も仏蘭西も英吉利も渡り歩いて、九州帝国大学の教授に収まったところで、左翼の経済学者と親しくしたのが咎められて大学を追われた。いまは朝日新聞の論説委員で、昭和研究会に出入りし、近衛公のブレーンの一人に収まっている。舌が達者で、湯のように酒を飲む。特高にいちばん睨まれているのも、この男であった。
次に湯川盛夫。外務官僚で、妻の父があの満鉄総裁・小日山直登という、政財界に太い根を張った男だ。南方の軍政から帰ってきたばかりで、外から日本を眺めてきた目が冴えている。
杉原荒太。これも外務省から大東亜省に移った切れ者で、支那やソ連の動きにかけては右に出る者がない。新聞が垂れ流す景気のいい話の裏で、大陸の現実がどう動いているかを冷たく読み解いてみせる。
これに海軍の伏下中佐と天川勇とわたしが加わる。軍服あり、背広あり、よれた着物のわたしあり。実に雑多な顔触れであった。
肩書はばらばら、本業もばらばら。ただ酒が好きで、国の行く末が我慢ならぬという一点だけが皆に共通していた。
ある二月の夜のことだ。
その晩は海軍の連中が日本酒を二升も担ぎ込んできた。誰かがどこで手に入れたか、スコッチ・ウィスキーまで一本ぶら下げてきた。
「これはこれは。今夜は豪勢だ」
佐々が手を打って喜んだ。
わたしたちは大いに飲んだ。
ところが、酔わなかった。話が重すぎたのだ。海軍の内情。絶望的な戦局。この先どう処置すべきか。スコッチをあおっても、頭は冴える一方であった。
「矢部さん」
佐々が盃を置いて言った。
「軍の連中はまじめだ。まじめすぎる。眉間に皺を寄せて国を背負って、今にも倒れそうな顔をしている。あれでは続かんよ」
「続かんね」
わたしは応じた。
「我々はああはなれん。我々には本業がある。大学があり、役所があり、新聞がある。その合間に集まって酒を飲んで国を論じる。それでいいんだ」
「それがいい」
佐々が笑った。
「肩肘を張って国を救うなどと言い出した途端に、人は息が詰まる。我々は息をしながら国を救う」
座敷にどっと笑いが起きた。
不謹慎と言われればそれまでだ。
ただわたしは、いまでもこう思っている。あの軽さがあったからこそ、わたしたちは折れずに最後まで走り抜けられたのだと。
軍人たちが悲壮な覚悟でひたむきに国を背負っていたとすれば、在野のわたしたちは、どこか祭りのような心持ちで国を論じていた。本業の傍らで仲間と集まり、酒を飲んで天下国家をぶち上げる。それが楽しくて仕方がなかった。
ただ増田だけがわたしの夜ではなかった。
増田で海軍の連中と別れたあと、その足で別の座敷へ回ることがよくあった。赤坂の「千松」、木挽町の「栄家」。そこで待っているのは海軍でも学者でもない。内務省の連中であった。
当時の内務省は途方もない役所であった。全国の警察を握り、消防を握り、地方の知事も部長もみな内務官僚で占められている。後の世で言えば、国土交通省も総務省も警察庁も一つにまとめ、また、すべての都道府県の県知事以下幹部はすべて内務官僚で抑えられているという巨大な権力だ。更に、内務省から分離した厚生省と文部省は実質内務省に支配下にあるという、ほかのどの官庁も足元に及ばぬ。
その内務省の要人たちと、わたしは別の晩に別の座敷で酒を酌み交わした。県知事。内務次官。警保局長(後の世の警察庁長官に相当)。あの戦争のあいだ、古井喜実や山崎巌や町村金五といった顔ぶれと、わたしや高木さんは細い連絡線を保っていた。
古井喜実。内務省の官僚で、わたしとは鳥取の中学からの同級生にして大親友だ。いまは茨城県知事で、水戸からひょっこり出てきては一本提げて座敷に上がる。のちに警保局長――全国の警察の元締めにまで上り詰める男である。
彼らとわたしたちは、持ちつ持たれつであった。わたしは時局の見通しや国家再建の理屈を語って聞かせる。内務省は、陸軍や憲兵の動きという外では決して手に入らぬ機密を、そっと流してくれる。理屈と情報の物々交換である。
海軍の連中と内務省の連中が、同じ座敷で顔を合わせることはまずなかった。互いの存在は知っている。ただ防諜の鉄則として、ネットワークはきっちり分けてあった。両者を行き来してつなぐのが、わたしや高木さんの役目であった。
そして何より心強いのは、特高警察を上から押さえているのが、ほかならぬこの内務官僚たちだったことだ。憲兵がいくら増田の周りを嗅ぎ回ったところで、治安の元締めが我々の味方では手も足も出ない。警保局長の町村金五などは、増田そのものを特高の手入れから守ると請け合ってくれたという。
だから我々は、憲兵を恐れなかった。
ある晩、栄家の座敷で古井がこともなげに言ったものだ。
「特高のことは安心しろ。現場の刑事が何と言おうと、俺が上から抑えてあるからな」
「表をうろついている陸軍の犬も心配いらん。うちの特高にちゃんと見張らせてある」
盃を干してそう笑う。中学からの親友のこの一言ほど、頼もしいものはなかった。
怖いには怖い。ただ我々には、一点の曇りもない。清く国を憂えて何が悪い。
むしろ、からかってやろうではないか。そういう肝の太さが、この男たちには満ちていた。
三 三人の与太者――矢部・天川・伏下
ここで増田の常連のうち特に濃い三人を紹介しておかねばなるまい。
わたしと天川勇と伏下哲夫。やがて「戦争指導刷新論」を産み落とすことになる三人である。
まず天川勇。
慶應義塾の文学部講師から海軍嘱託に転じ、やがて海軍教授となった男だ。経済と物資動員のデータを集めさせたら、右に出る者がいない。役所の奥に潜り込んで、陸軍や政府が隠したがる本当の数字をかき集めてくる。足で稼ぐ男であった。
ただこの天川という男が酒癖が悪い。
飲むと熱くなる。熱くなると誰彼かまわず食ってかかる。
「こんな出鱈目な国策があるか!」
盃を畳に叩きつけて怒鳴る。顔は真っ赤で目には涙すら浮かんでいる。
「天川君、まあ落ち着け」
伏下がコニャックのグラスを傾けながら穏やかに宥める。
「落ち着けるか! 国が滅びるんだぞ!」
天川は組織のなかでは完全に浮いていた。海軍省の調査課では「あいつは頼んだ仕事をやらん」と煙たがられている。気の乗らぬ役目は平気で放り出す。そのくせ自分が信じた工作には寝食を忘れて没頭する。
扱いにくい男である。
ただわたしはこの男を見捨てられなかった。
純粋すぎるのだ。国を思う気持ちに、一点の打算もない。視野は狭く、感覚もずれている。それでも教えてやれば、きっと立派になる。わたしはそう思って、弟分のように世話を焼いた。喧嘩もした。それでも、情誼が許さなかった。
次に伏下哲夫。
この男は逆に何もかもがスマートであった。
経理学校を出て上海に渡り、現役の士官のまま東京帝大の経済学部に学んだ。河合栄治郎門下の秀才である。兵学校上がりの兵科将校とは、まるで毛色が違う。軍服を着てはいるが、中身は洗練された文官の経済官僚に近い。
独逸駐在の四年で、伏下はナチス・ドイツが膨らみ、やがて萎んでいく一部始終を内側から見届けた。そして戦局が傾いた独逸から、敵の哨戒網をかいくぐる潜水艦に乗って命がけで日本へ帰ってきた。海の底を息を殺して何十日も――その死線をくぐった男の言葉には、机上の空論にはない重みがあった。
その頭の冴えには、わたしも舌を巻いた。伏下の論策に意見を求められて目を通すたび、この男の頭のよさがよく分かる、と日記に書きつけたほどだ。感情で物を言わない。どんな修羅場でも顔色一つ変えず、ただ論理だけで物事を冷たく詰めていく。氷のような知性であった。
冷徹な数字を、澄ました顔で読み上げる。天川が真っ赤になって怒鳴っている横で、ひとり静かにコニャックを舐めている。
しかも気前がいい。貴重なコニャックを惜しげもなく振る舞い帰り際には「光」の十個入りをそっと持たせてくれる。死線をくぐった同志への心配りであった。
そして矢部貞治。つまりわたしだ。
自分のことを言うのは気恥ずかしいが正直に書いておく。
わたしは酒が好きだ。
好きなくせに、強くはない。すぐ二日酔いになる。割れる頭を抱えて「もう二度と飲むものか」と呻きながら、原稿用紙に向かう。それでも夜になると、懲りずにまた増田へ出かけていく。
気は短い。気に食わぬ人間の文章を読めば「驚くべき馬鹿者だ」と日記に書きつける。神経質で胃が弱い。冬は炬燵が恋しくて仕事が手につかない。庭で南瓜を育てては数を数えて一人で喜んでいる。
そういう半端な男である。
ただ理屈をこねさせれば、誰にも負けぬという自負はあった。天川がかき集めた泥臭い数字に、理論という骨を入れる。それがわたしの役目であった。
熱血漢の天川。スマートな伏下。理屈屋で吞兵衛のわたし。
この三人がママの酌で、毎晩のように増田の座敷に集まり、酒を飲みながら国の行く末をぶち上げていた。
はたから見ればただの与太者の寄り合いであったろう。
ただこの寄り合いがやがて歴史の歯車に手を掛けることになる。
四 三月十九日――雪の箱根、奈良屋に籠る
その晩ごとの酒盛りがときに箱根の温泉宿へ場所を移すことがあった。最初がこの三月であった。
昭和十九年三月十九日。
たまには東京を離れて、腰を据えて研究をやろう。誰かがそう言い出した。憲兵の目の届かぬ温泉宿で、三日ばかり籠ろうという算段である。半分は研究で、半分は物見遊山であった。
ところが出発からけちがついた。
午前九時四十分発の小田原行きが運休になった。わたしと伏下は新橋の駅で二時間も汽車を待たされた。
「先生、なかなか来ませんな」
伏下が外套の襟を立てた。
「待つしかない。ただ待つのは退屈だ。一杯やりたいところだね」
わたしが言うと伏下が笑った。
ようやく汽車に乗り遅れて小田原に着いた。そこから宮ノ下の旅館「奈良屋」へ向かった。
山を登るにつれて、雪が深くなった。三月下旬とは思えぬ、季節外れの大雪であった。
奈良屋に着くと天川が一足遅れて夕方に着いた。
そしてもう二人。
「先生たち、こんな雪のなかをよくお越しで」
ママと大さんまでが東京からついてきていた。
「ママ。君たちまで来てくれたのか」
「殿方ばかりでお酒の世話もできないでしょう。それに箱根の湯にも入りたいですしね」
ママは悪戯っぽく笑った。
わたしは思わず噴き出した。
国家の一大事の密議に女将がついてきて温泉に入りたいと言う。けれどもそれでいいのだ。この気楽さがわたしたちなのだ。
奈良屋の膳は、驚くほど粗末であった。戦時下では、老舗もどうにもならぬ。
ただ酒だけはたっぷりあった。伏下が四升もの酒を担ぎ込み天川がウィスキーを二本ぶら下げてきていた。
その晩は雪見酒であった。
障子を開けると、牡丹雪が音もなく降っていた。冷えた体に、燗酒がしみた。皆で湯に浸かり、湯気のなかで他愛もない話に笑い転げた。
国を憂える男たちの密議のはずが、初日はただの愉快な雪見の宴で更けていった。
五 三月二十日――天川の数字、三人の決起
翌二十日。
箱根は終日、土砂降りの雨であった。昨夜の雪が雨に変わり、窓の外で激しく木々を打っていた。
外に出られぬからにはもう腰を据えて話すしかない。
わたしと伏下と天川は、火鉢を囲んで座った。前夜の宴とは打って変わって、三人の顔は引き締まっていた。
天川が分厚い資料の束を畳の上にばさりと広げた。
「矢部さん、伏下さん、これを見てください」
天川の声はもう震えていた。
「私が足で集めた満洲の物資動員のデータです。これがとんでもない代物なんだ」
わたしは資料を覗き込んだ。
「満洲の鋼材生産が六十万トン。ところがそのうち十万トンが汽車を動かすだけで消える。海軍はいまマリアナやサイパンで決戦をやろうとしている。そこへ航空機も鉄も油も注ぎ込まねばならん時期が目の前に迫っている」
「ところが」
天川は別の紙を叩いた。
「陸軍と政府はいまだに満洲へ莫大な資材を送り続けている。太平洋で決戦をやると言いながら鉄は大陸へ流れていく。決戦の場所も時期も物資の動きとまるで噛み合っていないんです」
わたしは唇を噛んだ。
「つまり天川君――」
「このままでは物動が死ぬ」
天川は資料を畳に叩きつけた。
「物資の動員が死ねば国が死ぬ。いくら必勝の信念を叫んだところで動かす鉄がなければ飛行機は飛ばん。軍の作戦は数字の裏付けをまるで欠いている。机上の念仏です」
奥座敷に重い沈黙が降りた。雨音だけが響いた。
「天川君。仮に満洲の無駄を削ればどれだけ鉄が決戦正面に回せる」
「計算してあります」
天川は即座に答えた。
「新規の生産拡充をやめれば七万五千トン。民需を絞れば三万トン。ソ連はもう東部の鉄道を剝がして持ち去っている。ならば北満の不要な戦略鉄道を剝がしてしまえばいい。それで六万五千トン。締めて十七万トンの鋼材がすぐにでも捻り出せます」
「十七万トン」
「それだけの鉄がすぐに本土の決戦兵器に回せるのに誰もやろうとしない。陸軍は対ソ戦備に執着し満洲を抱え込んで離さない。縦割りと均分主義です」
伏下が静かに口を開いた。
「独逸も同じ病で死にかけました。各部局が自分の取り分を抱え込んで全体が回らなくなる。総力戦とは数字をどこに集めるかの戦いなのに日本も独逸もそれができていない」
わたしは、眼鏡の奥で目を細めた。
胸の奥に冷たい怒りが込み上げていた。
陸軍。政治のあらゆる面に口を出し、国家を牛耳ろうとするあの集団。わたしが海軍に出入りしたのも、もとはと言えばあの野心を牽制するためであった。ところがいまや、頼みの海軍まで陸軍への盲従から抜け出せずにいる。
このままでは本当に国が滅びる。
わたしは盃をぐいとあおった。
「天川君、伏下君。もう傍観はやめだ」
二人の目がわたしを見た。
「一介の学者と二人の役人に何ができると言われればそれまでだ。ただ我々はこの数字を見てしまった。見てしまった以上黙っているのは罪だ」
「同感です」
伏下が深く頷いた。
「物動が死ぬと知って酒だけ飲んでいるわけにはいかん。私も腹を括ります」
「天川君は」
わたしが見ると天川の目はもう真っ赤に潤んでいた。
「私はとっくに括っています。この数字を集めながら何度悔し涙を流したか。矢部さん、やりましょう。我々の手で。三人で足りなければ十人でも百人でも集めればいい。国を救うんだ」
「それにな矢部さん」
天川が声を落とした。真っ赤だった顔に妙に醒めた色が差した。
「実を言えば私の上にも一人腹を括った男がいる。軍令部第二部長の黒島亀人少将だ」
黒島亀人。連合艦隊で山本五十六長官の首席参謀を務めた、変わり種だ。奇抜な作戦を次々ひねり出して、「変人参謀」と呼ばれた男である。いまは、天川を顎で使う上役であった。
「あの人はな。独逸が世界を引っくり返す新兵器を作ったと本気で信じている。V1だV2だというロケットや無人爆弾がじき日本にも回ってくる。そうなれば米機動部隊も近海から消え失せて日本の勝ちだとな。そういう景気のいい意見書を海軍中にばら撒いている。皆あれを赤本と呼んで笑っているが本人は大真面目だ」
「ずいぶんな楽観論だ」
「ところがその黒島さんが私にこう言うんだ」
天川はぐいと身を乗り出した。
「新兵器が来たところで今の東條の指導ではまるで生かせん。宝の持ち腐れだ。天川、貴様たち民間の頭で世論を動かして東條を退陣させる地ならしをやれ――そう焚きつけてきた」
わたしは盃を持つ手を止めた。
現役の軍令部部長が、嘱託の民間人に向かって現職の総理を倒せと唆している。一歩間違えば、首が飛ぶどころでは済まぬ。反逆と取られかねぬ、危うい話であった。
「上から焚きつけられたか」
「焚きつけられた。ただな」
天川は鼻を鳴らした。
「黒島さんに言われるまでもない。新兵器の一発逆転なんぞ私は端から信じちゃいない。あの人の楽観にはついていけん。それでもこの数字を集めるうちに東條を倒さねば国が滅ぶと骨の髄まで分かっちまった。だから腹を括ったんだ」
わたしは胸の内でうなった。
新兵器に夢を見る強硬派の部長ですら、東條の戦争指導には我慢ならず倒閣を口にしている。そういう男から、戦局を冷静に見抜いた天川まで。海軍のあらゆる層が、東條という重しをどけたがっていた。天川の話は、その底の深さを物語っていた。
わたしは大きく頷いた。
「少し動こう」などという生ぬるい話ではなかった。
「やろう。我々がやらねば誰がやる」
火鉢の炭がぱちりと爆ぜた。
三人は盃を打ち合わせた。
誰に命じられたのでもない。誰に頼まれたのでもない。在野の三人の与太者が雨の箱根で勝手に決起した。
「ただし」
伏下が言った。
「我々だけでは政治を動かす力がない。海軍のなかに旗印を立てねば。神輿を担がねばなりません」
「誰を担ぐ」
「やはり高木少将でしょう」
高木惣吉少将。海軍のなかではっきりと反東條の旗を掲げているただ一人の男であった。
「よし。手始めに高木さんに会おう」
決まった。
その晩はまた雪見ならぬ雨見の酒であった。ママと大さんも加わり死ぬの生きるのと誓い合ったばかりの男たちが他愛もない冗談で笑い転げた。
悲壮と陽気が同じ座敷に同居していた。それがわたしたちの流儀であった。
六 三月二十八日――増田に高木を招く
箱根から戻って数日後の三月二十八日の夕暮れ。
わたしたちはいつもの増田の奥座敷に高木惣吉少将を招いた。
今夜こそ高木を口説き落とす。わたしたちの神輿として担ぎ上げる。三人とも、妙に意気込んでいた。
ママに案内されて入ってきた高木さんは思いのほか静かな人物であった。
海軍兵学校を出て、海軍大学校を首席で卒業した俊英である。貧しい農家に生まれ、製本工場で働きながら独学で海兵に受かったという。叩き上げの、異色の経歴だ。四年前、わたしを海軍へ引き入れたのもこの人であった。
目の奥に底知れぬ知性が宿っている。ただ物腰は軍人らしからぬ穏やかさであった。
「やあ矢部君。呼んでくれて嬉しいよ」
「高木さん。お越しいただき恐縮です」
ママが酒の支度を整えた。まずは一献。
軽い世間話のあとわたしは切り出した。
「高木さん。我々は先日箱根に籠って三日ばかり腰を据えて研究して参りました」
「ほう。箱根で」
「天川君が足で集めた満洲物動の数字です。ご覧ください」
わたしは資料を高木さんの前に置いた。
「決戦の場所も時期も物資の動きと噛み合っていない。このままでは物動が死ぬ。国が崩れます」
高木さんは資料に目を落としじっくりと読んだ。
「見事なものだ。天川君の足にはいつも頭が下がる」
高木さんは静かに頷いた。
「高木さん」
わたしは身を乗り出した。
「我々三人は決起いたしました。学者と役人風情でも国のために動こうと。ただ我々だけでは政治を動かす力がない」
「どうかあなたに我々の旗印になっていただきたい。共に起ち上がっていただきたいのです」
わたしは熱を込めて訴えた。伏下も天川も真剣な目で高木さんを見つめていた。
ところが。
高木さんはしばらく無言で盃を置いた。そして口を開いた。
七 三月二十八日――凡ゆる手は既に打たれていた
「矢部君」
高木さんの声は低く静かであった。
「君たちの決意はよく分かった。ありがたいことだ」
「ただ――」
高木さんは三人の顔を一人ずつ見た。
「その件ならもう手は打ってある」
わたしは目を見開いた。
「手は……打ってある、と」
「二月の半ばに岡田啓介大将のお邸を訪ね高松宮殿下にも伺候して時局の対策と首脳の刷新を進言した」
わたしは息を呑んだ。
岡田大将。高松宮殿下。海軍の最長老と皇族。国家の深奥である。
「それだけではない。木戸内大臣や松平秘書官長に部内の空気を伝え近衛公や原田男にも会った。鈴木、米内、岡田の各大将、左近司中将、軍令部と海軍省の主立った局長部長を一通り歴訪して戦争指導と作戦指導の刷新を説いて回った。米内・末次両提督の現役復帰も力説している」
高木さんは淡々と語った。誇るふうでもない。
わたしは言葉を失った。
わたしたちが雪の箱根で必死に練り上げた構想は――この人にとって、すでに一ヶ月以上も前に織り込み済みであった。
しかもその規模が桁違いであった。
一介の海軍少将が、たった一人で岡田大将や皇族を巻き込んだ巨大な倒閣の網を、すでに張り巡らせていたのだ。
わたしは天川と伏下を見た。二人とも呆然としていた。
神輿を担ごうと勇んで乗り込んだら、担ぐべき神輿はとうに自分で歩き出していた。それどころか、我々の何倍も先を行っていた。
わたしたちにはもう手を入れる隙すら残されていないように思えた。
長い沈黙が降りた。
ママがそっと酒を注ぎ足した。高木さんはその盃をゆっくりと干した。
八 三月二十八日 夜――最強の一団、誕生
「高木さん」
わたしはようやく口を開いた。
「我々の決起などあなたの前ではちっぽけなものでした。あなたは遥か先を行っておられた。お恥ずかしい限りです」
「いや」
高木さんは静かに首を振った。
「とんでもない」
高木さんの目が鋭く光った。
「確かに手は打ってきた。ただ東條と嶋田の壁は厚い。岡田大将も動いてくださっているがそう容易には崩せん。正直に言えば打てる手は打ち尽くしてどれも実を結ばずにいる」
「上を説き伏せて国を動かすには――」
高木さんは三人の顔を見回した。
「決定的な理屈と数字が要るんだ」
わたしは息を呑んだ。
「矢部君。君の政治理論は海軍にはない武器だ。天川君の数字は軍の出鱈目を粉砕する刃だ。伏下中佐の独逸仕込みの経済の目は世界の現実を冷たく見抜く」
高木さんは身を乗り出した。
「君たち三人の頭とその数字。それを私の工作に使わせてくれないか。神輿のほうが手足を欲しがっているんだ」
わたしは胸の奥が熱くなった。
担ごうと思って来たわたしたちが、逆にこの巨魁の手足として呑み込まれようとしていた。
ただそれは少しも屈辱ではなかった。むしろ歓びであった。
在野の与太者三人の勝手な決起が、この人の巨大な暗闘と噛み合って初めて現実の力になる。
「謹んでお受けします」
わたしは深く頭を下げた。
「我々の頭も数字も酒の付き合いもすべて高木さんに差し上げます」
「酒もか」
高木さんが初めて笑った。
「それは心強い」
座敷にどっと笑いが起きた。
「天川君、伏下中佐もよいか」
「もちろんです」
天川が声を震わせた。
「私の数字が国を救う刃になるのなら本望だ」
「私も同様であります」
伏下が頷いた。
高木さんが盃を掲げた。
「ではやろうじゃないか。海軍の陣容を立て直し東條内閣を倒しこの戦争を一日でも早く終わらせるために」
四つの盃が打ち合わされた。
雪の箱根で勝手に決起した三人の与太者と皇族すら動かす巨大な暗闘を張り巡らせた海軍の巨魁がいま一つに結ばれた。
点と点が線になった。ばらばらの軌跡を描いていた者たちが国を救うという一念のもとに束ねられた。
ここに後の世で憲兵が「高木機関」と呼ぶことになる一団のかたちが定まった。
ただわたしたちはそんな大層な名で呼ばれるとはつゆ知らず。
その夜も結局いつもの増田であった。
高木さんが帰ったあとも、三人は座敷に残ってだらだらと飲み続けた。ママがまた酒を注ぎ足し、大さんが鶏を一羽つぶしてくれた。
「いやはや。担ぎに行って担がれて帰ってきた」
わたしが言うと天川がげらげら笑った。
「それでも乗りかかった船だ。とことんやりましょう」
伏下がコニャックのグラスを掲げた。
「死なばもろとも、ですな」
三人はまた盃を打ち合わせた。
窓の外で春の夜が静かに更けていった。
これからどれほど過酷な闘いが待っているか。わたしたちが「戦争指導刷新論」という一枚の文書に、血と魂を注ぎ込むことになるとは。そしてその文書がやがて、高松宮殿下を「闘う皇族」へと変えていくとは。
この夜のわたしたちはまだ何も知らない。ただ盃を打ち合わせて笑っていた。
◆ 後書き 矢部 貞治(晩年の回想)
いま戦後の静かな書斎でわたしは深く息を吐く。
あの昭和十九年の春。築地「増田」の奥座敷。
夜ごと誰からともなく集まり、酒を飲み、天下国家をぶち上げた日々。あれはわたしの生涯で、もっとも熱く、もっとも楽しい時間であった。
軍人たちは悲壮な顔で国を背負っていた。命を削り眠れぬ夜を重ねていた。
わたしたち在野の者は、それとは少し違った。本業を抱え忙しく駆け回りながら、その合間に増田へ通うのが何よりの楽しみであった。憲兵に怯えるどころか、いっそからかってやろうという肝の太さで。失敗しても、誰も咎めぬ。馬鹿話に笑い転げ、翌朝は二日酔いの頭を抱えて呻く。
ただその馬鹿話の底にはいつも一本の熱い芯が通っていた。
この国を上手に負けさせ皇室と民とを守り抜く。軽口を叩きながらわたしたちは本気であった。
神輿を担ごうと意気込んだ相手の高木さんはわたしたちの想像を遥かに超える暗闘を一人で張り巡らせていた。担ぐつもりが呑み込まれた。けれどもそれを悔いたことは一度もない。
あの邂逅がなければ、「戦争指導刷新論」は生まれなかった。あの文書がやがて高松宮殿下の手に渡り、迷っておられた殿下を行動へと駆り立てた。在野の与太者の酒席から生まれた一枚の紙が、確かに歴史の歯車に手を掛けたのだ。
戦後になって知った。憲兵や特高はわたしたちを「高木機関」と呼んで内偵していたという。増田の周りにはいつも犬がうろついていた。電話は盗聴され手紙は検閲された。
ただわたしたちはひるまなかった。
何しろ特高を上から押さえている内務省の連中が、我々の側にいた。憲兵がいくら嗅ぎ回ろうと、治安の元締めが味方では世話はない。古井や山崎や町村といった男たちが、別の座敷でわたしと盃を交わし、機密をそっと流してくれた。
だから尾行に気づいても、かえって面白がった。背後の足音にわざと立ち止まり、マッチを擦って煙草に火をつけてやる。怖いには怖い。ただ、からかうくらいの余裕はあった。
怖い時代であった。ただわたしたちはその怖さすら酒の肴にして笑い飛ばした。
ともに国を憂え盃を交わし死なばもろともと誓い合った男たち。高木さん。伏下中佐。天川君。佐々君。古井君。そして陰でわたしたちを支えてくれたママと大さん。
その幾人かはもうこの世にいない。
ただあの増田の夜の熱気だけはいまもわたしの胸の奥で消えることなく灯っている。
あれは本物だった。
わたしはいま静かにペンを置く。
次回。第五十一話はわたしが「戦争指導刷新論」を書き上げる日々と死地へ赴く豊田副武大将と横須賀で杯を酌み交わすあの忘れがたい一夜の物語である。
【次回予告】
第五十一話「戦争指導刷新論(中編)――豊田の絶望、横須賀の痛飲」。
昭和十九年四月十八日から四月二十三日まで。
矢部貞治は自宅の書斎で高木惣吉少将の批評を取り入れながら「戦争指導刷新論」の起草に取り掛かる。決戦必勝のための渾身の理論。ただし炬燵が恋しく二日酔いの頭を抱えながらの難産であった。
その執筆の最中、連合艦隊司令長官・豊田副武大将は高木に衝撃の本音を漏らす。
「戦局の挽回には成算がない」
決戦必勝の前提が最高指揮官自身の口から崩れていく。
四月二十三日、矢部・伏下・天川の三人は横須賀に豊田大将を訪ね草案を見せる。豊田は「三度熟読した。全く同感だ」と賛同する。
そしてその夜、横須賀の料亭――海軍士官が「パイン」と呼ぶ店で、死地へ赴く覚悟を秘めた提督と三人の在野の志士が深夜まで杯を酌み交わす。
「これで聯合艦隊に出て行けば生還は期せられぬ」
第五十一話、四月編クライマックスへ。ご期待ください。
【筆者補記】
■ 史実と創作の区別
【史実に基づく部分】
昭和19年1月26日、後藤隆之助邸での矢部と伏下の出会い。ビフテキと軍鶏料理、伏下が扇一登中佐と同期で独逸帰り、終電を逃して甲州街道を歩いて帰宅(矢部貞治日記)。
増田など海軍懇談会の常連に佐々弘雄・湯川盛夫・杉原荒太・矢牧章・扇一登・末沢慶政・伏下哲夫・天川勇らがいたこと、海軍懇談会で日本酒二升とスコッチを飲んだこと(矢部貞治日記昭和18年4月16日ほか)。佐々弘雄ら海軍ブレーンのネットワークと、古井喜実・山崎巌・町村金五ら内務官僚のネットワークは別個に機能し、矢部・高木が両者をつなぐ結節点であったこと、内務官僚との酒席は赤坂「千松」・木挽町「栄家」などで持たれたこと(矢部貞治日記)。
天川の満洲物動データ「決戦正面も決戦時期も少しも一致しないから物動が死んでしまふ」、17万トンの鋼材捻出案(矢部貞治日記・戦争指導刷新論原文)。
天川が軍令部第二部長・黒島亀人少将の許でドイツ開発の新兵器研究に従事中、同部長より東条打倒運動の要を説かれたこと(『高木惣吉 日記と情報 下』所収「高木惣吉略歴」)。黒島が新兵器による戦局逆転を説く意見書(通称「赤本」)を海軍省内に配布していたこと(阿川弘之『井上成美』)。
3月19日の汽車運休・新橋で2時間待ち・宮ノ下「奈良屋」着・天川夕方着・ママと大さん同行、東京箱根とも大雪、20日終日土砂降り(矢部貞治日記原文)。
「三人で協力して少し動くことに決定。手始めに高木さんに会って言ふことにした」(矢部貞治日記原文)。
3月28日、築地「増田」での高木との会合、高木の工作が三人の構想を凌駕していたこと(矢部貞治日記原文)。
高木の2月15日の岡田大将訪問・高松宮伺候・首脳刷新進言、近衛・原田・鈴木・米内・岡田・左近司らの歴訪、米内・末次の現役復帰力説(高木日記・終戦覚書)。
伏下の経歴(中津中学→海軍経理学校→現役のまま東大経済学部で河合栄治郎門下→独逸駐在→潜水艦で帰国→海軍省調査課→昭和19年2月内閣参事官)、矢部が「非常に卓抜な論策でこの人の頭のよさが判る」「人物益々よろし」と評したこと、コニャックや煙草「光」を同志に持たせる気前のよさ(伏下哲夫略歴・矢部貞治日記・吉松安弘『東條英機暗殺の夏』)。
天川の酒癖・組織内での孤立、矢部の酒好き・短気・二日酔い・炬燵好き・南瓜づくり(矢部貞治日記)。
矢部が海軍に協力する経緯――高木惣吉の海軍ブレーン・トラスト構想、西田幾多郎の推挙、田中耕太郎による依頼(昭和15年5月8日)、水交社で受けた印象「一片の辞令ではなくゲマインシャフト的で感銘」(矢部貞治日記・救国聖断の史)。
昭和研究会が右翼・軍部の「赤」非難で昭和15年秋に解散したこと、矢部・佐々弘雄・三木清・大河内一男・蠟山政道ら同会の知識人が高木の海軍ブレーン・トラストに移行したこと(高木惣吉日記解説ほか)。
昭和16年秋のゾルゲ事件(尾崎秀実逮捕)に際し、治安当局が昭和研究会の元メンバー(矢部・大河内ら)を追及しようとしたのを、高木惣吉が海軍省で突っぱねて庇護したこと(矢部貞治日記昭和17年3月18日)。
佐々弘雄の経歴(独仏英留学→九州帝国大学教授→マルクス経済学者との交友で大学を追われる→朝日新聞論説委員→昭和研究会で近衛のブレーン)。次男は後に警察官僚となる佐々淳行。
矢部と内務官僚(古井喜実・山崎巌・町村金五ら)の密接な関係、理論と機密情報を交換する持ちつ持たれつの間柄、町村警保局長が「増田」の特高からの保護を快諾したこと(矢部貞治日記)。当時の内務省が警察・消防・地方行政を一手に握る巨大官庁であったこと。
【創作部分】
前書き・後書きの矢部の晩年の回想。語りの形式と「梁山泊」「与太者」等の表現は創作。
有沢広巳が伏下を後藤邸へ連れてきたという経緯――出会いの席に有沢がいたこと、有沢が休職中の東大経済学部出身であったことは事実に基づくが、「有沢の引きで伏下が参加した」という因果は、両者が東大経済学部出身である点からの推定(ご提供のご見解に沿った再構成)。日記上、有沢はこの出会いの場面以外には登場しないため、本話でも第一章のみの登場とした。
後藤邸・増田・箱根での各台詞の細部は文学的演出。出来事・参加者・数字・天候は史実、語り口は創作。
高木が三人を実働部隊としてスカウトする「神輿が手足を欲しがっている」等の台詞――会合と高木工作の先行性は史実、具体的台詞は史料の文脈からの再構成。
天川が黒島少将の倒閣示唆を矢部に明かす場面――天川が黒島の許で新兵器研究に従事し黒島から東条打倒運動の要を説かれたのは史実(「高木惣吉略歴」)。ただし黒島の具体的な発言内容は史料に残らず、本作の台詞は黒島の戦局観(V1・V2への期待を説いた「赤本」)から再構成した創作。
古井の「我々は息をしながら国を救う」、ママの台詞等は創作。
高木が矢部を「矢部君」と砕けて呼び、矢部が「高木さん」と敬語で応じる呼称関係は、両者が昭和15年来の旧知である史実を踏まえた演出。
【人物紹介】
■ 矢部 貞治(やべ ていじ、1902-1967)
東京帝国大学法学部教授(政治学)。鳥取県出身。近衛文麿のブレーンとして昭和研究会に関与。昭和15年、西田幾多郎の推挙と田中耕太郎の依頼により海軍省嘱託となり海軍ブレーン・トラストの中核を担う。冷静沈着な理論家だが、酒好きで強くなく二日酔いに苦しみ、短気で神経質、冬は炬燵を恋しがり庭で南瓜を育てる人間臭い一面を持つ。陸軍の軍事独裁的志向を嫌い「陸軍をチェックする」ために海軍に協力した。本話の主人公・語り手。
■ 伏下 哲夫
海軍主計中佐(本話時点。5月1日付で大佐に昇進)。明治34年(1901年)大分県生まれ。中津中学・海軍経理学校を経て主計士官となり、現役のまま東京帝国大学経済学部に学んだ河合栄治郎門下の秀才。昭和13年から独逸駐在を命ぜられ、ナチス・ドイツの戦時経済と欧州の敗色を内側から実見、戦局悪化後は潜水艦で決死の帰国を遂げた。帰国後は海軍省調査課勤務。昭和19年2月には内閣参事官(綜合計画局)に任ぜられ、道州制や企業形態など国家の重要法案の立案にも携わった。感情に流されず論理だけで物事を詰める「氷のような知性」を持ち、兵科将校より文官のエリート官僚に近い洗練を備える。コニャックや煙草「光」を同志に振る舞う気前のよさも。扇一登中佐とは同年次。昭和19年1月26日、後藤隆之助邸で有沢広巳の引きにより矢部と出会い、以後「戦争指導刷新論」起草の中核を担う。のちに高木の東條暗殺計画にも表情ひとつ変えず加わる。
■ 天川 勇
海軍嘱託(のち海軍教授)。慶應義塾大学文学部講師から転身。経済・物資動員のデータ収集に執念を燃やす情熱の実務家。感情の起伏が激しく酒癖が悪い熱血漢で、組織内では浮きがちだが純粋に国を憂う。満洲物動データを集め軍部の作戦と物資動員の乖離を数字で暴いた。矢部とは高木の調査課長時代からの古い付き合いで「死なばもろともの意気で同志となった」仲。
■ 黒島 亀人(くろしま かめと、1893-1965)
海軍少将。広島県出身。海軍兵学校44期。連合艦隊で山本五十六長官の首席参謀を務め、真珠湾攻撃などの作戦立案に関与した「変人参謀」。本話時点で軍令部第二部長(軍備・戦備担当)。ドイツの報復兵器V1・V2による戦局逆転を狂信的に信じ「日本必勝」を説く意見書(通称「赤本」)を海軍省内に配布した。一方で東條の戦争指導には強い不満を抱き、部下の天川勇に東条打倒運動の必要を説いた。本話では天川の決起の引き金として言及される。
■ 有沢 広巳(ありさわ ひろみ、1896-1988)
経済学者。東京帝国大学経済学部助教授。人民戦線事件(教授グループ事件)で休職中。マルクス経済学者でありながら陸軍の戦争経済研究にも関与した。昭和19年1月26日、後藤隆之助邸に後輩の伏下哲夫を伴って現れ、矢部と伏下を引き合わせた。本話では第一章のみ登場。
■ 高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893-1979)
海軍少将。熊本県人吉出身。海軍兵学校43期、海軍大学校甲種29期首席卒業。貧農の出身で苦学して海兵に合格した異色の経歴。海軍省調査課長時代にブレーン・トラスト(後の「高木機関」の母体)を組織。本話時点で教育局長。反東條の中心人物として倒閣工作を主導し、本話で矢部ら三人を実働部隊として迎え入れる。
■ 佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897-1948)
政治学者・ジャーナリスト。独・仏・英に留学後、九州帝国大学教授となるが、マルクス経済学者との交友を咎められて大学を追われた。のち朝日新聞論説委員となり、昭和研究会に参加して近衛文麿のブレーンの一人となる。海軍ブレーン「政治懇談会」の中核で、特高警察に最も睨まれていた一人。増田の常連で酒豪。本話に登場。なお次男は、戦後に警察官僚としてあさま山荘事件を指揮した佐々淳行。父は特高に睨まれ、子は警察を率いたという奇縁を持つ。
■ 古井 喜実(ふるい よしみ、1903-1995)
内務官僚。鳥取県出身で、矢部とは中学時代の同級生にして大親友。本話当時(昭和19年)は茨城県知事。のち小磯内閣で警保局長(全国の警察・治安を統べる、現在の警察庁長官に相当)に就任。戦時下、海軍ブレーンや矢部と頻繁に機密情報を交換し、アジト「増田」を陰で支えた。戦後は衆議院議員・厚生大臣等を歴任。増田の常連。本話に登場。
■ 湯川 盛夫
外務省官僚。条約局・政務局の課長などを歴任。妻の父は元満鉄総裁で、のち鈴木貫太郎内閣の運輸通信大臣となる小日山直登。高木惣吉の懇請で南方の海軍軍政(司政官)に身を投じた経歴も持つ。海軍ブレーン「政治懇談会」の常連で、外務省ならではの国際感覚と分析力を提供した。本話に登場。
■ 杉原 荒太
大東亜省・外務省官僚。総務課長から支那局長・調査局長などを歴任。中国(重慶・延安)やソ連の動向に通じた切れ者で、新聞報道の裏にある大陸の実態を冷静に読み解いた。海軍ブレーン「政治懇談会」の常連。のちに高木・矢部とともに終戦外交を模索する「外交懇談会」構想にも関わる。本話に登場。
■ 後藤 隆之助
近衛文麿の側近。昭和研究会の中心人物。昭和19年1月26日、自邸で矢部と伏下を引き合わせた。
■ 扇 一登
海軍士官。矢部の親友。伏下哲夫とは同年次。本話で言及。
■ 山崎 巌(やまざき いわお、1894-1968)
内務官僚。福岡県出身。警保局長・警視総監・内務次官を歴任した内務省の大物。昭和19年1月から海軍司政長官・南西方面海軍民政府総監として南方に在勤し、同年7月に内務次官へ復任。敗戦後の東久邇宮内閣で内務大臣。戦後は自治大臣兼国家公安委員長等も務めた。矢部と親交が深く、戦中を通じ「増田」に出入りした内務省人脈の代表格として本話で言及。
■ 町村 金五
内務官僚。警保局長として全国の特高・治安を統括。東條内閣を見限り、天川勇を介して矢部らのアジト「増田」を特高の手入れから守ることを快諾した。矢部らにとって最大の「防波堤」。本話で言及。
■ 岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868-1952)
海軍大将。元内閣総理大臣。海軍最長老。本話では高木が2月15日に訪問し倒閣工作の了解を求めた人物として言及。
■ 高松宮 宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905-1987)
昭和天皇の弟宮。海軍大佐。本話では高木が2月15日に伺候し首脳刷新を進言した人物として言及。後に「戦争指導刷新論」を受け取り「闘う皇族」へと変貌する(中編・後編で詳述)。
【用語集】
■ 梁山泊
中国の小説『水滸伝』で、体制に容れられぬ豪傑たちが集った根城。転じて、一癖ある在野の人士が寄り集まる場を指す。本話では、肩書も本業もばらばらな男たちが酒を飲み天下国家を論じた料亭「増田」を、矢部が懐かしんでこう呼ぶ。
■ 高木機関
高木惣吉少将を頭とする、矢部・伏下・天川ら民間人・主計将校のグループに対し、憲兵や特高が陰で用いた呼称。当人たちは名乗らなかった。海軍省調査課時代に高木が組織した政治懇談会・綜合研究会といったブレーン・トラストがその母体。本話で母体となる実働チームが結成される。
■ 人民戦線事件
昭和12〜13年、反ファシズム人民戦線の結成を企てたとして社会主義者・自由主義的学者らが検挙された事件。第二次検挙(教授グループ事件)で有沢広巳ら東大経済学部の学者が休職・起訴された。本話の有沢の境遇の背景。
■ 昭和研究会
近衛文麿のブレーン組織。後藤隆之助が主宰し、矢部貞治・佐々弘雄・三木清・蠟山政道・大河内一男ら当代の知識人が集って国策を研究した。昭和15年秋、右翼・軍部から「赤」と非難され解散。その知的遺産と人脈の多くが、高木惣吉の海軍ブレーン・トラストへと受け継がれた。
■ ゾルゲ事件
昭和16年に発覚した国際諜報事件。昭和研究会の主要メンバーでもあった尾崎秀実が、ソ連のスパイとして逮捕された。治安当局はこれを機に昭和研究会の元メンバーを追及しようとしたが、高木惣吉が海軍省で突っぱね、矢部・大河内らを庇護した。
■ 満洲物動
満洲における物資動員(物資の生産・配分・輸送)。天川勇が集めたデータにより、太平洋の決戦正面に集中すべき資材が満洲に滞留し、決戦の物資的裏付けが「死んでしまう」状況が暴かれた。
■ 物動が死ぬ(ぶつどうがしぬ)
国家総力戦における兵站が完全に破綻すること。決戦正面と決戦時期に物資の動きが一致しないため、いかに作戦計画を立てても物資の裏付けがなく確実に敗北するという絶望的な状況を指す。
■ ブレーン・トラスト
高木惣吉が海軍省調査課長時代に、陸軍の暴走に対抗するため政治・経済・文化・哲学・言論界の有識者を集めて組織した頭脳集団。矢部貞治はその中核を担った。「高木機関」の母体。
■ 赤本
軍令部第二部長・黒島亀人少将が海軍省内に配布した意見書の通称。ドイツの報復兵器V1・V2が近く日本に供与され、米機動部隊も日本近海から消え去り、日本の勝利は疑いないと説いた、極度に楽観的な戦局見通しの文書(阿川弘之『井上成美』)。
■ 戦争指導刷新論
矢部貞治が起草し、伏下哲夫・天川勇が海軍機密データを提供して作成された極秘文書。「決戦必勝のためには東條内閣を打倒し戦争指導態勢を根本的に刷新する以外にない」と説く、極めて過激かつ論理的な倒閣のシナリオ。本話はその起草に至る実働チーム結成の物語。実際の起草は4月開始、5月3日完成、5月10日高松宮に呈上される(中編・後編で詳述)。
■ 料亭「増田」(ますだ)
築地にあった料亭。矢部ら「高木機関」の東京での隠れ家。女将と大さんが、戦時下の物資統制のなか貴重な酒と食糧を提供し彼らの工作を陰で支えた。
■ 千松・栄家
赤坂「千松」、木挽町「栄家」。矢部や高木が内務官僚(古井喜実・山崎巌ら)と密会し、機密情報を交換した酒席。海軍ブレーンの集う「増田」とは別個のネットワークの拠点で、防諜のため両者は厳格に分けられていた(矢部貞治日記)。
■ 奈良屋
箱根・宮ノ下の老舗旅館。昭和19年3月19日〜21日の第一次箱根合宿の舞台。雪と雨に閉ざされたこの旅館の奥座敷で、矢部・伏下・天川の三人が自発的に決起した。
■ 海軍乙事件
昭和19年3月31日夜、連合艦隊司令長官・古賀峯一大将が遭難・殉職した事件。本話(1月〜3月28日)の直後、3月31日に発生する。第48話前編・第49話で詳述。
【参考文献】
(表記は「著者『書名』出版社、刊行年」の順。本話の執筆にあたり特に以下の史料・文献に依拠した)
■ 一次史料(日記・覚え書・記録)
・高木惣吉述、実松譲編『海軍大将米内光政覚書』光人社、1978年
・伊藤隆ほか編『高木惣吉 日記と情報(上・下)』みすず書房、2000年
・矢部貞治著、日記刊行会編『矢部貞治日記(全四巻)』読売新聞社、1974年〜1975年
・高木惣吉『高木海軍少将覚え書き』毎日新聞社、1979年
・細川護貞『細川日記』中央公論社、1978年
・高松宮宣仁親王『高松宮日記』中央公論社、1995年〜1997年
・軍事史学会編『機密戦争日誌――大本営陸軍部戦争指導班(上・下)』錦正社、1998年
■ 回想録・伝記
・松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年
・加瀬俊一『加瀬俊一回想録(上・下)』山手書房
・種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房、1979年
・矢部貞治『近衛文麿』読売新聞社、1976年
・阿川弘之『井上成美』新潮社、1986年
・川越重男『救国・聖断の史』人吉中央出版社、2003年
■ 研究書
・鈴木多聞『「終戦」の政治史 1943―1945』東京大学出版会、2011年
・山本智之『「聖断」の終戦史』NHK出版新書、2015年
・山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮文庫、2013年
・吉見直人『終戦史 なぜ決断できなかったのか』NHK出版、2013年




