第49話「海軍乙事件(後編)――堀悌吉の涙」
◆ 前書き 堀 悌吉(ほり ていきち、海軍中将・予備役/浦賀ドック社長、戦後の回想)
わたしは堀悌吉。
明治十六年大分県の生まれ。海軍兵学校三十二期、首席卒業。山本五十六の海兵同期。古賀峯一の三十四期は二期下。
昭和九年、わたしは大角人事で予備役に編入された。海軍切っての俊才と謳われた身が、ロンドン海軍軍縮条約存続派の立場をとったゆえに艦隊派から葬られた。
あの時、山本五十六が「巡洋艦戦隊の一隊と一人の堀悌吉と、海軍にとってどっちが大切なんだ」と激怒した。あの男は本気で海軍を辞めると言い出した。ただわたしが引き留めた。
わたしは山本と古賀の三人で「三人兄弟のように」交わってきた。
昭和十八年四月、山本がソロモン上空で逝った。わたしは列車に乗り込み、山本の遺骨を胸に抱いて、東京駅まで運んだ。
その一年後、昭和十九年四月。今度は古賀が南太平洋の密雲のなかで、消えた。
戦後の静かな書斎で、わたしはあの日を思い起こしている。
昭和十九年二月十一日、古賀が東京に帰ってきた。作戦打合せのためであった。同月二十五日まで、二週間ほどの滞在。
二月十九日午後一時半、古賀はわたしと高木惣吉少将を、麻布笄町の自邸に呼んだ。長谷寺の側にある古賀邸。
高木が先に着いていた。わたしは別室で控えていた。
高木と古賀の対話は、二時間ほど続いた。声は途切れ途切れに、わたしのいる部屋まで聞こえてきた。
高木は懸命であった。中央の絶望的な実情を伝え、嶋田・永野体制への「膝詰め談判」を古賀に進言していた。
古賀は応えなかった。
午後三時半頃、わたしは部屋を出て、二人の前に座った。
古賀の卓上に、数枚の半折が広げられていた。すでに古賀が揮毫した墨書。
筆と硯が、卓の脇に置かれていた。
古賀はわたしを見て、わずかに笑った。
「堀、せっかく来てくれたんだ。何か書こう」
古賀は筆を執り、また一枚、半折に揮毫した。
一枚、二枚、三枚。
わたしは無言でその姿を見ていた。
古賀の筆運びは、いつもより、ゆったりとしていた。一画一画を噛みしめるように書いていた。
わたしは古賀の眼を見た。
穏やかな眼。ただし、その奥に深い覚悟が沈んでいた。
あの男は、覚悟していた――。
わたしには分かった。
絶対国防線。マリアナ群島。西カロリン諸島。サイパンか、ダバオか。古賀はそのいずれかを、自分の死所と定めていた。
ゆえにいまわたしの前で、書きすぎている。
遺墨として。
ただわたしはそれを口にしなかった。
古賀は二月二十五日にパラオへ発った。
四日後の二月二十九日、高木惣吉少将が浦賀船渠の社長室に、わたしを訪ねてきた。
「堀さん」
「先日借用の手紙写を、お返しに参りました」
「ご苦労」
わたしは古賀の半折を、机から一巻取り出した。
「これを、貴様にやろう」
高木は息を呑んだ。
「古賀長官の」
「ああ。二月十九日に書いたものだ。何枚か残っておる。貴様にも一巻、預けておこう」
高木は深く一礼して半折を受け取った。
「ありがたく」
あの時、わたしは高木に古賀の遺墨を分け与えた。
それがわたしにできる、最後のことだった。
高木はまだ、わたしの真意を、知らなかった。
ただわたしは知っていた。古賀がもう、生きて還らぬことを。
昭和十九年四月八日から四月二十日まで。海軍最長老・岡田啓介大将の凄味、堀悌吉中将の眼鏡の奥の涙そして連合艦隊司令長官・豊田副武大将からの託し――海軍中堅と長老が、ついに結集する十三日間の物語。
【本文】
一 四月五日――草鹿龍之介中将、連合艦隊参謀長へ
昭和十九年四月五日、水曜日。
俺は教育局長室で、書類の決裁を進めていた。
予備学生の淘汰方針。第二補充兵採用法の改善。保健特別訓練班の試行。事務的な局務が、机の上に積み重なっていた。
午前十時頃、神大佐が局長室に入ってきた。
「局長、奇妙な電報を見ました。NTF(南東方面艦隊)のサチ(参謀長)・草鹿龍之介中将に、GFのサチ(連合艦隊の参謀長)への電命が出ました」
俺は顔を上げた。
「草鹿がGF(連合艦隊)に?福留の後任、ということか」
俺はペンを置いた。
胸の奥で何かがざわついた。
(不自然な人事だ)
心の中で呟いた。
(前任の福留繁参謀長はつい先日まで、古賀長官と共にパラオで作戦指揮を執っておられた)
(その福留参謀長が、何故、急に外されたのか)
(電報には理由が一切記されていない)
「神大佐、GFの司令部に、何かが起きているな」
「ええ。それも、軍令部が公表できぬ事態が」
俺は深く頷いた。
神大佐は深く一礼して隣室に戻った。
俺は窓辺に立った。
目黒の春の空は、薄曇りであった。
胸の奥で何かが疼いていた。
(草鹿中将がGF参謀長に。福留参謀長はどうなったのか)
(パラオで、何が起きたのか)
ただ俺はこの時点ではそれ以上、推測のしようがなかった。
軍令部にも、軍務局にも、何も伝わってこなかった。
ただ機密の電報の一行――「草鹿中将、GFに電命」――それだけが俺に異変を、告げていた。
日記に記した。
「四月五日、南東方面艦隊参謀長草鹿中将がGFに電命されたことを聞き、GF司令部の異変を直感す」と。
この時、海軍乙事件の発生からすでに五日が経っていた。
ただ俺はその事件の真相を、まだ知らなかった。
二 四月七日――横須賀、テーブル・クロスの埃
二日後の四月七日、金曜日。晴。
俺は教育局長としての公務で、横須賀鎮守府を訪れた。午前八時五十八分、横須賀着。
管下の諸学校と航空隊の視察が、目的であった。横須賀鎮守府の諸学校と航空隊では、約三千名の予備学生が教育中であった。
ただ俺の胸の奥には、二日前の電報――草鹿中将のGF参謀長電命――がまだ、引っ掛かっていた。
横須賀鎮守府長官・豊田副武大将と面会した。
長官室。
豊田大将。明治十八年大分県の生まれ。海軍兵学校三十三期。「平家蟹」の異名をとる海軍長老。
豊田大将はわたしを迎えて、卓を挟んで座った。
「高木、よく来た」
「長官、本日はご視察の件で、よろしくお願い致します」
わたしは深く一礼した。
豊田大将はうなずいて、教育問題について話し始めた。
「予備学生のうち、成績が悪くて下士官に格下げせねばならぬ者が、約二百名いる。学生採用時に淘汰する必要があるが、学生から落ちた者に対する教育方針が決っていない。下士官として適当な教育が出来るような方針を、早く定めて示さねばならぬ」
「資格銓衡は早過ぎて却って学生に心的動揺を与えるから、六月卒業の者は三月の新兵教育の後で試験してはどうか。第二補充、第二国民の採用法は、経歴・技術を無視して非常に能率的でない。速やかに改善を望む」
「承りました」
わたしは深く頷きながら卓を見ていた。
ただ豊田大将の口から出てくるのは、事務的な細かな意見ばかりであった。
あの大将らしくない、と俺は思った。
平家蟹の異名をとる豊田大将はいつも自分の腹に蟠るものを、簡潔な一言で吐き出される人であった。それがいま、事務的な話に終始しておられる。
胸の奥に何か抑えておられるものがある。
俺は察した。
事務的な話が一段落したところで、わたしは政局に関する探りを入れた。
「長官、東京の空気は大分緊張して来たようですが、お代りになる匂いはしませんか」
豊田大将の眼がふと止まった。
大将は脇を向いた。
卓の上のテーブル・クロスに眼を落とした。
そしてしきりに、クロスの上の埃を払い始めた。
白い手がゆっくりと何度も卓を撫でた。
しばし沈黙が続いた。
やがて低い声が洩れた。
「フン、東條と嶋田ではネ……」
わたしは息を呑んだ。
大将はそれ以上、何も仰せられなかった。
ただテーブル・クロスの埃を、払い続けた。
わたしは無言で大将の手を見ていた。
(長官がテーブル・クロスを払う時は、何か胸に蟠るものがある証拠だ)
心の中で呟いた。
(あの仕草はただの癖ではない。あの方は、何かを抑えておられる)
ただ俺はその「何か」が何なのか、この時点では分からなかった。
俺はまだ知らなかった。
四月四日午後三時三十分、嶋田海相が大臣官邸に豊田大将を呼び、古賀長官の後任の連合艦隊司令長官として、豊田を内定させていたことを。
俺はまだ知らなかった。
古賀峯一連合艦隊司令長官がすでに三月三十一日夜、南太平洋の密雲のなかに消えておられたことを。
ただテーブル・クロスを払う大将の手から、わたしは何かを感じ取っていた。
「長官、本日は誠にありがとうございました」
わたしは深く一礼して長官室を出た。
廊下を歩きながら、わたしは振り返らなかった。
胸の奥で何かがざわついていた。
その日、わたしは横須賀から東京に戻り、茅ヶ崎の自宅に帰った。
夜、雨が降り始めた。
わたしは眠れなかった。
草鹿中将のGF参謀長電命。豊田大将のテーブル・クロスを払う仕草。「フン、東條と嶋田ではネ……」のひと言。
すべてが何かを指し示していた。
ただその「何か」が何なのか、わたしには、まだ分からなかった。
三 四月八日 朝――電信課を探る
昭和十九年四月八日、土曜日。雨。
俺は夜明け前から起きていた。
昨夜横須賀から帰った後、わたしは胸の奥のざわつきを抑えきれず、眠れなかった。
豊田副武大将のテーブル・クロスを払う仕草。「フン、東條と嶋田ではネ……」のひと言。連合艦隊参謀長後任の電報。
すべてが繋がる。GF司令部に、何かが起きている。
午前二時頃、雨が強まった。気象庁の観測では時間雨量二・五ミリの強雨。窓ガラスを叩く雨音が、夜のうちずっと続いていた。
俺は茅ヶ崎の自宅をいつもより早く出た。
東京の海軍省第一分室に着いたのは、午前八時前。
俺は教育局長室に入らず、まず軍務局へ向かった。
「軍務局長、おはようございます」
「ああ、高木少将。早いな」
「ええ。少々、お伺いしたいことが」
わたしは何気ない素振りで、最近の南方戦線の電報について、軍務局長に質問を投げた。
軍務局長は曖昧な返答をした。具体的な情報を、明かさなかった。
わたしは深く一礼して軍務局を出た。
次に軍令部へ向かった。同じく何気ない素振りで、参謀たちに南方の情報を尋ねた。
誰もが明らかに何かを隠していた。
最後にわたしは電信課へ向かった。
通信網の要である電信課。海軍のすべての電報がここを経由する。
わたしは電信課長に声をかけた。
「課長、ちょっと、よろしいですか」
わたしは声を落とした。
「先日来、GFから入っている電報の状況を、教えてくれ」
電信課長は一瞬、口ごもった。
「局長、それは――」
「秘電の存在はもう承知しておる。ただ確認したい」
電信課長は深く頷いた。そして声を低くした。
「四月二日午前三時三十五分、GF司令部全滅の秘電が入っております」
わたしは息を呑んだ。
「全滅、と」
「ええ。三月三十一日夜、GF長官・幕僚ともミンダナオに移動の途中、乗機と共に行方不明に陥り――」
わたしは唇を噛んだ。
「古賀長官は」
「行方不明と」
「後任は」
「横須賀鎮守府長官・豊田副武大将、と」
わたしはしばし無言だった。
胸の奥で何かが崩れていった。
昨日、横須賀でテーブル・クロスを払っていたあの豊田大将がいま、連合艦隊司令長官の後任に内定している。
あの「東條と嶋田ではネ……」のひと言の裏には、すでにこの内示があったのだ。
「課長、感謝する」
わたしは深く一礼して電信課を出た。
四 四月八日 朝――石川信吾少将の急報
教育局長室に戻った。
神大佐が局長室に入ってきた。
「局長、お顔色が」
わたしは答えなかった。
神大佐は深く頷いて隣室に戻った。
わたしは卓に座り、頬杖をついた。
(古賀長官が、逝った)
心の中で呟いた。
(山本長官に続いて、二代続けて、GFの最高指揮官が、戦死した)
(海軍は頭脳を、失った)
ただ頭が回らなかった。
書類を裁こうとしても、文字が頭に入らなかった。
午前九時を過ぎた頃、神大佐が再び入ってきた。
「局長、軍需省の石川少将が、お見えになりました」
「石川が」
「ええ。何のお約束も伺っておりませぬが、『高木に至急の用がある』と」
わたしは顔を上げた。
「お通ししろ」
神大佐は深く一礼して隣室に戻った。
しばらくして応接室に石川信吾少将が入ってきた。
石川少将。軍需省総動員局総務部長。海軍きっての「政治将校」。各方面に幅広い情報網を持つ、反東條派の同志。
石川の顔は、緊張で青ざめていた。
「高木」
石川は卓に身を乗り出した。声を落とした。
「オイ、古賀が死んだゾ」
わたしは息を呑んだ。
石川は深く頷いた。
「軍需省の方にも、極秘の情報が回ってきた。GF長官・古賀峯一大将、三月三十一日夜、パラオからダバオへの転進中、乗機ごと行方不明」
「俺もいま、電信課で確認した」
「ほう、貴様ももう知っておったか」
石川はわたしの卓に座った。
「嶋田を辞めさせるには、どうする」
わたしは口を開いた。
石川と二人で対策を話し合った。岡田大将への報告、堀中将への連絡、米内大将や末次大将の動かし方、木戸内大臣への直訴の段取り、高松宮殿下への伝達――。
話は次々と展開した。
ただ。
話の途中でわたしは自分が何を言っているのか、分からなくなった。
石川も同じだった。話が脱線し、また戻り、また脱線した。
二代続けて連合艦隊司令長官が戦死するという異常事態。冷静な情報分析家であるはずのわたしと迫力満点の石川少将が、共に話の筋道を失っていた。
午前十時頃、石川が立ち上がった。
「高木、わたしは軍需省に戻る」
「貴様はこれから岡田大将のところへ」
「堀中将にも、急ぎ知らせろ」
「分かった」
石川は深く一礼して局長室を出ていった。
わたしは卓の前でしばし呆然としていた。
(嶋田を辞めさせるにはああして、こうしてと二人で話合ったが、話の筋道を全く忘れてしまった。余程慌てていたと見える)
後日、わたしは日記にそう書いた。
あの朝の自分のうろたえぶりを、わたし自身、信じられなかった。
五 四月八日 昼――岡田啓介大将邸、押入れの狸
石川が帰るとわたしはすぐに教育局長室を出た。
神大佐に短く告げた。
「外出する。午後遅くなる」
雨のなかを車で走った。
午前十時頃、雨は一旦小降りになっていた。ただ空はどんよりと曇り、肌寒い春の日であった。
岡田啓介大将邸――角筈の邸宅。
邸の玄関でわたしは深く一礼した。
すぐに応接の間に通された。
岡田大将。明治元年福井県の生まれ、本年七十六歳。海軍兵学校十五期。元内閣総理大臣。「狸」の異名をとる、海軍最長老。
二・二六事件で反乱軍に襲撃され、義弟の松尾伝蔵大佐の犠牲によって奇跡的に難を逃れた老提督。
応接の間に岡田大将が入ってきた。
白髪の頭。深い皺の顔。ただ眼差しは鋭かった。
「高木、どうした」
「大将、急ぎご報告したきことが」
「うむ。掛けろ」
わたしは深く一礼して卓に着いた。
「大将、GF司令部全滅の秘電が、入りました」
岡田大将の眼が、ふと止まった。
「GF司令部、と」
「ええ。三月三十一日夜、古賀長官、パラオからダバオへの転進中、乗機ごと行方不明」
わたしは続けた。
「後任は豊田副武大将」
岡田大将はしばし無言だった。
白髪の頭がわずかに垂れた。
長い沈黙が続いた。
わたしは無言で大将を見ていた。
胸の奥で何かが疼いた。
(かつて二・二六事件のとき、首相官邸の女中部屋の押入れに隠れていた、あの老提督)
心の中で呟いた。
(押入れの布団の上で、いびきをかいて寝ていたという。女中たちがわざと自分たちも大きないびきをかいて、ごまかしてくれたという)
(後年、ご自身が「女だてらにいびきをかくのはおかしかった」とユーモアを交えて笑い話に語られた、あの老提督)
(あの「狸」がいま、白髪の頭を垂れて、無言でわたしの報告を受けている)
やがて岡田大将が顔を上げた。
眼差しが燃えていた。
「それは大変だ」
大将の声は低く太かった。
「年寄りもこうしてはおれん」
わたしは深く頷いた。
「一体どうすれば善いと思うか」
岡田大将はわたしの眼を見て、矢継ぎ早に問うた。
わたしは少し躊躇った。
ただ大将は答えを待った。
「大将、海軍中堅と長老の連携を、本格化させねばなりません」
「嶋田海相の更迭と、米内大将の現役復帰。米内大将と末次大将の和解。木戸内大臣の動かし方。高松宮殿下への伝達」
「ただ、若手だけでは政治を動かせません。長老の政治力が、不可欠です」
岡田大将は深く頷いた。
「分かった。今明日中に、木戸内府に会う」
「要すれば、東條とも会見する」
わたしは息を呑んだ。
あの東條と、岡田大将が直接会見する。
長年表舞台から退いておられた老提督がいま、海軍最長老として、東條打倒の主役となる決意を、固められた。
岡田大将の眼は燃え続けていた。
わたしは深く頷いた。
「大将、わたしはこれから堀中将のところへ」
「うむ。堀さんにも、よろしく」
わたしは立ち上がった。
深く一礼して応接の間を出た。
玄関で振り返ると、岡田大将はまだ奥の応接の間で、無言で座っていた。
白髪の頭がわずかに揺れていた。
あの老提督の決意の重みを、わたしはこの日、生涯、忘れない。
二・二六事件の押入れの「狸」がいま、東條打倒の「凄味」に変じていた。
六 四月八日 午後――海上ビルへの車中
岡田大将邸を出たのは、午前十一時頃。
午後二時近くから、また雨が強まった。気象庁の観測では時間雨量二・三ミリ。朝の雨と同じくらいの強さに戻っていた。
わたしは車で東京駅方面へ向かった。海上ビルの浦賀ドックは、東京駅丸の内口の真正面。和田倉門の近く。駅から徒歩数分の距離。
車中わたしは窓の外の雨を眺めていた。
胸の奥で何かが沈んでいた。
(堀さんに何と告げよう)
心の中で呟いた。
(山本長官の戦死を、堀さんは列車で遺骨を抱いて運ばれた。あの時の堀さんの顔を、わたしはいまも忘れぬ)
(今度はその一年後、古賀長官の死を、わたしが伝える)
(堀さんは「三人兄弟のように」交わった山本と古賀を、続けて失う)
(あの男の心は、察するに難くない)
車は雨のなかを進んだ。
丸の内のオフィス街に近づいた。
海上ビルの黒い影が、雨に煙って見えてきた。
七 四月八日 午後――堀悌吉中将、眼鏡の奥の涙
海上ビルに着いたのは午前十一時半過ぎ。
浦賀ドックの社長室はビルの上層階にあった。
わたしは受付で「高木と申します。社長にお会いしたい」と告げた。
すぐに通された。
社長室の扉を開けると、堀中将が卓の向こうに座っていた。
白い無造作な頭。眼鏡の奥の細い眼。穏やかな表情。
堀中将はわたしを見て、わずかに微笑んだ。
「高木か。よく来てくれた」
「お忙しいところを、恐れ入ります」
「いや、いま書類を裁いておったところだ。掛けたまえ」
わたしは卓の向かいに座った。
しばし沈黙が降りた。
わたしは深く息を吸った。
「堀さん」
「悲報を、お伝えに参りました」
「古賀長官、三月三十一日夜、パラオからダバオへの転進中、乗機ごと行方不明であります」
堀中将の顔から表情が消えた。
眼鏡の奥の眼が、しばし虚空を見た。
長い沈黙が続いた。
わたしは無言で堀中将を見ていた。
やがて堀中将が口を開いた。
いつもの無造作な口調であった。
「そらああんた、もう駄目じゃないか!」
わたしは深く頷いた。
堀中将は卓の上に視線を落とした。
眼鏡の奥に光るものが見えた。
わたしは胸の奥に熱いものが込み上げた。
(三人兄弟のようにしていた山本、古賀の両大将を続けて失った堀中将の心は、察するに難くない)
心の中で呟いた。
堀中将はしばし無言で、卓を見つめていた。
眼鏡の奥に光るもの。
しばらくして堀中将がぽつりと言った。
「どうも先だって帰った時、字を書き過ぎると思ったョ」
わたしは息を呑んだ。
二月十九日、麻布笄町の古賀邸。あの日、古賀長官が揮毫していた半折の数々。
あれを堀中将は「書きすぎ」と感じておられた。
あの時すでに堀中将は古賀長官の覚悟を見抜いておられた。
ただそれを口にされなかった。
二月二十九日、わたしが浦賀船渠を訪ねた時、堀中将はわたしに古賀長官の半折一巻を渡してくださった。あれは遺墨として、堀中将がわたしに分け与えてくださったものだったのだ。
わたしはあの時、その真意を知らなかった。
いま、それが分かった。
「堀さん」
わたしは静かに言った。
「あの半折はいまも、わたしの机の脇に置いてあります」
「大切に預からせて頂きます」
堀中将は深く頷いた。
眼鏡の奥にまだ光るものがあった。
ただ堀中将はそれ以上、涙を見せなかった。
武人として、最後の親友の死を、静かに受け止めておられた。
わたしはしばし無言で、堀中将を見ていた。
胸の奥で何かが震えていた。
二代続けて、連合艦隊司令長官が戦死した。
海軍は頭脳を失った。
ただ堀中将の前で、わたしはそれ以上の言葉を、見つけられなかった。
「堀さん、わたしはこれにて」
わたしは深く一礼して立ち上がった。
「ご苦労であった」
堀中将はわずかに頷いた。
社長室を辞した。
扉を閉める時、振り返ると、堀中将はまだ卓の前で無言で座っていた。
眼鏡の奥が雨に濡れた窓の光に、わずかに光っていた。
八 四月八日 夕方――東京駅、最早決戦も何も
海上ビルを出たのは、午後二時頃。
雨はまた強まっていた。気象庁の観測では時間雨量二・三ミリ。朝と同じくらいの強い雨。
わたしは丸の内口から東京駅に入った。
ホームで列車を待ちながら、傘を斜めに構えた。
胸の奥に深い疲労が沈んでいた。
昨夏来の胃酸過少症が、こんな日に限って悪くなっていた。胃の奥で、酸の足らぬ重みが、ぐっと沈んでいた。
肌寒い雨がホームの屋根を打っていた。
わたしは無言で列車を待った。
(GFの最高指揮官が、二代も相次いで討死するようでは――)
心の中で呟いた。
(最早、決戦も何も、時機を失ってしまったように思われて来た)
胃の奥がぐっと沈んだ。
列車が来た。
わたしは茅ヶ崎方面の客車に乗り込んだ。
車中わたしは窓辺の席に座った。
窓の外で雨が降り続いていた。
列車が動き出した。
東京駅のホームが雨の中で徐々に遠ざかっていった。
わたしは無言で窓の外を眺めていた。
胸の奥で何かが終わっていく音が聞こえた。
昭和十八年四月、山本長官、戦死。
昭和十九年三月、古賀長官、戦死(のち嶋田海相の裁定で殉職扱い)。
二代続けて、連合艦隊司令長官が敗れた。
海軍は頭脳を失った。
戦はもう、駄目だ。
ただ。
わたしは窓辺で、唇を噛んだ。
(ただし、わたしには、まだやるべきことがある)
心の中で呟いた。
(岡田大将が立ち上がってくださった)
(堀中将も、半折を、わたしに託してくださった)
(嶋田・東條体制を打倒し、戦争を一日も早く終わらせる――それがわたしのこれからの戦いだ)
(あの三月二十八日、有馬正文がわたしに託した遺言――同期の有馬や同僚の多くが第一線で死闘を続けていることを思えば、内地にいる自分が命をかけて成し遂げねばならぬ任務だ――)
わたしは深く息を吸った。
春の冷たい雨が車窓を流れていった。
窓の外で東京の街が、灰色に煙っていた。
あの夜、わたしは茅ヶ崎の自宅に帰った。何時に着いたか、その夜、家で何をしたか、わたしは日記に書かなかった。
日記の昭和十九年四月八日の項は、東京駅から帰途に就いた、その記述で完全に幕を閉じている。
ただ翌朝、わたしは新しい一日を始めた。
戦争を終わらせるための、新しい戦いを。
九 四月十四日――ほころびる秘密
四月十四日、金曜日。
俺は教育局長室で執務していた。
神大佐が局長室に入ってきた。
「局長、内輪の情報でありますが」
「内閣書記官長が、海軍乙事件の全容を察知しておられる、との報告であります」
俺は深く息を吐いた。
「警視庁警保局長、神奈川県警察部長からも、横浜・横須賀方面で古賀長官の行方不明と福留参謀長の捕囚の風評が、しきりに流布しているとの報告であります」
「海軍中枢は事件を一般閣僚にも秘匿せんとされておりますが、もはや限界かと」
俺は深く頷いた。
海軍がいかに秘密主義を貫こうとも、二代続けて連合艦隊司令長官が戦死し、参謀長が敵ゲリラの捕虜となったという事実はもう、隠しきれぬ。
その日の午後、福留参謀長以下の生還者三名を乗せた輸送機がセブ市からマニラを経て、内地へ向かったとの報も入った。
「神大佐」
「海軍乙事件の秘密が漏れることはもはや、避けられぬ」
「ただ問題はそこではない。古賀長官と幕僚の死――海軍は頭脳を失ったということだ」
「中央の刷新を、急がねばならぬ」
神大佐は深く一礼して隣室に戻った。
俺は卓に座り、ペンを取った。
倒閣工作の段取りを、手帳に書き付けた。
ただ書類には残さなかった。すべては口頭でやり取りする。
四月八日の悲報から、まだ六日しか経っていなかった。
ただ俺の胸の奥ですでに戦争を終わらせるための工作の歯車が、回り始めていた。
十 四月十五日――豊田副武大将、権道の決意
四月十五日、土曜日。
俺はこの日付で、海軍大学校教頭を兼務することになった。
三浦半島長井に開設された予備生徒教育の開校式に臨んだ後、横須賀鎮守府に立ち寄った。
目的は豊田副武大将への挨拶。
ただし豊田大将はもはや横須賀鎮守府長官ではなかった。
四月十五日付(内定はそれ以前)で、後任の連合艦隊司令長官に親補されていた。「東條と嶋田ではネ……」とテーブル・クロスを払っていたあの大将がいま、GF長官に内定している。
長官室に通された。
豊田大将はわたしを見て、わずかに笑った。沈痛な笑みであった。
「高木、よく来た」
「長官、今回は洵に御重責で、お喜びを申し上げてよいかどうか、迷っております」
わたしは深く一礼した。
月並みな挨拶であった。ただほかに言葉が見つからなかった。
豊田大将は深く息を吐いた。
「三日にGFの親展電を傍受したとき、一瞬頭に浮んだ雑念はすぐに払いおとしたが、四日に東京に呼ばれたとき『来たナ』という気がした」
「一五〇〇までに来いというので着いてみると、嶋田大臣はまだ査察報告を聞いとるといって三十分以上も待たされた。漸く出て来たかと思うと、『古賀が殉職したからGFに出てもらいたい』とおっかぶせて来た。恐らく思うツボで天佑とでも考えたことだろう」
わたしは深く頷いた。
「むろん僕は固辞した。その任でもないし自信もない。適任は南雲だと名指して辞退したが、嶋田は『君がGFの最適任と信ずる。このことは既に伏見元帥宮殿下も御同意のことだ』という。しかも四時半には内奏の手続きがしてあるから、と否応をいわせない態度、四時十五分まで押問答したがどうにもならない仕組みにかけられた」
「僕はみすみすハメ手にかけられたとは思ったが、覚悟をすえて引受けた」
豊田大将は卓に拳を握り締めた。
「条件という訳ではないが、と前提し、嶋田にこう言った」
豊田大将は声を改めた。
「『国内態勢がこのままでは戦は負けると思う。この態勢は速かに建て直さなければ、GFに出ていつも後髪を引かれておって戦は出来ぬ。今日あなたは大臣であり、総長であるから、皆あなた以外にやる者はいない。大臣総長がシッカリやって貰わなければGF長官の任務は果せない』」
わたしは息を呑んだ。
豊田大将は嶋田の前で、海軍大臣・軍令部総長兼任体制への厳しい批判を、ぶつけられた。
あの「東條と嶋田ではネ……」のテーブル・クロスの仕草の裏には、すでにこの決意があったのだ。
「長官、ご決意、しかと、伺いました」
わたしは深く一礼した。
「ただ、嶋田を更迭しなければ、戦は出来ぬ」
豊田大将はわたしの眼を見た。
「もし万一、僕が大臣になる機会があったら、即刻、総長の専任をおく考えでいた。人はやはり末次大将か、米内大将だろうか」
「作戦は末次さんだが衆望の中心は米内さんだ。次官は気の毒だが井上(成美)にする考えであった」
わたしは深く頷いた。
末次信正、米内光政、井上成美――海軍長老と中堅の連携による、新しい海軍体制の構想。
「ただ、まずは嶋田を更迭せねばならぬ」
豊田大将は声を低くした。
「それでは、権道だが高松宮様から陛下に通じてもらうより外はない」
わたしは息を呑んだ。
権道――異例の手段。高松宮殿下を通じて、陛下に直接、嶋田更迭をお願いする。
通常の海軍人事ではもはや不可能な事態。
豊田大将は海軍の正規の指揮系統では嶋田を動かせぬと判断され、宮中からの「権道」に賭けると決められたのだ。
長官室を辞した。
雨は降っていなかった。曇り空であった。
春の冷たい風が、横須賀鎮守府の中庭を吹き抜けていた。
わたしは横須賀の駅まで、ゆっくりと歩いた。
胸の奥で何かが燃え始めていた。
十一 四月二十日――伏下哲夫主計大佐、あとは頼む
四月二十日、木曜日。
俺はこの日も教育局長室で公務をこなしていた。
予備学生の淘汰方針、第二補充兵採用法の改善、保健特別訓練班の試行――事務的な局務は、悲報の朝から十二日が経っても、変わらず机の上に積み重なっていた。
午後、伏下哲夫主計大佐が局長室に入ってきた。
伏下大佐。海軍主計大佐。倒閣工作の同志。
俺の最も信頼する腹心の一人。
「局長いま、横須賀から戻りました」
伏下大佐は卓の前に立ち、深く一礼した。
「昨二十日、わたしは豊田大将を横須賀鎮守府に訪問いたしました」
「目的は、長官が中央に対し就任時に申入れられた希望事項について、その後の対応の腹合わせをするためであります」
「わたしは申し上げました――『長官、GF赴任前にその希望事項を大臣に申入れたところで、それを受け容れる態勢は出来ていないと思います』と」
「末次大将と高橋三吉大将から伝言を承りまして、参謀本部、軍令部、海軍省――いずれにおいても、嶋田更迭の機運は容易に熟さぬ旨を、申し上げました」
「その上で、わたしは長官に伺いました――『何かわれわれとして心得うべきことがあれば、承りたい』と」
俺はしばし無言で、伏下大佐の顔を見ていた。
胸の奥で何かが、ざわついていた。
豊田長官は何を仰せられたか。
「長官はこう仰せられました」
伏下大佐は声を改めた。
「『GFに出ると連絡もなくなるし、万事高木が心得てるようだから』と」
俺は息を呑んだ。
「『多くを語らなかった』とのことであります」
伏下大佐は深く頭を下げた。
俺は無言で卓を見つめていた。
長い沈黙が続いた。
胸の奥で何かが、震えていた。
(豊田長官は俺に、すべてを託された)
心の中で呟いた。
(連合艦隊司令長官・豊田副武大将。前線へ出撃される、海軍の最高指揮官)
(あの方がいま、俺に「あとは頼む」と仰せられた)
(GFに出れば連絡もなくなる、と。だから、すべてを俺に任せる、と)
「伏下大佐」
俺は静かに口を開いた。
「長官は他に、何か仰せられたか」
「ええ。永野元帥のことを、申されました」
「『永野は自分で天才と思込んでるから危険。この際の大臣としては疑問だ』と」
「新体制の構築に向けて、的確な人物評と牽制の言葉を、言い残されました」
俺は深く頷いた。
豊田長官はご自分が前線に出られる前に、後継の海軍中枢人事についてまで、俺に指針を示された。
永野は危険。米内が衆望の中心。井上が次官に。
すべてが繋がっていく。
「伏下大佐、ご苦労であった」
「長官のご決意、しかと、承った」
伏下大佐は深く一礼して隣室に戻った。
俺は窓辺に立ち、午後の空を眺めた。
雨は上がっていた。雲の切れ間から、わずかに春の陽が差していた。
目黒の街を、淡い陽光が照らしていた。
俺は深く息を吸った。
胸の奥で何かが、燃え始めていた。
(岡田大将は四月八日に立ち上がってくださった)
心の中で呟いた。
(堀中将は古賀長官の半折を俺に託してくださった)
(豊田長官はいま、俺に「あとは頼む」と仰せられた)
(米内大将、末次大将、井上中将、加瀬俊一、松平康昌――そして陸軍の同志、酒井鎬次中将――)
(すべてがいま、繋がっていく)
(嶋田更迭、米内現役復帰、東條打倒――俺の戦いは、ここから本格化する)
俺は窓辺で深く息を吸った。
春の夕暮れの光が目黒の街を、淡く染めていた。
春は、まだ、終わっていなかった。
◆ 後書き 岡田 啓介(おかだ けいすけ、元内閣総理大臣・海軍大将、戦後の回想――昭和二十五年、角筈の自邸)
わしは岡田啓介。
慶応四年福井県の生まれ。本年八十二歳。海軍兵学校十五期。元内閣総理大臣。
昭和二十年八月十五日、聖断によって戦争は終わった。
あれから、五年が経った。
わしは戦後再び総理大臣にはならなかった。海軍も、解体された。ただわしはこうして角筈の自邸で、戦後の静かな日々を過ごしておる。
白髪は、いっそう白くなった。深い皺は、いっそう深くなった。
ただわしの胸の奥には、あの昭和十九年の春の日々の記憶がいまも、生々しく残っておる。
昭和十九年四月八日、土曜日。雨。
その日の朝、海軍省第一分室の教育局長・高木惣吉少将が、わしの邸を訪ねてきた。
高木の顔は青ざめておった。
「大将、急ぎご報告したきことが」
わしはすぐに察した。
二月以来、海軍中央に何かが起きておった。古賀峯一連合艦隊司令長官がパラオに進出して、米機動部隊の反復攻撃の只中に、艦隊司令部を置いておられた。サイパンかダバオを、ご自分の死所と覚悟しておられたと、後に聞いた。
高木の口から、それが告げられた。
「大将、GF司令部全滅の秘電が、入りました」
わしの胸の奥で何かが、止まった。
古賀が逝った。
昨年四月の山本五十六に続いて、二代続けて、海軍の最高指揮官が、前線で討たれた。
わしは白髪の頭をわずかに、垂れた。
長い沈黙の後、わしは顔を上げた。
「それは大変だ。年寄りもこうしてはおれん。一体どうすれば善いと思うか」
わしは高木に、矢継ぎ早に問うた。
後に高木は、あの時の自分の心境を、こう書き残した。「畳みかけた真剣な大将の態度には頭が下ると同時に、凄味を感じさせるものがあった」と。
「凄味」――そう、あの朝のわしには、確かに「凄味」があったかもしれぬ。
ただわし自身の胸の中にあったのは、ただ一つの覚悟であった。
戦争を終わらせる。
そのためには、まず東條内閣を倒さねばならぬ。そのためには、嶋田海相を更迭せねばならぬ。
二月の時点では、わしはまだ動いていなかった。情報網は持っておった。長男の貞外茂は軍令部第一部第一課で作戦主任、義弟の松尾の女婿の瀬島龍三は陸軍参謀本部、女婿の迫水久常は企画院。月に一度、わしの邸に集まって食事をする彼らから、政府が高官にすら隠している戦争の真相が、手に取るようにわかっておった。
ただわしは情報を集めるだけで、表立っては動かなかった。動く時機を、待っておった。
四月八日の朝、その時機が来た。
古賀の死は、わしの胸の奥で何かを焼き切った。
もはや動かぬわけにはいかぬ。
「今明日中に、木戸内府に会う」
わしは高木に告げた。
「要すれば、東條とも会見する」
高木は息を呑んだ。
わしは知っておった。あの「狸」と呼ばれた老提督が、戦争を終わらせるためには、東條と直接対決する以外に道はないと。
高木は深く頷いた。
あの少将は俺の眼を見て、覚悟を共有した。
高木が辞した後、わしは応接の間に一人で残った。
白髪の頭をわずかに、垂れた。
胸の奥で何かが、燃え始めておった。
二・二六事件のとき、わしは女中部屋の押入れで、いびきをかいて寝ておった。あの時のわしはただ、生き延びることに必死だった。義弟の松尾伝蔵が、わしの身代わりに、銃弾に倒れた。
ただあの時のわしはまだ「狸」であった。
いま、わしは「狸」ではない。
古賀峯一が密雲のなかに消えた。山本五十六がソロモン上空で散った。何百万もの将兵が、無謀な戦争のなかで、命を散らしておる。
わしはもう、押入れに隠れてはおれぬ。
ここから、わしの不眠不休の奔走が始まる。
四月十一日、わしは木戸幸一内大臣を訪ねた。海軍部内のモヤモヤしているものが悪い方向に進んでおる、と切り出した。木戸は、二月中旬の夜十二時近くに東條が訪ねてきて、参謀総長の兼任を申し入れてきた経緯を、打ち明けた。
四月十二日、重臣と政府との懇談会で、東條は一時間も独演会を演じた。船舶被害が少なくなったことを吹聴した。事態の真相を知っているのは私と嶋田だけだ、と豪語した。重臣たちは呆れ果てた。わしは翌十三日、高木にそれを伝えて、「次回からは総理官邸にてアッサリ御馳走だけ食うことに話合わせた」と告げた。
その後、四月十五日に新任の連合艦隊司令長官・豊田副武大将が、嶋田大臣の前で「国内態勢がこのままでは戦は負ける」と決意を述べたことを、高木から聞いた。豊田は「権道だが高松宮様から陛下に通じてもらうより外はない」とまで言い切った。
四月二十日、豊田大将は伏下哲夫主計大佐経由で、高木に「あとは頼む」と託した。あの新任のGF長官は自分が前線に出れば連絡もなくなる、ゆえに高木にすべてを任せる、と決断した。
わしはその報を高木から聞いた時、深く頷いた。
海軍最長老のわし、無二の親友を失った堀悌吉中将、新任のGF長官・豊田副武大将――三人がそれぞれの立場で、高木という一人の中堅少将に、すべてを託した。
高木は背負った。
あの少将は背負った。
四月八日の朝から十三日が経った四月二十日の夕暮れに、ようやく海軍中堅と長老が結集する地盤が、できた。
ただしそれは長い闘いの、ほんの始まりに過ぎなかった。
四月、五月、六月、七月――わしの不眠不休の奔走は、続いた。
米内光政と末次信正の和解工作。藤山愛一郎邸での三大将秘密会談。木戸内大臣・伏見宮博恭王・高松宮宣仁親王への働きかけ。
六月二十七日、わしは東條に呼ばれた。「海軍の若い者共が嶋田のことを言うのは怪しからぬ」と圧力をかけられた。わしはこう答えた。「若い者に罪は無い。嶋田では行かぬと考えたのは私である」と。
七月十七日、平沼騏一郎邸に重臣が集まった。わしは決議文をまとめた。「一部改造の如きは何もならぬ」と。
翌七月十八日、東條内閣は総辞職した。
あの四月八日の朝、高木が駆け込んできた時、わしは「年寄りもこうしてはおれん」と告げた。あの一言から、すべてが始まった。
ただそれはまた、別の物語である。
わしは戦後、角筈の自邸で、ただ静かにあの春の日々を回想する。
白髪の頭をわずかに、垂れる。
胸の奥にいまも、あの「凄味」の朝の、雨の音が、響いておる。
【次回予告】
第五十話「決戦必勝の幻想――矢部貞治の『戦争指導刷新論』、豊田大将の絶望」。
昭和十九年四月十八日から五月三日まで。
矢部貞治・東京帝国大学教授は、決戦必勝のための戦争指導刷新を、渾身の意見書として書き上げる。
ただしその執筆の最中、新任の連合艦隊司令長官・豊田副武大将は、高木惣吉少将にこう告白する。
「自分は古賀の後を承けて聯合艦隊に出ることになったが、率直に告白する、戦局の挽回成算がない、陸軍飛行機を向けるにしても、最早、間に合わぬ」
最高指揮官の口から、決戦必勝の前提が、崩壊する瞬間。
四月二十三日、矢部・伏下大佐・天川は横須賀に豊田大将を訪ね、「戦争指導刷新論」の草案を見せる。豊田は「三回熟読し全く同感だ」と賛同する。ただし、その「同感」には、悲愴な覚悟と建前が入り交じっていた。
高木はそれを内心、深く感じ取る。
決戦必勝という幻想が崩壊しながら、矢部らは渾身の意見書を完成させる。
【人物紹介】
■ 高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893-1979)
海軍少将。熊本県出身。海軍兵学校43期、海軍大学校甲種学生第29期首席卒業。本話時点で海軍省第一分室・教育局長、4月15日付で海軍大学校教頭を兼務。本話の主人公。
■ 古賀 峯一(こが みねいち、1885-1944)
海軍大将。佐賀県出身。海軍兵学校34期。連合艦隊司令長官。昭和19年3月31日夜、パラオからダバオへの転進中、二式飛行艇第一番機ごと密雲に消え、海軍乙事件で殉職。享年58。海軍元帥に追贈。本話では悲報の主役として登場。
■ 堀 悌吉(ほり ていきち、1883-1959)
海軍中将(予備役)。大分県出身。海軍兵学校32期、首席卒業。山本五十六の海兵同期、無二の親友。古賀峯一とも親密で、三人で「三人兄弟のように」交わった。昭和9年、大角人事で予備役編入。本話時点では浦賀ドック社長。本話の前書きの語り手。
■ 岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868-1952)
海軍大将。福井県出身。海軍兵学校15期。元内閣総理大臣。二・二六事件(昭和11年2月26日)で反乱軍に襲撃され、義弟・松尾伝蔵大佐の犠牲で奇跡的に難を逃れた老提督。本話時点で角筈に居住。海軍最長老として東條内閣打倒工作の主役となる。「狸」の異名をとる巧智で清貧な人柄。本話の後書きの語り手。
■ 石川 信吾
海軍少将。本話時点で軍需省総動員局総務部長。海軍きっての「政治将校」、反東條派の同志。各方面に幅広い情報網を持つ。
■ 豊田 副武(とよだ そえむ、1885-1957)
海軍大将。大分県出身。海軍兵学校33期。「平家蟹」の異名。本話時点で横須賀鎮守府司令長官、4月15日付で連合艦隊司令長官に親補。本話の中盤で「権道」を口にした人物。
■ 伏下 哲夫
海軍主計大佐。高木惣吉の腹心で倒閣工作の同志。4月20日、横須賀の豊田大将を訪問し、豊田の伝言「あとは高木が心得てる」を高木に伝えた。
■ 山本 五十六(やまもと いそろく、1884-1943)
海軍大将。連合艦隊司令長官。昭和18年4月18日、ソロモン上空で戦死。堀悌吉と海兵32期同期、無二の親友。本話で言及される。
■ 木戸 幸一(きど こういち、1889-1977)
内大臣。本話で岡田大将が4月10日(実際は4月10日と4月11日)に訪問した相手。岡田の倒閣工作の重要な相手。
■ 東條 英機(とうじょう ひでき、1884-1948)
陸軍大将、首相、陸相、参謀総長兼任。本話の倒閣工作の対象。
■ 嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう、1883-1976)
海軍大将。海相、軍令部総長兼任。本話の倒閣工作の対象。
■ 米内 光政(よない みつまさ、1880-1948)
海軍大将(予備役)。元首相、元海相。本話で言及。海軍長老として東條打倒工作に参加。
■ 末次 信正(すえつぐ のぶまさ、1880-1944)
海軍大将(予備役)。元連合艦隊司令長官。艦隊派の代表格。本話で言及。
■ 神 重徳
海軍大佐。本話時点で海軍省第一分室の高木の腹心。
■ 高橋 三吉(たかはし さんきち、1882-1966)
海軍大将(予備役)。本話で伏下大佐が豊田訪問の際に「末次大将と高橋三吉大将からの伝言」として言及。
■ 永野 修身(ながの おさみ、1880-1947)
海軍元帥。元軍令部総長。本話で豊田大将が「永野は自分で天才と思込んでるから危険」と評した人物。
■ 井上 成美(いのうえ しげよし、1889-1975)
海軍中将。本話時点で第四艦隊司令長官。豊田大将が次官候補として名指した人物。後に海軍次官に就任。
【用語集】
■ GF(連合艦隊)
日本海軍の主要作戦部隊。本話では「GF司令部全滅の秘電」「GF長官」「GF親展電」など、海軍内の隠語として頻出。
■ 海上ビル
東京駅丸の内口の真正面、和田倉門の近くに建っていた「東京海上ビルディング(旧本館)」。現在の東京都千代田区丸の内1丁目。浦賀ドックの本社が入居していた。
■ 浦賀ドック(浦賀船渠)
日本の造船会社。本話時点で堀悌吉中将が社長を務めていた。海上ビルに本社。
■ 海軍大学校教頭
高木惣吉は本話時点(昭和19年4月15日付)で、教育局長に加えて海軍大学校教頭を兼務するようになった。
■ 「権道」(ごんどう)
通常の手段ではなく、異例の手段。豊田大将が嶋田更迭のために「高松宮殿下から陛下に通じてもらう」と決意した手段を指す。
■ 二・二六事件
昭和11年2月26日、陸軍青年将校が起こしたクーデター未遂事件。岡田啓介首相は反乱軍に襲撃され、義弟の松尾伝蔵大佐の犠牲によって難を逃れた。本話では岡田大将が「狸」の異名をとる経緯として言及。
■ 大角人事
昭和9年から10年にかけて、大角岑生海相の下で行われた大規模な人事異動。ロンドン海軍軍縮条約存続派(条約派)の将官が次々と予備役に編入された。堀悌吉もこの人事で予備役に編入。
■ 「凄味」
高木が日記で岡田大将について用いた表現。長年表舞台から退いていた老提督が、海軍乙事件を契機に東條打倒の主役として立ち上がる気迫を示す。
■ 「字を書き過ぎる」
堀悌吉中将が4月8日に古賀長官の戦死を知った際、「先だって帰った時、字を書き過ぎると思ったョ」と述懐した言葉。2月19日の麻布笄町・古賀邸での会合の際、古賀がいつになく多くの揮毫をしたことを指し、堀がそれを「死の予感」として読み取っていたことを示す。
■ 「最早決戦も何も時機を失ってしまったように思われて来た」
高木惣吉が昭和19年4月8日の日記の末尾に書いた述懐。山本五十六、古賀峯一と二代続けて連合艦隊司令長官が戦死したことへの絶望感を示す。この記述で日記の4月8日の項は完全に幕を閉じる。
■ 「あとは高木が心得てる」
昭和19年4月20日、新任の連合艦隊司令長官・豊田副武大将が、伏下哲夫主計大佐経由で高木惣吉少将に託した伝言。前線へ出撃するため自ら中央の政治工作はできない、ゆえに高木にすべてを任せる、という決意の表明。本話のクライマックス。
■ 海軍乙事件(再掲)
昭和19年3月31日夜から4月1日未明にかけて発生した、連合艦隊司令長官・古賀峯一大将と幕僚の遭難事件。前年の昭和18年4月18日の山本五十六長官戦死(海軍甲事件)に続く、二代続けての連合艦隊司令長官の喪失。




