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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第5章 海軍少将:高木惣吉編(昭和17(1942)年6月~)

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第48話「海軍乙事件(前編)――最高機密、奪われる」

◆ 前書き 岡村 松太郎(海軍中尉、第八〇二航空隊/二式大型飛行艇機長、出撃前夜の独白)


 わたしは岡村松太郎。


 海軍中尉。第八〇二航空隊所属。二式大型飛行艇の機長。


 明日は昭和十九年三月三十一日。パラオから連合艦隊司令長官・古賀峯一大将以下司令部幕僚を、フィリピンのダバオへ輸送する任務に就く。


 わたしは不安だ。


 ダバオは初めての行先だ。フィリピン方面の飛行経験がわたしにはない。


 数年前、船上から見ただけのダバオ。海図と気象資料は頭に叩き込んだ。ただ夜間飛行で密雲を抜けてダバオの水面に着水する――それは想像のなかでしかできない。


 第一番機の機長は灘波正忠大尉。海兵時代の先輩だ。長官搭乗の機を灘波さんが操縦される。


 わたしの機――第二番機――には福留繁参謀長、山本祐二作戦参謀以下、十三名が便乗される。


 司令部幕僚の生命を、わたしの操縦に託される。


 不安だ。


 ただわたしは口に出さぬ。海軍中尉として機長として、不安は腹の底に沈めて平静に飛ばさねばならぬ。


 わたしには妻も子もある。ただいまその顔は頭から消している。


 明日の夜、わたしは二式大艇を操縦して密雲のなかへ進む。


 ただそれだけだ。


 昭和十九年三月三十一日から四月十二日まで。連合艦隊司令長官・古賀峯一大将の遭難と、福留繁参謀長らの捕虜となった十二日間の物語。海軍乙事件の生々しい記録を、機長・岡村松太郎中尉の視点から描く。


一 三月三十一日 夕――敵機来襲の急報


 昭和十九年三月三十一日、午後六時頃。


 わたしは二式大型飛行艇の機内で最後の点検を進めていた。


 パラオ近海の停泊地。夕暮れの海はすでに灰色に翳り始めていた。


 燃料補給班がわたしの機――二番機――に補給管を繋ぎ始めていた。


 燃料補給班の指揮は高橋光雄兵曹長。


「機長、燃料は満タンに、して頂きます」


「うむ。頼む」


 高橋兵曹長は深く頷いて補給作業を始めた。


 ダバオまでの航続距離を考えれば、満タンは絶対に必要だった。途中で悪天候に遭遇した場合の予備燃料も必要だった。


 午後八時前、海岸の方角からけたたましいサイレンが鳴り響いた。


 空襲警報。


 わたしは機外に飛び出した。


 「敵機編隊接近中」――情報将校が大声で叫んだ。


 司令部幕僚たちが慌てふためいて機の方へ駆け寄ってきた。


 福留繁参謀長。海軍中将。連合艦隊参謀長。肥満した体躯。眼鏡の奥に鋭い眼。


「岡村中尉」


「直ちに出発する」


「ただいま、燃料補給中であります」


「補給は要らぬ」


 わたしは息を呑んだ。


「参謀長、ダバオまでの航続を考えますと、補給は必要かと――」


「岡村中尉」


 別の参謀がわたしを遮った。山本祐二作戦参謀。


「敵機が来る前に出るのだ。補給などしている暇はない」


「ただ燃料が」


「補給はしなくてよい。出発を急げ」


 わたしは唇を噛んだ。


 燃料補給班の高橋兵曹長が補給管を握ったまま、わたしを見ていた。


 「二人の参謀ガ、燃料補給ハ必要ナイ、一刻モ早ク出発スルト大声ヲアゲテ私タチヲ制シマシタ」――高橋兵曹長は後年、そう証言する。


 わたしは機長として参謀の命令に従うほかなかった。


「補給作業、中止」


 わたしは高橋兵曹長に告げた。


 高橋兵曹長は深く一礼して補給管を外した。


 わたしの機の燃料は、満タンに満たぬまま。


 第一番機の方ではすでに灘波大尉が、古賀長官と幕僚たちを機内に収めていた。


 午後九時頃。


 突堤に椅子が一脚置かれていた。


 古賀長官がその椅子に身じろぎもせず無言で座っていた。


 幕僚たちは「出発を急げ、出発を急げ」と慌てふためいていた。


 ただ古賀長官だけは椅子の上で黙して動かなかった。


 葉隠の武人の、最後の平静。


 やがて長官は静かに立ち上がり、一番機へと歩み去った。


二 三月三十一日 夜――密雲、ピトー管の誤算


 午後九時三十五分、第一番機が離水した。


 その五分後の午後九時四十分、わたしの機が離水した。


 パラオ近海の暗い水面から、エンジンの轟音とともに機は夜空へ舞い上がった。


 離水直後、わたしは一番機を見失った。


 暗夜のうえに雲が出ていた。視界は極めて悪かった。


「機長、一番機が見当たりません」


 副操縦士の声。


「うむ。単独で進む」


 わたしは深く頷いた。


 単独飛行。フィリピン方面の経験のないわたしが二式大艇を操縦してダバオへ向かう。


 胸の奥で不安がざわついた。


 パラオ出発から約一時間後。


 前方に黒雲が出現した。


 雷雨性の積乱雲。月のない夜の南太平洋の上空で、巨大な雲塊がうごめいていた。


 わたしは判断に迫られた。


 雲を避けて大きく迂回するか、雲のなかを突破するか。


 迂回すれば燃料が足らぬ。突破すれば機体が持つか分からぬ。


「機長」


「迂回しますか」


 わたしはしばし無言だった。


 燃料計を見た。離水時に満タンでなかったため、すでに不安があった。


 ただ突破は危険すぎる。雷の中を二式大艇が無事に抜けられる保証はなかった。


「迂回する。北へ大きく迂回せよ」


 わたしは判断を下した。


 ただしこれが第二の致命的な誤算となった。


 迂回路は予想以上に長く、燃料消費は計算を超えた。


 そしてもう一つ――。


 副操縦士が、緊急離水のうちにピトー管のおおいを外し忘れていた。


 ピトー管。機の速度を計測する、外気を取り込む筒。離水前の保護のためおおいを被せておくものだ。離水時には必ず外す。


 ただ空襲警報の慌しさのなかで、それを忘れた。


 ピトー管が機能していないため、速度計は誤った数値を示し続けていた。連動する高度計もまた誤差を生じていた。


 わたしは自分の機の正確な高度を知らずに飛んでいた。


 午前一時頃。


 燃料計はもはやダバオへの飛行が不可能であることを告げていた。


 わたしは福留参謀長と小牧航空参謀に状況を報告した。


「参謀長、燃料がダバオまで持ちません」


「マニラまでならぎりぎり可能であります」


 福留参謀長は深く息を吐いた。


「マニラへの飛行は敵地接近の危険がある。セブ島へ向かえ」


 わたしは進路を変更した。


 セブ島へ。フィリピン中部の島。日本海軍が控えめながら基地を持つ場所。


 しばらく飛んだ後、わたしは前方の地形に目を凝らした。


 暗夜のなか、海岸線らしき影が見えた。


 その先に灯りが見えた。


「機長、セブ市街と思われます」


 副操縦士が声を上げた。


 わたしは深く頷いた。


「あの灯りの近くに着水する」


 着水照明筐をわたしは投下させた。


 火が消えた。


 ただ灯りはまだ海面の方向を示していた。


 わたしは強行着水を決意した。


 強行着水。暗夜の海面に、視界の悪いまま降りる。


 ピトー管のおおいが被さったまま。


 高度計は五十メートル高い値を示し続けていた。


 つまり、高度計が五十メートルを指したら、実際はゼロメートル(海面)なのだ。


 そうとも知らないわたしは降下を始めた。


 高度一〇〇、九十、八十、七十、六十・・・

 

 慎重に、慎重に。


 そして。

  

 計器が海面から五十メートルを示した瞬間。


 目の前に黒い海面が突然映った。

 

 機首を上げる間もなく、機は海面に激突した。


三 四月一日 未明――セブ島南方海面、激突・大破炎上


 衝撃。


 大音響。


 機体が裂ける音がわたしの耳の鼓膜を裂いた。


 火災。


 炎が機内に噴き上がった。


 わたしは機長席から海中へ投げ出された。


 暗い海。冷たい海水。


 わたしは浮き上がった。


 息を吸った。


 胸の奥で血の味がした。


 周囲で人の声が上がっていた。


 燃え盛る飛行艇の影が海面に映っていた。


「機長!」


 遠くで副操縦士の声がした。


「ここだ!」


 わたしは応えた。


 近くで福留参謀長の声がした。


「岡村中尉、ここにおる」


「参謀長」


 わたしは泳いで声の方へ向かった。


 福留参謀長は肥満した体躯を、飛行艇のクッションにしがみつかせていた。


 わたしは参謀長の傍を泳ぎ始めた。


「参謀長、ご無事でありますか」


「ああ。お前は」


「機長として、ご無事をお守りいたします」


 約八時間半。


 わたしは福留参謀長の傍を泳ぎ続けた。


 肥満した参謀長の体躯を、わたしの腕で支えた。


 あの夜の海の冷たさを、わたしは生涯忘れない。


 夜明け頃、セブ島南方の海岸が遠くに見えた。


 ナガ町沖合。小野田セメント工場の近く。徹夜作業の灯りの正体はここだった。


 わたしの誤認の証拠がすべて、ここにあった。


四 四月一日 朝――カヌーの群れ、ゲリラの捕囚


 夜明け後、わたしたちの周囲にカヌーが現れた。


 現地のフィリピン人。手漕ぎのカヌー。素朴な漁師たちのように見えた。


 溺死寸前のわたしたちは喜んでカヌーにしがみついた。


「助けてくれ、助けてくれ」


 わたしは英語で叫んだ。


 カヌー上のフィリピン人はわたしの腕を引き上げた。


 助かった、とわたしは思った。


 ただ彼らの腰にはピストルがあった。


 肩には自動小銃が掛けてあった。


 わたしは息を呑んだ。


 これはただの漁師ではない。


 ゲリラだ。


 米軍の指揮下にある、フィリピン人ゲリラ。


 わたしたちはカヌーで海岸へと運ばれた。


 上陸するとゲリラ兵たちが、自動小銃と蛮刀を構えてわたしたちを取り囲んだ。


 後ろ手に縛り上げられた。


 密林の奥へわたしたちは連行された。


 数珠つなぎに縄でつながれて、果てしない歩行を強いられた。


 負傷した福留参謀長は担架に乗せられた。


 わたしや他の生存者は徒歩。素足の皮膚が破れ、動物の皮で足を包みながら歩いた。


 途中、空き地でゲリラ兵が自動小銃を構えた。


「銃殺だ」


 ゲリラ兵が英語で叫んだ。


 わたしたちは立たされた。


 わたしは唇を噛んだ。


 (ここで、死ぬのか)


 心の中で呟いた。


 (参謀長を守れず、機を失い、捕虜となりいま銃殺されるのか)


 ただゲリラ兵は銃を構えただけで撃たなかった。


 精神的な脅迫。


 わたしたちはまた歩かされ始めた。


五 四月一日〜四月二日――マンガホン山中、自決の覚悟


 マンガホン山中のゲリラ本拠地。


 わたしたちは丸太小屋に拘禁された。


 そして、持ち物もすべて奪われた。

 

 福留参謀長と山本参謀が持っていた機密図書(作戦計画書と暗号書)を納めた書類ケースも奪われた。


 四月一日の夜。


 わたしは部下の搭乗員たちを丸太小屋の隅に集めた。


 声を低くした。


「いいか」


 わたしの声は震えていた。


「近いうちにかれらの訊問を受けて、日本海軍の機密事項の自白を迫られると思う」


「そのような折には、潔く自決する以外にない」


 部下たちは無言で頷いた。


「ただし自決の方法を教えておく」


 わたしは続けた。


「後手にしばられて身動きできなくとも、膝を立てて舌をかみ、膝頭に顎を強く叩きつけろ」


 部下たちは息を呑んだ。


「そうすれば舌をかみ切って死ぬことができる」


 部下たちは深く頷いた。


 わたしは自分の歯を確かめた。


 舌を噛む準備はできていた。


 ただ夜が更けても訊問はなかった。


 翌朝、福留参謀長はゲリラに対しこう名乗った。


「わたしは花園少将である」


 偽名。


 士官以上の者は決して真の身分を明かさない。


 わたしも「岡村中尉」とは名乗らず、別の偽名を使った。


 ただし山本祐二作戦参謀は、戦の前から自分の机に「富留美」の偽名を用意していた。「富、留、美」と書く。福留の名を隠すための変名。


 福留参謀長はゲリラには「花園少将」と名乗り、わたしたちの間では「富留美中将」と称した。


 ある日、わたしたちが連行されている途中、海上で別れて漂流していた吉津正利一等飛行兵曹が、ゲリラの監視下でわたしたちに合流した。


 吉津兵曹は福留参謀長を見た瞬間、思わず叫んだ。


「福留参謀長ですか」


 その瞬間、わたしたち士官は一斉に口に指を当てた。


 吉津兵曹は息を呑んだ。


 彼はすぐにその仕草の意味を理解した。


 ゲリラに参謀長の真の階級と氏名を悟られてはならぬ。


 吉津兵曹は深く頷き、その日以降、福留中将を「花園少将」と呼ぶようになった。


 士官のわたしたちはゲリラから「一人一人官姓名を名乗れ」と命じられた時も、銃口を突きつけられた時も、堅く口を閉ざした。


 ある夜、ゲリラの本拠地でわたしたちは豊富な食事を与えられた。


 異変。


 わたしは胸の奥で察した。


 食事の後、本格的な訊問が来る。


 その夜、福留参謀長はわたしたち全員を集めた。


「自分たちは不幸にして捕われの身になった」


 参謀長の声は静かだった。


「明日はいよいよ訊問があると思う」


「自分をはじめ士官は、決して氏名を告げるつもりはない」


「だが下士官以下は名を告げても差支えない。お前たちは自分の意志通りにしてよい」


 部下たちは無言で頷いた。


 わたしは福留参謀長の眼を見た。


 あの方は捕囚となった海軍幹部として、最後の覚悟を固めておられた。


 わたしもまた、舌を噛む準備をもう一度確かめた。


 ただ翌朝、本格的な訊問は来なかった。


 ゲリラ部隊がにわかに慌ただしくなった。


六 四月八日――大西大隊の包囲、クッシング中佐の苦悩


 四月八日。


 わたしたち捕囚はゲリラ部隊の異変を感じ取っていた。


 ゲリラ兵たちは外と内を慌ただしく行き来していた。指揮官のクッシング中佐が無線機の前に長時間座っていた。


「何かが起きておる」


 福留参謀長がわたしに囁いた。


「陸軍の討伐隊が近づいておるのではないか」


 わたしも深く頷いた。


 もし陸軍がゲリラ司令部を包囲すれば、クッシング中佐はわたしたち捕囚を殺すかもしれない。あるいは生き残りの交渉材料として使うかもしれない。


 夜になってゲリラ部隊が、トバス高地の周囲に慌ただしく散開した。


 包囲。


 陸軍がゲリラ司令部を完全に包囲していた。


 翌朝、四月九日。


 クッシング中佐はわたしを呼んだ。


「ミスター・オカムラ」


「ユー、ゴー、トゥー、ジャパニーズ・キャンプ」


 彼はわたしに伝令役を命じた。


 日章旗をわたしの腕に持たせた。


 クッシング中佐からの手紙――海軍将兵九名の引き渡しを包囲解除の条件とする内容の手紙――を、わたしに託した。


「ミスター・オカムラ。アゴー、アンド、ノット、リターン、メイ、ビー、ベター、フォー、ユー」


 彼の声は低かった。


 わたしは深く一礼した。


「アイ、ウィル、リターン」


 わたしは英語で応えた。


 奥泉一整曹もわたしに同行することになった。ただわたしは奥泉に告げた。


「一人で行く方が安全だ。お前はここに残れ」


「機長」


「これは命令だ」


 奥泉は深く頷いた。


 わたしは日章旗を手に、ゲリラの陣地を後にした。


 密林の中をわたしは歩いた。


 衣服は汚れきって破れ、足にはすりきれた草履のようなものを履いていた。顔は土埃と汗で汚れていた。


 ただわたしの両眼には強靭な意志がやどっていた。


七 四月九日――大西精一中佐との対面、信義の決断


 日本陸軍の陣地に、わたしは現れた。


 歩哨がわたしに銃を構えた。


「止まれ!」


「日本海軍、岡村中尉だ。大隊長殿に取次いでくれ」


 歩哨は息を呑んだ。


 あとで知ったことだが、大西大隊はわたしたち海軍機が三月三十一日にパラオから飛び立ち、四月一日未明にセブ島南方海面に墜落したことを、全く知らなかった。


 海軍はこの事件を「乙事件」と名付け、徹底した秘密主義を貫いていた。同じセブ島を警備する陸軍にすら事実を伝えていなかった。


 大西大隊が四月八日夜から開始したゲリラ討伐作戦は、海軍幹部の救出を目的としたものでは断じてなかった。クッシング中佐のゲリラ部隊が約二万名規模の四個連隊に増強されつつあるという情報を受けて、独立混成第三十一旅団長・河野毅少将が命じた純粋な陸軍の治安維持作戦であった。作戦の目的はクッシング中佐の捕獲と無線機の押収。


 大西中佐は自分が包囲したゲリラ司令部に、日本海軍の高級将官が捕囚となっているなど夢にも思っていなかった。


 わたしは大隊本部に通された。


 大西精一中佐。陸軍中佐。独立歩兵第百七十三大隊長。


 大西中佐はわたしを見てしばし沈黙した。


「貴様は」


「は。私は海軍中尉岡村松太郎という者です」


 わたしは深く一礼した。


 クッシング中佐からの手紙を大西中佐に渡した。


 大西中佐は封を開きしばし読んだ。


 手紙の内容はこうだった。


 ――一、私は不時着した日本海軍機に乗っていた花園少将以下九名の海軍軍人を保護している。二、日本軍はセブ島南部で一般住民を虐待しているが、それを取締るよう厳命して欲しい。ゲリラ司令官、ジェームズ・M・クッシング――。


 大西中佐の眼がふと止まった。


 深く息を吐いた。


 あの中佐の沈黙のなかにわたしは衝撃を感じ取った。


 大西中佐はいま初めて知った。


 自分が包囲しているゲリラに、海軍の高級将官以下九名が捕囚となっていることを。


 海軍機の遭難の事実を海軍は陸軍に伝えていなかった。包囲して殲滅寸前まで追い詰めたゲリラの懐に、まさか日本海軍の中将が捕らえられているなど、大西中佐には想像のしようもなかった。


 しばし沈黙が降りた。


「岡村中尉」


「これは本当か」


「ええ。海軍中将の方がゲリラの捕囚となっておられます」


「富留美中将、と」


「は。ただしそれは偽名であります。実際の氏名は、何卒おききにならないで下さい」


 大西中佐は深く頷いた。海軍の機密保持をすぐに理解された。


「岡村中尉、わが部隊が猛攻撃を開始した場合、富留美中将一行を救出する可能性はあると思うか」


「攻撃を実施した場合は、中将以下全員が殺されることはまちがいないと思います」


 わたしは応えた。


「念のため申し上げておきますが、富留美中将は陸軍部隊の意志通りに行動していただいても異存はないと申しておられました」


「中将も山本中佐も連行途中、自決を考えたことが何度もあリ、私にゲリラから拳銃を奪えと命じたこともありました」


 大西中佐は息を呑んだ。


「貴部隊のよろしいようにして下さい」


 わたしは深く頭を下げた。


 大西中佐はしばし無言だった。


 長い沈黙。


 わたしは無言で大西中佐の判断を待った。


 胸の奥で何かがざわついていた。


 (攻撃すれば福留参謀長は死ぬ)


 (包囲を解けばクッシング中佐は生き延びる)


 (陸軍中佐としての立場では、攻撃が正しい選択だ)


 (ただそれでは海軍の幹部全員が命を失う)


 やがて大西中佐は口を開いた。


 声は低く太かった。


「責任はすべておれがとる」


 わたしは息を呑んだ。


「中佐」


「岡村中尉、海軍将兵の救出のためには、すべてを犠牲にしてもやむを得ぬ」


 大西中佐は続けた。


「わたしは信義を重んずる人物として、ゲリラ指揮官との間で交した約束を、軍人として遵守する」


「旅団長の命令はわたしの責任で無視する」


 わたしは深く頭を下げた。


 あの陸軍中佐の決断。


 信義と人命を、戦果と保身よりも優先する決断。


 あの瞬間、わたしは軍人として何が最も大切かを教えられた。


 大西中佐はわたしに返書を託した。


「クッシング中佐に伝えてくれ。包囲を解く。海軍将兵を無事に引き渡してくれ、と」


「ただし岡村中尉」


「貴様は午後八時頃までに、この大隊本部にもどってきてくれ」


「もしもその時刻までに姿を現わさなかった場合は、不慮の事故があったと考え、攻撃を開始する」


「承知いたしました」


 わたしは深く一礼して、再びゲリラの陣地へ戻った。


 密林を歩きながらわたしは思った。


 (大西中佐は陸軍の信義を見せて下さった)


 (軍人とはこうあるべきだ)


八 四月十二日――マンゴー樹の下、奇妙な交流、解放


 四月十二日。


 マンゴー樹の下。指定された引き渡し場所。


 大西大隊から本部副官の松浦秀夫中尉と亀沢少尉が率いる小隊が、武器を置いて引き渡し場所へ向かった。手榴弾や短剣のみを、衣服の下に隠していた。


 ただしマンゴー樹の下には、自動小銃などで完全武装した約八十名のゲリラ兵が待ち構えていた。


 一触即発の空気。


 松浦中尉は毅然として声を上げた。


「クッシング中佐との約束にもとづき、わが海軍将兵を引取りに来た」


 ゲリラの指揮官――憲兵中尉――は深く頷いた。


「了解。お渡しする」


 その瞬間、松浦中尉が軍人として、海軍将官に対する敬礼を行った。


「花園少将閣下及び海軍士官各位に対して、かしらーッ右」


 わたしと福留参謀長以下、士官全員が敬礼に応えた。


 奇妙な、しかし厳粛な瞬間。


 ゲリラ兵の一人が笑顔で、たどたどしい日本語で声を出した。


「ゴクロウサン」


 亀沢少尉が煙草を差し出した。


 ゲリラ兵たちは争うように近づいた。握手を求めた。


 日本兵たちも煙草やキャラメルを与えた。


 やがてゲリラ兵たちは、たどたどしい日本語で、当時流行していた「湖畔の宿」を歌い始めた。


 日本兵たちが唱和した。


 日本の民謡や童謡の合唱へと続いた。


 すさんだ戦場で、不意に空白状態が生まれた。


 人間同士の、感情の交流。


 わたしは無言でその光景を見ていた。


 胸の奥で何かがふと解けた。


 ゲリラも日本兵も、同じ人間だった。


 ただ運命が二人を、敵と味方に分けただけだ。


 松浦中尉は福留参謀長を担架に乗せた。


 わたしたち海軍将兵九名を、無事に日本陸軍陣地へと運び始めた。


 引き揚げの際、ゲリラ兵の一人が叫んだ。


「ニッポン、フィリピン、友達。ノー・ボンボン。ノー・ポンポン!」


 丘の頂上へ戻っていくゲリラ兵たちが、しきりに手を振って見送った。


 わたしは振り返って彼らに手を振り返した。


 胸の奥で熱いものが込み上げた。


九 四月十二日 夕――セブ市水交社、白鞘の短刀


 救出された後、わたしたちはセブ市の水交社に軟禁された。


 軟禁。


 救出されたとはいえ、わたしたちは捕虜となった事実を、海軍に対し口外することを禁じられた。


 海軍水交社の一室で、わたしは部下を集めた。


 わたしの声は震えていた。


「おれたちは残念ながら、捕虜になった」


 部下たちは無言で頷いた。


「海軍軍人として最大の恥辱だ」


「このままおめおめと基地には帰れぬ」


 わたしはしばし無言だった。


「おれたちのとるべき道は、自決以外にない」


 わたしは集めてきた白鞘の短刀を、部下たちに配った。


 短刀。海軍士官の、最後の道具。


 その夜、わたしたちは集団自決を図ろうとした。


 ところが福留参謀長がそれを察知された。


 参謀長はわたしを部屋に呼び出された。


「岡村中尉」


「お前らの気持はよく分る」


「ただこの重大な時期に、貴重な搭乗員を殺すことは日本海軍の損失を招く」


 参謀長の眼に涙が浮かんでいた。


「堪えがたきを忍んで、思い直して欲しい」


 わたしは息を呑んだ。


 肥満した体躯の中将がわたしの前で涙を流していた。


「中将」


「岡村、頼む」


 わたしは深く一礼した。


 部下たちのもとに戻り、白鞘の短刀を回収した。


「参謀長のお言葉に従い、自決は保留にする」


 部下たちは深く頷いた。


「基地に帰るのは誠に辛い」


「ただしおれたちはそれぞれ、一機一艦の体当り攻撃を敢行して、恥辱を拭い去ることにつとめる」


「それまでの命だ」


 部下たちは無言で頷いた。


 白鞘の短刀を、わたしは机の引き出しにしまった。


 ただそれはわたしの心の中にずっと残っていた。



◆ 後書き 大井 篤(おおい あつし、元海軍大佐、戦後の回想――昭和二十二年、東京・郵船ビル)


 わたしは大井篤。


 明治三十五年山形県鶴岡市の生まれ。海軍兵学校五十一期。海軍大学校甲種第三十四期。卒業時成績順位三十名中第三位。最終階級は海軍大佐。


 戦時中、わたしは海上護衛総司令部の参謀を務めた。日本の貨物船・タンカー船団を守る任務。ただ大半は守りきれず海の底に沈めた。あの戦争で何百万トンもの船舶を、わたしは護りきれなかった。


 戦後、わたしはGHQ歴史課の嘱託となった。連合国側から戦犯容疑者の尋問を行う仕事。連合国軍最高司令部情報部戦史課。場所は東京・郵船ビルの中。


 そしてもう一つ別の場所で、海軍乙事件に関わる、ある事実が明らかになろうとしていた。


 昭和二十一年から、わたしの後輩の千早正隆――終戦時、海軍中佐、連合艦隊参謀――が、同じ郵船ビルの戦史課で米軍戦史の編纂に従事していた。


 アメリカ本国の情報部から、太平洋戦争関係の厖大な資料が送られてきていた。


 ある日、千早が資料の中に思いがけぬ書類の束を発見した。


 連合艦隊司令部が作成した「Z作戦計画」の原本であった。


 書類は海水に漬った痕跡が明瞭であった。海上で押収されたものであることを示していた。


 千早は息を呑んだ。


 Z作戦計画書の表紙には、分母を三十とし、分子を四又は五とした数字が記されていた。重要機密の作戦計画書の作成部数三十部のうち、所有者番号四又は五。


 古賀長官は一を所有。福留中将は二。そして山本祐二作戦参謀は四又は五を所有していた。


 千早の手にしたものは、山本祐二中佐所有のZ作戦計画書であった。


 山本祐二。海軍兵学校五十一期。連合艦隊作戦参謀。


 わたしの同期生である。


 あの男のことを、わたしは戦時中からよく知っていた。


 昭和十六年十月末、海軍省の食堂。


 わたしと山本祐二と木阪義胤の三人が、同じテーブルを囲んで昼食を取っていた。海兵五十一期の同期生三人。日常の昼飯。


 わたしは木阪に話しかけた。


「おい木阪、ドイツは駄目なようだね。ナポレオンになりそうだな。スモレンスクで停滞して大変だそうだなあ」


 木阪が丼飯をかきこんでいた途中だった。


 突然、木阪は丼をガーンとテーブルに叩きつけた。


「貴様みたいなやつが!」


 木阪は大声で怒鳴った。


 わたしは唇を噛んだ。同じテーブルの隣で、山本祐二が無言でわたしと木阪を見ていた。


 あの時、山本は何も言わなかった。


 食堂の他のテーブルの士官たちがこちらを見ていた。寺崎大佐が眼を細めていた。


 わたしと木阪と山本祐二の三人は、同じ海兵五十一期の同期生でありながら、すでにその時、深い溝があった。


 木阪は親独強硬派。わたしは合理派の情報屋。山本祐二は作戦課中枢の参謀。


 山本祐二は開戦前の海軍を、強硬な方向に動かす男だった。


 昭和十七年四月。ミッドウェー作戦の決定された日。山本祐二は単身、陸軍参謀本部を訪ねた。爆弾的提案だった。ミッドウェー・アリューシャン作戦、FS作戦、ポートモレスビー作戦、そして十月までのハワイ攻略。


 陸軍は山本の熱意と気迫に押された。第二師団と第七師団に、ダイヤモンドヘッドを想定した断崖絶壁の地形訓練まで命じた。


 山本祐二はそういう男だった。一度決めたら誰の前でも強引に押し通す。海軍内では「神重徳と並ぶ過激派」と評する声もあった。


 ただわたしは山本のそういう強硬さを、必ずしも責めなかった。


 あの男は作戦課中枢の参謀として、自分の責任で海軍を動かそうとしていた。それはそれで軍人の一つの誠だった。


 戦後、わたしは山本五十六長官の強引な作戦指導を厳しく批判した。ただ起案者であった山本祐二については、わたしはこう推察した。


「あの大本営政府連絡会議決定事項を見たら、あんなことをやるというのがおかしい。山本祐二か誰か、撃滅すべしと書くわけにいかなかったと思う。そんな強い命令は」


 山本祐二は大本営の長期戦方針と、山本五十六長官の強硬案との板挟みになって苦悩していた。そうわたしは推察した。


 同期生としてわたしには、その苦境が分かった。


 昭和十九年三月三十一日。


 山本祐二は連合艦隊作戦参謀として、福留繁参謀長と共に二式飛行艇第二番機に搭乗した。Z作戦計画書を彼自身の手で機内に持ち込んだ。


 四月一日午前二時五十四分。第二番機はセブ島南方海面に激突。


 Z作戦計画書は海中に投棄されず、ゲリラの手に渡った。


 あの男の手によって、日本海軍の命運が結果的に敵手に渡った。


 ただわたしはそれを責められぬ。


 あの夜、岡村中尉は機長として懸命に着水を試みた。福留中将と山本中佐は、捕虜となる屈辱と機密漏洩の恐怖に苛まれて、何度も自決を考えた。岡村中尉に「ゲリラから拳銃を奪え」と命じたほどの極限状態であった。


 あの状況で書類ケースを海に投げ捨てる判断が、誰にできたであろうか。


 ただ。


 昭和十九年六月。マリアナ沖海戦。日本機動部隊は、米軍に作戦の全容を読まれた状態で決戦に臨んだ。米軍は日本軍がどのような船で来るか、燃料の量、火力、脆弱点、指揮官の名前までも知っていた。日本機動部隊は壊滅的打撃を受けた。


 昭和十九年十月。レイテ沖海戦。連合艦隊は最後の主力を投入した。米軍は再び、日本軍の作戦の全容を読み切っていた。日本海軍は事実上ここで壊滅した。


 あのレイテ沖海戦で、第二艦隊――栗田艦隊――の参謀長・小柳富次少将が負傷していた。本来の役割を果たせぬ状態であった。実質的に栗田艦隊の作戦指導の重責を担ったのは誰だったか。


 山本祐二中佐。


 わたしの同期生。


 あの男は機密文書を奪われたという疑念を胸に抱きながら、レイテ沖の修羅場で栗田艦隊の作戦指導をしていた。米軍が日本軍の作戦の全容を読み切っているとは知らずに。


 あの男の苦悩がわたしには分かる。


 昭和二十年四月。


 第二艦隊司令長官・伊藤整一中将のもと、戦艦大和は沖縄への海上特攻に出撃した。天一号作戦。


 大佐に進級していた山本祐二は、第二艦隊作戦参謀として大和に乗艦した。


 四月六日、大和は内海を出撃。


 翌四月七日午後、坊ノ岬沖。米艦載機約三百機の猛攻撃を受けた大和は撃沈された。


 伊藤中将以下、約三千名の将兵が艦と運命を共にした。


 山本祐二大佐も戦死した。


 享年四十二。


 戦後、わたしは山本祐二の義父・豊田貞次郎大将にお会いする機会があった。豊田大将は静かに、こう仰せられた。


「祐二は大和に乗る前から、死に場所を探していたように見えた」


 わたしは深く頷いた。


 山本祐二は海軍乙事件のZ作戦計画書奪取の責任を、内心深く感じていた。マリアナとレイテで散った数万の日本将兵のことを、あの男はずっと胸に抱えていた。


 ただし軍人として、自分の過失を公然と認めることはできなかった。あの男は最期まで「海軍乙事件のことは、ゲリラは機密に関心を持たなかった」という福留中将の報告に沿うほかなかった。


 ただ心の中では別の声があったのだろう。


 ゆえに山本祐二は大和の艦上で死ぬことを、自ら選んだ。


 義父の豊田大将にはそれが見えていた。


「死に場所を探していたように見えた」


 あの一言が山本祐二の戦後をすべて語っていた。


 あの男は命で自らの罪を雪いだ。


 ただ。


 あの夜、書類ケースを海に投げ捨てなかったもう一人――福留繁中将――は、まだ生きていた。


 戦後、福留中将は復員局や法務省、米国戦略爆撃調査団の聴取を次々と受けていた。


 米国戦略爆撃調査団の最後の質問。「もし、あなたが支配的な権限を持っていたとしたら、あの際、あなたはどうしたでしょうか。妥協による平和への歩を始めたでしょうか」


 福留中将はこう答えたという。


「私は軍人ですから、死ぬまで戦うこと以外に考えたことはなかったものですから。したがって海軍軍人としては、戦闘行為を続けたろうと思います」


 わたしはその証言記録を読んだ。


 あの方は戦後になっても自らを「純粋な軍人」と位置づけて、海軍乙事件の機密漏洩の事実から眼を背けておられた。


 ある日、福留中将が郵船ビルのわたしの部屋を訪ねて来られた。


 軍服はなく背広姿。ただし肥満した体躯と眼鏡の奥の鋭い眼は、戦時中と変わらなかった。


「大井大佐」


「君や千早が機密書類が盗まれたと言っており、迷惑している」


 福留中将の声は低く太かった。


 わたしは無言で中将を見ていた。


「こんな事実は全くないんだ」


 中将は続けた。


「君も千早も思い込みで米軍の資料を読んでおる。日本海軍の名誉のためにも、そういう噂を流すのはやめて欲しい」


 わたしはしばし無言だった。


 胸の奥で何かが燃えていた。


 あの夜、わたしの同期生・山本祐二が、書類ケースを海に投棄せずゲリラに奪われた。


 あの後、マリアナとレイテで何千、何万もの日本将兵が散った。


 その背景に、福留中将と山本中佐が共に書類ケースを海に捨てなかった事実があった。


 山本祐二は大和の艦上で自ら命を絶った。「死に場所を探していた」と義父の豊田大将は仰せられた。


 ただ福留中将はいまわたしの前で、「こんな事実は全くない」と言われた。


 わたしは口を開いた。


 声は低かった。


「盗まれたのは事実です」


「大井君」


「Z作戦計画書の原本を千早が確認いたしました。山本祐二中佐所有のものです。海水に漬った痕跡が明瞭であります」


「それは米軍の偽装工作だ」


 中将は固辞された。


「いいえ。中将、お帰り下さい」


 わたしは深く一礼した。ただし頭は上げなかった。


「大井君」


「お帰り下さい」


 わたしは繰り返した。


 福留中将はしばし無言だった。


 やがて何も言わずに、わたしの部屋を出て行かれた。


 扉が閉まる音が響いた。


 わたしは椅子に座った。


 胸の奥で何かが震えていた。


 あの方は最期まで自らの過失を認めようとされなかった。「私は軍人ですから死ぬまで戦うこと以外に考えたことはなかった」と、戦後になってもなお。


 山本祐二は大和の艦上で死んだ。


 二式大艇の機長・岡村松太郎中尉は、サイパンの空で未帰還となった。


 大西精一中佐は戦犯容疑でマニラに送られ、死刑必至の状況でクッシング中佐からの感謝証言と軍律厳正の事実によって無期刑に減刑され、巣鴨刑務所から釈放された。あの陸軍中佐は信義を最期まで貫いた。


 古賀峯一連合艦隊司令長官は密雲の中に消えた。葉隠の武人として、葉隠の真理に殉じた。


 ただ。


 福留中将は生きておられた。栄転を遂げ、戦後も生き延び、戦犯にもならず、自らを「純粋な軍人」と位置づけて回想録を書いておられた。


 わたしはそれを責めぬ。


 軍人が生きて還ることは罪ではない。


 ただ事実を事実として認めぬことは、わたしには許せなかった。


 マリアナとレイテで散った将兵たちのために。


 書類ケースを海に投棄しなかったあの夜、福留中将の判断が何千、何万もの死を生んだ事実を、わたしは書き残す。


 昭和十九年六月十二日。


 二式大艇の機長・岡村松太郎海軍中尉は、トラック島夏島基地からサイパンへ向かった。


 前日の十一日より、サイパンには敵艦載機が大挙来襲し、艦砲射撃の掩護によって上陸作戦が開始されていた。


 急遽、二式大艇はサイパン基地に戻ることになった。


 岡村中尉機のエンジンの一基が故障していた。四発機のうち一基が動かない。


 ただ岡村中尉は出撃をためらわなかった。


 四基のうち三基のエンジンを始動させ、追うように離水し、サイパンに向って去った。


 離水を見送った整備担当者の秋場庄二整備兵曹長は、岡村中尉の胸中にある悲壮な覚悟を直感した。


「無理をしている、死を急いでいるようだ」


 秋場兵曹長は後年、そう述懐する。


 秋場兵曹長の予感は的中した。


 岡村機は未帰還になった。


 海軍中尉、岡村松太郎。捕虜となった屈辱を自らの命で雪ぎ、南太平洋の空に消えた。


 享年三十前後。


 あの三月二十八日、有馬正文少将が高木惣吉に「年寄りから先に死ぬのが順序だと思う」と語った、その「年寄り」とはご自分のことであり、岡村中尉のような若い指揮官のことではなかった。


 ただ岡村中尉もまた、自らの命を海軍に捧げた。


 二式大艇の機長として、福留中将と九名の海軍将兵を生かして帰した。そして自らはサイパンの空で果てた。


 わたしは戦後、岡村中尉の名を海軍乙事件の記録の中に書き留めた。


 あの若い機長が海軍に最後まで尽くしたことを、わたしは忘れない。


 わたしの同期生・山本祐二が、書類ケースを海に投棄せず、命でその罪を雪いだことを、わたしは忘れない。


 大西精一中佐の信義を忘れない。


 古賀峯一大将の葉隠を忘れない。


 ただ福留繁中将の戦後の発言――「こんな事実は全くないんだ」――もまた、わたしは忘れない。


 郵船ビルの窓の外で、東京の街が灰色に煙っていた。


 昭和二十二年の春の雨の日であった。


 岡村松太郎海軍中尉の十二日間の物語は、ここに幕を閉じる。


 次回、第四十九話は、東京の高木惣吉少将がこの海軍乙事件の悲報をついに知る四月の物語である。


【次回予告】


 第四十九話「パラオの空、黙して語らず(後編)――凄味、堀の涙、東京駅の雨」。


 昭和十九年四月八日、土曜日。雨。


 高木惣吉少将は朝、自ら電信課を探り、「GF司令部全滅の秘電」が入っていることを確認する。


 惑う高木の前に、軍需省の石川信吾少将が突然やってくる。


「オイ、古賀が死んだゾ」


 悲報の確認を共有した二人は、嶋田海相を辞めさせる工作を相談する。ただし高木は後に日記にこう記す。「話の筋道を全く忘れてしまった。余程慌てていたと見える」。


 その日の昼、高木は岡田啓介大将の邸を訪ねる。海軍最長老、二・二六事件で女中部屋の押入れのなかでいびきをかいた、清貧で巧智の老提督。


 悲報を聞いた岡田大将は畳みかけるように言う。


「それは大変だ。年寄りもこうしてはおれん。一体どうすれば善いと思うか」


 その態度には「凄味」があった。


 その日の午後、高木は車を回して海上ビルの浦賀ドックを訪ねる。社長・堀悌吉中将。山本、古賀と「三人兄弟のように」交わってきた海軍切っての俊才。


 悲報を伝えると、堀中将はいつもの無造作な口調でこう言う。


「そらああんた、もう駄目じゃないか!」


 ただ眼鏡の奥に光るものを、高木は見る。


「どうも先だって帰った時、字を書き過ぎると思ったョ」


 その日の夕方、高木は雨の東京駅から、憂鬱な気持ちで帰途に就く。


「最早、決戦も何も、時機を失ってしまったように思われて来た――」


 第四十九話、三月編クライマックスの後編、ご期待ください。




【人物紹介】


■ 岡村 松太郎(おかむら まつたろう、?-1944)


海軍中尉。第八〇二航空隊所属。二式大型飛行艇の機長。海軍乙事件で第二番機を操縦してパラオを離水。フィリピン未経験のためダバオ知識なし、密雲突入、ピトー管外し忘れによる高度計誤差、セブ島南方海面に激突大破炎上。福留繁参謀長を約8時間半支えて海岸へ漂着、ゲリラに捕虜。マンガホン山中で部下に「舌を噛む自決法」を教えた。クッシング中佐の使者として日本陸軍・大西大隊に単身赴き、福留中将らの解放を実現。救出後、白鞘の短刀での集団自決計画は福留中将に制止された。「それまでの命だ」と一機一艦の体当り攻撃を誓い、昭和19年6月12日、トラック島夏島基地からサイパン基地への移動でエンジン1基故障のまま離水、未帰還。本話の主人公兼前書きの語り手。


■ 福留 繁(ふくとめ しげる、1891-1971)


海軍中将。鳥取県出身。海軍兵学校40期、海軍大学校卒。連合艦隊参謀長。海軍乙事件で第二番機に搭乗、セブ島沖不時着、約8時間半泳いで漂着、フィリピン人ゲリラに捕らえられた。「花園少将」「富留美中将」の偽名を使った。4月12日に解放、東京帰還後、東郷神社近くで軟禁状態、6月15日に第二航空艦隊司令長官として異例の栄転。戦後はUSSBSや戦犯対策の聴取に応じ、『海軍の反省』『史観・真珠湾攻撃』『海軍生活四十年』を出版。USSBSの最後の質問「もし支配的権限を持っていたら妥協による平和を始めたか」に対し、「私は軍人ですから、死ぬまで戦うこと以外に、考えたことはなかったものですから」と答えた。


大西おおにし 精一せいいち


陸軍中佐。独立歩兵第百七十三大隊大隊長。中国戦線での討伐経験豊富、信義を重んじる人物。海軍乙事件において、海軍は事故を「乙事件」と名付けて徹底した秘密主義をとり、同じセブ島を警備する陸軍にも事実を伝えていなかった。大西大隊が四月八日夜から開始したゲリラ討伐作戦は、ゲリラ部隊が約二万名規模に増強されつつあるという情報を受けた独立混成第三十一旅団長・河野毅少将の命令によるもので、純粋な治安維持作戦であった。大西中佐は四月九日朝、岡村中尉が単身使者として現れるまで、自分が包囲したゲリラ司令部に日本海軍の高級将官が捕囚となっていることを全く知らなかった。福留中将ら救出のため、旅団長命令(猛烈果敢ナル攻撃ヲ続行シ、匪首ヲ捕獲)を独断で無視し、ゲリラとの包囲解除約束を遵守した。「責任はすべて、おれがとる」の名言。戦後、マニラのモンテンルパ収容所で戦犯訴追、一時死刑必至も、クッシング中佐からの感謝証言と軍律厳正の事実により無期刑に減刑、後に巣鴨刑務所から釈放。日本海軍最高機密保持の要請を遵守し、戦後まで「富留美中将」の正体を部下に口外せず。


■ ジェームズ・M・クッシング


米陸軍中佐。開戦前は予備役のセブ島鉱山技師。マッカーサー大将の命でセブ島ゲリラ指揮官に就任。スペイン系フィリピン女性と4歳の男児あり。福留参謀長を古賀峯一連合艦隊司令長官本人と誤認。福留中将ら捕囚を交渉カードに用いて大西大隊の包囲解除を実現。戦後、大西中佐の戦犯訴追時に「大西が約束を守って包囲を解いたことに感謝する」旨の証言を提出。


■ 山本 祐二(やまもと ゆうじ、1902-1945)


海軍大佐(戦死)。海軍兵学校51期(同期に大井篤、木阪義胤)、海軍大学校卒。義父は豊田貞次郎海軍大将(元商工大臣、外務大臣)。昭和17年4月、ミッドウェー作戦立案時に陸軍参謀本部に単身赴き、ミッドウェー・アリューシャン作戦、FS作戦、ポートモレスビー作戦、ハワイ攻略までの「爆弾的提案」を行った強硬派。海軍内では「神重徳と並ぶ過激派」と評された。連合艦隊作戦参謀として、福留繁参謀長と共に第二番機に搭乗、捕虜となり「富留美」の偽名を用意していた。所持していたZ作戦計画書(分子4又は5、所有者番号)が戦後、千早正隆中佐により発見された。海軍乙事件後の昭和19年10月、第二艦隊(栗田艦隊)幕僚としてレイテ沖海戦に参加、参謀長・小柳富次少将が負傷していたため、実質的に栗田艦隊の作戦指導の重責を担った。昭和20年4月、大佐に進級。第二艦隊司令長官・伊藤整一中将のもと、戦艦「大和」による沖縄海上特攻(天一号作戦)に参加。4月7日、坊ノ岬沖で米艦載機約300機の猛攻撃により大和は撃沈、伊藤中将以下約3,000名の将兵と運命を共にした。享年42。戦後、義父・豊田貞次郎大将は「祐二は、大和に乗る前から、死に場所を探していたように見えた」と回想した。海軍乙事件のZ作戦計画書奪取の責任を、内心、深く感じていたとされる。


■ 古賀 峯一(こが みねいち、1885-1944)


海軍大将。連合艦隊司令長官。海軍乙事件で第一番機ごと密雲に消え、殉職。海軍元帥に追贈。本話では言及のみ。


灘波なんば 正忠まさただ


海軍大尉。第八五一航空隊所属。海軍乙事件で第一番機の機長を務め、古賀長官と運命を共にした。


高橋たかはし 光雄みつお


海軍兵曹長。パラオ基地の燃料補給班指揮官。後年「二人の参謀ガ、燃料補給ハ必要ナイ、一刻モ早ク出発スルト大声ヲアゲテ私タチヲ制シマシタ」と証言。


吉津よしづ 正利まさとし


海軍一等飛行兵曹。第二番機搭乗員。海上で離れ離れになり、後にゲリラの監視下で福留中将らに合流。思わず「福留参謀長ですか」と叫び、士官たちが一斉に口に指を当てた場面。


松浦まつうら 秀夫ひでお


陸軍中尉。独立歩兵第百七十三大隊本部副官。マンゴー樹の下で福留中将ら海軍将兵を引き取った人物。


秋場あきば 庄二しょうじ


海軍整備兵曹長。トラック島夏島基地で岡村中尉機の整備担当。昭和19年6月12日、岡村中尉のエンジン1基故障での離水を見送り、「無理をしている、死を急いでいるようだ」と直感。後年、岡村中尉の悲壮な覚悟を証言。


千早ちはや 正隆まさたか


海軍中佐(終戦時)。連合艦隊参謀。昭和21年から5年間、東京の郵船ビル内・連合国軍最高司令部情報部戦史課に勤務、米軍戦史編纂に参加。アメリカ本国から送られてきた資料の中に、海水に漬った痕跡明瞭な「Z作戦計画」原本を発見し、海軍乙事件の機密漏洩の真相を解明。本話の後書きの語り手・大井篤の後輩。


■ 大井 篤(おおい あつし、1902-1994)


海軍大佐(最終階級)。山形県鶴岡市出身。海軍兵学校51期(同期に山本祐二)、海軍大学校甲種第34期、卒業時成績順位30名中第3位。米国留学(ヴァージニア大学、ノースウェスタン大学)、英語に堪能。戦時中は海軍省人事局・第21特別根拠地隊参謀を経て、昭和18年11月から海上護衛総司令部参謀。戦後はGHQ歴史課嘱託として連合国側からの戦犯容疑者尋問を行う。郵船ビル内の連合国軍最高司令部情報部戦史課に勤務。Z作戦計画書の原本発見後、福留中将が「君や千早が、機密書類が盗まれたと言っており、迷惑している。こんな事実は全くないんだ」と訪ねてきた際、「盗まれたのは事実です。お帰り下さい」と追い返した史実で知られる。直情径行な性格で、戦時中も大和の沖縄特攻に対し「水上部隊の伝統が何だ。馬鹿野郎」と電話に怒鳴った逸話あり。戦後著作『海上護衛戦』(1953年)。本話の後書きの語り手。


【用語集】


■ 海軍乙事件(再掲)


昭和19年3月31日夜から4月12日まで発生した、連合艦隊司令長官・古賀峯一大将と参謀長・福留繁中将以下司令部の遭難事件。古賀長官は第一番機ごと密雲に消え殉職、福留参謀長以下9名はセブ島南方海面に不時着し、フィリピン人ゲリラに捕らえられた後、4月12日に解放された。機密文書の流出が、後のマリアナ沖海戦・レイテ沖海戦に致命的影響を与えた。


■ Z作戦計画


連合艦隊司令部が立案した、絶対国防線(マリアナ群島・西カロリン諸島)での艦隊決戦計画。30部作成され、古賀長官が1番、福留参謀長が2番、山本祐二作戦参謀が4又は5番を所有。海軍乙事件でゲリラに奪われた福留・山本両中佐所有の計画書が連合国に渡り、マリアナ攻撃作戦の立案に利用された。


■ 連合国軍翻訳通訳局(ATIS)


オーストラリアのブリスベーン郊外に設置された連合国の翻訳通訳機関。マッシュビル大佐指揮下、5人の主席翻訳要員(うち2人は日系二世)が、奪取された日本軍機密文書の翻訳に従事した。


■ 二式大型飛行艇


日本海軍の長距離飛行艇。航続距離が長く、長時間の飛行が可能。本話で岡村中尉が機長を務めた。


■ ピトー管


飛行機の速度を測定するため、機体外に取り付けられる管。離水前は保護のためのおおいを被せておく必要があり、離水時には必ず外す。海軍乙事件では、岡村中尉が緊急離水の慌しさのなかでおおいを外し忘れた致命的な誤算となった。



大西大隊だいにし だいたい


陸軍独立歩兵第百七十三大隊。大隊長は大西精一中佐。セブ島警備担当。海軍乙事件で福留中将らの救出を実現した。


■ マンガホン山


セブ島中央部にそびえる山。クッシング中佐のゲリラ司令部があり、大西大隊が4月8日夜から包囲した。福留中将らの捕囚もここに拘禁されていた。


■ 「Z作戦計画」原本発見


昭和21年から、連合国軍最高司令部情報部戦史課に勤務した旧海軍中佐・千早正隆が、アメリカ本国から送られてきた資料の中に発見した、海水に漬った痕跡のある連合艦隊司令部作成のZ作戦計画書原本。山本祐二作戦参謀所有のもの。海軍乙事件の機密漏洩の真相を明らかにした。


■ 「年寄りから先に死ぬ」(再掲)


第47話で有馬正文少将が高木惣吉に語った「年寄りから先に死ぬのが順序だと思う」の遺言。本話の後書きで、岡村松太郎中尉の死とも対比される。



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