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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第5章 海軍少将:高木惣吉編(昭和17(1942)年6月~)

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第45話「教育局長の日常――陳情、麦の穂、そして殿下の真意」

◆ 前書き 吉原 トキ(陳情者、熊本県在住、海軍少尉候補生志望者の母)の独白



 わたしは吉原トキ。熊本県人吉の小さな雑貨屋を切り盛りする、四十八歳の女である。


 夫は十年前に肺を患って亡くなった。一人息子の克己かつみが、十六歳。地元の人吉中学校に通うておる。


 克己は小さい頃から海が好きで、海軍の写真を見ては「いずれは海軍士官になりたい」と申しておった。


 昨年の十二月、わたしは思い切って熊本から夜行列車で東京に上がった。一人息子を海軍兵学校に入れていただきたい――その一心で。


 高木少将さまのお名前は、亡き夫の遠縁の方から伺った。高木さまは海軍省で偉い方をされておると。


 わたしは早朝、海軍省第一分室の門を叩いた。受付の方は怪訝な顔をされたが、わたしが熊本から来た旨を申し上げると、高木さまはお会いくださった。


 高木さまは寡黙な方で、わたしの話をじっと聞いてくださった。


 ただ、わたしの願いは、お容れいただけなかった。


 その時は分からなかった。なぜ海軍の偉い方が、わたしの息子を兵学校に入れてくださらぬのか。


 いま、戦争が終わって、わたしは分かるようになった。


 あの時、克己を兵学校に入れていただかなくて、本当に良かった。


 兵学校に入った克己と同年配の若者たちは、その後、ほとんど還ってこなかった。


 高木さまは、わたしの目の前で、克己の命を救ってくださっていた。ただ、それを口に出して仰せられなかっただけだ。


 あの時の高木さまのお顔を、わたしは生涯、忘れない。


 第四十五話、「教育局長の日常――陳情、麦の穂、そして殿下の真意」。


 昭和十九年三月二十三日から三月二十九日まで。江田島から帰京した高木が、教育局長としての日常の修羅場に身を置き、その合間に高松宮殿下の真意を細川護貞経由で探っていく一週間の物語。


 なお、わたし吉原トキの陳情は、史実では昭和十八年十二月十九日の朝のことであった。物語上の演出として、三月編に時期をずらしてお話を進めさせていただく。


【本文】


一 三月二十三日 朝――江田島から大竹海兵団へ


 三月二十三日、木曜日の朝。


 俺は江田島の桟橋から、定期汽艇で大竹へ向かった。


 卒業式の余韻はまだ俺の胸に残っていた。九百名を超す若者たちの行進。井上中将の冷徹で深い情のこもった訓示。あの夜の高松宮殿下との緊迫した夕食席。


 ただ俺は教育局長として、この出張の本来の業務である呉鎮守府管区の諸学校視察を、最後まで全うせねばならぬ。


 汽艇は瀬戸内の春の海を、ゆっくりと進んでいった。


 大竹は瀬戸内海に面した広島県の小さな町だ。海軍はここに大規模な海兵団を置いている。新入団兵の基礎教育を担う、海軍の入り口である。


 午前九時、汽艇が大竹の桟橋に着いた。


 桟橋には海兵団司令官の鎌田道章少将と数名の幹部が出迎えに立っていた。


「高木局長、ようこそ」


 鎌田少将は背の低い、温和な顔つきの男だった。


「鎌田司令官、お世話になります」


 俺は答礼した。


 自動車で海兵団本部へ向かった。


 道々、車窓から訓練場が見えた。


 白い軍服の新兵たちが整列して、銃剣の操作訓練を行っていた。


 俺は車窓越しに、しばし新兵たちを眺めた。


 (あの若者たちは、半年後には艦隊や航空隊に配属される)


 心の中で呟いた。


 (半年後の戦況がどうなっているかも、わたしには分からぬ)


 本部の応接室で、鎌田少将と俺は卓を囲んだ。


「司令官、現状を率直に伺いたい」


 鎌田少将は手元の書類を広げた。


「軍医、定員二十二名のところ、現有十三名であります」


「九名の欠員ですか」


「ええ。新兵の入団時の健康診断、結核の検査、訓練中の負傷の手当て――軍医の手が回らぬのが現状です」


 俺は深く息を吐いた。


「看護婦は」


「現有皆無に等しい状態です。本日、申進したいと存じます。最低でも五十五名、配置していただきたい」


「五十五名ですか」


「分かりました。教育局として、人事局に強く申し入れます」


「それから、もう一つ」


 鎌田少将は声を落とした。


「予備士官の中で、少尉でもいい、若い士官が欲しい」


「現在、新兵の訓練を担当しておる士官は、皆、年配の予備役の方ばかりです。新兵と十も二十も歳が離れておる。これでは新兵の心が掴めぬ」


「若い少尉、新兵と五つか六つ違いの士官が、二人か三人、欲しい」


 俺は深く頷いた。


 ただ俺は内心、唸っていた。


 (その若い少尉が、いま、絶対的に足らぬのだ)


 心の中で呟いた。


 (先日の卒業式で九百名の少尉候補生が出たが、ほぼ全員、艦隊と航空隊に配乗だ。海兵団教育の現場に回せる若手は、ほとんど居らぬ)


 (鎌田司令官、あなたのご要望はもっともだ。ただ、海軍そのものが、もう手が足らぬのだ)


 俺は答えなかった。


 代わりに、別の質問をした。


「新兵の健康状態はいかがですか。結核は」


 鎌田少将は深く頷いた。


「入団時の検査で、毎月、結核陽性者が一割ほど出ます」


「一割ですか」


「都市部からの召集兵が多いせいか、栄養状態の悪い者が目立ちます。訓練に耐えられぬ者も多い」


 俺は唇を噛んだ。


 俺自身、若い頃に肺結核を患った経験がある。


 (栄養の悪い若者を、結核検査もそこそこに、苛烈な訓練に投入する――それでは新兵が次々に倒れていくのは当然だ)


 心の中で呟いた。


 (中央で、結核予防の制度を急ぎ整える必要がある。北村軍医少佐の構想を、本省に戻ったら、急がねばならぬ)


 午前中、俺は鎌田少将に伴われて、新兵の宿舎、訓練場、医務室、食堂を視察した。


 食堂で、新兵たちが昼食を取っていた。


 飯はうすい麦飯。汁物は具のほとんど入っていない味噌汁。漬物が少々。


 若者たちは無言で、黙々と食べていた。


 俺はその姿を、しばし見つめていた。


二 三月二十三日 午後――潜水学校


 午後、俺は潜水学校に移動した。


 潜水学校長の山崎重暉少将は、痩せて背の高い、神経質そうな男だった。


「高木局長、お待ちしておりました」


「山崎校長、お世話になります」


 校長室で卓を囲んだ。


「校長、現状を伺いたい」


 山崎少将は緊張した面持ちで、書類を広げた。


「練習生は二百一名、今期入校しております」


「うち六十二名が、病気のため特別食に上申してございます」


「三分の一近くが、病気ですか」


「はい」


 俺は唸った。


「主に何の病気で」


「結核が大半です。あとは胃腸の不調、神経衰弱」


 俺は重く頷いた。


「教官の状況は」


「これが、もっとも深刻でして――」


 山崎少将は声を落とした。


「教官の異動が激しすぎます。半年ごとに半数近くが入れ替わる。これでは短期教育は無理です」


「潜水艦の操縦は、座学だけでは絶対に身につきません。実地訓練と、教官との長期にわたる人間関係が必要です」


 俺は深く頷いた。


「ただ、戦線が広がるばかりで、優秀な潜水艦長は次々に第一線に取られていく。教官として残せる人材が、もはや居らぬのです」


 俺は重く頷いた。


「もう一つ、お願いがございます」


 山崎少将は声を落とし、ためらいながら続けた。


「**女子動員を、増やしていただきたい**」


「現在の人手不足からすれば、**男二に対し、女三**くらいの割合が要ります」


「男二に対し、女三、ですか」


「はい」


 俺は息を呑んだ。


 海軍の学校で、男子の数を上回る女子動員が必要だと――山崎少将はそう仰せられた。


 潜水学校という、海軍の中でも最も男性的な現場で、いまや女子を動員せねば回らぬ事態となっておる。


「ただ、女子では夜勤の従兵の代わりは務まりません。せいぜい、半数を取り替えるのが限度です」


「あとは看護婦が十五名ほど、急ぎ配置していただきたい」


 俺は深く頷いた。


「分かりました。本省に戻り次第、人事局に強く申し入れます」


 ただ俺は内心、深い無力感に襲われていた。


 (軍医も、看護婦も、若い士官も、女子動員も――要望はどこも同じだ。すべてが足らぬ)


 心の中で呟いた。


 (海軍そのものが、もう、立ち行かぬのだ)


 (俺がいま中央で、いくら制度を整えても、人と物が足らぬ事実は変わらぬ)


 (戦争を、一日も早く終わらせるしか、道はないのだ)


 俺は山崎少将に深く一礼して、潜水学校を後にした。


 夕刻、俺は呉駅で帰京の列車を待っていた。


 ホームに春の薄日が差していた。


 俺は鞄を提げ、無言で線路の彼方を見つめていた。


三 三月二十四日――満員列車、東京駅


 三月二十四日、金曜日の朝。


 列車は東京駅に着いた。


 夜行の急行は、ぎゅう詰めの満員だった。


 俺は二等寝台車を取っていたが、隣の三等車両を通り抜ける時、窓から漏れる人の波を見た。


 通路にも、便所の前にも、人がうずくまっていた。出征兵士の家族、勤労動員の女学生、買い出しの婆さん、焼け出された罹災者――。


 空気は淀んでおった。汗と煙草と、何かが腐ったような臭いが混じっていた。


 俺は東京駅のホームに降り立った。


 春の朝の薄日が、ホームの白い砂を照らしていた。


 ホームには軍人が溢れていた。出征する若い兵士たち。送る家族たち。日の丸の小旗を振る婆さん。泣いている娘。


 俺はホームを歩きながら、ふと、隣のホームに目をやった。


 駅員が、一般の客を強引にどかしていた。


 席を確保しようとする海軍の衛兵が、ホームの端から、年配の婦人を押しのけていた。


 婦人は驚いた顔で、後ずさりした。手には風呂敷包みを抱えていた。


 俺は思わず足を止めた。


 (あれが、海軍の衛兵か)


 心の中で呟いた。


 (国民を守るべき海軍が、国民を押しのけて席を取っておる)


 (あんな海軍は、海軍ではない)


 俺は唇を噛んだ。


 駅員に文句を言いに行こうかと思った。


 ただ、衛兵の襟章を見て、思い止まった。本省の若い准士官だ。ここで俺が騒げば、ことを荒立てる。


 俺は無言で、ホームを歩き続けた。


 胸の奥に苦いものがあった。


 (俺は今夜、教育局長として、ああいう衛兵の振る舞いを正させねばならぬ)


 心の中で呟いた。


 (海軍士官の本領は、井上中将のあの訓示の通りだ。「部下統御は自己統御なり」「親心を持て」――あの若い衛兵に欠けているのは、その心だ)


 俺は東京駅の改札を抜け、自動車で目黒の海軍省第一分室へ向かった。


四 三月二十五日――茅ヶ崎の自宅、麦の穂


 三月二十五日、土曜日。


 午前中、俺は教育局長室で出張の報告書を作成し、午後、定刻通りに茅ヶ崎の自宅に戻った。


 茅ヶ崎駅で降りると、海から吹いてくる三月の風が、頬を撫でた。


 潮の匂いがした。


 俺は徒歩で自宅へ向かった。


 道々、すれ違う近所の婦人たちが、軽く会釈をした。俺も会釈を返した。


 自宅の門を開けると、妻の静江が出迎えた。


「お帰りなさいませ」


「ただいま、戻った」


 静江は四十三歳。横須賀高女を出て、わたしと結婚してから二十年余り。茅ヶ崎の暮らしと、長男・あきらの養育を、淡々と守ってくれている。


「成は」


「学校から戻って、庭で麦を見ています」


 俺は鞄を玄関に置き、軍装のまま、庭に回った。


 庭の片隅に、小さな畑があった。


 昨年の秋、わたしが種を蒔いた麦が、いま、青々とした穂を出していた。


 その畑の前に、長男の成が立っていた。


 成は本年で十二歳。背は最近、ぐっと伸びた。痩せて、目鼻立ちは静江に似ている。学生服を着たまま、麦の穂を眺めていた。


「成」


 俺は声をかけた。


「お父さん」


 成は振り向いた。


「麦か」


「はい」


「育っておるな」


「はい。お父さんが秋に蒔かれた麦です」


 俺は成の隣に立ち、しばし、麦の穂を眺めた。


 春の薄日が、麦の青い葉に降り注いでいた。


「成」


「はい」


「いずれ、この麦が実ったら、皆で食べような」


「はい」


 成は素直に頷いた。


 ただその横顔に、わずかな影がよぎった。


「お父さん」


「学校で、先生が、来年は校舎を勤労動員のために使うと仰せられました」


「中学一年生も、夏休みから、工場で働くことになるかもしれぬ、と」


 俺は息を呑んだ。


 十二歳の成が、工場の旋盤を回す姿が、一瞬、目の前に浮かんだ。


「成」


「はい」


「父は、できるだけ早く、こんな世の中を変えたいと思っておる」


 成は俺の顔を見上げた。


「お父さんは、そういうお仕事をしておられるのですか」


 俺は短く頷いた。


「ただそれは秘密の仕事だ。誰にも言ってはならぬ」


「はい」


 成は深く頷いた。


 俺は成の頭にそっと手を置いた。


 成の髪は、まだ柔らかかった。


 その夜、空襲の予報があった。


 俺は静江と二人で、防火水槽と庭の泉水池に水を満たした。家中の窓に黒い布をかけ、遮光した。


 夕食は、麦の混じった飯と、漬物と、味噌汁だった。


 静江は無言で給仕してくれた。


 俺は無言で食べた。


 成も無言だった。


 窓の外で、空を見上げる人々の声が、かすかに届いてきた。


 空襲警報は鳴らなかった。


 その夜、敵機は来なかった。


 俺は深更まで、書斎で、出張の報告書を書き続けた。


五 三月二十六日 朝――保健特別訓練班、北村軍医少佐


 三月二十六日、日曜日。


 日曜日であったが、俺は朝、目黒の海軍省第一分室に出勤した。


 教育局長室で、神大佐が待っていた。


「神大佐、留守を預けたな」


「局長、お疲れさまでした」


 神大佐は短く一礼した。


「江田島はいかがでしたか」


「井上中将は動かれぬ」


 俺は短く答えた。


「ただ、いざという時には、必ず動かれる方だ。我々は米内大将現役復帰の道に、全力を傾けるしかない」


「同感です」


 神大佐は深く頷いた。


 ひとしきり中央の動きを報告し合った後、俺はもう一つ、別の話題に移った。


「神大佐、北村軍医少佐を呼んでくれ」


 神大佐は隣室に声をかけた。


 しばらくして、北村修軍医少佐が局長室に入ってきた。


 東京帝大医学部出身の若い軍医だ。眼鏡をかけ、痩せて、温和な顔つき。


「北村君、お待たせした」


「局長、お呼びでありますか」


「うむ。例の構想、急ぎ進めたい」


 北村少佐は深く頷いた。


「保健特別訓練班、ですね」


「ああ」


 俺は卓を指した。


「大竹海兵団でも潜水学校でも、結核陽性の新兵が一割から三割出ておる。このままでは、軍隊そのものが、結核で崩壊する」


「君の構想を、急ぎ実施したい。あと一か月以内に、第一次の試行を始めたい」


「分かりました」


 北村少佐は身を乗り出した。


「ツベルクリン反応で、陰性、陽性、強陽性に分けます。陰性の者にはBCGを接種し、しばらく漸進的な訓練を施します。これで結核の発症をかなり抑えられるはずです」


「実施海兵団は、武山、大竹、相浦、舞鶴、潜水学校、それから防府通信学校で、いかがでしょうか」


「結構だ」


 俺は深く頷いた。


「成績がよければ、全面的に拡げる。標題は事務的なものにしておこう。あまり目立つと、上層部から横槍が入る」


「分かりました」


 北村少佐はにこりと笑った。


「『保健特別訓練班編成試行申進』、ぐらいでいかがでしょうか」


「結構だ」


 俺も微苦笑した。


 戦争で殺される前に、結核で死ぬ若者を、一人でも減らす――。


 俺自身が肺結核を病んだ経験から、その執念は人一倍だった。


 ただそれは政治工作の修羅場とは別の、もう一つの俺の戦いだ。


 北村少佐は深く一礼して、局長室を辞した。


 神大佐は無言で、俺を見ていた。


「神大佐」


「政治工作も、教育の現場も、結局のところ、目的は同じだ」


「戦争を一日も早く終わらせ、一人でも多くの若者を、戦後に還す。それだけだ」


「同感です」


 神大佐は深く頷いた。


六 三月二十六日 午前――吉原トキ来訪


 その日の午前八時頃、教育局長室に来客があった。


 神大佐が困惑した顔で告げた。


「局長、熊本から、吉原トキという婦人が、お目にかかりたいと――」


 俺は怪訝な顔をした。


「兵学校への入校斡旋を頼みに来た、と」


 俺は深く息を吐いた。


「お通ししろ」


 神大佐は驚いた顔をしたが、無言で頭を下げ、隣室に戻った。


 しばらくして、応接室に通された婦人を、俺は迎えに出た。


 四十代後半の、痩せた女性だった。色の褪せた絣の着物に、藁の風呂敷包みを抱えていた。顔は日に焼け、皺が深く刻まれていた。


「吉原トキです。熊本から、参りました」


 深々と頭を下げた。


「高木です。どうぞ、お掛けください」


 俺は応接の椅子を勧めた。


 トキは恐縮した様子で、椅子の端に浅く腰かけた。


「ご遠路、お疲れさまです」


「いえ、いえ。先生にお目にかかれて、こんな光栄なことは、ございません」


 トキは深く頭を下げた。


「先生」


「あの、わたしの一人息子の克己かつみが、今年で十六歳になります」


「克己は小さい頃から、海が好きで、海軍の写真を見ては『いずれは海軍士官になりたい』と申しております」


「夫は十年前に肺で亡くなりました。わたしは小さな雑貨屋を切り盛りしながら、克己を育てて参りました」


「ご苦労されましたな」


「いえ、いえ」


 トキは深く頭を下げた。


「先生。どうか、克己を、海軍兵学校に入れていただくよう、お力添えをいただきたく――」


 トキは畳の上に手を突き、深く頭を下げた。


 俺はしばし、無言だった。


 トキの白髪交じりの頭頂部が、わたしの目の前にあった。


 あの婦人は、何も知らないのだ。


 息子を兵学校に入れることが、息子を死地に送ることだとは、夢にも思っていない。


 雑貨屋の女主人として、一人息子の出世だけを願って、夜行列車で熊本から東京まで上ってきたのだ。


 俺は唇を噛んだ。


「奥様」


 俺は静かに口を開いた。


 トキは顔を上げた。期待に満ちた眼で俺を見た。


「兵学校の採用は、すべて、定められた試験によって決まります」


「教育局長としてわたしは個人の縁故で採用に影響を及ぼすことは、できません」


 トキの顔から、血の気が引いていった。


「先生――」


「克己君が、ご自分の力で試験に合格されることが、唯一の道です」


 俺は静かに続けた。


 ただ、心の中では、別のことを呟いていた。


 (奥様。今日、わたしが克己君を兵学校に入れなかったことが、いずれ、奥様の感謝の対象になる日が来るかもしれぬ)


 (戦況は、わたしが申し上げられぬほど、深刻です。兵学校に入った若者は、卒業後すぐに、死地に送られます)


 (克己君が試験に落ちて、地元の中学校を卒業し、雑貨屋を継いで奥様と一緒に生きていくことの方が、奥様にとっても、克己君にとっても、はるかに幸せかもしれぬ)


 ただ俺は、それを口に出すことができなかった。


 戦時下に「日本は負ける」「兵学校に入れば死ぬ」と口に出せば、わたし自身が憲兵に引っ張られる。


 トキは長い沈黙の後、深く頭を下げた。


「分かりました。お忙しいところ、お時間を頂戴し、ありがとうございました」


 トキは立ち上がり、応接室を出た。


 俺は玄関まで送った。


 別れ際、トキは振り返り、もう一度、深く頭を下げた。


「先生のお話、肝に銘じます。克己には、ご自分の力で頑張るよう、申し聞かせます」


「先生も、お体に、お気をつけて」


 トキは小さく一礼して、玄関を出た。


 藁の風呂敷包みを抱えた背中が、目黒の坂道を、ゆっくりと下っていった。


 俺はしばし、その背中を見つめていた。


 胸の奥に、苦いものがあった。


 (あの母親に、わたしは真実を伝えられなかった)


 心の中で呟いた。


 (克己君が試験に落ちることを、わたしは内心、祈っている)


 (ただそれは、絶対に口に出せぬ)


七 三月二十七日――山口氏夫人来訪


 翌三月二十七日、月曜日。


 午後、教育局長室に、もう一件、来客があった。


 貴族院議員の原田熊雄男爵からの紹介状を持って、京都から上京された婦人だった。


「山口でございます」


 応接室に通された婦人は、上品な絹の着物を身にまとい、髪をきちんと結い上げていた。年は五十代半ば。


 藁の風呂敷ではない。きちんと包まれた紋付の風呂敷を、膝の上に置いていた。


「ご紹介を頂戴しております。よろしくお願い申し上げます」


「高木でございます」


 俺は深く一礼した。


「先生」


「わたしの夫は、海軍に縁の深い者でございます。亡き山口多聞提督は、わたしの夫の従兄にあたります」


 俺は息を呑んだ。


 山口多聞中将。ミッドウェー海戦で、空母「飛龍」の艦上で戦死された、海軍の至宝。あの方の親戚の方が、目の前にいらっしゃる。


「本日伺いましたのは、わたしの一人息子のことで――」


 山口夫人は静かに口を開いた。


「息子は本年、二十一歳でございます。京都帝大の二年生で、文学を専攻しております」


「ただ、戦況の悪化で、学徒予備学生として召集されることが、決まりました」


「息子は身体があまり丈夫ではございません。子供の頃に肋膜を患い、いまも時々、咳が出ます」


「夫は『国家のためなら仕方ない』と申しております。ただ、母親としては、息子が無理な訓練に耐えられず、結核を発症するのではないかと、心配で夜も眠れません」


 夫人は静かに、しかし、必死の表情で続けた。


「先生のお力で、息子を海軍に取っていただけるよう、お願い申し上げたく――」


「奥様」


「お息子様の今後のご配置については、わたしの一存ではどうにもなりませぬ」


「ただ、お話は、しかと、伺いました」


 俺は深く頷いた。


 心の中では、別のことを呟いていた。


 (蒲柳の若者を、赤紙で引っ張り出して、無理な訓練に放り込む――それでは、結核で死ぬのが目に見えておる)


 心の中で呟いた。


 (ただ、海軍が「身体が弱いから」と免除すれば、陸軍に持っていかれて、もっと過酷な目に遭う)


 (どこにも、逃げ場がない)


 俺はしばし、無言だった。


「奥様」


「お息子様には、無理せず、ご自分の身体を、お大事にしていただきたい」


「訓練中に体調が悪くなったら、迷わず軍医に申し出るよう、お伝えください」


「はい、はい」


 夫人は涙を堪える顔で頷いた。


「ただ、海軍は、結核患者の予防に、いま、本気で取り組んでおります」


 俺は声を落とした。


「保健特別訓練班、という制度の試行を、来月から始めます。栄養の悪い兵に、漸進的な訓練を施します」


「お息子様も、もし入営されたら、その制度の対象になるかもしれません」


 夫人は深く頷いた。


「ありがとうございます。ご厚意、わたし、忘れません」


「いえ、いえ」


 俺は深く一礼した。


 夫人は立ち上がり、深く頭を下げた。


「先生。本日のお話は、息子と夫にもしかと、お伝えいたします」


「先生も、どうぞ、お体に、お気をつけて」


 夫人は応接室を出ていった。


 俺は玄関まで送った。


 夫人の絹の着物の背中が、目黒の坂道を、ゆっくりと下っていった。


 俺は玄関の戸の前で、しばし、立ち尽くしていた。


 胸の奥に、深い疲労があった。


 (昨日は雑貨屋の母親、今日は貴族院議員の縁戚の夫人。陳情の中身は、結局のところ、皆、同じだ)


 心の中で呟いた。


 (一人息子を、戦争で死なせたくない。母親の願いは、皆、同じだ)


 (俺はその願いを、誰一人、叶えてやれぬ)


 (国民の肚から納得し、憤激した戦争でないところに、一般の覚悟が湧きあがって来ない。けれども、この危局に最後のものまで捧げるというのは、国民として当然の義務とも言える。省みて、ジレンマの苦悩を、払いきれぬ)


 俺は局長室に戻った。


 窓の外で、目黒の春の薄日が、街路樹の若葉を照らしていた。


八 三月二十八日 午後四時――細川護貞、来訪


 三月二十八日、火曜日。


 午後四時。


 雨が降っていた。


 海軍大学校の校内にある教育局長室に、細川護貞氏が訪ねてきた。


 近衛文麿公爵の女婿で、宮中・重臣・海軍中堅をつなぐパイプ役。年は三十二歳、若く、整った顔立ちの紳士だった。


「高木局長、お久しゅうございます」


「細川さん、お忙しいなか、ありがとうございます」


 応接室で卓を挟んだ。


「先ほど、朝日新聞社で佐々弘雄と打ち合わせを済ませて、参りました」


「酒井鎬次中将との会見の件ですが――」


 細川氏は声を落とした。


 酒井鎬次中将。陸軍の予備役で、東條批判派。陸軍の主戦派に深い不満を抱いている人物として知られている。


 俺は内心、気が進まなかった。


 ただ、強いて反対する理由もない。


「いつ、お目にかかればよろしいでしょうか」


「次の木曜日で、いかがでしょうか」


 俺は少し間を置いた。


「木曜ですか」


「左様でございます」


「……木曜は、教育局の事務が重なっておりまして、確約は致しかねます」


「左様でございますか」


「日程は、後ほど、神大佐を通じてご連絡いたします」


 俺は曖昧に答えた。


 細川氏は深く頷いた。


 心の中では別のことを呟いていた。


 (酒井中将と会えば、皇道派の話に必ずなる。わたしはあの方々と組む気はない)


 (細川さんの顔を立てるため、表向きは応じる素振りを見せた。ただ実際に会うかどうかは、別の話だ)


 (教育局長として、いま、酒井中将との会見に時間を割く余裕はない。日程は、自然に流していくしかない)


「もう一つ、ご意見を伺いたいのですが」


「陸軍の皇道派による粛軍について、いかがお考えでしょうか」


 俺は息を呑んだ。


 また、その話か。


 先日も細川氏は、酒井鎬次中将と俺を結びつけたいと、皇道派起用案を持ちかけてきた。あの時、俺は明確に拒絶した。皇道派による粛軍はただ混乱を招くのみで、実を挙げることは難しい。阿南なり梅津なりを使って陸軍を全うするのが筋だ、と。


 その俺の意見を、細川氏はわざわざ蒸し返してきた。


「細川さん」


 俺は卓上の茶碗を一口、口に含んだ。


 冷たかった。


 茶碗を戻し、静かに口を開いた。


「先日も申し上げた通りです。皇道派の起用には、わたしは反対です」


「左様でございますか」


「酒井中将との木曜の件も、今申し上げた通り、日程は流動的です」


 細川氏は深く頷いた。


「ご意見、しかと承りました」


 俺はもう一つ、確認したいことがあった。


「細川さん」


「高松宮殿下と東條閣下との間には、海軍大臣更迭の御話があったものと、推察いたします」


「ただ、海軍の若い将校は、殿下が妥協されたのではないかと、心配しております」


「もし嶋田大臣の留任で妥協されたら、一切の希望は喪失されると、若い将校たちは申しております」


「……」


「この点、最近の機会に、確かめていただきたく――」


 俺は深く頭を下げた。


 細川氏もまた、深く頷いた。


「分かりました。明日、高松宮殿下にお目にかかります。殿下のお心を、直接、お確かめしてまいります」


「ありがとうございます」


 俺は深く一礼した。


 細川氏は立ち上がり、傘を取った。


「では、明日、伺います」


「お待ち申し上げます」


 細川氏は応接室を出ていった。


 俺は窓の外で、雨が降り続いているのを眺めた。


 春の冷たい雨だ。


 (細川さんは、明日、殿下のお心を、確かめてくださる)


 心の中で呟いた。


 (もし殿下が嶋田留任で妥協されているなら、合法の道は、最後の柱を失う)


 (井上中将は動かれぬ。米内大将現役復帰の動きも、殿下のお心次第だ)


 (殿下が「嶋田留任で妥協」されたなら、我々は、合法以外の道を、本気で考えねばならぬ)


九 三月二十九日 夜――細川、再訪


 三月二十九日、水曜日の夜。


 目黒の海軍省第一分室、教育局長室。


 細川護貞氏が、ふたたび訪ねてきた。


 顔色がよかった。


 俺は内心、ほっとした。


「細川さん、いかがでしたか」


 細川氏は応接室の椅子に腰を下ろした。


「本日朝、高松宮殿下にお目にかかりました」


「殿下のお心は、若い将校たちの懸念とは、まったく異なるものでした」


 俺は身を乗り出した。


「殿下は、こう仰せられました――」


 細川氏は静かに語り始めた。


「『東條は参謀総長になったばかりだし、張り切っておる処だから、ますますやるであろう』」


「『自分が東條に会ったのは特別の用件があってではなく、月に二回くらいの割で会うことに決めておるのが、延びになっておるので会ったまでだ』」


「『ただ、嶋田は全く駄目だから、海軍の幕僚を東條の下につけて、事実上、統帥部を一つにし、東條へ海軍教育をすると同時に、嶋田を浮かせてしまうという案を考えておる。これはもちろん、東條も賛成だった』」


 俺は息を呑んだ。


 高松宮殿下は、東條閣下と妥協されたわけではなかった。


 むしろ、東條の下に優秀な海軍幕僚をつけて、東條を内側から海軍化し、嶋田大臣を実質的に「浮かせて」骨抜きにするという、極めて高度な政治的罠を仕掛けておられた。


「細川さん――」


 俺は声を落とした。


「殿下は、海軍の若い将校たちが心配しておるような『妥協』ではなく、もっと深いお考えで動いておられたのですね」


「殿下はさらに、こう仰せられました――」


 細川氏は声を低めた。


「『自分としては、今、無理に内閣を更えるよりも、むしろあくまで東條にやらせて、その上で替えるのが一番よいと思う』」


 俺は深く息を吐いた。


 (中途半端な政権交代をせず、敗戦の全責任を東條に負わせた上で、決定的な破局のタイミングで一気に政権をすげ替える)


 心の中で呟いた。


 (これは、近衛文麿公爵の戦略と同じだ)


 (殿下と近衛公が、根底では一致しておられる)


「細川さん」


「殿下のお心、しかと、承りました」


「我々は、今は、合法の枠内で、米内大将現役復帰と嶋田大臣退陣の道を、地道に進めるしかありません」


「同感です」


「ただ、殿下のお考えが『東條に最後まで泥をかぶせる』であるならば、嶋田大臣の退陣は、もっと先になるかもしれませぬ」


「我々中堅としては、その日まで、合法の手段を尽くしながら、待たねばなりません」


 細川氏は深く頷いた。


「もう一つ、お伝えいたします」


「近衛公も同じお考えです。近衛公は、中途半端な寺内寿一や梅津美治郎が出るよりも、このまま東條にやらせた方がよいと、申しておられます」


「ただ、もし更えるなら、一刀両断に皇道派を起用して粛軍を行うとのお考えのようです。けれども、これには海軍の若い者は失望すると思います」


 俺は深く頷いた。皇道派の話は、これで終わりだ。


 細川氏は立ち上がった。


「では、これにて、失礼いたします」


「ご足労、ありがとうございました」


 俺は玄関まで送った。


 細川氏が雨上がりの夜道を、目黒の坂を下っていった。


 俺は玄関の戸を閉め、教育局長室に戻った。


 夜の静かな部屋で、わたしは独り、卓を前に坐っていた。


 (殿下のお心は、わかった。嶋田留任で妥協されたのではない)


 心の中で呟いた。


 (殿下は、東條に最後まで泥をかぶせる、というお考えだ)


 (ただそれは「最後まで」ということだ。嶋田大臣の退陣は、もっと先になるかもしれぬ)


 (井上中将は動かれぬ。殿下も、すぐにはお動きにならぬ)


 (合法の道は、刻一刻と、細くなっていく)


 (俺は今夜も、明日も、地道に、その細い道を歩み続ける他はない)


 窓の外で、夜の雨が止んでいた。


 遠くで、海鳥の声がした。


◆ 後書き 高木 成(あきら、長男、戦後の回想)


 わたしは高木成。明治――いや、昭和七年(一九三二年)、茅ヶ崎で生まれた。父・高木惣吉、母・静江の長男である。


 昭和十九年、わたしは十二歳。茅ヶ崎の中学校に通う、ごく普通の少年だった。


 父が海軍少将であることは、子供心にも誇りであった。


 ただ、父が具体的に何の仕事をしておるのか、わたしには、ほとんど分からなかった。


 父は毎日早朝に茅ヶ崎を発ち、深夜に帰宅した。深更まで書斎で書類を書き、わずかな仮眠を取って、また朝、家を出た。


 夕食を家族で取れる日は、月に数日もなかった。


 父は寡黙な人だった。家でも、ほとんど口をきかなかった。


 ただ時々、わたしを庭の畑に連れ出して、麦の穂を見せてくれた。


「成、いずれ、この麦が実ったら、皆で食べような」


 父はそう、ぼそりと仰せられた。


 わたしは「はい」とだけ答えた。


 戦時下の茅ヶ崎の家庭は、皆、似たようなものだった。男たちは中央で何かの仕事をし、子供たちは学校で勤労動員に駆り出され、母たちは庭で野菜を作り、空襲の予報があれば防火水槽に水を満たした。


 父は、それ以上のことを、わたしに語らなかった。


 昭和二十年の夏、戦争が終わった。


 その後、わたしは大学に進み、社会人になった。父は静かに引退し、戦後の混乱のなかで、回想録を書く生活に移った。


 父が亡くなる前の数年、わたしは父と二人で書斎で話す機会を、何度か得た。


 あの日のこと、いま思い出すと、父はぽつりぽつりと、戦時下の海軍工作の話をわたしに語ってくれた。


 ある晩、父が言われた。


「成、お前を覚えておるか。十二歳の春、お前が庭の麦の穂を見ておった日のことを」


「はい、覚えております」


 わたしは答えた。


「あの日、父は江田島から帰ってきたばかりであった」


「江田島で、井上成美中将に『中央に出てきていただきたい』とお願いし、断られた。その後、教育局長として、結核に倒れる新兵の予防策を講じ、息子を案じる母親の陳情を受け、宮中のご真意を細川さん経由で探っておった」


「あの一週間、わたしの心は、ずたずたであった」


「お父さん――」


「ただ、あの夕方、お前が庭で麦の穂を見ておる姿を見てわたしはもう一度、立ち上がる気になった」


 父は静かに続けた。


「あの麦が実れば、お前と母と三人で食べられる――そう思った時わたしは戦争を絶対に終わらせねばならぬと、誓った」


 わたしは涙を堪えるのに必死だった。


 父はあの日、わたしの目の前で、わたしの命を、自分の中で誓って守ろうとされていたのだ。


 幼いわたしには、それが分からなかった。


 ただ、父は、ご自分の心の中で、独りで戦っておられたのだ。


 昭和五十四年(一九七九年)、父は鬼籍に入られた。


 葬儀の席で、わたしは父の遺品の中から、一冊の古い手帳を見つけた。


 昭和十九年三月のページに、こう書かれていた。


「三月二十八日 細川氏来訪。皇道派粛軍案、不賛成。殿下のお心、明日確かめる」


「三月二十九日 細川氏再訪。殿下、嶋田留任で妥協にあらず。『東條に最後まで泥をかぶせる』のお考え。合法の道、なお遠し」


「春の麦、青し」


 最後の一行が、わたしの胸に深く沁みた。


 父は、政治工作の修羅場のなかで、家の庭の麦のことを忘れずに記録しておられた。


 あの春、父がわたしを見て立ち上がられたように、わたしもまた戦後を生きるなかで、父のあの姿を見て、立ち上がってきた。


 わたしは早稲田の大学院を出て、東海大学の教員となった。だが、癌になってしまい、もう余命いくばくもない。本当は息子であるわたしが整理すべきだが、もう時間がない。父の膨大な日記、メモ、手帳――父が黒子として残した戦時下の極秘記録の一切を、わたしは父の従弟・川越重男に託すことに決めている。父の生涯を、後世に伝えるために。


 父よ――。


 あなたの「春の麦」は、いま、わたしの中で、確かに実っております。


【次回予告】


 第四十六話「有馬正文少将遺言――翔鶴艦長、死地へ」。


 昭和十九年三月二十八日、午後――。


 肌寒い雨の降る日、目黒の海軍省第一分室教育局長室を、海軍少将・有馬正文が「出し抜けに」訪ねてくる。


 海兵第四十三期の同期生、空母翔鶴の前艦長、そして高木の家族ぐるみの親友。


 第二十六航空戦隊司令官として南方戦線へ赴任する直前の有馬は、高木に何を語るのか。


 南太平洋海戦の翔鶴艦上での、山本五十六長官への報告。


 「あれが勢一杯のところでした」――南雲忠一中将を庇うために、有馬がついた、たった一つの嘘。


 そして黒島亀人作戦主任からの嫌味と、有馬が後年まで悔やみ続けた、深い後悔。


 「俺は、年寄りから先に死ぬのが順序だと思う。これからは年寄りに先ず、死んでもらいたい」


 高木が「今度は生きて還らぬ決意だなあ」と直感した、親友からの最後の「遺言」――。


 第四十六話、ご期待ください。


【人物紹介】



鎌田かまた 道章みちあき

海軍少将。1944年3月時点で大竹海兵団司令官。本話で大竹海兵団の人員不足を高木に切々と訴える。生没年・経歴の詳細は史料に記録なし。


山崎やまざき 重暉しげあき

海軍少将。1944年3月時点で海軍潜水学校長。本話で潜水学校の教官不足、女子動員の必要性を高木に訴える。生没年・経歴の詳細は史料に記録なし。


北村きたむら おさむ

海軍軍医少佐。東京帝大医学部出身。1944年3月時点で海軍省教育局員。保健特別訓練班の編成試行(昭和19年4月24日海軍公報、教育第109号)の立案者として、新入団兵の結核予防策に取り組んだ。


■ 吉原 トキ(よしはら とき)

創作人物。海軍兵学校志望者・吉原克己(16歳)の母親、48歳。熊本県人吉で雑貨屋を営む寡婦として描かれる。実際の陳情は昭和18年12月19日朝の出来事だが、本話で3月26日の出来事として時期スライド。本話前書きの語り手。


山口やまぐち 氏夫人しふじん

創作的に補強された人物。亡き山口多聞中将(ミッドウェー海戦で戦死した第二航空戦隊司令官)の親戚にあたる山口氏の夫人。京都在住、貴族院議員・原田熊雄男爵の紹介で本話に登場。実際の陳情は昭和19年8月10日の出来事だが、本話で3月27日に時期スライド。息子の京都帝大文学部、肋膜歴等は創作。


■ 細川 護貞(ほそかわ もりさだ、1912-2005)

近衛文麿公爵の女婿(次女・温子の夫)。元首相秘書官。1943年10月以降、高松宮宣仁親王の情報係(連絡役)として、宮中・重臣・海軍中堅をつなぐ極めて重要なパイプ役を務めた。本話の第八・九章の重要人物として、3/28に高木を訪問、3/29朝に高松宮殿下に高木の懸念を伝え、夜に再訪して殿下のご真意を報告する。戦後、『細川日記』を刊行。長男は熊本県知事・元首相の細川護熙。


■ 酒井 鎬次(さかい こうじ、1885-1973)

陸軍中将(予備役)。本話では言及のみ。東條批判派として、和平工作に関与しようとした人物。本話の三月二十八日の会談で「次の木曜日」に高木と会うことが約束されるが、実際の会談は史実では昭和19年5月末〜6月上旬まで延期される。


■ 高木 成(たかぎ あきら、1932-1982)

高木惣吉・静江の長男。昭和7年(1932年)1月30日生まれ、本話時点で12歳。茅ヶ崎の中学校に在学中。本話第四章で麦の穂を眺める少年として登場、後書きの戦後回想の語り手となる。戦後は早稲田大学の大学院を修了し、東海大学の教員となって父を支え続けた。昭和57年(1982年)12月19日、大腸癌のため51歳の若さで逝去。生涯独身で、彼の死により高木家は断絶。父・惣吉の膨大な極秘資料・日記・メモ類は、成の遺言により、惣吉の従弟である川越重男氏に託され、後年の『高木惣吉 日記と情報』刊行へと結実した。

※今回、高木惣吉を描くにあたり、川越氏の著作が大いに役に立っている。心から感謝申し上げたい。


高木たかぎ 静江しずえ

高木惣吉の妻。横須賀高女卒、1900年生まれ(推定)。大正12年(1923年)12月10日に高木と結婚。茅ヶ崎の自宅で長男・成を育てながら、戦時下の家庭を守った。




【用語集】



■ 大竹海兵団

広島県大竹市にあった海軍の新兵教育施設。新入団兵の基礎訓練(軍紀、銃剣術、行進、基礎体力)を担う。戦時下、入団者の急増で教官・軍医・看護婦の不足が深刻化した。


■ 海軍潜水学校

広島県の呉鎮守府管区にあった海軍の潜水艦専門教育施設。潜水艦の操縦・運用・戦術を教える。実地訓練と長期にわたる教官との人間関係が極めて重要な特殊教育を行うため、教官の頻繁な異動は致命的であった。


■ 保健特別訓練班

昭和19年4月、海軍省教育局が試行した新兵の結核予防制度。ツベルクリン反応で陰性・陽性に分け、陰性の者にはBCG接種を行い、栄養の悪い兵に漸進的な訓練を施した。立案者は北村修軍医少佐。実施海兵団は武山、大竹、相浦、舞鶴、潜水学校、防府通信学校。高木惣吉自身が肺結核を患った経験から、この構想を強く推進した。


■ ツベルクリン反応

結核菌に感染しているかどうかを判定する皮膚反応検査。陰性は未感染、陽性は感染歴あり、強陽性は活動性結核の可能性。


■ BCG接種

結核予防のためのワクチン接種。日本では昭和初期から実用化が始まり、戦時下の軍隊では結核蔓延対策として導入が進められた。


■ 学徒予備学生

昭和18年(1943年)10月の「在学徴集延期臨時特例」により、文系大学生・専門学校生の徴集延期が解除されたことに伴い、海軍が「予備学生」として大量採用した制度。本来、海軍兵学校卒の正規士官に対する補完的存在であるが、戦況の悪化により、実質的に主戦力として消耗された。


皇道派こうどうは

昭和初期の陸軍内派閥の一つ。荒木貞夫、真崎甚三郎、柳川平助、石原莞爾らを中心とする。精神主義・反共主義・天皇親政を標榜し、対米英開戦の前は反英米的傾向もあった。二・二六事件(昭和11年)以降、陸軍中央から退けられたが、なお一部の若手将校に信奉者があった。本話で細川護貞が「皇道派起用による粛軍」を持ちかけたが、高木は明確に拒絶した。


■ 真崎 甚三郎(まざき じんざぶろう、1876-1956)

陸軍大将(予備役)。皇道派の中心人物。二・二六事件後に予備役編入。本話で高木が「信を措くに足らず」と評した人物の一人。


■ 石原 莞爾(いしわら かんじ、1889-1949)

陸軍中将(予備役)。満洲事変の立案者。皇道派とは異なるが、東條英機と対立して予備役編入。本話で高木が「信を措くに足らず」と評した人物の一人。


■ 柳川 平助(やながわ へいすけ、1879-1945)

陸軍中将(予備役)。皇道派の一人。本話で高木が「立派な人と信じる」と評した人物。


■ 阿南 惟幾(あなみ これちか、1887-1945)

陸軍大将。本話時点では第二方面軍司令官。後の昭和20年4月、鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣に就任し、終戦工作の最後の砦となる。本話で高木が「阿南なり梅津なりにて、兎も角陸軍を全うして戦争を遂行せんとの考え」と語った人物。


■ 梅津 美治郎(うめづ よしじろう、1882-1949)

陸軍大将。本話時点では関東軍総司令官。後の昭和19年7月、参謀総長に就任。本話で高木が阿南と並べて挙げた、合法的政権の中心となるべき人物。


■ 山口 多聞(やまぐち たもん、1892-1942)

海軍中将。第二航空戦隊司令官として、ミッドウェー海戦(昭和17年6月)で空母「飛龍」に乗艦中、米艦載機の攻撃を受け、艦と運命を共にした海軍の至宝。本話の山口氏夫人の親戚(夫の従兄)として言及される。


■ 原田 熊雄(はらだ くまお、1888-1946)

男爵、貴族院議員。元老・西園寺公望の私設秘書を長く務めた、宮中・重臣のパイプ役。本話の山口氏夫人を高木に紹介した人物。



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