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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第5章 海軍少将:高木惣吉編(昭和17(1942)年6月~)

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第44話「海軍兵学校長・井上成美中将の信念」

【前書き】(井上成美より)


 わたしは井上成美。


 明治二十二年宮城県仙台の生まれ、本年五十四歳。海軍兵学校三十七期。海軍軍務局長を経て、昨年十月、海軍兵学校長を拝命した。


 今日は昭和十九年三月二十一日、火曜日の夜である。


 江田島の校長官舎の応接間に、わたしは独り坐っている。


 卓上には茶碗ひとつ。窓の外は宵闇。八方園のほうから、若い候補生たちの声が海風に乗ってかすかに届いてくる。


 明日は第七十三期の繰上げ卒業式だ。九百名を超す若者たちが明朝、この江田島の練兵場で少尉候補生となり、それぞれの配乗地へと巣立っていく。


 わたしはそのことだけを考えている。


 政治のことは考えたくない。


 ただ――。


 もうじき高木惣吉少将がここを訪ねてくる。


 目黒の海軍省第一分室教育局長。今月の頭に矢野志加三君から職を引き継いだばかりの男。中央の終戦工作のなかで、いま、糸を引いている男だと聞いている。


 高木君はわたしに何を言いに来るのか。


 察しはついている。


「中央へ出て来てください」


 そう言いに来るのだろう。


 嶋田が東條と組んで参謀総長を兼ねた今、海軍の中央は事実上、嶋田一人の独裁である。これを倒すには海軍の長老格と中堅の連携が要る。高木君はその中堅の中枢にいる。


 わたしの名はおそらく次官の候補に挙がっている。


 しかし――。


 わたしは政治が嫌いだ。


 軍務局長時代に味わったあの空虚な月日。書類と妥協と政争。あんなものに海軍の魂は宿らぬ。


 ここ江田島の生徒たちのなかにこそ、海軍の魂は宿っている。


 わたしは予備になるまでこの江田島で御奉公させてもらいたい。


 嶋田大臣とはわたしの校長在任中に一系問題を解決する約束もある。兵科と機関科の差別撤廃。これはわたしが軍務局長時代から命を懸けてきた仕事だ。途中で投げ出すわけにはいかぬ。


 高木君、お気持ちは分かる。


 ただ、今夜のお話はお受けすることができぬ。


 わたしは茶碗を取り上げた。


 ぬるくなった茶を一口すすった。


 第四十四話、「江田島の冬――井上成美、動かず」。


 昭和十九年三月十九日から三月二十二日まで。教育局長就任後はじめての江田島出張で、高木惣吉が井上成美中将と対峙する四日間の物語。



【本文】


 昭和十九年三月十九日、日曜日の午後。


 俺は東京駅の八番ホームに立っていた。


 午後二時十分発、下関行きの急行列車。


 ホームには出征する兵士の家族や、勤労動員に向かう女学生たちが入り乱れていた。日の丸の小旗を振る婆さんの顔に深い皺が刻まれていた。


 俺は鞄を提げ、二等寝台車の扉の前に立った。


 神大佐は東京に残してきた。教育局長室の留守を預ける役は神大佐しかおらぬ。江田島出張中の中央の動きは、彼が逐一電報で知らせてくれる。


 汽笛が鳴った。


 俺は車内に入り、寝台車の通路を奥へ進んだ。


「失礼します」


 係員が会釈をして通り過ぎた。


 俺は割り当てられた寝台に腰を下ろした。


 車窓の外を三月の薄日が照らしていた。


 列車が動き出した。


 俺は窓に頭をもたせかけた。


 (江田島へ行く)


 心の中で呟いた。


 (合法の道は一昨日、伏見宮殿下のお心に届いた。米内大将現役復帰への同意を、殿下は岡田大将にお示しくださった)


 (ただ嶋田は動かぬ。あの男は東條と結託している)


 (殿下のお心が動いても、嶋田が断行せねば合法の道は最後の一歩で潰える)


 (その時のためにもう一つの柱が要る。井上成美中将を本省に呼び戻す)


 俺は深く息を吐いた。


 関東平野の田畑が車窓を流れていった。早春の田はまだ茶色く、所々に冬枯れの草が残っていた。


 夕刻、列車は静岡を過ぎた。


 俺は寝台にもぐりしばし目を閉じた。


 夜半過ぎ、列車は名古屋を過ぎた。


 眠れぬまま俺は車窓の闇を見つめていた。


 灯火管制下の街は墨を流したように真っ暗だった。


      *


 三月二十日、月曜日の朝。


 列車は呉駅に着いた。


 ホームに降り立った俺の鼻先に、呉特有の重油と石炭の匂いが吹きつけた。海から来る早春の風だ。


 駅前で迎えの自動車に乗り込み、俺はまず呉鎮守府へ向かった。


 午前中、鎮守府その他をまわり、公式の挨拶と打ち合わせを済ませた。


 昼食を呉海軍工廠の応接室で簡単に取った。


 午後、定期汽艇で江田島へ渡った。


 春の瀬戸内の海は青く澄んでいた。


 汽艇の甲板に立つ俺の前を、小さな島々が次々と過ぎていった。


 (二十年前わたしもこの汽艇で江田島へ通ったものだ)


 心の中で呟いた。


 (あの時の海風といまの海風は同じ匂いがする)


 午後二時頃、汽艇が江田島の桟橋に着いた。


 桟橋には教頭の高柳儀八少将と数名の幹部が出迎えに立っていた。


「高木局長、ようこそお越しくださいました」


 高柳教頭が深く一礼した。


「教頭、お世話になります」


 俺は答礼した。


 自動車で兵学校の正門へ向かった。


 校門の前で軍装の校長が立っていた。


 井上成美中将。


 短く刈り込んだ白髪交じりの頭。色艶の良い、引き締まった頬。やや大ぶりの耳。澄んだ鋭い眼が、まっすぐに俺を見ていた。背筋は直立し、純白の第二種軍装に皺一つない。五十四歳とは思えぬ若々しさを保っていた。


「高木君、よく来てくれた」


「校長、ご無沙汰しております」


 俺は深く一礼した。


 (この方は十数年前、新橋駅のホームで、肺を病んで茅ヶ崎へ向かおうとしていた俺に声をかけてくださった)


 心の中で呟いた。


 (「その病気ネ、豆腐を固めるように、そっと大事に養生しておれば大丈夫だから、くれぐれも功をあせらず、自重したまえ」――あの一言を、わたしは終生忘れない)


 (そして昭和十二年、軍務局長としてのこの方は、調査課長のわたしに「高木が提出する書類には盲判を押してもよい」とまで仰せられた)


 (わたしにとって井上成美中将は、ただの先輩ではない。命の恩人であり、合理主義の師である)


「卒業式参列の前に校内をご案内する」


「お願いします」


 俺たちは校長室へ向かった。


 校長室で井上中将、高柳教頭、その他の幹部数名と俺は卓を囲んだ。


 話題は教育の現状、生徒数、教官の配置、卒業生の配乗地の見通し――公式の場で交わすべき事柄を淡々と話し合った。


 井上中将は寡黙だった。


 俺が話す間ほとんど口を挟まず、ただ澄んだ鋭い眼でじっと俺を見ていた。


 話が終わると井上中将は静かに言った。


「明日、津久茂と大原の分校の工事現場を視察してもらいたい。それから施設をひと通り見て、夜は校長官舎で夕食をともにしよう」


「お願いします」


 俺は深く頭を下げた。


 会談が終わり、俺は校内施設の視察に移った。


 練兵場、講堂、生徒館、機関学校の校舎――。


 夕刻にかけて俺は徒歩で校内を回った。


 三月の薄日が赤煉瓦の生徒館をやわらかく照らしていた。


 二十年前、俺もこの建物のなかで枕を並べて寝た。深夜の点呼。冬の海での短艇訓練。同期の柴崎、山形、伊集院、矢野、岩淵、三好、有馬――。


 いま、その同期たちのうち何人がこの世にいないのか。


 俺は赤煉瓦の壁にそっと手を触れた。


 冷たかった。


      *


 三月二十一日、火曜日。


 午前中、俺は再び井上中将と高柳教頭に伴われて、津久茂と大原の分校工事現場を視察した。


 大原分校は江田島の西端、海岸沿いの広大な敷地に建設中だった。


 杭打ちの音、鋸の音、若い職工たちの掛け声――。


 工事現場のなかを俺は無言で歩いた。


 設計図を渡され、説明を受けた。


 恒久施設として、鉄筋コンクリートの大講堂、生徒館、訓育館、運動場――。


 いま海軍兵学校には四千名を超す生徒がいる。本校だけでは収容しきれず、岩国、大原、津久茂と分校を増設し続けている。


 俺は説明を受けながら内心、深い違和感を覚えていた。


 (戦局の大勢から考えれば、四千名を超す生徒を擁する異常事態が五年六年と続くはずがない)


 心の中で呟いた。


 (誰の意向でこれだけ大規模な恒久施設を造っているのか)


 (来年の今頃この江田島が無事に在るかどうかも分からぬ局面ではないか)


 ただ俺はその不審を口に出さなかった。


 井上中将と高柳教頭は教育者として、目の前の生徒一人ひとりを最後まで養成する責務を果たそうとしている。彼らの誠実な働きを俺の中央の視点で水を差すわけにはいかぬ。


 俺は黙って図面を返した。


「結構な設計です」


 それだけ言った。


 帰路、自動車のなかで井上中将は窓の外の海を見つめていた。


 俺もまた無言で海を見ていた。


 春の瀬戸内は青く澄んでいるが、その青の奥に灰色の影が滲んでいるように見えた。


      *


 その夜、俺は校長官舎を訪ねることに決めていた。


 午後七時過ぎ、宿舎を出た俺は徒歩で校長官舎へ向かった。


 道は遠回りになるが、八方園のあたりを通って行くことにした。


 八方園――海軍兵学校の構内の、生徒たちが家族や同期と語らうための桜と松に囲まれた一角。


 俺が八方園のあたりにさしかかった時だった。


 あちこちの木蔭から若い声がもれてきた。


「松本、お前は霞ヶ浦か」


「ええ、飛行学生課程に進みます」


「俺は瑞鶴に配乗だ」


「武運を祈る」


 声は低く、ときに震えていた。


 別の木蔭からは、もっと激情的な声が漏れてきた。


「俺はな、もし生きて還れたら必ず母さんに会いに行く! ただ還れぬかもしれぬ。その時はお前が母さんに伝えてくれ。俺は江田島で最後まで友と共にあったと――!」


「……分かった」


 応える声も若かった。


 俺は足を止めた。


 桜の木の蔭で、二人の少尉候補生が肩を抱き合っていた。


 ひとりはすでに泣いていた。


 もうひとりも唇を強く噛みしめていた。


 俺は無言で歩を進めた。


 別の木蔭では、五、六人の候補生が車座になっていた。


 ひとりが立ち上がり、震える声で告別の辞を述べていた。


「諸君! ……我らは明朝、江田島を発つ。それぞれの配乗地で、それぞれの戦場で、皇国の楯となる。……たとえ屍を太平洋の底に沈めようとも、我らの魂は必ず、この江田島の桜の下に還ってくる――!」


 車座の候補生たちが深く頷いた。


 数名は声を殺して泣いていた。


 俺は宵闇のなかを静かに歩き続けた。


 胸が締めつけられていた。


 (あの若者たちが明朝、ここを発つ)


 心の中で呟いた。


 (霞ヶ浦の飛行学生課程に進む者はいずれ特攻に出るだろう。艦に配乗する者はいずれ海の底に沈むだろう)


 (九百名を超す若者たちのうち、戦後を見ることができる者は何人いるのか)


 (俺たち中央の幕僚はこれらの若者を死地に送り続けながら、未だに戦争を終わらせることができぬ)


 俺は唇を噛んだ。


 (だからこそ、いま、井上中将に来てもらわねばならぬ)


 (あの方が中央に来てくだされば嶋田は退く。嶋田が退けば戦争を終わらせる道が開く)


 (あの若者たちのうちの一人でも多くを、戦後に還す道が開く)


 俺は校長官舎の門の前に立った。


 戸を叩いた。


「井上です」


 戸が開いた。


 井上中将ご自身が出てこられた。


「高木君、お入りなさい」


      *


 応接間に通された俺は、井上中将と卓を挟んで向かい合った。


 卓上には茶器と小さな菓子鉢。


 女中が茶を入れて退室した。


 扉が閉まると室内には沈黙が降りた。


 障子の向こうから瀬戸内の波音がかすかに聞こえてきた。


「校長」


 俺は静かに切り出した。


「本日伺いましたのは中央の情勢を詳しくお耳に入れたく――」


 井上中将は鋭い眼でじっと俺を見ていた。


「二月二十一日、東條閣下が参謀総長を兼任され、嶋田大臣が軍令部総長を兼任されました」


「これによって陸海軍の軍政と統帥がほぼ一人ずつの人物に集中する事態となりました」


「海軍の中堅、軍令部、軍務局、教育局――皆、嶋田大臣に対する信頼を失っております」


「先月二十六日、嶋田大臣が海軍の長老格を鰻飯に招かれました。財部、鈴木、有馬、岡田の四大将。有馬大将はご病気で欠席されました」


 井上中将の眉がわずかに動いた。


「席上、岡田大将がズバズバとお突きになりました。東條の無策、船舶護衛の軽視、大本営陸軍部海軍部の分裂――。嶋田大臣は『考慮中です』とその場を逃げ出されたそうです」


 俺はじっと井上中将の顔を見た。


 井上中将は無言だった。


 ただ澄んだ鋭い眼に冷たい光が宿っていた。


「校長」

「嶋田大臣に退陣していただかなくては到底、部内の収まりがつきません」


「このままでは不測の事態の起こる可能性すらあります」


 俺は声を落とした。


「神大佐のような中堅の有志のなかには、すでに合法以外の手段を考え始めている者がおります」


 井上中将の眼がふと見開いた。


「……それは危ない話だな」


「合法でなければ海軍そのものを壊すことになる」


「同感です」


「だからこそ――」


 俺は身を乗り出した。


「合法の手段で嶋田大臣を退陣させる必要があります。そのためには海軍の長老格と中堅がしっかりと連携する必要があります」


「私見ですが、いずれ校長が東京へ出られて時局収拾に当たらねばならぬ時が来そうです」


 しばし沈黙が降りた。


 井上中将は茶碗に手を伸ばし、ゆっくりと茶を一口飲んだ。


 茶碗を卓に戻すと静かに口を開いた。


「高木君」


「僕は政治が嫌いなんだ」


 俺は息を呑んだ。


「大臣とは僕の校長在任中に一系問題を解決する約束もしてある」


「予備になるまで兵学校で御奉公させてもらいたい」


「校長――」


「別天地の江田島を離れて中央へ出て行く気なんか全く持っていない」


 井上中将の声は静かだった。


 ただその静かさのなかに岩のような頑なさがあった。


 俺はしばし黙った。


 (四周の情況がご希望通りの長期留任を許すでしょうか)


 心の中で呟いた。


 (陸海軍の崩壊が目に見えている今、教育者として江田島に留まり続けることが本当に可能でしょうか)


 ただ俺はそれ以上、海軍の最高人事にわたる差し出口は慎んだ。


 井上中将は政治を嫌うが、一系問題――兵科と機関科の差別撤廃――に対する執念は本物だ。あの方が軍務局長時代から命を懸けてきた仕事を途中で投げ出すわけにはいかぬというお気持ちは、痛いほど分かる。


 ただ嶋田大臣が「校長在任中に一系問題を解決する」と本気で約束したとは、俺には到底信じられぬ。あの男はその場しのぎの口約束で井上中将を江田島に縛りつけているだけではないか。


 俺はそれも口に出さなかった。


 代わりに頭を下げた。


「校長のお気持ち、しかと承りました」


「ただ中央の情勢は刻一刻と動いております」


「お気持ちが変わられる時が来ましたら、何卒お知らせください」


「分かった」


 井上中将はわずかに頷かれた。


 短い沈黙が降りた。


 俺は茶碗を取り上げ、ぬるくなった茶を飲んだ。


 障子の向こうから、瀬戸内の波音が変わらず届いてきた。


 俺は立ち上がった。


「夜分遅くに失礼しました。明日の卒業式、楽しみにしております」


 井上中将も立ち上がられた。


 応接間の戸口で俺は深く一礼した。


 校長官舎を出た俺は夜道を一人、宿舎へ戻った。


 道々、俺は深く息を吐いた。


 (合法の道のもう一つの柱がひっそりと潰えた)


 心の中で呟いた。


 (井上中将は当分、江田島から動かれぬ)


 (残る柱は米内大将の現役復帰、ただ一本)


 (その一本にすべてを賭けるしかない)


 頭上には三月の星が、瀬戸内の闇に冴え冴えと輝いていた。


      *


 三月二十二日、水曜日。


 午前九時前、俺は教育局長として海軍兵学校の練兵場の貴賓席に着席した。


 幸い上々の天気。早春の薄日が練兵場の白い砂を照らしていた。


 午前九時十五分頃、汽笛が響いた。


 江田内に練習巡洋艦「鹿島」が入港していた。


 高松宮宣仁親王殿下がご臨席のためご乗艦であった。


 艦上の皇族旗が春の風に翻った。


 貴賓席のひな壇では、伏見宮博恭王殿下の御名代として海軍省の高官が中央の席に着いた。


 その隣に高松宮殿下のお座席が用意されていた。


 午前九時三十分、号令が響いた。


「気をつけッ! 卒業生、入場ッ!」


 練兵場の正面から、白い軍服に身を包んだ九百名を超す候補生が整然と行進してきた。


 歩調はぴたりと揃い、銃剣がきらめき、軍楽隊の演奏が空に響いた。


 俺は無言でその行進を見つめていた。


 昨夜、八方園の宵闇のなかで肩を抱き合って泣いていた者たちが、今朝はこうして毅然と歩いている。


 胸が締めつけられた。


 卒業生たちが整列を終えた。


 式が始まった。


 伏見宮殿下の御名代による告示。卒業証書の授与。恩賜の短剣の授与。


 恩賜者は十名。鮫島豪太郎、伊藤正一、平林直樹、その他――。


 次席の草間四郎候補生は虫垂炎で欠席であった。


 やがて井上校長が壇上に立った。


 訓示が始まった。


「諸子は本校入校以来ここに二年四箇月、蛍雪の功空しからず、いよいよ明後日をもって卒業し、少尉候補生として海上または航空隊勤務の第一歩を踏み出すこととなった。まことに慶賀の至りである」


 井上中将の声は静かだった。練兵場の白い砂の上にその声は淡々と響いていた。


「諸子の卒業は時局の関係上、数箇月繰り上げられたものであるが、諸子はいよいよ発奮し、よく其の責務を自覚し、日夜緊張せる修練を積み、人格を磨き、体力を練り、かつ将校たるに必要なる学術の修得に最善の努力をいたし、もって概ね所期の成果を挙げ得たるものと信ずる」


 俺は壇上の井上中将の横顔を見つめていた。


 訓示はその後、五つの項目に分かれて続いた。


 第一に――当面の職責に全力を注げ。


「凡そ海軍の職務に無用のものは一つもない。各自が夫々与えられたる職務に全力を尽し、其の職務、一艦一隊の戦闘力を完全に発揮することができるのである」


「次室将校にして未だ水雷艇の操縦すら出来ないのに、徒に天下国家を論じたり高遠なる戦略戦術を論ずるは、以ての外である」


 俺は内心、深く頷いた。


 (この方は青年将校に対しても、まず「足下を固めよ」と仰せられる)


 (精神論ではなく、現場主義。海軍の中堅幕僚としてわたしが一番痛感していることだ)


 第二に――和衷協同の実を挙げよ。


「凡そ一艦一隊の各員あるいは各科は単独では戦闘力を発揮し得るものではなく、互いに相倚り相援けて、厳粛たる指揮系統のもとに渾然一体となり、各員、全能を発揮するに依り、初めて一艦一隊の戦闘力を最大に発揮することができる」


「古語に曰く、五指は一拳に如かず、と」


 第三に――部下統御。


「真に部下を掌握統御するには、部下を心服せしむることが最も肝要である。而して、これがためには、左の三つの条件が必要であると思う」


「第一――高潔なる人格。部下統御は自己統御なり」


「第二――部下の職務境遇に対する理解。親心を持て」


「第三――垂範。無言の教育、無言の統御」


 俺は息を呑んだ。


 (部下統御は自己統御なり――井上中将ご自身の信条がにじみ出ている)


 (あの方はご自身を厳しく律しておられる。だからこそ生徒たちが心服する)


 (親心を持て――あの鋭い眼の奥に、深い情がお宿りになっておられる)


 第四に――旺盛なる意気を以て事に当れ。


「初級将校として一艦一隊に配属されたならば、直接、下士官および兵に接しこれを指揮しなければならない。その意気の昂るとき否やは、直に以下、下士官および兵の士気を左右し、ひいては一艦一隊の士気の消長に関係することになる」


 第五に――常に心身の鍛錬に努めよ。


「諸子は本校二年数箇月の生活において、武道その他の体育により心身の鍛錬にこれ努めて来たのであるが、卒業後においてもこれを中絶することなく、いつまでも継続することを切に望む」


 訓示の結びはこうであった。


「今や帝国未曾有の大戦に際し、帝国海軍の責務、いよいよ重大なるの秋、諸子を航空または海上に送る。感慨無量なるものがある」


「校長は職員一同を代表し、ここに諸子の勇戦奮闘を期待すると共に、一同の武運長久を祈る次第である」


 訓示が終わった。


 卒業生たちは直立不動のまま、深く一礼した。


 俺は無言で壇上を見つめていた。


 (井上中将は最後まで、教育者として、生徒たちに「死ね」とも「生き延びよ」とも仰せられなかった)


 心の中で呟いた。


 (ただその訓示の全篇に深い情がにじんでいた)


 (「部下統御は自己統御なり」「親心を持て」「無言の教育」――あの方は生徒たちが将来、部下を率いる時に、決して彼らを無駄に死なせぬよう、教育者として最後まで仕込まれた)


 (「徒に天下国家を論ずるは以ての外」――この一言は青年将校の精神論への戒めだ。あの方は若者たちに、戦場での足下を固めよ、と最後の最後まで仰せられた)


 (それが井上成美のお人柄だ)


 式典が終わった。


 卒業生たちはそれぞれの配乗地、配属地へと向けて午後の汽艇で江田島を発っていった。


 俺は桟橋に立ち、汽艇を見送った。


 白い軍服の若者たちが汽艇の甲板で振り返りもせず、ただ前方の海を見つめていた。


 その姿が春の薄日のなかでしだいに小さくなっていった。


 俺は無言で立ち続けていた。


 (あの九百名のうち、戦後を見る者は何人いるのか)


 心の中で呟いた。


 (俺たちはいつまでこの若者たちを死地に送り続けるのか)


 (井上中将、あなたが中央に来てくだされば、この流れを止められるかもしれぬ)


 (ただあなたは動かれぬ。動かれぬのなら、わたしが別の道でこの若者たちを救う他はない)


 桟橋に立つ俺の頭上を、海鳥が一羽、鋭く啼きながら飛んでいった。


      *


 その夜、校長公舎で夕食の席が設けられた。


 高松宮殿下、井上中将、俺、高柳教頭、その他数名の海軍幹部が席に着いた。


 料理は質素であった。瀬戸内の小魚の煮付け、麦の混じった飯、漬物、汁物。これも戦時下の海軍の常である。


 杯を傾けながら初めは和やかに話が進んだ。


 ただしばらくして、高松宮殿下がさりげなく切り出された。


「校長、次のクラスから教育年限をもう一段短縮できないものですか」


 俺ははっとした。


 杯を口元に運びかけていた井上中将がふと手を止めた。


 澄んだ鋭い眼で、しばらく殿下を見つめておられた。


 やがて井上中将は静かに口を開いた。


「殿下、その御下問は宮様としての御下問でございますか――それとも、軍令部員としてお訊ねになるのでございますか」


 俺は息を呑んだ。


 卓を囲む他の幹部たちも一瞬、固まった。


 高松宮殿下はわずかに身を引かれた。


「……軍令部員としての質問だ」


「そうですか」


 井上中将は杯を卓に戻された。


「御言葉ながら――」


 井上中将の声は相変わらず静かであった。


 ただその静かさのなかに岩のような頑なさがあった。


「これ以上年限を短くすることは、御免蒙ります」


 卓のうえにしんと沈黙が降りた。


 俺は思わず井上中将の顔を見た。


 あの方は皇族にして軍令部員の高松宮殿下を、真正面から拒絶された。


「修業年限の短縮はすでに限界まで来ております」


 井上中将は淡々と続けた。


「これ以上短くすれば、生徒たちは士官として最低限の知識と判断力すら身につけぬまま第一線へ送られることになります」


「数だけ揃えても士官になっておらぬ若者を戦場に送れば、戦況はかえって悪化します。そして若者たちは無駄に死にます」


「わたしは校長としてそれを許すわけには参りません」


 井上中将は深く一礼した。


 高松宮殿下はしばし黙っておられた。


 高柳教頭は卓の下で拳を握りしめておられた。


 俺は息をするのも忘れて井上中将を見つめていた。


 やがて高松宮殿下は静かに頷かれた。


「……校長のお考え、よく分かった」


 殿下は嶋田総長の肩を持つ素振りも見せず、ただ黙って井上中将のお話を聞いておられた。


 夕食はその後も淡々と続いた。


 ただ卓を囲む空気はもう先ほどまでの和やかさではなかった。


 その夜、夕食を終えて校長公舎を辞した俺は、ふたたび井上中将と二人で短く話す機会を得た。


 応接間の戸口で俺は深く頭を下げた。


「校長、本日のご訓示、ご答弁、まことに感服いたしました」


 井上中将はわずかに首を振られた。


「あれは当然のことを言ったまでだ」


 俺は声を落とした。


「あれだけのことを皇族の前で、軍令部員の前で堂々と言える方は、海軍中、もうお数えになるほどしか――」


「高木君」


 井上中将は俺を遮られた。


「あれは政治ではない。教育だ」


「わたしは政治を嫌う。ただ教育については命を懸ける」


「殿下が軍令部員として年限短縮を仰せになった以上、わたしは校長として堂々と御免蒙ると申し上げる。それだけのことだ」


 俺は深く頷いた。


「校長」


 俺はもう一つ、伺いたいことがあった。


「中央には『兵学校の採用試験から英語を外してはどうか』との声がございます。陸軍士官学校が一昨年に英語を廃止した影響もあり、秀才が陸軍に流れる傾向がございます」


 井上中将はわずかに首を振られた。


「教官研究会で同じ話が出た。武官教官のほぼ全員が廃止賛成だった。わたしは『よろしくない』と申し上げた」


「秀才が陸軍へ流れるなら流れて構わん。外国語一つ真剣にマスターする気の無いような少年は、海軍の方でこれを必要としない」


「……」


「高木君」


「勝てば英語が要る。負ければなお要る。どちらにしても、いずれ英語の必要な時代が来る」


 俺は息を呑んだ。


 あの方は、すでに「負け」を視野に入れておられる。


 ただそれを口に出さず、教育の方針として、若者たちに「負けた後の日本」で生きていくための備えをお仕込みになっている。


「校長――」


「英英辞典を生徒全員に使わせている。五千部一括購入だ。主計長が予算がないと言ってきたから、『要するに君、金ですむことじゃあないか』と申し上げた」


 井上中将はわずかに笑われた。


 俺も思わず微苦笑した。


「それから高木君。先ほどの話だが」


「中央へ出る話はお断りした」


「ただ――」


 井上中将はわずかに眼を伏せられた。


「君のお気持ちは痛いほど分かる」


「校長――」


「君の苦衷はようやく僕にも見えてきた」


「上からの工作と、下の中堅の不満。海軍中堅が嶋田への怒りに揺れている。その中央で君が黒子として糸を引いている。だから君は井上に来てもらいたいと言うのだろう」


 俺は息を呑んだ。


「君のお気持ちはしかと預かっておく」


「校長――」


「もし将来、本当にわたしが中央に出ねばならぬ時が来たならば、その時はその時で考えよう」


 俺は深く深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 井上中将はわずかに頷かれた。


 俺は校長公舎を辞した。


 夜道を歩きながら俺は深く息を吐いた。


 (井上中将はお断りになった。ただお気持ちは預かってくださった)


 心の中で呟いた。


 (あの方はいざという時には必ず動かれる方だ。今夜のご答弁を見て、わたしは確信した)


 (ただその「いざ」はいつ来るのか)


 (米内大将現役復帰の動きを見守りながら、井上中将にはいつでも動いていただける態勢を、東京で整えておく)


      *


 その夜、宿舎に戻った俺はしばらく窓辺に立っていた。


 江田内の海から夜風が吹いてきた。


 二十年前、生徒として枕を並べて寝た夜にも、この同じ風が吹いていた。


 あの夜、俺は十七歳だった。


 胸のなかには海軍士官として皇国に尽くす、という純粋な志があった。


 いま四十四歳の俺は教育局長として、若者たちを死地に送り続けている。


 胸のなかには戦争を一日も早く終わらせる、というもう一つの志がある。


 二つの志は矛盾している。


 ただその矛盾の只中で、俺は今夜も糸を引き続ける。


 窓辺に立つ俺の眼に、江田内の闇の向こうの瀬戸内の波がぼんやりと光って見えた。


 俺は便箋を取り出し、神大佐への報告を書き始めた。


「江田島出張、本日終了。井上中将、当面、中央へは出られず。米内大将現役復帰の動きを引き続き、最優先で進めること――」


 ペンを置いた。


 窓の外で海鳥が一羽、夜空を渡っていった。


 (井上中将は政治を嫌う。中央には出られぬ)


 心の中で呟いた。


 (ただあの方は、すでに「負け」を視野に入れておられる)


 (「勝てば英語が要る。負ければなお要る」――)


 (あの一言は、井上成美中将の絶望と、絶望のなかでなお育てる教育者としての覚悟を、すべて言い表していた)


 (あの方は江田島の教壇から、戦後の日本を見つめておられる。九百名の卒業生たちが、いずれ焼け野原の祖国で、英語を武器に立ち上がる日のために)


 (一方で俺は中央で、一日も早く戦争を終わらせる工作に身を捧げる)


 (江田島と東京。教育と政治。役割は違うが、目指す先は同じだ。戦後の日本を、いかにして立ち上げるか)


 俺は明朝、東京へ戻る。


 目黒の教育局長室でまた糸を引く日々が始まる。


 (あの九百名の卒業生たちのために)


 心の中で呟いた。


 (井上中将のあの訓示のために)


 (一日も早く戦争を終わらせねばならぬ)


 ――あの夜、俺は知らなかった。


 五か月後の昭和十九年八月、井上成美中将は予期せぬ形で江田島を発たれることになる。米内光政海軍大臣の強硬な懇望により、海軍次官として中央に返り咲かれるのである。


 そして俺と井上中将は、合理主義の師弟として、やがて肩を並べ、終戦工作の最前線に立つことになる。


 ただ、それは八月の話だ。


 昭和十九年三月の江田島のこの夜、俺もまた、それを知らない。



【後書き】(深田秀明より)


 わたしは深田秀明。


 昭和十九年三月、海軍兵学校第七十三期を卒業し、霞ヶ浦の飛行学生課程を経て艦上爆撃機の搭乗員となった。終戦時の階級は海軍中尉。


 戦後は大学に戻らず、いち早く実業の世界に身を投じた。闇市の混乱のなかから事業の糸口を掴み、銀座で偶然見かけた「衣裳研究所」の花森安治氏に強引に面会を申し入れ、雑誌『美しい暮しの手帖』の用紙を独占的に納入する商売を成功させた。いまは株式会社秀明社の社長、古鷹商事のオーナーである。


 このたび井上成美校長の伝記を編纂するため、われわれ教え子の有志で「井上成美伝記刊行会」を組織した。校長はすでに鬼籍に入られた。わたしは伝記刊行の中心人物として、いま、この回想を綴っている。


 遡れば、昭和十七年から十九年にかけての海軍兵学校在校時代。


 わたしたちは井上校長の教育方針が、まったく理解できなかった。


 とりわけ理解できなかったのが、英語の授業であった。


 時局は敵性語排撃の真っ最中であった。世間ではすでに、野球の「ストライク」を「よし一本」、「ボール」を「だめ」と呼び替える時代であった。陸軍士官学校は昭和十五年の秋に、採用試験から英語を廃止していた。


 ところが井上校長は江田島で、英語の授業を頑強に存続させた。


 それどころか、英和辞典を廃して英英辞典を生徒全員に使わせた。研究社の『New Simplified English Dictionary』を五千部、一括で購入された。


 わたしたちは、内心、激しく憤慨していた。


「これから米英と命を懸けて戦おうとしているわれわれに、なぜ英英辞典を引かせるのか」


「校長は親英米派だから、敵性語の授業を残したいだけではないか」


「世間の風潮に逆らってまで、英語に固執する校長の真意が分からぬ」


 同期の岩田はあの頃、わたしに憤慨してこう言った。


「校長は卒業式の前に『海軍士官のたしなみとして、ハンカチは必ず絹、清潔なハンカチ三枚、ワイシャツ三枚、白手袋、最小限これだけは常時携帯しているよう心掛けよ』などと仰せられた。死にに行くわれわれに何という呑気な話か」


 わたしも同感だった。


 英語教育もハンカチも白手袋も、わたしたちには「平時のジェントルマンの嗜み」にしか見えなかった。


 戦時下のいま、なぜ校長はこのような時代錯誤の教育に固執されるのか――。


 わたしたちは校長の真意を、まったく理解していなかった。


 わたしは霞ヶ浦の飛行学生課程に進み、艦上爆撃機の搭乗員となった。同期の多くは戦死した。岩田は生き延び、わたしも幸運にも生き延びた。


 敗戦。


 焦土となった東京。生き残った海軍士官として、わたしは闇市の混乱のなかを歩いた。海軍は解体された。連合艦隊は海の底に沈んだ。皇国は敗れた。


 あの時、わたしは初めて、英英辞典の意味を知った。


 占領下の日本にはアメリカ兵が溢れ、英語ができる者だけが商売の機会を掴めた。わたしは粗末な英語で、闇物資の交渉に挑んだ。中学時代の英語ではなく、兵学校で叩き込まれた英英辞典の語彙が、思いがけず役に立った。


 商売が軌道に乗り、銀座で花森安治氏に面会を申し入れた時も、わたしは英語で書かれた印刷技術の資料を独力で読み込んでいた。アメリカ占領軍から払い下げられる用紙の交渉でも、わたしは通訳を介さずに直接話せた。


 大学に再進学した同期たちは、英文の専門書を苦もなく読みこなしていた。


 一方、戦時下に「穴掘りと軍事教練」ばかりやらされてきた他校の同世代は、戦後の新しい日本社会に適応するのに苦労していた。彼らは英語を、ABCから学び直さねばならなかった。


 あの時、わたしは初めて、井上校長の真意を悟った。


 校長は二年も前から、すでに「日本は負ける」と見抜いておられた。だから、わたしたち戦時下の青年将校に、敗戦後の日本で生きていくための「最小限の基礎教養」を、強引にお仕込みになっていた。


 「徒に天下国家を論じたり、高遠なる戦略戦術を論ずるは、以ての外である」というあの訓示の一節も、戦略を妄想する青年将校への戒めだったのだ。


 そして英語教育は、戦後の日本を立ち上げるための、校長の最後の贈り物だった。


 昭和三十年代、校長が長井の小屋で英語塾を開きながら貧窮の生活を送られていることを知った時、わたしは校長を訪ねた。


 校長はわたしを見て嬉しそうに笑われた。


「深田、君も立派な実業家になったね」


 わたしは深く頭を下げた。


「校長、わたしは校長のお陰で戦後を生き延びることができました。あの英英辞典のお陰です」


 校長はわずかに首を傾げられた。


「ほう。あの時の生徒は皆、文句を言っていたが」


「在校中は確かに、文句を言っておりました」


 わたしは正直に申し上げた。


「ただ戦後、敗戦の混乱を生き延びるなかで、校長のお言葉の真意がようやく分かりました。占領下の日本で英語ができる者は、商売も交渉も自由でした。校長は二年前にすでに、わたしたちが戦後に必要とするものを見抜いておられたのです」


 校長はわずかに頷かれた。


「勝てば英語が要る。負ければなお要る。どちらにしても、いずれ英語の必要な時代が来る」


「校長――」


「あれは戦時下、口に出して言えなかった。だから教育の方針として、敢えてやった」


 校長は静かに続けられた。


「あと二年もすれば、日本がこの戦争に負けるのは決まり切っていた。だけど公け(原文ママ)にそんなことを言うわけにはいかなかった。それなら負けたあとはどうするのか――皆で目茶々々にしてしまった日本の国を復興させるのは、彼ら七十三期の生徒たちなんだ。その際必要な最小限の基礎教養だけは与えておいてやるのが、せめてもの我々の責務だ。そう思って、下の突き上げも上層部からの非難も無視して敢てああいうことをやった」


 わたしは涙を堪えるのに必死だった。


 校長の喜寿(七十七歳)の祝賀会で、ある同期生がこう挨拶した。


「兵学校在校中私は、英語教育をやめさせない、軍事学より普通学を重視するという校長の方針がどうしても理解出来ませんでした。意味を悟ったのは戦後で、大学へ再進学した時も世間へ出てのちも、穴掘りと軍事教練ばかりやらされて来た人々に較べれば、凡ての学習が遥かに楽で申し訳無いくらいでした。深く感謝しております」


 校長はそれを聞き、満足そうに語られた。


「みんな立派な社会人に成長したね。私が江田島でやったことは、間違っていなかったようだ」


 いま、わたしは伝記刊行会の中心人物として、校長のお人柄を後世に伝える仕事に取り組んでいる。


 校長は政治を嫌われた。だから中央には出られなかった。江田島から動かれなかった。


 もし校長があの時、高木さんのお願いを受けて中央に出ておられたら――。


 歴史は変わっていたかもしれぬ。


 ただ校長は江田島に留まられた。そして九百名のわれわれ七十三期生に、戦後の日本を立ち上げるための最小限の基礎教養を、英語を、ジェントルマンの嗜みを、最後まで仕込まれた。


 戦後、生き残ったわれわれは、その校長の教えを胸に、それぞれの分野で日本の戦後復興に尽くした。


 校長――。


 いまさらながら、ご教育、まことに、ありがとうございました。


 あなたが二年前から見据えておられた「戦後の日本」を、われわれ七十三期の生き残りは、いま、確かに、生きております。


■ 人物紹介


井上成美(いのうえ・しげよし、1889年〜1975年)

海軍中将(1944年3月時点、海軍兵学校長)。仙台市生まれ。海軍兵学校37期、海軍大学校17期。海軍軍務局長、第四艦隊司令長官などを歴任。山本五十六・米内光政と並ぶ「海軍の三羽烏」と称された自由主義者・合理主義者。日独伊三国同盟に反対し、開戦回避を最後まで主張した。1944年8月に海軍次官に就任、終戦工作に関与する。戦後は横須賀の小屋に隠棲し、近所の子供たちに英語を教えて生涯を終えた。1945年5月、海軍大将。本話の主役の一人。


高松宮宣仁親王(たかまつのみや・のぶひと、1905年〜1987年)

昭和天皇の弟宮。海軍士官として軍務に従事。1944年3月時点では海軍大佐、軍令部出仕兼第二部勤務。早期からの早期講和論者。本話の三月二十二日夜の夕食席で井上中将と修業年限短縮をめぐって緊迫したやり取りを行った。


高柳儀八(たかやなぎ・ぎはち、1893年〜1970年)

海軍少将。1944年3月時点で海軍兵学校教頭。井上成美校長を支え、海軍兵学校の戦時教育の現場を取り仕切った。


鮫島 豪太郎、伊藤 正一、平林 直樹

海軍兵学校第七十三期の恩賜者(首席卒業者)。本話の三月二十二日の卒業式で、井上校長から恩賜の短剣を授与された。


草間 四郎

海軍兵学校第七十三期の次席卒業者。本話の三月二十二日の卒業式当日、虫垂炎(盲腸)のため欠席した。


深田秀明ふかだ・ひであき

実在人物。海軍兵学校第七十三期卒業生。終戦時は海軍中尉、艦上爆撃機の搭乗員。戦後は実業家として成功し、株式会社秀明社の社長、古鷹商事のオーナーとなる。在校時は親英米派の井上校長に反発していたが、戦後、井上の真意を知って深く傾倒。井上の晩年を経済的・精神的に支え尽くし、「井上成美伝記刊行会」を組織して、本文580ページ、資料編339ページの超大作、井上成美伝記刊行会編『井上成美』刊行の中心となった。井上成美を研究するなら必読であろう。本話の後書きの語り手として、戦後の回想形式で井上成美への思いを語る。


岩田友男いわた・ともお

実在人物。海軍兵学校第七十三期卒業生。深田秀明の同期。卒業式前の井上校長の「ハンカチ・白手袋」訓話に対し「これから死にに行くつもりの自分たちに、何というつまらない話をする校長か」と憤慨したことが、阿川弘之『井上成美』に記録されている。本話の後書きで深田の同期として言及される。


神重徳(かみ・しげのり、1900年〜1945年)

海軍大佐(1944年3月時点、海軍省軍務局第一課長)。鹿児島県出身。海軍兵学校48期。高木の「黒子の右腕」として、本話では東京に残って局長室の留守を預かる。1945年8月、終戦直後の不慮の事故で殉職。


鎌田 道章

海軍少将(1944年3月時点、大竹海兵団司令官)。本話では言及のみ。第四十四話で再登場予定。


山崎 重暉

海軍少将(1944年3月時点、潜水学校長)。本話では言及のみ。第四十四話で再登場予定。


■ 用語集


海軍兵学校(江田島)

広島県江田島にあった海軍士官の養成機関。明治21年に築地から江田島へ移転。陸軍士官学校と並ぶ、戦前日本の最も難関なエリート養成校の一つ。卒業生は少尉候補生として艦隊勤務を経て、海軍士官となる。


第七十三期

海軍兵学校の七十三回目の卒業期。1941年12月(昭和16年)入校、本来は四年制だが戦時下の繰上げ卒業により、二年三ヶ月で卒業した。卒業生九百一名(『高松宮日記』記載)。


大原分校・津久茂分校

海軍兵学校の分校。本校の収容能力を超える生徒数に対応するため、江田島島内に増設された。本話では大原分校の工事現場を視察する場面が描かれている。


八方園

海軍兵学校構内の桜と松に囲まれた一角。生徒たちが家族や同期と語らうための場所として利用されていた。本話では卒業前夜、候補生たちが別れを惜しむ姿が描かれている。


一系問題いっけいもんだい

海軍内部における兵科と機関科(後の機関兵科)の差別撤廃問題。明治以来、海軍では艦の操舵・砲撃などを担当する「兵科」と、機関を担当する「機関科」が制度上区別され、機関科は出世や待遇面で差別されていた。井上成美が軍務局長時代から取り組んだ難題で、1942年に一応の解決を見たが、なお制度上の調整事項が残っていた。井上中将は本話で、この問題の最終決着を理由に政治への関与を拒絶している。


伏見宮博恭王(ふしみのみや・ひろやす・おう、1875年〜1946年)

皇族・元帥海軍大将。1932年から1941年まで軍令部総長を務めた、海軍の最長老格。本話の卒業式では「御名代」として高官を派遣された。


修業年限短縮

戦時下、士官の急増需要に対応するため、海軍兵学校・陸軍士官学校とも修業年限を段階的に短縮した。本話で高松宮殿下が井上校長に「もう一段の短縮」を打診したのは、この流れのなかで生じた話である。井上校長は「これ以上短くすれば、最低限の士官教育が不可能になる」として毅然と拒絶した。


恩賜の短剣

海軍兵学校の卒業式で、首席卒業生(恩賜者)に天皇から下賜される短剣。最高の栄誉とされた。本話では十名が恩賜者として表彰された。


練習巡洋艦「鹿島」

海軍の練習用巡洋艦。新任士官の遠洋航海訓練などに使用された。本話では高松宮殿下が呉から江田内まで「鹿島」に座乗されて卒業式に臨席された。


嶋田・東條の総長兼任問題

1944年2月21日、東條英機首相が陸軍参謀総長を、嶋田繁太郎海相が軍令部総長を異例の形で兼任した。これにより、陸海軍の軍政と統帥がほぼ一人ずつの人物に集中する事態となり、海軍内部で深い不信を招いた。本話で高木が井上中将に詳しく報告した「中央の情勢」とは、主にこの兼任問題以後の動きを指す。


不測の事態

本話で高木が井上中将に語った「不測の事態」とは、嶋田海相の続投に憤る海軍中堅層が、抑えを失って暴発する事態を指す。高木は合法的な嶋田退陣を実現することで、中堅の暴発を防ごうとしていた。


五指は一拳に如かず

井上成美校長の訓示で引用された古語。五本の指がばらばらに動くより、一つの拳に握り固められたほうが力を発揮するという意味。和衷協同チームワークの重要性を説く比喩。


部下統御の三条件

井上成美校長が訓示で示した、部下を心服させるための三つの条件。第一に「高潔なる人格」(部下統御は自己統御なり)、第二に「部下の職務境遇に対する理解」(親心を持て)、第三に「垂範」(無言の教育、無言の統御)。井上中将自身の海軍士官教育の核心であり、戦後にも海軍士官の心構えとして広く語り継がれた。


敵性語排斥

太平洋戦争中の日本国内における英語等の「敵国の言葉」を排除する風潮。野球の「ストライク」を「よし一本」、「ボール」を「だめ」と呼び替えるなど、日常生活全般に及んだ。陸軍士官学校は昭和15年(1940年)秋に採用試験から英語を廃止していた。井上成美はこの風潮に強硬に逆らい、海軍兵学校の英語教育を最後まで存続させた。


英英辞典(New Simplified English Dictionary)

研究社が出版していた、初学者向けの英英辞典。井上成美校長は「直読直解主義」(英語を英語のまま感覚で理解する学習法)の実践のため、英和辞典を廃してこの英英辞典を生徒全員に使わせた。主計長の河村直衛中佐が5000部の一括購入に予算を理由に反対した際、井上は笑顔で「おい、主計長。要するに君、金ですむことじゃあないか」と一蹴した。


直読直解主義

井上成美が提唱した英語の学習法。英文を一旦日本語に訳してから理解するのではなく、英語のまま直接読んで理解する方法。英英辞典の使用はこの方針の一環。戦後の英語教育にも影響を与えた。


■ 史実と創作について


【史実に基づく部分】

・井上成美が海軍兵学校長として「無言の教育、無言の統御」を重んじたこと。英語教育で英和辞典を廃し、英英辞典を全生徒に使わせる「直読直解主義」を貫いたこと(井上成美伝記刊行会編『井上成美』、阿川弘之『井上成美』)。

・戦局悪化のなか、兵学校の入学者を無試験で採ろうとする動きに井上が反対し、基礎教養を授けることにこだわったこと。「あと二年もすれば日本が負けるのは決まり切っていた。それなら負けたあとの日本を復興させるのは彼ら生徒たちだ」という趣旨を語ったこと(同書)。

・井上成美が条約派・国際協調派の逸材であり、米内光政・山本五十六とともに三国同盟に反対した人物であったこと。「赤煉瓦(海軍省)はまっぴらごめんだ」と中央復帰を拒む心境にあったこと。

・かつて井上が病身の高木惣吉に「豆腐を固めるように、そっと大事に養生しておれば大丈夫だ」と養生を勧めた逸話(井上の伝記)。


【創作部分】

・昭和十九年三月、高木惣吉が江田島に井上成美を訪ねて本省復帰を懇請したという場面の設定のもとで、二人が交わす会話の言い回しや細部、情景描写、高木の内面は、上記の史実を踏まえて本作で構成した創作です。

・深田秀明の後書きの独白、各場面の情景描写は創作です。


■ 参考文献


井上成美伝記刊行会編『井上成美』井上成美伝記刊行会、1982年

阿川弘之『井上成美』新潮文庫、1992年

伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報(上・下)』みすず書房、2000年

高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』光人社、1971年


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