第36話「『精神的努力』での水増し決定ーー失望と怒り」
【前書き】(細川護貞より)
おれは細川護貞。昭和十八年十一月八日、高松宮宣仁親王殿下から情報係を仰せつかった。
御用掛、などと言えば聞こえはいいが、要は殿下の手足となって市中を駆け回る犬だ。政府も統帥部も、都合の悪い戦況を陛下にお見せしようとせぬ。ならば、おれが各方面の腹の底を探り、殿下を通じて陛下のお耳に真実を入れる。三十一のおれにしかできぬ役回りだと思えば、悪い気はせぬ。
昭和十九年、年明けから二月にかけて――。
おれは酒井鎬次予備役中将のもとへ、足しげく通った。
酒井中将は、義父・近衛文麿の軍事ブレーンで、陸軍の松谷誠大佐の恩師でもある。参謀本部付として戦争指導の史的検討にあたり、軍中枢の機密に触れうる立場にあった。
その中将が、大本営が国民にも重臣にも、宮中にすら伏せていた絶望的な真実を、おれにだけ、そっと明かしてくれた。
米軍の、圧倒的な物量だ。
驚いたのは、その情報の出どころだった。ワシントン駐在のソ連武官が本国モスクワへ送った暗号電報を、関東軍などが傍受し、解いたものだという。第三国の武官が冷徹に値踏みした米軍の動き。それが巡り巡って、宮中のおれの手に届いていた。
一月三日、酒井中将はおれにこう告げた。
「米軍は、マーシャル、ナウル島上陸のため、空母を三十隻集中させつつある。これに付く大艦隊・大船団がある。作戦の時期は、ビルマ作戦と同時だろう」
おれは息を呑んだ。大本営発表のどこにも出てこぬ数字だ。
空母三十隻――わが連合艦隊の保有数を、はるかに上回る。
二月八日には、さらに重い報せが来た。
「ワシントン駐在ソ連武官の電報によれば、米軍はヨーロッパに空軍主力を留め、欧亜を均等に攻める。その後どちらを先にするかを決める。対日作戦には、フィリピンと印度に兵力を集める」
おれはその日のうちに、これを高松宮殿下へお伝えした。殿下は、深く目を伏せられた。
拝謁の折、おれはもう一つ進言した。目上の御前ゆえ、言葉だけは細川家の者らしく整えたが、中身は遠慮なく踏み込んだ。
「殿下。陸軍内の派閥は、皇道派と統制派に分かれております。万一、政変ということになれば、皇道派を起用なさるよりほかに道はありますまい」
殿下は、しばしお黙りになった。
二月九日。陛下は内大臣・木戸閣下に、こう仰せになったと後に伺った。
「内閣を更迭するようなことがあれば、対外的に不利になる。互譲の精神でとりまとめるように」
陛下のこの一句が、東條首相の参謀総長兼任への道を開いてしまう。
そして二月十日、四首脳会談が開かれた。
東條英機陸相、嶋田繁太郎海相、杉山元参謀総長、永野修身軍令部総長――最高戦争指導部の四人が、航空機資材の配分を決めるため、宮中御文庫附属室に集まった。
その会談が、海軍中堅の怒りに火をつけ、陸軍中堅すら絶望させる、致命的な一幕になろうとは――その時のおれは、まだ知らなかった。
【本文】
昭和十九年二月十日、木曜日。晴。
俺は早川発、午後三時二十三分の上り列車に揺られていた。
病み上がりの体に、二月の冷たい風が身に染みた。一月二十四日からの十三日間の病臥は、肺の奥にまだ重さを残していた。
車窓の外、相模湾の暗い海が流れていく。夕刻が近づくにつれて、南西の風が強まってきた。
俺は窓に頭をもたせかけ、目を閉じた。
(今日、市ヶ谷で、十九年度の航空機資材配分の最終裁断が行われている)
心の中で呟いた。
(嶋田海相が、最後の機会を迎える日だ)
(あの人が、奮起してくれれば)
(陸軍の横暴に、一矢でも報いてくれれば――)
列車の振動が、軋み続ける。
俺は薄く目を開けた。
(俺がこの病臥さえなければ、いま市ヶ谷の廊下を歩いているはずだった)
(中央の動きを、肌で感じられたはずだった)
午後五時を過ぎて、列車は茅ヶ崎駅に着いた。
駅前から自宅までの道を、一歩ずつ歩いた。
静江が玄関で出迎えてくれた。
「お帰りなさい。お顔の色が、ようやく戻ってきましたね」
俺は短く答えた。
夕食を済ませた後、書斎で日記帳を開いた。
ペンを取り、ただ一行、書きつけた。
「二月十日 木 晴。一五二三早川発ニテ帰ル。夕刻ヨリ南西ノ風強シ」
それだけだった。
市ヶ谷で何が決まったか、俺はまだ知らなかった。
その同じ時刻、東京・原田熊雄男爵の御邸。
応接間で、細川護貞君、近衛文麿公、松平康昌秘書官長、池田成彬さんが、卓を囲んでいた。
原田男爵が、池田さんに茶を勧めた。
池田さんはひと口、茶を含み、しばし沈黙ののち、口を開いた。
「左近司中将が、永野大将に忠告したらしい」
近衛公が顔を上げた。
「永野大将は『誠に申し訳ない』と頭を垂れたそうだ。ところが、嶋田海相は威丈高になって、『ラバウルが危ないなどということは、決してない』と言ったらしい」
松平閣下が静かに頷いた。
近衛公はわずかに目を伏せた。
「海軍は、もうあてにできないのかもしれぬな」
原田男爵が低く言った。
「池田さん、いまや海軍の先輩が、海軍大臣を辞めさせるべきです」
池田さんは深く頷いた。
近衛公はしばし、卓を見つめた後、新しい構想を口にした。
「いま、ヨーロッパに有力な外交人を派遣する必要があるのではないか」
「新聞人、実業家、学者――軍部の外側から、ヨーロッパの情勢を探る糸を引かねばならぬ」
「賛成です」
池田さんが応じた。
「ただ、ソ連がビザを渡すかどうか。また、外貨をどうするか。困難は多い」
会話は深まり、夕闇が応接間に降りていった。
高木と細川。二人が同じ「二月十日」を、別々の場所で過ごしたまま、その日は終わった。
*
同じ夜、市ヶ谷台。
灯火管制下の参謀本部の建物の中、ただ一つだけ、灯りが洩れている部屋があった。
第二十班――戦争指導班。
班長は松谷誠大佐。今日、その松谷大佐は、不在だった。出張で外に出ている。
部屋に残っているのは、班員の数人だけ。
その中の一人、橋本正勝少佐が、机に向かっていた。
橋本少佐は、年齢三十代後半。陸軍士官学校三十九期。参謀本部第二十班員。日々の戦況と最高戦争指導部の動きを、機密戦争日誌に書き留めるのが、橋本少佐の仕事の一つだった。
その夜、橋本少佐の机の上には、本日の四巨頭会談の結末を伝える書類が、置かれていた。
橋本少佐は、しばらくの間、その書類を、ただ、見つめていた。
他の班員が、隣の机から、声をかけた。
「橋本さん、どうしましたか」
「いや――」
橋本少佐は、ペンを取った。
しかし、書き始めなかった。
しばし、息を吐いた。
「ご存じか。本日の四巨頭の議論は、結局、何だったか」
「何だったのですか」
「陸軍が3,500トン、海軍に譲歩した。海軍はもともと7,000トンを求めていたから、半分の譲歩だ。それで決着した。それだけだ」
「それだけ、ですか」
「そう。それだけだ」
橋本少佐の声が、わずかに、震えた。
「最高戦争指導部の四人――東條閣下、嶋田大臣、杉山閣下、永野閣下――が、終日、論戦を費した。その結果が、これだ」
「資材の数字の駆け引きに、終始した。それ以外、何の話し合いもなかった」
橋本少佐は、卓に肘をついた。
「戦局の根本的な立て直しは」
「論じられなかった」
「陸海の作戦の合一は」
「論じられなかった」
「対米戦略の再構築は」
「論じられなかった」
隣の班員は、深く深く息を吐いた。
「橋本さん。それは、悲しいですな」
「悲しい、というより――」
橋本少佐の眼に、涙が滲んだ。
灯火管制下の薄暗い部屋の中、机の上の電灯の光に、その涙が、わずかに、光った。
「『悲しむべき現象』だ。国家のためにな」
班員は黙った。
橋本少佐は、しばし、卓を見つめた。
そして、ペンを取った。
翌、二月十一日、紀元節。
橋本少佐は、機密戦争日誌に、こう書きつけた。
「昨日ノ四巨頭会談ハ『アルミ』配分ニ於テ陸軍カ3,500屯海軍ニ譲歩(約7,000屯ノ開キアリ)スルコトニ於テ妥結セリ其他何等ノ話合ナシ。四巨頭カ終日ノ論戦ヲ費シテ単ナル数字的ノ駆引ニ終始シタルハ国家ノ為悲シムヘキ現象ニシテ最早謂フヘキ辞ナシ」
それから、もう一行、書き加えた。
「抑々『アルミ』配分問題ハ取ラヌ狸ノ皮算用ニシテ、大物カ総動員ニテ血道ヲアグベキ性質ノモノニ非ス、A、B何レニ転スルモ国家トシテ何等ノ得失ナシ」
ペンを置いた橋本少佐は、深く息を吐いた。
「取らぬ狸の皮算用」――生産能力もない数字を、机上で按分しても、何の意味もない。
昭和十九年、国家の運命を左右する航空機配分の議論が、その本質において、こうも空疎だったとは。
橋本少佐は、しばし、機密戦争日誌の表紙を見つめた。
(松谷班長が、戻られたら、これをご覧になる)
心の中で呟いた。
(班長は、どうご判断なさるか)
(おそらく、班長も、同じことを思われるだろう)
(「もはや、この戦争指導部の下では、この戦争は戦えぬ」と)
橋本少佐は、灯火を消した。
暗闇の中、机の縁を、しばし、握りしめていた。
*
昭和十九年二月十二日、土曜日。晴。
俺は茅ヶ崎を発って、海軍省・軍令部に登庁した。
病み上がりの体には、東京の冷気が鋭く突き刺さった。
市ヶ谷の建物に足を踏み入れた瞬間、俺は空気の異様さを感じ取った。
廊下を行き交う中堅将校たちの足音が、いつもと違う。誰の顔も、引きつったように青ざめていた。
軍務局の廊下を歩いていると、矢牧章軍務二課長が向こうから来た。
「高木さん」
矢牧大佐の顔色が、いつもより、青白かった。
「ちょっと、こちらへ」
矢牧大佐は俺の腕を取り、廊下の奥の小さな会議室へ引き入れた。
扉を閉めた。
鍵をかけた。
卓を挟んで、二人きりで対座した。
その表情に、ただならぬものがあった。
「高木さん、十日の四首脳会談の結果を、ご存じですか」
「いや」
矢牧大佐は声を低めた。
「結論から申し上げます。決着しました」
「どう決着した」
「陸軍がアルミ3,500トンを、海軍に譲歩することで、妥結しました」
「3,500トン」
俺は息を呑んだ。
「海軍は、もともと、いくら求めていた」
「7,000トンです」
「半分か」
「半分です」
俺はしばし、卓に肘をついた。
矢牧大佐は、深く息を吸った。
「高木さん。問題は、それだけじゃない」
「もっと根本的な、ねじれが、生じています」
「言ってくれ」
矢牧大佐は、卓の上で、両手を組んだ。
「最初に、当初の要求をお伝えします。海軍は30,200機、陸軍は28,000機。合計で58,200機を、要求していました」
「ところが、わが国の実際の生産能力は、年間42,000機から46,000機が限界です」
「分かる」
「海軍はそれを認め、要求を現実的な26,000機に修正しました」
「ところが、陸軍は譲りませんでした。『よく調査したら、余力があった』と言って、28,000機の要求を、そのまま、維持したのです」
俺はわずかに眉を寄せた。
「陸軍の実際の生産能力は、いくらだ」
「16,000機程度です」
俺は息を呑んだ。
「16,000機しか作れないのに、28,000機を要求した、と」
「そうです」
「ほとんど、倍だな」
「倍です」
矢牧大佐は、唇を噛んだ。
「対立が決着しなくなったため、東條閣下が裁断を下しました」
「どんな裁断だ」
「『精神的努力で、軍需省計画の生産数量を、5割近く水増しする』」
俺はしばし、卓を見つめた。
(精神的努力で、水増し)
(つまり、できないものを、できることにする)
(机上の空言で、陸海軍の要求を満たしたことにする)
「結果、紙の上の最終決定は、こうなりました」
矢牧大佐は、低く言った。
「陸軍機、27,120機。海軍機、25,130機。合計、52,250機」
俺は卓の縁を握った。
「実際には、半分も作れぬ数字だ」
「しかも、海軍機の方が、陸軍機を、下回っている」
「そこです」
矢牧大佐の声に、強い憤りが宿った。
「高木さん。海軍機は、艦上攻撃機や艦上爆撃機など、大型機が中心です。1機あたりの資材消費量は、陸軍の小型戦闘機より、平均0.72トン多い」
「つまり、本来であれば、資材は海軍に傾斜配分されるべきなのです」
「当然だ」
「ところが、アルミ配分はほぼ均等――陸軍から海軍に譲られたのは、わずか3,500トン」
「その結果、紙の上ですら、海軍機の機数が、陸軍機を下回るという、理不尽な結末となりました」
俺は深く息を吐いた。
(太平洋戦線の制空権を担うのは、海軍だ)
(その海軍の機数が、紙の上ですら、陸軍に劣る)
(前線で苦闘する海軍将兵にとって、これは到底受け入れられない結末だ)
「嶋田大臣は、どうだった」
「議論を主導する立場には、なかった、と」
矢牧大佐は、声を絞った。
「あの席で本当に渡り合ったのは、永野総長と東條陸相の二人です。ただ、永野総長も、最終的には腰砕けとなった。嶋田大臣は、何の抗議もされなかった」
「海軍中堅は、もう、収まりません」
矢牧大佐は俺の眼を真っ直ぐに見た。
「『シマハンを代えろ』『東條内閣を打倒せよ』『最高戦争指導部を刷新せよ』――罵声が烈しく飛び交っています」
「もう一つ、お伝えせねばならぬことが」
矢牧大佐の眼の奥に、別の不安が宿った。
「言ってくれ」
「陸軍の中堅幕僚――参謀本部の第二十班の連中も、この裁断には、呆れ果てているという話が、伝わってきています」
俺は息を呑んだ。
「陸軍の中堅も、同じ絶望か」
「そのようです」
「面白い」
俺はわずかに頷いた。
(陸海軍の中堅幕僚が、同じ絶望を共有している)
(彼らの怒りを、合法的な倒閣のエネルギーとして、束ね直せれば――)
「ただ、高木さん」
矢牧大佐は、さらに、声を低めた。
「海軍中堅の中に――不穏な空気が、出始めています」
「不穏な空気、とは」
「『嶋田海相がこのまま居座る限り、海軍はもたぬ。合法の手続きを待っていては間に合わぬ』――そういう焦りの声が、漏れ始めています」
俺は卓の縁を、もう一度、握った。
(嶋田の更迭――それは、容易な話ではない)
(だが、中堅が焦って暴れれば、すべてが水泡に帰す)
「特に――教育局の、神大佐の荒れようは、尋常じゃない」
矢牧大佐の声が、低くなった。
「あの男はガダルカナルの戦勲者です。実戦経験豊富で、中堅の人望が厚い。その男が、いま、煮えたぎっています」
「神大佐は、嶋田の更迭を、力ずくでもやるべしと言い出しかねない。あの気性です。中堅の若い連中が、神大佐に引きずられはせぬかと、私は案じています」
俺はしばし、卓を見つめた。
長い沈黙が、二人の間に流れた。
窓の外、二月の冷たい空が、市ヶ谷の街並みの上に薄く広がっていた。
「矢牧大佐」
「連中の怒りは、もっともだ」
「ただ、無軌道なテロは、海軍を、いや、国を滅ぼす」
「同感です」
「俺たちは、連中の怒りのエネルギーを、別の方向に束ね直さねばならぬ」
「と、申しますと」
「合法的な、東條・嶋田体制の打倒。これに、すべてのエネルギーを集中する」
矢牧大佐は深く頷いた。
「俺は、十五日に動く」
「まず岡田大将に、海軍長老格としての首脳刷新を進言する。次いで高松宮殿下に、局面展開を申し上げる」
「そして、その足で――教育局の神大佐に、会いに行く」
矢牧大佐の眼が、わずかに見開いた。
「神大佐ご本人に、直接、ですか」
「最も危険な男の腹の底を、自分の眼で見届けてくる」
矢牧大佐は深く深く頷いた。
「分かりました。中堅の動きについては、わたしの方でも、引き続き注視します」
「頼む」
矢牧大佐は俺の眼を、じっと見つめた。
「高木さん。お一人で、無理はなさらぬよう」
「ありがとう」
俺は卓の上で、両手を組んだ。
(嶋田を、どう動かすか)
心の中で呟いた。
(中堅は、すでに、暴発しかけている)
(俺は、その連中の前に立ちはだかり、怒りを合法の道へと束ねねばならぬ)
(さもなくば、海軍は、内側から自滅する)
(陸軍中堅の絶望も、同じ方向にある。これは、利用できる)
(陸海軍の中堅の怒りを、合法的な倒閣のエネルギーとして、束ね直す)
(それが、いま、俺の戦いだ)
矢牧大佐と別れた後、俺は軍令部の自分の机に戻った。
覚え書帳を開いた。
ペンを取り、淡々と書きつけた。
「二月十二日 土 晴。海軍省軍令部。十日両大臣両総長会見。航空問題話合と。資材7,000屯ノ差ニテ落着。機数ニ直セバBハ24,000。Aハ26,000。機数パリテートシテモ資材ハ18,000ノ差ツク筈」
俺は数字を見つめた。
(嶋田の最後の機会は、無残に砕かれた)
(湯河原以来、俺の腹の底にあった一縷の望みは、いま、消えた)
(嶋田を退かせる。それが、俺の次の戦いだ)
俺は窓を見つめた。
二月の冷たい光が、市ヶ谷の街並みの上に、ひっそりと差していた。
(古賀長官に、手紙を書く)
(明日の朝、書き上げる)
(連合艦隊司令長官の口から、嶋田・永野両首脳に「断乎たる決意」を表明していただく)
(それが、海軍の長老格の最初の声となる)
(その声を起点に、岡田大将、米内大将、伏見宮殿下――合法的な弾劾の包囲網を、組み上げていく)
俺は深く息を吐いた。
窓の外、市ヶ谷の街並みの上に、二月の薄日が、ひっそりと斜めに射していた。
【後書き】(橋本正勝より)
自分の名は橋本正勝。陸軍少佐。参謀本部第二十班、戦争指導班。
班長は、松谷誠大佐殿である。
昭和十九年二月十日――あの夜のことを、自分は生涯、忘れまい。
四巨頭会談の結末が、自分の机の上に届いた時、松谷班長は出張で不在であった。
自分は、独りで、その書類を、見つめていた。
長い長い時間、見つめていた。
そして、機密戦争日誌に、書きつけた。
「悲しむべき現象にして最早謂うべき辞なし」
「取らぬ狸の皮算用」
あれは、自分の絶望の結晶であった。
国家の存亡がかかったこの重大な時期に、四巨頭が、根本的な作戦の合一や戦略の立て直しについて、何一つ、話し合わなかった。
ただ、実体のない、机上の生産数字――そう、まさに「取らぬ狸の皮算用」――の按分を巡って、面子の駆け引きに、一日中、血道をあげた。
国家の運命の前で、四人の最高首脳が、こうも空疎だったとは。
帰宅した松谷班長は、自分の書き込みを、深く深く、読まれた。
そして、ぽつりと、仰った。
「橋本君、お前のこの一行が、われわれの絶望の、すべてを語っている」
「もはや、この戦争指導部の下では、この戦争は、戦えぬ」
「同感であります」
松谷班長は、深く頷かれた。
そしてその後、半年後、班長は東條閣下に直訴することになる。
左遷を覚悟の上で、班長は、東條閣下に「敗北」を告げる。
その遠い伏線は、まさに、あの二月十日の夜――自分が機密戦争日誌に「悲しむべき現象」と書きつけた、あの一夜から、始まっていたのである。
昭和十九年二月十一日、紀元節。
その日の、灯火管制下の市ヶ谷台の冷たい空気を、自分はいまも、はっきりと覚えております。
■ 人物紹介
細川護貞(ほそかわ・もりさだ、1912年〜2005年)
本話の前書きの語り手。元総理大臣・近衛文麿の女婿。高松宮殿下情報係。本話で1月3日と2月8日に酒井鎬次中将から在米ソ連武官の暗号電報情報を入手、2月8日に高松宮殿下へ「皇道派起用」進言、2月10日に原田男爵邸の茶会に同席。
高木惣吉(たかぎ・そうきち、1893年〜1979年)
本話の本文の語り手(「俺」)。海軍少将。本話時、軍令部出仕兼海軍大学校研究部員。本話の2月12日、矢牧大佐から四首脳会談の絶望的結果と神大佐の不穏な動向を聞き、合法的な倒閣工作を加速させる決意を固める。
橋本 正勝(はしもと まさかつ/推定1907年頃-?)
本話の後書きの語り手。陸軍少佐。陸軍士官学校三十九期。参謀本部第二十班(戦争指導班)員。班長は松谷誠大佐。本話の2月10日夜、四巨頭会談の絶望的な結末を機密戦争日誌に記録する。同日誌2月11日条「悲しむべき現象にして最早謂うべき辞なし」「取らぬ狸の皮算用」の筆者と推定される。
松谷誠(まつたに・せい、1903年〜1998年)
本話時、陸軍大佐。参謀本部第二十班長(戦争指導班長)。本話の2月10日は出張で不在。橋本少佐の機密戦争日誌の書き込みを後日読み、「もはやこの戦争指導部の下では、この戦争は戦えぬ」と共感する。以後の物語の中で、海軍の高木とは別ルートで終戦工作を進める存在。
矢牧章(やまき・あきら、1894年〜1982年)
海軍大佐。海軍省軍務局第二課長。本話の2月12日、登庁した高木を別室に引き入れて密談、四首脳会談の絶望的結果と、嶋田更迭をめぐり中堅層が動揺している様子を伝える。
酒井鎬次(さかい・こうじ、1885年〜1973年)
予備役陸軍中将。参謀本部付として戦争指導の史的検討に携わる。近衛文麿公の軍事ブレーン、松谷誠大佐の恩師。本話の前書きで、在米ソ連武官の暗号電報情報を細川護貞に密かに伝える人物として登場。
近衛文麿(このえ・ふみまろ、1891年〜1945年)
公爵。元内閣総理大臣。本話の2月10日、原田男爵邸の茶会で「ヨーロッパへの外交人派遣」を提案。
原田熊雄(はらだ・くまお、1888年〜1946年)
男爵。重臣連合の連絡役。本話の2月10日、自邸で細川・近衛・松平・池田を集めて茶会を開催。
松平康昌(まつだいら・やすまさ、1893年〜1957年)
侯爵。内大臣秘書官長。本話の2月10日、原田男爵邸の茶会に同席。
池田成彬(いけだ・しげあき、1867年〜1950年)
日本経済界の長老格。元日銀総裁、元蔵相。本話の2月10日、原田男爵邸の茶会で「左近司中将が永野大将に忠告、しかし嶋田は威丈高」と証言。
高松宮宣仁親王(たかまつのみや・のぶひと、1905年〜1987年)
昭和天皇の弟宮。海軍大佐。本話で細川護貞からソ連武官情報と皇道派起用進言を受ける。
昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〜1989年)
本話で2月9日に内大臣の木戸幸一に「内閣を更迭するようなことがあれば、対外的に不利になる。互譲の精神でとりまとめるように」と御発言。この御発言が東條の総長兼任の道を開いてしまう。
木戸幸一(きど・こういち、1889年〜1977年)
内大臣。本話で陛下の御発言の受け手として間接的に登場。
東條英機(とうじょう・ひでき、1884年〜1948年)
本話時、内閣総理大臣兼陸軍大臣。2月10日の四首脳会談で「精神的努力による5割水増し」の裁断を下す。
嶋田繁太郎(しまだ・しげたろう、1883年〜1976年)
本話時、海軍大臣。2月10日の四首脳会談で、何の抗議もせず、東條の裁断を受け入れた。海軍中堅の激怒の対象。
杉山元(すぎやま・げん、1880年〜1945年)
本話時、陸軍参謀総長。2月10日の四首脳会談に出席。
永野修身(ながの・おさみ、1880年〜1947年)
本話時、海軍軍令部総長。2月10日の四首脳会談で東條と対立するも、最終的には腰砕け。
左近司政三(さこんじ・せいぞう、1879年〜1969年)
予備役海軍中将。本話の2月10日、池田の証言の中で「永野大将に忠告した」人物として言及。
神重徳(かみ・しげのり、1900年〜1945年)
海軍大佐。海軍省教育局第一課長。本話では矢牧大佐の言葉の中で名前が登場(「最も荒れている男」)。嶋田海相の更迭をめぐって激しく憤る中堅の筆頭として案じられている。後の話で本格的に登場する。
静江
高木惣吉の妻。
■ 用語集
四首脳会談(四巨頭会談)
昭和十九年二月十日、宮中御文庫附属室で開催された陸海軍最高首脳の会議。出席者は東條英機陸相(首相兼任)、嶋田繁太郎海相、杉山元参謀総長、永野修身軍令部総長の四人。議題は十九年度航空機資材配分。
当初の作戦上の要求は海軍30,200機+陸軍28,000機=合計58,200機。しかし現実の生産能力は年間42,000~46,000機が限界。海軍は要求を26,000機に修正したが、陸軍は28,000機を譲らず(実際の陸軍生産能力は16,000機程度)、対立。
東條の裁断「精神的努力で5割水増し」により、軍需省計画を50%水増しして陸軍27,120機・海軍25,130機=合計52,250機という机上の空言で決着。
アルミ配分は陸軍から海軍へわずか3,500トン譲歩のみ。海軍機は1機あたり0.72トン多く資材消費するため、紙の上では海軍機が陸軍機を下回るという理不尽な結末となり、海軍中堅の激怒の引き金となった。
「精神的努力で水増し」
二月十日の四首脳会談で東條陸相が下した裁断の核心。実際の資材や生産能力の裏付けが全くないにもかかわらず、「精神的努力」という精神論を理由に架空の生産目標をでっち上げ、それをもとに陸海軍への配分を決定した、当時の最高戦争指導部の非合理的な意思決定。
「悲しむべき現象にして最早謂うべき辞なし」「取らぬ狸の皮算用」
昭和十九年二月十一日、橋本正勝少佐が機密戦争日誌に書きつけた、四巨頭会談への痛烈な批判。陸軍中堅幕僚も、四巨頭の非合理的な数字合わせに、海軍中堅と同じく絶望していたことを示す貴重な記録。
参謀本部第二十班(戦争指導班)
陸軍参謀本部の中で、長期的な戦争指導の研究と機密戦争日誌の記録を担当した班。班長は松谷誠大佐。班員は橋本正勝少佐、種村佐孝中佐ら。海軍の高木惣吉のグループとは別ルートで、終戦工作の研究を進めていた。
機密戦争日誌
陸軍参謀本部第二十班が記録した、戦争指導の最高機密の日誌。日々の戦況、最高首脳の動向、班員の所感などが記録される。戦後、戦争指導の実態を明らかにする最重要史料の一つとなった。
ワシントン駐在ソ連武官の暗号電報
在米ソ連武官が本国モスクワへ宛てた米軍動向に関する暗号電報。日本の関東軍などが傍受・解読し、酒井鎬次中将を経由して、細川護貞ら近衛グループに密かに伝わった。大本営が隠蔽していた米軍の真の戦力を、第三国の客観的視点から知ることができた決定的な情報源。
「ラバウルが危ないなどということは、決してない」
本話の2月10日の池田証言の中で、嶋田海相が左近司中将に対して言ったとされる言葉。前線の悲惨な実情を直視せず、威丈高な態度を貫いた嶋田の姿勢を象徴する一句。
「シマハン(嶋ハン)」
嶋田繁太郎海相を蔑視した呼び名。海軍中堅幕僚が私的な場で使用した。
実際の使用例:「嶋ハンはおめでたいんだ」
1941年11月13日、井上成美(当時、第四艦隊司令長官)から「(日米開戦について)とんでもないことになりましたね。長谷川(清、当時軍事参議官のち台湾総督) さんは、大変なことになるぞ、工業力は十倍だぞと言っておられましたよ。(中略)嶋田さんときたら、ニコニコして、ちっとも困ったような様子じゃありませんでしたよ」と言われた時の山本五十六の発言。阿川弘之『山本五十六(下)』新潮文庫、2011年より引用。
軍務局第二課
海軍省軍務局の第二課。軍政・国際情勢など、海軍の対外政策を担当。矢牧章大佐が本話時の課長。
「黒子の道」
高木惣吉の倒閣工作の方法論。第35話で確立。表に出ず、黒子として、海軍長老格・重臣・皇族の周辺から静かに包囲する方法。
紀元節
昭和十九年二月十一日。日本書紀における神武天皇の即位の日(紀元前660年2月11日)を建国記念日とした祭日。橋本少佐が機密戦争日誌に「悲しむべき現象」と書きつけたのは、まさにこの紀元節の朝のこと。
「断乎たる決意」
本話末で高木が次に書こうとしている古賀長官への手紙の核心。連合艦隊司令長官が、嶋田・永野両首脳に辞表を盾にとった抗議を行うこと――海軍の伝統的な規律を越える、危険な要求。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・ワシントン駐在ソ連武官の暗号電報を日本側が傍受・解読し、その内容(米軍が空母三十隻を集中しつつあること等)が、酒井鎬次中将を経由して細川護貞、さらに高松宮宣仁親王へ伝わったこと(細川護貞『細川日記』)。
・昭和十九年二月十日の四首脳会談(東條陸相・嶋田海相・杉山参謀総長・永野軍令部総長)で十九年度航空機資材の配分が裁定されたこと。高木惣吉がこれを「悲しむべき現象」と受け止めたこと(伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』)。
・昭和十九年二月九日、昭和天皇が木戸幸一内大臣へ「内閣を更迭するようなことがあれば対外的に不利になる。互譲の精神でとりまとめるように」という趣旨を述べたこと(木戸日記研究会編『木戸幸一日記』)。
・海軍中堅層が嶋田繁太郎海相の続投と軍令部総長兼任に激しく憤っていたこと。嶋田が東條に従順で危機感を欠くと見られ、部内の信望を失っていたこと(阿川弘之『井上成美』、戸髙一成編『証言録 海軍反省会』)。
【創作部分】
・二月十日当日の高木の病み上がりの情景や心理描写、海軍中堅層の憤りの象徴として神重徳大佐の名が矢牧章大佐の口から語られる場面、矢牧と高木の会話の細部は、史実の趣旨を踏まえて本作で構成した創作です。
・高木と細川が同じ「二月十日」を別の場所で過ごす対比の構成、前書き・後書きの語りや内面、各場面の情景描写は創作です。
■ 参考文献
伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報 下』みすず書房、2000年
細川護貞『細川日記』中央公論社、1978年
木戸日記研究会編『木戸幸一日記 下巻』東京大学出版会、1966年
阿川弘之『井上成美』新潮社、1986年
戸髙一成編『[証言録]海軍反省会』PHP研究所、2009年




