第34話「松平康昌との再会ーー四人組の芽生え」
【前書き】(松平康昌より)
僕の名は松平康昌。
侯爵。内大臣秘書官長。
越前福井藩主・松平春嶽の孫として宮中の中枢に仕える者です。
昭和十八年、僕の千駄ヶ谷の拙宅は二度、運命の客人を迎えることになりました。
一度目――。
あれは秋の夕刻でした。
外相秘書官・加瀬俊一君とともに、若き陸軍大佐が我が玄関の式台を踏まれた。
松谷誠陸軍大佐。陸軍参謀本部戦争指導班長。
あの方は、ご自身の口から、「戦争指導の核心、終戦の方策については、いかなる問いがあろうとも口外には及ばぬ」と、僕に「厳戒」を申し出られた。
そして戦況の数字を語られ、最後にこう仰った。
「船舶の損耗の趨勢では――来年一杯。それが現状の限度であります」
僕は、ただ「お預かりいたします」と申し上げた。
あの一言の重みを、僕はいまも忘れることができぬ。
*
そして二度目――。
昭和十八年十一月二日。
その日、舞鶴より戻られた高木惣吉海軍少将が、わが玄関を訪ねてこられた。
二年ぶりの再会。
松谷大佐が一度目の運命の客人ならば、高木少将は二度目の運命の客人であった。
千駄ヶ谷の午餐。
松谷大佐の名を、僕は高木少将に初めてお伝え申し上げる。
陸軍と海軍の、見えざる一本の糸が、僕の卓の上で、結ばれる――。
【本文】
昭和十八年十一月二日、午前十一時三十分。
俺は麹町の自宅を出た。軍服に勲章をつけた正装である。
手にした風呂敷包みには、和辻哲郎博士の『尊皇思想とその伝統』が一冊入っていた。松平さんへの土産。あの方の愛読する宮中思想史の本である。
千駄ヶ谷へ向かう市電に揺られながら、俺は心の中で二年前の藍亭の夜々を、何度も反芻した。
昭和十六年三月四日。八月八日。九月一日――。あの夜々の松平さんの分析と眼差し。
しかしいま俺が向かっているのは藍亭ではない。千駄ヶ谷の松平侯爵邸。あの方の私邸である。
俺はまだその邸の門をくぐったことがない。
*
車内の窓ガラスに、戦時下の沈鬱な街並みが映っていた。
灯火管制で薄暗くなった商店の軒先。配給切符を待つ主婦の列。憲兵の眼を恐れて口を噤む新聞売り。
国家はすでに音を立てて軋んでいた。
俺は今日の午後三時には霞山会館で細川護貞氏と会う手筈になっていた。
近衛文麿公爵の娘婿・細川氏。高松宮殿下の情報係としての擁立。これも、いま編まれつつある糸の一本である。
しかしまずは――千駄ヶ谷であった。
*
千駄ヶ谷の松平侯爵邸。
明治神宮の杜に近い、閑静な邸町の一角に、漆喰塀の中の数寄屋造りの門が、静かに据えられていた。表札には墨書で、ただ一字、「松平」。
俺を玄関で迎えてくださったのは松平さんご本人であった。
黒紋付の羽織。仙台平の袴。白い襟。穏やかな目元。
その羽織の胸元と背中に、俺ははっと眼を吸い寄せられた。
――丸に三つ葉葵。
徳川宗家のそれとは葉脈の意匠が違う。これは「越前葵」――徳川家康の次男・結城秀康を祖とする、越前松平家にのみ許された別格の葵紋である。
葵紋を許されたのは、徳川宗家、御三家、御三卿、そして越前松平家、会津松平家などの親藩のみ。
いまわが眼前に、その葵紋を身に纏われたお方が立っておられる。
「高木さん」
松平さんの声は静かであった。
「松平さん。お久しゅうございます」
俺は深く頭を下げた。
「お入りください。あなたを千駄ヶ谷でお迎えするのは、これが初めてでございます」
奥の応接間へ案内された。
本格的な和室であった。檜の香り。微かに漂う白檀。
床の間の掛け軸には「和」の一文字が、墨痕鮮やかに書かれていた。
「松平春嶽公ご愛用の書斎にあった一幅、と聞いております」
松平さんは低く告げられた。
俺はしばし、その「和」の字を見つめた。
幕末、四賢侯の一人として、武力ではなく合議で日本の進路を切り開こうとした春嶽公。その「和」の精神が、いまここで孫の代の松平侯と、海軍の俺との間に、静かな問いを投げかけているように思えた。
*
卓の上にはすでに簡素な昼食が用意されていた。
京野菜の煮物。白いご飯。上等の味噌汁。そして冷酒。
戦時下にもかかわらず宮中の伝手で取り寄せた、上等の品であるらしい。
「松平さん、ご無沙汰いたしておりました」
「いえ、こちらこそ」
松平さんはわずかに微笑まれた。
「舞鶴での日々はいかがでしたか」
「いささか長うございました」
俺はわずかに笑った。
「しかし無駄ではございませんでした。由良川の治水を成し遂げ、東西舞鶴市の合併を実現いたしました」
「そしてその過程で地方の人々の心を学びました。……これは東京の中央では得られぬものでございました」
松平さんは深く頷かれた。
「貴方らしい」
*
昼食会が始まった。
最初は二年前と変わらぬ和やかな会話。しかしすぐに話題は時局へと向かった。
「高木さん」
「東條内閣はもはや長くは持ちますまい」
「松平さんもさようにお考えで」
松平さんは静かに猪口を口に運ばれた。
「先頃の中野正剛事件はご存じでございましょう」
俺は目を伏せた。
東方会総裁・中野正剛代議士。反東條の急先鋒。十月二十一日に憲兵隊に拘引され、釈放後の十月二十六日深夜に自邸で割腹自決を遂げた。まだ一週間も経たぬ事件である。
「あれは政治の死でございます」
松平さんの声は低く沈んでいた。
「政敵を憲兵で締めあげ、最後に自刃せしめる。……もはやこの国は内側から腐っております」
「しかも企画院総裁の鈴木貞一はこう申したとか。『重臣が何だ、元老とは違う。政府を呼び出して差し出がましい真似は止めた方が良い』と」
俺は息を呑んだ。
「総理の周囲はもはやそこまで」
「うむ。重臣を邪魔者と心得ております」
*
「そして高木さん。実は今朝、興味深いことがございました」
「迫水久常君から岡田大将のもとへ進言のご報告があった由」
「迫水。……岡田大将の女婿の、大蔵省総務局長」
松平さんはわずかに身を乗り出された。
「迫水君は岡田大将の意を受け、東條首相が単独で重臣と懇談される件を政府側に打診されたのです」
「しかし星野直樹書記官長によって、にべもなく遮られました」
俺はゆっくりと猪口を置いた。
「拒絶の理由は」
「いわく――『先の重臣懇談会の折、食事の後に閣僚を外して総理と重臣で懇談してはどうかと間に入って勧めたが、東條総理ご本人がこれを拒否された』と」
「東條が拒否した理由はこうでございました。『閣僚の中には、総理が専断して自分たちを疎外しているという感情を持つ者がいる。それなのにかえって総理が一人で重臣と懇談すれば、閣僚の不満を刺激することになる』と」
俺は深く息を吐いた。
(……これは大きい)
(東條はもはや自分の閣僚すら信用できぬ)
(単独で重臣と会うことすら警戒している)
(自分の影に怯えている男に、もはや国家の指導はできぬ)
「松平さん」
「これは東條打倒の好機でございます」
「重臣・皇族・海軍長老の共同戦線で、東條を退陣に追い込まねばなりません」
*
松平さんはしばし沈思された。やがてゆっくりと口を開かれた。
「八月二十九日、岡田大将と近衛公爵がご会談された由」
「『東條内閣のやり方ではどうにもならぬ』――この一点ではお二人のご意見は完全に一致したそうでございます」
「しかし」
松平さんはわずかに眉を曇らせた。
「『積極的にこの内閣を倒す方法がない。倒した後の成案もない』――そのお二人もこれを認めざるをえなかった」
「ゆえに翌三十日の懇談会も月並みなものに終わったのでございます」
俺は唇を噛んだ。
「重臣の方々は、半月に一度、荻外荘などにお集まりと伺っております」
「うむ。岡田大将、近衛公、平沼男爵、若槻男爵。……四重臣が雑談を重ねつつ機を窺っておられる」
松平さんは静かに続けられた。
「しかし機はなかなか熟さぬ。倒した後をどうするか――この一点がすべての重臣方の足を縛っているのでございます」
「貴方は誰を旗手に据えるおつもりか」
俺はしばし沈黙した。
近衛公の名はもう出せなかった。
「正直に申し上げます。……近衛公爵を旗手に据えるのは難しいと判断いたしました」
松平さんはわずかに目を見開かれた。
「先月二十七日、湯河原で近衛公とお会いいたしました。……公は対米開戦の責任を海軍に転嫁されようとしておられた」
「岡田大将もまた『近衛さんは狡い』と仰せられました。ゆえに近衛公は協力者には組み込めますが、旗手にはできません」
松平さんは深く頷かれた。
「貴方のご判断は的確でございます」
「ありがとうございます」
「では旗手は誰か」
俺はしばし黙した。松平さんの顔をじっと見つめた。
やがてゆっくりと口を開いた。
「皇族のお一人――高松宮殿下にお縋り申し上げる外、ございません」
松平さんはわずかに目を伏せられた。長い沈黙ののち、静かに頷かれた。
「殿下のお名前は近衛公もすでにお考えである由」
「殿下の周辺には、いま、新たな耳目を立てる動きもございます」
「といいますと」
「近衛公の娘婿・細川護貞氏。月末より殿下の情報係として正式に立てる流れと伺っております」
俺は息を呑んだ。
「実は本日、午後三時より霞山会館で、細川氏とお会いいたします」
「細川氏の擁立を、わたくしの口から、正式にお伝え申し上げる所存です」
松平さんは深く頷かれた。
「皇族の側に、ようやく、確かな耳目が立つ」
「これで皇族と重臣を結ぶ一本目の糸が、繋がりますな」
*
松平さんは静かに猪口を傾けられた。
その目には深い疲労と、確かな覚悟とが、同時に宿っていた。
「高木さん。一つ申し上げておきたいことがございます」
「実はわたくしもまた、東條の秘書官・赤松貞雄大佐を通じ、東條に重臣との個人的な懇談を勧めたことがございます」
「松平さんが、ご自身で」
松平さんの声は低く沈んでいた。
「赤松大佐の答えはこうでございました。『総理の側には色々な人が居ますので……』と」
「星野書記官長や強硬な側近たちの反対をにおわせる弁解でございます」
「しかし、高木さん」
松平さんはわずかに目を上げられた。
「わたくしには、こう感じられた。……東條ご本人は、二度目の打診の折に、心が動かれたのではないかと」
「意動された、と」
「うむ。……はっきりとはわからぬ。しかしあの方の応対の中に、わずかにそれを思わせる節があったのでございます」
俺はしばし沈黙した。
(……東條本人は、必ずしも対話を拒んでいない)
(しかし側近たちが、それを遮っている)
(そして東條本人もまた閣内不一致を恐れ、身動きが取れぬ)
「松平さん。……それは東條内閣の脆さでございます」
「総理の意思が側近によって閉ざされる。……それはもはや独裁ですらない。閣内の集団的硬直でございます」
松平さんは深く頷かれた。
「ゆえに憲兵による恫喝も、強がりも、ますます強まる。中野正剛事件はその表れに他なりません」
「政権の中枢にいる者ほど、自分の影に怯える。……そして影が大きくなればなるほど、外への弾圧が激しくなる」
俺は深く息を吐いた。
(……東條の動揺と東條の強権は、表裏一体である)
(震える指で銃を握る男ほど、引き金を引きやすい)
*
松平さんはしばし深く目を伏せられた。
やがてゆっくりと口を開かれた。
「高木さん」
「実はこの千駄ヶ谷の拙宅に、つい先頃、ひとりの陸軍大佐が訪ねてまいりました」
俺は耳を澄ました。
陸軍――。その言葉が不意に俺の意識の中に飛び込んできた。
「参謀本部の戦争指導班長」
「松谷誠、と申されます」
俺は息を呑んだ。
(……松谷、誠)
心の中でその名を初めて刻んだ。
「松谷大佐、と」
「うむ。陸軍士官学校三十五期。陸軍大学校卒。英米通。数少ない陸軍内の良識派の一人でございます」
松平さんは静かに猪口を口に運ばれた。
「あの方を加瀬俊一秘書官がわたくしのもとへお引き合わせくださった。福井県人会のよしみで、儀礼の延長として、非公式に。書類も記録も残らぬ訪問でございました」
「松谷大佐は、この応接間の、いまわたくしどもが向き合っている、まさにこの卓のお側にお坐りになった」
俺はしばし、卓を見つめた。
(……同じ卓に、もうひとりの同志がすでに坐っていたのか)
「そしてあの方は、自らの口で、こう申し出られた」
松平さんはゆっくりと続けられた。
「『小官、参謀本部勤務の身であります。作戦機密の保持は軍人としての絶対の責務。これを軽々しく外へ流すことは、いかなる相手にも許されません』」
「『したがいまして、戦局の連絡、大枠の情勢判断――この範囲に厳に限らせていただきたく。戦争指導の核心、終戦の方策については、いかなるお問いがあろうとも、小官の口から、お話には及ぶ訳にはまいりません。特に、厳戒を加えさせていただきたく』――そう仰せられた」
俺は深く息を呑んだ。
(……自らに枷を課して、宮中の扉を、半歩、開く)
(……それは、軍人として、もっとも誠実な姿勢である)
「松平さん」
「それは、まさに、武人の道でございます」
松平さんはわずかに微笑まれた。
「あの方はその夜、戦局の数字を、淡々と申された。北方アッツ陥落。南方ラエ・サラモア喪失。九月末御前会議で設定された絶対国防圏」
「わたくしはひとつだけ、お伺いした。『絶対国防圏は、守れますか』と」
俺はゆっくりと猪口を置いた。
「松谷大佐のお答えは」
「……『船舶の損耗の趨勢では――来年一杯。それが現状の限度であります』」
俺は深く息を吐いた。
(……来年一杯)
(昭和十九年いっぱいで、絶対国防圏は崩れる)
(陸軍参謀本部の戦争指導班長が、宮中の卓の上で、その四文字を、口にされた)
「松平さん」
「貴方は、松谷大佐に、どうお応えになりましたか」
松平さんは静かに口を開かれた。
「ただ一言。……『お預かりいたします』と」
俺はしばし、瞑目した。
(……お預かりいたします)
(終戦も、和平も、戦争収拾も、口にせぬ)
(しかしその四文字に、すべてが、込められている)
(陸軍大佐の数字を、内大臣府の責任において、宮中の最深部へ運ぶ)
(これが、宮中流の作法であったか)
*
「松谷大佐はあの夜以来、ときどき、この千駄ヶ谷へお越しになります」
「『戦局の連絡』の名のもとに、月に一度、ときに二度。書類は残らぬ。すべては口頭で。……加瀬秘書官が申された言葉を、わたくしは、いまも胸に刻んでおります」
「と申しますと」
「『細く長く、細く長く』――と」
俺は深く頷いた。
(……細く長く)
(一気に駆け抜けるのではない)
(憲兵の目をかいくぐりながら、慎重に、密かに、糸を紡ぐ)
(それが、地下ネットワークの作法である)
「そして松谷大佐は、わたくしに、こう仰せられました。……『戦争を終わらせるためには、宮中・重臣・海軍・外務省の四者が連携する必要がある』と」
「四者」
松平さんはゆっくりと続けられた。
「松谷大佐は外務省の加瀬俊一秘書官と、すでに深い同志関係にある。……お二人で東郷外相、重光外相のお側で動かれている」
俺は息を呑んだ。
(……加瀬俊一)
その名もまた俺の意識の中に初めて刻まれた。
「加瀬俊一――外相秘書官」
「うむ。英米通。外交感覚の鋭い若き俊英。重光葵外相が最も信を置く秘書官でございます」
松平さんはゆっくりと続けられた。
「陸軍の松谷大佐。外務省の加瀬秘書官。宮中のわたくし。……そしてもう一人、海軍の代表者が加われば」
「四つの省庁を横断する終戦への密議の場ができあがる」
俺はしばし黙した。卓の上の冷酒を、ひとり、口に運んだ。
冷酒は不思議なほど甘かった。
「松平さん」
「その海軍の代表者を、わたくしが務めてもよろしいでしょうか」
松平さんはわずかに微笑まれた。
「もとよりその心算でございました」
「貴方が東京に戻られる日を、松谷大佐もわたくしも、ずっと待っておりました」
*
俺は深く深く頭を下げた。目の奥に何かが滲んだ。
(……四人組)
心の中で俺は呟いた。
(内・外・海・陸)
(宮中・外務省・海軍・陸軍)
(この四つを横断する見えざる地下ネットワーク)
(俺の知らぬ陸軍の中にすでに同志がいた)
(俺の知らぬ外務省の中にすでに同志がいた)
(そしてその二人を、松平さんがすでに繋いでおられた)
(俺はいまその輪に加わる)
「松平さん」
「松谷大佐と加瀬秘書官にお目通り願えるのはいつ頃でしょうか」
松平さんは深く頷かれた。
「焦ってはなりません」
「四者が一堂に会するのはまだ早うございます。憲兵の目もございます。まずはわたくしを介し、お互いの存在と意見を、間接的に通じ合わせる」
「承知しました」
「貴方は海軍と、皇族の高松宮殿下と、長老の岡田大将の方面を固めてください」
「松谷大佐は陸軍方面の最新情報を伝える」
「加瀬秘書官は外務省の方面」
「そしてわたくしは宮中の中枢で、四者の声をすべて繋ぐ」
俺は深く頷いた。
「承知しました」
「四者が初めて一堂に会するのは、東條内閣が倒れた後と思し召しください」
「それまでは慎重に、密かに、糸を紡いでいくのです。……細く長く」
松平さんはわずかに微笑まれた。
「高木さん」
「貴方が舞鶴から帰ってこられたことで、いま、四つの糸の最後の一本が繋がりました」
*
「ところで高木さん。本日は、この後、霞山会館で細川氏とお会いになるとか」
「それも、また、一本の糸でございます。皇族(高松宮殿下)と重臣(近衛公)を繋ぐ柱」
「貴方は本日一日で、宮中と重臣と皇族の、三つの糸を、お編みになる」
俺は深く頭を下げた。
「松平さんとの本日の午餐がなければ、午後の細川氏との会見も意味を持ちません。本日のお導き、深く感謝申し上げます」
*
午餐は午後二時過ぎまで続いた。
千駄ヶ谷の松平邸の障子越しに、秋の午後の柔らかな光が射し込んでいた。卓の上の冷酒の徳利は、もうほとんど空になっていた。
俺と松平さんは、二年前の藍亭の夜々とまったく同じ温度で、心を通わせていた。
しかし二年前と違うのは――。
いまや俺たちの背中には、もはや一日も猶予のない国家の命運がのしかかっていることだった。
帰り際、玄関で松平さんが俺の手をしっかりと握ってくださった。
義足の重光葵外相のような力強い握手ではない。柔らかく、温かく、しかし深く、こちらの掌の意思を読み取るような握手であった。
その時、間近に見た松平さんの羽織の胸元の越前葵が、午後の光を受けてわずかに金色に光ったように、俺には見えた。
「高木さん」
「お元気で」
「松平さんも、ご自愛ください」
松平さんはわずかに微笑まれた。
「貴方の声をこの千駄ヶ谷で再びお聞きできて、本当に嬉しゅうございます」
「内・外・海・陸――。いずれ四つの猪口がひとつの卓を囲む日が、必ず参ります」
俺は深く深く頭を下げた。
「その日まで――わたくしは自分の命を賭けます」
*
俺はもう一度、応接間の床の間に掛けられた「和」の一文字を振り返った。
春嶽公の「和」の精神。
武力ではなく合議で、日本の進路を切り開こうとされた、幕末の名君の遺墨。
その「和」の字が、いまわたくしどもに、静かに、しかし確かに、呼びかけていた。
千駄ヶ谷の門を出た時、午後の柔らかな光が、東京の街に降りそそいでいた。俺は霞山会館へ向かう市電を待った。
心の中で、松平さんから初めて聞いた二つの名を、何度も何度も噛みしめた。
松谷誠。
加瀬俊一。
俺はまだこの二人の顔を知らない。しかし俺は、いま、確実にこの二人と繋がった。
(……四人組)
心の中で俺はもう一度、その四文字を刻んだ。
市電の音が遠くから近づいてきた。
俺は革靴の踵を、軽く、合わせた。
次は霞山会館。
近衛公爵の娘婿・細川護貞氏との会見である。
【後書き】(松平康昌より)
昭和十八年十一月二日、千駄ヶ谷の拙宅で、僕は高木少将と二年ぶりの再会を果たしました。
あの応接間。
春嶽公の「和」の掛け軸。
あの卓の上に、ひと月前、松谷誠陸軍大佐がお坐りになり、「来年一杯」と低くお告げになった、その同じ卓。
いま、その卓を挟んで、海軍の智将・高木惣吉少将が、僕の前にお坐りになりました。
*
僕は少将に、迫水報告のこと、星野書記官長による遮断のこと、そして僕自身が赤松大佐を通じて感じ取った「東條の意動」のことを、お伝えした。
東條は強権を振るっている。しかし閣内ではすでに専断との疑念に怯えている。
そして、僕は松谷大佐のお名前を、少将に初めてお伝え申し上げた。
松谷大佐がご自身の口で「特に厳戒を加えさせていただきたく」とお申し出になられたこと。
僕が、ただ「お預かりいたします」とお応えした、あの宮中流の作法のこと。
加瀬秘書官の「細く長く」の言葉のこと。
少将は、すべてを、深く静かに、お聞きくださった。
*
あの日、僕の千駄ヶ谷の拙宅の卓の上で、陸軍と海軍の、見えざる一本の糸が、結ばれたのです。
松谷大佐は、まだ高木少将にお会いになっておらぬ。高木少将もまた、松谷大佐のお顔をご存じない。
しかし、お二人はすでに、僕の卓の上で、深く繋がられた。
戦後、僕はあの千駄ヶ谷の午餐の日を、いつまでも忘れることができませんでした。
「内・外・海・陸」の最初の二本の糸が、僕の卓の上で結ばれた、その日。
*
■ 人物紹介
松平康昌(まつだいら・やすまさ、1893年〜1957年)
越前松平家の貴公子。本話時、満50歳、侯爵、内大臣秘書官長。
幕末の名君として知られる松平春嶽(慶永)の孫にあたる。徳川家康の次男・結城秀康を祖とする越前松平家は、徳川一族の中でも御三家・御三卿に並ぶ別格の家格を有し、家紋「越前葵」の使用を許されていた。
学習院から京都帝国大学法学部を経て、内大臣府秘書官、宗秩寮総裁、貴族院議員などを歴任。
西園寺公望ら自由主義的重臣の厚い信任を受けて宮中入り。
1942年6月、木戸幸一内大臣のもとで内大臣秘書官長に就任。以後、終戦時まで一貫してこの職にあった。
木戸幸一内大臣の「女房役」として、天皇・皇族・重臣・閣僚・陸海軍首脳・在野有力者の連絡調整を一手に引き受けた、宮中の影の総指揮官。
本話の昭和十八年十一月二日、千駄ヶ谷の自邸にて高木惣吉少将と二年ぶりの再会の午餐を行い、松谷誠陸軍大佐・加瀬俊一外相秘書官の名を初めて高木に伝える。
後の「終戦四人組」の原動力。戦後は宮中の戦犯免責・皇室存続のため陰で奔走し、その心労が寿命を縮めたとも言われる。
高木惣吉(たかぎ・そうきち、1893年〜1979年)
本話の語り手。本話時、満50歳、海軍少将。
熊本県葦北郡の貧農の子として生まれた苦学の人。
働きながら通信講義録で独学し、東京の製本工場で職工として働きつつ夜学に通うという尋常ならざる経歴を経て、海軍兵学校に合格。海軍大学校を首席卒業した俊才。
海軍大臣秘書官、海軍省調査課長などを歴任。米内光政大将・岡田啓介大将の海軍ブレーンとして、政治・経済・思想・外交の各界の一流学者を集めた「ブレーントラスト」を構築した。
日米開戦に最後まで反対した良識派。
1942年6月、舞鶴鎮守府参謀長として東京を離れる。約1年5ヶ月の地方勤務の間、由良川治水や東西舞鶴市合併などの行政手腕を発揮した。
1943年秋、海軍少将に進級し、東京に復帰。本話で松平秘書官長と二年ぶりに再会、後の「四人組」の海軍代表として迎え入れられる。
松谷誠(まつたに・せい、1903年〜1998年)
陸軍大佐、参謀本部戦争指導班長(本話時、満40歳)。
石川県金沢市生まれ、福井県人(松谷家に入籍)。
金沢二中→陸軍士官学校(35期)→陸軍大学校。
陸軍内では「中学校出身」のため傍流。「英米派」。
1943年3月に参謀本部戦争指導班長に着任。同年4月、外相秘書官・加瀬俊一と重光葵新外相歓迎の席で初対面。以後、加瀬と「英米派の同志」として深く結ばれていく。
1943年秋(10月半ば)、加瀬の引き合わせにより、福井県人会のよしみのもと、松平康昌秘書官長への接触を開始。第12話で描かれた千駄ヶ谷邸初訪問の折、自らに「戦争指導の核心と終戦の方策については一切口外しない」厳戒を課し、その上で絶対国防圏の崩壊時期を「来年一杯」と告げた。
本話で松平から高木に「陸軍の柱」として紹介される、後の四人組の陸軍代表。
加瀬俊一(かせ・としかず、1903年〜2004年)
外務省、外相秘書官(本話時、満40歳)。
千葉県我孫子市出身。旧制一高→東京帝国大学法学部→外務省。
1925年外務省入省。アメリカ・イギリス勤務を経て、東郷茂徳・松岡洋右・重光葵の三代の外相秘書官を務めた「天性の外交官」。
外見は「目から鼻へ抜けるような頭のよさ、優しい風貌、巧みな英語」と評され、犬猿の仲とされた東郷茂徳と重光葵の双方から絶大な信頼を受けた。
1943年4月、重光葵新外相の歓迎の席で松谷誠と初対面、以後深い同志関係を結ぶ。
第12話では松谷を千駄ヶ谷の松平邸へ案内し、帰途に「細く長く、細く長く――秘密の階段」の哲学を松谷に語った。
戦後は外務省情報文化局長などを歴任、初代国連大使。
松平春嶽(まつだいら・しゅんがく、慶永=よしなが、1828年〜1890年)
越前福井藩第十六代藩主。徳川家康の次男・結城秀康を祖とする越前松平家の名君。本話の中心人物・松平康昌の祖父。
幕末の動乱期、薩摩の島津斉彬、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城と並んで「四賢侯」と称された。
橋本左内・横井小楠ら傑出した家臣を登用し、雄藩連合論の中心的論客。
1862年(文久二年)、幕府の政事総裁職に就任。将軍後見職の徳川慶喜と並び立って公武合体路線を推進。坂本龍馬・勝海舟らとも交流し、1867年(慶応三年)の大政奉還への道を内側から開いた最も穏健で叡智に富む大名であった。
武力倒幕ではなく、合議による平和裡の政権移行を最後まで模索した点で、近代日本の成立期における「和」の精神の象徴的人物。
本作の主題「軍事ではなく和議による解決」の思想的源流。本話では「和」の掛け軸として、応接間の床の間に静かに座する。
近衛文麿(このえ・ふみまろ、1891年〜1945年)
公爵。第34・38・39代内閣総理大臣(三度の組閣)。
本話時、四重臣の一人として東條打倒を画策中。
高松宮内閣構想の主導者。月末から娘婿の細川護貞を高松宮の情報係に立てる動きを始める。
しかし日米開戦の責任を海軍に転嫁する姿勢が見られ、本話で高木は「旗手にはできぬ」と判断する。
岡田啓介(おかだ・けいすけ、1868年〜1952年)
予備役海軍大将。第31代内閣総理大臣(二・二六事件で襲撃を受けるも生還)。
本話時、四重臣の中心。海軍内における反東條工作の最高峰。
1943年8月29日に近衛と会談し「東條内閣のやり方ではどうにもならぬ」との認識で完全一致するも、倒閣後の成案を欠き膠着。
本話の十一月二日朝、女婿・迫水久常から「東條単独懇談」の試みの失敗報告を受ける。
迫水久常(さこみず・ひさつね、1902年〜1977年)
大蔵省総務局長(本話時)。岡田啓介の女婿。
岡田大将の意を受け、東條首相と重臣との単独懇談を政府側に打診したが、星野直樹書記官長に拒絶される。
後の鈴木貫太郎内閣で内閣書記官長として、戦争終結の局面で決定的な役割を果たす人物。
星野直樹(ほしの・なおき、1892年〜1978年)
内閣書記官長(本話時)。
元満州国国務院総務長官。
東條の側近として政府中枢を固め、重臣との対話を遮断する役割を担う。
赤松貞雄(あかまつ・さだお、1900年〜1982年)
陸軍大佐。東條英機首相秘書官(本話時)。陸士34期、陸大42期。
松平秘書官長からの「東條単独懇談」の勧めに対し、「総理の側には色々な人が居ますので……」と弁解。
他方で、松平秘書官長に対しては国内事情について定期的に非公式な連絡を保ち、軍と宮中の間の細い管の一翼を担っていた。
鈴木貞一(すずき・ていいち、1888年〜1989年)
陸軍中将、企画院総裁(本話時)。
1943年8月末、新聞記者に対し「重臣が何だ、元老とは違う」と暴言を吐き、重臣との関係を決定的に硬化させた人物。
中野正剛(なかの・せいごう、1886年〜1943年)
代議士。東方会総裁。
反東條の急先鋒。憲兵隊に拘引(1943年10月21日)、釈放後の10月26日深夜に自邸で割腹自決。
本話の一週間前の事件。
細川護貞(ほそかわ・もりさだ、1912年〜2005年)
肥後熊本藩主・細川家の第十七代当主・細川護立侯爵の二男。近衛文麿公爵の娘婿(次女・温子の夫)。元総理秘書官。
本話時、月末より高松宮宣仁親王の情報係に正式就任する流れにある。
本話の同日午後三時、霞山会館で高木と会見(次話の主舞台)。
戦後に『細川日記』を公刊し、終戦工作研究の第一級史料を残した。
高松宮宣仁親王(たかまつのみや・のぶひと、1905年〜1987年)
昭和天皇の弟宮。海軍大佐(本話時、後に大将)。
軍令部第一部員などを歴任。
近衛らによる「高松宮内閣」構想の中心。本話では「旗手」として、その名が浮上する。
平沼騏一郎(ひらぬま・きいちろう、1867年〜1952年)
男爵、枢密院議長。第35代内閣総理大臣。四重臣の一人。
若槻礼次郎(わかつき・れいじろう、1866年〜1949年)
男爵。第25・28代内閣総理大臣。憲政会・立憲民政党の領袖。四重臣の一人。
木戸幸一(きど・こういち、1889年〜1977年)
侯爵。内大臣(本話時)。
松平康昌の上司。終戦工作の宮中最高責任者として、戦争終結に至る道筋をつける中心人物。
■ 用語集
「千駄ヶ谷の午餐」(せんだがやのごさん)
昭和十八年十一月二日、千駄ヶ谷の松平康昌侯爵邸で開かれた、松平秘書官長と高木少将の二年ぶりの再会の午餐。本話の核心的場面。
史実では、高木自身の覚書(『高木惣吉 日記と情報 下』所収、10月29日付覚書への追記)に、この日の松平との会談記録として「迫水報告」「星野遮断」「東條の意動」の経緯が記録されている。
「越前葵」(えちぜんあおい)
越前松平家の家紋「丸に三つ葉葵」。徳川家康の次男・結城秀康を祖とする越前松平家にのみ許された別格の葵紋。
徳川宗家の「三つ葉葵」と意匠が酷似しつつも、葉脈の細部に違いがある。徳川一族の中でも、御三家・御三卿に並ぶ格式の高さを示す。
本話で、松平康昌の羽織の胸元と背中に配された家紋として、彼の家格と血統の重みを視覚的に象徴する。
「和」の掛け軸
越前松平家初代の松平春嶽公愛用の書斎にあったとされる墨書の一幅。
武力ではなく合議で日本の進路を切り開こうとした幕末の春嶽公の精神を象徴する。
第12話で松谷誠が初めて訪ねた折に印象づけられ、本話でも高木が応接間で目に焼きつける、二人の同志を結ぶ象徴的小道具。
「特に厳戒を加える」(とくに げんかいを くわえる)
第12話で松谷誠が松平秘書官長に対し、自ら申し出た軍機保持の誓約の語。
「戦局の連絡、大枠の情勢判断」のみを話題とし、「戦争指導の核心、終戦の方策」については一切口外しない、と自らに枷を課した。
軍人の誠実な姿勢の象徴として、松谷の人格を最もよく表す語のひとつ。本話で松平の口から高木に再現される。
「来年一杯」(らいねん いっぱい)
第12話で松谷誠が松平秘書官長に告げた、絶対国防圏の維持限界の予言。
船舶損耗の趨勢を踏まえ、「来年(昭和十九年)一杯。それが現状の限度であります」と、内側からの数字に基づいて言い切った。
本話で松平の口から高木に再現される、本作で最も重要な戦略予言のひとつ。
「お預かりいたします」
松平康昌が松谷誠から伝えられた戦局の数字に対して用いた応答。
「終戦」「和平」「戦争収拾」の三語に踏み込まず、聞いた事実を内大臣府の責任において保管し、然るべき時に陛下のお側で生かす――という宮中流の慎重な作法。
本話で高木がその作法の深意を読み解く。
「細く長く」(ほそく ながく)
第12話の結末で、加瀬俊一が松谷誠に語った地下ネットワーク構築の鉄則。
「月に一度、二度でもいい。細く長く、細く長く――陛下の御心に通じる秘密の階段」。
本話で松平が高木に再びこの語を伝え、四人組の作法の基本軸として定着する。
「内・外・海・陸の四人組」(うち・そと・かい・りくのよにんぐみ)
本話の千駄ヶ谷の午餐の場で、松平秘書官長が高木に初めて告げた構想。
宮中(松平康昌)・外務省(加瀬俊一)・海軍(高木惣吉)・陸軍(松谷誠)の四者連携による東條打倒と終戦工作の「見えざる地下ネットワーク」。
史実では昭和二十年一月に正式に発足。本話はその「最初の糸」が結ばれた瞬間を描く。
「内大臣」(ないだいじん)
1885年(明治18年)の内閣制度創設に伴い「宮中・府中の別」が制度化されて以降、天皇の常侍輔弼の任にある宮中の最高職。
国務の責任者ではなく、陛下お一人を支え助けることを唯一の任務とする。
組閣の大命降下の際には、内大臣が後継首班の奏薦を主導した。
「内大臣秘書官長」(ないだいじんひしょかんちょう)
内大臣府の実務統括者。内大臣の「女房役」として、天皇・皇族・重臣・閣僚・陸海軍首脳・在野有力者など広範な関係者間の連絡調整を行う。
松平康昌侯爵が1942年6月から終戦時まで一貫してこの職にあった。
「四重臣」(しじゅうしん)
1943年夏頃から戦局悪化を見て早期終戦の方策を私的に協議し始めた、岡田啓介大将・近衛文麿公爵・平沼騏一郎男爵・若槻礼次郎男爵の四人。
半月に一度、近衛の私邸「荻外荘」などで非公式の会合を開く。
「荻外荘」(てきがいそう)
東京・荻窪の近衛文麿の私邸。
1937年、近衛が宇都宮の貴族院議員から購入。
近衛が首相在任中・退任後の重要な政治会談の舞台。本話時には、四重臣の半月に一度の会合場所のひとつとなっていた。
「藍亭」(らんてい)
二年前(昭和十六年)に高木と松平が深い議論を交わした、東京の老舗料亭。
本話で「二年前の藍亭の夜々」として何度も回想される、二人の絆の象徴。
「中野正剛事件」(なかの せいごう じけん)
1943年10月21日、反東條の急先鋒であった中野正剛代議士が憲兵隊に拘引され、釈放後の10月26日深夜に自邸で割腹自決した事件。
東條内閣の強権政治の象徴として、本話の対話の中でも言及される。
「迫水報告」(さこみず ほうこく)
1943年11月2日の朝、岡田啓介大将のもとに迫水久常大蔵省総務局長が参じ、「東條首相が単独で重臣と懇談する件」を政府側に打診したが星野直樹書記官長に遮られた、と報告した経緯。
松平康昌秘書官長が同日の午餐の席で、高木少将にこの内情を伝えた。
「星野書記官長の遮断」(ほしの しょきかんちょうの しゃだん)
迫水報告における政府側の対応。
星野直樹内閣書記官長が、東條首相と重臣との単独懇談を「閣僚を疎外しているという感情を抱かせるおそれがある」として遮断した経緯。
その背景には、以前の懇談会(1943年8月30日)の折、食後に総理が重臣と単独で懇談する案を東條本人が拒んだ事実があった。
「東條の意動」(とうじょうの いどう)
松平康昌が、自ら東條秘書官・赤松貞雄を通じて重臣との単独懇談を勧めた折に、東條の応対の中に「心が動いた節」を感じ取ったこと。
史料『高木惣吉 日記と情報 下』に追記された松平の述懐。
東條本人は必ずしも対話を拒んでいなかったが、側近たちが遮断していた事実を示唆する重要な証言。
「閣内不一致への警戒」(かくない ふいっちへの けいかい)
東條首相が、自らの閣僚との関係を過度に警戒していたこと。
「閣僚の中には総理が専断して自分たちを疎外しているという感情を持つ者がいる」との恐れから、重臣との単独懇談を避けた。
東條内閣末期の「内部からの脆さ」を象徴する。
「高松宮内閣」(たかまつのみや ないかく)
近衛文麿が主導する「東條内閣打倒後」の構想。
強大な権力を持つ東條内閣を倒し、軍部を抑え込んで一気に終戦に持ち込むには、強力な求心力を持つ皇族内閣――特に高松宮宣仁親王を首班とする内閣を樹立するしかない、との発想。
「重臣が何だ」(じゅうしんが なんだ)
1943年8月末、企画院総裁・鈴木貞一が新聞記者に対し放った発言。
「重臣が何だ、元老とは違う。政府を呼び出して差し出がましい真似は止めた方が良い」。
この発言が重臣側に漏れ、政府と重臣の関係を決定的に硬化させた。
「霞山会館」(かざんかいかん)
東京・霞ヶ関にあった会員制クラブ。
本話の同日午後三時、高木が細川護貞と密議を交わす場所(次話の主舞台)。
「天皇中心の国家護持」(てんのう ちゅうしんの こっか ごじ)
松平康昌と木戸幸一内大臣に共通する、終戦工作の根本理念。
たとえ敗戦に至るとも、国体(天皇制)を護り抜くことを最優先とする思想。
本作後半の、戦争終結とポツダム宣言受諾の条件をめぐる議論の根底をなす。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・松平康昌が内大臣秘書官長として、天皇・皇族・重臣・各省・陸海軍首脳の間の連絡調整の要にあり、木戸幸一内大臣の「女房役」と呼ばれる立場にあったこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』、伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』)。
・松平康昌が幕末の名君・松平春嶽の孫であり、自由主義的な思想の持ち主として、和平派の重臣・軍人から厚い信頼を得ていたこと。
・高木惣吉と松平康昌が旧知の間柄であり、日米開戦前から戦局や和平について気脈を通じていたこと(伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』)。
・のちに松谷誠・加瀬俊一・高木惣吉・松平康昌の四者が終戦に向けて連携することになるが、四者が一堂に会して結束するのは昭和二十年一月のことであり、本話の時点(昭和十八年十一月)では、松平がそれぞれと個別に接点を持っていたにすぎないこと。本話の表題の「芽生え」も、その萌芽という意味にとどまること。
【創作部分】
・千駄ヶ谷の松平邸での高木と松平の再会、松平が松谷誠や加瀬俊一の名を高木に伝える場面、応接間や和辻哲郎の著書・掛け軸をめぐる情景、登場人物の会話の細部は、史実の趣旨を踏まえて本作で構成した創作です。
・前書き・後書きの松平の語りや内面、各場面の情景描写は創作です。
■ 参考文献
松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年
伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報 上』みすず書房、2000年




