第33話「細川推挙と岡田大将の覚悟」
【前書き】(高松宮宣仁親王より)
私の名は宣仁。
大正天皇の第三皇子。
兄上は今上陛下。
海軍兵学校を経て、海軍中佐として現在、軍令部に出仕している。
昭和十八年十月二十九日――その日のことを、私は生涯忘れない。
朝、軍令部の私の部屋に、海軍少将・高木惣吉さんが訪ねてこられた。
九月十五日、舞鶴で会って以来。
あの日、私は彼に「東京に戻られたら、ぜひ私を訪ねてください」とお願いしていた。
いま彼は戻ってこられた。
しかも、二日前の湯河原で、近衛文麿公爵と原田熊雄男爵とともに極秘の合意を得たうえで。
その合意とは――近衛さんの娘婿、細川護貞さんを、私の「情報係(連絡役)」として推挙すること。
しかも高木さんは、ただ細川さんを推挙するだけではなかった。
彼は私にこう言われた。
「殿下、細川さんは民間人です。 ……ですから海軍方面の情報については私と矢牧章さんが補佐し、陸軍方面の情報については適任者を現在探しております」
民間人の情報係を立てつつ、その背後に軍の良識派からの裏のサポート体制を組み込む――。
その設計図の重みを、私は即座に理解した。
「高木さんらしいご配慮です」と、私は応えた。
しかし内心では、こう思っていた。
「この方は、皇族と海軍と民間ブレーンを結ぶ三角形を、いま私の前で完成させようとしている」と。
昭和十八年十月二十九日、軍令部、そして海軍省。
二つの会見によって、終戦工作の最初の柱が立つ日の記録である。
【本文】
昭和十八年十月二十九日、午前八時。
俺は霞ヶ関の軍令部に出仕した。
軍令部の廊下を歩いた。
革靴の音が床に響いた。
戦時下とは思えぬ静けさが、廊下全体に満ちていた。
俺は副官に拝謁の手続きを伝えた。
しばらく待つよう申し渡された。
御部屋の前で姿勢を正した。
目的はひとつ。
高松宮宣仁親王殿下への、湯河原合意の御報告。
*
御部屋の襖が、副官の手で静かに開けられた。
高松宮殿下は卓の向こうにお坐りであった。
海軍中佐の制服姿。
しかしその眼光は冷静で、深い。
「高木さん。よく戻られました」
「ご無沙汰いたしておりました」
俺は深く頭を下げた。
殿下はわずかに頷かれた。
「お身体はいかがですか」
「ようやく起き上がれるようになりました」
「茅ヶ崎で静養を」
「東京の喧騒はお身体に障るでしょう」
「お気遣い、痛み入ります」
殿下はわずかに目を細められた。
「それで、今日お越しくださったのは」
「はい。二日前に湯河原にて、近衛文麿公爵と原田熊雄男爵にお会いいたしました」
殿下はゆっくりと頷かれた。
「ほう。近衛さんと原田さんに」
「はい」
*
俺はゆっくりと言葉を選んで申し上げ始めた。
「殿下が時局をご心配なさっていることをお伝えしましたところ、原田男爵は『ごもっともなことで、まったく同感に堪えない』と申しておりました」
殿下は深く頷かれた。
「ついては、殿下がお考えのような情報収集の御役目には、細川護貞氏が適任であると、三者にて合意いたしました」
「ほう、細川さんを」
「彼は若いながらも考えに偏りがなく、近衛内閣時代に総理秘書官の経験もございます。 ……民間人として自由に動ける身。ご信頼なさってよろしい人物と存じます。私もそのように信じております」
殿下は静かに頷かれた。
「ええ。 ……近衛さんと原田さんからも、すでに同じ推薦を伺っています」
「あなたも賛成してくださいますか」
「断固、賛成いたします」
*
俺はわずかに姿勢を正した。
次に申し上げる一言が、本日の御目通りの核心であった。
「殿下――。一点、付け加えて申し上げたきことがございます」
「ええ、どうぞ」
「細川氏は民間人にございます。 ……ネットワークが軍部の中まで十分に届くとは限りません」
殿下はわずかに眉を上げられた。
「ゆえに、細川氏の情報網が及ばぬ陸海軍方面につきましては――」
俺は深く息を吸った。
「海軍方面は、私および矢牧章大佐が補佐いたします。 ……陸軍方面につきましては、適任者を現在研究中でございます」
しばしの沈黙が降りた。
殿下は俺の眼をまっすぐに見つめられた。
殿下の声は低く、しかしはっきりと響いた。
「高木さんらしいご配慮です」
「恐縮にございます」
「細川さんを表に立て、軍部の内側からは高木さんと矢牧さんが補佐してくださる。 ……それで初めて情報の線が完全になりますね」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「陸軍方面の適任者についても、急いでいただけますか」
「は。 ……心当たりはございますが、まだ確証が立ちません」
「ええ。 ……時機を見て、追ってお知らせください」
「承知いたしました」
*
俺はわずかに身を正して、最後の一件を申し上げた。
「殿下、もう一点、原田男爵よりの伝言がございます」
「『開戦直後の非を大いに痛心している』と、殿下にお申し添えくださいとのことでございました」
殿下はしばし沈黙された。
御部屋の窓越しに、秋の光が射し込んでいた。
「原田さんですか。 ……あの方も、長い」
「西園寺公が亡くなられて、もう三年。それでも変わらず、われわれのために働いてくださっている」
「そのとおりです」
「お伝えください。 ……『その痛心、私も共にします』と」
「承知いたしました」
*
殿下はゆっくりと卓に手を置かれた。
「ただ、高木さん」
「これは東條打倒のためではない」
俺はわずかに息を呑んだ。
「ただ、このように時局が切迫してきて、いかなる事態が発生しないとも限らぬ。 ……そのとき正確な判断を下し得るだけの予備知識を、私は得ておきたい」
殿下のお声は低かった。
しかし、その奥には深い覚悟が滲んでいた。
「政府が気に病まぬよう、細川には何か本職を持たせ、その片手間にやってもらう。 ……目立たぬよう、隠密に」
「承知いたしました」
俺は深く頭を垂れた。
(殿下は――)
(東條打倒という政治目的ではなく、来るべき国家の破局に備えて、正確な判断のための情報を求めておられる)
(この御覚悟)
(明確で、しかも深い)
「ならば近いうちに細川を呼ぼう」
「ありがたく存じます」
*
御部屋を退室した俺は、廊下に出て、しばし足を止めた。
軍令部の廊下の窓越しに秋の光が射し込んでいた。
(……これで、皇族と重臣をつなぐ情報の柱が立った)
心のなかで呟いた。
(近衛公爵を旗手にはできぬ。 ……しかし近衛公爵の娘婿を皇族の情報係に据える)
(しかもその背後に私と矢牧大佐の海軍からの裏のサポート体制を組み込んだ)
(皇族・重臣・海軍良識派・民間ブレーン)
(ばらばらだった和平への意志が、ひとつの線でつながる)
(東條内閣下の厳しい憲兵の監視のなかで、皇族の権威を盾にして秘密裏に動ける)
(この国を救うための見えざる柱が、いま立った)
俺は廊下を歩き始めた。
革靴の音がふたたび床に響いた。
しかし、まだ終わってはいない。
今日のもう一つの目的は――。
午後、岡田啓介大将を訪ねること。
*
同日午後一時三十分。
俺は岡田啓介海軍大将(元首相)の家の応接間にいた。
卓の向こうには、岡田啓介海軍大将。
二・二六事件で官邸を反乱軍に襲われ、義弟の松尾伝蔵が身代わりとなって殺された、あの元首相。
海軍の長老格。
俺の最も信頼する政治的後ろ盾。
「高木君」
「大将、ご無沙汰いたしておりました」
岡田大将はわずかに目を細められた。
「東京に戻ってきたか」
「身体はどうだ」
「ようやく起き上がれるようになりました」
俺は深く頭を下げた。
「大将、ご報告がございます。 ……二日前、湯河原にて、近衛公爵と原田男爵にお目にかかりました」
大将はゆっくりと煙草を口に運ばれた。
「ほう。湯河原か」
「はい」
*
岡田大将はわずかに眼を細められ、語り始めた。
「実はわしも、二ヶ月前、近衛さんと会っておる」
「とおっしゃいますと」
「八月三十日の重臣懇談会の前日――華族会館でな。近衛さんと二人だけで話した」
俺は耳を澄ました。
「近衛さんとわしは、全く同じ意見であった。 ……『東條内閣のやり方ではどうにもならぬ』ということでは、完全に一致した」
「だが――」
大将は煙草の灰を灰皿に落とされた。
「『この内閣は遺憾だからといって、積極的にこれを倒す方法はない。それについては近衛さんにも成案がない』ということであった」
「成案、ですか」
「そうだ。倒閣後の成案だ。東條を倒したあと、誰に組閣させるのか、どう戦争を導くのか。それについて、近衛さんにも案がない。わしにもない」
俺は深く息を吐いた。
「では、二ヶ月前の段階で、すでに行き詰まっておられたのですね」
「うむ。 ……だから八月三十日の懇談会では、わしも消極的にならざるを得なかった」
*
俺は湯河原の対談を、克明に岡田大将に伝え始めた。
近衛が三国同盟、日米開戦、第三次内閣総辞職の経緯を述べたこと。
そして近衛が、戦争責任を海軍に押し付けようとされたこと。
俺がその場で真っ向から反駁したこと。
「大将。私は近衛公にすぐに反論いたしました」
「『海軍として、仮に誰が責任者であったにしろ、戦争に成算がないからといって対米交渉を是非まとめてくれとか、戦争決意は止めてくれとは言えません』と」
岡田大将はわずかに頷かれた。
「『特に陸軍の内部統制の手助けのために、海軍に「戦に成算なし」と公式に言わせるような構想は、断じて受け入れられません』と」
「『陸軍の暴走を抑える政治的責任は、内閣総理大臣の御身にこそあったのではありませんか』と申し上げました」
*
岡田大将は煙草を灰皿に置かれた。
しばし沈黙された。
やがてゆっくりと口を開かれた。
「その通りだ。ずるいことでは、近衛さんが、一番、ずるいんだよ」
俺は息を呑んだ。
「大将」
「海軍を責任者にしようとするのは無理です」
大将はわずかに笑われた。
しかしその笑みには深い苦みが滲んでいた。
「近衛さんは、重臣懇談会で何とかして海軍に倒閣の責任を負わせようというお考えかもしれぬ。 ……しかしそれは出来ぬ」
俺は深く頷いた。
「しかし大将、それは何故でございますか」
「ただ内閣を倒しただけで、後をどうするかという成案がなければ動けぬからだ。 ……ところがその成案がない」
*
岡田大将は卓に身を乗り出された。
「高木君。 ……わしが一番恐れるのは、前線の将兵のことだ」
「前線の数百万の将兵のことを考えるにおいて――成算もなく倒閣をやろうとすると、その間に何が出るか分からぬ」
「クーデターか。 ……陸軍の暴発か。 ……それは誰にも止められぬ。 ……そういう冒険は出来ぬ。海軍としてもやるべきではない」
俺は深く頭を垂れた。
「肝に銘じます」
「軍令部の矢牧が、この間わしの所に来たときも、『倒閣だけはやるな』と言っておいた」
俺は息を呑んだ。
(矢牧大佐にも、すでに大将は釘を刺しておられた)
(後輩を案じる老将の慎重さ。 ……しかしそれは決して臆病ではない)
(前線数百万の将兵のことを思えばこそ、軽率な倒閣運動は許されぬ)
「大将のお考え、よく了解いたしました」
*
岡田大将はわずかに目を細められた。
話題は、次期政権と陸軍の人事へと転じた。
「天野辰夫と中野正剛が、わしのところに来てな」
「次期首相に宇垣一成を推す、と申してきた」
「宇垣大将を、ですか」
「うむ。天野はな、今年の三月までわしのブラックリストに挙げていた男だ。しかし度々会ってみると、やはり次期内閣は彼らでなくてはならぬと考えるようになった」
俺は静かに聞いた。
「天野は『宇垣なら山下奉文が出る』と言ってきた。 ……だから『宇垣も線が太くて結構だ』と申しておいた」
「だから、恐らく近衛さんのところにも、『海軍はそれで納まる』と伝わっているだろう」
「そうですか」
「次期陸相は――梅津美治郎、阿南惟幾、山下奉文の誰でも一応は納まると思うが」
大将はゆっくりと続けた。
「割合まとまりが良いのは、恐らく阿南だろう」
俺はその名を心のなかに刻んだ。
(阿南惟幾――現在、第二方面軍司令官)
(その名が岡田大将の口から出る)
(伏線というべき何かが、いま置かれた)
*
岡田大将は深く息を吐かれた。
「東條に対しては全陸軍が反東條だ。 ……前線は反東條派を出しておる」
「この間、有末某が某要職に就く予定で帰って来た。 ……東條に会い、前線司令官の総意だとして『専任の陸相を置くべきだ』と進言したそうだ」
「ところが直ちにもとの配置に追い還された」
俺は息を呑んだ。
「そして――」
大将はわずかに目を伏せられた。
「ラバウルに帰り着く前に、戦死してしまった」
長い沈黙が降りた。
(前線の総意を東條に直言した者は、即座に左遷され戦死する)
(軍部中枢の言論統制は、ここまで来ている)
(俺がいま立っているこの場所も、決して安全ではない)
*
俺は深く息を吸い、姿勢を正した。
申し上げるべきことの最後の一点が残っていた。
「大将。 ……ひとつ、わが結論を申し上げたく存じます」
「重臣の中心であられる近衛公と大将のお二方の間に、多少とも気持ちの食い違いがあっては、この国家の危機において非常に遺憾と存じます」
岡田大将は深く頷かれた。
「かつ近衛公は、再び責任の立場――首相――に出るべきではないと存じます。 ……それはすでに試験済みでございます」
「うむ。 ……同感だ」
「しかし近衛公の地位は、国政の指導上、大いに利用価値がございます」
「それについては、大将に十分に手綱を取っていただく必要があると存じます」
岡田大将はしばし沈黙された。
やがて深く頷かれた。
「君の判断は的確だ」
「ありがとうございます」
「わしも、近衛さんと、これからも辛抱強く付き合おう」
*
大将はわずかに笑われた。
「しかし、最終的な決断は、わしがする」
「君もわしも、近衛さんを利用させてもらう。 ……しかし利用されはしない」
俺は深く頭を下げた。
「大将のお言葉、肝に銘じます」
「ところで、高木君」
「君は朝、軍令部にも顔を出したそうだな」
俺は驚いた。
御目通りの件がすでに大将のお耳に届いている。
「はい。 ……高松宮殿下に細川護貞氏の御推挙を申し上げました」
「細川氏を表に立て、海軍方面は私と矢牧大佐が補佐し、陸軍方面については研究中でございます、と」
岡田大将は深く頷かれた。
「よろしい。 ……高松宮殿下を担ぎ、細川を表に立て、君と矢牧が裏から支える。 ……良い設計だ」
「恐縮にございます」
「ただし、矢牧には『倒閣はやるな』と申したばかりだ。 ……無理をさせるな」
「承知いたしました。 ……あくまで情報の柱としてのみ機能させます」
「うむ。それでよい」
*
会談を終えて、俺は海軍省の自席に戻った。
夕日が窓越しに射し込んでいた。
その夕日の光のなかで、俺は卓上の電話機を見つめた。
近衛は旗手にはなれぬ。
高松宮殿下には情報のパイプが立った。
岡田大将は了解された。
あとは――。
もう一人。
松平康昌秘書官長。
二年前、藍亭での夜々を共にした、内大臣府の旗手。
俺は受話器を取りダイヤルを回した。
しばらく呼び出し音が続いた。
やがて聞き慣れた声が、受話器の向こうから聞こえてきた。
「松平でございます」
「松平さん、高木でございます」
しばしの沈黙が降りた。
松平さんの声がわずかに震えた。
「高木さん。 ……戻られたのですね」
「うむ。先月二十九日、東京に戻りました」
受話器の向こうで松平さんが深く息を吐かれる音が聞こえた。
「ようこそお戻りくださいました」
「松平さんもお元気で」
「は。 ……ご無沙汰しております」
「松平さん、お目にかかりたい」
「もちろんでございます」
「いつでも結構ですが、お時間を頂戴できますか」
松平さんはしばし黙られた。
手帳をめくる音がわずかに聞こえた。
「十一月二日、月曜日。 ……正午過ぎ、千駄ヶ谷の拙宅にお運びくださいませ。午餐をご用意いたします」
俺は深く頷いた。
「承知しました。十一月二日、午後零時三十分にお伺いいたします」
「お待ちしております」
受話器を置いた。
俺は卓の上でしばし立ち尽くした。
(……再会まで、あと四日)
心のなかで呟いた。
(二年前の藍亭の夜以来、一年九ヶ月の沈黙)
(その沈黙を四日後、千駄ヶ谷でようやく破る)
(皇族・重臣・海軍・そして内大臣府)
(俺の終戦工作の四つ目の柱が、いま立ち上がろうとしている)
窓越しの夕日が暮れてゆく。
軍服の襟の金筋に、最後の橙色の光が滲んでいた。
【後書き】(松平康昌より)
僕の名は松平康昌。
松平春嶽公の孫。
現在、内大臣秘書官長として、木戸幸一内大臣の女房役を務めております。
昭和十八年十月二十九日、夕刻――。
僕のもとに、思いがけぬ電話が入りました。
受話器の向こうから聞こえてきたのは、忘れもしない、あの声。
高木惣吉海軍少将。
二年前、東京の藍亭という料亭で、僕と夜更けまで語り合った、海軍の俊英。
あの夜々から、もう一年九ヶ月の沈黙が流れていた。
高木さんは舞鶴鎮守府参謀長として、東京を離れておられた。
肋膜炎を患い、長く療養生活を送られた。
僕はお元気を案じつつも、お便りを差し控えていた。
その方が、いま、戻ってこられた。
しかも、ただの帰任ではない。
僕は存じ上げぬが、後に知ったところによれば――。
高木さんはこの日、朝、軍令部にて高松宮宣仁親王殿下に拝謁され、細川護貞氏の情報係就任を直接御報告された。
その同日午後、海軍省で岡田啓介大将を訪ね、湯河原の真相を委曲報告された。
その「終戦工作の最初の二つの柱」を立てたあとに、僕に電話をくださったのである。
四日後、十一月二日、月曜日。
午後零時三十分。
千駄ヶ谷の拙宅で、僕は高木さんとの再会を、ご用意申し上げました。
その日のことを、僕は生涯忘れません。
■ 人物紹介
高松宮 宣仁親王(たかまつのみや・のぶひと しんのう、1905年1月3日〜1987年2月3日) ※本話の中心人物の一人・前書きの語り手
皇族、海軍中佐。本話当時、軍令部出仕。大正天皇の第三皇子、昭和天皇の弟宮。学習院初等科を経て海軍兵学校(52期)卒業、海軍大学校(甲種学生・35期)卒業。海軍兵学校時代より厳格な教育を受け、皇族としては異例の「現役士官としての実務」を経験された。連合艦隊参謀、横須賀鎮守府参謀などを歴任。本話当時は軍令部出仕として、海軍中枢の作戦・情報に直接触れる立場にある。皇族のなかで最も「現場の海軍人」としての視点を持ち、対米開戦には早期から反対の意向を示しておられた。天皇の弟宮として宮中・海軍・重臣の間を結ぶ独特の位置を占め、戦争末期、終戦工作の重要な「皇族の柱」として機能する。本話の十月二十九日朝、軍令部の御部屋で高木の拝謁を受け、細川護貞の情報収集係就任を快諾。「これは東條打倒のためではない」「来るべき事態のための予備知識を得たい」と明確に自身の真意を高木に告げる。妃殿下は喜久子妃(旧徳川慶喜公爵家の血を引く徳川喜久子)。残された『高松宮日記』(全八巻)は、戦中期の宮中・軍部の動向を記録した第一級史料。
岡田 啓介(おかだ・けいすけ、1868年2月13日〜1952年10月17日) ※本話の中心人物の一人
海軍大将(予備役)、政治家、福井県人。福井藩士の家に生まれ、福井中学を経て海軍兵学校(15期)、海軍大学校卒業。日露戦争に従軍、佐世保鎮守府参謀長、舞鶴鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官、海軍大臣(田中義一内閣)などを歴任。昭和九年七月、第31代内閣総理大臣として組閣(岡田内閣)。海軍軍縮条約問題、天皇機関説問題などに対処し、海軍穏健派・条約派の代表として活動。昭和十一年二月二十六日の二・二六事件で官邸を反乱軍に襲われ、義弟・松尾伝蔵(陸軍歩兵大佐、岡田が自身の身代わりとして配置していた)が殺害された。岡田自身は女中部屋の押入れに隠れて命を保ち、変装して官邸を脱出するという奇跡的な生還を遂げた。事件後は予備役編入、しかし海軍長老格として、政界の和平派の中心人物となる。本話当時七十五歳。高木惣吉とは、岡田が舞鶴鎮守府司令長官時代からの旧知。海軍中堅の若手たちを陰で支え続けた「最後の海軍長老」。本話の十月二十九日午後、高木の湯河原対談の報告を受け、「ずるいことでは、近衛さんが、一番、ずるいんだよ」と近衛への評価を語る。同時に、倒閣には「成案」が必要であり、軽率な倒閣運動は前線の将兵に害を及ぼすという、慎重論を高木に伝える。戦後は重臣として戦犯指名を免れ、昭和二十七年十月十七日没。終戦工作の影の総指揮者の一人。
松平 康昌(まつだいら・やすまさ、1893年4月20日〜1957年4月14日) ※本話の後書きの語り手
侯爵、内大臣秘書官長。福井藩主・松平春嶽公の孫。父は松平慶民(旧福井藩主家当主、宮内大臣)。学習院から東京帝国大学法学部、その後イギリス・ケンブリッジ大学およびフランスでの留学を経験。帰国後、外務省入省、外務書記官などを経て、貴族院議員。昭和十一年から内大臣秘書官長として、まず湯浅倉平内大臣に仕え、続いて昭和十五年六月以降は木戸幸一内大臣の女房役を務める。性格は温厚で品格を備え、西園寺公望以下の自由主義者たちから厚い信任を得ていた。本話の末尾、二年ぶりに高木からの電話を受け、十一月二日午後零時三十分に千駄ヶ谷の自宅で午餐をご用意することを約束する。後の「終戦四人組」(松谷誠・高木惣吉・加瀬俊一・松平康昌)の一翼。本作全体において、四人組のなかで最年長(高木より五歳上)、最も貴族的気品を備えた人物。一人称は「わたくし」。
細川 護貞(ほそかわ・もりさだ、1912年7月17日〜2005年10月13日)
近衛文麿公爵の女婿。本話で高木が高松宮殿下に直接推挙し、御受諾を得る。父は侯爵・細川護立(旧熊本藩主家当主、美術収集家)。一高から京都帝国大学法学部卒業、内務省入省、岡山県学務部長を経て、第二次・第三次近衛内閣(昭和十五〜十六年)の総理秘書官を務めた。本話の十月二十九日時点では、まだ高松宮殿下への正式な拝謁は行われておらず、十一月八日に初めて伺候することとなる。残した『細川日記』は終戦史研究の第一級史料。
矢牧章(やまき・あきら、1894年〜1982年) ※本話当時、海軍大佐
海軍大佐(後に少将)。海兵43期(高木と同期)、海大26期。本話当時、軍令部部員。高木の海軍省調査課長時代以来の盟友。本話で高木が高松宮殿下に「海軍方面の細川氏のサポート役」として名を挙げる。同時に、岡田大将から「軍令部の矢牧が来た時も、『倒閣だけはやるな』と言っておいた」と言及される。海軍中堅良識派の中心の一人。
天野 辰夫(あまの・たつお、1892年〜1974年) ※本話で言及
国家主義者、思想家。陸士32期。陸軍を退役後、思想活動に従事。神兵隊事件(昭和八年)を主導したとされる経歴を持つ。岡田大将によれば、今年の三月までは「ブラックリスト」に挙げられていた人物だが、度々接触するうちに「次期内閣は彼らでなくては」と岡田大将も認めるようになった。本話で岡田大将が、中野正剛とともに宇垣一成を次期首相に推す動きをしていると言及する人物。
中野 正剛(なかの・せいごう、1886年2月12日〜1943年10月27日) ※本話で言及
政治家、東方会総裁。福岡県福岡市出身。早稲田大学卒業。東京朝日新聞記者を経て大正九年衆議院議員、以後当選連続。昭和十一年に東方会を結成し、強烈な反東條の論陣を張った。本話の二日前の十月二十六日早朝、反東條運動の咎により憲兵に取り調べを受け、十月二十六日深夜から二十七日未明にかけて、東京・本郷の自宅で割腹自決した。岡田大将の覚書では「天野、中野正剛は宇垣を褒めて持って来た」と言及されるが、岡田が中野の死をどこまで把握していたかは不明。本話の岡田大将は、敢えて中野の死には触れない形で語る(創作的判断)。
宇垣 一成(うがき・かずしげ、1868年6月21日〜1956年4月30日) ※本話で言及
陸軍大将(予備役)。岡山県磐梨郡出身。陸士1期、陸大14期。陸軍大臣(加藤高明内閣、若槻内閣、濱口内閣、第二次若槻内閣)を歴任、陸軍内の最大派閥「宇垣派」を率いた。「宇垣軍縮」で陸軍を四個師団減らした実績で知られる。朝鮮総督を経て、昭和十二年一月、組閣の大命を受けるが陸軍が陸相を出さず流産。以後、予備役として在野の長老格。本話で次期首相候補として、天野辰夫・中野正剛らが推挙する人物として言及される。
山下 奉文(やました・ともゆき、1885年11月8日〜1946年2月23日) ※本話で言及
陸軍中将(後に大将)。高知県長岡郡出身。陸士18期、陸大28期。北一輝らと関係を持ち、皇道派系として知られた。マレー作戦の司令官として、シンガポール攻略を達成し「マレーの虎」と称された。本話当時は第一方面軍司令官(満洲)。岡田大将は「宇垣なら山下が出る」と、宇垣内閣成立時の陸相候補として言及。終戦後、フィリピン戦犯裁判で死刑判決を受け、昭和二十一年マニラで絞首刑。
梅津 美治郎(うめづ・よしじろう、1882年1月4日〜1949年1月8日) ※本話で言及
陸軍大将。大分県中津市出身。陸士15期、陸大23期。陸軍次官(昭和十一年-昭和十二年)、関東軍総司令官(昭和十四年九月-十九年七月)を歴任。本話当時、関東軍総司令官。本話で次期陸相候補として、阿南、山下と並んで言及される。後に参謀総長(昭和十九年七月-終戦)。終戦時の御前会議でも陸軍の代表として降伏に同意。戦後A級戦犯として終身刑判決、巣鴨で病死。
阿南 惟幾(あなみ・これちか、1887年2月21日〜1945年8月15日) ※本話で言及
陸軍大将(後に陸軍大臣)。大分県竹田市出身。陸士18期、陸大30期。侍従武官(昭和四年-昭和八年)を務め、昭和天皇の侍従武官として天皇に直接接した経験を持つ。陸軍次官(昭和十四年-十六年)を経て、本話当時は第二方面軍司令官。本話で岡田大将が「次期陸相は割合まとまりが良いのは恐らく阿南だろう」と評価する人物。後の鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣として、終戦工作の最後の場面で決定的な役割を担う。終戦時の陸軍大臣として、戦争終結の最後の局面で決定的な役割を担うことになる。本話で初めてその名が物語の伏線として置かれる。
有末 次(ありすえ・やどる、1897年2月7日〜1943年8月28日) ※本話で言及、故人
陸軍中将(死後追進)。北海道出身。父は屯田工兵大尉・有末孫太郎。長兄は有末精三陸軍中将(参謀本部第二部長、戦後GHQ連絡委員長)。上川中学から陸士31期、陸大41期。参謀本部作戦班長、教育課長を経て昭和十五年に関東軍作戦課長、ノモンハン事件後の関東軍建て直しに当たった。日米開戦には反対の立場をとり、昭和十六年、大本営陸軍参謀部第20班長(戦争指導班長)として戦争回避を唱えたが阻止できなかった。太平洋戦争開戦後は第17軍高級参謀などを経て、昭和十七年に第8方面軍作戦課長としてラバウルに赴任、翌十八年八月二日に陸軍少将・同方面軍参謀副長となり今村均大将を補佐。同年八月、要務打ち合わせのため一時帰国した際、東條英機陸相に対し前線司令官の総意として「専任の陸相を置くべきだ」(東條の陸相兼任の解消)と直言したが、東條の容れるところとならず、直ちにラバウルに送り返された。ラバウルへ戻る途中の昭和十八年八月二十八日、ビスマルク諸島付近で乗機が事故に遭い戦死。陸軍中将進級。葬送に勅使として侍従が派遣され、幣帛の下賜を受けた。本話の十月二十九日時点では戦死から二ヶ月後にあたり、岡田大将は陸軍中央の言論統制の象徴として、この有末次少将の事件を高木に伝える。なお、本作の主人公・松谷誠は陸士35期で、有末次(陸士31期)の四期下にあたり、参謀本部戦争指導課(旧第20班)の前任者として、松谷は有末を尊敬していた。
今村 均(いまむら・ひとし、1886年6月28日〜1968年10月4日) ※本話で間接的に言及
陸軍大将。宮城県仙台市出身。陸士19期、陸大27期。日米開戦時は第16軍司令官としてジャワ攻略を担当(その慎重で人道的な戦政で知られる)。本話当時、第8方面軍司令官としてラバウルに在任。有末次少将はその参謀副長として今村を補佐した。
原田 熊雄(はらだ・くまお、1888年〜1946年) ※本話で言及
第32話で湯河原対談の仲介役を務めた男爵。本話では高木からの伝言「開戦の非を大いに痛心している」の差出人として、再度名前が登場。「西園寺公が亡くなられて、もう三年。 ……それでも変わらずわれわれのために働いている」という高松宮殿下のお言葉で、その人物像が浮かび上がる。
近衛 文麿(このえ・ふみまろ、1891年〜1945年) ※本話で言及
第32話の中心人物。本話では岡田大将による「ずるいことでは、近衛さんが、一番、ずるい」という辛辣な評価の対象として再登場。同時に、その「地位の利用価値」は岡田大将と高木によって冷徹に評価される。
有末 精三(ありすえ・せいぞう、1895年〜1992年) ※本作で今後言及される可能性のある人物
陸軍中将。有末次の長兄。本話当時、参謀本部第二部長(情報担当)。戦後はGHQ連絡委員長として、占領下の対米交渉に当たった。本話の岡田大将の話のなかで「有末某」と言及される人物は、この精三ではなく弟の次である点に注意。
杉山 元(すぎやま・げん、1880年〜1945年) ※本話で間接的に言及
陸軍元帥・参謀総長。第32話で詳述された人物。本話では「次期参謀総長は誰になるか」という岡田・高木の議論の背景に存在する。
■ 用語集
「軍令部御部屋」(ぐんれいぶおへや)
軍令部内に設けられた高松宮宣仁親王殿下のための専用の御用室。殿下は本話当時、軍令部出仕として、ここで政務・軍務に当たられた。同御部屋は、皇族の御用室として軍令部内で特別に管理され、副官が常駐していた。本話の朝、高木が拝謁した場所。
「軍令部」(ぐんれいぶ)
海軍の軍政・軍令を司る最高機関。陸軍の参謀本部に相当する。本話当時の軍令部総長は永野修身大将(元帥)。本部は霞ヶ関の海軍省と同じ官庁街に位置していた。
「華族会館」(かぞくかいかん)
明治七年(1874年)創立の華族のための社交クラブ。霞会館の前身。皇族・華族の社交の場として、また政治的な打ち合わせの場として利用された。本話で岡田大将が「八月三十日の重臣懇談会の前日、華族会館で近衛と二人だけで話した」と言及する場所。
「重臣懇談会」(じゅうしんこんだんかい)
元総理大臣級の重臣たちが集まり、時局を協議する非公式の会合。昭和十八年八月三十日、東條首相と重臣たちの懇談会が官邸で開かれた。重臣として出席したのは若槻礼次郎、岡田啓介、広田弘毅、近衛文麿、平沼騏一郎、東條英機(首相)、阿部信行、米内光政、林銑十郎。岡田大将はその前日に近衛と二人だけで打ち合わせた。
「重臣」
明治憲法下の元老制度の崩壊後(昭和十五年の西園寺公望の死去後)に、元総理大臣級の長老たちを意味する用語として用いられた。明治憲法には規定がなく、慣例として後継首相の奏薦などに関与した。本話当時の重臣は前述の九名。
「倒閣の成案」(とうかくのせいあん)
東條内閣を倒した後、誰が次の内閣を組織し、いかに戦争を導くか、という具体的な後継案。本話で岡田大将は、この成案が立たぬまま倒閣に走ることは前線の将兵に害をなし得るとして、慎重論を高木に伝える。本作全体において、倒閣派と慎重派の対立軸を象徴する重要な概念。
「『倒閣だけはやるな』」
岡田啓介大将が、海軍中堅の倒閣運動に対して繰り返し戒めた言葉。本話の岡田大将と高木の会談で、矢牧章大佐に対しても同様の戒めをかけたと言及される。海軍が組織として倒閣の責任を負わぬよう、慎重に動かす老将の知恵。「倒閣をするな」ではなく「海軍として組織的にやるな(個人的判断と組織的判断を分けよ)」の意。
「成算」
戦争・政略における勝算・成功の見込み。本話・第32話で繰り返し用いられる重要語。山本五十六元帥の「その先はわからぬ」発言以来、海軍中枢でも「成算なし」が共通認識となっていた。岡田大将は、倒閣のための成算(後継内閣の組閣成案)の欠如を強調する。
「藍亭」(らんてい)
二年前(昭和十六年)、高木と松平康昌侯爵が深い議論を交わした、東京築地の老舗料亭。本話の末尾、高木が松平秘書官長に電話をかける場面で、「藍亭の夜々」が回想される。次話以降の松平との会談の前提となる。
現在は千代田区紀尾井町のホテルニューオータニに場所を移し、「紀尾井町 藍泉」としてのれんを守っている。
「千駄ヶ谷の松平邸」(せんだがやのまつだいらてい)
松平康昌侯爵の自宅。東京・千駄ヶ谷に所在。本話の末尾、高木が四日後の十一月二日午後零時三十分に訪問することを約束する場所。次話の舞台となる。明治・大正の名残を留める和洋折衷の屋敷であった。
「侯爵」
五爵の第二位。松平康昌は松平春嶽公の孫として侯爵。父・松平慶民が侯爵を継ぎ、後に康昌が爵位を継承した。
「内大臣秘書官長」(ないだいじんひしょかんちょう)
内大臣府の事務を統括する役職。内大臣の「女房役」とも称される、宮中政治の中枢ポスト。本話当時の内大臣は木戸幸一、その秘書官長が松平康昌。内大臣府は天皇に対する政務上の最も近い補佐機関であり、後継首相奏薦の実質的な調整役を担った。
「内大臣府」(ないだいじんふ)
明治四十年に新設された宮中の機関。天皇の常侍輔弼を担当。本話当時の内大臣は木戸幸一(昭和十五年六月就任)。終戦工作の重要な中枢の一つ。
「ずるいことでは近衛さんが一番ずるい」
本話で岡田啓介大将が高木に語った、近衛文麿への辛辣な評価。湯河原で近衛が海軍に戦争責任を押し付けようとした姿勢を、岡田大将が冷徹に断じた言葉。本作中、近衛公爵への「見切り」を象徴する代表的なセリフ。元総理三度の公爵に対する、元総理一度の海軍大将の評価という、政治史的にも重みのある一言。
「皇族・重臣・海軍・内大臣府の四つの柱」
本話の末尾、高木が松平への電話をかけ終えて呟く、自身の終戦工作の構想。皇族(高松宮殿下)、重臣(岡田大将)、海軍(自分と矢牧)、内大臣府(松平秘書官長)の四つを情報の柱として並立させる構図。後の「終戦四人組」(松谷・高木・加瀬・松平)の構想の最も初期のスケッチ。
「第8方面軍」(だいはちほうめんぐん)
昭和十七年十一月に編成された日本陸軍の方面軍。司令部はラバウル(ニューブリテン島)。司令官・今村均大将。担当地域はソロモン諸島、ニューブリテン島、ニューアイルランド島、東部ニューギニア。有末次少将は同方面軍の作戦課長、後に参謀副長として今村を補佐した。
「ラバウル」(らばうる)
ニューブリテン島北東端の港湾都市。日本海軍南東方面艦隊司令部、陸軍第8方面軍司令部が置かれた、南太平洋戦線における日本軍最大の根拠地。本話で有末次少将が、東條に直言した後、追い還された先として言及される。なお、有末次は実際にラバウルに帰り着く前、昭和十八年八月二十八日、ビスマルク諸島付近で乗機が事故に遭い戦死した。
「専任の陸相」(せんにんのりくしょう)
首相が陸軍大臣を兼任しない、陸軍大臣専任の体制。本話当時、東條英機は内閣総理大臣・陸軍大臣・参謀総長(昭和十九年二月以降)を兼任しており、陸軍内部からも「専任の陸相を置くべき」との声が上がっていた。有末次少将が東條に直言したのは、まさにこの専任陸相を求めた一点。
「陸軍中央の言論統制」(りくぐんちゅうおうのげんろんとうせい)
東條内閣下において、陸軍内部の反東條意見や弱気論を封じ込めた組織的な圧力。前線司令官の総意としての進言ですら左遷の対象となった。本話で有末次少将の事件として、この実態が高木に伝えられる。
「宇垣派」(うがきは)
陸軍内の最大派閥の一つ。陸軍大将・宇垣一成を中心とする派閥。本話当時、宇垣自身は予備役で在野だが、宇垣派の影響力は陸軍内に残存していた。天野辰夫・中野正剛による宇垣首相推挙は、この宇垣派の動きを背景としていた。
「皇道派・統制派」(こうどうは・とうせいは)
昭和初期の陸軍内の二大派閥。皇道派は荒木貞夫・真崎甚三郎を中心とする精神主義派。統制派は永田鉄山・東條英機を中心とする総力戦体制派。本話当時、皇道派は二・二六事件後の粛清でほぼ崩壊しており、統制派(の流れを汲む東條派)が陸軍中央を掌握していた。山下奉文は皇道派系として知られる。
「予備役」(よびえき)
現役を退いた後、有事に応召される身分。岡田啓介、宇垣一成は本話当時、予備役編入の身。「予備役大将」「予備役中将」として、政治活動に従事することが可能であった。
「『倒閣はやるな、ただし観察は怠るな』」
岡田大将の慎重論の核心。倒閣そのものを否定するのではなく、「成算なき倒閣」を戒めるという姿勢。本話で岡田大将は、矢牧大佐にも同じ戒めをかけたと高木に告げる。
「四囲の情勢」(しいのじょうせい)
戦時下日本における政治・軍事・外交の総合的な状況。本話当時、絶対国防圏の崩壊、ガダルカナル撤退、ソロモン諸島の防衛戦の苦闘など、四囲の情勢はすべて悪化の一途を辿っていた。
「絶対国防圏」(ぜったいこくぼうけん)
昭和十八年九月三十日に御前会議で決定された、日本本土防衛のための最終防衛線(千島・小笠原・中部南洋諸島・西部ニューギニア・ビルマ)。ガダルカナル戦敗北後の戦線縮小策。本話の時点(十月二十九日)は、この決定の一ヶ月後にあたり、軍部中枢は絶対国防圏の防衛に追われていた。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・高木惣吉が高松宮宣仁親王に拝謁し、近衛文麿の女婿・細川護貞を情報係(御用掛)として推挙したこと。細川がこれを引き受け、昭和十八年秋から高松宮のために情報収集にあたるようになったこと(細川護貞『細川日記』『想出の人々』、伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』)。
・細川護貞が近衛内閣時代に総理秘書官を務めた経験を持ち、民間人として自由に動ける立場にあったこと。考えに偏りがなく信頼に足る人物と目されていたこと。
・細川推挙について、近衛文麿や原田熊雄からも同様の推薦が高松宮に寄せられていたこと(細川護貞『細川日記』)。
・高木が海軍長老の岡田啓介を訪ね、湯河原での近衛との会談の経緯を報告し、東條内閣打倒に向けた重臣工作の地ならしを進めたこと(伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』、岡田啓介『岡田啓介回顧録』)。
・昭和十八年九月の御前会議で絶対国防圏が決定されたこと。
【創作部分】
・高松宮への拝謁の場面、御下問と高木の奉答の細部、岡田啓介との会談の情景は、史実の趣旨を踏まえて本作で構成した創作です。
・前書き・後書きの語りや内面、各場面の情景描写は創作です。
■ 参考文献
伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報 上』みすず書房、2000年
細川護貞『細川日記』中央公論社、1978年
細川護貞『想出の人々』中央公論社、1986年
岡田啓介『岡田啓介回顧録』毎日新聞社、1950年




