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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第5章 海軍少将:高木惣吉編(昭和17(1942)年6月~)

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第32話「東京帰還と近衛文麿との激論」

【前書き】(細川護貞より)


 おれは細川護貞。肥後熊本五十四万石、細川家の十七代目だ。


 もっとも、いまのおれの肩書はもうひとつある。義父・近衛文麿の、ただの娘婿。近衛が組閣すれば秘書官として走り回り、内閣が倒れれば用なしになる。三十一の若造に、世間はそういう値しかつけぬ。


 だが、おれはそれでかまわぬと思っている。表に名の出る者が国を救うとは限らぬ。むしろ、細川家の血を引きながら何者でもないおれだからこそ、誰の懐にも飛び込める。


 昭和十八年十月二十七日――湯河原の旅館「天野屋」。


 その奥座敷で、義父・近衛、原田熊雄男爵、それに海軍の智将と評判の高木惣吉少将が、密かに膝を突き合わせた。


 戦後になって、おれはその夜の一部始終を知った。そして、ひとり唸った。


 その席で、ひとつの見切りがついていたのだ。


 義父・近衛文麿を「反東條の旗手」として担ぐ――その案を、高木少将が捨てた。


 原因は、ほかならぬ義父その人だった。


 義父はあの場で、三国同盟や対米開戦の責めを、するりと海軍へ滑らせようとした。我が身の傷は浅く見せ、咎は他人に着せる。優柔不断なお人の、いちばん悪い癖が出た。


 高木少将は逃さなかった。穏やかな声で、しかし刃のように、義父へ斬り込んだ。


「陸軍の暴走を抑える政治的責任は、内閣総理大臣の御身にこそあったのではありませんか」と。


 元総理を三度、公爵という最高位の政治家を相手に、一海軍少将が真っ向から言ってのけた。


 その一言で、義父・近衛は「過ぎ去った人」になった。


 義父を敬っておらぬわけではない。だが、座して滅亡を待つお人に、この国は託せぬ。おれは身内ゆえに、誰より早く、それを悟ってしまった。


 湯河原の一夜。これは、おれの義父への――静かな見切りの記録である。



【本文】


 昭和十八年九月二十九日、午後七時。


 特急「富士」が東京駅に滑り込んだ。


 俺はホームに降り立った。

 軍服の襟を整え、深く息を吸った。

 夜の東京の空気には湿った重みが混じっていた。


 一年三ヶ月半ぶりの東京。


 駅の構内を抜け海軍からの迎えの自動車に乗り込んだ。

 矢部貞治君(海軍大学校教授も兼任している)が運転席の隣の席で振り返った。


「高木さん、お帰りなさい」

「矢部君、ありがとう」


 矢部君はわずかに微笑んだ。


「お疲れでございましょう」

「いや、戻れたことが嬉しい」


      *


 翌九月三十日、午前九時。


 俺は霞ヶ関の海軍省に出頭した。

 軍令部出仕、兼、海軍大学校研究部員。


 辞令を受け取った瞬間、俺は心のなかで苦笑した。


(……閑職)


 海軍大学校の研究部員。

 戦闘詳報や戦訓を分析する、軍政の傍流。

 軍令部出仕という名目の、病気休養のための名誉職。


(しかし、これでよい)


(自由に動ける身分こそ、いま俺に必要なものだ)

(重臣も、皇族も、民間ブレーンも――すべて訪ねられる)

(中央の中枢からわずかに離れた、しかし情報の流れには手が届く、絶妙の位置)


      *


 十月初旬――。


 俺は茅ヶ崎の自宅で静養生活を始めた。

 肋膜炎の後遺症は東京の喧騒のなかではかえって悪化した。

 医師の勧めもあり海風の届く茅ヶ崎で身体を休めることにした。


 三橋鍼医の治療院へ足繁く通った。


 十月十七日、民間ブレーンの同志である矢部(東京帝国大学法学部教授)、武村(慶応義塾大学経済学部教授)の二人がわざわざ茅ケ崎の俺の自宅まで来てくれた。学術界の重鎮たちが俺のために日時を合わせて来てくれるなんて、本当に感謝してもしきれない。

 彼らは午前10時50分の汽車で来て、俺の自宅で昼食を共にし、午後4時ごろまで長時間の「快談」を交わした。


「高木さん、ブレーントラストを再開しましょう」

「武村君が新しい論文の原稿を用意しております」

「読みたい」


 俺は深く頷いた。


「矢部君。 ……東京の戦況は俺の予想よりはるかに悪い」

「中央はもはや無策だ」


「東條も嶋田も何の手も打てぬ」


 矢部君は深く息を吐いた。


「高木さん、わたくしどもは何をすればよろしいので」

「俺がまず政界の頂点と接触する。 ……重臣、皇族、政財界の長老」

「君と武村君と伏下大佐は理論武装を整えてくれ」


      *


 十月二十六日、湯河原。


 俺は天野屋旅館の縁側に坐っていた。

 眼下に相模湾の青い水面が広がっていた。

 秋の光がまぶしく、湯気の立つ岩風呂の向こうに富士が望めた。


 わが旧友・原田熊雄男爵が逗留しておられた。


 元老・西園寺公望の元秘書。

 いまや重臣たちの間を自由に動き回る、政界の生き字引。


「高木君、よく来てくれた」

「原田男爵、ご無沙汰しております」


 原田男爵は穏やかに微笑まれた。


「明日、近衛さんがいらっしゃる」

「君と近衛さんとわしと、三人でゆっくり話したい、と」


 俺は深く頷いた。


(……近衛公爵)


 心のなかで呟いた。


(元総理三度。 ……日米開戦の責を背負われた、その方がいま何を語られるのか)


      *


 翌十月二十七日、午後三時。


 天野屋の奥座敷――。


 近衛文麿公爵が現れた。

 長身、品の良い和服姿。

 あの独特の眠そうな眼。


「高木少将」


 近衛公爵の声は柔らかかった。


「久しぶりだね」

「ご無沙汰いたしておりました」


 原田男爵が三人の卓の真ん中に坐られ、近衛公爵と俺は向き合った。

 女将が煎茶を運び襖が静かに閉ざされた。


 近衛公爵はゆっくりと語り始められた。


「実はね」

「三国同盟というものはソ連が加わらなければ本来無意味であったのですよ」


 俺は耳を澄ました。


「私は独逸を仲介として、日・独・伊・ソの四国提携をこそ構想していた。 ……松岡からもリッベントロップに念を押させていた」


「されば、独ソ提携の構想でございますか」

「そうだ。ところが独逸は十六年六月、わが日本の反対にも拘わらず対ソ戦を決行した。三国同盟の根底となる日本との諒解を、独側から裏切ったのだ」


 近衛公爵は深く息を吐かれた。


「であるならば、日本の対米交渉は新たな立場から出発して差し支えなかった」


 俺は静かに頷いた。


(……構想自体は悪くはない)


(しかし独逸が裏切ったあとの立て直しができなかったのが近衛公爵の限界でもある)


      *


 近衛公爵の話は九月六日の御前会議へと転じた。


「高木少将」

「あの日――昭和十六年九月六日――の御前会議の前日のことです」


 近衛公爵は深く目を伏せられた。


「私は陛下に内奏を申し上げた」

「陸海軍から出された原案には『十月半ばに至るも、外交交渉成立せざる時は開戦の決意をする』とあった」

「私はこれを『交渉成立の見込みなき時は』と修正した」

「成立せざる時、ではなく見込みなき時、と」

「いかにも。十月半ばになってもまとまらずとも、見込みがあるならば交渉を続けるつもりであった」


 近衛公爵はわずかに声を低くされた。


「されば陛下はこれを御覧になり――」

「『これを見ると戦争の準備が主で、外交が付け足しのように見えるがどうか』とお尋ねでありました」


 俺は息を呑んだ。


(……陛下はその時点ですでに見抜いておられた)


「政府としては『外交交渉を成功させるため極力努力する方針であります』とお答え申し上げた。 ……しかし陛下はお納まりにならぬ」

「『政府の考えは解ったが、統帥部の考えはどうか』と重ねてのお尋ねがあった」

「両総長をお召しになられたので」

「そうだ」


      *


 近衛公爵の声がわずかに震えた。


「陛下は両総長にこうお尋ねになった。 ……『もし交渉がまとまらず開戦となれば作戦上の見込みはどうか』と」


「杉山参謀総長はこうお答えした。 ……『陸軍は三ヶ月くらいで南方を片付けます』」


 俺は思わず息を止めた。


(三ヶ月で南方を片付ける――)


(フィリピン、マレー、蘭印、ビルマ。 ……あれだけの広大な海域と地域を、三ヶ月で)


「陛下は即座にお叱りになった」


 近衛公爵は目を外された。


「『杉山、お前は支那事変のときは陸軍大臣として六ヶ月で片付けると言ったではないか。 ……それが四年経った今日なお片付かぬではないか』」


「杉山総長は何と」

「『支那は奥地が広くて……』と言い訳をされた」


 近衛公爵はわずかに口元を歪められた。


「すると陛下は非常に強いお言葉でこう仰せられた」


 近衛公爵は声を低めた。


「『太平洋は支那よりも広いぞ』」


 俺は深く息を吐いた。


(陛下のお言葉)


(その一言で、御前の空気は凍りついたに違いない)


「永野軍令部総長が助け舟を出された。 ……『日米関係は瀕死の重病人のようなものである。 ……これに手術を施せば助かるかも知れぬが、また助からぬかも知れぬ。 ……ただ放置すれば衰弱して死を免れずとすれば、思い切って手術をなさらなければならぬ』と」


「そこで御前を退下した」


      *


 近衛公爵は湯呑みを卓に置かれた。


「翌六日の御前会議で、八百長ではあるが、原嘉道枢密院議長に頼んで陛下の御懸念を代弁する質問をさせ、政府から答弁して記録に留めるよう手配した」


 近衛公爵はわずかに笑われた。

 その笑みには苦みが滲んでいた。


「ところが――会議の途中で陛下御自ら御発言になった」


「『枢密院議長のただ今の質問は極めて重大なことである。 ……これに対し政府の考えは解ったが、統帥部の答えがないのは何故であるか』と」


 近衛公爵の声がわずかに震えた。


「そして懐から紙片を取り出された」


「『四方の海 みな同胞と思ふ世に など波風の たちさわぐらむ』――明治大帝の御製。 ……『私はこの御製を日夜服誦している』と仰せられた」


 俺は深く頭を垂れた。


(陛下の御意。 ……平和への断固たる御意)


「永野総長は慌てて立ち、『今、政府からお答え申し上げたところは政府と一致の意見で外交に協力するものであります』と奉答した」


 しかし――近衛公爵の眉がわずかに寄せられた。


「われわれが不愉快であったのは、控室に下がった後の両総長の態度であった」


「と、おっしゃいますと」


「『今日は陛下に叱られた』と言って、実にしゃあしゃあとしているのである」


 俺は思わず卓上の煎茶を見つめた。


(……シャーシャーとしていた、と)


(陛下から、あれだけの厳しいお言葉を賜りながら)


(その重さをまったく感じておられぬ)


(それが軍部中枢の現実)


      *


 近衛公爵は続けて語られた。


「故・山本五十六元帥とは二度会見した」


「一度目は三国同盟成立後――。 ……海軍がなぜ急に賛成したのか私にはわからなかった。 ……豊田貞次郎次官に尋ねると『もはや政治問題化したから』と答えた」


「そこで山本元帥にその話を伝えると、元帥は机を叩かれた」


 近衛公爵はわずかに机に拳を置かれた。


「『政治問題とは何だ。 ……それは総理の言うべきことだ。 ……海軍の言うべきことではない。 ……今の中央の奴らはそれを誤魔化している』」


 俺は深く頷いた。


(山本元帥のお言葉。 ……それは海軍の真の声)


「二度目は十六年の夏――。 ……日米交渉の最中。 ……私はこう尋ねた。 ……『万一交渉がまとまらず開戦となった場合、海軍の見込みはどうですか』」


「元帥はこう答えた。 ……『開戦になれば一年間は存分に暴れて見せる』」


「『しかし、その先はどうなりますか』と私が重ねて尋ねると」


 近衛公爵は深く息を吐かれた。


「『その先はわからぬ』と」


 俺は長く息を吐いた。


(その先はわからぬ――)


(つまり成算なし)


(それが海軍の最大の本音)


      *


 しかし――やがて近衛公爵の言葉に奇妙な響きが混じり始めた。


「高木少将」


「あの第三次内閣の総辞職のときのことだが――」


「武藤章軍務局長が富田健治書記官長のところに来てこう言ったのです」


 近衛公爵はわずかに目を伏せられた。


「『陸軍としては、このままで交渉を継続することは内部が治まらない。 ……しかし海軍として戦争に成算がないからと言ってくれれば、陸軍としても部内を治められることもなくはない。 ……海軍からそう言って貰えないか』と」


 俺はわずかに眉を上げた。


「富田は岡敬純・海軍軍務局長のところへ行って取り次いだ。 ……ところが岡はこう答えた」


 近衛公爵の声がわずかに固くなった。


「『海軍としては総理に一任するという以上のことは何も言えない』と」


 俺は心のなかで深く頷いた。


(岡敬純の答え。 ……それは海軍の組織として当然の態度である)


「しかし私は苦しかった」


 近衛公爵は声を絞られた。


「『一任する』というのは『戦に成算がない』という海軍の本音だと私は解釈した。 ……だから辞職を決心した」


「だが――その一言を海軍が公式に口にしてくれていたら――」


 近衛公爵の眼がわずかに俺を見つめた。


「私は内閣総辞職ではなく、対米交渉の継続を押し通すことができたはずなのです」


 また近衛公爵は続けた。


「昭和十五年、三国同盟締結の頃もそうであった。 ……海軍がもう少し明確に反対の態度を示してくれていれば」


「私は陸軍の強硬派を抑えられた」


 しばしの沈黙。


 俺は近衛公爵のその顔を見つめた。


 元老級の政治家。

 三度の総理大臣経験者。

 貴族院の頂点。


 その人物が、いま戦争への道を選んだその責任を――。


 「海軍が明確な態度を取らなかった」というその一点に集約しようとしておられる。


 俺は心のなかでひとつの判断を下した。


(……ここで黙ってはならぬ)


      *


 俺はゆっくりと口を開いた。


「公爵、失礼ながら申し上げます」


 原田男爵がわずかに息を呑まれた。


「公爵。 ……仮に誰が当時の海軍の責任者であったにしろ――」


 俺はわが声を低く抑えた。


「『戦争に成算がないからといって対米交渉を是非まとめてくれ』とか『戦争決意は止めてくれ』とか――そのような政府の政治責任を海軍に肩代わりさせる言葉を、海軍に言わせることはできません」


 近衛公爵の眼がわずかに見開かれた。


「特に陸軍内部の強硬派を抑えるための手助けとして、海軍に『戦に成算なし』と公式に言わせる――そのような構想は断じて受け入れられぬのでございます」


 俺はわずかに姿勢を正した。


「もし海軍がその言葉を公式に口にしていたならば――」


 原田男爵が深く息を吐かれる音が聞こえた。


「海軍はその後の敗戦のすべての責任を一身に背負わされる立場となりましょう。 ……艦隊司令長官、軍令部総長、海軍大臣――すべてが『成算なしと知りながら戦った無責任な軍人』として断罪される」


 近衛公爵の眉がわずかに寄せられた。


「しかし、それ以上に――」


 俺は近衛公爵の眼をまっすぐに見つめた。


「公爵。 ……陸軍の暴走を抑える政治的責任は、内閣総理大臣の御身にこそあったのではありませんか」


 長い沈黙が降りた。


 近衛公爵は視線をわずかに外された。


「『海軍が戦に成算なしと言ってくれていたら』――そのような他力本願な構想で戦争を防げたとはわたくしには思えません」


 俺は続けた。


「公爵が御自らの政治的責任で陸軍を抑え込めなかったことを、いま海軍の責任に転嫁されることは、わたくしには受け入れがたく存じます」


 卓の上で湯呑みの煎茶がわずかに揺れた。


 障子越しに相模湾の夕暮れの光が橙色に滲んでいた。


 やがて近衛公爵は深く息を吐かれた。


 近衛公爵の声は低く、しかしわずかに震えていた。


「少将のお言葉、しかと受け止める」


「私には確かに足りぬところがあった」


 俺は深く頭を下げた。


「失礼を申しました」


「いや」


 近衛公爵はわずかに微笑まれた。

 しかしその微笑には深い影が滲んでいた。


「ご無礼など決して。 ……むしろ少将のような率直なお言葉が聞きたかった」


 原田男爵はわずかに頷かれた。

 その眼には安堵の色が滲んでいた。


      *


 しかし対談はそれで終わらなかった。

 話題は来るべき時局への対処へと転じた。


 近衛公爵がふと新たな提案を口にされた。


「高木少将、原田」

「実はね――先日、高松宮殿下がわたくしにこう仰せられた」


 近衛公爵はゆっくりと語られた。


「『時局がこのように急迫してくると、種々の方面の人の意見を聞きたいが、時間もないし目立つので、原田のように方々駆け回って各方面の意見を聞いてくる者があるといい』と」


 原田男爵が深く頷かれた。


「殿下のお言葉、まことにごもっとも」


 近衛公爵はわずかに目を伏せられた。


「実は政府から陛下に上がる情報はもはや正確ではありません。 ……悪い情報はことごとく隠されている」


「陛下に真相をお伝えするためには、皇族のお一方を通じて申し上げる以外に道はない。 ……そして高松宮殿下が唯一の希望である」


 俺は深く頷いた。


(同感である)


(皇族の、しかも海軍の御方である高松宮殿下)


(その殿下に真相が伝われば必ず陛下のお耳に入る)


「わたくしの娘婿、細川護貞はどうであろうか」


 俺はわずかに耳を澄ました。


「細川君ですか」

「若いが考えに偏りがなく、当時二十代だったにも関わらずわたくしが近衛内閣時代に総理秘書官に抜擢した。 ……今は三十代前半だが、民間人として自由に動ける身だ」


「殿下のもとに各方面の真実の情報を集め、お届けする役を細川に担わせてはどうか」


 原田男爵がすぐに頷かれた。


「賛成です。 ……細川君は若いが信頼に足る人物」


 俺もしばし考えた。


(……細川護貞君)


 心のなかで呟いた。


(近衛公爵の娘婿という立場が皇族との接触に絶妙の隠れ蓑となる)

(民間人ゆえに軍部の情報統制をすり抜けやすい)

(近衛公爵を旗手にはできぬ。 ……しかしその娘婿を皇族の情報係に据える)


(これは――終戦への第一歩となる)


 俺は深く頷いた。


「賛成いたします。細川君ならわたくしもよく知っております。私も近衛内閣の時海軍省調査局長として色々とやりとりをしました。あの時は彼の優秀さにずいぶん助かりました。殿下にわたくしからも御推薦申し上げます」


 近衛公爵はわずかに微笑まれた。


「ありがたい」


      *


 対談はその後も続いた。


 話題は東條内閣打倒の可能性、後継政局の見通し、海軍と陸軍の人事問題へと広がっていった。


 俺は近衛公爵の話を静かに聞き続けた。


 しかし心のなかでひとつの結論を固めつつあった。


(……近衛公爵を旗手にはできぬ)


(過去の失政の数々はすでに試験済み)

(再び首相の重責を担われることは許してはならぬ)


(しかし――)


(公爵の地位、名声、人脈は捨てがたい)

(東條打倒のためには公爵の利用価値を最大限に活かす必要がある)


(そのためには岡田大将に十分に手綱を取っていただかねばならぬ)


 俺は卓の上の煎茶に手を伸ばした。

 わずかに冷めた煎茶をゆっくりと口に運んだ。


 縁側の障子越しに相模湾の夕暮れの光が橙色に滲んでいた。


 六時半近くまでわれわれは語り合った。


 近衛公爵が辞去された後、原田男爵はわずかに笑われた。


「高木君、よく申された」

「いえ」

「近衛さんはああ見えて人の本音を聞きたがる御方。 ……君の率直さがご気色を害したわけではなかろう」


「ご無礼が過ぎたかと案じ申しております」


「いや、よろしい」


 原田男爵は深く息を吐かれた。


「ただ、わしも君と同感だ。 ……近衛さんをもう一度首相にというのは無理だ」


「君は岡田大将とよく打ち合わせるがいい」


 俺は深く頭を垂れた。


「肝に銘じます」


      *


 翌十月二十八日、俺は東京に戻った。


 茅ヶ崎の自宅に戻り、座敷で一人卓に向かった。

 灯火管制のなか、卓上の電気スタンドが小さな光の輪を作っていた。


 俺は紙を広げ、湯河原での対談の要点を記し始めた。


(記す。 ……しかし、書面は残してはならぬ)


(あとで暗号で書き換える)


 俺は近衛公爵が語った日米開戦前夜の機密の数々を、できるだけ詳細に、しかし暗号と省略を交えて書き留めた。


 明日――。


 いよいよ、軍令部に出仕する。


 高松宮殿下に拝謁し、湯河原の合意を御報告する。

 そして午後、岡田大将を訪ねて湯河原の真相を伝える。


 その二つの会見が、これから始まる終戦工作の最初の柱となる。


 俺は筆を置いた。

 茅ヶ崎の夜の静寂のなかで、波の音が遠く聞こえていた。


(明日――俺の終戦工作の本番が始まる)



【後書き】(原田熊雄より)


 わしは原田熊雄。


 元老・西園寺公望公がご存命のころ、ご秘書として朝な夕なお側に控えた身でございました。


 昭和十五年十一月、公がお亡くなりになってからは、わしは隠居の身を装いつつ、重臣たちの間を駆け回り、宮中・政界・軍部の連絡役を務めてまいりました。


 昭和十八年十月二十六日――。


 わしは秩父宮殿下のお見舞いから戻られて湯河原の天野屋に逗留しておりました。


 翌二十七日、近衛さんと高木少将を、わが座敷にお迎えいたしました。


 近衛さんはあのお方らしく、ご自身の人生最大の失敗――三国同盟、日米開戦、東條起用――の述懐を、長くお語りになりました。


 しかしわしが息を呑んだのは、そのあとです。


 近衛さんが、ご自身の責任の一部を、海軍に転嫁しようとされたとき――。


 高木少将は、その場で真正面から反駁された。


 元老級の政治家、公爵、三度の総理を経験された御方に対する、海軍少将の直言。


 わしは心のなかで、こう呟いておりました。


 「西園寺公がご存命なら、こう仰ったであろう。『あの若い海軍士官、ようやってくれた』と」――。


 その日、湯河原で、ひとつの時代が静かに幕を引いた。


 近衛さんの時代は、もはや過去のもの。

 これからは岡田大将を中心に重臣を結集し、その下に高木少将のような実務家を配する時代となる。


 そして高松宮殿下のもとには、近衛さんの娘婿・細川護貞が情報の柱として立つ。


 わしはそのすべての設計図が、湯河原の縁側で、書かれてゆくのを見届けた。


■ 人物紹介


近衛 文麿(このえ・ふみまろ、1891年〜1945年) ※本話の中心人物

 公爵。第34代・第38代・第39代内閣総理大臣を歴任。本話の十月二十七日、湯河原の旅館「天野屋」で高木と原田男爵を交え三者の極秘の対談を行う。三国同盟締結時や対米交渉決裂時の戦争責任を海軍に押し付けようとする姿勢を見せ、高木に真正面から反駁される。一方で娘婿の細川護貞を高松宮殿下の情報収集係に推挙し、結果として終戦工作の重要な布石を打つ。

この会談は高木の主人公補正のためのフィクションでは?と思われる読者も多いだろうと思われるが、実際に高木日記にすべて記録された出来事である。これほどまでの話をできるくらいには近衛と高木は信頼しあっていたということであろう。また、細川日記で会談があったことは記されているため、本当にあった事実である。


原田 熊雄(はらだ・くまお、1888年〜1946年) ※本話の前書き・後書きの語り手

 男爵、元老・元内閣総理大臣の西園寺公望の元秘書(1926年〜1940年)。西園寺公望公健在の時は、老齢となった西園寺公望の手足として政治家や官僚、軍人たちの中を縦横無尽に動き回って情報収集して西園寺公望の政治判断に多大な影響を与えた。原田の著書『西園寺公と政局』は西園寺が没するまでの昭和初期の政局を知るために必須の一次史料である。

西園寺没後も重臣たちの間を自由に動き回り、宮中と政界を結ぶ「政界の生き字引」として知られた。本話の会談は、原田が湯河原にて病気療養中に、近衛と高木が訪ねてくる形で会談は実現した。十月二十六日、湯河原・天野屋に逗留し、翌二十七日の近衛と高木の対談を仲介する。

高松宮の連絡係について、近衛としては西園寺公望の下での人脈と実績がある原田にやってほしかったと思うが、病気だったため細川にしたのだろう。だから原田の意見も聞いたのだと筆者は考察する。戦後まもなく病没。

あだ名は「蓄音器」。西園寺の口上をそっくりそのまま取り次ぎに来たため。

近衛文麿、木戸幸一(内大臣)とは大学時代からの親友。


高木 惣吉(たかぎ・そうきち、1893年〜1979年) ※本話の主人公

 海軍少将。本話当時、軍令部出仕・海軍大学校研究部員。九月二十九日に東京に戻り、茅ヶ崎で静養しつつ、政界・宮中・軍部良識派との接触を始める。


細川 護貞(ほそかわ・もりさだ、1912年〜2005年)

 近衛文麿公爵の娘婿。第二次・第三次近衛内閣の総理秘書官を経験。本話で湯河原の対談の俎上に上り、高松宮殿下の情報収集係として推挙される。


杉山 元(すぎやま・げん、1880年〜1945年) ※本話で言及、当時、陸軍元帥・参謀総長

 昭和十六年九月、参謀総長として御前会議に列席。「陸軍は三ヶ月くらいで南方を片付けます」と昭和天皇に奉答し、「太平洋は支那よりも広いぞ」と叱責された。終戦後、教育総監として自決。


永野 修身(ながの・おさみ、1880年〜1947年) ※本話で言及、当時、海軍元帥・軍令部総長

 昭和十六年九月の御前会議で「日米関係は瀕死の重病人」の比喩を用いて天皇に奉答。


山本 五十六(やまもと・いそろく、1884年〜1943年4月) ※本話で言及、故人

 海軍大将、連合艦隊司令長官。本話の半年前の昭和十八年四月、ブーゲンビル島上空で戦死。生前、近衛文麿に「開戦になれば一年間は存分に暴れて見せる、その先はわからぬ」と告げた。


武藤 章(むとう・あきら、1892年〜1948年) ※本話で言及、当時、陸軍中将

 昭和十四年九月から十七年四月まで陸軍省軍務局長。本話で言及される昭和十六年十月の総辞職局面で、海軍に「戦に成算なし」と公式に言わせるよう打診した張本人。


富田 健治(とみた・けんじ、1897年〜1977年) ※本話で言及

 第二次・第三次近衛内閣の内閣書記官長。本話で武藤章からの打診を岡敬純に取り次いだ役回り。


岡 敬純(おか・たかずみ、1890年〜1973年) ※本話で言及、当時、海軍少将

 昭和十五年から十九年まで海軍省軍務局長。本話で「総理に一任する以上のことは何も言えない」と海軍の組織的立場を明確に伝えた。


矢部 貞治(やべ・ていじ、1902年〜1967年)

 東京帝国大学法学部教授兼海軍大学校教授。専門は政治学。高木の民間ブレーン「ブレーントラスト」の中核メンバー。本話の九月二十九日夜、東京駅まで高木を出迎える。この場面はフィクション。高木日記によれば、特急富士を沼津で乗り換え、東海道線で茅ヶ崎まで直帰しているが、東京に帰ってきた感を演出するため、彼に出迎えてもらっている。


■ 用語集


「天野屋旅館」(あまのやりょかん)

 湯河原の老舗旅館。本話の十月二十六日、原田熊雄男爵が逗留し、翌二十七日に近衛文麿、原田、高木の三者の極秘対談が行われた、本作中、重要な舞台。明治六年に開業し、夏目漱石が湯治に利用するなど、著名人が多く訪れ、建物は国指定重要文化財に指定されていた。しかし平成十七(二〇〇五)年に閉業し、現在は残っていない。


「中田旅館」(なかたりょかん)

 近衛文麿が湯河原で利用した別の旅館。本話当日(十月二十七日午後三時)、近衛は中田旅館から天野屋へ移動して三者会談に臨んだ。


「軍令部出仕」(ぐんれいぶしゅっし)

 軍令部に配属されながらも、特定の課・班に所属せず、いわゆる「閑職」として扱われる職位。高木は昭和十八年九月二十五日付でこの軍令部出仕に転出。表面上は病気休養のための名誉職だが、自由な情報収集と政治工作のための絶妙の身分でもあった。


「茅ヶ崎」(ちがさき)

 神奈川県の海辺の町。高木が東京帰任後に静養生活を送った地。海風が肋膜炎の後遺症の養生に適していた。


「ブレーントラスト」(ぶれーんとらすと)

 高木が海軍省調査課長時代から組織していた民間有識者のグループ。矢部貞治、武村忠雄、天川勇、伏下哲夫主計大佐などが中核メンバー。


「日独伊三国同盟」(にちどくいさんごくどうめい)

 昭和十五年九月二十七日、日本・ドイツ・イタリアの間で締結された軍事同盟。本話で近衛は「ソ連が加わらなければ無意味」と語り、独逸の仲介で日ソ提携をも目論んだが、十六年六月の独ソ戦開始により、その構想は瓦解した。


「九月六日御前会議」(くがつむいかごぜんかいぎ)

 昭和十六年九月六日に開かれた御前会議。「十月半ば迄に外交交渉を行い、見込みなき時は開戦を決意する」と決定された。前日、天皇が両総長を呼び、杉山参謀総長の「三ヶ月で南方を片付けます」奉答を「太平洋は支那より広いぞ」と叱責した。


「四方の海 みな同胞と思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」

 明治天皇の御製。「四方の海はみな同じ世界の仲間だと思うこの世に、なぜに波風が立ち騒ぐのだろう」の意。世界平和を願う和歌。昭和天皇が九月六日御前会議で懐から取り出し朗誦された平和への強い御意。


「シャーシャーとしていた」

 近衛文麿が、本話で語った、御前会議後の両総長(杉山・永野)の控室での態度に対する不愉快の表現。陛下から厳しい叱責を受けながら「今日は叱られた」と笑って平然とする姿勢を、近衛が回顧して批判した言葉。一部文献では「天ちゃん(天皇のこと)に怒られちゃったよ」と発言していたともいわれる。



■ 史実と創作について


【史実に基づく部分】

・高木惣吉が昭和十八年九月末に東京へ戻り、軍令部出仕兼海軍大学校研究部員という名目で、実質的に病気休養しつつ独自の戦訓研究と情報活動を続けたこと(伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』、高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』)。

・高木が矢部貞治(東京帝国大学法学部教授)・武村忠雄(慶應義塾大学経済学部教授)ら民間の学者・有識者を「ブレーントラスト」として組織し、客観的な情勢分析と戦後構想の研究を行っていたこと(伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』、矢部貞治『矢部貞治日記』)。

・昭和十八年十月二十七日、湯河原の旅館で近衛文麿・原田熊雄・高木惣吉が会したこと。その席で、近衛文麿を反東條の旗手として前面に担ぐ構想が、近衛自身の消極的な姿勢などから事実上見送られたこと(伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』、原田熊雄述『西園寺公と政局』、細川護貞『細川日記』)。

・開戦直前の昭和十六年九月六日の御前会議で、昭和天皇が明治天皇の御製「四方の海みなはらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ」を朗詠し、平和への意向を暗に示されたこと。


【創作部分】

・近衛文麿と高木の対話の細部、近衛の表情や口ぶり、湯河原の旅館(天野屋)の情景、近衛が会談前に中田旅館から移動してきたとする場面構成は、史実の趣旨を踏まえて本作で構成した創作です。

・細川護貞の前書きの独白、各場面の情景描写は創作です。


■ 参考文献


伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報 上』みすず書房、2000年

原田熊雄述『西園寺公と政局 第八巻』岩波書店、1952年

細川護貞『細川日記』中央公論社、1978年

矢部貞治『矢部貞治日記』読売新聞社、1974年


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