第30話「第一線への夢、破れたり」
【前書き】(矢部貞治より)
わたしの名は矢部貞治。東京帝国大学法学部教授。高木惣吉海軍少将の民間ブレーンの一人である。
昭和十八年八月七日――。
高木少将のもとに、海軍省人事局長・三戸寿少将から、一本の電話が入った。
支那方面艦隊参謀副長への内示。
八月下旬、東京で打ち合わせ。
舞鶴鎮守府参謀長として一年余り地方勤務に耐えてこられた少将にとって、ようやくの第一線勤務であった。
ミッドウェー、ガダルカナル、山本五十六長官の戦死、アッツ玉砕――同期生たちが次々と命を散らしていく中、自分だけが安全な内地で「碌々として」生きながらえていることへの罪悪感。
少将は、ようやく前線へ赴くという念願を、果たそうとされていた。
しかし――。
運命は、少将に過酷な試練を、用意していた。
八月二十五日、平塚の杏雲堂療養所の診断。
「両肺尖浸潤、ならびに右側肋膜炎後遺症」。
昭和三年(一九二八年)フランス駐在中の喀血以来、少将がその身体に抱え続けてきた肺結核の後遺症が、再び少将を、襲った。
第一線への切符は、病によって、奪われた。
昭和十八年八月から、九月十四日まで。
第一線への夢と、その挫折。
そして、舞鶴の地で見出した、新たな戦場――。
【本文】
昭和十八年八月七日、夕方六時。
俺は参謀長室で書類を片付けていた。
夏の夕暮れの光が机の上に薄く滲んでいた。
扉を叩く音がした。
「参謀長、海軍省人事局より電話です」
通信参謀の田中瑞穂少佐が立っていた。
「三戸寿人事局長から参謀長ご本人へお話があるとのことです」
俺はペンを置いた。
(……三戸人事局長から直接)
心の中でわずかに何かが動いた。
立ち上がり別室の電話機の前に向かった。
受話器を取った。
「お電話、代わりました。高木です」
回線の向こうから三戸人事局長の声が聞こえた。
「高木君、お元気かね」
「内報だが、八月下旬、支那方面艦隊参謀副長への転任の予定だ」
俺は息を呑んだ。
(……支那方面艦隊、参謀副長)
第一線。
念願の海上勤務。
舞鶴の地方軍港から最前線の作戦中枢へ。
「赴任の打ち合わせのため上京してくれ」
「は、承知しました」
「いつ頃、東京に来られるか」
「下旬には上京できます」
「うむ。それで頼む」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
受話器を置いた。
電話の前でしばし立ち尽くした。
*
心の中に若々しい何かがふと湧き上がってきた。
(……第一線)
(俺は第一線に出る)
(柴崎、矢野、有馬――同期の連中と並べる)
(岩渕の側に俺も立てる)
(もう、申し訳ない、と頭を垂れずに済む)
舞鶴の地方軍港の参謀長室に戻った俺は机の前に立ちしばし軍服の襟元を整え直した。
窓の外で夏の光が舞鶴湾の水面にまぶしく揺らめいていた。
その光が初めて俺の頬に温かく感じられた。
しかしすぐに俺は心の中で自分を戒めた。
(……いや、はしゃぐな高木)
(第一線は戦場だ。 ……華やかな舞台ではない)
(蛇とトカゲを食う、現場だ)
(俺はもう四十九歳)
(若い連中と並ぶには覚悟が要る)
俺は深く息を吸った。
軍服の襟をもう一度整えた。
(……しかし行かねばならぬ)
(同期の連中が死につつあるその場所へ俺も行く)
(俺はようやく自分の眼で戦況を見ることができる)
*
夜、官舎で俺は岩渕を呼び二人で杯を交わした。
「岩渕」
「内示が出た。支那方面艦隊、参謀副長だ」
「……」
「八月下旬発令。下旬、東京で打ち合わせだそうだ」
岩渕は深く頷いた。
しかしその眼の奥にわずかな戸惑いの色が宿っていた。
「高木、それは……第一線か」
「お前が海上勤務か」
岩渕はしばし黙った。
「お前ほどの政治力を持つ男が海上勤務に出されるとは。 ……三戸人事局長の判断か」
「おそらく」
「中央にはお前を中央に戻したくない者がまだいるな」
俺は深く頷いた。
「岡敬純、沢本頼雄。 ……彼らが俺を東京から遠ざけたい」
「だが第一線への転出は悪い話ではない。 ……俺は戦地で自分の眼で戦況を見ることができる」
岩渕は深く息を吐いた。
「高木」
「身体は大丈夫か」
俺はわずかに眼を伏せた。
(……岩渕も知っている)
(昭和三年、フランス駐在中の喀血。 ……二年間の療養生活)
(俺の身体が決して人並みではないことを)
「大丈夫だ」
「本当にか」
「海上勤務は激務だぞ」
「わかっている」
岩渕はしばし俺を見つめた。
その眼の奥に心配の色が深く滲んでいた。
「高木、上京の前に医者にかかれ」
「東京で診てもらえ。 ……杏雲堂か聖路加か」
「うむ。承知した」
*
昭和十八年八月二十二日。
俺は舞鶴を発ち京都経由で東京へ向かった。
寝台車の窓辺で俺は自分の右の胸に手を当てた。
肺の感触がわずかに重かった。
(……気のせいか)
心の中で呟いた。
(一年余り舞鶴の冬の寒さに耐え夏の湿気の中で過ごした)
(少し疲れているだけだ)
(東京で矢部君や和辻先生と再会できる)
(そして第一線への赴任)
(俺は健康だ)
しかし――。
翌日――八月二十三日――東京の自宅で俺の身体に異変が起きた。
午前中、左右の扁桃腺が急激に肥厚した。
額に熱が出始めた。
咳が止まらなくなった。
夕方、麹町の自宅。
軽い扁桃腺だ、と自分に言い聞かせた。
明日には治る、と信じた。
しかしその夜、夜半に酒井医師が往診に来た。
診察の後、酒井医師はわずかに首を傾げた。
「高木少将、もう一人ご診察をお願いした方がよろしいかと存じます」
「杏雲堂平塚療養所の永野博士をお呼びします」
深夜、永野博士が改めて往診に来た。
博士の診察は長かった。
聴診器を胸に当てる、その時間がいつもより明らかに長かった。
博士はしばし黙った。
ようやく口を開いた。
「高木少将、右肺にラッセル音が聞こえます」
俺は息を呑んだ。
(……ラッセル)
水泡音。
肺に何かが起きていることを示す決定的な徴候。
「明日、平塚の杏雲堂療養所で精密検査を受けてください」
「承知しました」
博士は深く頭を下げ玄関を出ていった。
寝台に倒れ込んだ俺は天井を見つめた。
寝台の上の天井が午前の光の中でわずかに白く滲んで見えた。
(……第一線が)
(また遠ざかるか)
*
八月二十四日、俺は平塚の杏雲堂療養所に向かいレントゲンや血沈などの精密検査を受けた。
翌八月二十五日朝、四十度近い高熱に見舞われた。
もはや俺は自分で病院に出向く力もなかった。
(……行けぬ)
心の中で呟いた。
(自分で診断結果を聞きに行けぬ)
俺はしばし寝台の上で考えた。
(妻に頼むか)
しかしその案はすぐに心の中で消えた。
(……いや、これは俺の問題だ)
(妻に診断書を取りに行かせるのは忍びない)
しかし結局、俺は寝台から起き上がる力すらも失っていた。
午後、妻に平塚の病院に代理で出向いてもらうことにした。
寝台の上でひとり天井を見つめた。
(……第一線)
(俺は行ける)
(軽い扁桃腺だ)
(一週間も寝れば治る)
しかし心の奥でもう一つの声が囁いた。
(……本当にそうか)
俺は天井を見つめ続けた。
寝台の上の天井は午後の光の中でわずかに白く滲んでいた。
*
夕方、妻が戻ってきた。
顔色は青ざめていた。
手に診断書を握っていた。
「貴方……」
声が震えていた。
「水野博士のお話では……」
「『両肺尖浸潤ならびに右側肋膜炎後遺症』との診断でございました」
俺は寝台の上で深く目を閉じた。
(……肺尖浸潤)
(肋膜炎後遺症)
心の中でその二つの言葉を噛みしめた。
昭和三年、フランス駐在中の喀血。
あの病がいまも俺の身体に消えずに残っていた。
「『静養六ヶ月を要する。外戦部隊、すなわち第一線への転出は見合わすべし』との診断でございます」
俺は深く息を吐いた。
長い長い沈黙のあとようやく声を絞り出した。
「……ありがとう」
「貴方……」
「すまぬ。 ……代理で行ってくれて」
俺は寝台の上で目を閉じたまま深く頷いた。
しかし心の奥では――。
(……第一線への夢が)
(また潰えた)
ひとつの声が深く低く響いていた。
*
翌八月二十六日。
高熱の中、俺は海軍省に出頭した。
軍服を着る力はなく、軽装のままタクシーで霞ヶ関へ向かった。
三戸寿人事局長の部屋に案内された。
「高木君」
三戸局長の顔はわずかに戸惑っていた。
「いや、上京して早々ご苦労さまだが……」
俺は深く頭を下げた。
「申し訳ございません、両肺尖浸潤ならびに右側肋膜炎後遺症。 ……静養六ヶ月の診断でございます」
俺は懐から診断書を取り出した。
三戸局長に手渡した。
局長は診断書をしばし見つめた。
深く息を吐いた。
「……これは第一線は無理だな。残念だが転出は取り消すとしよう」
「申し訳ありません」
「いや医学的な判断だ。 ……君のせいではない」
三戸局長はしばし黙った。
やがて低く声を発した。
「高木君、当面舞鶴に戻り、後任者が決まるまで参謀長を続けてくれ」
「承知しました」
「九月、十月のうちに何らかの形で君を東京に戻すよう考える」
「ありがとうございます」
俺は深く敬礼し人事局長室を退出した。
*
廊下に出た俺はしばし立ち尽くした。
夏の光が廊下の窓越しにまぶしく射し込んでいた。
その光はいつもよりずっと白く冷たく感じられた。
(……第一線への夢)
(潰えた)
(同期の連中と並べる、と思ったその希望が)
(自分の身体によって無残に奪われた)
(俺の身体はもう戦場には耐えられぬ)
(同期生たちのために命を捧げる、その単純な道は俺には閉ざされた)
俺は深く息を吐いた。
しかし――。
三戸局長の最後の一言がふと心の中で響いた。
「九月、十月のうちに何らかの形で君を東京に戻すよう考える」
(……東京に戻る)
俺は心の中でその四文字を噛みしめた。
(俺は第一線には行けぬ)
(しかし東京には戻る)
(中央で何かが俺を待っている)
(それはまだ見えぬ)
(しかし必ずあるはずだ)
俺は深く敬礼し霞ヶ関の建物を後にした。
*
昭和十八年九月十日、午前。
舞鶴に戻った俺は参謀長室で新たな試練に見舞われていた。
鳥取地震。
九月十日朝、鳥取県西部を中心に大地震が襲った。
マグニチュード七・二。
死者千八十三名。
家屋倒壊一万戸以上。
舞鶴鎮守府は近隣の海軍としてただちに救援活動に乗り出した。
俺は司令長官・新見中将の下、救難打合会を毎朝開いた。
救難隊(治療班)の派遣。
米、副食物、毛布の急送。
手配の細かい指示を次々と出した。
病み上がりの身体に激務が応えた。
夜、官舎に戻った俺は卓の前に坐ることもできず寝台に倒れ込んだ。
しかし――。
その忙しさがある意味で俺を救った。
第一線への夢が潰えた絶望にひとり沈み込む暇がなかった。
目の前に苦しんでいる人々がいる。
救助を待っている人々がいる。
俺は毎日、彼らのために働いた。
夜、寝台に倒れ込みながら俺は心の中でこう呟いていた。
(……目の前の人々のために為すことがある)
(俺の戦場は戦地だけではない)
(地方の地震の救援もまた戦いだ)
(俺の身体が戦地に耐えられぬのなら)
(俺は別の戦場で命を使う)
*
九月十四日、正午。
軍事参議官・及川古志郎大将が舞鶴を訪れた。
前海軍大臣であり海軍中枢の長老。
俺は司令長官と共に長官官舎で及川大将を迎えた。
昼食を共にしながら戦況についての話が出た。
及川大将はわずかに目を伏せた。
「高木君」
「君の身体のことは聞いている」
「申し訳ありません」
「いや責めているのではない。 ……これからは君の知性が海軍に必要だ」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
及川大将はしばし黙った。
「高木君、戦況は君の予測通りに悪化している」
「中央は無策だ。 ……東條も嶋田も何の手も打てぬ」
俺は深く息を吐いた。
「及川大将」
「いつか機が来ます」
「その時、わたくしをお呼びください」
及川大将は深く頷いた。
「いずれ、君の知性が要る日が来る。その時は、頼む」
その夜、長官主催の招待会が開かれた。
俺は及川大将の右隣の席に坐った。
二人は互いに多くを語らなかった。
しかし酒杯を合わせる時、二人の眼が合った。
その眼の中に無言のしかし深い了解があった。
【後書き】(矢部貞治より)
昭和十八年八月、高木少将は、待ちに待った第一線への内示を、病によって、失われた。
わたしは戦後、高木少将がこの時に書き残された日記の一節を、読んだ。
「両肺尖浸潤、ならびに右側肋膜炎後遺症。 ……静養六ヶ月、外戦部隊転出は見合わす然るべし」――。
その短い診断書の一行が、少将の若き日の夢を、永遠に、奪った。
しかし、戦後になって振り返れば――。
あの病が、結果として少将を内地に留めた。
もし健康なまま支那方面艦隊へ赴任していれば、少将はそのまま外地で終戦を迎えるか、あるいは戦死していたかもしれない。
病によって内地に留め置かれたことが、のちに少将を、東條内閣打倒と終戦工作へと向かわせる、ひとつのめぐり合わせになった。
少将ご自身も、後に、こう書き残されている。
「舞鶴鎮守府勤務時代から、すでに、戦局の前途は見えすいてると思っていたので、戦訓研究は、偶然ながら、貴重な準備期間を授けられた結果となったのである」
■ 人物紹介
三戸寿(みと・ひさし、1891年〜1967年) ※本話で電話越し・面談で本格登場
海軍少将(本話時、海軍省人事局長)。海兵三十八期。本話で高木に支那方面艦隊参謀副長への内示を伝え、その後の病による転出取り消しの場面で温情的に対応する。
岩渕三次(いわぶち・さんじ、1893年〜1945年) ※本話で本格登場
海軍少将、舞鶴鎮守府人事部長(本話時)。海兵四十三期。前年(昭和十七年)十一月の第三次ソロモン海戦で戦艦「霧島」の艦長として死闘を演じ、艦が沈んだ後はニュージョージア島のムンダ基地で蛇やトカゲまで食って悪戦苦闘の末に奇跡的に生還し、五月に着任したばかりの戦友。本話で高木の内示を聞き、戸惑いを示しつつも見送る。
水野博士・酒井医師・永野博士(杏雲堂療養所) ※本話で言及
高木の発病時に診察を担当した医師たち。永野博士は最初の往診で「両肺炎にラッセル音あり」と診断。水野博士は精密検査の結果、「両肺尖浸潤、ならびに右側肋膜炎後遺症、静養六ヶ月、外戦部隊転出は見合わす然るべし」と、第一線勤務を絶たれる絶望的な宣告を下す。
及川古志郎(おいかわ・こしろう、1883年〜1958年) ※本話で本格登場
海軍大将、軍事参議官(本話時)。前海軍大臣。本話の九月十四日、舞鶴を訪問し、高木に「いつか機が来ます。 ……その時、わたくしをお呼びください」と高木が告げた覚悟に、深く頷く。
■ 用語集
「両肺尖浸潤・右側肋膜炎後遺症」(りょうはいせんしんじゅん・うそくろくまくえんこういしょう)
昭和十八年八月二十五日、平塚の杏雲堂療養所の水野博士が下した、高木に対する診断。本話で支那方面艦隊参謀副長への内示を取り消す決定的な医学的根拠となった。昭和三年(一九二八年)にフランス駐在中の喀血以来、高木がその身体に抱え続けてきた、肺結核の後遺症。
「ラッセル音」(らっせるおん)
肺の聴診で聞こえる、水泡音や雑音の総称。肺に炎症や水分の溜まりがあることを示す決定的な徴候。
「支那方面艦隊参謀副長」(しなほうめんかんたいさんぼうふくちょう)
支那方面艦隊(中国大陸の海軍部隊)の参謀部の副長職。本話で高木に内示された、第一線の海上勤務。後任は中村勝平大佐。
「杏雲堂療養所」(きょううんどうりょうようじょ)
神奈川県平塚にあった結核療養所。本話で高木が精密検査を受けた病院。永野博士・水野博士らが診断にあたった。明治二十九(一八九六)年に開院以来、結核専門病院として百年以上の歴史を誇ったが、病院経営の悪化により平成十六(二〇〇四)年に閉院した。
「鳥取地震」(とっとりじしん)
昭和十八年九月十日、鳥取県西部を中心に発生した大地震。マグニチュード七・二、死者千八十三名、家屋倒壊一万戸以上。本話で舞鶴鎮守府が近隣の海軍として、ただちに救援活動に乗り出す。
「軍事参議官」(ぐんじさんぎかん)
軍事に関する天皇の諮問機関「軍事参議院」のメンバー。海軍大将・陸軍大将の中から選任される、海軍長老の名誉職。本話で前海軍大臣の及川古志郎大将が、軍事参議官として舞鶴を訪問する。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・高木惣吉が昭和十八年、第一線である艦隊勤務への転出を内示されながら、健康上の理由(肺結核・肋膜炎の後遺症など)により前線勤務を見合わせ、内地に留まったこと(伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』、高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』)。
・高木がかつて海軍大臣秘書官時代の激務で肺結核を患い、エリートコースである艦隊参謀への道を絶たれた経歴を持っていたこと。本話で引いた診断に関する日記の一節、および閑職に回された時期を戦訓研究の好機ととらえる高木自身の述懐が、一次史料に基づくこと。
・この病が結果として高木を内地に留め、のちの倒閣・終戦工作へとつながっていったという見方が、本人の回想に沿うものであること。第一線で戦う将兵への思いが、内地に残る高木の使命感を支えたこと(伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』)。
【創作部分】
・内示を受けた前後の情景、前線勤務への期待と断念をめぐる高木の心理描写、周囲の人物との電話や会話の細部は、史実の背景を踏まえて本作で構成した創作です。
・前書き・後書きの語りや内面、各場面の情景描写は創作です。
■ 参考文献
高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』光人社、1971年
伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報 下』みすず書房、2000年




