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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第5章 海軍少将:高木惣吉編(昭和17(1942)年6月~)

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第29話「舞鶴での戦いと嶋田海軍大臣への憤激」

【前書き】(お常より)


 わたくしの名はお常と申します。舞鶴の老舗料亭「白糸」の女将でございます。


 高木参謀長さんと初めてお目にかかったのは、昭和十七年の秋のことでございました。

 あの方は司令長官のご指示で地元の有力者たちとの会の席に、ふらりと白糸の暖簾を、くぐられました。


 戦時下とはいえ、上品で物静かで、しかしお眼の奥に、深い知性と――もう一つ何か別のもの――を、湛えた、不思議なお方でございました。


 あの方は舞鶴の地で、二つの大きな仕事を、ひとり、なさいました。


 由良川の治水。

 毎年水害に苦しんでおりました福知山の人々のために、参謀長は中央に何度も掛け合い、ついに国家予算を引き出してくださいました。

 わたくしは福知山に親戚がございましたから、あの工事の話を伺った夜、思わず涙を、こぼしました。


 そして、東西舞鶴市の合併。

 十数年来、対立を続けていた東舞鶴市と舞鶴市(西舞鶴)。

 参謀長は、水島市長と立花市長を、白糸の奥座敷に何度もお呼びになり、夜更けまで根気よくお説きになり、ついに、新舞鶴市の誕生を、成し遂げてくださいました。


 昭和十七年七月から、昭和十八年七月までの、舞鶴の地方行政。

 地方の片隅で、参謀長が一人で進められた、二つの大きな仕事の物語。


 そして、その同じ夏、海軍大臣・嶋田繁太郎大将が、舞鶴を立ち寄った時の、参謀長の「煮えたぎる憤激」の物語を、お伝え申し上げます。



【本文】


 一方、舞鶴の地方行政において俺は二つの大きな仕事にひとり取り組んでいた。


 一つは由良川の治水。

 毎年水害をもたらす北部京都の暴れ川。

 地元住民の長年の悲願。


 昭和十七年七月、前福知山市長が参謀長室を訪ねてきた。

 深く頭を下げて陳情した。


「参謀長、どうか由良川の治水事業を中央にお働きかけください」


 俺はそれから京都府の安藤狂四郎知事、上井土木部長と夜を徹した折衝を重ねた。

 単なる河川改修案では戦時下の国庫から予算は引き出せなかった。

 俺は発想を転換した。


 上流に電源開発ダムを建設する。

 戦時下の電力(軍需)の確保と地方の治水という二つを一つの大義名分に束ねた。


 その折衝の場として俺がよく使ったのが白糸の奥座敷であった。

 昼の鎮守府の会議室では話しにくい本音を、夜の白糸ならば腹を割って交わせる。

 お常はその場の空気をよく読み、必要な時だけ静かに酒と料理を運んだ。


 ある夜、京都府の上井土木部長を白糸に招いた帰り際、お常さんがふと俺に声をかけた。


「参謀長さん」

「由良川のお話、わたくしは詳しいことは存じませんが」

「福知山には親戚がございます。 ……毎年水害で泣いておりました」


 俺はわずかに目を見開いた。


「そうか」

「参謀長さんが為してくださることはきっと地元の者の長年の祈りでございます」

「お常さん……」

「微力ながらわたくしも陰でお祈りいたします」


 お常さんは深く頭を下げた。


 俺は心の中でこう思った。


(……地元の人々の眼が俺を見ている)

(彼らのために為さねばならぬ)


      *


 昭和十七年十二月二日、海軍省から朗報が届いた。


「由良川改修ノ予算、大蔵省議通過セリ」


 俺はその電報を手にしたまま、しばし立ち尽くした。


(……勝った)


 心の中で呟いた。


(地方の片隅で俺にも為せることがある)


 その夜、俺は白糸を訪れお常に短く報告した。


「お常さん、由良川の予算、通ったぞ」


 お常さんはしばし黙った。

 やがて深く深く頭を下げた。

 目に涙が浮かんでいた。


「参謀長さん、ありがとうございます」

「礼には及ばぬ」

「いえ……これは舞鶴と福知山の者すべての祈りでございました」


 お常はわずかに微笑んだ。


「今夜は祝いの席をわたくしどもにご用意させてくださいませ」

「うむ。 ……ならば頼む」


 その夜、白糸の奥座敷で俺はひとり静かにお酒を口に運んだ。

 お常さんは何も言わず、ただ何度も新しい徳利を運んできた。


 翌昭和十八年六月四日、由良川改修起工式が福知山郊外で挙行された。

 地元住民が三百名ほど集まっていた。


 田中庄太郎福知山市長が目に涙を浮かべて深く頭を下げた。


「参謀長、本当にありがとうございました」

「参謀長、わたくしは生涯貴方のことを忘れません」


 俺はわずかに微笑んだ。


「市長、礼には及ばぬ」


 しかし心の中で俺はこう呟いていた。


(……由良川は守れた)

(しかし俺はガ島の戦友たちは守れなかった)


俺が予算を通した治水工事は、俺は完成を見届けられなかったが、戦後紆余曲折を経て大野ダム建設へと繋がったと聞いた。


      *


 もう一つの仕事は東西舞鶴市の合併問題だった。

 海軍舞鶴鎮守府を中心とする軍港を抱える東舞鶴市と、田辺城を中心とする昔ながらの城下町で商業の町でもある舞鶴市(西舞鶴)。


 海軍にとっては、行政区画が統一されることで、軍港周辺の管理や防衛体制の強化がスムーズに進められるようになるというメリットがあった。


これは日本海側、ひいては国家の防衛のために不可欠であったため、是非とも成し遂げたかった。


 しかし以前、末次信正大将が要港部司令官だった時代にも合併を試みて失敗した難物であった。


 原因は、明治以降の新参者(東舞鶴)と江戸以前からの古株者(西舞鶴)の感情的な対立。


 俺は昭和十七年十一月、本格的な工作を開始した。


 とはいえ、ただ説得しに行ったわけではない。


 今回の合併話は主に海軍の都合でやるものなのだから、海軍からそれ相応のメリットを提示する必要があると考えた。


俺は双方に三つの条件を提示した。


 一、由良川の改修工事の促進

   両市合併後、更に促進し、海軍が中心となって上流にダムを建設する。


 二、道路改修への資材援助

   大門通道路の改修工事において、海軍がセメント510トンを特別に援助。

   戦時の物資不足の中でも優先的に支援を行う。


 三、上下水道の買い上げ

   両市の合併後、上下水道施設を海軍が評価額で買い上げる。

   維持管理は海軍が行うことで、地元負担を少なくする。


 更に年明け後、マスコミも動かした。


 朝日新聞(首藤支局長)と毎日新聞(光本支局長)、京都新聞(田村支局長)の支局長を集め合併啓蒙運動の開始を相談した。


 昭和十八年一月三十日、朝日、毎日、京都の三紙が一斉に筆を揃えて両舞鶴合併問題を書いた。


 しかし水島舞鶴市長が裏で反対工作をしていた。

 俺は一月二十六日、電話で三十分近く押問答した。

 二月十三日には東舞鶴の岩田助役を呼び出し「表裏背反するような言動がないよう」厳しく釘を刺した。


 二月一日、舞鶴市会議長の村尾を呼び出し「海軍ノ意向ニツキ明確ニ説明ス」。

 二月十二日、村尾は「合併止ムヲ得ズト観念セルコト明確」とついに観念した。


 三月四日、俺は京都府庁に出頭。

 安藤知事と二十分間密談。

 最後の方針を合意した。


      *


 この合併工作においても、白糸はしばしば舞台となった。


 ある夜、俺は水島舞鶴市長と立花東舞鶴市長を別々の時刻に白糸の奥座敷に呼んだ。

 まず水島市長と二時間、腹を割って話した。

 水島が帰った後、半刻ほど時間を空けて、今度は立花を招いた。


 二人を同じ夜に同じ場所で会わせれば、合併への風当たりが強まる。

 しかし時間をずらして同じ料亭の同じ座敷を使えば、両者に「同じ場で語られる」という空気を残せる。


 お常さんはその間、廊下を一度も歩かず、二人の客が顔を合わせぬよう細心の注意を払った。


 その夜が更けて、立花市長も帰った後、お常さんが茶を運んできた。


「参謀長さん、お疲れさまでございました」

「お常さん、すまぬ。 ……無理なお願いをした」

「いえ。 ……白糸はそういう場所でございます」


 お常はわずかに微笑んだ。


「参謀長さん」

「水島市長と立花市長がいつか肩を並べて笑い合う日が来ましたら」

「わたくしどもの店もその日を見届けたいものでございます」


 俺は深く頷いた。


「お常さん、その日は必ず来る」

「俺が必ず来させる」


 お常は深く頭を下げた。


      *


 昭和十八年五月二十七日、海軍記念日。

 ついに新舞鶴市が誕生した。


 俺は鎮守府の応接室で水島市長と立花東舞鶴市長を向かい合わせて坐らせた。

 二人に酒を勧めた。


「これからの新舞鶴市は軍港都市としてまた商業都市として両者の強みを併せ持つ街となる」

「両市長には引き続き全力を尽くしていただきたい」


 水島市長と立花市長は深く頭を下げた。

 二人の表情は対立していた頃とは別人のように穏やかになっていた。


 二人の猪口が合わさった。

 チリン、と磁器の音が応接室にわずかに響いた。


 その音は十数年来の対立に終止符を打つ音であった。


 その夜、俺は白糸の暖簾をくぐった。

 奥座敷でお常に短く報告した。


「お常さん、合併、為った」


 お常はしばし黙った。

 やがて深く深く頭を下げた。

 目に涙が浮かんでいた。


「参謀長さん」

「ありがとうございます」

「礼には及ばぬ」

「いえ……これは舞鶴の街の長年の祈りでございました」


 お常さんは涙を袖で拭いながらわずかに微笑んだ。


「白糸は参謀長さんのお仕事をいつまでも忘れません」


      *


 昭和十八年七月初旬。


 舞鶴に海軍大臣・嶋田繁太郎海軍大将が北越方面の軍需工場視察の途上、立ち寄った。


 俺と岩渕は参謀長と人事部長として出迎えに駆り出された。


 七月二日、富山。

 嶋田海相は不二越鋼材工業、日本海船渠、日満アルミ製造の三工場を視察した。


 その夜、富山の電気ビル。

 軍需工場の経営者たち主催の嶋田海相歓迎晩餐会。


 戦時下にもかかわらず卓上には信じられぬほどの饗応が並んでいた。

 上等の鮨、新鮮な刺身、富山湾の蟹、白いご飯、上等の酒。

 戦地の将兵が米一粒の配給に喘いでいる、その時に。


 経営者たちは嶋田海相に次々と杯を捧げた。


「海相、おかげさまで弊社の生産も順調でございます」

「海軍さんの御指導の賜物でございます」

「これからも一層、御鞭撻のほどを」


 歯の浮くようなお世辞の応酬。

 手前味噌の生産報告。


 嶋田海相はにこやかに杯を傾けていた。


 俺は卓の隅の席からその光景を冷たく見つめていた。


(……これが海軍大臣か)

(前線で同期生たちが蛇とトカゲを食って戦っている、この時に)

(地方の軍需景気でぼろ儲けしている連中のご機嫌取りに晩を費やすのか)


 俺の胸の奥で何かが煮え立っていた。


 岩渕の眼がふと俺の眼に合った。

 二人とも無言だった。

 しかしその無言の中に深い了解があった。


      *


 翌七月三日、金沢。

 嶋田海相は三浦製作所などを視察し、夜は仙賓閣で再び有力者を招いての宴。


 俺と岩渕は同じ光景をもう一度見せられた。


 経営者たちのお世辞。

 料亭の女将たちの愛想笑い。

 嶋田海相の満足げな笑顔。


 俺は耐え続けた。

 軍人として職務として。


 しかしその夜の宴が終わり、舞鶴へ戻る列車の中で――。


 岩渕の怒りがついに爆発した。


「おい参謀長!」


 岩渕の声は低くしかし燃えていた。

 深夜の列車の個室で二人だけだった。


「なんてバカ野郎だ!ソロモンでもニューギニアでもみんな死に物狂いで悪戦苦闘して戦っているのに、何とトボケて田舎まわりなど呑気にしているヒマがあるのだ!」


 俺は深く頭を垂れた。


「岩渕、お前の怒りはもっともだ」

「あの男は自分の役職を何と心得ているのだ!」


「『東條の腰巾着』、『東條の男メカケ』と世間では言われている」


「醜聞だ!」


「醜聞では済まぬ ……あの男のせいで日本は滅びる」


 俺は深く息を吐いた。


 列車の窓越しに夏の夜の北陸路が流れていた。

 月明かりの下で田畑の影がわずかに見えた。


 俺はゆっくりと岩渕に向き直った。


「岩渕。 ……俺はいまはっきり言おう」


「海軍は大臣の人選を誤った」


 岩渕はしばし黙った。

 やがて深く頷いた。


「その通りだ! ……海軍は大臣の人選を誤ったのだ!」


 二人の声は深夜の列車の個室にわずかに響いた。

 その響きはすぐに消えた。


 しかし俺の腹の底にはその一語が深く刻まれた。


(……海軍は大臣の人選を誤った)


(嶋田繁太郎を排除しなければならぬ)

(その先に東條英機を排除しなければならぬ)


(俺は舞鶴の地でその日を待つ)

(そしてその日が来た時――俺は自分の命を賭ける)


(つづく)



【後書き】(お常より)


昭和十八年五月二十七日、海軍記念日。

 ついに新舞鶴市が誕生いたしました。


 わたくしは白糸の店先で、提灯をともしました。

 水島市長と立花市長が、別々の道から、白糸の暖簾を、くぐられました。

 お二人とも、高木参謀長の説得によって、ようやく、和解されたのでございます。


 あの夜、白糸の奥座敷で、参謀長さんは、お二人に向かって、こう、お話されました。


「これからの新舞鶴市は、軍港都市として、また、商業都市として、両者の強みを活かしていただきたい」


 お二人とも深く頷かれました。


 わたくしは台所で銚子の支度をしながら、その横顔を見つめました。


 しかし、その翌々月、参謀長さんの前に現れたのは、海軍大臣・嶋田繁太郎大将でございました。

 北越方面の軍需工場巡視のその途上、舞鶴を立ち寄られた。


 わたくしは参謀長さんと岩渕人事部長さんから、後にその夜のお話を伺いました。

 経営者たちのお世辞、料亭の女将たちの愛想笑い、嶋田大臣の満足げな笑顔――。

 前線の将兵が、飢えと弾雨の中で死んでいく時に、海軍の最高責任者が地方でご馳走攻めにされて、満足げに頷いている。


 参謀長さんは人事部長さんにこう、お話されました。


「海軍は大臣の人選を誤ったぞ」


 その一言は、岩渕様の心の中にも、深く、刻まれたそうでございます。


■ 人物紹介

お常(料亭「白糸」女将) ※本話の前書き・後書きの語り手

 舞鶴の老舗料亭「白糸」の女将。福知山に親戚を持ち、地元の人々の苦境を肌で知る、心優しい女性。本話で高木の由良川治水と東西舞鶴市合併の工作の場を、奥座敷で支え続ける、本作の重要人物。


水島みずしま 正盛まさもり ※本話で本格登場

 舞鶴市(西舞鶴)市長。本話で高木が東西舞鶴市の合併工作を進める中、白糸の奥座敷で何度も説得を受ける。最後には合併に同意。


立花たちばな 鎌造かまぞう ※本話で本格登場

 東舞鶴市長。本話で高木が東西舞鶴市の合併工作を進める中、白糸の奥座敷で何度も説得を受ける。最後には合併に同意し、海軍記念日(五月二十七日)に新舞鶴市が誕生する。


安藤あんどう 狂四郎きょうしろう ※本話で本格登場

 京都府知事(本話時)。本話で高木が由良川治水事業の予算獲得のため、夜を徹した折衝を重ねる相手。


上井 土木部長 ※本話で本格登場

 京都府土木部長(本話時)。本話で高木と共に、由良川治水事業の予算獲得に奔走する。白糸の奥座敷で、夜遅くまで議論を続けた。


前福知山市長 ※本話で言及(不在)

 本話の昭和十七年七月、参謀長室を訪ねて、由良川治水事業の中央への働きかけを陳情した、福知山地方の重鎮。


岩渕三次(いわぶち・さんじ、1893年〜1945年) ※本話で重要登場

 海軍少将、舞鶴鎮守府人事部長(本話時)。本話の七月、嶋田海相の北越巡視に高木と共に随行し、地方の軍需工場経営者たちの「お世辞」と「ご馳走攻め」の中で、激しい怒りを、ハラの中で、抑える。


嶋田繁太郎(しまだ・しげたろう、1883年〜1976年) ※本話で本格登場(不快な存在として)

 海軍大将、海軍大臣(本話時)。本話の昭和十八年七月、北越方面(富山・金沢)の軍需工場巡視の途上、舞鶴を立ち寄る。前線の将兵が死闘を繰り広げる中、地方で経営者たちの接待を、満足げに、受ける姿が、描かれる。後に高木が東條打倒・嶋田更迭工作を進める、その「内なる原点」となる人物。


■ 用語集

「由良川治水事業」(ゆらがわちすいじぎょう)

 京都府福知山地方を流れる由良川は、毎年のように水害を引き起こしていた。本話で高木が中央に何度も掛け合い、上流の電源開発ダム建設と治水を結びつけて、戦時下の国庫から国家予算を引き出した、地元の長年の悲願の事業。昭和十七年十二月二日、大蔵省議で予算が通過。


「東西舞鶴市の合併問題」(ひがしにしまいづるしのがっぺいもんだい)

 舞鶴市は、海軍の軍港のある東舞鶴市と、古くからの城下町である舞鶴市(西舞鶴)とで、長らく対立を抱えていた。過去に末次信正司令長官時代にも合併が試みられたが失敗していた。本話で高木がこの難題を、両市長を白糸の奥座敷に何度も呼んで、根気よく説得し、昭和十八年五月二十七日、海軍記念日に、新舞鶴市の誕生を、成功させる。


「電源開発ダム」(でんげんかいはつだむ)

 戦時下の電力(軍需)の確保と、地方の治水という二つの目的を、一つの大義名分に束ねた、高木の発想転換の核心。単なる河川改修案では戦時下の国庫から予算が引き出せなかったため、上流に電源開発ダムを建設することと、由良川治水を、結びつけた。戦後、大野ダムとして結実する。


「嶋田海相の北越巡視」(しまだかいそうのほくえつじゅんし)

 昭和十八年七月、海軍大臣・嶋田繁太郎大将が、北越方面(富山・金沢・小松・福井)の軍需工場巡視に出向いた、本話の核心的場面の一つ。当時、ミッドウェー海戦の惨敗、ガダルカナル撤退、山本五十六長官戦死、アッツ島玉砕と続き、海軍の最高責任者は中央に留まって戦局に対応すべき危機的状況であった。にもかかわらず、嶋田海相は地方の工場巡視に出向き、経営者たちのご機嫌取りと、料亭での宴を、満足げに受けた。高木と岩渕は、激しい憤激の中で、この「猿芝居」を、目撃する。


「海軍は大臣の人選を誤ったぞ」

 本話の昭和十八年七月、嶋田海相の北越巡視の夜、高木が岩渕に語った、痛烈な一言。前線で死闘を繰り広げる戦友たちと、地方でご馳走攻めにされて満足げに頷く海軍の最高責任者との、絶望的な対比を、象徴する言葉。後の昭和十九年の嶋田更迭・東條打倒工作の、内なる原点となる。


「不二越鋼材工業・日本海船渠・日満アルミ・三浦製作所」(ふじこしこうざいこうぎょう・にほんかいせんきょ・にちまんあるみ・みうらせいさくしょ)

 本話で嶋田海相が北越巡視で訪れた、富山・金沢の軍需工場。当時の軍需工場経営者たちは戦争景気で大儲けしており、海相に対して歯の浮くようなご機嫌取りを行った。


「電気ビル・仙賓閣」(でんきびる・せんびんかく)

 富山と金沢の有名な接待施設。本話で嶋田海相が地元有力者たちから、下にも置かぬご馳走攻めを、受けた場所。



■ 史実と創作について


【史実に基づく部分】

・高木惣吉が舞鶴鎮守府参謀長として、由良川の治水と東西舞鶴市の合併という二つの地方行政課題に尽力したこと。昭和十八年五月に東舞鶴市と舞鶴市(西舞鶴)が合併し、新舞鶴市が成立したこと(高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』)。

・由良川改修起工式が昭和十八年六月に福知山郊外で行われたこと。両市合併が、軍港を抱える新興の東舞鶴と城下町の西舞鶴との根深い感情的対立を乗り越えて実現したものであったこと。

・高木が当時の海軍大臣・嶋田繁太郎の戦争指導と人物に強い不信を抱いていたこと。嶋田が東條英機に従順で「上には当たりがよく下には高飛車」と評され、危機感を欠くと見られていたこと(戸髙一成編『証言録 海軍反省会』、伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』)。


【創作部分】

・料亭「白糸」での両市長和解の場面、嶋田繁太郎の舞鶴巡視の情景、嶋田の態度に憤激する高木の「海軍は大臣の人選を誤った」という趣旨の言葉のやり取りは、史実の趣旨を踏まえて本作で構成した創作です(女将お常は創作上の人物です)。

・前書き・後書きの語りや内面、各場面の情景描写は創作です。


■ 参考文献


高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』光人社、1971年

伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報 下』みすず書房、2000年

戸髙一成編『[証言録]海軍反省会』PHP研究所、2009年


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