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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第5章 海軍少将:高木惣吉編(昭和17(1942)年6月~)

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第28話「山本長官の死と同期生との再会ーー何もできない焦り」

【前書き】(岩渕三次より)


俺の名は岩渕三次。

 海軍少将、舞鶴鎮守府人事部長。

 海兵四十三期、高木惣吉と同期生。


 俺は昭和十七年十一月の第三次ソロモン海戦で、戦艦「霧島」の艦長として、米艦隊との死闘に挑んだ。

 夜の海で、米戦艦「ワシントン」「サウスダコタ」と砲撃戦を交わした。

 わが霧島は、最後まで奮戦した。

 しかし、その夜のうちに、霧島は沈んだ。


 俺は艦が沈んだ後、ニュージョージア島のムンダ基地で、蛇とトカゲを食って、奇跡的に生還した。


 昭和十八年五月、俺は舞鶴鎮守府人事部長として、舞鶴に着任した。

 駅前で出迎えてくれたのは、海兵同期の高木惣吉、舞鶴鎮守府参謀長。


 あの夜、俺は白糸の奥座敷で、高木に、同期生たちの様子を、一人ずつ、報告した。

 柴崎、矢野、有馬――。

 次々と前線で命を散らしていく、わが同期生たち。


 その夜、高木の眼の奥に、深い、深い、罪悪感が、宿っているのを、俺は見た。


 昭和十七年八月から、昭和十八年六月までの、舞鶴の一年。

 ガダルカナル、山本五十六長官の戦死、アッツ玉砕。

 そして、無策な海軍中央への、煮えたぎる怒りと、戦友たちへの申し訳なさ――。


 高木が舞鶴の地で、ひとり、抱え続けた苦悩の物語を俺が伝える。



【本文】


 昭和十七年八月七日、午前八時。


 俺は舞鶴鎮守府の参謀長室で机に向かっていた。

 窓の外で舞鶴湾の青い水面が夏の朝の光にまぶしく揺らめいていた。


 着任からほぼ二ヶ月。

 舞鶴での日々は表向きにはごく平穏に過ぎていた。


 毎朝、官舎から鎮守府まで歩いて出勤する。

 軍靴の音が舗石の上でぽつりぽつりと響く。

 日本海から吹いてくる湿った風が軍服の襟元を撫でる。


 午前は決裁、午後は視察、夕方は会食。

 戦時下の地方軍港の参謀長の判で押したような一日。


 しかしその日――。


 扉を叩く音がした。


「参謀長、軍令部より緊急電報です」


 首席参謀の三浦英雄大佐が青い顔で立っていた。

 手に一枚の電報用紙を握っていた。


「読み上げてくれ」


 三浦大佐は深く息を吸った。


「米軍機動部隊、本日未明、ソロモン諸島ガダルカナル島およびツラギ島に対し上陸作戦を開始」


 俺はペンを置いた。

 ゆっくりと目を上げた。


「……ガダルカナル」


 心の中でその地名を噛みしめた。


(ミッドウェーからわずか二ヶ月)

(早くも米軍は反攻に転じた)


 俺は椅子の背に深く体を預けた。

 窓の外で舞鶴湾の青い水面をふと見つめた。


 その水面は変わらず夏の光に揺らめいていた。

 しかしその同じ太平洋の遥か南で――。

 いま日本海軍の運命が新たな段階に入りつつあった。


      *


 その後の数ヶ月、ガダルカナルからの悲報が舞鶴の鎮守府にも毎日のように届いた。


 八月、第一次ソロモン海戦――勝利。

 しかしガ島の飛行場(ヘンダーソン基地)は奪い返せず。


 十月、南太平洋海戦――勝利。

 空母「翔鶴」「瑞鶴」が活躍。


 しかしガ島の地上戦は惨憺たるものだった。

 川口支隊、一木支隊、第二師団――次々と投入された日本陸軍の精鋭部隊が米軍の重火力と補給の前に次々と撃破されていった。


 俺は鎮守府の参謀長室で毎朝戦況報告を読み続けた。

 報告書の数字を頭の中で整理した。


 戦死者の数。

 戦傷者の数。

 補給線の状況。

 艦艇の損失。


 数字は嘘をつかなかった。


(……敗れる)


 俺は心の中で何度もその一語を呟いた。


(このままではガ島は敗れる)

(精神論で米軍の物量を覆い隠すことはできぬ)


      *


 夜、官舎に戻った俺は卓の上で日記を開いた。

 ペンを取りその日の戦況を淡々と記録した。


 しかしペンを置く前に必ず一行を書き加えた。


「ガ島ノ趨勢、見ル毎ニ重シ」

「中央、有効ナル手ヲ打ツ気配ナシ」

「焦慮、増スノミ」


 ペンを置いた。

 卓の上に頬杖をついた。

 窓の外で舞鶴の夜風がわずかに吹いていた。


 その夜風の中に俺はひとつの予感を感じた。


(……俺はやがてここで何かを決断せねばならぬ)

(その時はまだ来ぬ)

(しかし必ず来る)


      *


 昭和十七年十一月のある夜。


 舞鶴鎮守府の司令長官の指示で、地元の名士たちとの懇親の場が組まれた。

 舞鶴の街中、老舗の料亭「白糸」。

 軍関係者と地元有力者の会食の場として古くから使われていた。


 その夜、俺は初めて白糸の暖簾をくぐった。


 奥座敷に通された俺を迎えたのは、白い割烹着の上に薄い羽織を着た、四十代後半の品の良い女性であった。


「初めまして。 ……白糸の女将のお常と申します」

「うむ。鎮守府参謀長の高木だ」

「参謀長さん、お運びくださりありがとうございます」


 お常さんは深く頭を下げた。


 その夜、地元の有力者たちとの懇談は和やかに進んだ。

 舞鶴の街の話。

 商工業の話。

 由良川の水害の話。

 東舞鶴と西舞鶴の長年の対立の話。


 俺は聞き役に徹した。

 お常は黙って酒を注ぎ料理を運び、必要な時だけ短く言葉を添えた。

 しかしその短い言葉のひとつひとつが、舞鶴という街の事情を実によく押さえていた。


 会が終わり客たちが帰った後、俺はしばし奥座敷に残った。

 お常さんが茶を運んできた。


「参謀長さん、お疲れさまでございました」

「お常さん、世話になった」

「いえこちらこそ」


 お常さんはわずかに微笑んだ。


「参謀長さん。 ……失礼ながら申し上げてもよろしいでしょうか」

「貴方さまはお酒の席でもよく聞いておいでです」

「東京から来られた偉い方は普通もっとお話しになります。 ……しかし貴方さまは聞いておいでです」


 俺はわずかに笑った。


「お常さんそれは褒めてくれているのか」

「ええ。 ……地元の者の話を聞いてくださる方は舞鶴では珍しゅうございます」


 お常さんの眼に温かい光があった。


「参謀長、白糸はいつでもお運びください。 ……灯りはいつも点しております」


 俺は深く頷いた。


「ありがとう」


 その夜、官舎へ帰る道すがら俺は心の中でこう思った。


(……舞鶴にも信用できる目がある)

(地元の人々の眼)

(彼らの声を聞かねばここでは何も為せぬ)


      *


 昭和十八年二月、ガダルカナル撤退の報が舞鶴の鎮守府にも届いた。


 日本陸軍はガ島から撤退した。

 二万人以上の戦死者・餓死者を残して。


 俺はその報を参謀長室の机の上で受け取った。

 しばし目を伏せた。


 窓の外で舞鶴湾は冬の灰色の空の下で鈍く光っていた。


(……虎の子の同期生たちもおそらくここで散ったのだろう)


 俺は心の中で呟いた。


(柴崎、矢野、有馬――)

(どこにいる)

(どうか生きていてくれ)


 しかしその願いはすでに答えを知っていた。


      *


 四月十八日。


 俺の願いを決定的に裏切る一報が舞鶴に届いた。


「連合艦隊司令長官、山本五十六大将、ボーゲンビル島南端の上空にて機上戦死」


 俺はその電報用紙を、両手で握りしめた。手が、わずかに震えていた。


(……山本長官)


 心の中で名を呟いた。


 米内さんと井上さんと山本さん――海軍良識派三羽烏。

 俺が調査課長として最も信頼し最も心酔した、海軍の頭脳。


 その山本長官が戦死。


 俺は深く息を吐いた。

 立ち上がり窓辺に歩いた。

 舞鶴湾の灰色の水面をしばし見つめた。


 水面の遥か向こうに太平洋の南が見えた気がした。

 ブーゲンビル島の上空。

 米軍の戦闘機隊。

 撃墜される一式陸攻。


(山本長官、いまどこにおられるのですか)


 俺は心の中で問うた。


 答えはなかった。


      *


 その夜、俺は官舎の卓の上で日記を開いた。

 ペンを取った。

 しかしペンが動かなかった。


 長い沈黙のあと――。

 俺はようやく一行を書いた。


「山本長官、戦死」

「日本海軍、其ノ柱ヲ失ヘリ」

「我ガ心ノ奥ニテ何カガ囁ク」

「『チャンスヲツカメタラ戦争終結ニ向ッテ大転換スベキデハナイカ』ト」


 ペンを置いた。


 俺は自分の書いた一行を長い時間見つめた。


「戦争終結」。


 その四文字を俺は自分の手で初めて紙の上に書いた。


 書いた瞬間、俺は何かが自分の中で生まれたのを感じた。


(……これはいまの俺にはまだ口にできぬ)

(陸海軍中央の誰一人にも申し上げられぬ)

(しかしいつか必ず口に出せる日が来る)

(その日まで俺は舞鶴で生き続ける)


      *


 昭和十八年五月八日、午前。


 舞鶴鎮守府に新しい人事部長が着任することになっていた。


 俺はその朝、駅前でその男を出迎えた。


 軍服に勲章をつけた、痩せた、しかし精悍な顔の少将が列車から降りてきた。


 俺は顔を見て息を呑んだ。


(……岩渕)


 心の中でその名を呟いた。


 岩渕三次少将。

 海軍兵学校四十三期の同期生。

 俺と同じ四十九歳。


 しかしホームに降りた岩渕の顔は海兵時代の若々しい同期生の顔ではなかった。

 頬がこけ、目の下に深い隈ができ、しかし目の奥にはいまだ消えぬ火が宿っていた。


 俺は深く敬礼した。


「岩渕、舞鶴へようこそ」

「高木、世話になる」


 岩渕の声は低かった。

 しかしその声には海兵時代の若き連中の、ぶっきらぼうな、しかし温かい響きが残っていた。


      *


 車に乗り込み鎮守府まで二人で移動した。

 車内の沈黙の中で俺はふと口を開いた。


「岩渕」

「霧島はよく戦った」


 岩渕はしばし黙った。

 車窓の外を見つめていた。


 やがて低く声を漏らした。


「……俺だけ生きて帰った」


 俺は息を呑んだ。


「ニュージョージア島のムンダの基地に泳ぎ着いた。 ……蛇とトカゲを食って生き延びた」


 俺は車窓の外の舞鶴の街並みを見つめた。

 しかし見えていたのは舞鶴の街並みではなかった。

 ガダルカナルの夜の海の、霧島の艦橋であった。


「高木」


 岩渕の声が低く響いた。


「……あの夜、霧島の艦橋で俺は見たんだ」

「米軍の戦艦の巨大な艦影。 ……砲撃の閃光。 ……うちの主砲も応戦した。 ……だが相手の弾は桁が違った」


 岩渕は深く息を吐いた。


「俺の艦は燃えた。 ……俺の部下たちは火の中で死んだ。 ……俺は艦長として彼らを見殺しにした」


「岩渕……」


「すべて艦長の俺の責任だ。 ……だがな高木」


 岩渕の目が俺の眼に向けられた。

 その眼の奥に燃えるような火が宿っていた。


「中央は何をしている」


 俺は息を呑んだ。


「ガ島で前線で俺たちが死に物狂いで戦っている時――中央は何をしているのだ」


「岩渕……」


「東條は嶋田は永野は何をしているのだ」


 車は鎮守府の門をくぐった。

 桟橋に艦艇が並んでいた。

 夏の朝の光が艦影にまぶしく揺らめいていた。


      *


 その夜、俺は岩渕を白糸に招いた。

 お常が静かに奥座敷に案内してくれた。


 卓を囲み二人でお酒を酌み交わした。


「岩渕」

「同期の連中はどうなっている」


 岩渕は深く息を吐いた。

 しばし黙った。


「柴崎」

「タラワにいる」

「タラワ……」

「米軍の次の目標とも、もっぱらの噂だ。援軍も補給もなければ、柴崎は……」


 俺は息を呑んだ。


(柴崎恵次)

(海兵時代、最も陽気で最も声の大きかった、あの男)


「矢野は」

「マリアナのサイパンにいる」

「サイパン……」

「あそこも、米軍が進攻すれば危うい」


(矢野英雄)

(海兵時代、最も温厚で最も誠実だった、あの男)


「有馬は」

「翔鶴の艦長として南太平洋海戦で戦った。 ……いまはいったん内地に戻っている」


(有馬正文)

(俺に西田哲学を勧めた、あの親友)


 俺は深く息を吐いた。


「岩渕、俺たちの同期はもういくつ残るか」

「九十六名で入校した。 ……いま残るはおそらく半分以下だ」

「半分以下、と」

「ガ島で死んだ。 ……ミッドウェーで死んだ。 ……ソロモンで死んだ。 ……南太平洋で死んだ」


 岩渕の声がわずかに震えた。


「そしてこれからもっと死ぬ」


 卓の上の徳利のお酒が減っていった。

 二人の影が行燈の灯の下でわずかに揺らめいていた。


      *


「高木」

「お前は何をしている」


 岩渕の問いに俺はしばし答えられなかった。


 俺は何をしている。

 舞鶴の地方軍港の参謀長室で決裁書類を見ている。

 由良川の治水事業の京都府庁との折衝をしている。

 東西舞鶴市の合併工作の根回しをしている。


 しかし――。

 ガ島で死んでいく同期生たちのために俺は何もしていない。


「岩渕、俺は……」


 声が震えた。


「俺は舞鶴で足止めされている」


 岩渕は深く頷いた。


「お前ほどの男がなぜ舞鶴か」

「岡軍務局長と沢本次官と合わなかった」

「あの連中か」

「うむ。 ……俺のブレーントラストを左派的と決めつけ機密費の支出を阻まれた」

「ばかな」


 岩渕はわずかに声を強めた。


「お前のブレーントラストは海軍の良心の灯だったではないか。 ……陸軍の独走を抑え対米開戦をぎりぎりまで引き止めた。 ……あれを左派的と言うか」

「立腹はしないでいい。 ……済んだことだ」


 俺はわずかに首を振った。


「だがな岩渕。 ……俺はまだ終わっていない」


「いつか必ず戻る。 ……中央へ。 ……そしてその時――俺は自分の命を賭ける」


 岩渕はしばし俺を見つめた。

 目の奥に燃えるような火が宿っていた。

 その火は俺の心の奥の火と響き合っていた。


「高木」

「お前が戻ってきたら――俺はお前の側に立つ」

「岩渕……」

「ガ島で死んだ仲間たちにお前の戻る日を報告する」


 俺は深く頭を下げた。


「ありがとう」


 奥座敷の襖の向こうから、ふと、お常の足音が聞こえた。

 しかしお常はすぐには襖を開けず、しばし、廊下で立ち止まっていた。

 二人の話を遮らぬよう心を配っていたのである。


 やがて静かに襖を開け新しい徳利を運んできた。


「お注ぎいたします」


 お常は短くそう言って深く頭を下げた。

 二人の表情の重さを察したのであろう。

 余計なことは何ひとつ口にしなかった。


 その夜、白糸の灯は深夜まで消えなかった。


      *


 昭和十八年五月二十九日、夜。


 舞鶴の官舎で俺はラジオの前に坐っていた。


 大本営発表が流れていた。


「アッツ島守備隊、二十九日夜の攻撃を最後に通信杜絶。 ……全員、玉砕したものと認む」


 俺はラジオの前でしばし目を閉じた。


 アッツ島。

 北太平洋アリューシャン列島の最果ての島。

 二千五百人の日本軍守備隊が米軍の上陸を受け二週間の死闘の末に玉砕。


 その地に海兵四十三期の同期生がいたかどうかは知らぬ。

 しかしそこには第一線で戦う日本の若者たちがいた。

 彼らは援軍も補給も与えられぬまま玉砕した。


 俺は深く息を吐いた。

 卓の上の日記帳を開いた。

 ペンを取った。


 しかしペンが長く動かなかった。


 ようやく書き始めた一行は――こうであった。


「凡庸、政戦ヲ指導スレバ、概ネ斯クノ如シ」

「痛憤ニ堪ヘズ」


 ペンを置いた。


 その一行が自分の腹の底から絞り出した声であった。


      *


 その翌日であったか、舞鶴の官舎に一通の密書が届いた。


 差出人の名はない。

 しかし封筒の筆跡を見た瞬間、俺は息を呑んだ。


(……松平さん)


 千駄ヶ谷の松平康昌侯爵。

 内大臣秘書官長。

 二年前の藍亭の夜から、ずっと俺の心の片隅で生き続けていた人。


 舞鶴に発って以来、直接の便りは一度も交わしていなかった。

 憲兵の目を恐れて、お互いに自重していた。

 しかし、その沈黙の中でも俺と松平さんの信頼は決して消えていなかった。


 その松平さんから、ついに、一通の手紙が来た。


 封を切った。

 中に短い書状が一枚。


 内容は表向きには、ただの時節の挨拶であった。

 しかし末尾に、たった一行――。


「貴兄の御消息、宮中にても折々承りおり候。

御身御自愛の上、いずれ再会の日を楽しみに」


 俺はその一行を、長い長い時間、見つめた。


(……松平さんは俺を忘れてはおられぬ)

(宮中の灯火は、いまも灯されている)


 俺はその夜、机に向かい松平さんへの返書をしたためた。

 しかしそれを書き終えると、すぐにそれを暖炉の火で焼いた。


 書状で残せば、憲兵が見つけるかもしれぬ。

 松平さんに迷惑がかかる。


(……返事は、いずれ再会の日に、口頭で)


 俺は心の中でそう誓った。


 暖炉の火が、書状を、わずかに、舐めて燃やした。

 その火の中に、俺は二年前の藍亭の夜を見た。

 松平さんが「高松宮殿下も同趣旨のことを仰せられていた」と告げた、あの瞬間を見た。


 俺の中で何かが固まりつつあった。


(……俺は必ず東京に戻る)

(そして松平さんと共に、この国を救う)


      *


 六月のある夜、俺は官舎でひとり日記を開いていた。


 ふと舞鶴に来てからほぼ一年が経つことに気づいた。


 昨年の今日――昭和十七年六月十五日――東京駅で矢部君と和辻博士たちに見送られて寝台車に乗った、あの日。

 あれからちょうど一年。


 俺はペンを取った。

 長い長い沈黙のあとゆっくりと書き始めた。


「昨年ノ本月本日、現職ニ赴任ノ為東京ヲ発セリ」

「満一年、夢ノ間ニ経過シ而モ為ストコロ無ク空費セルノ感アリ」

「時局重大、国運ノ興廃ニ関スル世務、幾変遷スルニ病弱菲才碌々トシテ相関セズ」

「天禄ノ卑少ナルヲ悲シム」


 ペンを置いた。

 自分の書いた四行を長い時間見つめた。


「空費セルノ感アリ」――。

「天禄ノ卑少ナルヲ悲シム」――。


 その二行がいま自分の腹の底にあるすべてであった。


 しかし――。


 俺はもう一行を書き加えた。


「サレド必ズ戻ル」


 ペンを置いた。



【後書き】(岩渕三次より)


昭和十八年六月十五日。


 その夜、高木は官舎でひとり、日記を開いていた。

 「満一年、夢ノ間ニ経過シ而モ為ストコロ無ク空費セルノ感アリ」――。


 俺は舞鶴のあとフィリピンに行き、昭和二十年二月、マニラ市街戦で最期を遂げたから、この日記を戦後に読む機会は、訪れなかった。

 しかし、あの男が舞鶴で抱え続けていた苦悩の深さは見ていてよく分かった。俺は、深く、深く、頭を垂れた。


 しかし、あの男は、舞鶴の地で何もしなかったわけではない。

 むしろ、舞鶴の地で、ひとり、二つの大きな仕事を進めていた。


 由良川の治水事業。

 東西舞鶴市の合併。


 この二つの仕事は、地方の片隅で、しかし、地元の人々の生活を、確かに、変えるものであった。


 しかし、高木はその二つの仕事に、決して、満足することは、なかった。

 あの男の眼はいつも東京を見ていた。

 中央の腐敗、無策、そして暴走をいつまでも許せずにいた。


■ 人物紹介


岩渕三次(いわぶち・さんじ、1893年〜1945年) ※本話の前書き・後書きの語り手

 海軍少将、舞鶴鎮守府人事部長(本話時)。海兵四十三期、海大二十四期。高木惣吉の海兵同期。前年(昭和十七年)十一月の第三次ソロモン海戦で、戦艦「霧島」の艦長として死闘を演じ、艦が沈んだ後はニュージョージア島のムンダ基地で蛇やトカゲまで食って悪戦苦闘の末に奇跡的に生還し、五月に着任したばかりの戦友。本話で高木の白糸での同期生報告の場面で、深い罪悪感を共有する。


柴崎恵次(しばさき・けいじ、1894年〜1943年)※本話で言及

 海軍少将、海兵四十三期。高木惣吉の同期。タラワ島守備隊司令官として、昭和十八年十一月二十五日、米軍の猛攻の中、玉砕。本話で岩渕から高木への同期生報告の中で名前が挙がる。


矢野英雄(やの・ひでお、〜1944年)※本話で言及

 海軍大佐、海兵四十三期。高木惣吉の同期。南太平洋海戦時は戦艦「長門」艦長として本土に待機。本話時はマリアナ方面に在勤。昭和十九年七月八日、サイパン島で戦死。本話で岩渕から高木への同期生報告の中で名前が挙がる。


有馬正文(ありま・まさふみ、1895年〜1944年)※本話で言及

 海軍少将、海兵四十三期。高木惣吉の同期。空母「翔鶴」艦長として南太平洋海戦で奮戦。本話時はいったん内地に在る。昭和十九年十月十五日、台湾沖航空戦で戦死。本話で岩渕から高木への同期生報告の中で名前が挙がる。


お常(料亭「白糸」女将) ※本話で本格登場

 舞鶴の老舗料亭「白糸」の女将。福知山に親戚を持ち、地元の人々の苦境を肌で知る、心優しい女性。本話で高木と初めて出会い、その後の舞鶴での日々を、奥座敷で支える、本作の重要人物の一人。


山本五十六(やまもと・いそろく、1884年〜1943年) ※本話で戦死

 海軍大将、連合艦隊司令長官。本話の昭和十八年四月十八日、ブーゲンビル島南端の上空で、乗機を米軍機に撃墜され、機上戦死。日本海軍の最大の柱を失う、決定的な悲報。


■ 用語集

「ガダルカナル島の戦い」(がだるかなるとうのたたかい)

 昭和十七年八月、米軍がガダルカナル島に上陸して以来、日米両軍が半年以上にわたって死闘を繰り広げた、太平洋戦争の最大の転換点。日本軍は補給線が伸びきり、結局、昭和十八年二月、二万人以上の戦死者・餓死者を残して撤退する。


「アッツ島玉砕」(あっつとうぎょくさい)

 昭和十八年五月二十九日、アリューシャン列島のアッツ島の日本軍守備隊(山崎保代大佐ら)が、米軍の猛攻の中、最後の突撃を敢行し、全員、玉砕。「玉砕」という言葉が、初めて、大本営発表の中で、正式に用いられた、太平洋戦争史上の重要な転換点。


「第三次ソロモン海戦」(だいさんじそろもんかいせん)

 昭和十七年十一月十二日〜十五日、ガダルカナル島沖で日米両軍の艦隊が交戦した、激しい夜戦。戦艦「比叡」「霧島」が沈没し、岩渕三次大佐は「霧島」艦長として、生還する。本話で岩渕が高木に、その地獄を語る場面で言及。


「料亭白糸」(りょうていしらいと)

 舞鶴の老舗料亭。本話で高木が司令長官の指示で初めて訪れ、その後、由良川治水・東西合併工作の舞台、そして同期生報告の場として、何度も登場する。女将のお常は、福知山に親戚を持ち、地元の人々の苦境を肌で知る、心優しい女性。


「山本五十六長官の戦死」(やまもといそろくちょうかんのせんし)

 昭和十八年四月十八日、ブーゲンビル島南端の上空で、連合艦隊司令長官・山本五十六大将の乗機が、米軍機に撃墜され、長官は機上戦死した、海軍にとっての最大の悲報。本話で高木がこの報を舞鶴で受け取り、「日本海軍、其ノ柱ヲ失ヘリ」と日記に書き残す。


「『満一年空費』の独白」(『まんいちねんくうひ』のどくはく)

 昭和十八年六月十五日、舞鶴に来てちょうど一年の夜、高木が官舎の卓の上で書き残した、痛切な独白。「満一年、夢ノ間ニ経過シ而モ為ストコロ無ク空費セルノ感アリ」「天禄ノ卑少ナルヲ悲シム」――冷徹な情報将校である高木が、「純粋で熱烈な憂国の情念」によって突き動かされていたことを証明する、本話の核心的場面。



■ 史実と創作について


【史実に基づく部分】

・昭和十七年八月のガダルカナル島をめぐる戦いの開始、翌十八年四月十八日の山本五十六連合艦隊司令長官の戦死(海軍甲事件)、同年五月のアッツ島玉砕は、いずれも史実です。

・高木惣吉が舞鶴在任中、日記に「満一年、夢ノ間ニ経過シ而モ為ストコロ無ク空費セルノ感アリ」と中央を離れた焦燥を書き残したこと(伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』)。

・高木が舞鶴で由良川の治水と東西舞鶴市の合併という地方行政に取り組んだこと(高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』)。

・岩渕三次が高木と海軍兵学校第四十三期の同期であり、後にマニラ市街戦で戦死したこと。高木の同期には、第一線で戦死していった者が多く、それが高木の終戦工作の動機の一つとなったこと(伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報』)。


【創作部分】

・舞鶴鎮守府の情景、山本長官の死やアッツ島玉砕の報に接する高木の内面描写、岩渕三次との再会と会話の細部は、史実の背景を踏まえて本作で構成した創作です。

・前書き・後書きの語りや内面、各場面の情景描写は創作です。


■ 参考文献


高木惣吉『自伝的日本海軍始末記』光人社、1971年

伊藤隆編『高木惣吉 日記と情報 下』みすず書房、2000年


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