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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第1章 終戦工作の始動(昭和18(1943)年3月~)

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第3話「帝国を中心とする世界戦争終末方策」

【前書き】(松谷誠より)


 松谷誠だ。


 着任から一週間。俺は黙々と前任者の残した書類の山に頭を突っ込んでいた。


 そしてある朝、俺は決断した。手始めに自らペンを取って一枚の書類を書きつける。


 それが後の長い闘いの最初の一発になるとは――この時の俺はまだ知らない。



【本文】

 昭和十八年三月二十五日、早朝。


 市ヶ谷台の参謀本部執務室は、冷えきっていた。前夜どこかで雪がちらついたのか、窓ガラスの縁に薄氷の筋が走っている。俺は外套を脱がぬまま机の前に立っていた。


 机上には二枚の電報綴りが重なっている。


 一つは、在ローマ・日高信六郎ひだか・しんろくろう大使からの情報。米国カトリック教会のスペルマン・ニューヨーク大司教が、このところ頻りにバチカンへ出入りしているという。


 もう一つは、伊外相チアノがバチカン使節に任命された旨、加えて独外相リッベントロップの訪伊が予定されているとの報。


 ――まずい。


 俺は綴りの縁を指先で硬くでながら、腹の底で唸った。


 バチカンを舞台に、独伊と米英のあいだで何かが動き始めている。


 欧州における「局部和平」――独伊が日本抜きで米英と手打ちをし、その蚊帳の外に日本だけが残される。そんな絵図が脳裏をよぎる。



 ドイツが、裏切るかもしれぬ。



 三国同盟を奉じて盲信もうしんしてきた陸軍中央部の連中は、この可能性を一顧だにしていない。スターリングラードで独軍九万が降伏したのは、つい先月のことではないか。


 負けつつあるドイツにとって、戦争の早期終結はいま最も切実な国家利益となりつつある。日本との同盟など、ヒトラーが切り捨てるのに躊躇ためらう種類のものではない。


 俺はこの一週間、前任者の引き継ぎ書類を読み下し続けてきた。「腹案」――対米英蘭蔣戦争終末促進に関する腹案。開戦時に作られた、唯一の終戦方針。


 だが、その「腹案」はドイツの英国屈服を二段階で待つ希望的観測の羅列に過ぎず、いまや現実にはまったく追いついていなかった。


 「腹案」に代わる新しい終戦方策。それを誰かが書かねばならぬ。


 誰が、書くのか。


 俺は机に向かい、ペンを取った。


 手始めである。完成稿を起案するのではない。研究のとっかかりとして、まず一枚を自分の筆で書き出す。題を決めた。


 「帝国を中心とする世界戦争終末方策(案)」


 主眼はこうだ。独伊が米英との間で単独和平に動く可能性を最大の警戒対象とし、それに対して日本がいかに自国を中心とする世界戦争の終結方策を樹立すべきかを研究する。


 俺は罫紙けいしに、ゆっくりとペン先を走らせ始めた。


 第一項――「世界戦局ノ大観」。


 スターリングラード以後の独ソ戦の趨勢、北アフリカ戦線の枢軸軍の劣勢、太平洋戦線における日本軍の守勢化、米国の生産力と動員力の推移――これらを俯瞰ふかんする。


 第二項――「独伊単独和平ノ蓋然性がいぜんせい」。


 バチカンを舞台とする最近の動き、伊国内の厭戦えんせん気分、ドイツ国内の政治的不安。


 第三項――「帝国ノ採ルベキ方策」。


 独伊脱落の場合、日本が孤立を回避するためにいかなる先手を打つか。対ソ路線の堅持、対米英妥協和平の可能性の探求、戦時動員体制の長期化への備え。


 筆を置いた。


 まだ骨格である。これに肉を付ける作業は課員と共にやらねばならぬ。だが、出発点としてはこれで十分だ。


 俺は罫紙を綴じ、引き出しの奥に一旦しまった。


    *


 午前中、俺は書きつけた「案」のことをまだ誰にも話さなかった。


 昼食後、課員たちを自席の前に呼ぶ。


「諸君、本日より本課で一つの研究を始めたい」


 部屋の空気がわずかに引き締まった。種村が机の縁に手を置いた。野尻が姿勢を正した。田中が軽く頷いた。


「題は、『帝国を中心とする世界戦争終末方策』」


 俺は引き出しから罫紙を取り出し、机上に置いた。


「いま欧州では、バチカンを舞台に独伊と米英の水面下の動きが急速に進みつつある。最悪の場合、独伊が単独で米英と和平を結ぶ事態も想定せねばならぬ。その場合、日本は孤立した形で米英と直接向き合うことになる。その日に備え、いまのうちにわが国を中心とする世界戦争の終結方策を研究しておく必要がある」


 部屋に、しんと沈黙が落ちた。


 まず野尻が、はっきりと頷いた。


「課長殿のご構想、承知いたしました。小官は国力・物資の数字の面から、判断材料を引き続き整えます」


 次に田中が低く言った。


「小官は対独伊関係の文書整理を引き取らせていただきます」


 最後に、種村。


 種村はしばらく黙っていた。


 眉間に深いしわを寄せ、机の縁を指先でわずかに叩きながら、何かを考え込んでいる。


 俺は待った。急がせなかった。


 やがて種村が低く言った。


「課長殿。一つ、お伺いしたく」


「ご研究の結論が、もし上層部に対する具体的な『終戦の意見具申』にまで踏み込むものであるならば――それは参謀本部の分を明らかに越えております。参謀本部は必勝を期するために存在する機関であります。自ら『敗北の予測』に基づく具申を行うのは、組織の存在理由を自ら否定することになる」


 俺は種村の眼をじっと見た。


 彼の眼の奥にあるのは、敵意ではない。職業的良心がある。陸軍参謀としての矜持きょうじがある。


 「参謀本部とは何のために存在するのか」という軍人として最も基本的な問いに対する、彼なりの誠実な答えがそこにある。


 俺はゆっくりと言った。


「種村中佐。君の懸念は十分に理解した。重ねて言う。今は研究から始める。研究の結論をどう取り扱うかは、その時点で諸君と協議する」


「ありがとうございます」


「ただし一つ、言わせてくれ」


 俺は立ち上がり、机に手をついた。


「君は『参謀本部の分を越える』と言った。だが、考えてもみよ。参謀本部は誰のために存在するか。陸軍のためか。違う。陛下のためであり、国のためである。陛下と国を護るためであれば、参謀本部はその分を越えてでもすべきことをせねばならぬ」


 部屋の空気が再び引き締まった。


「参謀本部は必勝を期す機関である。そのことを俺は否定せぬ。しかし――」


 俺は種村の眼をまっすぐに見た。


「作戦を一番よく知っている参謀本部のなかからこそ、その『裏側』の声も出されねばならぬ。最悪の事態に誰よりも先に備える者が参謀本部のなかにいなくて、誰がいる」


 種村はしばらく俺の眼を見返した。


 それから、わずかに視線を落とした。


「……承知、いたしました」


 完全な納得ではない、と俺には分かった。彼の眼の奥にはまだ迷いがある。だが、それでも彼は俺の言葉を聞いた。聞いた上で、表向きは従うことを選んだ。


 それで十分だった。


 今日のところは。


    *


 俺は書きつけた「案」を種村の前に置いた。


「種村中佐。これは今朝、俺が手始めに起案した素案だ。あくまで俺の頭の中にある絵図を紙に落としただけのものだ。これを叩き台として、君に本課の正式な研究文書として書き直してもらいたい」


 種村は罫紙を手に取り、しばらく目を通した。


 彼の顔つきが少しずつ変わっていく。実務家としての種村が起動し始めたのが分かった。


 古株の幕僚として、起案文書をさばく呼吸は彼の身体に染みついている。たとえ内心に懐疑があっても、机に置かれた一枚の罫紙を見れば、彼の手は自然とそれを整える方向へ動き始める。


「課長殿の素案、骨格は明瞭めいりょうであります。第二項の独伊単独和平の蓋然性につき、小官が欧州内幕の電報を改めて整理し、判断材料を補強いたします。二日ほどお時間を頂戴できましょうか」


「構わん」


「三月二十七日午前中までに、本課の研究文書としてご提出いたします」


「頼む」


 種村は深く一礼し、自席へ戻った。


 俺は息を吐いた。


 着任から一週間で、ようやく本課が一つの研究を抱えることになった。


 しかしこれはまだ第一歩である。研究文書を仕上げ、それを陸軍省部の関係者に提示し、議論の俎上そじょうに乗せる。そこまでが俺の任務の最初の輪郭りんかくであった。


    *


 三月二十七日、午前。


 種村は約束通り、研究文書を提出してきた。題は俺の「(案)」を引き継ぎつつ、若干の修正が加えられていた。


 「帝国を中心とする世界戦争終末方策について」


 俺はそれを精読した。


 種村の文章は堅実だった。俺の素案にあった「独伊単独和平の蓋然性」の項は、丁寧に文献的根拠と電報情報が肉付けされ、判断の材料として申し分のない水準に仕上がっていた。


 第三項の「帝国ノ採ルベキ方策」については、あえて踏み込みすぎない抑制された筆致になっていた。


 ――これは、種村の「線引き」だ。


 研究はする。しかし、結論を性急に「終戦の具体案」へと押し出すことはしない。種村はその線で、自らの矜持と上司への従順とを両立させようとしている。


 悪くない。今のところは、それでいい。


「種村、よく書き上げてくれた」


「これを基礎に、軍務局・作戦部・作戦課の関係者を呼んで意見交換をしたい。日取りは三月三十日でよいか」


「承知いたしました。先方の都合は小官が調整いたします」


 種村は軽く頭を下げた。


 彼の表情は初日のように固くはなかった。仕事を一つ共にやり遂げた者の、職業人としての落ち着きがそこにあった。


    *


 三月三十日、午後。


 戦争指導課の小会議室に、四名が集まった。


 俺、軍務局長・佐藤賢了少将、作戦部第一部長・綾部橘樹少将、作戦課長・真田穣一郎大佐。三月十七日に着任して以来初めての、省部関係者を交えた意見交換である。


 佐藤局長は椅子に深く腰掛け、煙草に火をけた。綾部部長は書類を几帳面に揃え、小声で何かを真田に確認している。真田は最初から眉根を寄せていた。


「松谷君、戦争指導課は、何を始める気だね」


 席につくなり、真田は切り出した。


 漏れているのか。あるいは真田なら、漏れずともぎつけているか。俺は淡々と返した。


「世界戦争終末方策の研究を開始いたします」


 俺は種村が仕上げた研究文書を三人の前に配った。


「対独伊単独和平の警戒、対米英路線の設定、欧州局部和平からの切り離し防止策――これらを本課にて早急に詰めてまいりたく」


 真田の眉が、ぴくりと動いた。


「勝算の見えぬうちから、終末方策とは……」


「勝算の見える日まで待っていては、間に合いません」


「君は――悲観論者かね」


 俺は薄く笑った。悲観論者とののしられるのは初めてではない。昭和十三年以来、俺はずっとそう呼ばれ続けてきた男だ。


「悲観ではなく、直視であります」


「貴様はそれでも帝国軍人か!」


「そのつもりで、おります」


 沈黙が落ちた。


 佐藤局長が煙草の煙をゆっくりと吐き出した。


「真田君、いま頃そう声を荒げてももう遅い。スターリングラードで独軍九万が降伏したのは先月だ。バチカンの動きも看過できぬ。松谷君の言うことには聞くべきところがある」


「軍務局長」


「真田君、わしは賛成も反対もせぬ。ただ、研究することそれ自体を押さえつけるのは、わが軍の長期的な利益に必ずしもならぬ。わしはそう申し上げているのだ」


 佐藤の発言は、俺にとって思わぬ援軍であった。


 綾部部長が静かにせき払いをした。


「では、こういたしましょう。本日の意見交換の結論として――」


 綾部は書類に目を落とし、丁寧に言葉を選びながら続けた。


「一つ。速やかに世界戦争終末方策に関する準備を、戦争指導課にて進める。

 二つ。そのために、情報網の拡充を図る。

 三つ。政治工作の準備陣の構成についても、本課にて検討する」


 俺は深く頷いた。


 これは想定以上の前進であった。「終戦の意見具申」までは踏み込まぬ。しかし「世界戦争終末方策に関する準備」を組織として進めることは容認された。


 真田は最後まで眉根を寄せていたが、それ以上は反論しなかった。書類を懐に収め、無言で席を立った。出ていきしなに俺の眼を一瞥いちべつした。


 その視線の鋭さを、俺は胸に刻んだ。


 ――敵は、作ってしまった。


 部屋を出ながら、俺は一つだけ覚悟した。ならば味方を作らねばならぬ。


 胸中にひとつの名前が浮かんだ。酒井鎬次中将――参謀本部三階の奥、軍事研究会の連絡室で戦争指導の史的検討にあたっているという予備役の老将。


 今夜、訪ねよう。


 窓の外、市ヶ谷の中庭に低い夕陽が傾いていた。


    *


 その夕方、俺は自席に戻った。『機密戦争日誌』三月三十日の欄に、種村の手で書かれた事務的な記述に加えて、自ら筆を取り簡潔な一文を書き加えた。


 ――「『スペルマン』ノ訪伊、『チアノ』ノ『バチカン』使節任命、『リッペン』ノ訪伊等『バチカン』ヲ中心トスル欧州内幕ノ動キ機微ナルアルトキ、帝国独リ拱手傍観きょうしゅぼうかんシアルノミニシテストコロナカランカ、欧州局部和平ガ大東亜戦争ト別個ニ成立シ、帝国ノ運命絶望ノ深淵ニ放チ込マルル危険ナシトセザルベシ」


 帝国の運命、絶望の深淵――。


 筆を置き、俺は深く息を吐いた。


 この一文は、もし戦後に誰かがこの『機密戦争日誌』を発掘するならば、昭和十八年春の市ヶ谷で終戦を考え始めた男がいた、というあかしになるだろう。


 いや、いまはそんな後世への遺言など書いている場合ではない。


 俺は外套を羽織り、自席を立った。種村がこちらを一瞥した。


「課長殿、夕食はいかがされます」


「酒井中将殿のところに参る。遅くなる」


 種村の眉がわずかに動いた。


「……承知いたしました。閣下にどうぞよろしく」


 俺は参謀本部の階段を一段、また一段、上の階へと登っていった。



【後書き】(種村佐孝より)


 種村佐孝、再びご挨拶申し上げます。


 三月三十日の意見交換会で、課長殿が真田課長に「悲観ではなく、直視であります」と切り返された瞬間、私は内心で深く息を呑みました。


 その夜、課長殿が「酒井閣下のところへ」と仰って自席を立たれたとき、私は何故か胸が騒ぎました。


 あの予備役の毒舌の老将が、いま、わが課長殿の「師」となろうとしている。


 これは尋常ならぬ組合せだ、と直感いたしました。


 果たしてその直感は、当たることになります。


────────────────────────────


■ 人物紹介(生没年・当時の階級つき)


真田 穣一郎(さなだ・じょういちろう、1897年〜1957年、当時46歳)

 陸軍大佐(本話時点。のち少将・中将)。長野県出身。陸士31期、陸大40期恩賜(成績優等)。歩兵畑から作戦参謀として頭角を現し、昭和17年12月より参謀本部第二課長(作戦課長)。主戦派の中核として、本作では松谷の前に立ちはだかる最大級の対立者の一人。


佐藤 賢了(さとう・けんりょう、1895年〜1975年、当時48歳)

 陸軍少将(のち中将)。石川県出身。陸士29期。昭和17年4月より陸軍省軍務局長。東條内閣の陸軍統制の中核。


綾部 橘樹(あやべ・きつじゅ、1894年〜1968年、当時49歳)

 陸軍少将(のち中将)。昭和18年3月より参謀本部第一部長(作戦を統括)。真田穣一郎の直属上司。本話の意見交換会で、結論を取りまとめる調整役を演ずる。


日高 信六郎(ひだか・しんろくろう、1893年〜1976年)

 外交官。東京帝国大学卒、外務省入省。在伊大使館での長い経験を経て、昭和17年12月から18年9月まで在伊大使。本話時点で在ローマの日本国大使として、バチカン情勢を本国へ報告する立場にあった。


フランシス・スペルマン(Francis Joseph Spellman、1889年〜1967年)

 米国ニューヨーク大司教(のち枢機卿)。第二次大戦中、ローマ教皇ピウス十二世の信任を背景に世界各地を歴訪し、連合国・枢軸国双方との外交的接触を行った。1943年初頭の訪伊は、日本陸軍中央に「米英・独伊間の単独講和工作」への警戒を強く呼び起こした。


ガレアッツォ・チアノ(Galeazzo Ciano、1903年〜1944年)

 イタリアの政治家・外交官。ムッソリーニの娘エッダの夫。1936年から1943年2月までイタリア外相。本話時点では駐バチカン大使に転出。


ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(Joachim von Ribbentrop、1893年〜1946年)

 ドイツの外交官・政治家。1938年から1945年まで第三帝国外相。日独伊三国同盟締結(1940年9月)の独側責任者。


■ 用語集


「帝国を中心とする世界戦争終末方策(案)」

 昭和十八年三月二十五日、松谷誠戦争指導課長が手始めに自ら起案した素案。題名・着手日とも史料(『機密戦争日誌』)に忠実。独伊が米英との間で単独和平に動く可能性を最大の警戒対象とし、それに対して日本が今後の戦争終末方策をいかに樹立すべきかを研究する、課長着任後最初の研究事項。


「帝国を中心とする世界戦争終末方策について」

 昭和十八年三月二十七日、松谷の素案を基礎として種村佐孝中佐が起案した、戦争指導課の正式な研究文書。三月三十日の関係者意見交換会の叩き台となった。


省部しょうぶ

 陸軍省と参謀本部を併せた呼称。陸軍省は軍政(行政)、参謀本部は軍令(統帥)を担う両輪で、両者の関係者を「陸軍省部」と総称する。


局部和平きょくぶわへい

 第二次大戦における「部分講和」。枢軸国(日独伊)のうち、独伊のみが単独で米英と講和し、日本が蚊帳の外に置かれる事態を指す概念。松谷が昭和十八年春、最も警戒した外交的悪夢。


三国同盟(日独伊三国同盟)

 昭和十五年九月二十七日、ベルリンで調印された日独伊三国軍事同盟。


バチカン(バチカン市国)

 ローマ市内に位置するカトリック教会(ローマ教皇庁)の所在地。第二次大戦中、独立中立国として、連合国・枢軸国双方の水面下の外交接触の場となった。


陸軍省軍務局りくぐんしょう・ぐんむきょく

 陸軍省の中枢部局。軍政(兵備・予算・法令・人事方針等)を統括する。本話で佐藤賢了局長が登場。


参謀本部作戦課(第二課)/作戦部(第一部)

 参謀本部第二課(作戦課)および第一部(作戦部)。作戦立案と用兵の中枢。主戦派・強硬派の牙城として、本作では戦争指導課と対峙する位置に立つ。


「拱手傍観」(きょうしゅぼうかん)

 「拱手」(両手を組み合わせて何もしないこと)+「傍観」。何もせずただ見ている、という強い消極的姿勢を指す漢語。『機密戦争日誌』の原文に登場する強い表現。


■ 史実と創作について


【史実に基づく部分】

・昭和十八年三月二十五日、松谷課長が「帝国を中心とする世界戦争終末方策(案)」を手始めに起案したこと。題名・着手日とも『機密戦争日誌』に記録された史実です(軍事史学会編『機密戦争日誌 上』、山本智之『主戦か講和か』)。

・三月三十日に省部関係者との協議が行われ、(一)速やかに世界戦争終末方策に関する準備を進める、(二)情報網の拡充を図る、(三)政治工作の準備陣の構成を検討する、という方向が確認されたこと(『機密戦争日誌』昭和十八年三月三十日)。

・スペルマン大司教の訪伊、チアノのバチカン使節任命、リッベントロップ訪伊など、バチカンを中心とする欧州内幕の動きが当時の参謀本部で強く警戒されていたこと。本話末尾の『機密戦争日誌』三月三十日の引用文(「『スペルマン』ノ訪伊……帝国ノ運命絶望ノ深淵ニ放チ込マルル危険ナシトセザルベシ」)は同日誌の原文に基づきます。

・開戦時の「対米英蘭蔣戦争終末促進ニ関スル腹案」が、ドイツの対英屈服に依存した希望的観測の文書であり、昭和十八年春には現実と乖離していたこと。


【創作部分】

・三月三十日の協議の出席者の特定(佐藤賢了・綾部橘樹・真田穣一郎)と、会議中の具体的な発言・応酬(「貴様はそれでも帝国軍人か」等)は創作です。実際の協議の出席者・発言の詳細は史料に残されていません。

・課内での種村中佐との問答(「参謀本部の分を越える」をめぐるやり取り)は、種村の経歴と当時の課内の空気を踏まえた創作的再構成です。

・『機密戦争日誌』の当該記述を松谷自身が筆を取って書き加えたとする描写は演出です(同日誌は班員のリレー執筆であり、当該記述の執筆者個人は特定されていません)。


■ 参考文献

松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年

軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌 上』錦正社、2008年

種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房、1952年

山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年


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