第2話「俺、戦争指導課長となる」
【前書き】
種村佐孝、陸軍中佐であります。
わしは戦争指導課の古株として、松谷大佐殿が着任される前からこの課におりました。
正直に申しましょう。
わしは開戦前、主戦派でありました。
昭和十六年十月、参謀本部の作戦課長・服部卓四郎大佐に同調して、「即刻、対米英開戦すべし」と陸軍省に強く具申した一人であります。
その性根は松谷大佐殿が着任された昭和十八年三月の時点でも、すぐには抜けてはおりませなんだ。
お恥ずかしい限りです。
大佐殿の最初の数ヶ月、わしと大佐殿との間には、目に見えぬ薄い氷が確かに張っておりました。
本日ご覧いただくのは――その氷の、張り始めの場面であります。
* 昭和十八年三月十七日 午前十一時 戦争指導課
「松谷大佐殿でありますか」
扉を開けるなり敬礼で俺を迎えたのは、四十前後の中佐だった。
がっしりとした体格。鋭い目つき。左頬に小さな傷跡。
「種村佐孝中佐であります」
「松谷誠だ。よろしく頼む」
「はっ! お待ちしておりました」
その「お待ちしておりました」の一言が、いやに固かった。
俺は内心で身構えながら、室内を見回した。
戦争指導課の部屋は、思っていたよりもずっと小さい。
窓は二つ。
古い木製の机が四つ。
書棚が壁面を覆い、書類が几帳面に整理されて並んでいた。
電灯は天井から下がる裸電球が一つきり。
隣の作戦課が二十名を超える大所帯であることを思えば、これはもはや「課」と呼ぶには寂しすぎる規模だった。
種村中佐の背後には、二人の男が立っていた。
「田中敬二中佐であります」
四十代半ば。
穏やかな顔立ちに、生真面目さがにじんでいる。
支那派遣軍の参謀から、昨年末この課に転じてきた男だ。
「野尻徳雄少佐であります」
三十代後半。
眼の動きが鋭く、しかしどこか沈着な趣がある。
俺はその経歴を頭に入れていた。
陸士四十一期、陸軍省整備局物資動員課からの転任。物資動員――すなわち、日本の継戦能力そのものを数字で扱ってきた男である。
俺、種村、田中、野尻――総勢、四名。
これがこれから俺が指揮することになる「戦争指導課」のすべてだ。
俺は課長席に腰を下ろした。
椅子は古く、座面が少しへこんでいた。
前任者が長く腰掛けていたのだろう。
「皆、楽にせよ」
三人が一斉に頷いた。
……まずは型通りの挨拶であろう。
しかし俺は、型通りにはしないつもりだった。
「俺は英米派だ。そして中学校出だ」
部屋の空気が、わずかに動いた。
自己紹介の冒頭で、自分の弱点を二つとも明示する陸軍大佐は、確かに珍しいだろう。
「諸君がどう思っているかは知らぬ。陸軍中央でこの課がどう見られているかも、ある程度は察している」
俺は、三人を見回した。
「しかし――俺はこの課を参謀本部内の閑職とは思わぬ。為すべき仕事を、これから諸君と探していく。詳しい話は追ってする」
返事はなかった。
しかし野尻少佐が、はっきりと頷いたのが見えた。
田中中佐も静かに頷いた。
種村中佐は――表情を動かさなかった。
左頬の傷跡がわずかにひきつったように見えたのは、俺の気のせいだろうか。
「種村中佐」
「は」
「本課の業務の現況、執務手順、書類保管、課員の役割分担――一通り教えてくれ」
「承知いたしました」
種村中佐は立ち上がり、書棚へと向かった。
*
午前中いっぱい、俺は種村から課務の引継ぎを受けた。
戦況連絡。
大本営政府連絡会議への幕僚補佐。
各種研究案件の進捗。
いずれも事務的に整理されており、種村の実務能力の高さはすぐに分かった。
書類は几帳面に整頓され、書棚の段ごとに年次別・案件別に色分けされている。
「種村は、書類整理に一家言あるな」
「は。班員リレー式に書く『機密戦争日誌』も、昭和十四年末より小官、最も執筆量が多い者の一人かと存じます」
「ふむ」
ここで軽く笑ってよい場面だ。
しかし俺は笑わずに、頷いた。
俺と種村の間にはまだ氷がある。
一日や二日で溶かせるものではない。
ましてや昭和十六年十月、彼が「即刻開戦すべし」と陸軍省に詰め寄った主戦派同調者の一人である事実を、俺はすでに頭に入れている。
彼自身、それを俺が知っていることをおそらく察している。
午後、田中中佐と野尻少佐が、それぞれ自分の担当案件を簡潔に説明した。
田中中佐は支那事変関連の戦況分析を担当している。
野尻少佐は――これが、興味深かった。
彼は手元に、一枚の表を持っていた。
「課長殿、これは小官が物資動員課時代に作成し、昨日まで毎月更新しておりました『主要物資需給見透』であります」
俺はその表を受け取った。
数字が、整然と並んでいた。
石油、鋼鉄、ボーキサイト、米、塩――主要物資の生産・輸入・消費・備蓄が、月別に追跡されている。
俺は、その数字を一瞥して、息を呑んだ。
……これは。
「野尻少佐」
「は」
「この表のとおりに事が進めば、あと、何ヶ月で日本の継戦能力は限界を迎える」
野尻少佐は、躊躇なく答えた。
「鉄鋼につきましては、昭和十九年末をもって、艦船・航空機・弾薬の同時生産が物理的に不可能となります」
部屋の空気が、ピンと張った。
「液体燃料につきましては、ジャワ・スマトラからの還送が現在の三割減で推移すれば、昭和十九年夏以降、艦隊作戦そのものが困難となる見透しであります」
俺は、表に視線を落としたまま、しばらく動けなかった。
……数字は嘘をつかぬ。
精神論は、数字には勝てぬ。
昭和十九年夏。
いまから一年半。
それまでに「終わらせ方」を決めねば、日本という国は、戦うことすら物理的にできなくなる。
「野尻少佐」
「は」
「本課に来てくれて、助かった」
俺はそれだけ言った。
野尻少佐は、無言で深く頷いた。
その隣で、種村中佐が、わずかに眉を動かしたのが見えた。
……種村中佐の眼が、野尻の表を凝視している。
彼ほどの古株なら、この数字の意味を瞬時に理解したはずだ。
そして俺の関心が、この数字に向いている――それが何を意味するか、彼は察した。
しかし種村中佐は、何も言わなかった。
俺もそれ以上、何も言わなかった。
今日のところは、これで十分だ。
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* 作戦課の眼
午後三時頃、隣の作戦課から課員が一人、書類を届けに来た。
すれ違いざま、俺の顔をちらりと見て、にやりと笑った。
「英米派の松谷大佐殿、ようこそ市ヶ谷へ」
声には出さぬ。
しかしその表情がはっきりと、そう言っていた。
俺は軽く会釈を返し、書類を受け取った。
彼が出ていった後、野尻少佐が低く呟いた。
「課長殿。作戦課は本課を、ずいぶん下に見ております」
「知っている」
俺は書類を机に置き、野尻少佐の眼を見た。
「この課が『参謀本部の閑職』と陰で呼ばれていることも。だが――君が見ている通り、世界の戦況は、すでに作戦課の想定の外側へ動き始めている。閑職とは、いつまでも続かぬ」
野尻少佐の眼が、わずかに光った。
種村中佐は、無言で書類を整えていた。
聞いていないようでいて聞いている――その背中が、そう告げていた。
俺はこれでよし、と思った。
今日、種村中佐との氷はまだ溶けない。
しかし野尻少佐の眼が光った。
それで十分だ。
長期戦になる。
覚悟はしている。
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* 夜、ひとり
その夜、午後八時。
戦争指導課の部屋には、俺ひとりが残った。
窓の外、市ヶ谷の中庭に夜の闇が深く落ちている。
杉山閣下の白紙の書類。
陛下の御意向。
種村の鋭い問い。
野尻の冷徹な数字。
田中の静かな従順。
俺は立ち上がり、机の引き出しの奥から私物の手帳を取り出した。
鍵のかかる、革表紙の手帳だ。
これは誰にも見せぬ。
種村にも、野尻にも、田中にも――そして妻にも見せぬ。
俺だけの、もう一つの『機密日誌』。
ペンを取り、最初の一行を書き込んだ。
──昭和十八年三月十七日、戦争指導課長着任。杉山閣下より無言の負託あり。野尻冷徹にして数字の人、田中堅実、種村は古株なれど、昭和十六年十月の主戦派同調の素地、未だ抜けず。彼の眼の奥に、最後に鋭き問いを認む。長き道と思え。
筆を置く。
革表紙を閉じ、引き出しの奥に戻し、鍵を掛けた。
明日からは、書類の山を漁ろう。
前任者の引き継ぎ書類、開戦時の「腹案」、各種研究資料――読み込んだ上で、俺は何を始めるべきかを、見極めねばならぬ。
そして――酒井閣下を訪ねる。
杉山閣下のお言葉――「人を見る眼がある。君を見抜くだろう」。
あの毒舌の老将に、見抜かれてみたい、と俺は思った。
見抜かれた上で、許される弟子となるのか。
あるいは、突き返されるのか。
いずれにせよ、明日から俺の闘いは、本格的に始まる。
窓の外、市ヶ谷の空には星が出ていなかった。
しかし――俺の胸の中ではもう、星が一つ灯っていた。
たった一人で、終戦の研究を始める。
誰にも見せぬ手帳に、毎夜、現状を刻み込む。
そして明日、軍事研究会の老将を訪ね、もう一つの「車輪」と結ぶ。
道は孤独だ。
しかし孤独な道は、必ずしも寂しい道ではない。
俺は革表紙の手帳の上に、軽く右手を置いた。
平らで薄い、革の手触り。
その下にいま、たった一行が確かに書かれている。
書類にできない、しかし決して消えぬ、最初の一行が。
【後書き】
松平康昌、内大臣秘書官長と申します。
……松谷大佐殿が、戦争指導課のあの小さな部屋で、私物の手帳に最初の一行を書き込まれた、その夜。
わたくしは宮中におりました。
あの日、松谷大佐殿の存在をわたくしは、まだ知りません。
しかし――ほぼ同じ頃、内大臣・木戸幸一閣下とわたくしは、ある懸念を共にしておりました。
ドイツの戦況が思わしくない。
ヨーロッパの均衡が崩れた時、日本はどうなるのか。
陛下の御懸念はすでにわたくしどもの耳にも届いておりました。
しかし宮中から軍へ、いかにしてその御懸念をお伝えするのか――その細い道筋がまだ見えずに、わたくしどもは夜ごと、思案を巡らせておったのです。
松谷大佐殿とわたくしの邂逅は、まだ半年以上、先のこと。
しかし運命の歯車はすでに、市ヶ谷台と、宮中と、外務省と――そして、まだ顔も知らぬ海軍の何処かで、同時に動き始めておりました。
次回、その歯車のひとつが最初の音を立てます。
春、四月二十一日。
重光葵閣下、外務大臣に御就任。
同時に松谷大佐殿は、生涯の盟友となる、ある若き外交官と運命的に出会われることになるのです。
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【本話新規登場の主要人物】
種村 佐孝(たねむら・すえたか、1902年〜1966年、当時41歳)
陸軍中佐。陸軍士官学校37期。北支那方面軍参謀から1939年12月に参謀本部戦争指導課に転じ、本話時点で課内最古参。開戦前の昭和16年10月、作戦課長・服部卓四郎大佐に同調して「毎日毎夜参内し、即刻開戦の必要を奏上すべし」と陸軍省に詰め寄った主戦派同調者の一人。本話時点では、その性根がまだ抜けきっていない。一方で書類整理の名人として、班員リレー式の『機密戦争日誌』(後に『大本営機密日誌』として公刊)の主要執筆者。本話では松谷の終戦研究方針に当初は戸惑い・反発を抱くが、後に松谷の冷徹な情勢分析に深く共鳴し、戦争指導班長として終戦工作に従事することになる。松谷の支那派遣軍左遷後も、戦争指導班を陰で守り続けた重要人物。
田中 敬二(たなか・けいじ、生没年不詳)
陸軍中佐。陸軍士官学校39期。支那派遣軍参謀を経て、1942年12月から参謀本部戦争指導課員。真面目で律儀な実務型の将校。支那事変関連の戦況分析を担当し、陸軍内の対中国政策における穏健派的見解を提供した。
野尻 徳雄(のじり・とくお、生没年不詳、当時30代後半)
陸軍少佐。陸軍士官学校41期。陸軍省整備局物資動員課から1943年2月に戦争指導課に転任。物資動員のデータに精通し、日本の継戦能力を数字で冷徹に把握できる若き俊英。本話では、鉄鋼・液体燃料の需給逼迫を具体的な月次データで松谷に提示し、「昭和19年夏に艦隊作戦が物理的に不可能になる」という冷徹な見透しを語る。
服部 卓四郎(はっとり・たくしろう、1901年〜1960年、当時42歳) ※本話では名前のみ言及
陸軍大佐。陸軍士官学校34期。1941年7月から1942年12月まで参謀本部作戦課長。陸軍主戦派の中核として開戦から数々の作戦立案を主導した。本話時点では、戦況の悪化にもかかわらず依然として強硬な主戦論を維持しており、松谷の最大の対立者の一人となる。「外柔内剛」の典型的人物像で、表面は温厚だが内には鉄の意志を持つ。本作後半で、松谷の左遷劇の遠因となる。
【本話に登場する主要用語】
機密戦争日誌
戦争指導課/班(第二十班)の班員(種村佐孝・橋本正勝ら)がリレー式に交替で執筆した公式の業務日誌。昭和十四年末から終戦に至るまで継続的に記述された。事務的記録のみならず、班員の生々しい本音や憤激、上層部への批判も交えて記された極めて貴重な一次史料。「服部・真田・東條らの主戦論に対する激越な批判」も多く含まれており、戦争指導班の人間ドラマを今に伝える文書である。戦後、種村佐孝編で『大本営機密日誌』(芙蓉書房、1952年)として公刊された。本作で松谷の私物の手帳は、これとは別の創作的補助設定として導入し、公式日誌に書けない事項を記す場所として機能させている。
作戦課
参謀本部第二課。陸軍の作戦立案を担当する花形部署で、戦争指導課とは構造的に対立関係にあった。陸軍幼年学校出身者が大半を占める「本流中の本流」で、戦争指導課のような長期戦略部署は「閑職」と見られていた。1943年3月時点の作戦課長は綾部橘樹大佐で、後に真田穣一郎大佐に交代する。1944年以降、松谷の終戦研究案を「敗北主義」として激しく拒絶し、左遷劇の引き金となる。
陸軍士官学校三十五期・三十七期・三十九期・四十一期
松谷は陸士35期(1923年卒)、種村は37期(1925年卒)、田中は39期(1927年卒)、野尻は41期(1929年卒)。すべて松谷の後輩にあたる。陸士の期は陸軍内の序列を決定する重要な指標であり、同期内では成績順位が、異期間では卒業年次が、その後の処遇に大きく影響した。
整備局物資動員課
陸軍省整備局に置かれた、戦時下の主要物資需給を計画・統制する課。鉄鋼・石油・ボーキサイト・米・塩などの生産・輸入・消費・備蓄を月次で把握し、軍需と民需のバランスを調整する役割を担っていた。野尻少佐が物資動員課時代に作成していた「主要物資需給見透」は、日本の継戦能力の限界を最も冷徹に示す数字の集合体であり、これを見れば「いつまで戦えるか」が一目で分かるものであった。




