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第1話「市ヶ谷の白紙――俺は、戦争を終わらせる男になる」

【前書き】


 松谷誠だ。陸軍大佐、四十歳。


 いま俺の手の中には、一枚の白紙がある。


 昭和十八年三月十七日、市ヶ谷台の参謀本部、参謀総長執務室。


 俺はこの白紙を、参謀総長閣下から直々に手渡された。


「君の仕事は、この紙のごとくにあれ」


 ……閣下、それはつまり、こういう意味でしょうか。


 誰にも見せず、誰にも語らず、しかし――この戦争を終わらせろ。


 たった一人で、陸軍中枢のど真ん中で。


 俺の物語は、この白紙から始まる。


 プロローグ 昭和二十年(一九四五年)八月十五日 正午


 ザザッ、と雑音が走った。


 永田町、首相官邸の秘書官室。


 磨き上げられた木の床に、夏の陽光が斜めに差し込んでいた。


 俺は息を止めて、ラジオの前に立っていた。


 午前中までの猛暑が嘘のように、室内の空気だけが冷えていた。


 誰一人、口を開かない。


 俺の左隣には、白い詰襟の海軍少将――高木惣吉が立っている。


 眼鏡の奥の細い眼。冷静沈着な海軍の智将は、いつものように口の端を結んだまま、ラジオを見つめていた。


 俺の右隣には、宮中の松平康昌秘書官長。


 松平春嶽公の孫にあたる、温容の最年長格。「内」の人。


 瞼を半分閉じて、まるで祈りを捧げるように、ただ立っている。


 そして俺の前――ラジオを挟んだ向こう側に、外相秘書官の加瀬俊一。


 俺と同い年の、英米通の俊敏な外交エリート。


 普段は機知に富んだ軽口で場を和ませる男が、今日ばかりは唇を噛みしめて、まばたきもしない。


 ……陛下の玉音が、流れ始めた。


 ザッ、ザッ、と入り混じる雑音の向こうで、低くしかし澄み切った御声が、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」


「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」


 俺は、自分の頬がいつのまにか濡れていることに気づいた。


 ああ――終わったのだ。


 大東亜戦争。


 三百万を超える日本人の命を奪い、東京を、大阪を、広島を、長崎を焼き尽くしたあの戦争が、ようやく終わった。


 「聖断」によって。


 俺たち四人――陸の松谷、海の高木、外の加瀬、内の松平――が、二年と五ヶ月にわたって秘かに動かしてきた歯車の、その先で。


 高木が、ぽつりと呟いた。


「……松谷さん」


「ああ」


「俺たちは、間に合いましたな」


 俺は頷くこともできず、ただ天井を仰いだ。


 脳裏に、走馬灯のように――いや、違う。


 一つの場面だけが、鮮明に蘇った。


 二年前、昭和十八年三月の、あの日。


 市ヶ谷の総長室で、俺が一枚の白紙を手渡された、あの瞬間。


 すべては、あそこから始まったのだ。


────────────────────────────


 昭和十八年三月十七日 朝 市ヶ谷台


 歯車を、二年半ほど巻き戻させてもらおう。


 昭和十八年三月十七日――俺が「終戦への道」を歩み始めた、その日。


 あの朝、俺はまだ、自分が何者になろうとしているのか知らなかった。


      *


 市ヶ谷台の坂を、俺は黒塗りの軍用車から降りて、ひとり登っていた。


 春の朝。


 桜はまだ(つぼみ)で、坂沿いの桜並木は灰色の枝を空へと伸ばしている。


 風はまだ冷たい。


 革靴が砂利を踏むザリッ、ザリッという音だけが、静かな台地に響いていた。


 俺の名は松谷誠。


 陸軍大佐、四十歳。


 石川県金沢の生まれで、福井の松谷家に入籍した男だ。


 経歴だけ並べれば、悪くない。


 金沢二中。陸軍士官学校三十五期を三番で卒業。陸軍大学校を経て、参謀本部情報部欧米課英班、駐英陸軍武官補佐官としてロンドン勤務二年半。


 ――ただし。


 俺は陸軍幼年学校の出ではない。普通の中学校から陸士を受けた口だ。


 そして英米派。


 この二つは、いまの陸軍中枢において、ほぼ「致命傷」と言ってよい。


 陸軍の本流を歩むのは、幼い頃から軍人として純粋培養された幼年学校出身者たちだ。


 作戦課や軍務局といった中枢の椅子は、ほぼ彼らで埋まっている。


 中学校出の俺は、どこまで行っても傍流。


 しかもドイツ派が主流の陸軍中央において、英米派の俺の意見など、ろくに聞かれもしない。


 帰途に立ち寄ったアメリカでの見聞すら、報告書を求められもしなかった。


 その俺が、なぜいまここにいるのか。


 本日付をもって、俺は参謀本部第十五課――通称「戦争指導課」の課長を命じられた。


 戦争指導課。


 名前だけ聞けば、いかにも陸軍中枢の中枢だし、非常に物々しい課だ。戦争を指導する部署とはなかなかすごい気がする。名前だけは。


 だが、その実態は違う。


 陸軍の権力は作戦課にある。作戦課が「どう戦うか」を決め、戦争指導課はそれを横目で「どう導くか」を考える――ことになっている。


 なっているだけだ。


 実際には、作戦課の連中は、戦争指導課の言うことなどほとんど聞かない。


 しかも、その課長に英米派で中学出の俺が任じられた。


 ……いったい誰が、何を考えてこんな人事を組んだのか。


 俺はその答えを、これから訊きにいくところだった。


      *


「松谷大佐、お入りなさい」


 参謀本部三階。


 参謀総長執務室の重い扉が、副官の手によって内側へと引かれた。


 室内は、暖炉の遠い熱と、シガレットの煙の匂いが微かに混じり合った独特の空気で満ちていた。


 窓の外、皇居の方向に、薄い霞がかかっている。


 俺は直立不動で敬礼した。


「は、本日付をもちまして、参謀本部第十五課課長に着任いたしました、松谷誠陸軍大佐であります」


「うむ。よく来てくれた」


 杉山元(すぎやま・はじめ)参謀総長は、執務机の向こうでゆっくりと振り向いた。


 ずんぐりとした体躯。太い眉。福岡県人らしい、どこか鷹揚(おうよう)とした風貌。


 しかし、その眼の奥は深い。


 陸軍三長官――参謀総長、陸軍大臣、教育総監――そのすべてを経験した、陸軍きっての重鎮。


 内閣総理大臣でもある、東條英機現陸軍大臣より五年も先輩にあたる男だ。


「松谷君、君を呼び戻したのは、わしだ」


「は」


「理由はいずれ察してくれよう。今日は何も言わぬ。ただ一つだけ、申し渡す」


 杉山は机の上の書類入れから、一枚の紙を取り上げた。


 そしてゆっくりと、それを俺の方へと滑らせた。


 紙が、机の表面を擦りながら近づいてくる。


 受け取って一瞥(いちべつ)して――俺は息を呑んだ。


 白紙だった。


 何も書かれていない。


 縁の罫線(けいせん)すらない、ただの真っ白な紙。


「……閣下、これは」


「君の仕事の内容は、その白紙のごとくにあれ、ということだ」


 杉山は声を一段低くした。


「誰にも見せず、誰にも語らず――しかし確かに書かれている。わかるな、松谷君」


 時間が止まった気がした。


 俺は白紙を持つ手が、わずかに震えるのを感じていた。


 杉山閣下の言葉の意味するところは――


「天皇陛下は」


 杉山は、声を一段さらに落とした。

 

 俺は「天皇陛下」という言葉に体を緊張させ、直立不動の姿勢を取った。


 室内には俺と閣下しかおらず、副官すら扉の外に下がっている。


 それでもその言葉は、ほとんど唇の動きだけで紡がれた。


「戦争の前途を、深くご懸念あそばしておられる」


「……っ」


 俺は息を止めた。


 陛下の御心。


 いま俺は、この国の参謀総長の口から直接、その一事を聞かされている。


 昭和十八年三月。


 この時点で陸軍中央において「戦争の終わり」を口にすることは、口にした瞬間に敗北主義者として葬られることを意味する。


 それを参謀総長が――しかも陛下の御懸念という最強の御旗を掲げて――俺一人に告げているのだ。


「だが、それを表で口にすれば必ず潰される」


「は」


「だから書くな。誰にも語るな」


 杉山は、白紙を(あご)で示した。


「ただし――確かに研究せよ。一人で密かに、しかし決して諦めるな」


 俺は深く一礼した。


「拝承いたしました」


 顔を上げて、閣下の眼を見た。


 深く静かな眼だった。


 この人は自分が「便所の扉」と陰口を叩かれていることを知っている。


 意志薄弱な総長だと言われていることも。


 それを甘んじて受けながら、こうして俺一人だけに本心を託している。


 承詔必謹(しょうしょうひっきん)


 (みことのり)(うけたまわ)っては必ず謹む。


 杉山閣下の行動原理は、ただその一点にあるのだ。


「もう一つある」


 杉山は椅子の背にもたれ直した。


「君は一人ではない。参謀本部三階の奥に、酒井鎬次中将が居る。予備役だが、わしが嘱託として残してもらっておる老将だ」


「は」


「沢田茂中将、桑木崇明中将、橋本群中将らと、軍事研究会という名で参謀本部外の一室を借りて研究を続けている。連絡窓口はロシア課だ」


 杉山は、ふっと息をついた。


「彼らはわが陸軍の知嚢(ちのう)である。失えば二度と戻らぬ知見の塊だ。――酒井閣下を訪ねよ」


「は」


「ご教示を乞え。彼は毒舌で有名だ。だが人を見る眼がある。君を見抜くだろう」


「ありがたく」


「行ってよい」


 俺は白紙を(ふところ)に押し込み、総長室を辞した。


 扉が副官の手で、後ろから音もなく閉められた。


      *


 廊下に出た瞬間、俺はようやく息を吸った。


 革靴がコツ、コツ、と磨き上げられた板張りを叩く。


 その音が、いまの自分の鼓動と重なった。


 ――俺はいま。


 陛下の御懸念を直接聞かされ、参謀総長から「戦争を終わらせる研究」を密かに命じられた。


 白紙の書類。


 誰にも見せるな。


 誰にも語るな。


 ……そんな仕事が、人類史上、存在するか?


 恐ろしさが背筋を駆け上がった。


 しかし、それと同じくらいの強さで、ある感情が胸の奥から湧き上がってきていた。


 誇り、と言うにはまだ早い。


 ただ――。


 俺がロンドンで二年半をかけて見たもの。


 あの圧倒的な工業力、あの底知れない国民の地力。


 それを「報告するな」と一蹴された日々。


 「ドイツ必勝」と無邪気に信じる参謀たちの、根拠のない楽観論。


 あれを見たのは、陸軍中央で俺だけだ。


 あれを正確に冷徹に、データに基づいて分析できるのは、おそらく俺だけだ。


 ならば。


 俺がやらねば、誰がやる。


 俺はもう一度、懐の白紙の感触を軍服の上から確かめた。


 平らで薄く、何も書かれていない、たった一枚の紙。


 しかし――その重さは、皇国の命運そのものだった。


────────────────────────────


* もうひとつの扉


 廊下の角を曲がると、市ヶ谷台の中庭が窓の向こうに見えた。


 桜の蕾が、灰色の枝先で固く閉じている。


 杉山閣下は、こうも仰った。


「君は一人ではない」


 参謀本部三階の奥に、軍事研究会というもうひとつの「車輪」がある。


 実務組織である戦争指導課と、頭脳集団である軍事研究会――この二輪を共に動かして、はじめて白紙の上の構想は形を成す。


 まずは戦争指導課――俺の自課に、足を運ばねばならぬ。


 俺は廊下の奥へ、歩を進めた。


 第十五課――戦争指導課の部屋は、参謀本部三階のもっとも奥まった一角にある。


 その扉の前で、俺はふと足を止めた。


 扉の向こうには、これから俺の部下となる男たちが待っている。


 古参の中佐、若い少佐、堅実な実務家。


 その中に、おそらく――味方も敵もいる。


 少なくとも最初は、すべてが「未知」だ。


 白紙の書類は、まだ懐の中にある。


 彼らに見せるわけにはいかない。


 陛下の御懸念も、杉山閣下の密命も、口にすることはできない。


 しかし彼らと共に走らねば、俺の研究はたった一人の机上の空論に終わってしまう。


 ……どこから、どう始めるか。


 俺は扉の真鍮(しんちゅう)製の取手に手をかけた。


 冷たい。


 しかしその冷たさは、もう嫌ではなかった。


 扉の向こうで、新しい戦場が始まる。


 俺、松谷誠の二年五ヶ月にわたる孤独な戦いの第一の本陣で――三人の男たちが、これから俺をどう迎えるのか。


 俺は扉を、押し開けた。


【後書き】


 加瀬俊一(かせ・としかず)、外相秘書官であります。


 ……松谷大佐がこの白紙を懐にしまい込んだとき、わたくしと彼はまだ会っていない。


 いや、実は共にロンドン大使館時代に会っていたのだが、どうやら彼は覚えていないらしい。ちょっと悲しい。


 わたくしが松谷大佐と志を共にして行動するのは、これから一ヶ月ほど後のこと。


 重光葵閣下が外務大臣に就任され、わたくしが秘書官として外務省に戻った、その春の終わりの夕刻のことになります。


 軍人らしからぬ、知的でどこか寂しげな眼をした男がやって来た――それが、わたくしの第一印象でありました。


 あの時のわたくしは、まだ知らなかったのです。


 彼が市ヶ谷の総長室で、たった一人で「白紙」を背負ってきた男であることを。


 そしてわたくし自身、外務省という別の戦場で、これから彼と全く同じ重荷を負うことになることを。


 次回、その出会いの日が訪れる前に――松谷大佐はまず、自課の部下たちと向き合わねばなりません。


 その三月十七日の午後。


 市ヶ谷台の小さな部屋で、大佐は最初の「氷」と出会うことになります。


────────────────────────────


【本話登場の主要人物】


松谷 誠(まつたに・まこと、1903年〜1998年、当時40歳)

本作主人公。陸軍大佐。石川県金沢市小立野出羽町に奥泉嘉太郎の五男として生まれ、後に福井県人・松谷覃思の養子となる。金沢二中、陸軍士官学校三十五期(三番卒業)、陸軍大学校を経て、昭和十年末より駐英武官補佐官として渡英、約二年半ロンドンに駐在。帰国時にはアメリカを経由し、米国の産業力を実地に観察した。陸軍内では数少ない「英米畑」の軍人として、独伊偏重の主流派からは「悲観論者」「消極論者」と陰口を叩かれた異端児。陸軍省軍務局を経て支那派遣軍参謀として南京で重光葵と知遇を得、本話冒頭の1943年3月17日に参謀本部第15課(戦争指導課)課長に着任。陸軍中央では中学校出身・英米派ということで傍流に位置するが、客観的な国際情勢分析能力に優れ、戦後も「知られざる救国の軍人」と評される。


杉山 元(すぎやま・はじめ、1880年〜1945年、当時63歳)

陸軍大将・参謀総長(本話時点)。福岡県人。陸軍士官学校12期。日中戦争の発端となった盧溝橋事件の当時の陸軍大臣であり、アジア・太平洋戦争開戦時の参謀総長として陸軍三長官(参謀総長・陸軍大臣・教育総監)すべてを経験した重鎮。東條英機現陸相より5年先輩で、「闘争心と統制力との強い東条陸相も杉山総長より五年の後輩で慎みがあった」と言われた。陸軍内では「便所の扉」「ボヤ元」「ロボット」と揶揄されたが、実際には部下の意見を引き出して組織を動かす「家康タイプ」の能吏型軍人。表向きは主戦論を維持しつつ、内心では昭和天皇の「承詔必謹」の意を体し、ひそかに早期終戦への地ならしを進めていた中間派。本話で松谷を抜擢し、「白紙の書類」の比喩で終戦研究を密命する。


昭和天皇(裕仁天皇、1901年〜1989年、当時42歳)

日本国第124代天皇。本話時点では即位18年目。1943年3月、ドイツの戦況悪化を憂慮し「一刻も速やかに戦争を終結することが肝要である」と早期終戦への関心を周囲に示唆された。


加瀬 俊一(かせ・としかず、1903年〜2004年、当時40歳)

四人組の一人。外務省官僚。本話時点では英米課長(米英留学経験豊富な外交エリート)。1943年4月、重光葵が外相に就任すると同時に外務大臣秘書官として松谷との連携を深める。読売新聞では「最も外交官らしい人物」「目から鼻へ抜けるような頭のよさ」「巧みな英語」と評され、多くの外務大臣に仕え、特に戦中の外相である重光葵、東郷重徳から絶大な信頼を得た。


松平 康昌(まつだいら・やすまさ、1893年〜1957年、当時50歳)

四人組の一人。内大臣秘書官長(本話時点)。幕末の名君・松平春嶽の孫。イギリスとフランスで政治哲学を学び「極めて自由な思想」を抱き、西園寺公望ら自由主義的指導者から厚い信任を得て宮中入り。木戸幸一内大臣の女房役として、天皇・皇族・重臣・閣僚・陸海軍首脳・部外有力者など広範多岐な関係者間の連絡調整を見事にこなした。温容で品格ある最年長格。


高木 惣吉(たかぎ・そうきち、1893年〜1979年、当時49歳)

四人組の一人。本話時点では海軍大佐(後に海軍少将)。米内光政海相のブレーン。貧しい農家に生まれ、製本工場で職工として働きながら夜学に通い海軍兵学校・海軍大学校(首席卒業)を経た異色の経歴。海軍大臣秘書官時代の激務で肺結核を患うも克服。「同期の有馬や同僚の多くが第一線で死闘を続けていることを思ったら、これは内地にいる自分が命をかけて成し遂げねばならぬ任務だ」と決意し、終戦工作に身を投じる。


酒井 鎬次(さかい・こうじ、1885年〜1946年、当時57歳)

予備役陸軍中将。陸軍士官学校20期。フランスのソミュール騎兵学校に留学し、フランス軍事思想に通じた戦略論の権威。著名な戦史研究家でもあり、東條英機を真正面から批判する数少ない陸軍将官の一人。本話時点では参謀本部嘱託として軍事研究会を主宰し、沢田茂中将・桑木崇明中将・橋本群中将ら東條に好まれぬ将軍たちが集まる。「東条の私兵」と言われた憲兵にマークされる立場でありながら、杉山参謀総長の庇護のもと中央に残っていた。


東條 英機(とうじょう・ひでき、1884年〜1948年、当時59歳)

陸軍大将・内閣総理大臣・陸軍大臣兼任(本話時点)。陸軍士官学校17期。本話には登場しないが、本作最大の主戦派・対立者として今後の各話で頻出。


【本話に登場する主要用語】


参謀本部(さんぼうほんぶ)

陸軍の作戦・用兵・動員・戦争指導を統轄する統帥機関。陸軍省(軍政担当)と並ぶ帝国陸軍の二大機関。本部所在地は東京・市ヶ谷台(現在の東京都新宿区市谷本村町)。総長(参謀総長)を頂点に、第一部(作戦)、第二部(情報)、第三部(運輸通信)、第四部(戦史)などが置かれる。本話の戦争指導課(第15課)は組織図上、第一部に属していた。1943年10月に「戦争指導班」(第20班)へと縮小改組され、総長・次長直属となる。


第十五課(戦争指導課/だいじゅうごか・せんそうしどうか)

参謀本部内で長期国策・戦争指導の研究を担う課。昭和十一年(1936年)に石原莞爾の主導で創設された。長期戦略を扱うため作戦課からは「閑職」と見られがちだったが、開戦・終戦に関わる根本問題を扱う性格上、組織は小さくとも戦争指導において重要な位置を占めた。本話時点で松谷が課長として赴任、課員4名(課長・松谷誠大佐、課員・種村佐孝中佐、田中敬二中佐、野尻徳雄少佐)の小規模組織。


陸軍三長官(りくぐんさんちょうかん)

陸軍の最高位三役、すなわち参謀総長(統帥部の長)、陸軍大臣(行政権の長)、教育総監(教育権の長)。原則として陸軍大将のみが就任可能な最高ポストで、この三長官の合議で陸軍人事・大方針が決まる。杉山元はこの三長官すべてを経験した極めて稀な人物であり、東條英機をもってしても容易には逆らえぬ重みを持っていた。


幼年学校(ようねんがっこう)出身者と中学校(ちゅうがっこう)出身者

陸軍士官学校への入学経路は二つあった。(1)13歳前後で陸軍幼年学校(全寮制・5年間)に入学し、陸士に進む者と、(2)旧制中学校から陸士を受験する者である。前者は陸軍が「純粋培養」した本流組で、独自の同窓意識(クラスメイト的結束)を持ち、参謀本部作戦課・陸軍省軍務局など陸軍中枢のエリートポストはほぼ彼らで占められていた。後者は出世面で構造的に不利とされた。松谷は(2)の中学校出身であり、陸軍内では「異端児」「傍流」と見られていた。


英米派(えいべいは)

当時の陸軍内で、対米英関係を重視し、欧米列強との協調を志向する一派。駐英・駐米武官経験者が中心で、国際情勢を客観的・合理的に分析する傾向があった。少数派であり、ドイツ派の主流に押されて発言力は弱かった。松谷誠、酒井鎬次、林三郎(後の参謀本部ロシア課長)らが代表的人物。


ドイツ(どいつは)

当時の陸軍主流派。日独伊三国同盟を中軸に、ドイツの戦勝に依存した戦争指導を志向した。在独陸軍武官の大島浩、有末精三が中心。「先制主動」の精神論を重視し、ドイツ軍の電撃戦を高く評価する一方で、米英の工業生産力・国民地力を過小評価する傾向があった。1940年代の陸軍中央において圧倒的な発言力を持っていた。


承詔必謹(しょうしょうひっきん)

(みことのり)(うけたまわ)りては必ず謹む」――天皇の御意向に、いかなる逆風があろうとも忠実に従い抜く態度。本作の杉山の行動原理を示す根本理念であり、後の阿南惟幾陸相、梅津美治郎参謀総長ら、終戦時の陸軍首脳に共通する精神的支柱でもある。表向きは主戦論を唱えつつ、天皇の早期終戦の意を察知して密かに地ならしをするという複雑な行動を可能にした思想的基盤。


軍事研究会(ぐんじけんきゅうかい)

酒井鎬次中将が中心となり、参謀本部嘱託として戦略・戦史を研究する非公式の研究会。沢田茂中将、桑木崇明中将、橋本群中将ら、東條英機に好まれぬ予備役級の将軍たちが集まる。表向きは戦史・戦略の学術研究機関だが、実質的には陸軍内の早期講和派・反東條派の知的拠点として機能していた。

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