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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉


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第23話「橋本少佐と戦争指導班の怒り」

【前書き】 橋本正勝(参謀本部戦争指導班員)の回想

わたくしは橋本正勝、当時陸軍少佐である。


 昭和十九年六月二十三日の午後――あの日わたくしは生まれてはじめて、紙の上で人を殴った。


 殴った相手は参謀本部第一部長・真田穣一郎少将閣下、第二課長・服部卓四郎大佐、そして参謀総長兼陸軍大臣兼内閣総理大臣・東條英機大将。


 いずれもわたくしのような一介の班員が口にすることすら憚られる、雲の上の方々であった。


 あの日のわたくしはもはや、それを憚る心の余裕を失っていた。


 市ヶ谷台、罫紙の上に、絞り出すように墨を走らせた、あの一時間半。


 第二十三話。


 わたくしのペンが、紙の上で「叛逆」と呼ばれてもおかしくない、四百字を刻んだ、雨上がりの午後の物語でございます。

 昭和十九年六月二十三日、午前十一時四十分。


 市ヶ谷台、参謀本部第一会議室。


 大本営陸海軍部合同研究、終了。


 散会の声がかかった瞬間、室内の十数名の佐官・将官たちは黙って立ち上がった。


 誰も肩を組まなかった。

 誰も握手を交わさなかった。

 誰も慰労の言葉をかけなかった。


 ただ椅子の擦れる乾いた音と、軍靴の踵の音だけが会議室の床に冷たく響いた。


 絶対国防圏の中核――サイパン――の奪回が、たったいまこの室で断念された。


 昭和十八年九月の御前会議において陛下御臨席のもと定められたわが帝国の最終防衛線が、紙の上から消えた直後の沈黙であった。


 俺は橋本と並んで会議室を出た。


 廊下に出ると橋本は俺の半歩後ろにつき、無言で歩いた。

 軍靴の音だけが市ヶ谷の廊下に響いた。


 ふと俺は半歩遅れた橋本を振り返った。

 橋本の顔は青白かった。

 唇はきつく結ばれ、眼窩の奥が深く落ち窪んで見えた。


(怒っている)


 俺は察した。


 いや、怒りなどという言葉では足りぬ。

 彼の中で何かが燃えていた。

 その火は彼自身を内側から焼くような種類の火であった。


「橋本」

「は」

「昼食を済ませてこい」

「……いえ」

「食え。命令だ」


 橋本はわずかに唇を歪めた。

「拝命いたしました」


 しかしその目は既に俺ではなく、戦争指導班の机を見ていた。

 あそこに罫紙と『機密戦争日誌』が待っているのだ。



 午後一時過ぎ。


 市ヶ谷台、戦争指導班室。


 戦争指導班は昨年十月の機構改革で参謀本部第二〇班に縮小再編された。班長・松谷誠大佐(俺だ)、班員・種村佐孝中佐、橋本正勝少佐。三名の小所帯である。


 三つの机が二等辺三角形のように寄せて配置されている。

 壁には欧州戦線と太平洋戦線の大地図。

 窓の外、市ヶ谷台の梅雨空は午前と変わらず灰色のまま、低く垂れていた。


 俺は自席の椅子を引き、坐った。

 卓上には午前の合同研究で配布された決定文書の写しと、第三案――「昭和十九年末ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル観察」の綴りが置かれていた。


 俺は綴りに手を伸ばした。


 ドイツの崩壊と同時にわが国も終戦を図らねばならぬ。国体護持のみを条件に。ソ連を通じた対米英外交の基礎を作らねばならぬ。


 この第三案を改訂しなければならない。

 夕刻、俺は真田部長と秦次長を訪ね、この改訂版を口頭で意見具申する。


 午前の合同研究の決定を踏まえれば、第三案の趣旨はもはや「研究」ではなく「現実の方策」として上申せねばならぬ局面に入った。


 ペンを取り、俺は綴りに目を落とした。


 すると――右隣の席で激しい音がした。


 罫紙が引き出され、ペン軸の蓋が外され、インク瓶の蓋が回される音。

 そしてペン先が罫紙を撫でる、低い、しかし鋭い摩擦音。


 俺は視線だけを動かした。


 橋本が書いていた。

 『機密戦争日誌』であった。


 戦争指導班が日々の議論・情勢判断・対外交渉の動きを記録する、あの極秘日誌。


 橋本はいつもの几帳面な楷書ではなかった。

 いや、楷書ではあるのだ。


 しかしペンの圧が違った。

 罫紙がペン先で押し下げられ、わずかに沈んでいた。

 インクが文字の輪郭の外側にわずかに滲んでいた。


(怒りの筆だ)


 俺は思った。


 橋本の手元で文字が生まれていく。

 俺は声をかけなかった。

 彼がいま書かねばならぬことを書いている。

 戦争指導班員として書かねばならぬことを。



 午後二時を過ぎた頃、橋本のペンがひときわ強く紙を引いた。

 俺は思わず視線を上げた。


 橋本はひと息にこう書きつけていた。



ここに大書して戦史研究家の批判につべき点は、中部太平洋方面島嶼防衛戦闘に関する陸軍作戦責任者の戦略・戦術思想なり」



 俺は目を見開いた。


「茲に大書して戦史研究家の批判に俟つべき点」――。


 この一句が何を意味するか。


 橋本は後世の戦史研究家の眼に晒されることを覚悟の上で書いている。

 軍中央の作戦指導者の責任を後世の批判の俎上に載せる、という意思の表明であった。


 戦時下の参謀本部の班員が書く極秘日誌の一文として、これはほとんど叛逆に近い意思表明であった。


 しかし橋本のペンは止まらなかった。



「即ち『サイパン』に敵来攻するや、真田第一部長、服部第二課長は『此の堅固なる正面に猪突し来れるは敵の過失にして必ず確保し得べし』と断言せることなり」



 橋本は陸軍中央の作戦責任者の名を、紙の上にはっきりと書いた。


 真田穣一郎。

 服部卓四郎。


 二人の名前が罫紙の上に並んだ。


 いずれも参謀本部の作戦中枢を握る、陸軍最強硬派の双璧。

 真田少将、服部大佐。


 この二人を班員クラスの一介の少佐が極秘日誌の上で名指しで断罪している。


(橋本……)


 俺は心の中で呟いた。


(お前は首をいくつ賭けるつもりだ)


 俺は声をかけかけて、しかし口を閉じた。

 止めてはならぬと直感した。


 いま橋本が書いていることは彼一個の感情ではない。

 戦争指導班三名の総意であり、そしてさらに広く、陸軍中央において沈黙を強いられてきた良心ある幕僚たち全体の、声なき声であった。


 俺はペンを握り直し、第三案の改訂作業に戻った。

 しかし目だけは半分、橋本の罫紙を追っていた。



 午後三時。


 窓の外、市ヶ谷台の梅雨空にわずかに薄日が差した。

 光は会議室の机を斜めに撫で、橋本の罫紙の上にも淡く落ちた。


 橋本のペンは新たな段落に入っていた。



制海空権薄弱乃至ないしは無き場合、絶対優勢なる海空軍支援下に上陸し来れる敵に対する孤島防衛思想は、陸上に於ける持久戦闘と本質的差異を有しある点を全く忘却せる言なり」



 俺は息を呑んだ。


 これは痛烈な軍事批判であった。


 制海・制空権を失った孤島の防衛と、大陸における持久戦闘とは本質的に異なる。

 あたりまえの軍事原則である。


 しかしその「あたりまえ」を、真田・服部は忘却した。

 いや、忘却したというより――忘却することによってしか、徹底抗戦の建前を維持できなかったのだ。


 橋本はその忘却を紙の上に刻みつけた。


 ペンは次の段落に入る。



ここ吾人ごじん所謂いわゆる作戦家が日進月歩せる卓抜なる科学力を基礎とする戦略思想の飛躍に対し、旧態依然として牙城を固守、何人なんびとの忠言をも拒否し来れる、自慰的自負心の罪に帰せざるを得ず」



 ペンが止まった。


 橋本はひと呼吸置いた。

 そしてもう一度その一行を見つめた。


(自慰的自負心の罪)


 俺は心の中でその一語を噛みしめた。


 自慰的自負心。


 他人の意見を聞かず、自分の信念だけで自分を慰める、独善の罪。


 これは軍人にとって考えうる限り、最も重い断罪である。


 そして橋本はこう付け加えた。



「斯くの如き過失は、昨年六月敵の『レンドバ』上陸以来、連続し来りたるものなり」



 俺は深く息を吐いた。


 昨年六月のレンドバ上陸――ガダルカナル放棄後のソロモン諸島の戦いの開始点である。あの時から陸軍中央はずっと同じ過失を繰り返してきた。


 補給を考慮しない孤島死守。

 制空・制海権を失った前線への増援強要。

 現地軍の絶望を無視した、中央の楽観論。


 その連続として、今度のサイパンがある。


 橋本はサイパンを孤立した一個の悲劇として描いていなかった。

 昨年六月から続く構造的な失敗の集大成として、断罪していた。



 午後三時半。


 橋本はペンを置いた。

 しばらく罫紙を見つめていた。

 それから俺の方を見もせずに低く言った。


「課長」

「うむ」

「……お止めになりますか」


 俺はペンを置いた。

 椅子から立ち上がり、橋本の机の横に立った。

 罫紙の上の文字をゆっくりと読み返した。


(止める、か)


 俺は思った。


 たとえこれがいつか発見され、橋本本人が処分されるとしても。

 たとえ戦争指導班そのものが解散の憂き目に遭うとしても。

 たとえ俺自身が左遷されることになるとしても――。


 この一文は書かれねばならぬ。

 戦争指導班の最後の矜持として。

 そして何より戦後この国が立ち直るために。


 もし――もし――この国がいつか終戦を迎え、再び立ち直る日が来たならば。


 その時、陸軍中央のこの致命的な過誤を誰かが書き残しておかねばならぬ。

 でなければ、同じ過ちがまた繰り返される。


 俺は低く言った。


「橋本」

「は」

「続けよ」


 橋本はゆっくりと俺を見上げた。

 その眼にはわずかに涙が滲んでいた。


 いや、涙ではないかもしれぬ。

 長時間ペンを握り続けた疲労が、目尻に滲んだだけなのかもしれぬ。


 しかし俺の眼にはそれが、橋本という男の魂の滲みのように映った。


「……拝命いたしました」


 彼はもう一度ペンを取った。



 午後四時過ぎ。


 橋本は最後の段落に取りかかった。



「斯く反省し来れば、本作戦の成果は今にして周章あわてふためくの必要なく、当然の帰結と称すべきなり」



 俺はふと笑いそうになった。

 悲しい笑いだ。


 「当然の帰結」。


 米軍がサイパンに上陸し、機動部隊が壊滅し、奪回作戦が放棄されたこの一連の事態は、橋本によればいまさら「あわてふためく」必要もない当然の帰結なのである。


 昨年六月のレンドバ以来ずっと積み重ねてきた失敗の、必然的な結末。

 それを班員クラスの少佐が、極秘日誌の上で冷徹に確認した。


 橋本のペンはなお続いた。



しかして更に此の間に於ける総長の大本営統帥は小刻みにして、決心処置の変更は数回に及びたることあり」



 俺は目を見開いた。


「総長」――東條英機大将。

 参謀総長兼陸軍大臣兼内閣総理大臣を兼任する、現下わが帝国の事実上の最高権力者。


 その人物の統帥を橋本はいま「小刻み」と評し、「決心処置の変更は数回に及びたる」と批判している。


 ペンは止まらなかった。



かつ、今日の如き最悪事態の惹起じゃっきを予期し、之が対処方策の研究準備に関し一案を意見具申したるも、採用せられず」



 俺はペンを置いた。


 これは戦争指導班全体の――そして俺自身の――声であった。


 第三案。


 今年三月十五日、戦争指導班が完成させ、真田部長に提出した文書。

 あの時、真田は「趣旨は大体異存なし」と認めながら「印刷不同意」と命じた。


 あの時の俺たちの意見具申がもし採用されていたならば。

 もしあの時、ドイツ崩壊と同時の早期終戦が研究準備として認められていたならば。

 いま市ヶ谷台でこんな絶望を見ずに済んだかもしれぬ。


 橋本はその「採用せられず」を紙の上に書きつけた。

 戦争指導班の三月以来の苦闘を、班員自らの手で歴史に記録した。


 そしてさらにペンは続いた。



「是と信じたる事を飽迄あくまで上司に貫徹せんとする下僚の熱意不足のさることながら――」



 ここで橋本はわずかに自らをも責めた。

 俺たちがもっと熱意をもって上司に貫徹していれば。


 しかし即座にペンは反転した。



「斯くの如き複雑なる諸元を一人にして処理せざれば以て満足し得ざる総長の性格も、また重大なる影響を与えある点、看過し得ざるものとす」



 俺は文字通り息を呑んだ。


 「総長の性格」。


 東條英機の人物評である。


 すべてを一人で抱え込まねば気が済まない。

 他者を信用しない。

 権力を分散させない。


 その性格が戦争指導の歪みを生んでいる――と橋本は書いた。


 最高権力者の性格を一介の少佐が、紙の上で解剖した。



 橋本はペンを止めた。

 そして罫紙の最後に一行空けた。


 その一行の余白に彼は何を書くつもりか――俺は息を詰めて見守った。


 橋本はペンを取り直した。

 そしてゆっくりと、しかし強く書いた。



「将帥の性格と作戦の帰趨きすうは、実に致命的関係を有する点を再確認せざるを得ず」



 ペンが紙を離れた。


 俺はしばし、その一行を見つめた。


 将帥の性格と作戦の帰趨は致命的関係を有する。

 将を選ぶことは作戦を選ぶことだ。

 将を誤れば作戦は誤る。


 そして将を誤った最大の責任は――参謀総長を陸軍大臣・内閣総理大臣と兼任させた、わが国の制度そのものにある。


 いやもっと根源的には、その兼任を「あえて」許してきた陸軍中央の沈黙にある。


 俺もまたその沈黙の一員であった。

 橋本のこの一行は俺自身への告発でもあった。


 俺は深く頭を垂れた。


(橋本、よくぞ書いた)


 心の中でただそれだけ呟いた。



 窓の外、薄日は再び雲に隠れ、市ヶ谷台は灰色に戻った。


 橋本はペンを置き、両手を机の上で組んだ。

 彼の指先はわずかに震えていた。


 一時間半。


 彼が罫紙に向かっていた時間である。


 その間に書きつけられた文字数はおそらく四百字に届かぬ。

 しかしその四百字は陸軍中央七十年の歴史の中で、最も鋭利な四百字の一つであった。


 俺は彼の机の横に立ち、そっとその肩に手を置いた。


「ご苦労」

「いえ」

「それは……戦争指導班の最後の矜持となる」


 橋本は俯いた。

 しばらく何も言わなかった。


 やがて低く、しかし明瞭に言った。


「課長。あのまま放っておけば……日本は本当に滅びまする」

「うむ」


「真田部長を責めたいわけではござりませぬ。 服部課長を憎みたいわけでもござりませぬ。 ……ただ、誰かが書かねばならなかったのです」


 俺は深く頷いた。


「それでよい」


 俺は窓辺に歩み寄り、灰色の梅雨空を仰いだ。


(橋本はペンで軍中央を殴った)

(俺はこれから口で軍中央を殴る)


 六月二十三日、夕刻。


 俺はこれから真田部長と秦次長を訪ね、第三案の改訂案を口頭で意見具申する。


 その前にまず、組織の筋目として作戦課長たる服部に骨子を伝えねばならぬ。


 ドイツの崩壊と同時にわが国も終戦を図らねばならぬ。

 国体護持のみを条件に。

 ソ連を通じた対米英外交の基礎を作らねばならぬ。


 六日後、俺はさらに東條参謀総長その人へ直訴を敢行する。


 「勝敗の山は見えた。遺憾ながらわが方の負けである」――。


 その直訴の遠い遠い前奏曲が、いま橋本のペンによって書き記された。



 午後五時。


 俺は軍服の襟を正し、班室の扉に手をかけた。

 振り返ると橋本と種村が立ち上がっていた。


 二人は無言で敬礼した。

 俺もまた無言で敬礼を返した。


 扉を開けた。


 市ヶ谷の廊下は夕闇の気配がわずかに忍び込んでいた。


 軍靴の音を響かせながら、俺は作戦課長室へ向かう廊下を歩き出した。


(壁は悉く崩れた)

(瓦礫の中から俺たちは皇国を救い出す)


 歩きながら俺は心の中でひとり呟いた。


 窓の外、市ヶ谷台の灰色の梅雨空が、薄く暮れはじめていた。


(つづく)

【後書き】 松谷誠(戦後)の回想

戦後、橋本正勝君が書き残したあの『機密戦争日誌』六月二十三日付の記述を、わたくしは何度も読み返した。


 あの四百字の中に、俺と橋本君と種村君の三人の――いや、陸軍中央において沈黙を強いられてきた数多の良心ある幕僚たちの――声なき叫びが、すべて凝縮されていた。


 橋本君のあのペンの圧。

 罫紙の沈み具合。

 インクの滲みの輪郭。


 あの午後の市ヶ谷台の灰色の梅雨空が、活字の向こうに、はっきりと蘇った。


 ただし――その四百字が紙の上に刻まれた、まさにその時刻。


 市ヶ谷台の隣の赤坂、海軍省、そして宮中の御文庫でも――同じ「皇国を救わねばならぬ」という叫びが、互いに知らぬまま、響き合っていたのである。



■ 人物紹介

橋本はしもと 正勝まさかつ ※本話の核心人物

 陸軍少佐(本話時、参謀本部戦争指導班員=第二〇班員)。松谷誠戦争指導班長の下で日々の『機密戦争日誌』を綴り、終戦工作の文書面を支えた、和平派の良心の一人。本話の昭和十九年六月二十三日付『機密戦争日誌』記述は、軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌 下』に収録されており、戦時下の陸軍中央において記された最も鋭利な軍中央批判の一つとして知られる。


松谷 誠(まつたに まこと、1903年-1998年)

 陸軍大佐(本話時、参謀本部戦争指導班長=第二〇班長)。本話では、班員・橋本少佐のペンが軍中央の作戦責任者を断罪する姿を、自席の隣で見守り、これを「止めるな」と承認する戦争指導班長として描かれる。


種村 佐孝(たねむら さたか、1903年-1966年)

 陸軍中佐(本話時、参謀本部戦争指導班員=第二〇班員)。戦後『大本営機密日誌』を著し、当時の戦争指導班の動静を後世に伝える役を担う。本話では、橋本少佐のペンが走るのを傍らで見守る班員として、無言で描かれる。


真田 穣一郎(さなだ じょういちろう、1897年-1957年) ※本話で言及(不在)

 陸軍少将(本話時、参謀本部第一部長=作戦部長)。「五ヵ年長期戦争指導計画」を策定した長期持久論者。本話で橋本少佐により、サイパン作戦への楽観論の責任者として、紙上で名指しで断罪される。


服部 卓四郎(はっとり たくしろう、1901年-1960年) ※本話で言及(不在)

 陸軍大佐(本話時、参謀本部第二課長=作戦課長)。陸幼・陸士三十四期・陸大四十二期軍刀組。本話で橋本少佐により、真田部長と共に紙上で名指しで断罪される。


東條 英機(とうじょう ひでき、1884年-1948年) ※本話で言及(不在)

 陸軍大将、内閣総理大臣兼陸軍大臣兼参謀総長兼軍需大臣(本話時)。本話で橋本少佐により、紙上でその「性格」「統帥」が解剖・批判される。


■ 用語集

『機密戦争日誌』(きみつせんそうにっし)

 参謀本部戦争指導班(後の第二〇班)が、日々の議論・情勢判断・対外交渉の動きを記録した極秘の業務日誌。班員が手書きで綴る、いわば戦争指導の現場記録。戦後、軍事史学会の手によって公刊され、『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌 上・下』として、現在も戦時史研究の最重要史料の一つとして用いられている。本話の橋本少佐の記述は、その下巻に収録されている。


「茲に大書して戦史研究家の批判に俟つべき点」(ここにたいしょしてせんしけんきゅうかのひはんにまつべきてん)

 橋本少佐が昭和十九年六月二十三日付『機密戦争日誌』に書き記した、本作中、最も重い一句の一つ。後世の戦史研究家の目に晒されることを覚悟の上で、軍中央の作戦責任者の責任を文書として残すという、極秘日誌の上ではほぼ叛逆に近い意思表明。


「自慰的自負心」(じいてきじふしん)

 他人の意見を聞かず、自分の信念だけで自分を慰める独善の罪。橋本少佐が真田・服部らの作戦指導を断罪するために用いた、最も鋭利な一語。


「将帥の性格と作戦の帰趨は、実に致命的関係を有する点を再確認せざるを得ず」

 橋本少佐が同日付『機密戦争日誌』の末尾に書き記した、東條英機の「性格」を間接的に断罪する一文。「将を選ぶことは作戦を選ぶこと」という軍事原則を、最高権力者の人物像に当てはめた、一介の少佐としては極めて踏み込んだ評価。


レンドバ島上陸作戦れんどばとうじょうりくさくせん

 昭和十八年(一九四三年)六月、米軍によるソロモン諸島南部のレンドバ島への上陸作戦。ガダルカナル撤退後の連合軍の本格的反攻の開始点として位置づけられる。橋本少佐は、この上陸以来、陸軍中央が補給を考慮しない孤島死守を繰り返してきたと断罪する。


絶対国防圏ぜったいこくぼうけん

 昭和十八年九月三十日の御前会議で決定された、わが帝国が太平洋戦争を遂行する上で「絶対に確保すべき要域」。千島・小笠原・内南洋・西部ニューギニア・スンダ・ビルマを含む線として設定された。サイパンはその中核であり、本話の六月二十三日午前の合同研究での「サイパン奪回断念」は、この絶対国防圏の中核を紙の上から消す決定であった。


「印刷不同意」(いんさつふどうい)

 文書の趣旨は認めつつ、それを印刷物(公文書)として残すことには同意しない、という陸軍中央の主戦派指導者の作法。第三案に対して真田穣一郎部長が下した、最大限の妥協的措置。

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