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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉


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第24話「倒閣の兆し」

【前書き】 松平康昌(内大臣秘書官長)の回想

わたくしは六月二十三日の朝、加瀬殿を、千駄ヶ谷のわたくしの邸にお迎えしておりました。


 加瀬殿は前夜、海軍の渡辺大佐殿から、マリアナ沖海戦の真相を内々に伺っておられた。


 空母三隻喪失、艦載機四百機損耗、機動部隊事実上壊滅――海軍が公表していた「七分三分の善戦」がいかに虚飾に満ちた数字であったかを、加瀬殿はひと息に語られた。


 わたくしは、お茶碗を持つ手を、しばらく動かすことができませんでした。


 やがて、ようやくの思いで、口を開いた。


「加瀬殿。これはもはや、戦争を続ける利がない」


 あの朝、わたくしは初めて、加瀬殿の前で「終戦」の二文字を口にしました。


 その同じ午後、市ヶ谷台の参謀本部戦争指導班室では橋本少佐殿が紙の上で、軍中央を殴っておられた。


 そして海軍省の廊下では、高木少将殿が神大佐殿の腕を、固く握り締めておられた。


 翌二十四日の朝、御文庫にては、陛下御自身が、東條閣下のサイパン放棄上奏に対し、御無言をもって抵抗されておられた。


 第二十四話。


 いくつもの場所で、同じ時刻に、同じ「皇国を救わねばならぬ」という叫びが、互いに知らぬまま響き合っていた、不思議な一週間の物語でございます。

 昭和十九年六月二十三日、午前。


 赤坂、華族会館の二階。


 これは後に加瀬俊一から俺が直接聞いた話である。


 加瀬は今朝早く松平康昌閣下の私邸を訪ね、海軍の渡辺大佐から内々に得たマリアナ沖海戦の真相を伝えた。


 空母三隻喪失、艦載機四百機損耗、機動部隊事実上壊滅――海軍が公表していた「七分三分の善戦」がいかに虚飾に満ちた数字であったかを、加瀬はひと息に語った。


 松平閣下はお茶碗を持つ手をしばらく動かさなかった。

 やがて静かに、しかし確かな声で仰った。


「加瀬殿。これはもはや、戦争を続ける利がない」

「は」

「至急、終戦に向かう手筈を整えねばならぬ」


 加瀬は一瞬、息を呑んだ。


 長年宮中の良心として慎重に慎重を重ねてこられた松平閣下が、初めて「終戦」の二文字を加瀬の前で口にされた瞬間であった。


 松平閣下は続けられた。


「重光大臣と木戸閣下を結ばねばならぬ」

「と、仰いますと」


「政府は重光大臣が、宮中はわたくしの主・木戸閣下が、それぞれ全責任を負う。 ……好機が到来したら陛下の御聖断によって終戦に導く。 そういう二人の閣下の間の密約を、加瀬殿、貴公とわたくしとで根回ししておこうではないか」


 加瀬は深く頷いた。


「拝命いたしまする。 ……松平閣下、貴公が仰るのなら、わたくしいかなる尾行をも厭いませぬ」


 加瀬の脳裏には、前日から自分のあとを追っているらしい憲兵の影が過っていた。

 しかし、もうその影を恐れている時ではなかった。


 松平閣下は華族会館の窓辺に立たれ、皇居の杜を見つめられた。


「松谷大佐は、いま、市ヶ谷台におられる」

「は」


「あの方は……陸軍の中でいちばん遠いところを歩いておられる。 我々が、彼を孤独にしてはならぬ」


 加瀬は深く頷いた。


(松谷さん、いま市ヶ谷台で何をしておられる)


 加瀬の心の中に、半日前まで茶店で別れたばかりのあの軍服の男の背中が、浮かび上がっていた。



 その頃――海軍省、軍令部第一部の廊下。


 これは戦後、高木本人から聞いた話だ。


 高木惣吉少将は神重徳大佐の腕を強く掴んでおられた。


かみ大佐」

「は」

「貴公の言葉、聞き捨てならぬ」


 神大佐は唇を噛みしめた。


「されど高木さん、軍令部は意気地がありませぬ。 是が非でもサイパンを取り返すと決心もしないでおいて、飛行機が足りぬの油がどうのと泣き言ばかり並べておりまする。 ……もはや嶋田海相を……」


 高木閣下は神大佐の腕をさらに強く握り締められた。


「神大佐」

「は」


「貴公、嶋田を自動車事故で消そうと申されたか」


 神大佐は応えなかった。

 しかしその沈黙が答えであった。


 高木閣下は深く深く息を吐かれた。


「神大佐、その心情はよくわかる。 ……されど合法に倒さねば意味がない。 暴力で倒した内閣は暴力で立つ。 そうなれば皇国は別の形で滅ぶ」


 神大佐の眼に涙が滲んだ。

 あるいは血走った血の色だったかもしれぬ。


「では、自分が戦艦山城の艦長となり、サイパンの海岸に擱座かくざし……」


 高木閣下は静かに首を振られた。


「擱座は戦死だ。それでサイパンが奪回できるか。 ……わかっておろう、神大佐」


 神大佐は俯いた。

 その肩はわずかに震えていた。


 高木閣下は神大佐の肩に手を置き、低く言われた。


「神大佐、貴公の決死の心は、別の形で皇国に活かさねばならぬ。 ……今宵、岡田大将のもとへ伺う。一緒に来てくれ」


 その夜、高木閣下は神大佐を伴って岡田啓介大将の私邸を訪ねられた。


 高木閣下は岡田大将にこう申し上げたという。


「閣下。これからは閣下方にとって非常に遺憾にお考えになる事態が、続発するかもしれませぬ。 ……どうか、お許しを」


 岡田大将は額に汗を浮かべて絶句された。


「とんでもないことだ。 ……今は湊川の大楠公の心境をもって善処せねばならぬ」


 高木閣下は深く頭を下げ、神大佐とともに岡田邸を辞された。


 しかしその瞬間、岡田大将のお腹の底は決まったのだという。


(嶋田を更迭せねば、海軍青年の血がほんとうに流れる)

(東條内閣を倒さねば、皇国が血で染まる)


 海軍長老が動き始めた瞬間であった。



 翌日――六月二十四日、午前。


 これは数日後、松平閣下から聞き及んだ話である。


 宮中・御文庫。


 東條英機参謀総長と嶋田繁太郎軍令部総長が陛下の御前に進み、サイパン奪回作戦の放棄を上奏した。


 陛下は何も仰らなかった。

 ただお眼を伏せ、しばしお黙りになった。


 長い長い沈黙であった。


 東條閣下と嶋田閣下は御前で姿勢を保ったまま動けなかった。


 やがて陛下はお眼を上げ、低くひとことだけ仰った。


「元帥府の意見も聞きたい」


 それが陛下の御返事であった。


 御無言――それは陛下の御不承知を意味していた。


 通常、参謀総長と軍令部総長が連名で行う上奏は、その場で裁可されるのが慣例であった。


 しかし陛下は裁可されなかった。


 異例の元帥府への諮問。


 絶対国防圏の中核を放棄するというわが帝国史上前代未聞の決定を、陛下はそのまま呑み込もうとはなさらなかった。



 翌六月二十五日、午前十時。


 異例の元帥会議。


 御前にて伏見宮殿下、梨本宮殿下、永野修身元帥、杉山元元帥が並ばれた。


 各元帥は順に申し上げられた。


 戦略上は奪回したい。

 されど現状ではサイパン確保の方針で行くほかない――。


 陛下はお黙りになった。


 しばらくしてご質問が下った。


「外二、発言、アルカ」


 わずか七文字。


 しかしその七文字は、暗にこう仰っておられた。


(誰か、サイパンを取り返すと申す者はおらぬのか)


 元帥たちはお黙りになった。

 誰もお答えにならなかった。


 陛下は深く深くお眼をお閉じになった。

 そしてお裁可なさった。


「致し方なし」


 その夜――陛下は皇居内の御文庫の縁先で、しばしお独りにてお庭を眺められたという。


 梅雨の合間の蒸し暑い夜、御庭の木々の合間を蛍が二、三匹舞っていた。


 陛下はその蛍をお見つめになっていた。

 お声はない。


 ただお眼がわずかに滲んでおられたという。


(陛下もペンを失われた)


 俺はその話を聞いたとき、ただ深く深く頭を垂れた。


 陛下は紙をお持ちにならぬ。


 されど御無言と、御一言と、御眼差しによって――軍中央の暴走をぎりぎりまでお止めになろうとされた。


 市ヶ谷台で橋本が紙の上に放った叫びと、宮中の御文庫で陛下がお漏らしになった御無言と――。


 二つの声は互いに知らぬまま響き合っていた。



 六月二十九日。


 俺は後日、松平閣下から伺った。


 あの六月二十三日朝の華族会館の密談から、ちょうど六日後――同日、内大臣・木戸幸一閣下と外相・重光葵閣下のあいだで、密約が成立したという。


「政府は重光が、宮中は木戸が、それぞれ全責任を負う。 ……好機到来せば、聖断によって終戦に導く」――。


 あの密約の地ならしを、加瀬と松平閣下は、それまでの一週間で密かに固めておられたのだ。


 俺は、市ヶ谷台で第三案の改訂と東條閣下への直訴の準備に没頭していた。


 その同じ一週間に――。


 赤坂の華族会館では、加瀬と松平閣下が密約の地ならしをしておられた。

 海軍省では、高木閣下が神大佐の暴発を抑え、岡田大将を動かしておられた。

 宮中の御文庫では、陛下が御無言をもって軍中央に抵抗しておられた。

 そして、政府と宮中の最高責任者である重光大臣と木戸内大臣のお二人の間で、終戦への密約が結ばれていた。


 四つの場所で、四つの叫びが、互いに知らぬまま、響き合っていた。


 俺は、孤独ではなかった。


 ただ、孤独だと思い込んでいただけであった。


(つづく)




【後書き】 加瀬俊一(外務省秘書官)の回想

六月二十三日の朝、わたくしは華族会館の二階で、松平閣下と密談を交わしておりました。


 あの朝のお茶の湯気の匂いを、わたくしは戦後も、しばしば思い出します。


 六月二十五日の元帥会議の御様子を、わたくしは木戸閣下を通じて、間接にうかがいました。


 「外二発言アルカ」――陛下のあの七文字を松平閣下からお聞きしたとき、わたくしはしばし黙して、目頭を押さえておりました。


 それからお顔を上げ、低くこう申し上げた覚えがございます。


「松平閣下。我々はもはや、後戻りできませぬ」


 松平閣下は深く頷かれた。


 その夜、松平閣下とわたくしは、再び赤坂の華族会館にて密かに会い、木戸閣下と重光大臣との間の密約の地ならしを最終段階に進めました。


 六月二十九日、ついに木戸閣下と重光大臣の間で、密約が成立いたしました。


 しかし、市ヶ谷の松谷さんは、その密約のことを、まだご存知ありませんでした。


 松谷さんの六月二十九日――東條閣下への直訴の日――が、ちょうどこの密約の成立日と、奇しくも重なるのです。


 次回、松谷さんはまず作戦課長・服部卓四郎大佐との対峙に向かわれます。


 陸幼と中学校。

 独伊と英米。

 精神主義と合理主義。


 両者を分かつ深い深い溝を、どうぞお見届けくださいませ。

■ 人物紹介

松平 康昌(まつだいら やすまさ、1893年-1957年)

 侯爵、内大臣秘書官長(本話時)。幕末四賢侯の一人・松平春嶽の孫。英仏に留学して政治哲学を学び、自由主義的な知性を備える。本話の六月二十三日朝、加瀬俊一と華族会館で密談し、初めて「終戦」の二文字を加瀬の前で口にする。木戸幸一内大臣の「女房役」として、宮中の終戦工作の中枢を担う。


加瀬 俊一(かせ しゅんいち、1903年-2004年)

 外務省欧亜局第一課長兼外相秘書官(本話時)。富山県出身、東京帝大法学部卒、ハーバード大学院に留学。重光葵外相の懐刀。本話では、海軍の渡辺大佐から得たマリアナ沖海戦の真相を松平閣下に伝え、木戸‐重光密約の地ならしに着手する役で描かれる。


高木 惣吉(たかぎ そうきち、1893年-1979年)

 海軍少将(本話時、軍令部出仕兼海軍大臣官房調査課長)。熊本県天草の貧農の子から苦学して海兵を卒業した異色の経歴。米内光政・岡田啓介の懐刀。本話では神重徳大佐の暴発を抑え、岡田大将への根回しを行う「黒子」の姿で描かれる。終戦四人組としての松谷との直接の接触は一九四五年一月以降のため、本話では間接的な登場のみ。


神 重徳(かみ しげのり、1900年-1945年)

 海軍大佐(本話時、軍令部第一部第一課課員)。鹿児島県出身、海兵四十八期。極めて剛直な性格の持ち主で、本話では戦艦「山城」をサイパンに擱座させる決死案と、嶋田海相暗殺計画を口にする「悲劇の主戦派青年将校」として描かれる。終戦直後の昭和二十年九月十五日、海軍機の事故により殉職。


嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう、1883年-1976年)

 海軍大将。海軍大臣兼軍令部総長(本話時)。一九四四年二月、東條の参謀総長兼任に呼応する形で軍令部総長を兼任(統帥権独立の伝統を破る)。本話で神大佐の暗殺計画の標的となる、倒閣運動の最大の標的。戦後、A級戦犯として終身刑判決、一九五五年仮釈放。


岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868年-1952年)

 予備役海軍大将。元総理大臣(一九三四年-一九三六年)。二・二六事件で襲撃を受けながら生還した経験を持つ、海軍長老の重鎮。本話で高木閣下の訪問を受け、「湊川の大楠公の心境」を口にする。後の東條内閣倒閣工作・小磯内閣樹立工作・鈴木内閣樹立工作の中心人物。


昭和天皇(しょうわてんのう、1901年-1989年)

 大日本帝国第百二十四代天皇。本話の六月二十四日の御文庫上奏、六月二十五日の元帥会議での「外二発言アルカ」の御下問、そして同夜の御文庫の蛍の挿話で描かれる。立憲君主としてのお立場から原則として国務に直接お口を挟まれぬが、絶対国防圏の中核放棄という決定に対し、ご自身としては異例の御抵抗の意志を示された瞬間として描かれる。


伏見宮 博恭王(ふしみのみや ひろやす おう、1875年-1946年) ※本話で言及

 元帥海軍大将、皇族最長老の海軍元帥。一九三二年から一九四一年まで軍令部総長。本話の元帥会議で臨席。


梨本宮 守正王(なしもとのみや もりまさ おう、1874年-1951年) ※本話で言及

 元帥陸軍大将、皇族陸軍元帥。本話の元帥会議で臨席。


永野 修身(ながの おさみ、1880年-1947年) ※本話で言及

 元帥海軍大将、前軍令部総長。本話の元帥会議で臨席。一九四四年二月の参謀総長兼任事件で軍令部総長を辞任(嶋田繁太郎が兼任)、元帥府へ。戦後、A級戦犯として極東国際軍事裁判で公判中に病没。


杉山 元(すぎやま はじめ、1880年-1945年) ※本話で言及

 元帥陸軍大将、前参謀総長。一九四四年二月の東條の参謀総長兼任事件で参謀総長を辞任、元帥府へ。本作初期で松谷の最大の後ろ盾として登場した師。本話の元帥会議では沈黙のうちに陛下の御意を察しつつ、なお一国の元帥として職責を果たす苦渋の姿で描かれる。終戦時陸相として復帰、敗戦後ピストル自決。

■ 用語集

御文庫ごぶんこ

 皇居内、防空壕を兼ねた天皇の戦時下の御座所。一九四二年から完成・使用が始まり、戦時中の昭和天皇は主としてここでお過ごしになり、上奏もここで受けられた。本話の六月二十四日のサイパン放棄上奏、および六月二十五日夜の蛍を眺められた挿話の舞台。


元帥府げんすいふ

 陸海軍の元帥(=現役を退いた最高位の将官)で構成され、天皇の最高の軍事顧問機関とされる組織。通常は儀礼的な機関だが、六月二十五日のサイパン奪回放棄を巡る元帥会議は、戦時下において実質的な諮問機関として機能した異例の例。


「外二発言アルカ」(ほかにはつげんあるか)

 昭和天皇が六月二十五日の元帥会議において、各元帥がサイパン放棄に同意する意見を述べた後に発せられたお言葉。表面上は中立的な問いかけだが、実質的には「サイパンを奪回するという反対意見はないのか」という、暗黙の御抵抗の表明と解されている。鈴木多聞をはじめ近現代史研究者が「昭和天皇の御無言と七文字の御下問」として取り上げる、日本戦時史上の重要な瞬間。


擱座かくざ

 艦船を意図的に座礁させること。神重徳大佐が大本営に申し入れた「戦艦山城をサイパン海岸に擱座させ、砲台として米軍上陸地点を砲撃する」案は、海軍主戦派の極限的な決死案として知られる。実行されれば艦と乗員の全滅は確実であった。


「湊川の大楠公の心境」(みなとがわのだいなんこうのしんきょう)

 南北朝時代の武将・楠木正成が、湊川の戦い(一三三六年)に赴く際の心境。勝ち目のない戦と知りつつ、なお一身を賭して臣下の道を全うしようとした覚悟を指す。岡田啓介大将が高木少将のテロ暗示を戒めた際に用いた言葉で、「武力による暴発ではなく、一人ひとりが正成のような自己犠牲の覚悟をもって、合法に皇国を救え」という海軍長老の達観を表す。


木戸‐重光密約きど・しげみつみつやく

 一九四四年六月二十九日、内大臣・木戸幸一と外相・重光葵の間で成立した極秘の合意。「政府は重光が、宮中は木戸が、それぞれ全責任を負い、好機到来せば天皇の聖断によって終戦に導く」という内容。本話の六月二十三日朝、加瀬俊一と松平康昌が華族会館で密かに地ならしを始めたものが、六日後に正式な閣下間の合意として結実する。本作後半における聖断の遠い遠い伏線。


反東條・反嶋田熱

 サイパン奪回断念以後、海軍青年将校層を中心に急速に高まった東條英機首相・嶋田繁太郎海相両名の更迭要求の気運。神重徳大佐の暗殺計画は極限例だが、海軍省・軍令部の中堅クラスではほぼ全員が両名の罷免を求めた。これが七月十八日の東條内閣総辞職の直接の原動力となるが、その全貌は松谷誠の左遷後に詳しく語られる。


中間内閣構想ちゅうかんないかくこうそう

 近衛文麿、岡田啓介、米内光政らの重臣層が、サイパン陥落後に練り始めた政治戦略。即座に和平を求める内閣を立てるのではなく、まず東條内閣を倒し、もう一度艦隊決戦による「一撃」を経た後に和平に向かう、という段階的な構想。これに基づいて七月二十二日に小磯国昭内閣(米内光政が海相)が発足することになる。

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