第20話「上手に負ける――『国亡びて何の国体ぞや』」
【前書き】(酒井鎬次より)
酒井鎬次、陸軍中将(予備役)、参謀本部付である。
第一次世界大戦の観戦武官としての経験を踏まえ、戦史と戦争指導を、わしの生涯の研究としてきた。
昭和十八年三月、松谷誠大佐殿と偕行社で初めてお目にかかってから、わが私邸――四谷信濃町にあった――を、月に一度、二度と、お訪ねくださるようになった。
わしは大佐殿の立場を、何より重んじた。
大佐殿は参謀本部の現職、しかも戦争指導班長というお立場。上司への疑惑を招くようなことが、決してあってはならぬ。
ゆえにわしは、国内政治、重臣の動向、近衛グループの動き――そうしたことには一切触れなかった。純粋に戦争指導の観点から、戦史の教えるところを、お伝えするにとどめた。
されど、昭和十九年四月十三日のあの日。
大佐殿のお口から聞かされた一言は、わしの胸の奥に深く刻まれた。
「自分としては、我皇室のみを保存し、他は無条件に非ざれば出来ざるべしと、思惟す」――。
これは戦争指導論の枠を超えた、一人の日本人としての、政治的覚悟の表明であった。
その夜、わしは大佐殿をお見送りした後、ひとり書斎の灯の下で、しばらく動けなかった。
そして数日後、わしはこの会話の概要を、細川護貞君に伝えた。
細川君の日記に、いまもこの会話は記録されている。歴史は、この日のことを、忘れないであろう。
昭和十九年四月十三日。
その日の朝、参謀本部の第一部長室に呼び出された。
東條英機参謀総長――首相と陸相を兼任しておられる御方――から、わしに直接の御指示があるという。
俺はわが上官・橋本正勝戦争指導班長の机に、書類を置いた。そして本館へ向かった。
第一部長室。真田穣一郎少将は、東條閣下のお隣に控えていた。
「松谷大佐」
東條閣下は俺を見据えた。短く刈り上げた頭、太い眉、鋭い眼差し。
「貴官に作文を、命ずる」
「は、いかなる御作文でしょうか」
「外交転換についての作文である」
俺は息を呑んだ。
「米英とソ連を離間させる策を、新たな対ソ外交の柱とする。これを軸に、わが国の外交方針を組み立て直す。その腹案を、書け」
「は」
「されど、対米英については、現状のままでの講和を希望する。あくまで対等な条件での講和である。譲歩は、最小限にせよ」
俺はしばし、声を出せなかった。
東條閣下のお考えは、論理として、根本的に矛盾していた。
米英とソ連を離間させるには、わが国がソ連に対して相応の譲歩を示さねばならぬ。同時に、わが国に米英の譲歩を引き出すには、軍事的な圧迫を加えねばならぬ。
されど、いまわが国に、その軍事的な実力は、ない。
しかも対米英については「対等な条件での講和」を望む――これは、現状の戦況と、根本的に乖離していた。
サイパン陥落の予兆。ドイツ東部戦線の崩壊。マリアナ沖を視野に入れる米軍の機動。
「対等な条件」など、すでに、どこにも、ない。
東條閣下は、わが国がいかなる位置に立っているかを、根本から見誤っておられた。
あるいは、見誤っているふりをして、現実を直視することから、逃げておられた。
「期限は、四月末日」
東條閣下は短く言った。
「は、承りました」
俺は深く一礼した。そして第一部長室を出た。
*
廊下を歩きながら、俺の腹の底で激しい動揺が渦を巻いていた。
東條閣下の御指示は、書けない。
書けば、虚偽の起案を上司に提出することになる。書かねば、命令違反となる。
されど、書く前に、わが恩師に相談せねばならぬ。
俺は午後早々に職場を出た。橋本班長には「私用」と告げた。
夕刻、四谷信濃町。
桜が満開であった。風がわずかに花弁を散らしていた。
俺は酒井邸の門をくぐった。
*
書斎。
酒井中将は炭火に手をかざしていた。
「松谷君、今日は、ご様子が違うな」
中将は俺を見つめた。
「閣下、本日午前、東條参謀総長から直接の御指示を、賜りました」
「ほう、何と」
「『外交転換についての作文』を命ぜられました」
中将は、しばし眼を閉じた。
「内容を、お聞かせなされ」
俺はゆっくりと話した。
東條閣下の御指示の核心。米英とソ連の離間策。対米英との「対等条件の講和」希望。期限は四月末日。
中将はしばし茶を口に運んだ。
そして、ゆっくりと茶碗を膳に置いた。
「松谷君」
「は」
「東條閣下は、論理を捨てておられるな」
俺はしばし、声を出せなかった。
「米英とソ連を離間させるためには、ソ連に何かを与えねばならぬ。されどソ連は、米英の側についている方が、はるかに多くを得られる立場にある。なぜソ連が、わが国の手を取るか」
「閣下、それは――」
「答えはひとつ。わが国が軍事的に、なお強大であった場合のみ。ソ連は、強い方の手を取る」
「は」
「されど、いまわが国にその実力はない。ゆえに東條閣下の構想は、最初の前提から、崩れている」
俺は深く頷いた。
「同時に、対米英の『対等条件講和』」
中将は、煙管に火を点けた。
「これも、いまの戦況とは、根本から離れている。米軍はすでにマリアナを視野に入れている。マリアナを失えば、本土は直接の空襲圏に入る。その時、米英は『対等』など、口にしまい」
俺は深く息を吐いた。
「閣下、それゆえ小官は、書けません」
「左様」
中将は深く頷いた。
「されど、書かねば、命令違反となります」
「うむ」
中将はしばし、煙を吐いた。
「松谷君」
「は」
「ここで貴官に、お話ししておきたいことがある」
「お伺いいたします」
中将は、ゆっくりと姿勢を正した。
*
「戦争を終わらせるには、四つの形がある」
俺は姿勢を正した。
「第一の形」
「は」
「最後の一兵に至るまで戦う。刀折れ矢尽きて、降伏する」
中将は煙管を火鉢の縁で軽く叩いた。コン、と乾いた音が響いた。
「これは、わが国の国力の回復に数世紀を要する。国体にも重大な傷を残す。全くの下策である」
俺は深く頷いた。
「第二の形」
「は」
「ドイツの降伏と同時に、わが国も無条件降伏する」
「うむ」
「この場合、わが国の戦力はまだ消耗していない。発言権もある。日本の状態は、おそらく日露戦争当時にまで逆戻りすることになる」
俺は息を呑んだ。
「第三の形」
「は」
「ドイツの敗北の後、しばらく戦を継続し、適当な機会に降伏する。条件は第二の形より悪くなるが、ぎりぎり国体は保ち得る」
「うむ」
「第四の形」
中将は煙管に、もう一度火を点けた。
「直ちに休戦の覚悟を決め、敵に一大打撃を与えた上で、直ちに休戦に入る」
俺はしばし声を出せなかった。
それはまさに、わが第三案の構想と同じ形であった。
「松谷君」
「は」
「貴官の第三案は、第四の形に近い。されど――」
中将は眼を伏せた。
「戦況は、貴官の予測をすでに追い越しつつある」
「閣下――」
「第四の形は、いまだ可能か。それとも、もはや手遅れか。これが今後の半年の、最大の試金石となろう」
俺は深く息を吸った。
中将のお言葉の意味は明白であった。
第四の形が手遅れになれば、わが国は第三の形に滑り落ちる。さらに手遅れになれば、第二の形に滑り落ちる。最悪の場合――第一の形、すなわち下策に滑り落ちる。
時間は急速に失われていた。
*
「松谷君、もう一つ大事なことを、お授けする」
「は」
「無条件降伏といっても、実際には条件がある」
俺は姿勢を正した。
「その条件をいかに日本に有利にするか。いかに被害を少なくするか。これで戦の上手下手が決まる」
「は」
「百年も二百年も再び立てぬまでに、叩きつけられるのではない。なるべく早く、国力を回復できるような条件で負ける。これが戦の上手下手を決める、唯一の物差しである」
俺は骨身に刻んだ。
「松谷君、この一句を、よく覚えておかれよ」
「は」
「いかに上手に負けるか」
俺はしばし、その言葉を噛みしめた。
これが、第二十班での研究の最も深い思想的根底にあったものを、初めて言葉に変えた瞬間であった。
そしてこれは、服部作戦課長が第三案の余白に書きつけた「次の戦争を準備する」と、根本から対峙する思想であった。
*
「閣下」
俺はしばし、息を整えた。
そしてゆっくりと、口を開いた。
「小官、本日、ひとつのことを、申し上げたく存じます」
「お話しなされ」
「東條閣下の作文の指示に対し、小官の腹の底にある、本当の構想です」
「うむ」
俺は中将の眼を見つめた。
そしてはっきりと言った。
「自分としては、我皇室のみを保存し、他は無条件に非ざれば、出来ざるべしと思惟す」
中将はしばし、お目を閉じた。
書斎の空気が、一瞬で重くなった。
火鉢の炭が、しずかに音を立てた。
中将はゆっくりと目を開いた。
「松谷君」
「は」
「いま、貴官が言われたことを、もう一度、お繰り返しなされ」
俺は深く息を吸った。
そして、もう一度はっきりと申し上げた。
「皇室の保存――これだけが、わが国の絶対の最低条件です。それ以外は、すべて無条件にせざるを得ない。いま、わが国に残された道は、それしかありません」
中将は深く頷いた。
「貴官は、そこまで覚悟されたか」
「然り、閣下」
「『国体護持』という四文字を、貴官は、最も狭く、最も鋭く、定義された」
「は」
「皇室の存続。それだけ。領土も、独立も、軍備も、産業も――すべて譲歩する。譲歩できる」
「左様です」
中将は深く息を吐いた。
「松谷君、それは陸軍の幕僚として、口にできる言葉ではない」
「承知しております」
「これを言えば、貴官の身は、必ず危うくなる」
「覚悟しております」
中将は、しばし茶を口に運んだ。
そして、ゆっくりと茶碗を置いた。
「松谷君」
「は」
「貴官のその覚悟、わしは確かに、承った」
「閣下」
「これは、いま日本中で、何人が口にできるか――おそらく数えるほどしか、おらぬ覚悟である」
俺は深く頭を下げた。
*
中将は、しばし煙管をくゆらせた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「松谷君、ここで一つ、申し上げておくことがある」
「は」
「わしは、貴官のお立場を、何より重んじてきた」
「は」
「貴官は参謀本部の現職である。されば上司への疑惑を招くようなことが、あってはならぬ。ゆえにわしは、これまで国内政治、重臣の動向、近衛公の周辺の動き――そうしたことを、貴官に話さなかった」
「は」
「それは、貴官をお守りするためであった」
俺は深く頷いた。
「されど、本日はじめて、申し上げる」
中将はしずかに言った。
「わしは細川護貞君と、密接に情報を交換しておる」
俺は息を呑んだ。
「細川護貞――近衛公爵の女婿、高松宮殿下の耳目」
「左様。あの男は昨年十月末から、殿下の耳目を務めておる。同時に、近衛公の側近として、重臣層の動向を緻密にお伝えする立場にある」
「は」
「わしは細川君を介して、近衛公、岡田啓介大将、若槻禮次郎、平沼騏一郎、米内光政大将――これら重臣方々と、間接的につながっておる」
俺は深く息を吸った。
これは初めて聞く話であった。
中将は俺の立場を慮って、これまで一切口にされなかった政治的ネットワークの全体像。それが、いまはじめて、俺の前に示された。
「松谷君、本日貴官が言われたお言葉――『皇室のみを保存し、他は無条件』――これを、わしは細川君に伝える」
「閣下――」
「細川君は、必ずこれを近衛公にお伝えする。近衛公はそれを、重臣方々のお耳に入れる」
俺はしばし、声を出せなかった。
「すなわち、いま貴官のお口から賜ったお言葉は、本日この瞬間から、近衛グループの戦後構想の、一つの核となる」
中将はしずかに言った。
「貴官は陸軍中央の現職幕僚として、軍部内部から、この覚悟を示された。それは陸軍と重臣層を結ぶ、極めて重要な架け橋となる」
俺は深く深く頭を下げた。
「閣下、ありがとうございます」
「礼を言うべきは、わしの方である。貴官のような陸軍幕僚が、その覚悟を腹に持っておられる――この事実を知ることは、いま重臣方々にとって、何よりの希望となる」
*
「もう一つ、お伝えしておくことがある」
中将は続けた。
「は」
「細川君を介して、わしは高松宮殿下の御意向にも、間接的に触れておる」
「殿下――」
「殿下は昨年来、軍令部の中で、こうお口に出しておられる」
中将はしずかに言った。
「『玉砕というのは、言うべくして実行不可能である。いかにしてよく敗けるかを考えねばならぬ』」
俺はしばし、声を出せなかった。
陛下の御弟君である高松宮殿下が、海軍部内で「玉砕は実行不可能」と発言された。
そしてそのお言葉の背景には、酒井中将の「いかに上手に負けるか」が、細川を介して伝わっていた。
*
「もう一つ、貴官に名前を覚えていただきたい御方がおる」
中将は続けた。
「は」
「海軍少将・高木惣吉殿である」
俺は姿勢を正した。
「高木惣吉――」
「海軍兵学校四十三期、海軍大学校甲種首席卒業。先頃まで支那方面艦隊参謀副長への転出が決まっておったが、肋膜炎の後遺症で前線勤務に堪えず、昨年九月末から軍令部出仕兼海軍大学校研究部員という閑職に在らせられる」
「閑職――」
「左様。されど、その閑職をあの方は好機と見られた」
中将はしずかに言った。
「戦闘記録を緻密に分析され、すでに『この戦争は負けだ』との結論をお腹に固められた。嶋田海相をはじめ海軍上層部が東條閣下に追従して何もせぬのに耐えられず、御自身の判断でひとり独自に動き始めておられる」
「誰の命令でもなく、自発的に――」
「左様。あの方の動きは、誰からの密命でもない。御自身の腹の底からの御決断である」
俺は深く頷いた。
これはわが第二十班の活動と、まったく同じ性格であった。
「松谷君」
「は」
「いずれ貴官は、高木殿とお会いになる日が、必ず来る。その時、いま貴官が言われた『皇室のみを保存し、他は無条件』のお覚悟を、高木殿にも、お伝えなされ」
「拝承いたしました」
俺は深く頭を下げた。
高木惣吉。その四文字を腹の底に深く刻んだ。
*
「閣下」
俺はしばし、息を整えた。
「東條閣下の作文の御指示について、いかにすべきでしょうか」
中将はしばし、お目を閉じた。
そしてゆっくりと開いた。
「書きなされ。されど、書くべきことを書くのではない。書ける範囲のことを、書きなされ」
「は」
「米英ソ離間策については、現実の困難を、客観的なデータに基づいて、淡々とお書きなされ。対米英の『対等条件講和』については――」
中将は煙管を火鉢の縁で軽く叩いた。
「それは、貴官の起案では、扱うことができない、と書きなされ」
「は」
「『現状の戦況に照らし、対米英の対等条件講和を、いかなる方策をもって追求し得るかは、本起案の範囲を超える』――この一文を、必ず書き添えなされ」
俺は深く頷いた。
「閣下、それは東條閣下への、無言の異議申し立てとなります」
「左様」
中将ははっきりと言った。
「されど、それが貴官のお立場として、ぎりぎりの誠実さである。虚偽の起案を上に提出してはならぬ。同時に、命令違反にもならぬよう、形式上は応えねばならぬ」
「拝承いたしました」
俺は深く深く一礼した。
*
中将のお宅を辞したのは、夜の十時を過ぎていた。
桜は灯火管制下の闇の中で、しずかに舞い続けていた。
俺は酒井邸の門を出てしばし、立ち止まった。
四つの形。
いかに上手に負けるか。
そして、わが本日の言葉――「皇室のみを保存し、他は無条件」。
俺の腹の底でいま、ひとつの覚悟が、明確な形を取り始めていた。
服部大佐の「次の戦争を準備する」。酒井中将の「いかに上手に負けるか」。この二つの「敗戦哲学」のあいだに、俺は明確に、後者の側に立つ。
そして俺自身の最も鋭い言葉は、本日、酒井中将のお耳に届けられた。
それは細川を介して、近衛公に届く。さらに重臣方々のお耳に入る。そして高松宮殿下のお耳にも、届くであろう。
四方の地下水脈が、いま静かに、繋がりつつあった。
*
俺は夜の路を歩き始めた。麻布、霞町へ向かった。
加瀬さんはいつもの小料亭の二階で待っていた。
「松谷さん、ご様子が違いますな」
俺は深く息を吐いた。そしてゆっくりと話した。
東條閣下の御指示。論理的な矛盾。酒井中将への相談。「四つの形」の伝授。「いかに上手に負けるか」の核心思想。
そして、本日俺が酒井中将のお口の前で告げた、決定的な一言。
「皇室のみを保存し、他は無条件に非ざれば出来ざるべしと思惟す」。
加瀬さんはしばし、煙草を口元で止めた。
「松谷さん」
「は」
「貴方は、本日、歴史を作られた」
俺はしばし、声を出せなかった。
「酒井閣下は細川殿を介して、近衛公にお繋がりです。そしてわたくし共外務省は、重光閣下を通じて、別の経路で重臣方々につながっております」
「うむ」
「貴方が本日酒井閣下のお口の前で告げられた言葉は、必ず細川殿の日記に記される。そしてわたくし共外務省にも、別の経路で伝わるでしょう」
「日記――」
「左様。細川殿は近衛公の周辺で起きた重要な会話を、すべて緻密に記録しておられる。あの男は将来、わが国の戦後史の一次史料を残す人となる」
俺は深く頷いた。
「松谷さん、本日貴方が告げられた言葉は――陸軍中央の現職幕僚から、初めて発せられた『国体護持以外は無条件』の覚悟です」
加瀬さんはしずかに言った。
「これは陸軍と重臣層を結ぶ、最も重要な架け橋となります」
俺は深く深く息を吐いた。
「加瀬さん、もう一つ伺います」
「お話しください」
「酒井閣下から、海軍少将・高木惣吉殿のお名を、本日改めて伺いました」
「ほう」
「『同じ風を吸うておられる』とのこと」
加瀬さんは深く頷いた。
「左様、わたくしも近衛公や原田男爵から、たびたびお名は伺っております。海兵四十三期、海大首席。いま閑職にあられて、自発的に動き始めておられる」
「いつかお会いする日が来ますか」
「必ず」
加瀬さんは断言した。
「松平閣下を介して、必ずや、お会いになります」
俺は深く頷いた。高木惣吉。四人組の最後の一人。
*
帰路、ひとり夜の路を歩いていた。
四月の桜が、灯火管制下の闇の中にぼんやりと白く揺れていた。
俺の腹の底で、いま、ひとつの言葉が深く根を張っていた。
「自分としては、我皇室のみを保存し、他は無条件に非ざれば、出来ざるべしと、思惟す」――。
これはもはや、俺の頭の中だけの構想ではない。本日、わが恩師のお口の前で発せられた、明確な意思の表明である。
これは細川の日記に記録される。近衛公に伝わる。重臣方々に伝わる。そして、あるいは陛下のお耳にすら、届くかもしれない。
陸軍の現職幕僚として、ここまで踏み込んだ覚悟を表明することは、命を賭けた行為であった。
服部大佐が第三案の余白に書きつけた「有害なる分子は静かに掃湯すべし」。あの一句が、いずれ俺自身の身に降りかかることは、明らかであった。
されど、俺はこの言葉を取り消さない。
なぜならば――。
*
桜の花弁が一片、俺の軍服の肩に舞い落ちた。
そっとそれを払った。
民族そのものが破滅すれば、形式だけの天皇制が残っても、何の意味もない。
最大に譲歩した条件で、妥協和平に持っていかなければ、国は滅びる。
国体護持はできぬ。
陛下御自身の御退位すら、最悪の場合は覚悟せねばならぬかもしれぬ。
されど、まずは皇室の存続――この一点だけを、最低条件として、徹底的に守る。それ以外は、すべて譲る。すべて、無条件に等しい譲歩をする。
それが、俺の出した、本日の答えであった。
服部大佐の「次の戦争を準備する」とは、最後まで対峙し続ける。
「次の戦争」など、あってはならぬ。
いま、生きている我々の世代が、責任をもって、この戦争を終わらせねばならぬ。
たとえ、命を賭しても。
俺は再び歩き始めた。
夜風がわずかに頬に冷たかった。
桜は、まだ散り続けていた。
【後書き】(細川護貞より)
細川護貞、近衛公爵女婿、高松宮殿下の耳目である。
昭和十九年四月十四日、もしくは十五日――正確な日付は忘れた。わたくしは酒井鎬次中将殿の私邸に伺い、前日の松谷大佐殿との会話の概要を、伺った。
中将殿はしずかに、されど明確に、お話しになった。
「昨日、松谷大佐殿が、本心を打ち明けられた。『自分としては、我皇室のみを保存し、他は無条件に非ざれば出来ざるべしと、思惟す』――こうおっしゃった」
わたくしは、しばし声を出せなかった。
陸軍中央の現職幕僚――それも参謀本部戦争指導班長――の口から発せられた、この決定的な覚悟。
これがどれほど重い言葉か、わたくしは即座に理解した。
その夜、わたくしは日記に、この会話を克明に記した。
そしてその後、近衛公爵にお伝えした。
公爵はしばし黙された。そしてゆっくりとおっしゃった。
「陸軍の中にも、そこまで覚悟を腹に固められた方が、おられたか」
公爵のお目には、わずかに涙が滲んでいた。
それは絶望の涙ではなく――希望の涙であった。
陸軍中央の最深部に、わたくしどもと同じ方角を見つめる方が、確かにおられる。それは戦後日本の、再建への小さな種子であった。
その種子は、いま土の下に深く埋められた。されど必ず、芽を出す。
わたくしは確信していた。
*
戦後――。
松谷大佐殿と、わたくしは、何度かお会いする機会があった。
戦後の警察予備隊への、大佐殿の意見書。服部閣下の長官就任阻止。自衛隊の制度設計への関与――。
それらすべての根底には、昭和十九年四月十三日の夜に発せられた、あの一言が、深く息づいていた。
「皇室のみを保存し、他は無条件」――。
この覚悟を腹に固めた方は、戦後も決してその覚悟を捨てなかった。
捨てなかったからこそ、戦後日本は、別の道を歩むことができた。
歴史は、この日の会話を、忘れない。
*
次回、戦況は紙の上の予測を追い越して、悪化する。
インパール作戦の敗退。
北フランスへの連合軍上陸――いわゆるノルマンディー上陸。
そして六月、マリアナ沖海戦――。
サイパンが迫りつつあった。
松谷大佐殿の運命の夏が、近づいていた。
【本話初出の用語】
「外交転換についての作文」(がいこうてんかんについてのさくぶん)
昭和19年4月初旬から中旬にかけて、東條英機参謀総長(首相・陸相を兼任)が松谷誠大佐に直接命じた起案命令の通称である。
その内容は、米英とソ連を離間させる策を新たな対ソ外交の柱とすること、ならびに対米英については「現状のままでの講和(対等条件での講和)」を希望する、というもの。
この指示は、論理的に根本的な矛盾を含んでいた。米英・ソ連を離間させるためには、ソ連に対して相応の譲歩を示さねばならない。同時にわが国に米英の譲歩を引き出すには、軍事的圧迫を加えねばならない。されどいまわが国に、その軍事的実力はない。しかも対米英については「対等条件講和」を望む――これは、現状の戦況と根本的に乖離していた。
松谷誠は、この指示への対処をめぐって、4月13日に酒井鎬次中将を訪ね、深い相談を求めることになる。
東條英機が現実から乖離していた事実、および当時の日本の外交方針の根本的破綻を、最も象徴的に示す事例。
「自分としては、我皇室のみを保存し、他は無条件に非ざれば出来ざるべしと思惟す」
松谷誠が昭和19年4月13日、酒井鎬次中将の私邸において発した、決定的な覚悟の表明。
「皇室の保存」――これだけがわが国の絶対の最低条件であり、それ以外はすべて無条件にせざるを得ない、という意味。
これは「国体護持」という四文字を、最も狭く、最も鋭く定義した発言であった。皇室の存続のみを絶対の譲歩不能ラインとし、領土も独立も軍備も産業も――すべて譲歩する、譲歩できる、という覚悟の表明である。
陸軍中央の現職幕僚――それも参謀本部戦争指導班長――の口から発せられた、初めての「国体護持以外は無条件」の覚悟。
この言葉は細川護貞の日記に克明に記録され、酒井→細川→近衛文麿→重臣という経路で、戦後構想の核となっていく。
酒井鎬次(さかい・こうじ、1885-1973)、参謀本部付
陸軍中将(予備役)、参謀本部付。陸士十八期、陸大卒。
第一次世界大戦の観戦武官としての経験を持ち、戦史と戦争指導の権威として知られる。著書『戦争指導の実際』『近代戦争史概論』『大東亜戦争の体験』など多数。
昭和18年3月、戦争指導課長に着任した松谷誠と偕行社で初めて出会い、以後、終生にわたる師弟関係を結ぶ。
本話で重要なのは、酒井中将が近衛文麿の女婿・細川護貞と密接に情報交換を行っており、東條内閣打倒や早期終戦を目指す「近衛グループ(重臣層)」と深く結びついていた事実である。
されど酒井中将は、松谷誠の参謀本部現職という立場を慮り、これまで国内政治、重臣の動向、近衛公の周辺の動きには一切触れなかった。純粋に戦争指導の観点から、戦史の教えるところを伝えるにとどめてきた。
昭和19年4月13日の会見において、酒井中将は初めてこの政治的ネットワークの全体像を、松谷に明示的に開示する。これは松谷の「皇室のみを保存し、他は無条件」の覚悟が、軍部と重臣層を結ぶ架け橋となる契機となった。
細川護貞(ほそかわ・もりさだ、1912-2005)
近衛文麿の女婿。昭和18年10月末から、高松宮宣仁親王の耳目を務める。
近衛公爵の側近として、重臣層(岡田啓介、若槻禮次郎、平沼騏一郎、米内光政ら)の動向を緻密にお伝えする立場にあった。
また酒井鎬次中将とも密接に情報交換を行い、軍部内部の動向を、近衛公および重臣方々にお伝えしていた。
昭和19年4月13日の松谷-酒井会見の概要は、酒井中将を経由して細川に伝えられ、細川の日記に克明に記録された。これにより、松谷の「皇室のみを保存し、他は無条件」の覚悟は、近衛グループに共有されることとなった。
戦後刊行された『細川日記』(中央公論社)は、近衛グループの戦時下の動向を記録した、一次史料として極めて重要な文献。本作の本話の歴史的根拠の中核を成す。
元内閣総理大臣の細川護熙は息子。
「近衛グループ」(このえぐるーぷ)
近衛文麿元首相を中心とする、重臣層の早期終戦工作のネットワーク。
中核は近衛文麿、岡田啓介(海軍大将、元首相)、若槻禮次郎(元首相)、平沼騏一郎(元首相)、米内光政(海軍大将、元首相、後に海相)、広田弘毅(元首相)ら。
外周には、細川護貞(近衛女婿)、酒井鎬次(陸軍中将予備役)、松平康昌(内大臣秘書官長)、原田熊雄(西園寺公望元秘書)らが結集していた。
東條内閣の打倒と、早期終戦工作を目的としていた。
昭和19年4月13日の松谷-酒井会見以後、松谷誠の「皇室のみを保存し、他は無条件」の覚悟が、このネットワークに共有された。
これにより、軍部内部からの早期終戦の意思が、初めて明確な形で重臣層に届き、戦後構想の一つの核となる。
「四つの終戦方策」(よっつのしゅうせんほうさく)
酒井鎬次中将が松谷誠に説いた、日本の終戦の四つの形態である。
第一の形:最後の一兵まで戦い、刀折れ矢尽きて降伏する。国力の回復に数世紀を要し、国体にも重大な傷を残す。「全くの下策」。
第二の形:ドイツの降伏と同時に、わが国も無条件降伏する。戦力がまだ消耗しておらず、発言権もある。日本の状態は日露戦争当時にまで逆戻りする。
第三の形:ドイツ敗北後、しばらく戦を継続し、適当な機会に降伏する。第二の形より戦力は消耗するが、敵に相応の出血を強いた上での降伏となる。
第四の形:直ちに休戦の覚悟を決め、敵に一大打撃を与えた上で、直ちに休戦に入る。松谷の第三案は、この第四の形に最も近い。
本話では、酒井中将の戦争指導論の集大成として、4月13日の会見の場で松谷に体系的に伝授される。
「いかに上手に負けるか」
酒井鎬次中将の戦争指導思想の中核である。
「無条件降伏といっても、実際には条件がある。その条件をいかに日本に有利にするか。いかに被害を少なくするかで戦の上手下手が決まる」。
「百年も二百年も再び立てぬまでに叩きつけられるのではない。なるべく早く、国力を回復できるような条件で負ける。これが戦の上手下手を決める、唯一の物差しである」。
本作の思想的背骨である。
服部卓四郎の「次の戦争を準備する」(第19話)と根本的に対をなす思想として、本話で松谷の腹の底に明確に位置づけられる。
戦後、鈴木貫太郎首相の「敗けっぷりをよくしなければならぬ」、戦後日本復興の原点となる思想として、長く生き続ける。
高松宮宣仁親王(たかまつのみや・のぶひと、1905-1987)、軍令部員
昭和天皇の弟宮。海軍兵学校五十二期。本話登場時(昭和19年4月)は海軍軍令部員(作戦課)。
本話では、酒井中将の口を通じて、その重要な発言――「玉砕というのは、言うべくして実行不可能である。いかにしてよく敗けるかを考えねばならぬ」――が松谷の耳に届く。
これは皇族中の早期講和派として、また海軍部内における敗戦の現実を最も早く認識していた人物としての、殿下の核心的な思想を表す発言である。
殿下のお言葉の背景には、酒井中将の「いかに上手に負けるか」が、細川を介して伝わっていた。
高木惣吉(たかぎ・そうきち、1893-1979)
海軍少将、熊本県天草郡生まれ。海軍兵学校四十三期、海軍大学校甲種首席卒業。
本話登場時(昭和19年4月)は、軍令部出仕兼海軍大学校研究部員という閑職にあった。されど高木はこの閑職を好機と捉え、自発的に戦闘記録の緻密な分析を行い、「この戦争は負けだ」との結論に至り、誰の指示でもなく独自に地下工作を開始。
本話では、酒井中将の口を通じて、その経歴と人物像が松谷の耳に詳しく伝えられる。「同じ風を吸うておられる」という評は、本作中盤の決定的な邂逅(昭和20年1月、松平の斡旋による初対面)に向けた、最も具体的な伏線となる。
本作の四人組のうち、最後の一人。
東條英機(とうじょう・ひでき、1884-1948)、内閣総理大臣兼陸軍大臣兼参謀総長兼軍需大臣
昭和19年2月21日に参謀総長を兼任し、首相・陸相・参謀総長・軍需大臣(旧商工大臣、現在の経産省)の四職を兼ねる超強権体制を確立。
昭和19年4月初旬から中旬にかけて、参謀本部戦争指導班長・松谷誠に対し、「外交転換についての作文」を直接命じる。
その指示の内容は、論理的に根本的な矛盾を含んでおり、東條が現実から乖離していた事実、および当時の日本の外交方針の根本的破綻を、最も象徴的に示す事例となった。
本話では、本作における東條英機の最後の重要な登場場面の一つ。これ以後、サイパン陥落(7月上旬)を経て、7月18日の総辞職へと、急速に転落していく。
「皇室のみを保存し、他は無条件」(国体護持の最も狭い定義)
松谷誠が昭和19年4月13日の発言で示した、「国体護持」の最も狭く、最も鋭い定義。
すなわち、皇室の存続のみを絶対の譲歩不能ラインとし、領土も独立も軍備も産業も――すべて譲歩する、譲歩できる、という覚悟。
これは陸軍内部における主流の「国体護持」観――皇室と日本の国家としての完全な独立を不可分のものとして守る、という考え――とは根本的に異なる、極めて踏み込んだ覚悟であった。
本作後半の松谷の活動の、すべての出発点となる。戦後の警察予備隊への意見書、自衛隊の制度設計への関与など、戦後昭和史へと繋がる遥かな伏線の核となる。
戦後の松谷自身も、この覚悟は終生変わらなかった。
酒井中将の松谷への助言――「書ける範囲のことを書く」
東條閣下からの「外交転換についての作文」への対処法として、酒井鎬次中将が松谷誠に与えた助言。
虚偽の起案を上に提出してはならぬ。同時に、命令違反にもならぬよう、形式上は応えねばならぬ。ゆえに、米英・ソ離間策については現実の困難を客観的データに基づいて淡々と書き、対米英の「対等条件講和」については「本起案の範囲を超える」と一文を書き添えて、無言の異議申し立てとする――。
これは松谷が陸軍幕僚として、最大限の誠実さを保つための、ぎりぎりの作法であった。
本話以後、松谷は東條閣下からの様々な指示に対し、この「書ける範囲のことを書く」という作法を、繰り返し用いることになる。




