第17話「東條、参謀総長を兼任す」
【前書き】(松平康昌より)
松平康昌、内大臣秘書官長です。
昭和十九年二月十八日の夜、千駄ヶ谷の家で、私は木戸内大臣からの電話を受けました。「東條が参謀総長兼任を申し出た」――その一句を耳にした瞬間、火鉢の火が急に冷たくなったような気がしました。
僕ら四人――松谷君、加瀬君、重光閣下、そして私――が半年あまりかけて、慎重に慎重に織り上げてきた一枚の薄い布が、軍靴の踵で踏み躙られようとしていたんです。
翌日、松谷君が私の家を訪ねてこられました。あの夜の松谷君の顔を、私は終生忘れません。
【本文】
昭和十九年(一九四四年)、二月十八日、夜。
俺は市ヶ谷台の参謀本部、戦争指導班の自室で、ひとり、机に向かっていた。
夕刻六時から、別館の三長官会議室にて、陸軍三長官会議が開かれている。陸軍大臣・東條英機。参謀総長・杉山元。教育総監・山田乙三。三人の最高位がいま、ひとつの部屋で向かい合っている。
俺は、机の上の時計の音を、聞いていた。コチ、コチ、と、針が、進んでいた。
窓の外、二月の夜空に月は出ていなかった。雲が低く東京の空を覆っていた。
九時を過ぎた頃、廊下に足音がした。秦次長の副官が書類を抱え、急ぎ足で廊下を駆け抜けていった。何かが起きている。しかし、廊下に出て情報を求めることは、戦争指導班の幕僚たる俺には、ためらわれた。
俺は机の前に座り直し、橋本少佐が起案しかけた第三案の途中の罫紙を、ただ、眺めていた。
ペンを手に取った。文字を書く気にはならなかった。
*
翌、二月十九日、午前。
俺は秦次長に呼ばれた。
次長室に入ると秦中将は、机の上で両手を組み、お眼を閉じておられた。やがてお眼を開け、低く仰った。
「松谷大佐」
「昨夜の三長官会議の概要、貴官にだけ、伝えておく」
俺は姿勢を正した。
「東條閣下は、こう仰った――『未曾有のこの戦争に、常道を変えてでも勝つ道があるならやらねばならぬ。参謀総長兼任を、断行する』」
「これに対し、杉山閣下は――面と向かって、こうお答えになった。『それはいけない。君がそんなことを強行するなら、陸軍の中は、治まりませんぞ』」
俺は息を呑んだ。
「山田教育総監も、統帥・軍政分立の伝統を盾に、強硬に反対なされた。激しい言い争いが、続いた」
秦次長はしばし、間を置かれた。
「しかし――」
次長はゆっくりと、続けられた。
「東條閣下は、最後にこう仰った。『陛下は私の気持を、すでに御承知である。総長が単独で上奏されるなら、私は貴方の御考えを、覆さねばならぬ』」
部屋に静寂が落ちた。
「陛下の御名を、お盾に取られた」
次長は深く頷かれた。
「杉山閣下は、私情をお抑えになり、最終的にはお引きになった。理由は――」
次長はお眼をわずかに伏せられた。
「『この非常時に、わしが反対を貫けば、陸軍内部の対立が表面化し、全軍の団結に弛緩が生ずる。それはわが国の終わりを早めるだけである』――そう仰ったそうだ」
俺は深く頭を下げた。
杉山閣下が御自身の地位を、私情を抑えて手放された。それも御自分のためでなく、全軍の団結のために。
あの「種子は土に深く埋めて護る」と仰った方がいま、御自身が土から掘り起こされる立場に立たれ、なお、軍の結束を最優先にされた。
松谷誠、四十一歳。陸軍大佐の生涯において、これほどまでに深い敬意を、一人の上官に対して抱いたことは、無かった。
*
「松谷大佐」
次長は続けられた。
「二月二十一日――三日後――に東條閣下の参謀総長兼任、正式発表となる。同日、海軍も嶋田海相が軍令部総長を兼任なされる」
「海軍も――」
「そうだ」
次長は低く言われた。
「政府・軍部の説明はこうなる。『総理の兼任でもなく、陸軍大臣の兼任でもない、陸軍大将・東條英機の人格において、参謀総長に就任する。すなわち、二位一体である』」
俺は思わず、笑みが浮かんだ。冷ややかな笑みであった。
「次長閣下――それは苦しい言い分でございますな」
「その通りだ」
次長は深く頷かれた。
「明治憲法、統帥権の独立、これを揺るがすことを、強弁で繕おうとしておる。しかし、それを誰が信じるか」
「承知いたしました」
「松谷大佐。本日、貴官にもう一つ、伝えておく」
「東條閣下は、御自分の過重負担を補うため、新たに『高級参謀次長』というポストを設けられる。後宮淳大将を、これに就けられる。わしは『次級次長』として留任となる」
俺は深く頷いた。
「次長閣下の御立場、お苦しくなりますな」
次長はわずかに苦笑なされた。
「しかし、わしはこの場に、留まる。貴官の盾となる者が、参謀本部の中に、わしの他に、いまや、おらぬ。土から掘り起こされた種子を、わしが新たに、土の中に埋め直さねばならぬ」
俺は深く深く一礼した。
*
その日の夕刻、俺は加瀬俊一を霞町の小料亭に訪ねた。
加瀬は襖を二重に閉めさせ、低く言った。
「松谷、もはや、申すまい。重光大臣は、昨夜、官邸でひと言も仰らなかった」
「ただ、暖炉の炎を長く見つめておられましたよ。義足の右脚を、火鉢の縁にわずかに伸ばされたまま、ね」
俺は頷いた。
「明日――いや、明後日の二十一日――東條閣下の参謀総長兼任。これは四方の地下水脈、すべての盾が外される」
加瀬は煙草に火を点けた。
「松谷、聞いてくれ。先ほど外相官邸に、海軍の岡田啓介大将――重臣のお一人です――の使者が見えましてね。岡田大将は、こう仰っているそうだ。『東條は自らは最善のことを為そうとして、一番悪いことを為ておる。順序が違って、出来ることが、やれぬのではないか』」
「岡田大将――」
「ええ。重臣のお一人が、すでに東條さんの限界を見抜いておられるのですよ」
俺は深く頷いた。
「加瀬」
俺は低く言った。
「重光閣下に、お伝えしてくれ。小官、トップ会談の構想は、いったん、断念いたします。しかし、別の窓を必ず、また開けると」
加瀬は頷いた。
「大臣も、同じ御覚悟ですよ」
*
翌、二月二十日、夜。
俺は千駄ヶ谷の松平侯邸を、訪ねた。
いつもの八畳の和室。火鉢の炭がいつもより、いくらか冷たく感じられた。
松平閣下はじっと俺の眼を見つめられ、低く仰った。
「松谷君。明日、すべてが変わります」
「僕は今日、木戸さんと長く話をしましてね。木戸さんは――」
松平閣下はお眼を、わずかに伏せられた。
「『東條のことを彼是言うが、一体わしにどうしろというのか。現に御信任のある東條に対し、辞めたらどうかという筋でもないし……本人があくまでやるというのは、仕様がないではないか』――と、そう漏らされましたよ」
俺は深く頷いた。
「内府閣下も、お苦しい御立場におられますな」
「ええ」
松平閣下は続けられた。
「しかし僕は、その場で申し上げたんです。『閣下、これは東條さんの独裁の始まりです。しかし、いずれ戦況が決定的に悪化した暁には、閣下御自身のお手で、この体制を解体される時が必ず参ります』とね」
「閣下――」
俺は息を呑んだ。
「ええ」
松平閣下はわずかに、お眼をお上げになった。その瞳には深い、深い覚悟の色が宿っていた。
俺は深く頷いた。
「いま、閉じられる窓は、夏には内府閣下御自身の御手で、再び、開かれます」
*
松平閣下は続けられた。
「もうひとつ、松谷君にお伝えしておきましょう。先日、細川護貞君から宮中筋に届いた情報――高松宮殿下の御見解です」
「殿下はこう仰っているそうですよ。『確かに、陸軍の幕府体制は出来上がっている。仮に無理をして東條内閣を倒したとしても、結局のところ、陸軍が好まぬ内閣を作ることは不可能である。今後、戦況は悪化するばかりだ。もしいま東條を倒し、海軍が政権を引き受けたとしても、陸軍はその敗戦の責任をすべて新内閣に押し付け、責任逃れをするであろう』」
俺はしばし、声を出せなかった。
「殿下は――陛下の御弟君は――そこまでお見抜きになっておられるのか」
「その通りです」
松平閣下は深く頷かれた。
「殿下はさらに、こうも仰っています。『敗戦の責任を陸軍から逃がさず、全責任を東條に負わせ続けるためには、あえて東條を更迭せず、そのまま、やらせるべきである』」
俺は骨身に刻んだ。
高松宮殿下の御覚悟は、深い。皇族の御身でありながら、陸軍と海軍の対立、責任転嫁、戦後の主導権争い、そのすべてを十重二十重の網目の中に、お見据えになっておられる。
「松谷君」
松平閣下は低く続けられた。
「明日から始まる東條さんの独裁は、いずれ御自身を呑み込みますよ。我々はその時を、辛抱強く待ちましょう」
俺は深く一礼した。
「承知いたしました」
*
翌、二月二十一日、午後。
市ヶ谷台、参謀本部、総長室前。
俺は参謀本部の幕僚たちと共に、参列していた。
午後四時。室内に新総長――東條英機大将――の訓示と旧総長――杉山元大将――の離任の辞が行われた。
杉山閣下の御挨拶は、簡潔であった。短い、わずか数分の言葉。だがその中に俺は、あの「土に埋めた種子」の比喩を、再び、読み取った。閣下は土の中の種子を、ここで一度、掘り起こさねばならぬ。しかし、種子はまだ生きている
――そう、お言葉の行間で仰っていた。
訓示の後、廊下で俺は杉山閣下と、すれ違った。
閣下はわずかにお眼を、伏せられた。
俺は深く一礼した。閣下はわずかに頷かれ、そのまま、お去りになった。
その瞬間、俺の腹の底で確かに、一つの音が鳴った。盾が外れる音、であった。
*
その夜、俺は市ヶ谷台の宿舎の机で、私物の手帳にこう書きつけた。
――「昭和十九年、二月二十一日。東條閣下、参謀総長を、兼任。同日、嶋田海相、軍令部総長を兼任。
陸海両統帥部、東條閣下と嶋田海相の二人の手中に、集約せらる。
杉山閣下、私情を抑え、辞任を甘受。山田教育総監、留任。
秦次長、次級次長として留任。新たに後宮淳大将、高級参謀次長に着任。
――俺の盾、外れたり。されど、新たな闘いの土俵が、設えられたるのみ。重光閣下、加瀬、松平閣下、高松宮殿下、それぞれの場所で、すでに次の手をお打ちになりつつある。辛抱強く内なる闘いを、続けん。
――上司の英断はもはや、来ぬ。下僚の独断専行を、研究の中で貫徹する他なし」
ペンを置き、俺は窓の外を見た。
二月二十一日の夜空に、雲が低く垂れ込めていた。月は出ていなかった。
遠くで市ヶ谷台の他の研究室から、若い参謀たちの笑い声が、聞こえてきた。何の話で笑っているのか、俺にはわからなかった。
彼らはいま、知らぬ。知らぬまま、笑っておれ――。
俺は机の上に第三案の罫紙を、再び、広げた。橋本少佐の、几帳面なペンの跡が、白い紙の上に規則正しく、並んでいた。
俺はゆっくりとペンを、取った。
【後書き】(高松宮宣仁親王より)
あの一夜、わたくしは軍令部の宿舎で、夜明け近くまでひとり、机に向かっておった。
東條の参謀総長兼任。嶋田海相の軍令部総長兼任。一見、陸海両軍の統帥が一元化されるかに見えるこの体制は、その実、東條が嶋田海相を介して海軍をも完全に支配する、独裁の極限であった。
わたくしは軍令部の中で、しかし、声を上げぬことに決めた。声を上げれば、皇族としての立場が、政争に巻き込まれる。それよりも細川護貞を介して、各方面の真相を集め、来るべき時に備える――それがわたくしの決めた、わたくしの道であった。
松谷大佐殿をわたくしはまだ、お顔も知らぬ。しかし、細川を介して松平内大臣秘書官長から、その存在は伝え聞いておった。陸軍の中にわたくしと同じ方角を見つめる男が、いる。それはわたくしの絶望を、わずかに和らげた。
■ 人物紹介
山田乙三(やまだ・おとぞう、1881年〜1965年、当時62歳)
陸軍大将、教育総監。陸士十四期、陸大卒。本話登場時は教育総監(昭和十九年二月時点)。三長官会議において、東條の参謀総長兼任に統帥・軍政分立の伝統を盾に強硬に反対した一人。最終的には東條に押し切られたが、その反対の姿勢は、陸軍内部の良識派の代表として記録される。後に関東軍総司令官等を歴任。
後宮淳(うしろく・じゅん、1884年〜1973年、当時59歳)
陸軍大将。陸士十七期、陸大卒。東條英機の参謀総長兼任に伴い、新設された「高級参謀次長」のポストに就任(昭和十九年二月二十一日)。東條の腹心として、過重負担を補佐する役目を担う。本話では秦次長の「次級次長」への降格と対比される形で登場。
嶋田繁太郎(しまだ・しげたろう、1883年〜1976年、当時60歳)
海軍大将、海軍大臣。海兵三十二期、海大卒。本話登場時(昭和十九年二月)は東條内閣の海相を務めていたが、東條の参謀総長兼任と同日、軍令部総長を兼任。海軍部内・部外から「東條のイエス・マン」「男妾」と酷評される。後年(昭和十九年七月)、サイパン陥落後の倒閣運動で、その更迭が東條内閣総辞職の条件の一つとなる。
岡田啓介(おかだ・けいすけ、1868年〜1952年、当時75歳)
海軍大将、元首相。本話登場時は重臣の一人。本話では、加瀬の口を通じて、その東條批判――「東條は、自らは最善のことを為そうとして、一番悪いことを為ておる」――が伝えられる。後の倒閣運動・終戦工作における、海軍重臣の中心人物。
■ 用語集
「二位一体」(にいいったい)
東條の参謀総長兼任を正当化するために政府・軍部が用いた、極めて苦しい強弁。「総理の兼任でも陸軍大臣の兼任でもなく、陸軍大将・東條英機の人格において、参謀総長に就任する」という論理。明治憲法における「統帥権の独立」を回避するためのレトリック。松谷を含む幕僚たちから「苦しい言い分」と冷ややかに受け止められた。
「幕府体制」「東條幕府」(ばくふたいせい・とうじょうばくふ)
陸軍ないし東條英機への極端な権力集中(首相・陸相・軍需相・参謀総長の四役兼任)を、江戸時代の幕府的独裁になぞらえて批判する語。「確かに陸軍の幕府体制は出来ている」という皇族の言葉が『高木海軍少将覚え書』昭和19年4月1日の項に記録されており、本話ではこれを高松宮殿下の見解として、細川・松平の経路で松谷に届く形で描いている。
「高級参謀次長」「次級次長」
東條の参謀総長兼任に伴い、参謀本部に新設された変則的な二段階の次長制度。
「高級参謀次長」=後宮淳大将(東條の腹心、過重負担の補佐役)。
「次級次長」=秦彦三郎中将(従来の参謀次長の地位から実質的に降格、しかし松谷の盾としての機能は維持される)。本作の以後の展開において、秦次長が松谷の唯一の盾として機能する重要な構造。
「統帥権の独立」
既出の用語。本話では東條の兼任を正当化する強弁(「二位一体」)に対し、これが明治憲法の根本原理を逸脱する措置である事実を、松谷の視点から冷ややかに描出。
「陛下の御名を、お盾に取る」
東條が三長官会議で杉山・山田の反対を押し切る際に用いた手法。「陛下は私の気持を、すでに御承知である。総長が単独で上奏されるなら、私は貴方の御考えを、覆さねばならぬ」。天皇の支持を盾にして反対派の動きを封じる、極めて政治的な強硬手段。本話では東條の独裁化の象徴として描出される。
「全軍の団結に弛緩を生ずる」
杉山元参謀総長が、東條の参謀総長兼任を最終的に甘受された理由。私情を抑え、陸軍内部の対立表面化を防ぐため、自らの地位を手放された杉山の自己犠牲的な姿勢を象徴する語。本話では秦次長の語りを通じて松谷に伝達され、松谷の深い敬意を呼び起こす。
「上司の英断は、もはや、来ぬ。下僚の独断専行を、研究の中で、貫徹する他なし」
本話末尾で松谷が手帳に書きつける核心的独白。新第11話で杉山訓示の三要点として確立された「上司の英断」と「下僚の独断専行」の対比が本話で「上司の英断の喪失」を機に「下僚の独断専行」だけが残されたという形に転換。本作前半の物語的弧の到達点。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・昭和十九年二月二十一日、東條首相兼陸相が参謀総長を、嶋田海相が軍令部総長を兼任したこと。三長官会議で杉山参謀総長と山田教育総監が統帥・軍政分立の伝統を盾に強く反対し、東條が陛下の信任を盾に押し切ったこと。杉山の「それはいけない。君がそんなことを強行するなら、陸軍の中は治まりませんぞ」という反対の言葉が伝えられていること(山本智之『主戦か講和か』、鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』)。
・「総理の兼任でも陸軍大臣の兼任でもなく、陸軍大将・東條英機の人格において就任する」という「二位一体」の説明がなされたこと。後宮淳大将が新設の高級参謀次長に就き、秦彦三郎中将が次級次長となったこと。
・木戸内大臣の「東條のことを彼是言うが、一体わしにどうしろというのか」という趣旨の発言、および高松宮の「あえて東條を更迭せず、敗戦の責任を負わせ続けるべきだ」という見解が、細川護貞の記録に残されていること(『細川日記』)。
・「確かに陸軍の幕府体制は出来ているが、東條がその心境に迄なっているかどうかは疑問で……今少しやれるところ迄やらせて見てはどうか」という皇族(高松宮と推測される)の発言が、『高木海軍少将覚え書』昭和十九年四月一日の項に記録されていること。本話ではこれを二月時点の高松宮の見解として、時期をやや先取りして用いています。
・岡田啓介が「東條は自らは最善のことを為そうとして、一番悪いことを為ている」と評していたこと。
【創作部分】
・秦次長が三長官会議の内幕を松谷ひとりに語る場面、霞町での加瀬との会合、二月二十日の松平邸訪問、二月二十一日の離任の情景は、史実の枠組みに基づく創作・脚色です。
・松谷の私物の手帳は本作の創作的補助設定です。
■ 参考文献
山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年
鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』東京大学出版会、2011年
細川護貞『細川日記』中央公論社、1978年
種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房、1952年
松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年
高木惣吉『高木海軍少将覚え書』毎日新聞社、1979年




