第18話「昭和十九年末を目途とする戦争指導に関する観察(第三案)」
【前書き】(橋本正勝より)
橋本正勝、陸軍少佐である。
昭和十九年三月、東條閣下の参謀総長兼任の余波が、まだ参謀本部の廊下に冷たく漂っている頃、班長殿とわたしは、麹町別館の一室で、夜を徹して第三案の最終稿を、書き続けていた。
種村中佐がモスクワへ出張され、班に残るは班長殿とわたしのふたりだけ。ベテランを欠いた手薄な布陣であったが、振り返れば、あの二ヶ月があったからこそ、この一篇は書き上がったのだと思う。
班長殿のペンの音は、いつもより、わずかに強かった。盾を失われた班長殿のペンは、それでも止まらなかった。むしろ――盾を失われたからこそ、あのペンはいっそう深く、紙に食い込んだようにも、思える。
あの夜々のことを、わたしは終生、忘れぬ。
【本文】
昭和十九年(一九四四年)、二月の終わり。
俺と橋本少佐は麹町別館の一室で、第三案――「昭和十九年末ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル観察」の最終稿を、書き続けていた。
二月二十一日、東條閣下の参謀総長兼任が発表されてから、まだ十日と経っていない。
参謀本部の空気は表面上、平静を装っていた。しかし廊下のあちこちで、低声の会話が増えていた。「東條閣下が」「嶋田海相も」「杉山閣下はどうなさるか」――。
俺はそれらの声を、すべて耳の外に置いた。
班には、いま俺と橋本のふたりしかいない。先輩の種村中佐は、二月の頭からモスクワへ発っていた。シベリア鉄道で大陸を横断する、往復二ヶ月の長旅である。
種村のいないこの二ヶ月が、第三案を書き上げる、最後の機会であった。
種村は信頼できる先輩班員である。しかし作戦課を兼ねるあの男は、参謀本部の一部局が敗北を前提とした文書を残すことに、終始、抵抗を示してきた。あの男がいる限り、結論まで踏み込んだ案は、書けぬ。
俺はそのことを、骨の髄まで承知していた。承知した上で、種村のいないこの時期を選んだ。
*
三月の上旬、ある夜。
「班長殿。第三、絶対国防圏の見透しの項、読み返してみました」
橋本が罫紙を持ち上げた。
「読め」
「『今や我が国防圏中、致命的要衝にして、最も弱点とする中部太平洋方面に対し、敵の真面目なる決戦的の反攻を予期しうるに至れり』」
俺はペンを止めた。
「橋本。中部太平洋――カロリン、マリアナだ。あの線が、いちばん脆い」
「はい」
「絶対国防圏という言葉に、人は安心する。だがその実、いちばん肝心な中央が、地勢学上もっとも縦深性のない、孤島の連鎖だ。海軍は前方の拠点さえ固守すればよいと考えて、後方を半ば、無防備のまま放置してきた」
俺は窓の外の闇を見た。
「敵が本気で来れば、四月か五月にも、あの線は破られる。慎重に来たとしても、六月か七月だ。どちらにせよ、持久の準備が整う前に、決戦を強いられる」
「では――島は、守れぬと」
「守れるかどうかではない。守る実力が、あるかどうかだ」
俺はその一句を、罫紙の余白に小さく書きつけた。
――要は、確保の実力ありや。静に考えよ。
「橋本。中央には、必ずこう問い返す者がいる。要は、確保の実力ありや、とな。問いは、正しい。問題は――その問いに、誰も『ある』と答えられぬことだ」
*
別の夜。
国力の章であった。橋本が数字を読み上げていく。
「鋼材、計画五百万トンに対し、予想四百十万トン。船舶の損耗は、七、八月までは毎月二十五万から三十万トン。九月以降に二十万トンへ抑えられれば、好成績と申すほかありません」
「造船が追いつかぬ」
「はい。月平均、せいぜい十五万トン。差し引き、保有量は減る一方です。七月の初めに貨物船二百四十万トン、十二月末には二百万トンを割り込みます」
俺は腕を組んだ。
「橋本。これがこの戦争の、いちばん残酷な数字だ。鉄砲玉でも飛行機でもない。船だ。船が、毎月、海の底に沈んでいく。沈む船を、造る船が、追い越せぬ」
「班長殿。アメリカの国力は、どう書きますか」
「正直に書け」
俺は声を低くした。
「『敵の国力増強は、昨年末もしくは本年初頭をもって限度に達した』――そう希望的に観測する向きが、軍の中には多い。時間が経てば、相対的にこちらが物量で追いつける、とな」
「違うのですか」
「逆だ。アメリカは、すでに一部の軍需生産を絞って、平和産業に回し始めている。これは限界に達したからではない。余裕があるからだ。長期戦が必要となれば、また速度を上げればよい。蛇口を、自分で開け閉めできる。その余裕が、あの国にはある」
俺はペンを置いた。
「敵の力を低く見積もる――それが、この戦争でわが国が犯し続けてきた、最大の過ちだ。第三案では、それだけはやらぬ」
橋本はしばし、黙って俺を見ていた。
「班長殿。これを作戦課の者が読めば――」
「腹を立てるだろうな」
俺は苦く笑った。
「だが、それでいい。腹を立てても構わぬ。腹を立てた者の頭の隅に、この数字が、一粒でも残れば、それでいい」
*
三月の半ば、霞町の小料亭の二階。
加瀬さんが、第三案の草稿に、静かに目を通していた。外務省の人間にこれを見せるのは、本来、許されぬことである。だが、俺はあえて、加瀬さんの目を通したかった。軍の中だけで回していては、見えぬものがある。
「松谷さん」
加瀬さんが顔を上げた。
「これは――軍人の書く文書ではありませんね」
「と、申されると」
「軍人の文書は、たいてい『勝つ』ところから始まります。これは違う。『どう負けるか』から逆算して、書かれている。だからこそ、恐ろしく正確だ」
加瀬さんは草稿の一点を、指で示した。
「この終末方途の項。六、七月以降に、両総長と外相の腹で、和平の条件を決めておく。そして陛下にも、あらかじめ申し上げておく――」
「ええ」
「松谷さん。これは、近衛公がいつか歩む道の、見取り図ですよ」
俺は加瀬さんの顔を見た。
「特派使節を、ソ連へ送る。ソ連の仲介で、英米と和平する。いまは机の上の筋書きにすぎません。しかし、これだけ筋の通った見取り図は、そう多くない。覚えておく値打ちはありますよ」
俺は猪口を置いた。
「加瀬さん。一つだけ、迷っている箇所がある」
「どこです」
「ソ連だ」
俺は声を落とした。
「この案は、ソ連の仲介に、すべてを賭けている。だが――ソ連が、本当にわが国の味方をするか。スターリンという男が、沈みかけた船に、手を貸すか」
加瀬さんはしばし、盃を回した。
「貸しませんね」
即答であった。
「あの男は、損得でしか動かない。日本が弱れば弱るほど、ソ連の値は吊り上がる。仲介を頼めば、足元を見られる。最悪の場合――仲介と見せかけて、こちらの背中を、刺すでしょう」
俺は深く頷いた。
「俺も、同じ懸念を持っている。だが、ほかに道がない。中立国は弱い。中国とは戦っている。アメリカと直接、話す糸は、まだ、ない。残るのは、ソ連だけだ」
「虫のいい話だと、わかっていて、それでも縋るしかない」
「ああ。それが――いまのわが国の、現実だ」
加瀬さんは草稿を、そっと閉じた。
「松谷さん。私はこの一点が、いちばん怖い。ソ連に頼る案は、もしソ連に裏切られたら、最も深く、わが国を傷つけます」
*
三月十五日、夜。
別館の机の上で、第三案の最終稿が、完成した。
「昭和十九年末ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル観察(第三案)」
全八章。
第一、要旨。
第二、敵の戦争方式と作戦・戦術方式の観察。
第三、絶対国防圏確保の見透し。
第四、国力・戦力の今後の推移の観察。
第五、国民の士気と戦意、ならびにわが影響下にある諸国の戦争協力に関する観察。
第六、ソ連の対日中立維持への期待度と、ドイツ健在の見込みに関する観察。
第七、今後の戦争指導に関する観察。
第八、結論。
その結論の末尾に、俺はこう書きつけていた。
――「過ぐるも四月中旬中に、大綱方針に関し御聖断を仰ぎ、次いで御詔勅の御下賜を俟って、直ちに軍官民一体となり、決戦完遂に邁進しうる如く、上司の英断を期す」
御聖断。
この三文字が戦争指導班の研究文書に書きつけられたのは、本案が初めてであった。
国体護持を絶対条件とする、ソ連仲介を介した対米英妥協和平。それを実現する道は、最終的には、陛下の御聖断を仰ぐほかにない。一月四日の「危機克服説明」ではまだ書けなかった三文字が、いま、本案の結論として、紙の上に、降りた。
ペンを置いた橋本の指は、わずかに震えていた。
「橋本、ご苦労であった」
「いえ」
橋本は深く一礼した。
「班長殿。これは――必ず、上に届きますか」
俺はしばし、黙った。
「届けるさ。だが、紙のまま残るかどうかは、わからぬ」
「と、申されますと」
「真田部長が、これをどう扱われるか。内容に頷かれても、第一部長というお立場で、敗北を前提とした文書を印刷して残せるかどうか。そこは、わからぬ」
俺は窓の外、市ヶ谷台の夜空を見た。
「それに――真田部長の下には、服部大佐がいる」
橋本の顔が、わずかに固くなった。
服部卓四郎、陸軍大佐。作戦課長。陸士三十四期、陸大四十二期。ノモンハン事件の作戦立案者の一人であり、開戦時の作戦課長として、太平洋戦争開戦の決定に深く関わった。昭和十七年末、ガダルカナル戦の作戦失敗の責任を問われて作戦課長の任を解かれたが、東條首相(兼陸軍大臣)の信任厚く、陸軍大臣秘書官に転じていた。そして昨年十月、東條閣下の絶大な御信任のもと、作戦課長として復帰した。「徹底抗戦の鬼」の名は、参謀本部の中でも、つとに高い。
外面は冷静沈着。話し方は低く抑制されている。しかしその内面の徹底抗戦への信念は、岩のように固く、いかなる戦況の悪化にも、決して揺るがぬ――そう、もっぱらの評判であった。
俺と服部はこれまで、職務上の必要最小限の挨拶を交わすのみで、深い議論を交わしたことは、なかった。互いの距離を、互いに測りかねていた。
「この第三案が真田部長の手に渡れば、服部大佐の目に触れることも、避けられまい」
俺は綴りの表紙に、そっと手を置いた。
「あの男のことだ。読めば、黙ってはおるまい。あの太いペンで、余白を、自分の考えで埋めていくだろう」
「班長殿は、それを――恐れておられますか」
俺は首を振った。
「いや。むしろ、見てみたい。あの男が、この第三案の、どこに、どう書き込むのか。その書込の一つ一つが、いまの陸軍の主戦派の、頭の中そのものだ。敵を知る、またとない機会だ」
俺は綴りを抱えた。
「明日、これを真田部長へ届ける。そして遠からず――俺は服部大佐と、紙の上で、対峙することになる」
別館の窓の外で、三月の風が、低く鳴っていた。
俺はその夜、ひとり、机の前に、夜更けまで坐っていた。
【後書き】(橋本正勝より)
あれから歳月が流れ、戦後になって、わたしはようやくこの第三案の値打ちを、正しく語れるようになった。
あの文書に書かれていたこと――国体護持のみを条件とする講和、ソ連を仲介とする終戦工作、特派使節の派遣、そして最後は陛下の御聖断を仰ぐということ。それらはすべて、翌昭和二十年の夏、わが国が現実に歩むことになる道筋であった。
たった二人で書き上げた一篇の研究文書が、一年半後の歴史を、先取りしていた。
もっとも、班長殿は決して、それを誇られなかった。班長殿はいつも、こう言っておられた。終戦を成し遂げたのは自分たちの工作などではない、陛下の御聖断の力である、と。
ただ――あの霞町の夜、加瀬さんが言われた一言だけは、わたしも後年、深く考えさせられた。ソ連に頼る案は、ソ連に裏切られた時、最も深くわが国を傷つける、と。
昭和二十年八月、ソ連は中立条約を破って参戦した。第三案がただ一つ、賭けるしかなかったその一点が、最後に、牙を剝いたのである。
班長殿は、それを最初から見抜いておられた。見抜いた上で、ほかに道がないと知って、あの案を書かれた。
その孤独を思うと、わたしはいまも、胸が詰まる。
■ 人物紹介
服部卓四郎(はっとり・たくしろう、1901年〜1960年、当時42歳)※第11話で言及済み、本話で本格登場
陸軍大佐、参謀本部第二課長(作戦課長)。陸士三十四期、陸大四十二期。山形県出身。昭和十四年のノモンハン事件で関東軍参謀として作戦立案に関与。昭和十六年の太平洋戦争開戦時には参謀本部作戦課長として、開戦の作戦立案を主導。昭和十七年、ガダルカナル戦の作戦失敗の責任を問われ、東條首相兼陸相の陸軍大臣秘書官に転出。しかし東條英機陸相の絶大な信任の下、昭和十八年十月、作戦課長として参謀本部に復帰。陸軍中央における徹底抗戦論の中核。外面は冷静沈着・抑制されているが、内面は徹底抗戦の信念で岩のように固められており、いかなる戦況悪化にも揺るがない――との評判が高い。本話では名のみ登場し、第19話で松谷と直接対峙する。
■ 用語集
「第三案」(だいさんあん)
「昭和十九年末ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル観察」の通称。昭和十九年三月十五日、戦争指導班(松谷誠班長、橋本正勝少佐起草)が完成させた終戦構想の集大成。種村佐孝中佐がモスクワ出張で不在の間に、松谷と橋本のわずか二名で練り上げられた。全八章。日本の敗北が不可避になりつつある現実を冷徹に見据え、陸軍内部で初めて、国体護持のみを条件とする事実上の降伏(屈伏和平)と、ソ連仲介による終戦工作のシナリオを明確に打ち出した、歴史的に極めて重要な文書である。
「絶対国防圏」(ぜったいこくぼうけん)
昭和十八年九月三十日の御前会議で決定された、何があっても確保すべき防衛圏。千島・小笠原・内南洋(中部太平洋)・西部ニューギニア・スンダ・ビルマを結ぶ線。第三案は、この圏のうち中部太平洋が地勢学上もっとも脆弱であり、敵の決戦的反攻を四〜五月、遅くとも六〜七月に受けると予測した。実際、サイパンへの米軍上陸は同年六月十五日に始まる。
「屈伏和平」と「妥協和平」(くっぷくわへい・だきょうわへい)
第三案が区分した二つの終戦の形。「妥協和平」は一定の条件を保持したまま結ぶ和平。「屈伏和平」は事実上の降伏に近い和平で、戦況最悪の場合には国体護持(皇室の存続)のみを条件とし、他はすべて譲歩する、という覚悟を指す。
「ソ連仲介」(それんちゅうかい)
第三案が終戦の具体的手段として提示した路線。ソ連に独ソ和平を斡旋させ、その見返りとして、ソ連の仲介により日本と米英との和平を斡旋させる、という構想。のちの近衛文麿特使派遣案(昭和二十年)の原型にあたる。ただし本作中、松谷と加瀬は、この路線がソ連に裏切られる危険を早くも見抜いている。
「御聖断」(ごせいだん)
天皇の最終的な御裁可。本話で第三案の結論として、初めて軍の研究文書に書きつけられた。本作後半、ポツダム宣言受諾の聖断、八月十四日の御前会議における最終聖断、への遥かな伏線。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・昭和十九年三月十五日、戦争指導班が「昭和十九年末ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル観察(第三案)」を完成させたこと。種村佐孝中佐がモスクワ出張中で、松谷誠班長と橋本正勝少佐の二名を中心に起草されたこと(『機密戦争日誌』、山本智之『主戦か講和か』)。
・本文に引用・要約した第三案の文言は、原本(国立公文書館蔵「昭和十九年末ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル観察」)および研究書に基づきます。具体的には、中部太平洋方面を「致命的要衝にして最も弱点とする」とし敵の決戦的反攻を四〜五月/六〜七月と予測した第三項、国力・船舶の逐次低下と米国の生産余力に関する第四項、終戦方途を六〜七月以降に首脳間で切り出し予め天皇に奏上するとした第七項五、独ソ和平・ソ連仲介に関する諸項、そして「四月中旬中に大綱方針に関し御聖断を仰ぎ」とする第八項結論など。
・松谷が回想録で第三案の骨子を「東西共に戦争の勝敗の山は見えた。遺憾ながらわが方の負けである……戦況最悪の場合には国体護持だけに止むべきである」と要約していること(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。
・服部卓四郎の経歴(ノモンハン事件、開戦時の作戦課長、ガダルカナル後の東條陸相秘書官への転出、昭和十八年十月の作戦課長再任)。
【創作部分】
・麹町別館での起案場面の松谷と橋本の対話、霞町での加瀬との検討の場面は創作です。第三案の各項の論点を、登場人物の会話として再構成しています。
・松谷と加瀬がソ連仲介の危険を見抜く対話は、史実としての両者の慧眼(加瀬は戦後、ソ連の対日姿勢を一貫して厳しく見ていた)を踏まえた創作的演出です。
・第三案が真田穣一郎第一部長・服部卓四郎作戦課長に提示され、真田が「趣旨同意なるも印刷に附して残すは不可」とした史実(『機密戦争日誌』)は、本話末尾で松谷が予期する形で示し、実際の対峙の場面は第19話で描きます。なお松谷が真田・秦に口頭で意見具申を行い制止を受けたのは、史実としては同年六月二十三日の出来事であり、本作では後続のエピソードで改めて扱います。
■ 参考文献
国立公文書館蔵「昭和十九年末ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル観察」
種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房、1952年
軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌』錦正社、2008年
松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年
山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年




