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第16話「外相・参謀総長会談の模索と国体護持」

【前書き】(重光葵より)


 重光葵、外務大臣である。


 松谷大佐が、昭和十九年一月二十日、外相官邸を訪ねてきた日のことを、いまも鮮明に覚えておる。あの日、わしは松谷殿に、たった一句を、託した。


 ――「まず参謀総長と外務大臣が、腹蔵ない懇談を、遂げたい」。


 松谷殿は、深く頷かれた。「拝承いたしました」と仰った。


 あの一月二十日から、二月二十一日までの、ちょうど一ヶ月。それがわしと松谷大佐に、そして日本の戦争指導に、残された最後の窓であった。その窓は、二月二十一日に、突如、軍靴の音と共に、閉じられたのである。



【本文】

 昭和十九年(一九四四年)、一月四日。


 市ヶ谷台、参謀本部・麹町別館。


 外は、新年の冷気である。されど別館の一室には、火鉢の熱と、男たちの体温と、紙とインクの匂いが、こもっていた。


「橋本」


 俺は、机の向こうの少佐に、声をかけた。


「題は――『昭和十九年度に於ける危機克服の為採るべき戦争指導方策に関する説明』。骨格は、独観察と、ドイツの急変仮定の延長線上にある」


「は」

 橋本正勝少佐は、ペンを取った。

「最低条件を、明文化する」

「は」

 俺は、深く息を吸った。



「『条件ノ最低――国体護持ヲ限度――ヲ以テ、和平セサレハ、国ヲ危クス』」



 橋本のペンが、罫紙の上を、ゆっくり走った。


 書き終えたペンが、止まった。橋本は、面を上げた。


「班長殿。これは――軍内部の文書において、初めての明記となります」

「然り」


 国体護持。


 この四文字は、これまで戦争指導班の議論の中で、口頭でしばしば用いられていた。だが、軍の正式な研究文書に、紙の上に、はっきりと書きつけられたのは、この


一月四日が、初めてであった。


 以後、終戦までの一年八ヶ月、この四文字は、四人組の終戦工作の絶対的な北極星となる。


    *


 翌一月五日。


 午後、俺は橋本を伴い、九段下の偕行社へ向かった。


 そこで、毛里英於菟が、待っていた。


 昨年十一月二十六日の本郷の離れでの初対面から、すでに二回目。本日は、毛里からの「戦後経営に関する問題」の最新の研究案を、聴取する場であった。


 毛里は、罫紙の束を持参していた。


「松谷大佐殿。今回は、敗戦直後の食糧、財政、思想、占領軍との折衝、農業合作社、左右両翼の動向――この六項目について、案を作成いたしました」


 俺と橋本は、黙って、毛里の言葉を、聞き続けた。


 毛里の語りは、軍人の発想を遥かに超えていた。敗戦の翌日に何が起き、翌月に何が起き、翌年に何が起き、五年後に何が起きるか――まるで、すでにその時間の中を、毛里が生きてきたかのような口ぶりだった。


 二時間の聴取が終わり、俺たちは席を立った。別れ際、毛里は俺に、低く言った。

「松谷大佐殿。一つだけ、お願いがございます」

「うむ」


「貴殿の名は、わたくしの記録の中に、決して残しません。わたくしの名も、貴殿の文書には、決して残されますな」


「拝承いたしました」


 俺たちは、互いに、深く一礼した。


    *


 一月二十日、午後。


 永田町、外相官邸。


 俺は、杉山総長への意見具申を一度終えた後、その足で外務省へ廻り、重光葵外相と二人だけの懇談に臨んでいた。


 応接室の暖炉に、白い炎が揺れていた。


 重光は、義足を僅かに伸ばし、深々と腰掛けて俺に向き合っていた。昭和七年、上海天長節で爆弾を浴び失った右脚の代わりに、義足が、この方の体を支えている。


「松谷君」


「は」


「貴官、本年初頭の戦況の見通しを、どう読む」


 俺は、「独観察」「ドイツ急変仮定」「危機克服説明」――三つの研究文書の結論を、要約して述べた。


 重光は、深く頷いた。そして、暖炉の炎を見つめながら、低く言った。


「松谷君。わしは、昨年来、駐華大使時代からの持論を申してきた。政戦両略の協調こそ、戦争指導の(かなめ)である、と」


「は」


「現状の大本営政府連絡会議は、構成員が多すぎる。下僚の幕僚たちが事前に作案したものを、上司が形式的に追認するだけの、空転の場と化しておる。これを改めねば、戦争指導は動かぬ」


「左様でございます」


「故に――」


 重光は、俺の眼を、まっすぐに見た。


「大本営政府連絡会議の出席者を、少数精鋭にする。今後の戦争指導に関し、積極的に討論審議できる場とする。これには、まず――」


 外相は、一拍、間を置いた。



「参謀総長と外務大臣が、腹蔵ない懇談を、遂げたい」



 俺は、深く頷いた。


「閣下、小官も、まったく、同じ思いでございます。杉山総長と外相とが、隔意なく談合される機会を、必ず取り計らいまする。腹案、すでに胸中にあり」


 重光は、一度、深く眼を閉じられた。


 そして、再び眼を開けられた時、その瞳には、覚悟の光が宿っていた。


「頼んだぞ、松谷君」

「は」


    *


 外相官邸を辞した俺は、その夜、麹町別館の自室で、ひとり長く考えた。


 杉山総長と重光外相のトップ会談。これが実現すれば、戦争終結の話は、必ず、内閣と統帥部の最上層へと、押し上がる。重光は、その話を、ご自身で陛下にお取り次ぎになる。陛下は――松平閣下の伝えたあの八文字――「お案じあそばしておられる」――そのお気持ちで、お受け止めになるであろう。


 糸が、繋がる。重光と、杉山と、陛下と、松平と、加瀬と――。


 俺は、ペンを取り、杉山総長への再度の具申書の草案を、書き始めた。


    *


 しかし、杉山閣下のお返事は、いつも、同じであった。


 一月の下旬、二月の初旬、二月の中旬。俺は、再三にわたって、外相との懇談を、閣下に具申した。


 杉山閣下は、内心、賛意を示しておられた。それは、お眼の動きで、わかる。

 されど、お口は、開かれなかった。


「松谷大佐」


 二月初旬の、ある日のお返事が、こうであった。


「貴官の主旨、わしも、よく分かる。されど――統帥権の独立、作戦上の機密保持、これを破ることは、容易には出来ぬ。いま少し、時機を待て」


 俺は、深く一礼するのみであった。


 部屋を出る時、振り返った杉山閣下の御眼には、深い、深い苦渋の色が、浮かんでいた。


 俺は、悟っていた。閣下は、東條閣下に気兼ねされている。そして、真田作戦課長以下、徹底抗戦を叫ぶ部下たちへの思惑も、お考えになっておられる。閣下御自身が、真田たちの「主戦の旗手」を、表面上、演じ続けねばならぬ立場におられる。


 あの「種子は土に深く埋めて護る」と仰った閣下の論理は、いま、閣下御自身を、土の中に縛っていた。


    *


 二月五日。


 モスクワ行きの軍用機が、立川飛行場から、雪の中を()っていった。


 乗機の中には、種村佐孝中佐が、いた。伝書使(クーリエ)として、佐藤尚武駐ソ大使に書類を届ける任務――というのが、表向きの名目であった。


 俺は、雪の中、立川の格納庫の脇で、軍用機を見送った。


 種村は、決して悪い男ではない。むしろ、信頼できる先輩班員である。されど、種村は作戦課を兼務する身であり、参謀本部の下部組織が敗北を前提とした終戦案を起案することには、終始、抵抗を示していた。


 班に、種村がおる限り――決定的な終戦案は、書けぬ。


 俺は、苦渋の決断として、種村のモスクワ出張を、上司に具申していた。秦次長は、すべてをご承知の上で、これを認められた。


 軍用機の翼が、雪雲の中へ消えていった。俺は、しばし、空を見上げ、心の中で、種村に詫びた。


 「種村中佐。すまぬ。されど、貴官が帰国される頃には、新たな案が出来上がっておる。その時、貴官と、もう一度、議論を重ねたい――」


    *


 二月の中旬、俺は橋本と二人、麹町別館で、新たな終戦案の起案に、本格的に取りかかっていた。


 題は、すでに胸中に決まっていた。


 ――「昭和十九年末ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル観察」。


第三案、と俺は呼んだ。


 昭和十九年末を目途とする戦争終結。対米一撃の後、ソ連を仲介者として、英米から妥協和平を引き出す。最悪の場合は、国体護持のみを条件とする屈伏和平、もやむを得ず――。


 俺たちが、これまで、紙の上で、口頭で、断片的に積み上げてきた終戦構想のすべてを、この一案に、凝縮しようとしていた。


 完成までは、あと一ヶ月か。橋本のペンが、罫紙の上を、夜を徹して走り続けていた。


    *

 二月十七日、十八日。


 新聞各紙が、トラック島空襲の報を、伝え始めた。


 米機動部隊による、二日間にわたる大空襲。連合艦隊の主力基地が、壊滅的な打撃を受けた。輸送船多数、艦艇多数、航空機多数を失った。海軍の南方の生命線が、根元から、揺らいだ。


 俺は、朝の参謀本部の廊下で、新聞を握りしめていた。


 手の指が、わずかに、震えた。


 絶対国防圏。九月三十日御前会議で、この国の戦略の前提として宣言された、あの「絶対」の輪郭が、いま、内側からも、外側からも、剥落し始めていた。


 その日の昼過ぎ、俺は秦次長に呼ばれた。次長室に入ると、秦中将は、お眼を伏せたまま、低く仰った。


「松谷大佐」

「は」



「明日、十八日の夜――陸軍の三長官会議が、召集される」



 俺は、息を呑んだ。三長官会議とは、陸軍大臣、参謀総長、教育総監――陸軍の最高人事を決定する、統帥の最重要会議である。それが、突然――トラック島空襲の翌日に――召集される。


 俺は、低く問うた。

「議題は」

 秦次長は、しばし、お眼を、お閉じになった。

 そして、ゆっくりと、お眼を、お開きになった。



「東條閣下が――参謀総長の兼任を、お申し出になる、との(よし)である」



 部屋に、静寂が落ちた。

 俺は、その一句を、しばし、頭の中で、消化できなかった。

 兼任。

 

 首相、陸相、軍需相。そこに、参謀総長が、加わる――。

 国務と統帥が、一人の手中に、集約される。


 すなわち、杉山閣下――俺の盾――が、参謀総長の座から、お降りになる。


 俺は、立ったまま、しばし、声を出せなかった。

「松谷大佐」

 秦次長は、低く、続けられた。


「貴官の第三案、起案中の(よし)。されど、もはや、それを杉山閣下のお手に届ける機会は、来ぬであろう」


「次長閣下――」

 俺の声は、わずかに、震えた。

「明日の三長官会議で、何が起きるか、わしには、わからぬ。されど、心して、結果を待たれよ」

「拝承いたしました」

 次長室を辞した俺は、廊下を、ゆっくりと、歩いた。

 窓の外、市ヶ谷台の二月の冬空に、低く、雲が垂れ込めていた。


 二月十八日――。


 明日の夜、三長官の会議室で、陸軍の最高人事が、揺らぐ。そして、その揺らぎは、俺の研究班の盾を、東京の夜の冷気の中へと、押し出すであろう。

 俺は、しばし、廊下に、立ち尽くした。



【後書き】(加瀬俊一より)

 加瀬俊一、外務省北米局北米第一課長(兼外相秘書官)である。


 二月十七日の夜、わたくしは、外相官邸でひとり、重光閣下と向かい合っていた。閣下は、ほとんど何も仰らなかった。ただ、暖炉の炎を、長く、見つめておられた。


 翌十八日の夕刻、市ヶ谷台に、三長官会議が召集される、との情報が、わたくしの耳にも届いた。重光閣下は、一切のお口を、閉ざされたままであった。


 次回、市ヶ谷台と外相官邸と内大臣府と、四方の地下水脈すべてが、一夜にして、揺らぐことになる。陸軍大将・東條英機が、参謀総長を兼任する。杉山元帥は、私情を抑えて辞任を甘受される。松谷大佐の盾は、外れる。日本の戦争指導の最後の細い窓が、軍靴の音と共に、閉じられる、運命の一夜が――。




【本話初出の用語】

三長官会議(さんちょうかんかいぎ)

陸軍大臣・参謀総長・教育総監――陸軍の三人の最高指揮官による、陸軍の最高人事を決定する会議。陸軍内部における重大人事(大将昇進、要職交代等)は、この三長官の合議を経て天皇に上奏される。本話末尾で、二月十八日に召集が伝達される。


トラック島空襲

昭和十九年二月十七日・十八日、米機動部隊が中部太平洋カロリン諸島のトラック島(連合艦隊の主力基地)に対して行った大規模空襲。日本側は輸送船・艦艇・航空機に甚大な被害を出し、海軍の南方拠点としての機能を失った。本話末尾で、東條の参謀総長兼任の直接的引き金となった戦況悪化の象徴として描出。

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