第15話「秘密の階段、二度目の足音」
【前書き】(松平康昌より)
松平康昌、内大臣秘書官長です。
松谷大佐が千駄ヶ谷の私の家の門を初めて潜られたのは、十月の下旬でした。あれからふた月。冬枯れの庭木の向こうで、私は二度目、三度目と訪ねて来られる松谷君の足音を、聞き分けるようになっていましたよ。
あの人の足音は、軍人らしからぬ軽い足音でしてね。土間の砂利を踏む音が、外で大きく鳴らない。あれは、自分の存在を消そうとする者の足音です。
ある冬の宵、私は松谷君に、陛下の御心の片鱗をお伝えしました。「お案じあそばしておられる」――この八文字を口にしたとき、私は自分もまた一線を越えたのだと、骨身に刻んだのです。
【本文】
昭和十八年、十月の松平閣下との初対面の後、俺は何度か折を見て、千駄ヶ谷の松平侯邸を訪ねた。
二度目は、十一月の中旬であった。タラワ、マキンの戦況がまだ確定していない頃である。三度目は、十一月の下旬。タラワ、マキンが落ちた直後であった。そして、四度目は、十二月の半ば、カイロ宣言の発出から数日経った頃のことだったと、記憶している。
訪問のたびに俺は、戦争指導班の最新の判断を、松平閣下に伝えた。
タラワ・マキン陥落については、「絶対国防圏」の最外側の崩落であると申し上げた。九月三十日御前会議で決定された五ヵ年長期戦争指導計画――「概ね昭和十九年中期を目途とし米英の進攻に対応すべき戦略態勢を確立しつつ随時敵の反攻戦力を捕捉破摧す」――その前提が、わずか二ヶ月足らずで、外側から崩れ始めている。これが、客観的な戦況の真相である、と。
松平閣下は俺の説明をいつも、深く頷かれながら、お聞きになった。御自分からの問いは、ほとんどなかった。だがお聞きになる眼の光は、回を重ねるごとに、深くなっていった。
*
俺は毛里、武村、松岡、久原、酒井――外部のネットワークから集めた知見を、松平閣下に対しても、その存在自体を口にしなかった。
第二十班内部ですら、種村にも橋本にも開示せぬ網目を、内大臣秘書官長といえども、お伝えする訳にはいかぬ。情報源を護ることは、情報源そのものの命を護ることに直結していた。
ただし俺はその分析の結論だけは、松平閣下にお届けした。
例えば、米英の生産力差――「武村教授」の名は伏せて――「ある経済学者の極秘の試算によれば」と前置きし、日米の航空機生産比は二十倍を超える、と申し上げた。
例えば、ソ連の本性――「松岡閣下」「久原氏」のお名は伏せて――「ソ連通の某氏の所見によれば」と前置きし、スターリンの抱擁の腕の下には別の手で短刀が握られている、と申し上げた。
例えば、戦後経営――「毛里氏」のお名は完全に伏せて――「我が班の極秘研究によれば」と前置きし、敗戦後の食糧、財政、思想、占領軍との折衝までを、すでに紙の上で構想し始めている、と申し上げた。
俺の語りには固有名詞が、ほとんどなかった。しかし、内容はすべて事実であった。
松平閣下はその語りを、お聞きになった。お名を問われることは、一度もなかった。それは閣下が聞かぬという御配慮こそ、聞くことよりも深い御配慮であると、御承知の上でのことだった。
*
四度目――十二月十二日であったか、十三日であったか――の訪問のことを俺は、生涯、忘れぬ。
その夜は雪が降り始めていた。千駄ヶ谷の屋敷の庭木の枝に、白い粉が薄く積もっていた。
いつもの八畳の和室。掛軸は相変わらず「和」の一文字。火鉢に炭が熾っている。
松平閣下は和服姿で、俺を迎えられた。家紋――丸に三つ葉葵、越前葵――が胸の上で暖色の灯に、わずかに揺れていた。
その夜、俺は戦争指導班の十二月の最新判断を申し上げた。
「先月、ギルバートのタラワ、マキンが落ちました。絶対国防圏の外郭が、東から破られ始めております」
「カイロでは米英中の三国首脳が、わが国の無条件降伏まで戦争を続けると宣言いたしました。敵は途中で手を打つ気がない――それを世界に公言したのです」
「船は、十一月だけで沈没十万トン。損傷を含めればその倍であります。そして班の研究では、ドイツは敗れ、ソ連が完勝してヨーロッパの覇者となる――そう結論いたしました」
松平閣下は深く頷かれた。
しばし、沈黙が落ちた。
火鉢の炭が、パチ、と弾けた。
やがて閣下は低く、しかし、はっきりと仰った。
「松谷君」
「陛下は――」
閣下は一拍、間を置かれた。
「お案じあそばしておられる」
*
俺は息を呑んだ。
お案じあそばしておられる。
たった八文字である。しかし、この八文字が指し示す射程の広さに、俺の体はしばし石のように固まった。
陛下が戦況を御憂慮あそばされておられる。陛下が戦争の行く末を、夜々、お心を労されておられる。陛下がすでに終戦の方途について、御思考あそばされ始めておられる――。
それは御学問所の中の、深い御思索の片鱗であった。それを松平閣下が、ただひとり、目撃され、そしてその片鱗を、いま、俺ひとりに託される。
俺はしばし、声を出せなかった。
松平閣下はそれ以上、お加えにならなかった。沈黙をお置きになった。その沈黙こそが八文字を補う、一切の註釈であった。
やがて俺は深く頭を下げた。
「松平閣下――承知いたしました。この八文字、小官の腹の底に、深く深く収めます」
松平閣下はわずかに、頷かれた。
眼の縁がほのかに、湿っているように、俺には見えた。
*
その夜、千駄ヶ谷の屋敷を辞する刻、玄関の式台で松平閣下は、俺を呼び止められた。
「松谷君」
「終戦は水が岩を穿つに似たり――前回、僕はそう申し上げましたね。覚えておいでですか」
「覚えております。骨身に刻みます」
「では、もう一句お預けしておきましょう」
閣下は瞼を閉じられた。
そして低く口ずさむように、仰った。
「『水滴石を穿つ。一滴の力に非ず、止まらざるが力なり』」
俺は深く頷いた。
「承知いたしました」
「松谷君、あなたは誠の人ですよ。誠の人の足音は、止まらない。それが岩を穿つんです」
俺は再び、深く一礼した。
*
千駄ヶ谷の門を出て、俺はしばし、雪の降る道に立ち止まった。
お案じあそばしておられる。
止まらざるが力なり。
二つの言葉が俺の腹の中で、響き合っていた。
頭上を見上げると、雪雲の切れ目に白い半月が、ぼんやりと浮かんでいた。
毛里、武村、松岡、久原、酒井。林、杉田、晴気。重光、加瀬。秦次長、種村、橋本。そして――松平。
俺は孤独ではなかった。一滴一滴の力は弱い。しかし、止まらぬ。
俺は外套の襟を立て、再び、雪の中を歩き出した。
【後書き】(種村佐孝より)
種村佐孝、陸軍中佐である。
あの冬、班長はしばしば夜分、参謀本部を出て行かれた。どこへ行かれるのかは、敢えて聞かなかった。班長が口を開かれぬ限り、私は聞かぬ。それが第二十班の流儀であった。
ある雪の夜、班長が役所に戻って来られた折、肩に雪を残し、頬がわずかに紅潮しておられた。眼の光がいつもより、深かった。
「種村」
「来年(昭和十九年)の二月、貴官にモスクワへ行ってもらう。佐藤駐ソ大使に会い、特使派遣の可能性を探ってほしい」
私は即答した。
「承知いたしました」
■ 人物紹介
本話に新規登場の人物はない(全員既出)。
■ 用語集
「お案じあそばしておられる」
本話の中心となる、松平康昌より松谷誠に伝達された天皇陛下の御心の表現。「案じる」「思い悩む」の最高敬語。陛下が戦況の行く末を、夜々、深く御憂慮あそばされていることを、内大臣秘書官長として直接御学問所に出入りする松平が、唯一の証言者として松谷に伝達する。本作における四人組の終戦工作の絶対的根拠であり、最終的な聖断への遥かなる伏線。
「水滴石を穿つ。一滴の力に非ず、止まらざるが力なり」
中国の故事(後漢書・班超伝等)を踏まえた箴言を、松平が松谷に第二の言葉として贈ったもの。先の訪問で授けられた「水が岩を穿つに似たり、一滴を止むるなかれ」をより哲学的に深化させた表現。「止まらぬこと」自体が力であるという、松谷ら四人組の終戦工作の根本原理を凝縮する。
御学問所
宮中における天皇の御執務・御勉強のための部屋。皇居内の御文庫と並び、天皇が日常的に書類を御覧になり、御思索に専念される場所。松平康昌は内大臣秘書官長として、内大臣・木戸幸一とともに、この御学問所に直接出入りする数少ない人物の一人であった。本話では松平が「お案じあそばしておられる」と告げる根拠として、この御学問所での目撃の文脈が暗示される。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・松谷が昭和十八年秋以降、松平秘書官長を繰り返し訪ね、戦局の真相を伝え続けたこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』、山本智之『主戦か講和か』)。
・タラワ・マキンの陥落が「絶対国防圏」の前提を外側から崩し始めたこと、昭和十八年秋以降の船舶喪失の急増(十一月は沈没だけで約十万トン、損傷を含めればその倍。種村佐孝『大本営機密日誌』)。
・昭和天皇が戦況の行く末を深く憂慮しておられたこと。種村佐孝中佐が翌十九年二月、伝書使としてモスクワへ出張したこと。
【創作部分】
・「お案じあそばしておられる」の八文字を松平が松谷に伝える場面は、松平が宮中の空気を松谷に伝えていたという史実の枠組みに基づく創作です。
・「水滴石を穿つ。一滴の力に非ず、止まらざるが力なり」の箴言の授受、雪の夜の情景、訪問日付の特定は創作です。
■ 参考文献
松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年
山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年
種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房、1952年




