第13話「『独観察』――ソ連完勝の予感」
【前書き】(橋本正勝より)
橋本正勝、陸軍少佐である。
昭和十八年十月十五日付で、第二十班に新たに配属された。班長は松谷誠大佐殿。種村佐孝中佐殿、そしてわたくし。三名の小所帯であった。
配属された途端、わたくしは「独観察」という、この国の運命を左右しかねぬ研究の真ん中に、放り込まれた。「ドイツが敗ける」――この一句を紙の上に書き起こすことを命じられたのが、わたくしの最初の仕事であった。
あの文書を起案した夜、班長殿が後にどなたへ届けに上がられたか――そしてその先でどなたの「沈黙」がわたくしたちを護ったか。それを後年、わたくしは知ることになる。この一戦、見届けていただきたい。
【本文】
昭和十八年十一月初旬。
市ヶ谷台、第二十班の研究室。
縮小されて三名となった班の机は、これまでにないほど近接して並んでいた。班長・松谷誠大佐の机を中心に、種村佐孝中佐、橋本正勝少佐の机が、二等辺三角形のように配置されている。
壁には、欧州戦線の大地図。北は北極海から、南は地中海まで。ドイツ、ソ連、ヨーロッパ全域を一目で見渡せる、最新版の戦況図である。
地図の上には黒と赤の押しピンが、無数に刺してあった。黒はドイツ軍。赤はソ連軍。十月の上旬から、俺たちは毎日、情報部から流れ込む電報をもとに、押しピンの位置を、わずかずつ西へ西へと、動かし続けていた。
黒のピンが後退している。
赤のピンが前進している。
その動きは緩やかでありながら、しかし確実で止まらなかった。
*
十一月初旬のある朝、俺は橋本少佐に告げた。
「橋本」
「『独ノ戦争指導ニ関スル観察』――この題で文書を起案する。骨格は俺と種村が、これまで十月の半ばから煮詰めてきた。お前はその骨格に基づいて、文書としての肉付けをやってくれ」
「承知いたしました」
橋本は姿勢を正した。
陸士四十二期、陸大卒、当時三十五歳。新進気鋭の参謀である。十月の機構改革で、第二十班に配属されてきたばかり。だがその頭脳の冴えと、文書起案の几帳面さは、すでに俺の眼に留まっていた。
「橋本、こいつは『独観察』と省略して呼ぶことにしよう」
「ただし――」
俺は声を低めた。
「これはただの戦況分析ではない。日本の同盟国の敗北を、紙に書く文書だ。書きながら、自分の腹の覚悟も、固めねばならぬ」
橋本は深く頷いた。
*
十月から十一月にかけての俺たちの議論の出発点は、一つであった。
――東部戦線の、独ソ戦の現状。
西部戦線では米英軍とドイツ軍は、ドーバー海峡を挟んで対峙したまま、まだ大規模な地上戦には入っていない。米英軍の本格的な大陸侵攻――いわゆる第二戦線――は来年(昭和十九年)以降と見積もられていた。
しかし、東部戦線は違う。
ロシアの広大な平原で、独ソ両軍は、すでに足掛け三年の地上戦を続けている。スターリングラード、クルスク、ハリコフ、キエフ。一つ一つの戦いが、人類史上最大規模の物量戦であった。
その東部戦線でいま何が起きつつあるか。
俺の机の上には情報部・第五課課長・林三郎大佐から、コッソリと回されてきた、最新のソ連軍動向の分析資料が広げられていた。十月十五日付で着任した林三郎は、すでに俺たちとの「コッソリ連携」を実行に移し始めていた。
「種村」
俺は向かいの机に呼びかけた。
「林大佐の分析、どう読む」
種村は紙を繰りながら、低く言った。
「七月のクルスクの戦い――独軍は、ツィタデレ作戦に失敗いたしました。以後、東部戦線の主導権は、完全にソ連軍へ移っております。ハリコフ、スモレンスク、キエフ。後退に次ぐ後退」
「結論を簡潔に」
種村は紙を置いた。
「ドイツは敗けます」
彼はわずかに声を呑んだ。
「敗け方はおそらく――対米英ではなく、対ソ。米英が大陸に上陸する前に、ソ連がドイツを叩き伏せる可能性が、極めて高い」
俺は深く頷いた。
「橋本、書きつけよ」
橋本はペンを取った。
罫紙の冒頭にゆっくりと、しかし確かに書きつけられた一句があった。
――「独『ソ』戦況ノ推移ハ、独ニトリ相当憂慮スヘキモノアリ」
*
しかし、戦争指導班の議論は、そこで止まらなかった。
「種村、橋本」
俺は二人を見た。
「ここからが、本論だ」
俺は地図のドイツの部分に、指を置いた。
「ドイツが敗ける。その敗け方が、対ソ敗北である――この見立てが正しいとすれば、戦後のヨーロッパは、誰の手に落ちる」
「ソ連であります」
「そうだ」
俺は続けた。
「米英軍がベルリンに到達する前に、ソ連軍が東から到達するであろう。少なくとも、東欧、バルカンの大半は、ソ連軍が解放することになる。ヨーロッパ大陸の戦後の主導権は、米英ではなく、ソ連が握る。これが戦後の世界の、最大の地殻変動となる」
橋本がペンを止めて、顔を上げた。
「班長殿。それは――まことに重大な含意を、持ちますな」
「その通りだ」
俺は机の引き出しを開け、ユーラシア大陸全体の地図を取り出した。
「ソ連が欧州の覇者となる。その時、ソ連の発言力は、米英を凌駕する。米英ですら、ソ連の意向を無視できなくなる――この見立てに、立つ」
「承知いたしました」
「ならば」
俺は声をさらに低めた。
「日本が米英との直接の講和を求めても、米英は『無条件降伏』しか認めぬ。一月のカサブランカ会談で、ローズヴェルトとチャーチルが宣言した通りだ。しかし、ソ連を介すれば――どうか」
種村が息を呑んだ。
「ソ連は日本と中立条約を結んでおります。中立条約が生きている限り、対米英との講和の仲介者として、ソ連は立てる」
「そうだ。ソ連の発言力を、テコ(支点)として利用すれば、米英を無条件降伏ではない講和へと、引きずり込める可能性がある。これが戦争終結への、最後の細い道だ」
部屋にしばし、沈黙が落ちた。
壁の地図の上で赤い押しピンが、いまにもベルリンに到達しそうに、西へと進んでいた。
*
その日の夕刻まで、俺たち三人は議論を煮詰め続けた。
第一段落――対ソ戦における独軍の戦況不振。「相当憂慮スヘキモノアリ」。
第二段落――ソ連軍の主導権獲得とソ連完勝の予測。
第三段落――戦後のヨーロッパにおけるソ連の覇権の予測。
第四段落――この予測に基づき、日本の戦争指導は「対ソ施策」を最優先せねばならぬ、との結論。
四段。三千字に満たぬ、簡潔な文書である。しかし、その四段の中に戦争指導班の冷徹な世界観のすべてが、凝縮されていた。
最後の一句――「故ニ帝国ハ、対独関係ニ拘ハラズ、ソ連ニ対スル施策ヲ機ニ応ジテ実施スル必要アリ」。
俺は頷いた。
しかし、俺たちの研究はこれで終わりではなかった。
同じ十一月五日、別館にて、もう一つの極秘文書を、橋本は徹夜で起案した。題は――「ドイツの急変を仮定する場合の帝国戦争指導の研究」。
文書の最終段に橋本は、こう書きつけた。
――「若シ昭和十九年中ニ『ソ』連ガ対日参戦スル事態ニ立チ到ラハ、帝国ガ自主的ニ戦争終末ヲ獲得スルコト至難ナリ」
自主的な戦争終末の獲得すら、至難――。
その一句の先にあるものを、俺たち三人は口にはした。国体の護持。すなわち天皇制を守ることすら危うくなるという、最後の見通しである。だがこの四文字を紙の上に書きつけることだけは、この夜はまだ、しなかった。書けば、それは観察ではなく、覚悟になる。
その覚悟が紙に降りる日は、年が明けてすぐに来る。
四十年、軍人として生きてきた俺の生涯において、これほど重い研究を自らの手で起案させた覚えは、ない。
*
翌十一月六日、朝。
俺は二つの綴りを抱え、参謀次長・秦彦三郎中将の部屋を訪ねた。
「次長閣下、戦争指導班の最新の研究文書、二通であります」
秦次長は文書を受け取り、ゆっくり繰り始めた。表情は動かぬ。だが書類を握る指先が、わずかに震えていた。
二度、繰り返し読まれた後、次長は低く言った。
「松谷大佐」
「これは――重大な、結論である。読み手によっては、敗北主義者の烙印を押されかねぬ」
「しかし――」
次長は俺の眼をまっすぐに見た。
「これは貴官と俺だけの腹に収めて済む話ではない。総長閣下に、まずお目通しを願う必要がある。同道せよ」
「承知いたしました」
*
杉山参謀総長の部屋。
杉山元大将。福岡県人。陸士十二期、陸大卒。陸相、教育総監、参謀総長――陸軍三長官のすべてを歴任した最重鎮であり、昭和十五年十月から参謀総長の任にある。本年六月には元帥の称号を允許されたばかりであった。
俺と秦次長は机の前に直立した。
「総長閣下。第二十班、本年十一月五日付の研究文書、二通でございます」
杉山閣下は黙って文書を受け取られた。
ゆっくり、繰り始められる。一頁、また一頁。
部屋には振り子時計の音だけが、響いていた。
杉山閣下は二通とも、最後まで読み通された。それから、もう一度、最初に戻り、傍線を引きたい箇所を眼で追うように、ゆっくりと読み返された。
長い、長い沈黙であった。
俺は自分の腹の鼓動が、軍服の下で烈しく打っているのを感じていた。
やがて杉山閣下は、文書を机の上に置かれた。そしてゆっくりと、面を上げ、俺を見られた。
杉山閣下の眼は何も語っていなかった。怒りも賛意も驚きも、そこにはなかった。
ただ――。
俺はその瞳の奥に、何か、深く沈んだものを、見た気がした。それは俺自身が九月案を起案した夜、自分の腹の底で見つめたものと、似ていた。
杉山閣下は低くしかし、明瞭に仰った。
「松谷大佐」
「文書、確かに預かった」
たった一句であった。
次に閣下は秦次長を見られた。
「秦次長」
「この件、当面、ここで止める。第一部、ことに作戦課には、回さぬ。貴官と俺の腹に、いったん、収めおく」
「承知いたしました」
杉山閣下は再び、俺を見られた。
「松谷大佐。研究は続けよ」
「承知いたしました」
「ただし――」
閣下はわずかに声を低められた。
「貴官、貴官の身も、貴官の班も、いまは極めて大事な、わが軍の小さな種子である。種子は土に深く埋めて、護る他ない。余人の眼に、晒すな」
俺は深く深く一礼した。
「承知いたしました」
*
杉山閣下の部屋を辞した後、廊下で俺は秦次長の眼を、見つめた。次長は深く頷かれた。
俺は悟った。
杉山閣下は表向きには、何一つ仰らなかった。あの文書の結論――ドイツ敗北、ソ連完勝、自主的終戦の至難――について賛成も反対も、口にされなかった。
しかし、閣下は文書を「預かった」と仰った。研究を「続けよ」と仰った。「種子は土に深く埋めて、護る」と仰った。
あの方は御自分の周囲を、御覧になっておられる。第一部・作戦課には、真田穣一郎大佐がおる。その背後に服部卓四郎、佐藤賢了――陸軍中央の主戦派の重厚な布陣。閣下はその包囲の中に、立っておられる。
表立っての賛意は、おっしゃれぬ。しかし、土に埋めて護る――。
あの「預かった」の三文字。あの「続けよ」の三文字。あの「種子」の譬え。
俺は骨身に刻んだ。
杉山閣下は本年三月、俺が市ヶ谷に着任したその日、御自ら俺に終戦研究をお命じになった、最初の御方である。半年余りの月日が流れ、俺はその閣下の、深く沈黙の中の御信頼の重さを、いま、改めて思い知らされていた。
承詔必謹――陛下の御意向に無言の内にお従いせんとされる、この方の腹の底。それが外面の主戦論の覆いの下で、深く深く息づいておられた。
*
その夜、俺は私物の手帳に、こう書きつけた。
――「十八年十一月六日、『独観察』および『ドイツ急変仮定』、杉山総長の御眼鏡に触れる。御沈黙のうちに、御預かりを賜る。研究、継続の御内命。我々の闘いは、依然、孤立。されど、孤立にあって、深く、研究を進めん。あの御眼の奥にあるものを、信じ抜こう」
筆を置き、俺は窓の外を見た。
十一月の夜空に月は出ていなかった。雲が低く東京の空を覆い、灯火管制下の街は、深く闇に沈んでいた。
杉山閣下の御眼の奥に、確かに在ったあの翳り――それを俺は信じる。
水が岩を穿つ。松平閣下の言葉が、今夜もまた、俺の腹の底で深く、響いていた。
【後書き】(秦彦三郎より)
秦彦三郎、参謀次長である。
あの日、杉山閣下が机の上に二通の綴りを置かれ、わずかに眼を伏せられた瞬間――わしは閣下の腹中を、はっきりと知ったのである。
閣下は最初から、すべてを御承知であった。本年三月、松谷大佐に終戦研究を御命じになったのは、閣下御自身であった。八ヶ月後、その研究の結晶が、御机の上に届いた。閣下はそれを御自分の腹の中に、収められた。
しかし、表立った賛意はお示しにならなかった。閣下のお背中には、真田作戦課長以下、主戦派の幕僚たちの視線がのしかかっていたからである。閣下はこの時期、表面では主戦の旗手を演じ切る他なかった。それが本当に終戦を成し遂げるための、唯一の身の処し方であることを、閣下は深く御承知だったのである。
その複雑な御立場こそが、松谷大佐を護った。
あの日、わしはわずかながらも、戦争指導班を護り続けたつもりである。しかし、本当の盾はわしの上に立たれた、あの杉山閣下の沈黙の御背中であった。
■ 人物紹介
杉山元(すぎやま・げん、1880年〜1945年、当時63歳)※第1話で既出、本話で本格描出
既出。本話で初めてその「表向き主戦論・内心終戦同意」の二重の政治的立場が物語の核心として描かれる。陸軍大将、福岡県人、陸士十二期。昭和15年10月から参謀総長、昭和18年6月に元帥。「承詔必謹」の精神に篤く本年3月の松谷市ヶ谷着任時から、ひそかに終戦研究を命じていた最大の後ろ盾。真田作戦課長以下主戦派の包囲の中で、表面は主戦論を維持しつつ、松谷を「種子は土に埋めて護る」の論理で守り抜く。1944年2月、東條の参謀総長兼任により総長を退く。同年7月、小磯内閣の発足に伴い陸軍大臣に再任され、同年11月、支那派遣軍に出されていた松谷を呼び戻して陸相秘書官に起用、終戦工作を加速させる。1945年9月12日、敗戦の責任を負って自決。本作における松谷の「最大の後ろ盾」として聖断成立まで陰の支柱を務め続ける重要人物。
橋本正勝※第11話で既出
既出。本話では「独観察」および「ドイツの急変を仮定する場合の帝国戦争指導の研究」の文書起案実務を担当。
秦彦三郎※第9話・第10話で既出
既出。本話では杉山総長の腹心として、松谷の研究文書を総長に取り次ぐ「日常の盾」として機能。総長と松谷を結ぶ仲介者の地位を確立。
■ 用語集
「独ノ戦争指導ニ関スル観察」(独観察・どくかんさつ)
昭和十八年十一月五日、参謀本部戦争指導班(第二十班)が起案した、極秘の情勢判断文書。クルスクの戦い後のソ連軍の主導権獲得を踏まえ、ドイツの対ソ戦敗北と、戦後ヨーロッパにおけるソ連の覇権を予測。「ソ連の発言力を利用した対米英講和」というソ連仲介路線の理論的根拠となる、画期的な文書。
「ドイツの急変を仮定する場合の帝国戦争指導の研究」
同じく昭和十八年十一月五日、戦争指導班が併せて起案した文書。ソ連が対日参戦した場合、帝国が自主的に戦争終末を獲得することすら至難になる、と結論づけた。ここで示された危機認識が、年明けの「国体護持」の明文化(第16話)へと直結していく。
承詔必謹
「詔を承りては必ず謹む」――天皇の御意向に、いかなる逆風があろうとも、無言のうちに従い抜くこと。本作の杉山元、後の阿南惟幾、梅津美治郎ら、終戦時の陸軍首脳に共通する精神的支柱。本話では杉山の「表向き主戦論/内心終戦同意」の二重構造を支える根本理念として位置づけられる。
「種子は、土に深く埋めて、護る他ない」
杉山参謀総長が松谷大佐の研究を比喩的に表現した名句。表立った保護(=日光に晒すこと)では、主戦派の包囲の中で松谷も研究も枯死する。深く土に埋め、外見上は何も無いように見せかけてこそ、種子は息づく。本作における杉山の人物像を凝縮する箴言。
クルスクの戦い
昭和十八年(一九四三年)七月から八月にかけて、東部戦線のクルスク突出部で行われた独ソ間の大規模戦車戦。独軍最後の大規模攻勢「ツィタデレ作戦」が失敗し、以後、東部戦線における主導権はソ連軍へ完全に移行した。
カサブランカ会談
昭和十八年(一九四三年)一月、米モロッコのカサブランカで開かれたローズヴェルト米大統領とチャーチル英首相の首脳会談。両者は枢軸国に対する「無条件降伏」を要求する宣言を発出。
第二戦線
米英軍によるヨーロッパ大陸への大規模上陸作戦の通称。実際には昭和十九年六月のノルマンディー上陸作戦として実現するが、本話時点ではまだ実行されておらず、その遅れがソ連にヨーロッパ戦線の主導権を握らせる要因となっていた。
「国体護持」(こくたいごじ)
「国体」=天皇を中心とする日本の国家形態を、いかなる事態に至っても守り抜くこと。本話の時点では班内の口頭の議論で用いられ始めた段階であり、軍内部の文書に初めて明記されるのは、昭和19年1月4日の「危機克服説明」(第16話)である(山本智之『主戦か講和か』)。
「コッソリ連携」※第11話既出、本話で実例描出
戦争指導班と情報部三課長(林・杉田・晴気)との水面下の情報共有体制。本話では林三郎大佐から松谷へ、ソ連軍動向の最新分析資料が「コッソリ」と回されてくる場面として、具体的に描出。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・昭和十八年十一月初旬、戦争指導班がドイツ敗北に対応した研究を開始したこと(山本智之『主戦か講和か』関係年表)。「独ノ戦争指導ニ関スル観察」(独観察)が独ソ戦の推移を「独ニトリ相当憂慮スヘキモノ」と分析し、ソ連の発言力を利用した対米英講和というソ連仲介路線の理論的根拠となったこと。
・「ドイツの急変を仮定する場合の帝国戦争指導の研究」が併せて起案され、ソ連が対日参戦した場合は帝国が自主的に戦争終末を獲得することすら至難になる、と結論づけたこと。
・「国体護持」の語が軍内部の文書に初めて明記されるのは翌昭和十九年一月四日の「危機克服説明」であること(山本智之『主戦か講和か』)。本話ではこの史実に従い、十一月時点では口頭の認識にとどめています。
・杉山参謀総長が松谷の終戦研究を表立って支持できない立場にあり、研究文書が作戦課に回されず上層部の腹に収められたこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。
・杉山が昭和十八年六月に元帥の称号を允許されたこと。
【創作部分】
・第二十班の研究室の描写(押しピンの地図、三角形の机の配置)、班内の議論の会話、十一月五日・六日という日付の特定は創作です。
・杉山総長の「文書、確かに、預かった」「種子は、土に深く埋めて、護る他ない」の台詞と総長室の場面は、杉山の沈黙の庇護という史実の構図に基づく創作です。
・松谷の私物の手帳は本作の創作的補助設定です。
■ 参考文献
山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年
種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房、1952年
松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年




