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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉


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第12話「二番目の同志・松平康昌内大臣秘書官長」

【前書き】(松平康昌より)


 松平康昌、内大臣秘書官長である。


 わたくしは、明治維新の名君と称えられた、越前福井藩主・松平春嶽の孫にあたる。木戸幸一内大臣のもとで、いわば「女房役」として、陛下、皇族、重臣、閣僚、陸海軍首脳、そして部外の有力者の方々との、広範な連絡調整にあたっておった。


 昭和十八年秋、わたくしのもとに、一人の陸軍大佐が、訪ねてこられた。福井県人会で、何度かお目にかかっていた、若き松谷誠大佐である。


 お互いに、まだ、腹の底を明かしてはおらぬ。されど、扉は、確かに、開きかけたのである。

 昭和十八年十月下旬。


 俺は、参謀本部の自席で、加瀬俊一からの一通の便箋(びんせん)を受け取った。


 封を切ると、加瀬の几帳面な万年筆の文字が、こう記されていた。


 「松谷大佐。先般、加瀬から松平秘書官長へ、貴兄の戦況把握の確かさを申し上げたところ、ぜひ非公式に、戦局の真相をお聞かせ願いたい、との内意あり。場所は、参謀本部や内大臣府ではなく、千駄ヶ谷の松平侯爵のご私邸を、と。福井県人会のご縁にて、儀礼の延長としてお訪ねになるのが、最も自然と存じます。 加瀬」


 俺は、便箋を折りたたみ、しばらく机の上に置いた。


 非公式――。


 加瀬の配慮が、深く伝わってきた。


 参謀本部の戦争指導班長が、内大臣府の応接室を公式に訪ねれば、それは「軍と宮中の公式接触」となる。記録が残る。憲兵の眼にも触れる。


 しかし、福井県人会の縁で、千駄ヶ谷の侯爵のご私邸を、夕刻に、非公式に訪ねるのであれば――それは、ただの「同郷人の懇親」である。書類は残らぬ。記録もない。


 俺は、ここで、自分の腹に、あらためて問うた。


 ――宮中。


 俺がこれから訪ねるのは、ただの一侯爵の私邸ではない。「宮中」と呼ばれる、この国の最も奥深い領域に通じる、その入り口の一つである。


 「宮中」とは、天皇陛下とその御一族のお側に仕える者たちが集う、閉じられた世界を指す。江戸の昔は「禁裏」「禁中」と呼ばれた。明治以降、政府(国務)とは別に、陛下の身辺を(まも)り、国体(天皇制)を支える人々が、宮内省、内大臣府、侍従職などに分かれて、お側にお仕えしている。


 軍は、宮中ではない。政府も、宮中ではない。重臣ですら、宮中の本流ではない。それぞれは、外側から、宮中に上奏(じょうそう)を願うか、お召しを受けて参内(さんだい)するかの立場である。


 その宮中の中で、最も重要な一つが「内大臣府」である。


 内大臣は、陛下の御身近くにあって、陛下の常時の御相談役を務める。総理大臣や陸海軍大臣のような、国務の責任者ではない。陛下お一人を支え、お助けすることを、唯一の任務とする。重臣会議の招集、後継首相の奏薦(そうせん)、皇室の重要事項の取り扱い――その権限は限定的だが、その影響は深い。


 いまの内大臣は、木戸幸一公爵。明治の元勲・木戸孝允(きど・たかよし)の孫である。陛下のご信任は篤く、政府と宮中の間で、極めて重い役割を担っておられた。


 その木戸内大臣の右腕として、内大臣府の実務を一手に取り仕切っているのが――内大臣秘書官長・松平康昌侯爵である。陛下のお気持ち、皇族の御動向、重臣・閣僚・陸海軍首脳の動き、部外の有力者の意向。これらすべての情報の流れを、整理し、調整し、内大臣にお伝えする。木戸内大臣の「女房役」と呼ばれる所以(ゆえん)であった。


 俺がこれから訪ねるのは、その人である。


 軽々しく開ける扉では、ない。


 しかし――先月、加瀬から聞いたことがあった。「赤松貞雄総理大臣秘書官が、東條首相のもとから、松平秘書官長へ、国内事情について非公式に連絡しておられる」と。


 陸軍省側からは、赤松総理秘書官。陸軍参謀本部側からは、俺・松谷。それぞれの立場で、組織の枠を半歩越えて、宮中に「真実」を流す――そういう細い(くだ)が、すでに、動き始めていた。


 俺は、加瀬への返信に、こう書いた。


 「謹んでお受けいたす。日時、ご都合のよろしきを承りたく」


    *


 数日後の夕刻。


 場所は、千駄ヶ谷――静かな邸町の一角にある、松平侯爵邸。明治神宮の(もり)に近く、表参道からは、わずかに離れた閑静な区域であった。


 俺は加瀬と並んで、千駄ヶ谷の道を、ゆっくり歩いていた。


「松谷さん」


 加瀬は、歩きながら小声で言った。


「これからお会いいただく松平侯は――お人柄は、絶対に間違いない。温容にして品格あり、しかも頭脳明晰。陛下のお側で木戸内大臣を支える、宮中の要の御方です」


「存じております」


 俺は応じた。


「福井県人会で、二、三度お目にかかったことがある。ご挨拶程度ではあったが、温和なお声と、深い眼差しを、よく覚えております」


「松平侯は、あなたの誠実さを、すでに認めておられます。あとは、本日の運び次第。あなたご自身のご判断で、進められませ」


「うむ」


 加瀬は、それ以上は何も言わなかった。


 代わりに、俺の腹の中で、自分自身に対する戒めが、静かに固まっていった。


 軍機の漏洩は、軍人にとって最大の罪である。それを、自らの判断で踏み越えてここまで来ている以上、せめてその範囲は、自らの手で厳しく区切らねばならぬ。本日も――いや、本日からも――俺の側から、「特に厳戒を加える」ことを、本人にお伝え申し上げる。それが、義であろう。


    *


 邸の門は、漆喰(しっくい)塀の中に静かに据えられた、簡素な数寄屋(すきや)造りであった。表札には、墨書で、ただ一字、「松平」と。


 書生に名を告げ、案内されて、玄関を上がった。式台の上には、葵紋を配した小さな提灯(ちょうちん)が、慎ましく一つ、据えられていた。


 応接間は、本格的な和室であった。檜の香り、(かす)かに漂う白檀(びゃくだん)。床の間の掛け軸には、「和」の一文字が、墨痕(ぼっこん)鮮やかに書かれている。


「松平春嶽公ご愛用の書斎にあった一幅、と聞いております」


 書生が、低く告げた。


 俺は、しばらく、その「和」の字を、見つめていた。


 幕末、四賢侯の一人として、武力ではなく合議で日本の進路を切り開こうとした、春嶽公。その「和」の精神が、いまここで、孫の代の俺たちに、静かな問いを投げかけているように思えた。


 障子が、静かに、開いた。


「松谷大佐、よくぞお越しくだされた」


 奥の間から、和服姿の細身の紳士が、現れた。


 松平康昌侯爵――五十二歳。銀色の混じった髪を後ろに撫でつけ、紋付の黒紋羽二重(くろもんはぶたえ)の羽織を着ておられる。袴は仙台平。


 その羽織の胸元と背中に、俺は、はっとして眼を吸い寄せられた。


 ――丸に三つ葉葵。


 徳川の葵紋である。


 しかも、徳川宗家の「三つ葉葵」と、わずかに葉脈の意匠が違う。これは、「越前葵」――徳川家康の次男・結城秀康を祖とする、越前松平家にのみ許された、別格の葵紋であった。


 徳川宗家、御三家、御三卿、そして、越前松平家。葵紋を着用する家系は、この国に数える程しかない。その葵紋を、いまこうして眼前で目の当たりにする――それだけで、俺の背筋が、自然と伸びた。


 俺は、深く一礼した。


「侯爵閣下。本日は、ご私邸にお招きいただき、恐縮の至りであります」


「『侯爵閣下』はやめませぬか。福井県人のよしみです。さあ、お坐りなさい」


 松平侯は、温和な微笑みを浮かべて、座をお勧めくださった。声は低く、柔らかい。眼差しは、柔和でありながら、奥に静かな深みを(たた)えていた。


 俺は、加瀬と並んで、座敷の上座(かみざ)に近い席に坐った。


 茶が供された。薄く淹れた煎茶の湯気が、畳に落ちる夕日の中で、ゆるやかに立ち昇った。


 松平侯が、こちらに向き直った時、再び、その羽織の家紋が、目に入った。三つの葵の葉が、円を描いて並ぶ意匠。葉脈のひとつひとつが、整然として、しかし力強く、仙台平の黒地に映えていた。


 徳川三百年の重み。そして、明治維新で大政奉還への道を開いた春嶽公の血統。それらすべてが、目の前のこの細身の紳士の、肩と背中に、静かに、しかし確実に、座していた。


    *


「松谷君――と、呼ばせていただこうか」


 松平侯は、湯呑を取りながら、ゆっくり始めた。


「金沢のお生まれだったな」

「は、出身は石川県金沢市ですが、福井県人・松谷覃思の養子に入りまして、本籍が福井であります」


「ほう。ご養子であったか」

 松平侯は、懐かしそうに頷いた。


「ご存じの通り、わたくしは越前松平――春嶽の血筋でな、福井には縁が深い。県人会では、よくお見かけしましたな」

「は」


「松谷君が福井人となられたのも、何かのご縁。本日、こうしてお目にかかれるのは、わたくしにとっても、嬉しいことであります」


 俺は、深く一礼した。


 養父・覃思のこと。遠い福井の海。ここまでの軍歴の中で、半ば忘れかけていた郷里への思いが、不意に、胸の奥で温かくなった。


 戦争指導という修羅場に身を置く俺にとって、この瞬間だけは、参謀本部も国策も忘れて、ただの「福井県人・松谷誠」として、ここに坐っていられる。それだけで、ありがたかった。


    *


「松平閣下」


 しばしの福井談義の後、加瀬が、頃合いを見て、低く促した。


「本日、松谷大佐がお伺いいたしましたのは、先般、私からお伝え申し上げました通り、戦局の真相を、随時、閣下にご報告申し上げたく、その第一回として――」


「うむ、承知しております」


 松平侯は、静かに頷いた。


「赤松総理秘書官からは、かねて、国内事情についてお話を頂戴しておる。しかし、軍内の戦況については、なかなか、(なま)の数字が、宮中には届かぬ。閣議の戦況報告は、東條首相が陸相を兼ねておられる関係で、軍に都合の悪い数字は、往々にして削られておる」


 俺は、姿勢を正した。


「松谷君のような立場の御方から、戦局の真相を、ご教示いただけるのは、わたくしにとっても、木戸内大臣にとっても、誠にありがたいこと」


「身に余る御言葉であります」


「いつでも、お話を、伺おう」


 松平侯は、温かな眼差しを、俺に向けた。


 俺は、深く一礼した。そして、姿勢を正したまま、自らの口から、申し出た。


「閣下――一つ、わが立場上、お願い申し上げたきことが、ございます」

「何なりと」


「小官、参謀本部勤務の身であります。作戦機密の保持は、軍人としての絶対の責務。これを軽々しく外へ流すことは、いかなる相手にも、許されませぬ」


「うむ」


「したがいまして、本日以降、小官より閣下にお伝え申し上げるのは、戦局の連絡、大枠の情勢判断――この範囲に厳に限らせていただきたく。戦争指導の核心、終戦の方策――これらにつきましては、現下、いかなるお問いがあろうとも、小官の口から、お話には、及ぶ訳にはまいりませぬ。特に、厳戒を加えさせていただきたく――」


 俺は、深く頭を下げた。


「ご無礼の段、何卒、ご寛恕(かんじょ)を賜りたく」


 松平侯は、しばらく俺を見ておられたが、やがて、ゆっくりと頷かれた。


「松谷君」

「は」

「貴官のお立場、わたくしも、よくよく承知しておる。参謀本部勤務の御方が、軍機をご私邸に運んでこられる。これは、貴官にとって、大変なことであります」

「は」


「貴官の自らのお申し出、結構であります。承りました。わたくしの方からも、戦争指導の核心や終戦の方策につきましては、当分の間、一切、お話には及ばぬといたします」


「ありがたく」


「ただ――松谷君」

「は」

 松平侯は、ふっと、目を細めた。


「貴官が、自らこのように申されたこと、これを、わたくしは、深く、覚えておきます。軍人が、自らの責務に、ここまで誠実であろうとされる――その姿勢こそが、わたくしにとっては、何よりのお話であります。形を整えてお話しになる方は、いくらもおられる。されど、自らに(かせ)を課してお越しになる方は、(まれ)であります」


 俺は、額が畳に触れるほど、深く頭を下げた。


「もったいなきお言葉であります」


    *


 俺は、姿勢を正し、戦況の概況を説明し始めた。


 持参した手帳を、わずかに開く。書き込みは、最小限。詳細な数字は、俺の頭の中にある。


 北方アリューシャン、アッツ陥落とキスカ撤退の戦略的意味。南方ソロモン・ニューギニア戦線の消耗状況。九月のラエ・サラモア喪失。九月末御前会議で設定された「絶対国防圏」――千島・小笠原・内南洋・西部ニューギニア・スンダ・ビルマ。


 松平侯は、一言も挟まず、聞いていた。時折、わずかに頷く。眉一つ、動かさない。


 俺が三十分ほどで概況を語り終えると、松平侯は、ゆっくりと、口を開いた。


「ありがたく、伺いました」

「いえ」


「松谷君。一つだけ、お伺いしてよろしいか」

「は」


「絶対国防圏は――守れますか」


 短い問いだった。


 しかし、その「守れますか」の四文字に、これまで宮中で耳にしてきたであろう、軍部からの楽観的な戦況報告のすべてに対する、静かな疑念が、込められていた。


 俺は、即答できなかった。


 ここで「守れる」と言えば、嘘になる。「守れぬ」と言えば、軍機の漏洩であり、敗北主義者の烙印を押される発言となる。しかし、目の前のこの方は、嘘を求めておられぬ。本当の数字を、求めておられる。


 俺は、ひと呼吸置いた。


「閣下。絶対国防圏の維持には――船舶が、要ります」

「船舶」

「は。圏内の島々への補給、増援、要塞の構築、すべて船で運びます。船が無ければ、絶対国防圏は、地図の上の線に過ぎませぬ」

「うむ」

「現在の船舶損耗の趨勢では――」


 俺は、ひと呼吸置いた。


「来年、一杯。それが、現状の限度であります」


 松平侯の眉が、わずかに動いた。


 ただ、それだけ。声は上げぬ。表情も、ほぼ変わらぬ。しかし、彼の眼の奥で、何かが、深く沈んでいくのが、俺には見えた。


 これは、訓練された宮中の人の、反応の仕方であった。驚いてはならぬ立場の人の、驚き方であった。


 松平侯は、しばらく、沈黙していた。


 障子の向こう、夕陽が、わずかに残る秋の光を、座敷の畳に、淡く落としていた。

 やがて、松平侯は、低く言った。


「……お預かりいたします」


 ただ、それだけ。


 「終戦」も「和平」も「戦争収拾」も、口にしない。先ほど結んだ約定の通り、彼は決して、その三語を口にせぬ。


 しかし、彼の眼は、俺の眼を、まっすぐに見ていた。


 ――あなたの伝えてくださった「来年一杯」は、確かに、わたくしが、お預かりいたします。


 眼が、そう、語っていた。


    *


 会見は、約一時間ほどで終わった。


 松平侯は、最後に、立ち上がり、俺の手を、静かに握った。


 義足の重光閣下のような、力強い握手ではない。柔らかく、温かく、しかし、深く、こちらの(てのひら)の意思を読み取るような握手であった。


 その時、間近に見た松平侯の羽織の胸元の葵紋が、夕陽を受けて、わずかに金色に光ったように、俺には見えた。


「松谷君。これからも、折に触れて、戦況のご教示を、頂戴いたしたく存じます。場所は、いつでも、わたくしの私邸で結構であります」


「は。ご都合のよろしき折に、いつでも」


「ありがたく」


 玄関で、書生に靴を履かせていただきながら、俺は、ふと、「和」の掛け軸を、もう一度、振り返った。


 春嶽公の「和」の精神。葵紋の重み。その孫の代の俺たちに、静かに見守られているように、感じられた。


    *


 邸を辞したのは、すっかり日が暮れてからだった。


 千駄ヶ谷の道を、加瀬と二人、並んで歩いた。灯火管制のため街灯は暗く、星が薄く滲んで見えた。革靴の音が、夜気の中に、規則正しく響いた。


「松谷さん」


 加瀬が、歩きながら、静かに言った。


「松平侯は、陛下のお側にいる御方だ。そして、陸海軍と政府、重臣の間を、縦横に繋ぐ、宮中の蝶番(ちょうつがい)だ。今日、あなたは、その蝶番に、指先を、触れた」


「……まだ、触れただけだ」


「充分ですよ。これから、ときどき、私邸を、お訪ねすればいい。月に一度、二度でもいい。細く長く、細く長く――」


「秘密の階段、だな」


「ええ」

 加瀬は、少し笑った。


「陛下の御心に通じる、秘密の階段。まだ、入口の扉に手をかけただけですが、いつか必ず、この階段を、我々は、登ることになる」


    *


 その晩、俺は市ヶ谷の自室に戻り、革表紙の私物の手帳に、そっと書きつけた。


 ――「十八年十一月、千駄ヶ谷松平邸にて松平秘書官長と接触開始。戦局連絡のみ、自ら閣下にお願い申し上げ、ご了承を賜る。葵紋の重みを、終生、忘れまじ」


 筆を置き、俺は天井を仰いだ。


 師・酒井鎬次がいる。同志・加瀬俊一がいる。そしていま、宮中の扉の前に、葵紋を身に纏った松平康昌という温容の人が、立っている。


 陸・外・内――三つの系統が、俺の手の中で、細い糸として繋がり始めている。


 まだ、これは「四人組」ではない。海軍――海の扉は、まだ閉ざされたままだ。いつか、それを開く日が、来るのだろうか。


 俺は、知らない。一年三ヶ月の後、松平閣下ご自身のあっせんで、俺が海軍の智将と、畳の上で握手を交わす日が来ることを。


 その夜、俺はただ、この秋の夜の、細い階段の第一段に、立っていた。窓の外、月は高く、冷えた光を、市ヶ谷台に注いでいた。


【後書き】(松平康昌より)

 松平康昌である。


 あの日のわたくしの千駄ヶ谷の邸の応接間で、松谷君が「来年一杯」と低く呟かれた瞬間、わたくしの胸の奥で、何かが、深く沈みました。


 しかし、わたくしは、それを表情に出すことを、自らに許しませんでした。宮中に仕える者が、軍の数字に驚いて顔色を変えれば、その驚きは、いずれ、陛下の御心まで波及する。先に、陛下に「ご懸念」の重荷を負わせるのは、わたくしの職分ではありませぬ。


 わたくしの職分は、ただ、「お預かり」することでありました。


 あの日、松谷君ご自身が、自らの口で「特に厳戒を加える」と申されたこと、わたくしは、いまも胸に深く刻んでおります。あれは、軍人として、最も誠実な姿でありました。


 次回、わたくしと松谷君の、慎重な続編が、始まります。

数字は、確実に、内大臣府を経由して、宮中の最深部へと、静かに浸透していきます。


【本話初出の人物プロフィール】

松平康昌(まつだいら・やすまさ)

明治二十六年(一八九三)~昭和三十二年(一九五七)。侯爵。福井藩主・松平春嶽の孫。京都帝国大学法学部卒(大正八年)。内大臣府秘書官、宗秩寮総裁、貴族院議員などを経て、昭和十七年六月より木戸幸一内大臣のもとで内大臣秘書官長。本作の「終戦四人組」の一人として、宮中側を代表する。木戸内大臣の「女房役」として、陛下、皇族、重臣、閣僚、陸海軍首脳、部外の有力者との広範な連絡調整に手腕を発揮。終始、木戸内大臣と一体となって、天皇中心の国家護持に尽悴する。本作後半で四人組結成の中心となり、戦後は天皇の戦争責任免除と皇室存続のための陰の功労者となる。


松平春嶽(まつだいら・しゅんがく/慶永・よしなが)

文政十一年(一八二八)~明治二十三年(一八九〇)。本名・松平慶永(よしなが)。号は春嶽。越前福井藩第十六代藩主。徳川家康の次男・結城秀康を祖とする越前松平家の名君。幕末の動乱期、薩摩の島津斉彬、土佐の山内容堂、宇和島の伊達宗城と並んで「四賢侯」と称された。橋本左内・横井小楠ら傑出した家臣を登用し、雄藩連合論の中心的論客となる。文久二年(一八六二)、幕府の政事総裁職に就任、将軍後見職の徳川慶喜と並び立って公武合体路線を推進。坂本龍馬・勝海舟らとも交流し、慶応三年(一八六七)の大政奉還への道を内側から開いた、最も穏健で叡智に富む大名であった。武力倒幕ではなく、合議による平和裡の政権移行を最後まで模索した点で、近代日本の成立期における「和」の精神の象徴的人物。本話の松平康昌の祖父にあたり、本作の主題「軍事ではなく和議による解決」の思想的源流として、家紋(越前葵)・「和」の掛け軸という形で、物語の象徴に位置づけられる。


木戸幸一(きど・こういち)

明治二十二年(一八八九)~昭和五十二年(一九七七)。侯爵。明治の元勲・木戸孝允(きど・たかよし=長州藩出身の維新の三傑の一人)の養嗣子・木戸孝正の長男。京都帝国大学法学部卒。農商務省、宮内省を経て、昭和五年に内大臣府秘書官長に就任、昭和十二年に貴族院議員、昭和十二年から十四年まで第一次近衛文麿内閣・平沼内閣で文部大臣・厚生大臣を歴任。昭和十五年六月、湯浅倉平内大臣の退任に伴い、内大臣に就任(本話時点での在任中)。昭和天皇のご信任が極めて篤く、開戦の経緯においても、終戦の経緯においても、宮中側の最高責任者として中核的役割を担う。本話時点で、すでに早期講和への意向を密かに持ち、重光葵外相と共有しつつあった。本作後半、昭和二十年六月に「時局収拾の対策試案(木戸試案)」を起草し、ソ連仲介・聖断による終戦への道筋を描き出す重要人物。本話では、松平秘書官長を介して間接的に登場し、本作後半で本格登場する。


赤松貞雄(あかまつ・さだお)※本話で名前のみの言及

明治三十三年(一九〇〇)~昭和五十七年(一九八二)。陸軍大佐。陸士三十四期、陸大四十二期。本話時点で内閣総理大臣秘書官(東條英機首相の秘書官)。陸軍将校でありながら、松平康昌秘書官長と国内事情について連絡を保ち、軍と宮中の間の細い(くだ)の一翼を担っていた。


【本話初出の用語】

宮中(きゅうちゅう)

天皇陛下とその御一族のお側に仕える人々と、その活動が行われる、閉じられた領域の総称。江戸時代までは「禁裏」「禁中」と呼ばれた。明治以降、政府(国務)とは制度的に分離され、宮内省、内大臣府、侍従職などが、それぞれ陛下のお側にお仕えする組織として整えられた。軍も、政府も、重臣も、宮中の本流ではなく、外側から上奏(じょうそう)を願うか、お召しを受けて参内(さんだい)するかの立場にある。本作では、四人組の終戦工作の最終的な目標地点として、宮中(=陛下のご意向)が常に物語の中心に据えられる。


内大臣(ないだいじん)

天皇陛下の御身近くにあって、陛下の常時の御相談役を務める職。総理大臣や陸海軍大臣のような国務(政府)の責任者ではなく、陛下お一人を支え、お助けすることを唯一の任務とする。明治四十年制定の宮内省官制により、宮中の常侍輔弼(じょうじほひつ)の臣として位置づけられた。職務は限定的だが、その役割は深く、特に重臣会議の招集、後継首相の奏薦(そうせん)、皇室の重要事項の取り扱いにおいて、極めて重要な権限を持つ。本話時点での内大臣は、木戸幸一公爵。


内大臣府(ないだいじんふ)

内大臣の事務組織。皇居・坂下門内に置かれた。重要国務の上奏、御璽(ぎょじ)国璽(こくじ)の保管、皇室典範および皇室令の保管などを職掌とする。陛下の御身近くに常侍する内大臣を支える、陛下個人付きの最も近い事務局、という性格を持つ。


内大臣秘書官長(ないだいじんひしょかんちょう)

内大臣府の実務統括者。内大臣の側近として、宮中と政府・軍部・重臣・部外の有力者の間の連絡調整、内外情勢の収集と内大臣への報告などを担う。内大臣が「陛下の御相談役」であるならば、秘書官長は「内大臣の右腕・女房役」と例えられる存在。本話時点の松平康昌は、昭和十七年六月より昭和二十年八月十五日まで在任。木戸内大臣の右腕として、終始一体となって、天皇中心の国家護持に尽悴した。


侯爵(こうしゃく)

旧華族の爵位の一つ。公・侯・伯・子・男の五爵のうち第二位。明治十七年に制定された華族令により定められた。松平康昌は、福井藩主松平家の家格を継ぐ侯爵。


福井三十二万石

越前福井藩。譜代大名・松平家(越前松平家)の藩。三十二万石は江戸期の石高表示。本話で松谷の養家との「福井の縁」を結ぶ象徴として登場。


福井県人会(ふくいけんじんかい)

東京在住の福井県出身者の親睦団体。本話時点で、松平康昌が会長を務めていた。松谷の養家・松谷家が福井県人であった関係で、松谷は同会で松平と二、三度面識を得ていた。本話の二人の親交の出発点となる。


千駄ヶ(せんだがや)

東京・渋谷区の地名。明治神宮の杜に近く、明治期から邸町(やしきまち)として知られ、華族・政界要人の私邸が並んでいた。本話時点で松平康昌侯爵邸が所在していた。


「丸に三つ葉葵」(越前葵・えちぜんあおい)

越前松平家の家紋。徳川家康の次男・結城秀康を祖とする越前松平家にのみ許された、別格の葵紋。徳川宗家の「三つ葉葵」と意匠が酷似しつつも、葉脈の細部に違いがある。徳川一族の中でも、御三家・御三卿に並ぶ格式の高さを示す。本作で、松平康昌の和服(羽織)の胸元と背中に配された家紋として、彼の家格と血統の重みを視覚的に象徴する。


「和」の掛け軸

松平春嶽公ご愛用の書斎にあったという一幅。「和」の一文字が墨痕鮮やかに記された。武力ではなく合議で日本の進路を切り開こうとした幕末の春嶽公の精神を象徴する。本作で、二人の会見の背景に静かに座する象徴として登場。


「特に厳戒を加える」

松谷誠が回想録『大東亜戦争収拾の真相』で、松平秘書官長との接触において自身に課した規律を述べた語。本話では、松谷自らの口から、松平閣下への申し出として直接発せられる形に整えた。


「お預かりいたします」

松平康昌が松谷から伝えられた戦局の数字に対して用いた応答。終戦・和平の三語に踏み込まず、聞いた事実を内大臣府の責任において保管・処置するという、宮中流の慎重な作法を示す。


「天皇中心の国家護持」

松平康昌と木戸幸一内大臣に共通する、終戦工作の根本理念。たとえ敗戦に至るとも、国体(天皇制)を護り抜くことを最優先とする思想。本作後半の「聖断」「ポツダム宣言受諾の条件」をめぐる議論の根底をなす。


奏薦(そうせん)

内大臣の重要職務の一つ。後継の内閣総理大臣の候補を、重臣会議の意見を取りまとめた上で、陛下にご推挙申し上げる手続き。


参内(さんだい)

皇居に出向き、陛下に拝謁(はいえつ)すること。「内裏(だいり)に参る」の意。


上奏(じょうそう)

陛下に対し、申し上げること。国務に関する事項は、内閣・統帥部・宮内省などの責任者が、定められた手続きに従って行う。

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