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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第2章 上層部への提案と敗北(昭和18(1943)年9月~)

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第11話「戦争指導課から班への改編――縮小されし俺、独立を得たり」

【前書き】(松谷誠より)


 松谷である。

 九月案、敗る。あの敗北の直後、陸軍中央に組織改編の嵐が吹き荒れた。


 戦争指導「課」から「班」への格下げ。主戦派の復活。主流からの排除――一見、俺たちの敗北は決定的に見えた。


 しかし、人生というものは、不思議なものだ。表面の敗北が水面下の勝利を準備することがある。


 この一戦、縮小されながらも、逆に独立を得て隠れ多数派工作へと向かう、俺の闘いをご覧いただきたい。



【本文】

 昭和十八年の春から夏にかけて、戦線の各方面から、次々と凶報が市ヶ谷台に届いた。


 五月三十日、北方アリューシャン、アッツ島玉砕。守備隊二千数百名。米軍の上陸に対し、大本営は救援の確たる手を打てぬまま、孤立無援の彼らが全員散華するに任せた。


「玉砕」という美名のもと、新聞は彼らを国民の士気高揚の英雄に祀り上げた。だがそのような美辞麗句で隠せるほど、戦況は単純ではなくなっていた。七月、キスカ島からは奇跡的に守備隊全員の撤退に成功したが、北方の弱体化は、もはや覆い隠しようがない。


 欧州では七月、連合軍がシチリア島に上陸し、月末にはムッソリーニが失脚。同月、独軍はクルスクの戦いで決定的な敗北を喫し、東部戦線の主導権はソ連軍に完全に移った。九月八日、ついにイタリア無条件降伏。


 南方ではニューギニア東部のラエ・サラモアが、九月に陥落。ソロモン諸島では、消耗戦の継続。


 九月三十日、御前会議で「絶対国防圏」が設定された――千島、小笠原、内南洋、西部ニューギニア、スンダ、ビルマ。だが、それは「ここまでは絶対に守る」という線を引くと同時に、「ここから外は捨てる」という宣告でもあった。ソロモン、東部ニューギニア、ギルバート――もはや、見捨てられる側の島の住民と兵士たちが、いた。


 俺たちが九月案を書き、敗れた、ちょうどその時期。日本の戦線は外側から、確実に削られていた。


      *


 昭和十八年十月六日。


 その日の朝、参謀本部の廊下を、人事の予告通達が、副官たちの手で慌ただしく回された。


 俺は自席で紙片を広げた。


 「大本営陸軍部、機構改正の件、十月十五日付発令予定」


 目を走らせ、指先が止まった。


 「第一部内、第十五課(戦争指導課)を廃し、参謀総長・参謀次長直属『戦争指導班』(第二十班)として改編」


 「課」から「班」へ。格下げ。


 しかし――俺はしばらくその一行を見つめていた。


 「参謀総長・参謀次長直属」――この六字に、俺は息を呑んだ。


 九月十六日、杉山閣下と秦次長の机に「九月案」を置いた、あの朝。秦次長が言った――「戦争指導課というわが部署のあり方そのものを、わしは、考え直しておる。一月ほど、待て」と。


 その「英断」がいま、紙の上に下りている。


 作戦部から、外す。作戦課の監視と圧迫から、解放する。総長・次長の直轄として、機微に触れる戦争指導の研究を、独自に進めさせる。形式上は格下げ。実態は独立。


 俺は紙片を深く机の上に置いた。


      *


 同日、種村中佐が苦笑を顔に張り付けて、俺の部屋に入ってきた。


「班長――いや、まだ課長殿、ですな。十五日からは『班長』でありますか」

「種村」

「複雑な思いも、あろう」

「正直、ございます」


 種村は低く笑った。


「丸四年間で、六回、鞍替えさせられた身であります。心境にもいささか異変ありで――」

「六回、というのは、本当か」

「指折り、数えてご覧に入れましょう」


 種村は本当に右手の指を一本ずつ折り始めた。

「一回。昭和十四年十二月、参謀本部に着任、第二課内・戦争指導班に配属」

 親指。

「二回。昭和十五年十月、第二課から分離独立、次長直属の第二十班となる。有末次大佐、班長」

 人差し指。

「三回。昭和十七年一月、有末班長転出。同月、第二十班、発展的解消、第十五課へ昇格・改称。第一部直属に復帰、甲谷悦雄中佐、課長」

 中指。

「四回。本年三月、一年余り課長を務められた甲谷中佐が転出され、班長殿……失礼、課長殿が戦争指導課長として正式着任」

 薬指。

「五回。本日――いや、十月十五日付、第十五課廃止、再び第二十班となる」

 小指。

 種村は折り終えた手を見て、一拍。


「……五本では、足りませんな。もう一本」


 もう一方の親指を立てた。


「六回。同じ十五日付で、私自身に、第二課附の兼勤が発令されております」

 俺は笑った。久しぶりに腹の底から笑った。


「種村、お前、よく覚えておるな」

「忘れたくとも、忘れられません。しかし、班長――一つ、面白い符合がございます」

「同僚の野尻徳雄中佐。あの男、満州出張中に、自分の所属部署が消えたことが、過去に一度ございました」

「そして本日――いや、本日は事前通達のみでありますが――今回もまた、野尻中佐は満州出張中。これで二度目」


「私、思いますに、野尻の出張と、編制改正の発令との間には、何か、超人的な関係があるのではないか、と」


 種村は神妙な顔で、そう言い切った。

 俺は思わず、咳き込んだ。


「種村、それは陸軍創設以来の発見だな」

「はい。いずれ、参謀本部に『野尻定数』なるものが設けられ、彼が出張するごとに編制が動く、という風になれば、軍政の効率化に、いささか、貢献するやもしれません」


「では野尻中佐には、日々出張していただき、毎日、組織改編をやれば良い」

「妙案でありますな」


 二人で声を殺して、しばし笑った。

 窓の外、十月の朝の陽射しが、机の上の紙片に淡く差し込んでいた。


 種村も俺もわかっている。組織は人間の都合で動く。俺たちはその都合に振り回される、小さな部品の一つに過ぎぬ。だが笑いながらでなければ、軍人は四十年は持たぬ。


      *


 十月十五日、金曜日。


 午前八時、市ヶ谷台。発令の公報が各部署に正式に配布された。


 戦争指導課の人員は、年央に補充着任した塚本政登士少佐を含む五名から、三名へ。班長の俺、種村中佐、そして新たに配属された橋本正勝少佐の三名体制となる。


 田中敬二中佐は第二部第四班(綜合班)附へ転出。種村はすぐに俺の机に来て、低い声で告げた。

「田中中佐の人事、第二部長有末精三少将と、額田坦少将の合作にて、念の入りたる人事であります」

「単なる玉突きではありません。情報部があらかじめ手を回し、引き抜いた」

 俺は深く頷いた。情報部もまた、わが班との連携を見越しての布石を、打っている。


 野尻徳雄中佐は当日の発令時に満州出張中。種村は苦笑した。

「予言、的中いたしました」


 塚本政登士少佐については、種村の眉がわずかに曇った。

「塚本少佐は、北支那方面軍へ。当初、軍務課国内班長の話があったのでありますが、すっかり話が変わりまして、困惑しております。奥様が前日、上京されたばかりでありまして、新婚半年で、家庭を持たれてからの、急な転任。気の毒、極まる」


 組織の改編が現場の幕僚たちの家族の生活までを、こうして容赦なく振り回していく。種村中佐がこれだけ細やかに同僚の境遇を気にかけている――この男もただの実務家ではない。


 そして種村自身。

「種村」

「お前、第二課(作戦課)附兼勤、と発令されておるな」


「これはわが班と作戦課との節調を保つため、ということだ。お前にしか、できぬ。頼む」

「承知いたしました」


 種村の眼がわずかに揺れた。


 俺は知っている。種村は開戦前夜、服部らとともに「即時開戦」を主張した男だ。もともと作戦課に近い。今、彼を作戦課に橋を架ける役に据えたのは、上層部にとっては「合理的」な人事だが種村本人にとっては、自分の過去と現在が、組織の中で再び交錯する人事でもある。


 彼はそれを私情を捨てて引き受けた。「一身上の事は捨てて、上司補佐に邁進せん」――この夜、彼が日誌に書きつける覚悟が、俺にはもう聞こえていた。


      *


 午後四時、参謀総長室。


 参謀本部の主要幕僚が集められた。組織改編に際しての、杉山参謀総長の訓示である。


 俺は末席に近い場所で、背筋を伸ばして立っていた。


 杉山総長はぎょろりと一同を見回し、低い声で言った。


「本日付を以て、戦争指導班は参謀次長の直属とする。その任務遂行にあたり、余は三つを述べる」


 一拍。


「第一、作戦第一主義の徹底について」

 主戦派の課員たちが、顔を上げた。


「第二、幹部の陣頭指揮と、上司意図の徹底遵奉について」

 幹部たちの背筋が、わずかに伸びた。


「第三――」

 杉山の声がふと低くなった。


「思索の深淵周到と、事前準備の完整」


 場内、静まり返った。

 杉山は俺を一瞬、見た。

 俺は息を詰めた。


 ――この第三の一節は、俺宛の言葉だ。


 「思索の深淵周到」――終戦研究を、さらに深く、慎重に継続せよ。

 「事前準備の完整」――いつか来るその日のために、備えを完全に整えておけ。


 第一・第二で主戦派の顔を立てつつ、第三にこそ、真意を込める。これは極めて高度な、二重の表現だ。


 俺は横目で種村を見た。


 彼の眼がわずかに微笑んでいた。


 ――そう。これは種村が起草した訓示だった。


 杉山総長と秦次長の指示で、誰にも内示されることなく、種村の手から生み出された、三つの一節。陣頭指揮の表れ、と種村は誇らしく日誌に記すだろう。


そして第三の一節こそ、彼が松谷班長のために、慎重に忍ばせた、「暗号」であった。


 訓示が終わり、一同が退室する中、俺は深々と頭を下げた。杉山は何も言わなかった。ただ、俺の肩を一度、重く叩いた。


      *


 その夜、班長室。


 俺は革表紙の私物の手帳を取り出した。


 ペンを取り、こう書きつけた。


 ――「総長の訓示『思索の深淵周到と事前準備の完整』、これを得て、わが新たなる終戦方策発意の動機となす」


 筆を置いた。


 九月案は敗れた。だが戦闘はここから、再び始まる。次の方策――第三案――をいま、書き始めねばならぬ。


 そしてもう一つ。


 次長直属となったいま、俺たちは作戦部長の決裁ルートから、解放された。第一部長を通さず、独自に総長・次長へ直訴できる。第一・第三部長にも連絡せず、第二十班としての独断専行が可能となる。煩雑な日常業務は他部署に任せ、終戦工作のみに専念できる。


 九月までの俺は独り、組織の壁に向かって叫んでいた。十月からの俺は組織の隙間を、巧みに泳ぐ。


 夕刻、情報部のフロアを訪れた。


 第五課ロシア課長、林三郎大佐。第六課(欧米)課長、杉田一次大佐。第七課(支那)課長、晴気慶胤大佐。三人ともこの日付で一斉に着任していた。


 偶然ではない。


 作戦部は希望的観測で戦を進め、情報部の冷静な分析を歯牙にもかけぬ。その作戦課の横暴に、情報部の幕僚たちは長年、煮え湯を飲まされてきた。客観の眼で世界を見据える彼らと、終戦研究を続ける俺とは、もともと同じ水脈に立っている。


 とりわけ晴気慶胤は、俺と陸士三十五期の同期だ。同じ釜の飯を食い、互いの肚の底まで知り尽くした仲である。その晴気が、隣の情報部の支那課長に座った。これほど心強いことはない。


 しかも晴気の実の弟・誠は、作戦課にあって主戦論の急先鋒を張っている。兄が情報部、弟が作戦課――反目しあう敵味方に分かれたような、数奇な巡り合わせ。慶胤は弟の暴走に人知れず胸を痛めながら、なお俺とともに早期終戦の道を探ろうとしていた。


 杉田一次と林三郎も、戦争中からの知己だ。二人とも俺と同じ、中学校から陸士に上がった英米派。幼年学校出の主戦派が中枢を占めるなかで、傍流と侮られてきた者同士、見ている世界が同じであった。林は冷徹にソ連の参戦時期を計算し続ける机上の論客、杉田は最前線で米軍の物量を見てきた現場の闘士。気質は対照的だが、作戦課の狂気を止めねばならぬという一点で、固く結ばれている。


「松谷班長。お待ちしておりました」


 林の言葉は短かった。だがその「お待ちしておりました」の一言にすべてが、籠もっていた。


 俺は三人の手を順に握った。晴気の手を握ったとき、互いに何も言わず、ただ一度、強く頷き合った。


「コッソリ、で良い。情報を、見せてくれ」

「望むところ」

 晴気が口の端を上げた。

「作戦課の連中に握り潰される前に、こっちへ流す。お前の使い方なら、間違いはない」


 四人で低く笑った。


 作戦課の狂信を、俺たち傍流が手を組んで食い止める。巨大な主戦派組織の足元を、地下水脈のように機密情報を流し合って、密かに掘り崩していく。その地ならしが、いま始まった。


      *


 窓の外、十月の夜風が銀杏の葉を吹き散らしていた。


 俺は立ち上がり、窓を開けた。冷えた空気が室に流れ込む。


「縮小されし俺」


 俺は自嘲気味に呟いた。


 しかし、次の瞬間、自分でも驚くほど、声は強くなった。


「縮小されて、独立を得た俺」


 敗北は新しい出発の合図である。



【後書き】(種村佐孝より)


 種村佐孝である。


 松谷班長のもと第二十班の班員として、共に闘っておった。


 正直、十月十五日に発令の写しを見た瞬間、私は「またか」と腹の中で愚痴った。丸四年で六回。同じ「戦争指導」の机に坐りながら、所属の名札だけが、くるくると変わる。


 しかし、班長と二人で「野尻の出張と編制改正の超人的関係」について大笑いした午後、私は腹が据わった。組織は振り回す。だが私の机は動かぬ。書く文書も動かぬ。守るべきものはいつも、同じだ。


■ 人物紹介


橋本正勝(はしもと・まさかつ、1908年〜1989年、当時35歳)

 陸軍少佐(本話時点)。陸士四十二期、陸大卒。本話の十月十五日付で戦争指導班(第二十班)に配属。以後、松谷の腹心として終戦工作の実務を支える重要人物。本作後半、昭和十九年春の「第三案」の起草、昭和二十年夏の終戦研究の最終段階まで、松谷の右腕として活躍する。戦後、陸上自衛隊幹部学校長などを歴任。


有末精三(ありすえ・せいぞう、1895年〜1992年、当時48歳)

 陸軍少将(本話時点。最終階級は中将)。参謀本部第二部長(情報部長)。陸士二十九期、陸大三十六期。情報部の重鎮として、戦争指導班との連携を背後から支える立場にあった。


有末次(ありすえ・やどる、1888年〜1943年、当時46歳)

 陸軍少将。陸士二十期。種村佐孝の最初の上司。昭和十五年十月、第二十班創設時の初代班長として着任、昭和十七年一月に香港総督府参謀長へ転出。種村が「武人の本懐」と惜しんだ人物。参謀本部第二部長・有末精三少将の実兄。兄弟そろって参謀本部の要職にあり、混同されやすいので注意。


額田坦(ぬかだ・ひろし、1895年〜1976年、当時48歳)

 陸軍少将。陸士二十六期。本話時点では陸軍省人事局長。


林三郎(はやし・さぶろう、1904年〜1998年、当時39歳)

 陸軍大佐。陸士三十七期、陸大四十五期。本話時点で参謀本部第五課課長として着任。後年、阿南陸相秘書官に転じ、終戦時に松谷と官舎で同居する間柄となるが、四人組の活動は松谷から林にすら一切知らされなかった。戦後は松谷・杉田らと共に旧主戦派の自衛隊参入阻止運動に参加。


杉田一次(すぎた・いちじ、1904年〜1993年、当時39歳)

 陸軍大佐。陸士三十七期、陸大四十六期。駐英武官補佐官・駐米武官補佐官などを歴任した英米通。戦後、自衛隊統合幕僚会議議長を務めた。


晴気慶胤(はるけ・よしたね、1901年〜1959年、当時41歳)

 陸軍大佐。本話時点で参謀本部第七課(支那)課長。弟の晴気誠少佐は作戦課に所属しており、兄弟で情報部と作戦部の敵対する陣営に分かれているという、当時の参謀本部内の派閥対立を象徴する人事配置でもあった。


服部卓四郎(はっとり・たくしろう、1901年〜1960年、当時42歳)

 陸軍大佐。陸士三十四期、陸大四十二期恩賜。本話時点で陸軍大臣秘書官から作戦課長へ再任。


佐藤賢了さとう・けんりょう※本話で松谷との新関係に入る

 既出。本話以後、当初は松谷が「内密」とした警戒対象であったが、組織が分かれたことで、皮肉にも松谷との水面下の連携相手へと転じていく。


甲谷悦雄(こうたに・えつお、1899年〜1956年)

 陸軍中佐。昭和十七年一月の第十五課昇格から昭和十八年三月の松谷着任まで、一年余りにわたり第十五課長を務めた(『機密戦争日誌』付表の官職変遷による)。


■ 用語集


機構改革(昭和十八年十月十五日)

 大本営陸軍部・参謀本部の大規模組織改編。十月六日に発表、十月十五日に正式発令。第一部(作戦部)を三課制に、第二部(情報部)を三課・綜合班に、第三部を二課に統合。総務部長を廃止、第四部(戦史)は欠員に。「頗る簡素化」(『機密戦争日誌』)された大本営創設以来の大改編。


第二十班

 昭和十八年十月十五日付で発足した、参謀総長・参謀次長直属の戦争指導機関。班長・松谷誠大佐、種村佐孝中佐、橋本正勝少佐の三名体制。


「上司の英断」

 松谷誠が戦後、本話の十月十五日機構改革を評した語。


「思索の深淵周到と事前準備の完整」

 昭和十八年十月十五日午後四時、杉山元参謀総長が機構改革発令時に述べた訓示の中の第三の一節。種村佐孝中佐が参謀総長・参謀次長の指示を受けて起草したものであり、第一(作戦第一主義の徹底)・第二(幹部の陣頭指揮と上司意図の徹底遵奉)で主戦派の顔を立てつつ、第三に天皇の終戦のご意向と杉山総長の真意を慎重に込めた「暗号」であった。


第二課附兼勤

 種村佐孝中佐が本話の改編で命じられた兼務発令。戦争指導班(第二十班)と作戦課(第二課)の連絡調整役(節調保持)としての役割。種村自身が開戦前夜には作戦課の主戦論に同調していた経歴を持つことが、この人事の属人的な背景にあった。


「コッソリ」連携

 戦争指導班と情報部(林・杉田・晴気)との水面下の情報共有体制。作戦課が圧倒的な権力を持つ中で、公然と「終戦」連携を取れぬため、情報部側が客観的な情勢データを「コッソリ見せる」形で提供することから始まった。


「野尻の出張と編制改正の超人的関係」

 種村佐孝中佐が日誌に記した冗談まじりの「発見」。同僚の野尻徳雄中佐が長期出張に出るたびに、所属部署の改編が起こるというジンクス。


陸軍三長官

 陸軍大臣・参謀総長・教育総監の三職を指す総称。陸軍の最高首脳。


節調

「節度のある調整」「適切な連絡」を意味する当時の軍内用語。本話では戦争指導班と作戦課の間の連絡調整役を種村が担うことを指す。


「一身上の事は捨てて上司補佐に邁進せん」

 種村佐孝中佐が昭和十八年十月十五日の『機密戦争日誌』に記した、私情を押し殺して任務に向き合う覚悟の表明。


「独断専行」

 第二十班となった戦争指導班が、第一部長(作戦部長)を経由せず、第二十班として直接、参謀総長・参謀次長へ意見具申できるようになった独立した権限。『機密戦争日誌』に「第一、第三部長にも連絡することなく第二十班としての独断専行を行う」と記された。


報告ルートの役割分担

 第二十班発足以後、極秘の終戦策案について、東條陸軍大臣には軍務局長(佐藤賢了)から、参謀総長・参謀次長には松谷班長から、それぞれ報告するという明確な分担体制。これにより、主戦派の反発を回避しつつ、陸軍トップへ確実に終戦への考えを浸透させる実務体制が整った。


■ 史実と創作について


【史実に基づく部分】

・昭和十八年十月六日に機構改正が予告され、十月十五日付で発令されたこと。第十五課(戦争指導課)が廃止され、参謀総長・参謀次長直属の戦争指導班(第二十班)に改編されたこと(『機密戦争日誌』、松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。

・この改編が作戦課と戦争指導課の対立を背景とし、結果として戦争指導班に独立性を与えたこと(山本智之『主戦か講和か』)。

・種村佐孝が四年間で六回の所属変更を数え、野尻徳雄中佐の出張と編制改正の「超人的関係」を冗談まじりに記したこと。田中敬二中佐の転出が有末・額田両少将の「念の入りたる人事」であったこと、塚本政登士少佐の転任と新婚の境遇への同情、種村自身の第二課附兼勤と「一身上の事は捨てて上司補佐に邁進せん」の覚悟。いずれも『機密戦争日誌』の記述に基づきます。

・杉山参謀総長の訓示三項目(作戦第一主義、幹部の陣頭指揮と上司意図の遵奉、思索の深淵周到と事前準備の完整)が示され、訓示を種村が起草したこと。松谷が戦後、「総長の訓示『思索の深淵周到と事前準備の完整』」を新たな終戦方策発意の動機の一つに挙げていること(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。

・第一・第三部長に連絡せず「第二十班としての独断専行」を行うとの方針、および報告ルートの役割分担が記録されていること(『機密戦争日誌』)。

・林三郎・杉田一次・晴気慶胤の三課長が同時期に着任し、情報部と戦争指導班の連携が始まったこと。作戦部が情報部の分析を軽視する傾向への反発もあって、戦争指導班が情報部の一部を味方につける動きをとり、情報部課長クラスが戦争指導班へ情報提供を行うグループの形成につながったこと(山本智之『主戦か講和か』、堀栄三『大本営参謀の情報戦記』)。

・晴気慶胤が松谷と陸軍士官学校三十五期の同期であったこと、その実弟・晴気誠が作戦課に勤務する主戦派であったこと(山本智之『主戦か講和か』、松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。林三郎がソ連通の冷静な分析家、杉田一次がマレー作戦で山下奉文の情報参謀を務めた実戦派であり、ともに松谷と同じ中学校出身・英米派の系譜にあったこと(堀栄三『大本営参謀の情報戦記』、山本智之『主戦か講和か』)。松谷・杉田・林の結びつきが戦後まで続き、警察予備隊創設をめぐって旧主戦派(服部卓四郎ら)の復権に反対する活動でも連携したこと(山本智之『主戦か講和か』)。


【創作部分】

・種村の「指折り」の場面、「野尻定数」をめぐる笑いの応酬は、日誌の記述をもとにした会話化・脚色です。

・訓示第三項を松谷が「俺宛の暗号」と受け取る内面描写、杉山が肩を叩く仕草、夕刻の情報部訪問の場面は創作です。情報部のフロアで松谷が三課長と交わす会話、晴気の「作戦課の連中に握り潰される前に、こっちへ流す」という台詞、各人の気質や関係についての松谷の独白は、上記の史実を踏まえて本作で構成した創作です。

・松谷の私物の手帳は本作の創作的補助設定です。


■ 参考文献


種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房、1952年

 軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌』錦正社、2008年

 松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年

 山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮文庫、2013年

 堀栄三『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』文藝春秋、1989年


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