↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
手取り16万の私が異世界で高級ホテルを開業したら、冷徹な公爵様が常連になりました 〜ホカンス狂いの元OLが届ける、極上の癒やしとご褒美タイム〜  作者: Hamin
第2章 お金の師匠と、奪われた宿

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/25

10話 金鷲の代官

その男が『ひだまり』にやってきたのは、湖のほとりの柳が、すっかり濃い緑になったころだった。昼下がり。わたしとロッテさんが、裏庭でシーツを取りこんでいると、表のほうで、馬のいななきと、車輪のきしむ音がした。


玄関に回ると、黒塗りの馬車が一台、止まっていた。そのうしろに、槍を持った兵が四人。


馬車から降りてきたのは、太った男だった。


脂でつやつやした丸い顔に、細い口ひげ。ずんぐりとした指の一本一本に、宝石のついた指輪がはまっている。近づいてくると、きつい香油のにおいが、鼻を刺した。湖の風が、一瞬で、どこかへ追いやられてしまうくらいの。


「おまえが、ここの主か」


男は、わたしを、頭のてっぺんからつま先まで、じろりと見た。


「リンデンの代官《だいかん》、バルトロ・ゲスナーである」


◇ ◇ ◇


代官は、案内も待たずに、どかどかと中へ入ってきた。


食堂の暖炉。磨いた床。窓辺に吊るした、乾かした銀穂草《ぎんすいそう》の束。一つ一つを、値踏みするように眺めていく。


「ふん。流れ者の小娘が、ずいぶんと繁盛しているそうではないか」

「……おかげさまで」

「税は、どうなっている」


「税、ですか。家賃といっしょに、毎月、代官所に納めていますが」


「それは、土地の税だ」


代官は、指輪だらけの指を一本立てた。


「宿を営む者は、泊まり客一人につき、宿泊税を納める決まりになっている。知らなかったとは言わせんぞ」


知らなかった。契約のとき、窓口の書記は、そんなことは一言も言わなかった。


「申しわけありません。存じませんでした。いくら、お納めすればいいでしょうか」


「客一人、一泊につき、銅貨1枚。それを、店を開いた日から、すべてだ」


頭の中で、急いで計算した。これまでに泊まったお客様は、のべで……。


(銀貨で、20枚ちょっと)


痛い。でも、払えない額ではない。


「わかりました。帳簿を確かめて、すぐにお持ちします」


わたしがそう答えると、代官は、一瞬だけ、拍子抜けしたような顔をした。それから、薄く笑った。


「殊勝な心がけだ。……まあ、せいぜい、励むがいい」


◇ ◇ ◇


代官が帰っていく馬車を、わたしとロッテさんは、玄関から見送った。


そのとき、気がついた。


湖のほとりの道の、少し離れたところに、もう一台、馬車が止まっていた。代官の馬車よりも、ずっと大きくて、立派な馬車だった。白い車体に、金色の飾り。扉には、翼を広げた大きな鳥の紋章が、金で描かれている。


鷲《わし》だ。金色の、鷲。窓には、薄い紗《しゃ》の幕が下りていた。その幕のむこうに、人影が一つ、見えた気がした。


じっと、こちらを見ている。わたしたちの宿を。


背中に、冷たいものが走った。


金の鷲の馬車は、しばらくそこに止まっていた。それから、音もなく、王都のほうへ走り去っていった。


「……なんだい、あれは」


ロッテさんが、エプロンの端を握りしめていた。


「わからない」


わたしは、ロッテさんの肩に、そっと手を置いた。


「でも、大丈夫。ちゃんと税を払えば、文句は言われないから」


自分に言い聞かせるような声だった。


◇ ◇ ◇


その夜、わたしはヴェルドさんに手紙を書いた。


代官が来たこと。宿泊税のこと。金の鷲の紋章の馬車のこと。書きながら、何度もペンが止まった。


王都にいるヴェルドさんに届くまで、早くても十日はかかる。返事が来るのは、さらにその先だ。


(ヴェルドさんが戻るまで、あとひと月。それまで、ちゃんとやっていれば)


宿泊税の銀貨21枚は、次の日、代官所に納めた。窓口の書記は、受け取りの証文を、なぜかなかなか書こうとしなかった。三度頼んで、ようやく、走り書きの一枚をくれた。


◇ ◇ ◇


月の終わりが、近づいていた。


家賃の納めどきは、月の最後の日。代官所の窓口が閉まる、夕方の鐘までに。その日の朝、わたしは、銀貨15枚を革袋に入れて、リンデンへ向かった。けれど、代官所の扉の前には、兵が二人、立っていた。


「今日は、窓口はやっていない」

「えっ……でも、今日は月の最後の日で、家賃を納めないと」

「担当の書記が、病で休みだ。明日、出直せ」


「ほかの方に、お預けすることはできませんか。受け取りの証文さえいただければ」

「担当でない者は、金を受け取れん決まりだ。帰れ」


何度頼んでも、兵は首を横に振るばかりだった。


夕方の鐘が、町の空に、ごうん、ごうん、と鳴りひびいた。わたしは、閉ざされた代官所の扉の前で、革袋を握りしめたまま、立ちつくしていた。


(明日。明日、いちばんに来れば、大丈夫)


そう思うしかなかった。


◇ ◇ ◇


次の日の朝、窓口は開いていた。


きのうは病だったはずの書記が、顔色ひとつ悪くなく、机に座っていた。差し出した銀貨15枚を、書記は、指一本ふれずに見下ろした。


「納めどきは、昨日でしたね」


「昨日、来ました。でも、窓口が閉まっていて――」


「こちらには、記録がありません」


書記は、引き出しから、一枚の羊皮紙を取り出した。見おぼえのある、羊皮紙だった。わたしが、ひと月半前に、名前を書いた契約書。書記の指が、下のほうの、小さな字の段落を指した。


あのとき、目がすべって、頭に入ってこなかった段落だった。


わたしは、その字を、一つずつ読んだ。


『借り主が、賃料の支払いを期日より一日でも遅れた場合、本契約は直ちに解除されるものとする。』


『その際、借り主が建物に施した造作、および建物内の備品の一切は、貸主に帰属する。』


『なお、本物件の貸主の権利は、代官所の承認のもと、第三者に譲渡されることがある。』


指先から、血の気が引いていった。


「……貸主は、ハンスさんです。ハンスさんなら、一日の遅れくらい」


書記は、表情を変えずに言った。


「湖畔亭の貸主の権利は、先週、ハンス殿から、ある商会に譲られました。代官所が、それを承認しております」


「ある、商会……」


書記は、答えなかった。


ただ、羊皮紙の一番下、わたしの名前のさらに下に、新しく押されたばかりの、赤い封蝋《ふうろう》を指でたたいた。


翼を広げた、鷲の紋章だった。


◇ ◇ ◇


どうやって『ひだまり』まで帰ったのか、覚えていない。


気がつくと、湖のほとりの道に立っていた。


夕暮れの湖が、きれいだった。柳の枝が、さらさらと風に鳴っていた。その日は、七日に一度、ニナが手伝いに来る日だった。二階の窓から、ニナが手をふっていた。青い髪紐が、夕日の中で揺れていた。


「莉子《りこ》ー! おかえりー! 今夜、満室だよー!」


わたしは、手をふり返せなかった。


湖の向こうの空が、重たい灰色の雲に、ゆっくりと覆われはじめていた。


遠くで、雷が、低く鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。