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「役立たずの聖女」と婚約破棄された私、辺境では一日で五百人を救ってしまいました  作者: カルラ


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9/11

第9話 王都にて、静かに働く

一軒終えると、隣の家へ。

また隣の家へ。

通りを一軒ずつ回っていった。王都への道は、七日かかった。

来た時とは逆向きに走る馬車の中で、私は毎日窓の外を眺めていた。

荒野が終わり、森が終わり、村が増えていく。

村が増えるにつれて、道沿いの光景が変わっていった。

畑が枯れていた。

辺境の荒れ方とは、少し違う。

辺境は長い年月の放置による荒廃だった。

でもここは——最近まで育っていたものが、急に枯れている感じだった。

土の色が黒ずんでいる。

水路が濁っている。

道を歩く人の顔が、どこか青白い。

四日目の宿場町で、カイルが馬から降りて馬車の窓に並んだ。

 

「見えるか」

 

「はい。思ったより早い」

 

「瘴気の拡散が加速しているということだ」

 

私は土の色を眺めながら答えた。

 

「根が、かなり深いと思います。これだけ広い範囲に出ているということは、王都の地下全体に広がっているかもしれない」

 

「一人で対処できるか」

 

正直に答えた。

 

「わかりません。やってみないと」

 

カイルが少し黙った。

 

「無理だと思ったら言え」

 

「言います」

 

「本当に言えよ」

 

「言います」

 

「お前の言います、は信用係数が低い」

 

「失礼な」

 

カイルが短く笑った。

馬に戻りながら言った。

 

「宿場町で食料を補充する。少し待て」

 

待っている間、馬車の外に出た。

土に手を当ててみた。

地下水脈の汚染が、既にここまで来ていた。

王都まで、まだ三日ある。

それでもここまで届いている。

マーサが隣に来た。

 

「お嬢様、顔が怖いですよ」

 

「そうですか」

 

「何か悪いことがわかりましたか」

 

「思ったより、大変かもしれない」

 

マーサが少し青くなった。

 

「大変、というのはどのくらい……」

 

「でも、やれることはやります」

 

マーサが深呼吸した。

 

「……わかりました。私も手伝えることがあれば何でも言ってください」

 

「ありがとう、マーサ」

 

マーサが驚いた顔をした。

 

「お嬢様が素直にありがとうと言うのは珍しい」

 

「そうでしたか」

 

「王都にいた頃は、いつも一人で抱えていたから……」

 

マーサの声が少し詰まった。

私は彼女の肩に手を置いた。

言葉は出なかったが、それで十分だった。

王都が見えてきたのは、七日目の夕方だった。

城壁が、夕陽に赤く染まっていた。

以前は美しいと思っていた光景だった。

でも今見ると、その赤さが夕陽だけのせいではない気がした。

空気が、重い。

目には見えないが、確かに感じる。

瘴気が、城壁の中から滲み出していた。

城門をくぐると、出迎えの騎士が待っていた。

王家の紋章を胸に付けた、五人の隊列だ。

先頭の騎士が馬から降りて頭を下げた。

 

「エレノア・セレスティア様のお帰りをお待ちしておりました」

 

お帰り、という言葉が引っかかった。

ここは私が帰る場所ではない。

でも、今はそれを言う場面ではないと判断した。

 

「ご案内をお願いします」

 

案内された先は、王宮の外れにある小さな館だった。

以前住んでいた侯爵家の屋敷ではない。

王太子の婚約者だった頃に使っていた部屋もない。

簡素な、客人用の建物だ。

それで十分だと思った。

荷物を置いてすぐ、私は外へ出た。

カイルが後ろに続いた。

 

「休まなくていいのか」

 

「夕方のうちに、少し状況を確認したい」

 

「付き合う」

 

「いいんですか」

 

「視察だ」

 

相変わらずの答えだった。

二人で城下を歩いた。

道行く人の顔を見た。

店先の野菜を見た。

広場の水場の水を見た。

全部、くすんでいた。

色が薄い。

生気が薄い。

水が濁っている。

広場の端で、子供が咳をしていた。

母親が心配そうに背中をさすっている。

その母親の顔も、青白かった。

私は水場に近づいた。

手を入れた。

瘴気の層が、重なっていた。

ひとつではなく、何層にも積み重なっている。

長い年月分の澱だ。

権力の欲。

腐敗の蓄積。

見せかけの豊かさの裏に積もったもの。

 

「……深い」

 

思わず声に出た。

 

「どのくらいだ」

 

「辺境の山の戦場跡より、ずっと深い。あちらは数十年分でした。これは——何百年分もあるかもしれない」

 

カイルが無言でいた。

 

「それでもやるか」

 

「やります」

 

「一人でか」

 

「始めは一人です。でも——この水場だけで終わらせるつもりはありません。王都の地下水脈ごと浄化しなければ、意味がない」

 

カイルが眉を寄せた。

 

「地下水脈ごと、というのは——」

 

「この街の下には、大きな水の流れがあります。それ自体が汚染されています。支流を一つひとつ直しても、本流が汚れていれば戻ります。だから本流から断たなければならない」

 

「それは……どれくらいの規模の話だ」

 

「王都の地下全体、です」

 

長い沈黙があった。

夕暮れの広場に、人々の声が遠く聞こえた。

 

「お前が倒れても知らんぞ」

 

カイルが静かに言った。

怒った声ではなかった。

でも、何かを抑えているような声だった。

 

「倒れる前に言います」

 

「言う前に倒れるタイプだろう、お前は」

 

「……気をつけます」

 

「気をつけますも信用係数が低い」

 

「カイル様」

 

「何だ」

 

「帰りますから。ちゃんと帰ります」

 

カイルが私を見た。

夕陽が横から当たって、彼の顔に影と光が半分ずつかかっていた。

 

「……覚えておけよ、その言葉」

 

翌朝、王宮へ呼ばれた。

謁見の間ではなく、小さな応接室だった。

扉を開けると、アルノルトがいた。

三ヶ月ぶりだった。

変わっていると思った。

痩せていた。

目の下に影がある。

以前の、整った余裕のある顔つきではなかった。

そして——リリアがいなかった。

アルノルトが私を見て、立ち上がった。

 

「エレノア、来てくれた」

 

「要請がありましたので」

 

「……そうか」

 

彼が何か言いかけた。

謝罪か、言い訳か、あるいは別の何かか。

どれでも構わなかった。

私は先に言った。

 

「状況を教えてください。感染者数と、発生地域と、リリア様が対処した場所の一覧を」

 

アルノルトが少し目を見開いた。

それから、静かに書類を取り出した。

資料を受け取りながら、私は思った。

この人のことを、今は何も感じない。

怒りも、悲しみも、懐かしさも。

ただ——目の前に仕事があって、それをやる人間がここにいる。

それだけだった。

資料を読み込んでいると、アルノルトが言った。

 

「エレノア……戻ってきてくれないか」

 

顔を上げた。

 

「今、戻ってきています」

 

「そうじゃなく——婚約者として、という意味だ」

 

しばらく、応接室に沈黙が流れた。

窓の外で鳥が鳴いた。

私は静かに答えた。

 

「それはお断りします」

 

「なぜだ。俺が悪かった。あの時のことは——」

 

「アルノルト様」

 

遮った。

彼が口を閉じた。

 

「私が王都に来たのは、民を救うためです。それが終わったら、私は辺境へ帰ります。それが条件でした」

 

アルノルトが私を見た。

何かを言おうとして、でも言葉が出てこないようだった。

私は書類に目を戻した。

 

「準備ができたら、明日から始めます。疫病の発生地域から順に回ります」

 

それだけ言って、応接室を出た。

廊下に出ると、カイルが柱に背を預けて待っていた。

私の顔を見て、一言言った。

 

「どうだった」

 

「予定通りです」

 

「……そうか」

 

彼が壁から離れた。

並んで廊下を歩きながら、カイルが静かに言った。

 

「よくやった」

 

短い言葉だったが、それで十分だった。

王宮の廊下は長くて、天井が高くて、装飾が多かった。

辺境の修道院の石廊下とは、何もかもが違った。

でも——どちらが自分の場所かは、もうはっきりとわかっていた。





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