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「役立たずの聖女」と婚約破棄された私、辺境では一日で五百人を救ってしまいました  作者: カルラ


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2/11

第2話 辺境の果てで、手を動かす

厨房に入ると、修道女が二人、薄い粥をかき混ぜていた。

大きな鍋の中身を覗くと、穀物の量が少ない。

水増しで量を稼いでいる状態だ。

 

「食材の備蓄を見せてもらえますか」

 

修道女の一人——若い、まだ二十歳になっていないだろう女性が、戸惑いながら食料庫へ案内してくれた。

棚はほとんど空だった。

小麦粉が少し。

乾燥豆が一袋。

干し野菜が数束。

それだけだ。

 

「これで三十七人を……」

 

「はい……王都からの支援が、もう半年以上止まっています」

 

彼女の声が、少し震えていた。

半年。

子供たちが半年、こんな食事で耐えてきた。

私は小麦粉の袋を手に取り、少し目を閉じた。

中に混じった悪いものを、丁寧に取り除く。

虫食い。

湿気による劣化。

カビの芽。

ひとつひとつ、解いていく。

開いてみると、粉の色が明るくなっていた。

香りも、少し戻った。

 

「これで焼けばパンになります。手伝います」

 

「え、でもお嬢様が厨房仕事など——」

 

「腹の減った子供に身分は関係ありません」

 

そう言って私は袖をまくった。

若い修道女が、目をぱちぱちとさせながら、それでもすぐに手を動かし始めた。

名前を聞くと、アンナと言った。

生地をこねながら、アンナがそっと話しかけてきた。

 

「あの……本当に聖女様なのですか」

 

「一応、そういうことになっています」

 

「でも王都では……その、地味だって」

 

率直な子だ。

少し笑いが漏れた。

 

「合ってますよ。地味です」

 

アンナが慌てた。

 

「あ、すみません、失礼なことを!」

 

「いいえ。事実ですから」

 

生地を台に打ちつけながら、私は続けた。

 

「光が出ないんです。派手な奇跡も使えない。水を綺麗にしたり、パンを美味しく焼いたり、そういうことしかできません」

 

アンナはしばらく黙っていた。

それから、小さな声で言った。

 

「……それって、すごく大事なことじゃないですか」

 

何も答えなかった。

答える必要もないと思ったから。

パンが焼き上がった頃、夜が来ていた。

子供たちに配ると、みんな無言で食べた。

急いで食べる子。

ゆっくり味わう子。

泣きながら食べている小さな女の子がいた。

理由は聞かなかった。

ただ、隣に座った。

翌朝、夜明け前に起きた。

まだ誰も起き出していない時間に、私は畑へ向かった。

土にそっと手を当てる。

地中深く、瘴気が根を張っていた。

まるで病んだ血管のように、土のあちこちに広がっている。

これでは何を植えても育たない。

目を閉じて、意識を沈めていく。

浄化は、表面からではなく根元からだ。

土の深いところにある汚染の核を、ひとつずつ見つけて、溶かしていく。

光は出ない。

ただ、土が少しずつ温かくなっていく感覚がある。

どのくらい時間が経ったかわからなかった。

気づいたら、空が白んでいた。

立ち上がると、足元の土の色が変わっていた。

黒ずんでいたものが、深い茶色になっている。

良い土の色だ。

 

「……なんだ、これは」

 

後ろで声がした。

振り返ると、老いた神官が立っていた。

杖をついた、白髪の男性だ。

修道院付きの神官だろう。

目が大きく見開かれている。

 

「おはようございます」

 

「お、おはようございます、では済まんぞ! この土、昨日まであの黒かった畑が——!」

 

「少し浄化しました。あとは種があれば、今日中に植えられます」

 

神官が口をぱくぱくさせた。

何か言おうとして、言葉が出てこないようだった。

私は土の感触を確認しながら言った。

 

「種の備蓄はありますか? 麦でも豆でも、何でも構いません」

 

「あ、ある……あるにはあるが、この土じゃ育たないからと使わずに——」

 

「今なら育ちます。もし良ければ一緒に植えませんか」

 

神官はしばらく私を見つめた。

それから深く息を吐いて、杖を地面に突き立てた。

 

「……わかった。種を取ってくる」

 

種を植え終わったのは、朝食の時間を少し過ぎた頃だった。

手が土で真っ黒になっていた。

厨房に戻ると、アンナが慌てて水を持ってきた。

 

「あの、聖女様、お顔にも土が……」

 

「あら」

 

拭きながら食堂へ向かうと、子供たちがもう席についていた。

その中の一人、七歳くらいの男の子が、私の手を見てぽつりと言った。

 

「おねえさん、農家みたい」

 

「農家より下手ですよ」

 

男の子がくすっと笑った。

それを見た周りの子も、つられて少し笑った。

食堂に笑い声が響いたのは、おそらく久しぶりのことだったのだろう。

院長が目を細めて、その様子を見ていた。

午後は病人のいる部屋へ向かった。

七人の子供が、薄い毛布に包まれて横になっている。

全員、顔が青白い。

高熱を出している子が三人。

下痢と嘔吐で脱水になっている子が二人。

咳が止まらない子が一人。

原因が複合している子が一人。

 

「一人ずつ診ます」

 

付き添っていた修道女が、不安そうに言った。

 

「お薬も充分でなくて……王都に使者を出したのですが、来てくれるかどうか——」

 

「薬は使いません。手で診ます」

 

修道女が戸惑っていたが、私はもう最初の子の隣にひざまずいていた。

小さな女の子だ。

五歳か六歳。

体が熱い。

手のひらをそっと額に当てる。

熱の源を感じる。

病そのものを見る。

悪いものが、体の奥で暴れているのがわかった。

それを、ゆっくりとほぐしていく。

焦ってはいけない。

急いで押さえつければ、体の方が傷む。

丁寧に、優しく。

まるで絡まった糸をほどくように。

しばらくして、女の子の呼吸が落ち着いた。

額の熱が、掌の中で引いていくのがわかった。

 

「……つめたい」

 

女の子が目を開けた。

私の手を見て、ぼんやりとした目で言った。

 

「おねえちゃんの手、つめたい」

 

「そう? ごめんなさいね」

 

「ううん……きもちいい」

 

また目を閉じた。

今度は、穏やかな眠りの顔だった。

七人全員を診終えたのは、夕方近かった。

全員の熱が下がり、三人が自分で起き上がれるようになっていた。

部屋の外で待っていた修道女が、私の顔を見て声もなく泣いていた。

 

「どうしました?」

 

「……いえ、あの、この子たちがここまでひどくなったのは私のせいで、もっと早く気づいてあげれば、でも薬もなくて、どうしてあげることもできなくて……」

 

言葉が途切れながら続いた。

私は少し考えてから、彼女の肩に手を置いた。

 

「あなたが諦めずにいたから、今日まで生きていたんです」

 

彼女が顔をあげた。

 

「諦めなかった人を、責めるのは違う」

 

しばらくの間、廊下に沈黙があった。

夕陽が、細長い窓から差し込んでいた。

その夜、食堂の空気が少し違った。

子供たちの声が、前の夜より大きい。

病気だった子が一人、粥を自分で食べられるようになって、隣の子に自慢していた。

アンナが焼いたパンは昨日より膨らんでいた。

老神官が、種を植えた畑の土を嬉しそうに眺めに行って、なかなか戻ってこなかった。

院長は何も言わなかったが、食事の間中、静かに私を見ていた。

夜、自分に割り当てられた小さな部屋に戻った。

石の壁が冷たい。

ベッドは硬い。

王都の侯爵家の部屋とは、比べるべくもない。

でも——不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。

窓の外、空に星が出ていた。

王都の空より、ずっとよく見える。

光がないから。

余計なものがないから。

目を閉じる前に、ふと思った。

婚約破棄されてよかったかもしれない。

こんなことを思うのは、きっとおかしいのだろう。

でも——今日一日で、私は誰かの役に立てた。

水が綺麗になった。

土が戻った。

子供が笑った。

熱が下がった。

王都にいたら、こんなことはできなかった。

そう思いながら、私は眠った。






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