4, 魔術
王城内の一室、首元まで垂れさがる髭を生やした魔術研究機関に勤める中年男性――ゼイニスが魔術に関する分厚い本を片手に持ち、教鞭をとっていた。
相手はマリアである。
「では、本日からよろしくお願いいたします」
「ええ、お願いいたしますわ」
昨日、視察を終えたマリアは自身の無知を痛切に感じた。
無知なままではいられない。だが、マリアは自分に今できることは無に等しいということも自覚している。
――今の自分に何ができるのか。
昨晩、亡き母に縋るように魔法式ランプを抱え考えた。
しかし、どう考えても今の自分にどうにかできる範疇を超えていると感じてしまっていた。
明日からは魔術の講義が始まる。
マリアは今与えられているものでも全力で取り組み、まずは無知から脱却することが大事であるということに意識を向けた。
そして魔術の授業が始まった。
マリアはペンを強く握り、ゼイニスの話をメモし図としてわかりやすくノートへ書き起こした。
「――であるからして、魔術は『火、水、風、地』四属性が基本でございます」
マギアナ王国の貴族は十五歳になったら王立魔術学園へ入学する慣習がある。初代フリムス一世が王立魔術学園を開き、魔力を持つ者が十五歳から学園に入学するように制度が整えられた。
当時は魔力を持つ者であれば貴族だろうと平民だろうとその門戸は開かれていたが、フリムス二世の代で実質的に貴族のみが入学を許される学園となった。
現在も制度としては平民もいまだに王立魔術学園へ入学できるが、貴族の後ろ盾を得て推薦を取り付けるか、学園の教師を買収するほかに道がないのが現状である。
魔術に関する基礎知識は魔術学園で段階的に学んでいくよう最初のカリキュラムに組み込まれているが、王家は魔術の象徴であるがゆえに、入学する一年前から学ぶ伝統がある。
マリアはペンを止め、難しい顔を見せた。
「どうかされましたか? 殿下」
「ゼイニス様、魔術は基本四属性であり、その魔術の顕現は火であれば火の塊が現れるのですよね?」
「はい、そうでございます」
「それではおかしいではありませんか? 確かに火を操る魔術師様や水を操る魔術師様は多くいらっしゃいます。ですが、氷、雷までも魔術を使って操る方もいらっしゃいますが、その説明だと例外な属性もあるということでしょうか?」
「流石は殿下でございます。ええ、もちろん例外の属性もございますが、殿下がおっしゃられた氷、雷はこの四属性で間違いございません」
ゼイニスは教卓に本を置き、手を広げた。
ボワッという音と共に手のひらに光が集まり、火へと成った。
室内は一瞬にして温まり、周囲の風が火に吸い込まれ、その風でマリアの髪が靡いた。
「これは火の魔術でございます。基本的にこのようにして内なる魔力を消費して顕現させます。賢人リアトルは魔力により顕現できる物質は四つであることを発見しました。今日までそれが絶対の学説であり、我々はそれを魔術における基本四属性と呼んでおります」
ゼイニスは反対の手でも風魔術を使い、風を顕現させた。
「このように、魔術は複数同時に操る事ができるのです。これを複合魔術と言います。そして、この二つをかけ合わせる事で」
ゼイニスは何もない空間を向き、両手を近づけた。
すると、顕現した風に吹かれ、火は直線方向に広がっていった。
「広範囲に火を放つことができるのです。このようにして、基本四属性を掛け合わせ、氷、雷などを顕現させることができるのです。質問の答えはこれでご理解いただけましたかな?」
「は、はい!」
「今はわかりやすく両手で魔術を顕現させましたが、複合魔術を使う場合には片手で行わなければなりません。マリア殿下は常日頃からそのような魔術師を見慣れていらっしゃるかもしれませんが、ここが王城であり、選りすぐりの魔術師がいるからに他なりません。複合魔術を扱うのは本来非常に難しく、魔術師の最初の難所と言えるでしょうな」
マリアは魔術の顕現、複合魔術について理論的に学び自分も使えるかもしれないという期待と高揚感で溢れた。
「では、今日はこのあたりで終わりにしましょう」
「は、はい……」
「殿下、勉強熱心であることは非常に素晴らしく感心いたしますが、詰め込み過ぎるのも良くありませんよ」
「そうですわね」
「次回は……一カ月後でしたね。魔術史を中心にお話させていただきますが、魔術史はこのマギアナ王国の歴史でもございます。ですので、既に国史を学ばれている殿下には、魔法技術が生まれた辺りから始めさせていただきます」
「……っ! はい! お願いいたしますわ」
ゼイニスは鞄に魔術教本をしまい「お先に失礼いたします」といって扉の前でマリアに向かって頭を下げて退出した。
一人になったマリアは、ふぅーっと息をついた。
「一カ月後……か。遠いなぁ」
今のマリアにとって魔術の授業は一刻も早く学びたいことであった。
マリアは誰もいない部屋の中で、見よう見まねで手のひらを広げ力を込める。
「ふんっ。……ふんっ! ふんっ!!」
手を開いたり閉じたり、力を集中させるが一向に、火も水も風も地も現れなかった。
「ど、どうしてなの?」
「それはそうだよマリア」
そう言い、扉が開き二人が部屋に入ってきた。
一人は銀色の髪を後ろで纏めて軽装をした兄、アイデル。もう一人は二メートル近い扉と同じぐらいの背丈をした重装備の男――この王国の騎士団長をしているゲネラル・コメンダである。
「アイデルお兄さま……?」
「どうしたんだい? ……ああ、この格好かい? 今剣術の稽古がちょうど終わったところなんだ。部屋に戻ろうとしたらこの部屋から可愛い妹の声がしてね」
「そ、そうですか」
マリアは少し恥ずかしくなり俯いてしまった。
「魔術はね。感覚を掴まないと、上手く顕現できないんだ」
アイデルは何かを摘まむように指先をすぼめ、俯くマリアの前に差し出した。
マリアは肌に冷たい風を感じた。
瞬間、その指先から氷でできた薔薇が顕現した。
「こんな感じでね。マリアが何を焦っているのか僕にはわからないけれど、魔術は焦ってできるほど簡単なものではないんだ。今は魔術について学び、実際に魔術を使えるようになるのは学園に入ってからでも遅くはないよ」
「……そうですね」
魔術で顕現した氷の薔薇が静かに消えていった。
アイデルは微笑み、マリアの頭を撫でてその場を去ろうとする。
「アイデルお兄さま」
「……うん? どうしたんだい?」
「アイデルお兄さまは魔術についてどうお考えですか?」
「どう……考えているかと言われてもね。うーん、質問の意図がみえないな」
「その、えっと……ですね。私、昨日の視察で今の市政の状況を見たのです。今までこの王城から見ているだけで現実を知りませんでした。だからこそ、どうにかしなければならないと思ったのです! もちろん、私たちが動いて変えられることは少ないかもしれませんが、魔術や魔法技術が広く伝――」
「――マリア、その考えは危険だよ」
アイデルはマリアの言葉を遮った。
「僕たち王族や貴族がなぜ支配者階級であるか、考えたことはあるかい? 魔術という圧倒的な特権があるからだよ。民のことを思うその考えは確かに素晴らしいと思うけれど、それは根本的にこの国の体制を揺るがしかねない考えだ。あまり賢い考えとは言えないな」
マリアは茫然とアイデルを見つめる。
アイデルは引き返し、マリアの肩に手を置く。
「焦らなくていい、ゆっくりと国のことを学び、マリアにできることを探せばいいんだ」
「……」
「それじゃあ、僕は行くね。どのような形にせよ、妹が成長しようとしている姿を見られたのはよかったよ」
決定的に考え方が違う。
マリアにそう思わせるほど、アイデルの言葉は強く冷静であった。
アイデルは静かに部屋を去り、ゲネラルがじっと部屋に残るマリアを見つめながら扉を閉めた。
マリアの頭の中で、考えが錯綜する。
民を思えば魔術や魔法技術を広く伝えること、この考えは間違っていないはず。しかし、確かに自分たちを王族、貴族たらしめるものは魔術であり、もし仮に魔術を当たり前のように平民が使うようになれば王族や貴族は必要なくなるのではないだろうか。
頭が痛くなる。
気持ちが悪い。
一体何を考えていたんだろうか。
思考がぐしゃぐしゃになり、なにが良くて何が悪いのかがわからなくなっていく。
「――め様、姫様。いかがなさいましたか?」
「――え?」
気が付くと、窓から夕日が差し込み目の前にはハドラーが立っていた。
「ハドラー……?」
「はい。ハドラーでございます。探しましたよ、姫様。夕食の時間でしたので、お部屋にお伺いしてもいらっしゃらなかったので」
「夕食……? もうそんな時間なのね」
「なにかお悩みですか?」
「そう……ね」
「であれば、まずはお夕食をお召し上がりください」
「え?」
「お腹を空かせては、考えるものも考えられませんから。それと、お食事の後は庭園をお散歩なさるのがよろしいかと存じます」
「……庭園をお散歩ですか?」
「ええ。どうやら、頭を抱えるほどの悩みがあるときはそうするのが一番である、と生前マリステラ様がおっしゃっておりましたので」
「……っ!! お母さまが?」
「ええ。ですので、まずはお夕食をいただきに参りましょう」
「そうですわね。わかりましたわ」
マリアは胸にモヤモヤとした気持ちを抱えながらも、ハドラーの言葉を聞き入れて、大広間へ向かった。
大広間に着くと、部屋の端には給仕のメイドが二人と、今日の夕食を作ったであろうシェフが立っていた。
この大広間にはマリア、ハドラー、メイド二人、シェフの五人しかいなかった。
マリステラが生きていた頃は、彼女の希望もあり、時々全員揃って食事をとっていたが、今のマギアナ王家は家族揃って食卓を囲むことはない。
食事は非常に繊細な味をしており、細部まで飽きることなく食べられるように作られている。
非常においしい一皿であるが、同時に何とも言えない気持ちになるのだ。
「シェフ、今日もお食事ありがとうございましたわ。とても美味しかったです。給仕もご苦労様でした」
マリアは静かに食事をとり、シェフ達に礼を言うと大広間を後にした。
マリアはハドラーの助言で王城正門とは真反対にある庭園に向かった。
王城裏の庭園には、マギアナ国中の花々や低木が植えられている。
もともと、王城の裏は倉庫や蔵が建っているだけであったが、マリステラがフリムス三世に懇願し、現在のような庭園となったのだ。
マリアは夜にこの庭園に来たことはなかった。
ヒンヤリとした風が吹き、マリアを庭園へと誘う。庭園に外灯は一つもないが、まるで計算されたように月明かりが庭全体を照らしていた。
「……お母さま」
マリアは色々な思いと、母への思い出がよみがえり、目尻に涙が浮かぶ。
庭園をゆっくりと歩いていると、普段立ち寄らない倉庫が目に入った。
「ここは……倉庫?」
いつもはハドラーやメイドが付いており、倉庫の方までは行かなかったが、今日は気を利かせてくれてハドラーは庭園の外で待機しているため、付人はいなかった。
「……」
マリアは何となく倉庫が気になり、恐る恐る扉を開いた。
倉庫の中は、窓から差し込む月明かりで照らされている。真ん中奥に机と椅子が置かれており、壁際の棚には古びた本や使われていない鉢が並べられていた。
数年は使われていないことの証明にそこら中に埃が積もっていた。
倉庫をゆっくりと一周すると、椅子の横の床に小さな窪みがあることを発見した。
「これは……何かしら」
マリアは好奇心から、床の窪みに指をかけ引っ張った。
――グギギィィ……。
錆びついた金属音と共に埃が舞う。そして目の前に現れたのは石造りの地下へと続く階段であった。
「階段?」
マリアはじっとその地下への階段を観察し、思い切って入ってみる。
階段はそこまで長く続いておらず、階段の先には廊下が続いていた。
コツコツと音を立てながら、進んでいくが、明かりが全くなく最奥に見える光を頼りにひたすら歩き続ける。
五分ほど歩いたところで、ようやく光のもとにまでたどり着く。
「行き止まり……?」
その廊下の行きついた先は行き止まりであり、光の正体は上から差し込む月の光であった。
「……縄梯子? これで上へ登れということかしら?」
行き止まりの先には縄梯子が上から下ろされており、マリアは足をかけ、軽く力を入れて劣化していないかを確認する。
一抹の不安があるものの、マリアは縄梯子を使い、上へと登った。
「よいしょっ……――っ!!」
どうやら使われていない井戸だったらしく、地上にあがると、そこは城下街へと続く路地裏であった。




