2, 無知
「み、皆さま?」
マリアは焦ってランプから手を離した。
先ほどとは明らかに違った空気を感じ取り、三人の顔色を窺いつつ自分がなにか聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと考えた。
貴族たちが見定める目、己に酔いしれた目、冷徹に物事を判断する目、格下のものを見る目、そのどれとも似ても似つかない視線は主にニロから向けられた。
――怖い。
助けを求めるようにパニテーレやディタースに目を向けるが、パニテーレは腕を組み静かにしており、ディタースは少しほほ笑んだ表情を崩さずに立っていた。
ニロはゆっくりとマリアに近づいた。
目の前まで来たところでマリアは反射的に座り込み目を瞑った。
「……これは、魔法式のランプではございませんよ」
「――え?」
そう言い、ランプを手に取り力を込めた。するとランプの中にボワッと火が灯った。
磨りガラスで作られていて中の火がぼやけて見える。魔術式魔道具は基本的に魔道具を持ち魔力を込めることで作動する。
間違いなく魔術式魔道具であった。
「し、失礼しました。私が持っている魔法式ランプと似た構造をしていまして勘違いしてしまいました」
「いえ、確かにこのようなつまみが底にあると勘違いされてもご無理はないかと思います」
「姫様! お急ぎください、もう出立いたしますぞ」
店の外からハドラーが声をかけた。
「ええ、今行くわ」
その声に反応して、マリアはその場から逃げるかのように立ち上がり入口の扉に向かった。
「そ、それではごきげんよう!」
ニロ達も店の外へと出てマリア達を見送った――。
◇
――あの視線は一体。
孤児院へ向かう馬車の中、最後に見せたあの視線の理由が気になるマリアは神妙な面持ちになっていた。
「姫様、どうされましたか? そのような顔をなさって」
「いえ、なんでもないわ」
「そうでございますか」
「……ねえハドラー、魔法式魔道具って一般的には使われていないの?」
ハドラーは顎に手を当て、少し考えてから話し始めた。
「そうですな。魔法式魔道具は上流階級の貴族や軍のみが使用するものでございます。ヘルムス商会のように上流貴族との関わりがなければ、平民はまず見かけることすらございませんな」
「そうなのですか……」
「今から十年前に制定された刑罰法典により、平民の魔法式魔道具の使用は固く禁じられております。それに五年ほど前にその取り扱いはより厳重になりまして、今では下級貴族ですら国の許可がなければ所持できません」
「……」
あの視線の正体がわかった。
マリアはあの瞬間、無意識にニロに対して『禁忌を犯しているのか』と突きつけたのだ。
それも、王家の者にだ。
平民であるニロには、その勘違い一つで店を潰され、法的処分を受けさせられる可能性があった。
その事実を認識したマリアは息をのみ、顔が青ざめた。
「ど、どうされましたか姫様?!」
「な、なんでもありません。少し馬車に酔ってしまったみたいです」
「さ、さようでございますか」
ハドラーは操縦席と通ずる小窓を開き、馬車を動かす騎士に少しスピードを落とすように伝えた。
ニロ魔術代行屋から二十分馬車を走らせ、最後の視察先である孤児院へと着いた。
マリアの顔色もすでに元通りになっていた。
馬車から降りると、そこには石造りの古びた教会のような建物があった。建物の屋根についている教会であることを表すシンボルは半分が欠けており、もうシンボルと言えないものであった。
視線を庭に移すと、そこにはボロボロの服を着た子供達が二、三人ほどいた。
「殿下ようこそ、おいでくださいました」
教会から、縁が欠けた眼鏡をかけた細身の男性が出迎えてくれた。
「私はトロムと申します。この孤児院の院長をしております。と、とう孤児院を視察先に選んで下さり本当に、本当に感謝申し上げます……っ!」
トロムは地面に膝をつき、涙を流しながら感謝を述べた。
「今回の孤児院の視察は姫様のご要望の一つでございましたが、選定先は僭越ながらこのハドラーが選ばせていただきました。姫様は大変市政にご関心がおありでいらっしゃる。しかし、普段は城内にある書籍や市政に携わる文官から話を聞くだけでございました」
膝をついたトロムに子供たちが「どうしたのー?」と駆け寄ってきた。
近くに来た子供たちの姿を見ると頬は痩せこけ、体はガリガリ、本当に人間なのかと疑うほどに、子供達が痛々しく映り、マリアは息をのんだ。
「……っ!」
「姫様、市政の全てがこのような現状ではありません。が、これが紛うことのない市政の現状でございます」
その状況にマリアは混乱するが、ハドラーがトロムに手を差し伸べた。
ハドラーは院長を立ち上がらせて、マリアの方を向いた。
そのハドラーの表情は少し悲しそうにマリアの目には映った。
「し、失礼いたしました殿下。ささ、古い建物ではございますが、是非中も見ていって下さい」
「わ、わかりましたわ」
マリア達は孤児院の中へと場所を移した。
孤児院の中には、外にいた子供達よりもさらに小さな子供達が3人ほどいて手を繋いで立っていた。
マリアが優しく手を振ると、子供達は手をつないだままキョトンとした顔でマリア達を見つめるだけであった。
院内にある、応接部屋に案内された。
椅子や机に埃は被っていないものの、よくよく観察すると部屋の四隅に埃が溜まっているのがわかった。
トロムの口から語られたのは、市政における下層階級の現状であった。
孤児院への国からの支援は現状少ないこと、王都では知恵や技術がないものに仕事はなく路頭に迷うものが多くいること、仕事がない故に子供を作っては捨てる親が多いことなど、非情な現実をトロムは語った。
「冬は寒さに耐え兼ね、死ぬ者も多くおります」
「……魔道具を使えば、寒さも凌げるのではなくて?」
「魔道具はこの孤児院にもございます。しかし、それを作動させるためにも定期的に魔術代行屋に依頼をしなくてはなりません。私共はそのお金を捻出できないのです」
「――で、であれば魔力を使わない魔法式を……っ」
マリアの言葉が詰まった。
トロムは「魔法式……?」と首を傾げ「確かに殿下の言う通り、魔力に頼らず魔道具を使えればいいのですがね」と夢物語のようにマリアの言葉を肯定する。
その後の下層の酷い現状をただただ聞いていることしか出来ずにいた。
本日の予定していた視察が全て終わった。
王城に戻る帰りの馬車内で、マリアはただ茫然と空を眺めていた。
――無知。
これまで魔術や魔法技術、人々の暮らしに関心を持ち学んできたはずなのに、学んできたことと現実の乖離が激しかった。
それどころか、魔法式魔道具の使用が制限されていたことすら知らなかったのだ。
マリアは軽く歯を食いしばった。
「……ハドラー、私は何も知らなかったのですね」
「……」
ハドラーは何も答えない。
しかし、その沈黙こそが答えであることはマリアには理解ができた。
「私私はもっと知らなければなりませんね」
己の無知を恥じて、それ以上に自身の無力さに涙が眼に滲んだ。
そして、新たに決意を固めるのだった。




