暖かいところ
「ずいぶんなところね!」
土間から囲炉裏部屋へと入る襖をぼやきながら開けて緑花が入って来た。
「こんにちは、緑花。どうしました?そんなに大きな声で文句を言いながらなんて……少し品が無いですよ?」
囲炉裏の脇で亀を膝に乗せ、その背をなでている白波は、やっとご機嫌を直してくれた亀との触れ合いを味わっている最中だった。
できればもう少しゆっくりしたい――と思う気持ちがあったので、つい緑花に恨みがましい視線を向けてしまう。
「どーしたも、こーしたも……」
が、そう言う緑花の視線にも恨みがましい色が籠る。
白波はため息をついた。
「どうぞ。すぐお茶とお菓子を準備します」
亀をそっと膝からおろして、緑花の為に囲炉裏の側に座布団を敷く。
と――。
「おや、緑花髪の毛に何か……あ?」
緑花の髪に手を伸ばしかけた白波の指先が届く前に、その何かはすーっと消える。
「え?」
「雪よ。ここ暖かいから溶けたの」
「雪?」
「ええ。もしかして気がついて無かった?」
こくりと頷いた白波は、緑花と場所を入れ替わるようにして襖を開けて土間へ出て――。
「うわぁ…寒っ!」
驚いて声を上げた。
「そりゃあ、雪が降ってるくらいだもの」
「さっきまでは、こんなに冷えていなかったんですよ?」
暖かいほどでは無かったが、こんなに冷え込んではいなかった。
「だからー!『ずいぶんなところね』って言ったじゃない」
「……僕が知らない間に、また移動してたってことですか……」
「そういうこと!」
はぁ……と息を吐いて白波は戸口から顔を出して空を見上げた。
灰色に染まった空から、花びらのように白い破片――雪が次々と舞い降りてくる……。
「積もる…でしょうか?」
空を見上げたまま、横に並んで同じように空を見上げた緑花に問う。
「どうかしら?降っている雪の量はそれなりだけど、地面がまだ真冬ほどには冷えて無いから……。ほら!地面に落ちた雪はすぐに解けているでしょう?」
地面に落ちたあと、溶けずに残るようになってきたら積もるはず……と緑花は言った。
「なるほど……」
とりあえず亀のご機嫌が直って、暖かい囲炉裏の側に寄って来てくれるようになっていたことに、白波はほっとする。
「ちょっと前にスズメが来ていて、その時についてきてもらって亀の散歩に行ったところだったんですが……」
そのときの白波ルームは例の付喪神の宿りかけている灯台の在る岬にあって、雪の気配なんて全く無かった。
「スズメが出かけた後に、ここに移動してきたってことですねぇ……」
はぁっと吐き出す白波の息が白く染まる。
「ああ、寒い!」
吐く息の白さを目にして、余計に寒さを感じたらしい。
白波は戸をそそくさと閉めて、囲炉裏部屋に戻る。
「すぐに暖かいお茶を淹れます。座っていて下さい」
緑花にそう声を掛ける。
「ええ、お願いするわ」
上品に答えた緑花は、すぐに亀をすくうように抱き上げると自分の膝に乗せる。
「良い手触りだわ……」
亀を撫でながら、ほうっと息を吐くように言う。
「さっきブラッシングをしたところなんです」
緑花にお茶と菓子を出しながら、少し自慢そうに白波が言う。
スズメと散歩に行ったあとに、丁寧にブラシをかけたところだった。
「猫ってブラシを嫌うって聞きますけど、亀はとってもいい子にブラシさせてくれるんですよ」
「白波ってば、すっかり飼い主馬鹿になってるわねぇ……」
そんなことを言っている緑花も、撫でる手を止めた途端に亀に『手を止めるな』というように手を叩かれて、目の前に置かれたお茶とお菓子に手を付けられずに亀を撫でている。
「ふふふ……冷茶にならないうちに飲んでくださいね」
「わかってるわよ!もう、そんな意地悪言わなくてもいいじゃない?囲炉裏の側だもの、温くはなるだろうけど、冷茶にはならないわよ」
ぷーっとふくれっ面をする。
「ふふふ……。そう言えば、僕は外を見てもわからなかったんですが、ここってどう言うところなんでしょう?岬のあの場所は、確かに最近風が冷たくなってきたとは思っていましたが、雪が降りそうなほどではなかったと思うんですよね……」
「ええ、結構な山の上よ。ここ」
片手で亀を撫でながら、もう片方の手で湯飲みを手にした緑花が言う。
「山ですか……」
なるほどと白波は頷く。
冬と言う季節は、山の方からやってくるものだから――。
「あ、亀どうしたの?」
と、不意に緑花が声を上げた。
亀が緑花の膝から降りると、襖を開けて土間に出て行ったのだ。
「外は雪よ。寒いわよ!」
慌てて緑花と白波が追いかけるが、土間に下りた亀は、追いかけてくる緑花や白波の目の前で戸をカラッと開けた。
途端に勢いよく吹き込む雪交じりの風――。
「うわっ!」
冷たい風に雪を吹きつけられて、驚いた亀は即座に土間から囲炉裏部屋にUターンし、慌てた白波が戸を閉める――。
そして、土間に吹き込んだ雪のほとんどは、入った途端に室内の空気の暖かさに溶けたのだけど……。
「え?」
一片だけ溶け残り、ふわりと土間の宙に漂う。
薄暗い土間に白く舞い浮かぶ雪片――。
「あ……」
ただ、それはほんの数息のことで、すぐに雪片は白波の目の前でスゥっと消えた……。
「緑花、今のって……」
人の身である白波に、見えない何かを察知する能力はない。
けれど、即座に溶けて消えるべき雪が、結果的には消えたとは言え、不自然と思える時間残ったことに違和感を持った。
「憧れかな……」
白波に問われた緑花が消えた辺りを見ながら言う。
「憧れ?」
「そう。暖かさに惹かれたみたいね」
「まさか…今のって、雪の精霊だったとか?」
思わず悲痛な顔になる白波に、緑花は首を横に振る。
「いいえ。あれは何になるかなんて、まだ何にも決まって無いモノよ。でもそうね……」
少し考えた後、緑花はそっと壁に手を当てた。
「いきなりこんなところに来て何事かと思ったけど……」
そう言って閉まった戸に目をやる。
「この先何になるかなんて、決まっていないと言えば決まってはいないけど……。こんな寒い山で、こんな時期に生まれてしまっては、この先は雪や風、氷雨とか……暖かさと縁のないものに取り込まれる可能性が高い……というか、恐らくそうなるわ。だからこの部屋は、暖かさに惹かれる何かの欠片に同情したんじゃないかしら?」
「え?」
さっきの雪の破片は、溶けた後この部屋に取り込まれたと緑花は言った。
「ええっ!そ、そんなことして良いんでしょうか……」
他の力になるべきモノを、自分のルームが取り込んだのだと知らされて白波は慌てるが……。
「誰もダメって言わないわ。双方が納得し、望んだ状態だもの。暖かいモノに憧れたものを、そうで無いところに取り込ませる方が可哀そうでしょう?」
そう言って緑花は「私も暖かいところの方が良いわ~」と、囲炉裏部屋へ戻るのだった……。
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