後編
いつだって、みどりは俺にとっては謎が多い。
みどり自身には、特に嫌なこともない。
まああえて上げるなら、面倒なところがあるくらい。
例えば、いつまでたっても人の事を子供扱いするところとか。
未だに、姉の権限を振りかざそうとするところとか。
だけどそんなことはどうでもよいことにすぎず、基本的に好きなところの方が多い。
俺よりも頭ひとつ分小さくて、抱きしめればおれてしまいそうなほど細っこいくせに、威勢の良い勝気なまなざしで見上げてくるところとか、まあ…普通に可愛いと思う。
クセッ毛なのを気にしてて、毎日、うんうん洗面台の前でドライヤーと格闘しているところも。
そういう話を同級生のタツヤにしていたら、それは姉ではなくて、女として見てるんじゃないかと言われた。
ドキリとした。
タツヤの姉は、ガサツですぐにタツヤを殴るらしい。
みどりがそんな姉ではなくて良かったと心底思う。
俺の顔色が変わったのを見て、タツヤはそれ以来その話題には触れなくなった。
まあ、姉の話題でからかったりするけれど、扱いは、シスコンのレベル。
自分でもシスコンの自覚はある。
最近告白されて付き合いだした奈緒美にもしばしば指摘される。
俺が「姉が」とか言うと、ジト目でこちらを見て、また始まったよ、みたいな。
仕方ないだろう。
俺の家は、両親とも共働きで揃って夜遅い。
だから、みどりが親代わりなんだ。
過ごす時間も長いし。
いつもみどりが一足先に帰って、買い物済ませて、俺が帰ったら一緒に飯を作る。
それが可哀そうだと思ったことはない。
いつだって、みどりがいたから。
それをシスコンと言われれば、そうなのかもしれない。
泣いてるときも、笑ってる時もいつもみどりがいた。
単なる姉ではないのだ。
ああ。単なる姉ではない。
自覚をしっかりしたのは、1週間ほど前。
せがまれてした奈緒美とのキスシーンを見られて、いつもにもまして挙動不審のみどりが可愛くて、つい手を出してしまった。
その瞬間に、自覚した…もの。
つまり…俺は…みどりを。
だが、そんな俺をよそ目にみどりはいつもと変わらない。
謎だ。
普通、弟にキスされたらちょっとは動揺するよな。
嫌だとか…思われてたら、それなりにショックだが。
今日も、いつもと変わらず、白いエプロンを身に付けて台所にたつみどり。
手際よく魚を焼いて、お味噌汁を作っている。
いつもなら手伝うが、今日は土曜日だから、俺は少し寝坊で登場。
両親は今日も仕事である。忙しいことだ。
「おはよう。みどり」
「おはよう。寝坊だね。しずくにはめずらしいね」
笑いながら、俺の茶碗を渡してくれる。
俺は炊飯器の蓋をあけて、しゃもじでごはんをよそう。ついでにちいさいみどりの茶碗にも。
みどりはその間に、焼き魚を皿にあけ、味噌汁を椀にもってテーブルに上においた。
「うーん。まあ、悩める青少年なんだよ」
「なによ。それ」
エプロンをとって椅子に座るみどり。
俺も向かいに座って、箸をとりあげて「いただきます」。
茶碗を手に、白いほかほかのごはんを口に運ぶ。
そして、ちらりとみどりを見る。
相変わらず、変わらない。
ちょっとくしゃっとはねた髪の毛も。
ピンク色の頬も。
触り心地の良さそうなもちもちした白い肌も。
あー…なんだかなぁ。
爽やかな朝のはずなのに、今更姉のパーツに反応する俺ってなにもの。
「どうしたの?食欲ないの?」
すっかりみどりに魅入って、箸の止まっていた俺にみどりが気づく。
目線が具合でも悪いのかと問いかけてくる。
「あ、ああ。何でもない。ちょっと…ははは。はあ」
さすがに、姉に発情してますとは言えなかった。
「最近、おかしいよね。しずく」
ポツリと漏らされた言葉にドキンとした。
「え。そうかな」
思わず声がうわずってしまう。
「このまえだって。いきなり…あんなことしてきて…でさ」
むにょむにょと語尾をごまかすしずく。
「キスのこと?」
弾かれたようにしずくが顔をあげた。
顔が真っ赤になっている。
なんだ。
自覚、みどりにもあるんだ。
「ばかっ。あれはキスとかじゃなくて」
「キスだよ。俺がキスしたかったんだもん」
「だもん、であるかぁぁー」
なんだかちょっとすっきりした。
悶々としていた一週間がバカみたいだ。
ちょっとしずくには悪いかなと思ったけど、しずく相手に我慢するのは慣れない。
「あのさ。俺、しずくのこと」
「ぎゃぁ!」
…なんでそこでその悲鳴。
おまけにそれ、恐竜とかに襲われてる時とかにでそうな叫び。
「だっ…だめだよ。しずく。その先は言っちゃ。きっ、禁断の」
「好きだよ」
あっさりと言ってやった。
自覚をしてからの一週間の若人の苦悩を舐めるなよ。
みどりは赤くなったり、青くなったり。忙しいヤツ。
「あと。禁断じゃないから」
「は?」
「俺、養子だよ。忘れたの」
「えーと」
ぽりと頬を掻くみどり。
これはすっかり忘れてるな。
「2歳くらいに俺がはじめてこの家に来たの憶えてないのか?」
「え。そうだっけ?」
がくり。
「物覚えの悪い3歳児だよな」
「だっ、だって…さあ」
「だから。大丈夫だから」
まあ、両親を説得したりとか…いろいろ面倒なことはあるけど。
俺は茶碗を置いて、立ち上がった。
みどりがぎょっとしたように俺を見て、自分も椅子から立ち上がった。
一歩後ろに下がって。
「ぜっ、全然大丈夫な気がしないんですけど。わたし」
「そうかなぁ」
俺はその言葉に小首をかしげて、あっさりみどりを捕まえる。
そして小さい体を抱き寄せて、ふわふわの猫っ毛に顔を埋める。
「ぎゃぁぁ。放せぇっ」
小さくわめいているみどりはこのさい放っておく。
「あー。これだよ。この感触」
抱きしめてるだけでおれてしまいそうに小さな体だけど、誰よりも俺に安心感を与えてくれる存在。
「好きだよ。みどり」
だから、ずっと一緒にいてね。
出会いは、初夏。
みどり3歳。しずく2歳。
両親を亡くして身寄りの亡くなったしずくを、みどりの両親は引きとってくれた。しずくの両親と親友だったと告げて。
しずくがもらわれていった日は、梅雨明けにも関わらずシトシトの雨だった。
しずくの心を表すかのように。
だが、訪れた玄関で、黒い喪服で登場したしずくを迎えたのは。
腕いっぱいのひまわりの花束を抱えた女の子。
目が蕩けそうなほどの笑顔とともに、その花束をしずくに渡す。
「おかえりなさい。しずく。今日からずっといっしょだよ」
しずくは突き動かされたように花束を受け取り。
ぎゅっと抱きしめ。
瞬間、きゃははと笑い声が聞こえた。
自分の上を指差すみどり。
「はなのかさみたいだね」
嬉しそうに。
見あげれば、自分の頭上を覆うひまわりの花。
まるで、この女の子みたいに。
自分の心に降っていた雨を覆うように。