20 ギディオン=ノックスという男
ノエルはゆっくりと顔をあげた。視界に広がるのは重厚で立派な門構え。この場所に立っているだけだというのに足の震えは収まってはくれなかった。しかし震えている場合ではない。自分には大きくて崇高な使命があるのだから。出発する前にハルにひどく心配され、同行しようとしていたが開店準備のほうが忙しいために置いてきた。ハルまで抜けてはリサの負担が大きくなってしまう。この場はひとりなのだ。しっかりしなければ。
ノエルは縮こまりそうになる心を奮い立たせ、弁当を持っていない片方の手で拳をつきあげた。門番が変な目で見ているがこの際無視だ。
ローウェル国近衛騎士団駐屯地。その目の前にノエルは立っている。
どうしてここまで意気込まねばならないのかというと、先日起きたフーカー子爵の一件があったからだ。あの子爵の事件は自分が相手を粗雑に扱ったから起きた事件であり、それによってソフィアが危険に晒されたのだ。この婿選びをもっと慎重に行っていれば起きなかったかもしれない。
そう考えると、これから会う六人目の候補者、ギディオン=ノックスとの面会には用心深くいかなければならないのだ。どういう人物かわからない今、下手な行動はできない。気分を害すようなことがあれば、またソフィアが危険な目にあうかもしれない。それだけは回避しなければ。
リサから頼まれた弁当も大事だが、情報収集のためにも気を引き締める。
「……よしっ。いこう」
深く深呼吸をし、ずっと不審な目で見ていた門番に声をかけようとした。
が、近づく馬の蹄の音に声はかき消され、馬車から降りてきた人物にノエルは目を奪われた。
「びっくりしたわ。駐屯地に到着すれば目をまんまるとさせたノエルがいるんだもの」
「……私のほうこそびっくりしたよ。まさかここでお姉様に会うなんて」
案内された駐屯地の応接室のソファに座り、となりでにこにこと笑うソフィアを見てノエルは息をついた。
馬車から降りてきたソフィアとの偶然の出会いにも驚いたが、その場所が駐屯地の前、というのも驚きだ。駐屯地と姉につながりがあったかと考えを巡らしても答えにはたどり着かない。
首をひねるノエルを見かね、ソフィアが答えを口にした。
「ギディオン様にお会いしたかったのよ」
「え、お姉様が?」
「ええ。この間の件のことでお礼をしたくて。怪我をなさっていたことも気になるのよ」
この間の件というのはフーカー子爵の事件だろう。確かにギディオンはソフィアを庇い手に傷を負っていた。
「本当はノエルが寝込んでいるあいだにお礼に伺っているのだけれどギディオン様はお忙しくてお会いできなかったのよ。せめてものお礼にといろいろとお贈りしているのだけれど受け取ってくださらないから、こうしてまた面会を依頼したの」
ソフィアは手元にある包を抱えながらノエルに事情を述べた。そしてその包が礼の品だということも理解する。それと同時に湧き上がってくるのは地位の高い侯爵家長女であるソフィアがわざわざこのような場所まで出向くという素晴らしい人間性への尊敬の念だった。騎士は自分たちを守ることは当たり前、と大抵の貴族はふんぞり返っているのがほとんどであるから、深い情けを持った姉に感動してしまう。
やはりお姉様は素晴らしい方だ……!
改めてソフィアの素晴らしさを実感していると、扉をノックする音が応接室に響いた。
「お待たせして申し訳ない」
そう言うのと同時に姿を見せたのはギディオン=ノックスだった。撫でつけた銀髪に青い瞳の持ち主は無表情のままソフィアの前に立つ。
「少し仕事が長引きました。申し訳ない」
「いえ、こちらこそお忙しい中申し訳ありません」
ソフィアは立ち上がると洗練された動きで礼の姿勢をとった。ノエルも慌ててそれに続く。
「改めまして、ソフィア=レヴィと申します。あの時は満足に挨拶できませんでしたので」
「ノエル=レヴィです」
「……ギディオン=ノックスです」
ギディオンは軽く会釈をするとソファに座るよう促した。ソフィアとノエルが座るとその向かいに彼も音もなく座る。近衛騎士の名に相応しい屈強な体躯にも関わらず動きに無駄がない。しかし、現れてからひとつも動かない表情には少し恐怖を覚えた。がっしりとした体格にも圧倒されてしまう。薄氷のような青い瞳を見ることも怖い。
「それで、今回はどのような要件で」
硬く低い声にノエルはびくついたが、ソフィアは笑顔で応じた。
「先日の件でのお礼に参りました。私たちが助かったのはギディオン様のおかげですわ」
「礼なら手紙を頂いたからもう十分でしたが」
「いえ、直接お会いしてお伝えしたかったのです」
ありがとうございます、とソフィアは頭を下げたが、ギディオンは渋い顔のままだ。貴族相手に頭を下げられたことがないのだろう、どう対応していいのか困惑しているのかもしれない。どうにも表情が読みづらいけれど。
「……当然のことをしたまでです」
「お礼の品もお贈りしたのですがお気に召しませんでしたか?」
「自分にはもったいないものでしたので」
「そうですか……」
落胆して肩を落とすソフィアと感情が読み取れない顔をしたギディオン。
それから、ソフィアはひとつふたつギディオンのことを尋ねたが返ってくるのはそっけない答えだけ。包帯が巻かれた手を案じてもとっつきにくい返答のみ。
たぶん人との交流が得意ではないのだろう、とノエルはそっとギディオンを観察する。身近に無口で感情を表に出さない友がいるからわかるが、そうでなかったらひとつも動かない表情に怖々していたところだろう。今でも実際に少し怖いが。
「そういえばノエルはどうしてここに?」
「え……あっ」
ソフィアに尋ねられてやっと抱えている物の存在を思い出した。
「リサをご存知ですか?彼女がこのお弁当を届けて欲しいと」
「ああ。あの食堂ですか。忙しかったから助かります」
手を伸ばされたのでノエルは恐る恐る弁当を手渡す。それと同時にソフィアも手元に抱えていた包を持ち上げた。
「どうぞこちらも召し上がってください。これならお受け取りいただけると思い持参しましたのよ」
にこりと笑いながら包を開く。中から現れたのは。
「……アップルパイ?」
「ええ。高価なものでなければお受け取りいただけると思って作ってきたのよ」
包が開かれるのと同時に甘い匂いが応接室に充満する。きつね色のおいしそうなアップルパイだが、そろりとノエルは顔をあげた。果たしてこのいかつい男性が甘いものを欲するだろうか。
しかし、予想は全くのハズレだった。
「う、うれしそう……」
ノエルはあっけに取られた。なぜなら、ずっと無の状態だったギディオンの瞳がきらきらと輝いてみえたからだ。錯覚かと思って目をこすっても変わらず彼は青い目を輝かせている。
「た、食べても?」
「もちろんです」
朗らかに差し出せばギディオンはその体躯に似合わずおずおずとアップルパイを掴み口に運ぶ。瞬間、ノエルは信じられないものを目にした。
「な、なななな泣いてるー!?」
「どうされましたギディオン様!!」
さすがのソフィアも驚いたのか珍しく声を荒げるが、彼はぴくりとも動かない。
動かないまま泣いていた。
「なんで!?なんで泣くんですか!?」
「お口に合いませんでしたか!?」
緊急事態にひどく慌てる姉妹だったが、ギディオンは涙を流したままぽつりと呟いた。
「………………おいしい」
「へ?」
「…………こんなに、おいしいアップルパイはっはじめてだ…っ!」
感極まったような声で叫んだかと思えば、涙を流したままがつがつとアップルパイをほおばり始めた。
その姿にノエルとソフィアは唖然とするしかなかった。
「これはソフィア様がお作りに!?」
「は、はいっ」
「すばらしい!あなたは天才だ!」
「そ……そうですか?」
感激して泣きながらアップルパイを食べるいかつい男の図。
どういう顔をしていればいいのかノエルは本気で困惑したが、ソフィアはそうでもなかったらしく。
「……おかしな人だわ」
そう言って心から嬉しそうにくすくすと笑うのだった。
長らくあいだをあけてしまい申し訳ありませんでした。




