第3話 ゴブリン退治のはずが、山が消えた
翌朝。
腹は減っているし、金もない。となれば、やることは一つ。依頼を受けるしかない。
ギルドに入ると、ミナがカウンターの前で待っていた。手には、すでに一枚の依頼書がある。
「おはようございます。初依頼、これはどうですか。『ゴブリンの巣の討伐』。新人向けの定番です」
「やれやれ、肩慣らしにはちょうどいい」
(生活がかかってるんだよ。宿代を払えないと野宿なんだよ)
周囲の冒険者たちが、ひそひそと囁き始める。
「あの水晶を爆散させた男が、ゴブリン退治だと……」
「肩慣らしって言ったぞ……」
「ゴブリンの巣が可哀想になってきた」
「ゴブリン側に、事前に連絡してやったほうがいいんじゃないか」
背後から、昨日の太った商人が、そろばんを抱えて声をかけてきた。
「カイ殿、ご出発前に、旅の安全を祈願した『国宝砕きのお守り』などいかがでしょう。今ならお安く……」
「やれやれ、不要だ」
(お守りより、金をくれ)
ミナは、依頼書と俺の顔を交互に見て、小さくため息をついた。そして、カウンターの下から外套を取り出す。
「ギルドの規則で、初回の依頼には職員が同行します。私が行きます」
「やれやれ、そんな規則があったか」
「今、作りました」
「……え?」
「昨日の弁償を免除した手前、動きは見ておきたいとギルド長も言っていました。本当です。……たぶん」
もっともらしい理由だった。だが、ミナの目は別の理由を語っていた。見ておきたい、ではなく、放っておけない、という目だ。
(……ありがたい。ありがたいけど、この子を危険に巻き込まないだろうな)
街の外れの森を抜けて、半日歩いた。
ミナは途中で何度か俺の顔を覗き込み、何か言いたそうにしては黙った。俺のほうも、聞きたいことは山ほどある。だが、聞いたら死ぬ話題が多すぎて、結局ずっと無言だった。
昼過ぎ。
「あそこです。依頼書の巣は、あの岩山の麓の洞窟」
ミナが指差した先に、ごつごつした岩山があった。麓に、ぽっかり口を開けた洞窟。入口の周りには、緑色の小さな影がうろうろしている。
ゴブリンだ。思ったより数が多い。ざっと三十体はいる。
「依頼書だと『十体程度』って書いてありましたけど……」
「やれやれ、誤差の範囲だな」
(三倍は誤差じゃない)
ミナの顔がひきつった。
「カイさん、一度引き返して、応援を――」
その時だった。
ゴブリンの一匹が、こちらに気づいた。
「ギャッ!」
洞窟から、わらわらと緑の群れが飛び出してくる。三十、いや四十はいる。
俺は両手を前に突き出した。
体の奥から、昨日と同じ熱が湧き上がる。血管を駆け巡る鉄の熱。
――が、来ない。
熱は、途中でつっかえた。
昨日、水晶で全力を出し切った反動が、まだ抜けていなかったのだ。腕に力が入らない。魔力が指先まで届かない。
(まずい。出ない)
「ギャギャッ!」
先頭のゴブリンが、跳んだ。
錆びた棍棒が、まっすぐ俺の顔めがけて振り下ろされる。避けようとして、足がもつれた。昨日から食べていないせいで、視界がぐらりと傾く。
「カイさんっ!」
乾いた金属音が響いた。
ミナの短剣が、棍棒を弾き飛ばしていた。
「下がってください! 魔力、出ないんですよね!」
「やれやれ、心配は無用だ」
(いや、無用じゃない。出ない。まったく出ない)
「嘘つき! 顔、真っ青じゃないですか!」
ゴブリンの群れが、じりじりと半円状に迫ってくる。ミナの短剣は、護身用の小さなものだ。三十体を相手にできる代物ではない。
背中に、冷たい汗が噴き出した。
(このままじゃ、ミナが危ない)
その瞬間、体の奥で、何かが切り替わった。
自分のためじゃない。この子を守る。それだけを考えた。
熱が、押し寄せた。
つっかえていたものが、一気に決壊する。
(うおおおおおおおおお!!)
ドッ――
光が走った。
耳をつんざくような音とともに、世界が白く塗りつぶされる。
次に目を開けた時、目の前に山はなかった。
岩山が、丸ごと、ない。
ゴブリンの群れも、洞窟も、ない。ただ、巨大なすり鉢状の窪地が、焦げた煙を上げながら静かに広がっている。
(…………山、消えたな)
膝が、笑いすぎて、もう立っているというより、崩れかけているだけだった。両手はじんじん痺れ、視界の端がちかちかする。
横を見ると、ミナが短剣を構えたまま、口を開けて固まっていた。
風が、窪地の上を吹き抜けた。
「やれやれ、軽くやっただけだ」
自分の声が、やけに空々しく響く。
(軽くねえよ!! 地図が書き換わるやつだぞ!!)
ミナの目が、ゆっくりと俺に向いた。
「……軽く」
「やれやれ、そうだ」
「軽く、じゃない!!」
爆発したようなミナの叫び声が、窪地にこだました。
「膝ガクガクじゃん!! 顔真っ青じゃん!! さっきまで魔力出なくて、ふらふらだったじゃん!! 軽くじゃない!! 全然軽くじゃない!!」
「いや、本気など出していないが」
「出したでしょ!! 絶対出したでしょ!! 手がまだ震えてるじゃん!!」
「やれやれ、気のせいだ」
(気のせいじゃない。震えが止まらない)
その時、窪地の縁の向こうから、複数の足音が近づいてきた。
「おい、今の爆発音は何だ!?」
「山が……山がない!?」
「あんな岩山が、一瞬で!?」
ゴブリン退治の話を聞きつけて、後から様子を見に来たらしい冒険者たちだった。窪地を見下ろして、全員が絶句している。
やがて、一人がこちらを見つけた。
「あ、あそこにいるのは……水晶を壊した、あの新人だ!」
「やれやれ、散歩の途中でな」
(依頼だ。銀貨五枚がかかった依頼だ)
「散歩のついでに、山を……」
「あんな涼しい顔で……」
「いや待て、この山、最初からなかったんじゃないか? 依頼書が間違ってたんだよ」
「それはそれで、依頼書を書いた奴が気の毒だな」
「お、おれ、帰る……。あの人の半径百メートルには、もう近づかない」
冒険者の一人が、青い顔でそっと後ずさりした。
涼しくない。汗だくだ。顔にだらだらと流れているのが、見えないのか。
「ミナさん! あの人、本当に本気じゃなかったんですか!?」
一人の冒険者が、ミナに尋ねた。
「本気だったよ!!」
ミナが即答した。
「本気だった!! すっごい本気だった!! 膝ガクガクだったもん!!」
「…………」
冒険者たちは、顔を見合わせた。そして、全員が、何かを悟ったように頷いた。
「ミナさん……いい人だな……」
「身内が、謙遜に付き合ってやってるんだな……」
「優しい子だ……」
「違う!! そうじゃなくて!!」
ミナが頭を抱えた。
(……ごめん、ミナ。本当にごめん)
俺は、心の中で土下座した。口は、土下座の代わりにこう言っていた。
「やれやれ、気にするな。慣れている」
帰り道。
夕焼けの中、俺とミナは並んで歩いていた。
足取りは、まだふらついている。ミナは何度も俺の横顔をちらりと見ては、ため息をついていた。
「……カイさん」
「やれやれ、何だ」
「さっきの、本当に、全力でしたよね」
「いや、本気など出していないが」
「……そっか」
ミナは、ふっと笑った。さっきまでの怒りは、もう消えていた。
「じゃあ、そういうことにしておきます」
その声は、少しだけ優しかった。
「でも、一つだけ言っておきますね」
ミナが、立ち止まって、俺の前に回り込んだ。夕日を背にして、彼女の眼鏡がきらりと光る。
「カイさんが何を言っても、私は、あなたの行動を見ます。口じゃなくて、行動を」
「…………」
「だから、膝がガクガクしてる時は、ちゃんと『ガクガクしてるね』って言います。覚えておいてください」
「やれやれ、勝手にしろ」
(ありがとう。本当に、ありがとう)
「はいはい」
ミナは、にっと笑って、歩き出した。
「じゃあ、明日からもよろしくお願いしますね。相棒さん」
「…………!」
「やれやれ、相棒などいらんがな」
(いります。お願いします)
ミナは、背中を向けたまま、ひらひらと手を振った。
その肩が、少しだけ、笑っているように見えた。
こうして、俺とミナの、奇妙な二人旅が始まった。
――ちなみに、依頼の報酬は、銀貨五枚。
山を消した結果、ゴブリンの討伐証明部位が全て消し飛んでいたため、ギルドの判定は「規定外の成果につき、特例で金貨一枚を支給」となった。
宿代は、無事に払えた。
ただ、ギルドを出る際、カウンターの奥で、年配の職員が誰かに耳打ちしているのが見えた。
「……ええ、あの新人です。測定不能どころか、山一つ。王都にも報せたほうがよろしいかと」
王都。
嫌な予感がまた一つ、増えた。




