ずっと聴いてる
最初の曲と、最後の曲が同じだった。一年間の全部が、その間に詰まっている。
三月の最終週。この学年最後の放送。
後輩たちには先に帰ってもらった。今日は俺と音羽澪の二人で最後の回をやる。二年生最後の放送は、始まりと同じ二人がいい。
マイクの前に座った。澪が隣の席につく。いつもの配置。一年間、何百回とこうして並んだ。
赤いランプが点く。
「こんにちは。放課後のふたりごと、今学期最後の放送です」
「音羽澪です。今日は少し、振り返りをします」
「振り返り。一年分の」
「一年分です」
一曲目を流した。初めての放送で流した曲と同じものを選んだ。澪が提案した。最初と最後を同じ曲で繋ぐ。
曲が終わる。
「一年前の五月。放送部に二人だけで入部して、桐谷先生に月一回の放送をやれと言われた。それが始まりでした」
「最初の放送、覚えてますか」
「覚えてる。台本がなくて、曲を流して、曲名を読んで、『以上です』で終わった」
「十五分もたなかったですよね」
「十二分で終わった。残り三分は無音だった」
リスナーから笑いが聞こえるわけではないが、スピーカーの向こうで誰かが笑っている気がした。
「そのあと、マイクの切り忘れ事件がありました」
「あれは事故だ。俺が切り忘れた」
「切り忘れたおかげで、私たちの素の会話が流れて。それを聴いた人が『面白い』って言ってくれた」
「失敗が一番自然だったっていう。皮肉な話だ」
「でも、あれがなかったらお便りは来なかったかもしれません」
お便り。最初は三通だった。「いつも聴いてます」「曲のリクエストいいですか」「もっと話してほしいです」。三通の匿名の声が、月一の放送を週一に変えた。
「番組名をつけたのは夏だったか」
「七月です。『放課後のふたりごと』。陸くんが適当につけたやつ」
「適当って言うな。即興だ」
「即興と適当の違いは何ですか」
「……ニュアンスだ」
二曲目を流した。校内取材を始めた頃によく使っていた曲。
「二学期。校内取材を始めて、放送室の外に出るようになった」
「廊下を二人で歩くのが恥ずかしかったです」
「取材の後、ゲストコーナーもやったな。瀬戸を呼んで」
「瀬戸くん、緊張してましたね」
「あいつが緊張するの初めて見た」
学園祭。公開放送。体育館のステージ。全校生徒の前。
「学園祭の公開放送は……あれは、一番大きな挑戦でした」
澪の声が少しだけ低くなった。記憶を遡っている声だ。
「声が詰まって。何秒くらいだったか、分からないけど、すごく長い沈黙があって」
「十二秒」
「数えてたんですか」
「数えてた。時計を見てた」
「……そのとき、陸くんが言ってくれましたよね。『目を閉じろ。ここは放送室だ』って」
「ああ」
「あの一言で、声が出ました」
声が出た。「怖いまま声を出すことは、できます」。あの言葉が、全校生徒に届いた。
三曲目の代わりに、お便りを読むことにした。今日届いた分。最後の放送だと告知したら、いつもの三倍くらい届いていた。
「読みますね。ペンネーム『毎日聴いてる3組』さん。『一年間ありがとうございました。放課後のふたりごとがない昼休みは考えられません。来年も楽しみにしています』」
「ありがとうございます。来年も、やります」
「次。ペンネーム『図書室の隣人』さん。『最初の頃、音楽だけの放送が好きでした。でもトークが始まってからの方がもっと好きです。二人の声が、昼休みの楽しみでした』」
澪がお便りの紙を見つめていた。
「……嬉しいですね」
「ああ」
「もう一通、読んでもいいですか」
「読め」
澪が一枚の紙を取り上げた。
「ペンネーム『ずっと聴いてる』さん。『最初の放送から全部聴きました。二人が変わっていくのを、ずっと聴いていました。声が変わった。話し方が変わった。でも二人の空気は最初からずっと同じでした。来年も、ずっと聴いてます』」
澪の声がかすかに震えた。最後の一文を読むとき、ほんの少しだけ。
俺も喉が詰まりそうになった。
「……全部聴いてくれてたのか」
「全部聴いてくれてたんですね」
最初の放送からずっと。マイクの切り忘れも、ぎこちないトークも、沈黙も、笑い声も。全部。スピーカーの向こうで、ずっと誰かが聴いていた。俺たちには見えなかったけれど、声は届いていた。
マイクの前で話すとき、誰に届いているのか分からない不安がいつもあった。でもこのお便りが証明している。声は、ちゃんと届いていた。
「来年も、続けます」
澪がマイクに向かって言った。
「放課後のふたりごとは来年も続きます。新しいメンバーも増えました。でも、ふたりごとはふたりごとです」
「ああ。来年も」
最後の曲を流した。曲が流れている間、マイクをミュートにして、澪と目が合った。
澪の目が潤んでいた。泣いてはいない。でも、泣くのを堪えている顔だ。嬉しいと泣く人だ。
「……泣くな」
「泣いてません」
「泣きそうだろ」
「泣きそうなのと泣いてるのは違います」
「屁理屈だ」
「屁理屈じゃないです」
曲が終わる。マイクのミュートを解除した。
「それでは、今学期最後の放課後のふたりごと、お聴きいただきありがとうございました。来年度もよろしくお願いします」
「真白陸と」
「音羽澪の」
「放課後のふたりごと」
声が重なった。
「また来週」
マイクを切った。赤いランプが消える。
放送室が静かになった。防音壁に囲まれた六畳の部屋。壁掛け時計の秒針が刻んでいる。窓から三月の夕日が差し込んで、ミキサー卓の上を橙色に照らしている。
「また来週」と言った。最後の放送なのに。でも、それでいい。終わりじゃないから。
「……お疲れさま、澪」
「お疲れさまです、陸くん」
一年間、何百回と交わした言葉。また来年も、同じ言葉を交わす。
「また来週」。最後の放送でそう言えることが、一番嬉しかった。




