初詣
元旦。二人きりの初詣。石段を上がって、賽銭を投げて、手を合わせた。願い事は、秘密。
一月一日。午前十時。
駅前の待ち合わせ場所に着いたのは、約束の五分前だった。
音羽澪はもう来ていた。
制服ではない。着物でもない。白いニットにベージュのコート。深い紺のマフラーを首に巻いて、両手をポケットに入れている。
私服の澪を見るのは、夏休み以来だ。あのときは白いブラウスに紺のスカートだった。今回はコートとマフラーが加わっている。冬の装備。それだけなのに、見慣れない姿に心臓が反応する。
「……あけましておめでとうございます」
澪が頭を下げた。声が白い息と一緒に出てくる。鼻の頭が赤い。寒さのせいだ。
「あけましておめでとう。早いな」
「十分前に着きました」
「……十分前は早すぎだろ」
「陸くんも五分前ですよね。十分も大差ないです」
大差ある。が、言わなかった。
神社まで歩く。駅から十五分ほどの距離。住宅街を抜けて、石段を上がると鳥居が見える。
参道に人が並んでいた。元旦の午前中。初詣の列。三十人ほど。長すぎず、短すぎず。
「並びましょう」
「ああ」
列に加わった。少しずつ前に進む。
一月の空は高い。雲が薄くて、青が深い。息を吐くと白くなる。空気が冷たくて、肺の奥まで澄んでいく感じがする。
「寒いな」
「寒いです」
「マフラー、ちゃんと持ってきたな」
「十一月に言われましたから。『明日から持ってこい』って」
「覚えてるのか」
「覚えてます」
列が進む。あと十人ほど。
澪の手が、ポケットから出た。マフラーの端を直すために。
白い手。十一月の夜に繋いだ手。冬の空気で冷えているだろう。
「……手」
「え」
「出してもいいか」
「何をですか」
「手を」
自分のポケットから右手を出した。
澪が俺の手を見た。それから、自分の左手をゆっくりとポケットから出した。
繋いだ。
冷たかった。やっぱり冷え性だ。指先の温度が低い。でも、握った瞬間に脈拍が伝わってきた。速い。俺のも速い。
列の中で手を繋いでいる。周囲の目がある。でも元旦の神社だ。初詣のカップルなど珍しくもないだろう。自意識過剰にならなくていい。
……なれないが。
「……陸くん」
「ん」
「手、温かいです」
「お前が冷たすぎるだけだ」
「そうかもしれません」
列が進んで、賽銭箱の前に立った。
手を離した。財布から五円玉を取り出す。澪も同じように五円玉を出していた。ご縁、ということだろう。
投げた。からん、と音がした。二つの硬貨が同時に落ちる音。
手を合わせた。目を閉じた。
願い事。
何を願う。成績。健康。部活。全部あるが、今一番に浮かんだのはそれではなかった。
この声が、ずっと隣にありますように。
目を開けた。横で澪がまだ手を合わせている。長い。何を願っているんだ。
澪が目を開けた。こちらを見た。
「何をお願いしましたか」
「秘密」
「……ケチです」
「願い事は人に言うと叶わないって聞いた」
「誰に聞いたんですか」
「一般常識だ」
「じゃあ私も秘密です」
「聞いてない」
「聞いてくれても、言いませんでした」
賽銭箱の前を離れて、おみくじの売り場に向かった。
二人とも引いた。紙を開く。
俺は小吉。澪は大吉。
「大吉じゃないか」
「はい。嬉しいです」
「俺は小吉だ」
「小吉も悪くないですよ。堅実で」
「堅実……」
おみくじの項目を読む。学業、中吉。健康、吉。旅行、末吉。そして。
恋愛。大吉。
小吉なのに恋愛だけ大吉。ピンポイントで攻めてくる。
「……恋愛の欄、何て書いてある」
「え。見せるんですか」
「見せなくていい。聞いただけだ」
「……『思いは必ず届く。焦らず、信じて歩めば道は開ける』です」
「……いい内容じゃないか」
「はい。陸くんは?」
紙を見た。
「……『隣にいる人を大切に。その人があなたの幸運です』」
読み上げた瞬間、後悔した。恥ずかしすぎる。
澪が固まった。マフラーの上端から覗いている目が大きく見開かれている。頬が赤くなっていく。マフラーで隠しきれない赤さ。
「……おみくじに言われなくても、分かってます」
「何が」
「大切にすること」
小さな声だった。マフラーに半分吸い込まれた声。
参道を歩いて境内を出た。石段を降りる。手を繋ぎ直した。澪の手は、さっきより少しだけ温かくなっていた。
帰り道。商店街を通る。正月で閉まっている店が多いが、たい焼き屋だけ開いていた。
「食べるか」
「食べます」
あんこのたい焼きを一つずつ買った。歩きながら食べる。焼きたての生地が熱くて、冬の空気の中に湯気が立つ。
「……おいしいです」
「ああ」
「初詣でたい焼きを食べるの、初めてです」
「俺もだ」
「来年も食べたいです」
来年。一年先。澪が当然のようにそう言ったことが、胸に残った。
駅前まで戻った。ここで別れる。
「今日、ありがとうございました」
「ああ。……また明日、連絡する」
「はい。楽しみにしてます」
手を離した。澪が数歩歩いて、振り返った。
「陸くん」
「ん」
「おみくじ、大事にしてくださいね」
「……お守り代わりにしろってことか」
「はい。隣にいる人を大切に、って書いてあるので」
「……分かった」
澪が笑って、手を振って、歩いていった。コートの背中が人混みに紛れて、見えなくなった。
ポケットの中のおみくじを指で触った。小さな紙切れ。小吉。恋愛だけ大吉。
「隣にいる人を大切に」。
おみくじに言われるまでもない。分かっている。分かっているが、紙に書かれると妙に力がある。
来年も食べたい、と澪は言った。一年先を当たり前のように口にする。その当たり前が、何より嬉しかった。
財布の中におみくじを入れた。お守り代わりに。
一月一日。新しい年。空が青い。息が白い。ポケットの中の右手が、まだ温かかった。
おみくじは小吉。恋愛だけ大吉。「隣にいる人を大切に」。言われなくても分かっている。でも、紙に書かれると少し嬉しかった。




