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放課後のふたりごと 〜廃部寸前の放送部で始めた二人だけのラジオが、いつの間にか学校一の人気番組になっていた〜  作者: Studio Yodaca
放課後のふたりごと

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62/75

聴いてほしい曲、二曲目

夏にもらったUSBメモリから半年。同じ形の黒い記憶媒体の中に、全く違う音が入っていた。

木曜日の放課後。放送を終えて、片付けをしていた。


 音羽澪(おとわみお)がミキサー卓の上を拭きながら、何か言いたげな顔をしている。唇が微かに動いて、止まって、また動く。何回かそれを繰り返してから、ようやく声になった。


「あの、陸くん」


「ん」


「渡したいものがあります」


 澪が鞄から小さなUSBメモリを取り出した。見覚えがある。夏休みに渡されたものと同じ形。同じ黒。


「……二曲目か」


「はい」


 受け取った。手のひらの上に載る小さなメモリ。前回と同じように、ラベルには何も書いていない。


「今回は何の曲だ」


「……ドビュッシーの『月の光』です」


 月の光。ベルガマスク組曲の第三曲。ジムノペディとは系統が違う。もっと色彩的で、もっと繊細な曲だ。


「前回と同じで、ここでは聴かないのか」


 澪が一瞬黙った。


 それから、首を横に振った。


「……今回は、ここで聴いてほしいです」


「いいのか」


「はい。夏のときは、反応を見られるのが怖くて。でも今は……陸くんの前で聴いてほしいです」


 声が震えていなかった。真っ直ぐだった。夏の頃とは違う声だ。


 パソコンを開いた。USBメモリを挿す。ファイルが一つ。タイトルは「Clair de Lune」。


 再生ボタンを押した。


 スピーカーからではなく、放送用のヘッドフォンで聴くことにした。二人で一つずつ、モニター用のヘッドフォンを耳に当てる。


 最初の音が鳴った。


 静かな導入。右手の高音が、夜の水面に落ちる月光のように降りてくる。


 夏に聴いたジムノペディとは、全く違った。


 あのときの演奏は、震えていた。一音一音に迷いがあった。途中で止まった。指が怖がっているのが、音を通して伝わってきた。


 今回は、止まらない。


 テンポが安定している。右手と左手のバランスが取れている。中間部の和音の変化も、指がためらわずに鍵盤を押している。


 何より、音に自信がある。


 弱い音は弱いまま、でも消えない。強い音は強いまま、でも叩きつけない。音量のコントロールが、夏とは比べものにならないほど精密になっている。


 中間部。曲がうねるように盛り上がる。アルペジオが波のように広がって、高音が煌めく。


 澪の指が、ここを弾ききっている。夏なら止まっていたかもしれない箇所を、真っ直ぐに通過していく。


 終盤。再び静かな主題が戻ってくる。最後の和音がゆっくりと減衰して、消えた。


 四分二十秒。


 ヘッドフォンを外した。


 澪がこちらを見ていた。膝の上で手を握っている。爪が掌に食い込んでいる。唇を引き結んでいる。


 自信のある演奏だった。でも、感想を待つ顔はまだ怖がっている。


「……うまくなったな」


 最初に出た言葉がそれだった。もっと気の利いたことが言えなかったのか。自分の語彙力に落胆する。


 でも、それ以外の言葉が出てこない。うまくなった。格段に。夏のジムノペディとは、同じ人間が弾いているとは思えないくらいに。


「途中で止まらなかった」


「……はい」


「音が怖がってない」


「……」


 澪が俯いた。肩が小さく震えている。泣いているのかと思ったが、違った。唇が笑っている。


真白(ましろ)く……」


 言いかけて、止まった。言い直した。


「陸くんに聴いてもらいたくて、練習しました」


 声が掠れていた。笑いながら、泣きそうになりながら、それでも真っ直ぐな声。


「夏に、途中で止まったところが悔しくて。あの日からずっと弾いてました。毎日じゃないですけど、週に四回くらい。最初は月の光なんて弾けなくて、指が全然届かなくて」


「週四回も弾いてたのか」


「はい。陸くんに、成長した音を聴いてほしかったので」


 俺は何と答えたらいいか分からなくて、USBメモリを手の中で転がした。


 夏のジムノペディ。途中で止まった演奏。震える指。それでも最後まで弾ききった音。あれはあれで、音羽澪の声だった。


 今回の月の光は、もう一つの声だ。止まらない声。怖がらない声。半年間の成長が、音になって伝わってくる。


「これ、放送で流すか」


 思いつきではなかった。聴いた瞬間から考えていた。この演奏を、リスナーにも聴かせたい。


 澪が目を見開いた。


「放送で……ですか」


「ああ。音羽澪のピアノを、リスナーに聴かせたい。嫌なら無理にとは言わない」


 澪が窓の外を見た。十二月の夕暮れ。日が短くなって、もう空は暗くなりかけている。


「夏のジムノペディのときは、考えられなかったです。人に聴かせるなんて」


「……だろうな」


「でも」


 澪が俺を見た。


「流したいです。みんなに聴いてほしい」


 迷いのない声だった。公開放送でマイクの前に立ったときの声。あのとき越えた壁の向こう側にいる人間の声。


「自分の音を、隠したくないです。もう」


「……分かった」


 来週の放送で流す。選曲リストに組み込む。曲紹介はどうする。


「パーソナリティの音羽が弾いた曲です、って紹介するか」


「……恥ずかしいですけど。はい、それで」


 澪が頬を両手で押さえた。赤い。でも声は震えていない。


 USBメモリをパソコンから外して、放送用のフォルダにデータをコピーした。来週の構成に組み込む作業を二人で始める。


 何曲目に流すか。前後のトークをどうするか。リスナーへの説明は。


「三曲目がいい。トークが温まったところで。前振りは俺がやる」


「前振り、変なこと言わないでくださいね」


「変なこととは」


「……例えば、『パーソナリティの音羽が、僕のために弾いてくれました』とか」


「言わない。というか『僕』は使わない」


「言わないでください。絶対に」


「言わない」


 澪が安堵の息を吐いた。それから、小さく笑った。


「でも……本当は、そうなんですけどね」


「何が」


「陸くんのために弾いた、っていうのは」


 聞こえないふりをした。聞こえた。全部聞こえた。防音壁の中だから、小さな声でも全部聞こえる。


 窓の外が暗くなっていく。壁掛け時計の秒針が刻んでいる。


 夏のジムノペディは俺一人で聴いた。部屋で、イヤホンで、一人で。


 冬の月の光は、放送室(ほうそうしつ)で二人で聴いた。そして来週、リスナーにも届ける。


 音羽澪の声が、また一つ広がっていく。

途中で止まらなかった。その事実だけで、半年の重さが分かる。来週、この音を放送に乗せる。

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