表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後のふたりごと 〜廃部寸前の放送部で始めた二人だけのラジオが、いつの間にか学校一の人気番組になっていた〜  作者: Studio Yodaca
一歩を踏み出す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
60/75

帰り道が変わった

校門を出て、初めて同じ方向に歩いた。十五分の遠回りは、少しも長くなかった。

水曜日。放送室(ほうそうしつ)で作業を終えた。


「お疲れさま、澪」


「お疲れさまです、陸くん」


 放送後の挨拶。三日目。まだ耳が熱くなるが、声の震えはなくなった。慣れ、というより覚悟だ。


 玄関で靴を履き替えて、校門を出た。


 ここから先が、今まで通りではなかった。


 半年間、校門を出たら別々の方向に歩いていた。音羽澪(おとわみお)は東、俺は西。放送室を出た瞬間に、二人の動線は分岐する。それが当たり前だった。


「……澪」


「はい」


「家、どっちだ」


「東です。駅の方」


「知ってる」


「知ってるなら聞かないでください」


「……送る」


 澪が足を止めた。


「遠回りになりますよ」


「大した距離じゃない」


「嘘です。反対方向でしょう」


「反対でもない。ちょっと遠回りなだけだ」


「ちょっとって、何分ですか」


「……十五分くらい」


「十五分は『ちょっと』じゃないです」


「じゃあ適度な遠回りだ」


 澪が黙った。数秒の沈黙。それから、小さく「……お願いします」と言った。


 二人で歩き出した。


 十一月の夕暮れ。空が赤から紫に変わりかけている。街灯がぽつぽつと点き始める時間帯。


 放送室と、外。同じ二人なのに、空気が違う。


 放送室では防音壁がある。外の音が入ってこない。だから声が裸のまま相手に届く。小さな声でも、かすれた声でも、全部聞こえる。


 外では、車の音。自転車のベル。犬の散歩をしている人の声。帰宅する生徒たちの笑い声。いろんな音が混じる中で、隣を歩く澪の声を拾う。


「風、冷たくなりましたね」


「十一月だからな」


「マフラー、持ってくればよかったです」


「明日から持ってこい」


「はい」


 会話が短い。でも途切れない。ぽつ、ぽつ、と途切れそうになりながら、次の言葉が自然に出てくる。放送室の密な会話とは違う。もっと軽くて、もっと曖昧で、でも心地いい。


「陸くん」


「ん」


「帰り道に話すのって、放送室と全然違いますね」


「……分かるか」


「放送室は密閉されてるから、声が二人の間だけに閉じこめられる感じがするんです。でも外だと、声が空気に溶けていく」


「声が空気に溶ける、か。いい表現だな」


「パーソナリティに褒められました」


「パーソナリティとしてじゃなく、普通に」


「……ありがとうございます」


 商店街を抜けた。住宅街に入る。道幅が狭くなって、自然と距離が近くなった。


 澪の肩が、俺の腕に触れた。触れて、離れて、また触れた。歩くリズムのせいだ。


「……あの」


「ん」


「秋祭りのとき、手を掴んでくれましたよね」


「……ああ」


「あのとき、すごく心臓が速くなって。家に帰ってからもずっと、手首を押さえてました」


「……見てた」


「え。見てたんですか」


「花火のとき。右手首を左手で押さえてただろ」


「……見ないでください」


「見えたんだから仕方ない」


 澪が俯いた。暗い住宅街だから表情は見えない。でも、声のトーンが上がっている。恥ずかしいときの声だ。半音高くて、少し速い。


 住宅街の角を曲がった。澪の家が近いのだろう、足のテンポが少しだけ落ちた。


「あの日から、帰り道がさみしかったんです」


「……さみしい?」


「校門を出ると反対方向に歩くでしょう。それが、あの日からすごくさみしくて。一緒に帰れたらいいのに、って」


「……俺もだ」


「本当ですか」


「校門を出て西に曲がるとき、毎回振り返りそうになってた」


「振り返ってくれたら、よかったのに」


「振り返ったら、追いかけてたかもしれない」


 澪が足を止めた。


 信号のない交差点。街灯の光がぼんやりと二人を照らしている。


「……ここです」


「ここ?」


「この角を曲がると、家があります」


 近い。校門から十五分くらい。俺の家への遠回りを入れると、帰宅は三十分遅くなる。でも、その三十分を惜しいとは思わない。


「ありがとうございます。送ってくれて」


「ああ」


「明日も、送ってくれますか」


「……毎日来る」


「毎日は遠回りが大変じゃないですか」


「大変じゃない」


 嘘だ。大変だ。でも大変でも来る。


 澪が笑った。街灯の光の中で、小さく。


「……じゃあ、また明日」


「ああ。また明日」


 澪が背中を向けた。数歩歩いて、立ち止まった。振り返った。


「陸くん」


「ん」


「手」


「……手?」


「繋いで、もらっても、いいですか」


 声が小さかった。途切れ途切れだった。暗い住宅街の中で、街灯だけが照らしている。澪の表情は影になっていてよく見えない。でも、差し出された手は見えた。


 白い手。細い指。金曜日に放送室で繋いだ手。


 手を伸ばした。


 指が触れた。冷たい。十一月の夜の空気で冷えている。


 握った。今度は手首じゃない。手のひら。指を絡めて、しっかりと。


 澪の指が俺の指の間に入ってくる。冷たかった手が、少しずつ温かくなっていく。


 脈拍が指先を通じて伝わってくる。速い。俺のも速い。秋祭りの夜と同じだ。どちらの鼓動か、区別がつかない。


「……冷たいな」


「すみません。手、冷え性で」


「謝るな。温める」


「……はい」


 繋いだ手をそのまま、ポケットに入れた。俺のコートの右ポケット。二人の手が収まるにはぎりぎりの大きさだ。


 澪が一歩近づいた。腕が触れる距離。肩が並ぶ距離。


「……陸くん」


「ん」


「放送は、変わらず続けましょう」


「当たり前だ。ラジオは俺たちの原点だ」


「はい。放課後のふたりごとは、これからも」


「ああ」


 繋いだ手を離した。名残惜しかった。澪の手の温度が、指の間からゆっくりと抜けていく。


「おやすみ、澪」


「おやすみなさい、陸くん」


 澪が角を曲がって、見えなくなった。


 一人になった帰り道。西に向かって歩く。十五分の遠回り。


 右手がまだ温かかった。ポケットの中に、澪の手の温度が残っている。


 空を見上げた。十一月の夜空。星はあまり見えない。街の灯りが明るすぎるからだ。


 半年前、放送室のドアを開けたとき、俺はただの居場所が欲しかっただけだった。静かで、人がいなくて、誰にも邪魔されない場所。


 そこに音羽澪がいた。


 紙をめくる音が二つになった。沈黙に厚みが生まれた。声を交わすようになった。放送を始めた。リスナーが増えた。名前で呼び合った。手を繋いだ。


 帰り道が変わった。


 西ではなく東に。一人ではなく二人で。そして今、遠回りの道を一人で歩いている。十五分余計にかかる。でも、この十五分が惜しくない。


 明日もまた、放送室のドアを開ける。いつもの椅子に座って、いつもの放送をして、いつもの読書をする。


 そして放送後に「お疲れさま、澪」と言って、校門を出て、東に曲がって、帰り道を一緒に歩く。


 手を繋いで。


 放課後のふたりごとは、まだ続く。

帰り道が変わった。放送室は変わらない。手を繋いだ温度だけが、ポケットの中に残っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ