やっとか
木曜日。昼休み。
橘夏希を屋上に呼び出した。
「何。珍しいじゃん、あんたから呼び出すなんて」
「……話がある」
「うん」
屋上には他に誰もいなかった。十一月の風が冷たい。フェンス越しにグラウンドが見える。サッカー部が走っている。瀬戸の姿を探したが、昼休みは練習していないらしい。
夏希がフェンスにもたれて、腕を組んだ。待っている。
「……告白する」
「誰に」
「……お前、他に誰がいるんだ」
「確認だよ確認。で、音羽さんに告白するのね」
「……ああ」
言葉にした途端、掌に汗がにじんだ。口に出すと、急に現実味が増す。告白する。俺が。音羽に。
夏希が五秒ほど黙った。
それから。
「やっとか」
呆れた声だった。怒りでも喜びでもなく、純粋な呆れ。
「遅すぎるわ」
「……分かってる」
「分かってるなら半年前に言えよ」
「半年前は自覚もなかっただろ」
「自覚がなかったのはあんただけ。周りは全員知ってたわ」
否定できない。瀬戸も夏希も桐谷先生も、たぶん全員気づいていた。当事者だけが最後まで認められなかった。
「瀬戸がさ」
「うん」
「昨日、音羽に告白してフラれた」
夏希の表情が変わった。驚きと、少しの罪悪感が混じった顔。
「瀬戸くんが……」
「音羽は断った。好きな人がいるって」
「……そう」
「瀬戸が俺に言ったんだ。分かってるなら、ちゃんと言えよって」
夏希が目を伏せた。風が髪を揺らしている。
「瀬戸くん、いい奴だね」
「ああ。俺が言うことじゃないけど」
「あんたが言っていいよ。ライバルを認めるのも誠実さのうちだから」
夏希が顔を上げた。さっきの呆れた表情は消えていた。代わりに、柔らかい目をしていた。幼馴染の目。小学生の頃、俺が転んだとき差し出してきた手と同じ温度の目。
「で、どうすんの。いつ言うの」
「……まだ決めてない」
「場所は」
「放送室しかないだろ」
「だよね。あそこが二人の場所だもんね」
夏希が頷いた。
「タイミングは?」
「……放送の後。いつもの放課後で、いつもの二人のときに」
「ラジオの中でじゃなくて?」
「それは違う。ラジオはパーソナリティとしての俺だ。告白は、真白陸としてする。俺自身の言葉で伝える」
夏希が少し目を見開いた。それから、ふっと笑った。
「あんた、ちゃんと考えてるじゃん」
「……当たり前だ」
「前はさ、考えすぎて動けなかったでしょ。片桐のこととか、余計なことをするなって言われたこととか、引きずって」
夏希が直球を投げてきた。この女は昔から遠慮がない。
「今は違うの?」
「……怖いのは変わらない。言って、関係が壊れるかもしれない。音羽が困るかもしれない。今のままの方が安全だっていう声が、頭の中にある」
「でも?」
「でも、言わないのは嘘だ。音羽の隣に座って、好きだって分かってて黙ってるのは、誠実じゃない」
風が吹いた。冷たい空気が肺に入る。
「それに、音羽がステージで見せてくれた。怖くても声は出せるって」
夏希が黙って聴いていた。
「瀬戸も見せてくれた。フラれても、言って良かったって」
「……」
「俺だけ黙ってるわけにはいかないだろ」
夏希が鼻を啜った。
「……泣いてんのか」
「泣いてない。風が目に沁みてるだけ」
「十一月の屋上だからな」
「うるさい」
夏希が袖で目元を拭った。拭った後の顔は、笑っていた。
「頑張れ。って言うのも変だけど、頑張れ」
「ああ」
「失敗したら慰めてあげるから」
「失敗する前提で話すな」
「冗談だって。音羽さんの気持ち、私には分かるから。大丈夫だよ」
夏希が「大丈夫」と言うとき、根拠があるのかないのか分からない。でも、夏希の直感は外れない。小学生の頃からそうだった。
「いつにすんの」
「……明日」
「明日!? 早くない!?」
「遅すぎるって言ったのはお前だろ」
「それはそうだけど。心の準備とか」
「半年間準備してた」
夏希が口を開けて、閉じて、また開けた。
「……確かに」
「明日の放課後。放送が終わった後。放送室で」
「分かった。邪魔しない。放送室の半径五十メートルには近づかない」
「大げさだ」
「大げさじゃないわ。私があの辺うろうろしてたら雰囲気壊れるでしょ」
「……それは確かに」
「瀬戸くんにも伝えとく。明日の放課後は放送室に近づくなって」
「……瀬戸にまで言うのか」
「あの人も空気読めるから大丈夫だよ。むしろ応援してくれるでしょ」
それは間違いない。瀬戸は昨日、自分がフラれた直後に俺の背中を押した男だ。
「あ、でも結果は教えてよ。絶対。その日のうちに。LINEで」
「……考えておく」
「考えるな。報告しろ」
屋上を出て、階段を降りる。夏希が後ろからついてくる。
「陸」
「何だ」
「私さ、あんたたちのラジオ好きだよ。最初から聴いてて、二人の声が変わっていくの、ずっと分かってた」
「……」
「声が変わるのって、気持ちが変わるってことでしょ。あんたの声、最近すごくいい声になったよ。音羽さんといるときだけ」
返す言葉が見つからなくて、階段を降り続けた。
教室に戻る。席に着く。午後の授業が始まる。
窓の外を見た。グラウンドでサッカー部が走っている。あの中に瀬戸がいる。フラれた翌日も、いつも通りボールを追いかけている男。
教室の前の方に音羽の後ろ姿がある。黒い髪が背中に流れている。ノートに何かを書いている。真剣な横顔。
明日、あの人に伝える。
半年間、放送室で隣に座ってきた。声を聴いてきた。笑い声を聴いて息が詰まって、鼻歌を聴いて足が止まって、泣き声を聴いて胸が痛くなった。全部、好きだからだ。
明日の放課後。放送室で。
俺自身の言葉で、伝える。




