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放課後のふたりごと 〜廃部寸前の放送部で始めた二人だけのラジオが、いつの間にか学校一の人気番組になっていた〜  作者: Studio Yodaca
一歩を踏み出す

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48/75

開演

学園祭当日。十一月の第四土曜日。


 朝から空は晴れていた。風はない。気温は低いが、日差しがある。学園祭日和、というやつだろう。


 真白陸(ましろりく)は十時に体育館に着いた。ステージの上にはすでに音響機材が搬入されている。ミキサー卓。スピーカー二台。マイクスタンド二本。椅子が二脚。


 放送室(ほうそうしつ)の配置を、そのまま広い場所に展開した形。でも規模が違う。放送室は六畳。体育館は——広い。天井が高い。ステージから客席の最後列まで、三十メートル以上ある。


 桐谷(きりたに)先生が音響の調整をしていた。


「あ、真白くん。マイクチェックお願い」


「はい」


 ステージに上がった。マイクの前に立つ。スイッチを入れる。


「テスト。テスト」


 自分の声が体育館に響いた。スピーカーから返ってくる音。壁に反射して、天井に昇って、全方位から自分の声が戻ってくる。


 放送室では起きない現象だ。防音壁は声を吸収する。体育館の壁は声を跳ね返す。声がどこまでも広がっていく感覚。


 客席を見た。今は無人。パイプ椅子が整然と並んでいる。八百脚。一脚ずつに人が座る。八百の目が、このステージに向く。


 胃の奥が締まった。


「音響、問題ないわ。声の通りがいいわね」


 先生が親指を立てた。


「開演は一時からよ。お昼の後の枠。二時間あるから準備して」


「はい」


 ステージを降りた。体育館の入り口に向かう。


 音羽澪(おとわみお)がいた。


 入り口の外、廊下の壁に背中を預けて立っている。制服の上にカーディガンを羽織っている。手が自分の肘を抱いている。


 顔が青白かった。


「音羽」


「……おはようございます」


 声が薄い。挨拶の音量じゃなかった。


「マイクチェック終わった。音響は問題ない」


「……はい」


「体育館に入って確認するか」


「……後で。もう少し、ここにいたいです」


 入れないのだ。体育館に。


 無人の客席でもまだ入れない。八百脚のパイプ椅子が並んでいるのを見るだけで、身体が固まる。


「分かった。じゃあ台本の最終確認をしよう。ここで」


「……はい」


 廊下で台本を開いた。壁にもたれて並んで立つ。学園祭の喧騒が廊下の向こうから聞こえてくる。焼きそばの匂い。音楽。歓声。


 台本の内容は頭に入っている。確認するまでもない。でも、何かをしていた方がいい。手を動かしていた方が、頭が余計なことを考えずに済む。


 十二時。昼食の時間。


 橘夏希(たちばななつき)が弁当を持ってきてくれた。


「食え。空腹だとパフォーマンス落ちるぞ」


「……ありがとう」


 音羽と二人で、廊下の隅でおにぎりを食べた。音羽は一個だけ。半分以上残した。


「食えないか」


「……喉を通らなくて」


「無理しなくていい。水だけは飲め」


「はい」


 十二時半。体育館の客席に人が入り始めた。遠くから、ざわめきが聞こえてくる。


 十二時四十五分。


 先生が呼びに来た。


「そろそろ舞台袖に入って。十分前にはスタンバイ」


「はい」


 立ち上がった。音羽も立つ。足が重そうだった。


 体育館の裏口から入る。舞台袖。暗い。ステージの照明が横から漏れてくる。幕の向こう側から、ざわめきが聞こえる。八百人のざわめき。


 音羽が固まった。


 足が止まっている。舞台袖の暗闘の中で、棒立ちになっている。顔が青白い。唇の色がない。手が身体の横で硬直している。


「音羽」


 返事がなかった。


 目が開いたまま、どこも見ていなかった。焦点が合っていない。体育館のざわめきを聴いて、身体が凍りついている。


 合唱コンクール。


 中学の体育館。ステージ。同じざわめき。同じ視線の圧。


 フラッシュバックが来ている。


 俺は音羽の前に立った。音羽の視界を塞いだ。幕の隙間から漏れるステージの光も、客席の気配も、俺の身体で遮った。


「音羽。目を閉じろ」


 声を低くした。マイクを通さない声。音羽にだけ届く距離の声。


 音羽の目がゆっくりと動いた。焦点が俺に合う。


「目を閉じろ」


 もう一度言った。


 音羽の瞼が下りた。ゆっくりと。睫毛が頬に影を作った。


「聴こえるか。俺の声」


「……聴こえます」


 かすれた声。ほとんど息だけ。でも返事が返ってきた。


「ここは放送室だ」


 嘘だ。ここは体育館の舞台袖だ。幕の向こうに八百人がいる。


「防音の壁がある。外の音は聴こえない。聴いてるのは俺だけだ」


 嘘だ。防音壁はない。ざわめきが聞こえている。


 でも音羽は目を閉じている。目を閉じていれば、耳に入る声を選べる。


「深呼吸しろ」


 音羽が息を吸った。震える吸気。吐いた。吐くときの方が長い。


 もう一度。


 三回目。呼吸のリズムが整った。


「声を出してみろ。小さくていい」


「……こんにちは」


 小さかった。でも声が出た。


「もう一回」


「こんにちは」


 少しだけ太くなった。


「目を開けろ。俺だけ見ろ」


 音羽が目を開けた。俺の顔を見ている。暗い舞台袖の中で、俺の目だけを見ている。


「いくぞ」


「……はい」


「いつもと同じだ。マイクの前に座って、声を出す。それだけだ」


「……それだけ」


「それだけだ」


 音羽が頷いた。まだ顔は青白い。でも目に光が戻っていた。


 幕が上がる合図のブザーが鳴った。


 先生がステージに出て、マイクの前に立った。


「皆さん、学園祭のプログラム、次は放送部による公開放送『放課後のふたりごと』です。どうぞお楽しみください」


 拍手。八百人の拍手。体育館が揺れるような音。


 俺は一歩踏み出した。舞台袖からステージへ。


 振り返った。


 音羽が立っている。舞台袖の暗がりの中に。ステージの光が足元まで届いている。


 右手で拳を作った。


 昨日と同じ。グータッチの形。


 音羽が見た。その拳を。


 小さな拳が上がった。


 コツン。


 昨日と同じ音。骨と骨が触れる音。舞台袖の闇の中で、二人だけに聴こえた音。


 俺はステージに出た。照明が眩しい。客席が——見えた。八百人。顔。目。体育館を埋め尽くす人。


 息が詰まった。一瞬だけ。すぐに戻した。


 マイクの前の椅子に座った。


 横を見た。


 音羽がステージに出てきた。一歩。二歩。照明の中に入る。青白い顔に光が当たる。


 八百人が音羽を見ている。ざわめきが一瞬止まった。


 音羽がマイクの前の椅子に座った。俺の隣。いつもの距離。


 手が震えている。でも座った。逃げなかった。


 俺はマイクに向かった。


「放課後のふたりごと、始めます」


 声が体育館に響いた。スピーカーが声を八百人に届ける。


 隣で、音羽が息を吸った。

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