表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後のふたりごと 〜廃部寸前の放送部で始めた二人だけのラジオが、いつの間にか学校一の人気番組になっていた〜  作者: Studio Yodaca
一歩を踏み出す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
45/75

三十人の声

二年C組の教室。放課後。


 机が後ろに寄せられて、前方にスペースが作られている。そこにポータブルミキサーとマイク二本。椅子が二脚。即席の放送ブース。


 その向こうに、三十の顔。


 クラスメイト全員。自分たちのクラス。毎日顔を合わせている三十人が、椅子に座ってこちらを見ている。


 真白陸(ましろりく)はマイクの前に座りながら、教室の空気を測っていた。放送室(ほうそうしつ)とも、先週の第二視聴覚室とも違う。ここには日常がある。毎朝ホームルームをする教室。昼飯を食う教室。授業を受ける教室。その日常の中に、非日常のマイクが二本立っている。


 橘夏希(たちばななつき)が最前列の真ん中にいた。腕を組んで、やけにリラックスした顔をしている。その隣に瀬戸颯太(せとそうた)。瀬戸は少し緊張した面持ちだった。聴く側の緊張。


 桐谷(きりたに)先生が教室の後ろに立っている。腕を組んで壁に寄りかかっている。見守る側。


 教室のドアが開いた。


 音羽澪(おとわみお)が入ってきた。


 三十の視線が音羽に向いた。一斉に。


 音羽の足が止まった。一瞬。ほんの一瞬だけ。でも俺にはその一瞬が見えた。


 音羽が息を吸った。吐いた。そして歩き始めた。


 教室を横切って、マイクの前の椅子に座る。鞄を下ろす。手を膝の上に置く。


 手が震えていた。


 先週の十人のときよりも大きな震え。膝の上で組んだ指が、細かく揺れている。


「音羽」


 小声で呼んだ。マイクが拾わない音量で。


 音羽がこちらを見た。目が揺れている。暗褐色の瞳の中で、恐怖が波打っている。


「いつもと同じだ」


「……三十人、います」


「いる。でもマイクは一本だ。声を届ける先は一つだ」


「……」


「マイクだけ見ろ。大丈夫だ」


 音羽が目を閉じた。二秒。三秒。目を開けた。


 目線がマイクに固定された。


「始めるぞ」


 頷き。小さいけれど、確かな頷き。


「昼休みの放送部です。放課後のふたりごと、始まります」


 俺の声が教室に広がった。三十人の呼吸が微かに聞こえる。静かだ。クラスメイトたちが聴く姿勢に入っている。


「……こんにちは」


 音羽の声。


 細かった。先週よりも細い。三十の視線の重さが声にのしかかっている。


 でも、出た。


 お便りの紹介。一通目を俺が読んだ。音羽が相槌を打つ。声は細いまま。でも途切れない。


 二通目。音羽の番。


 先週、ここで止まった。十人の前で声が出なくなった。


 音羽が紙を持った。手が震えている。でも、紙を目の前まで持ち上げた。


「『放送を聴いて、二人の雰囲気が好きになりました。二人はどうやって仲良くなったんですか?』」


 読み切った。声が震えていた。でも止まらなかった。


 先週の四秒がなかった。


「どうやって仲良くなったか。難しいな」


「……最初は、同じ部屋にいるだけでした」


「ああ。音羽が本を読んで、俺も本を読んで。それだけの時間が長かった」


「はい。でも、それが心地よかったんです。無理に話さなくていい空間が」


「そのうち、話すようになった」


「はい。……少しずつ」


 音羽の声がわずかに太さを取り戻した。自分の記憶を語っているとき、声が安定する。これは放送室で何度も確認したパターンだ。


 フリートークに入った。学園祭の話。今度は五対五の配分で話す。先週の七対三ではなく。音羽が自分から話題を出した。


「学園祭の喫茶店、メニューが決まりました」


「何になった」


「紅茶、コーヒー、ホットチョコレート。あと、クッキーを焼きます」


「クッキーも出すのか」


「はい。放課後に試作したんですけど……少し焦げました」


 クラスメイトの中から、小さな笑い声が起きた。試作に参加した女子が「少しどころじゃなかったよね」と声を漏らした。


 音羽の口元がほころんだ。


「……はい。少しどころじゃなかったです」


 笑い声が広がった。三十人の中に、温かい空気が流れた。


 音羽の目が変わった。


 三十人を見ている。マイクだけを見ろと言ったのに、音羽が顔を上げて、教室を見渡している。


 怖いはずだ。三十の視線。中学の合唱コンクールで沈黙した体育館。あの記憶がよぎっていないはずがない。


 でも音羽は目を逸らさなかった。三十人の顔を見て、そこに敵意がないことを確認するように、ゆっくりと視線を動かした。


 曲紹介。締めの挨拶。


「放課後のふたりごと、また来週」


「……ありがとうございました」


 最後の言葉を言い切った。音羽の声が教室に響いた。細いまま。震えたまま。でも、最後まで。


 拍手が起きた。


 三十人の拍手。教室が揺れるほどじゃない。でも、放送室では絶対に聞こえない音。三十人の手のひらが合わさる音が、窓ガラスに反射して、教室中に満ちた。


 音羽がマイクの前で固まっていた。


 目に涙が浮かんでいる。


 こぼれてはいない。まだ堪えている。唇が震えている。拍手の音を全身で受け止めているように、微動だにしない。


 でも、笑っていた。


 涙を浮かべながら、笑っていた。唇の端が上がって、頬が少しだけ持ち上がって、目尻が細くなって。泣くのと笑うのを同時にやろうとしている、不器用で、でも美しい顔。


 俺は拍手の中で、音羽の横顔を見ていた。


 守りたい、とは思わなかった。


 守るのは違う。音羽は守られるために声を出したんじゃない。自分で立って、自分で声を出して、自分で三十人の目を見た。


 守りたい、じゃない。


 この人の隣にいたい。


 その思いが、拍手の音に紛れて、胸の奥で静かに確定した。


 拍手が止まった。クラスメイトが帰り始める。夏希が通りがかりに親指を立てた。瀬戸が小さく頷いた。桐谷先生が教室の後ろから「お疲れさま」と声をかけて、出て行った。


 教室に二人だけ。


 音羽が目を擦った。手の甲で。


「……泣いてません」


「泣いてるだろ」


「泣いて、ません」


 声が鼻にかかっている。完全に泣いている。


「……拍手、もらえるとは思ってなかったです」


「もらえた」


「三十人。全員が。手を叩いてくれました」


「ああ。聴いてた。全部」


 音羽が涙を拭いた。何度目かの「泣いてません」を飲み込んだらしく、口を開けて、閉じた。


「……ありがとうございます」


「何に対してだ」


「全部です」


 音羽が立ち上がった。椅子の脚が床を擦る音。教室の窓から、夕日の最後の光が差し込んでいた。音羽の頬に涙の跡が光っている。


「次は、本番ですね」


「ああ。体育館。全校生徒」


「……怖いです」


「ああ」


「怖いです。でも」


 音羽が俺を見た。涙の跡が残る目。でも怯えてはいない。


「三十人の拍手、聴きました。あの音を、もっと大きな場所で聴きたいと思いました」


「……欲が出てきたな」


「はい。……欲が出てきました」


 機材を片づけた。教室を元に戻す。机を並べ直す。


 廊下に出た。十一月の冷気。吐く息が白い。


 音羽が隣を歩いている。足音は軽い。先週の硬さも悔しさもない。三十人の拍手が、足取りを変えていた。


 本番まであと一週間。


 体育館。全校生徒。八百人。


 三十とは桁が違う。でも、今日の音羽の目を見た。涙を浮かべながら笑ったあの顔を。


 大丈夫だ、とは言わない。大丈夫かどうかは分からない。


 ただ、隣にいる。


 それだけは、確かだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ