五人の前で
六畳の放送室にパイプ椅子が五脚。人の体温で室温が変わるくらい、狭かった。でも、声は届いた。
放送室に五人は多い。
六畳の空間に、パイプ椅子が五脚。ミキサー卓とマイクスタンドの手前に扇形に並んでいる。桐谷先生が一番端。その隣に橘夏希。真ん中に瀬戸颯太。残りの二脚に、一年生の後輩が二人。名前は佐々木と中村。放送を毎週聴いてくれているらしい。
「狭いな」
真白陸は椅子に座ったまま、五人の顔を見渡した。放送室の空気密度が明らかに変わっている。人の体温が集まって、室温が一度くらい上がった気がする。
「本当に狭いですね」
瀬戸が苦笑した。椅子と椅子の間隔が三十センチもない。
「ぎゅうぎゅうだ」
夏希が膝を寄せながら言った。
ドアが開いた。
音羽澪が入ってくる。鞄を胸の前に——先週と同じ持ち方。
入った瞬間、足が止まった。
五つの顔が一斉に音羽を見ている。先週は先生一人だった。今日は五人。数の違いは視線の圧になる。
「音羽さん、こんにちは」
瀬戸が柔らかく声をかけた。この男は空気を読むのがうまい。音羽の緊張を感じ取って、自然にトーンを落としている。
「……こんにちは」
音羽の声が薄かった。一年生の後輩たちが「よろしくお願いします」と小さく頭を下げる。音羽が頷き返す。
椅子に座った。俺の隣。マイクの前。いつもの位置。
でも、いつもと違う。背中に五つの視線がある。防音壁に囲まれた空間の中で、その視線は逃げ場がない。
「始めるぞ」
小声で音羽に言った。音羽が頷く。顎の動きが小さい。硬い。
「先週と同じだ。マイクだけ見ろ」
「……はい」
息を吸った。
「昼休みの放送部です。放課後のふたりごと、始まります」
いつもの導入。声を出した瞬間、背後の五人の空気が変わった。聴く姿勢に切り替わる。それは小さな変化だったが、放送室の防音壁がその変化を増幅した。
「……こんにちは」
音羽の声。
硬い。先週の先生一人のときよりも、明らかに硬い。声の芯が細くなっている。緊張で喉が狭まっている。
でも、出た。声は出た。
お便りの紹介に入る。今日用意したのは二通。一通目を俺が読んだ。「秋の好きなところを教えてください」。
「俺は空気が乾いてるところだな。夏の湿気がなくなると、声の通りが良くなる」
「……放送部らしい回答ですね」
音羽が返した。声がまだ硬い。でも返せている。会話のラリーが成立している。
「音羽は?」
「私は……金木犀の匂いです。通学路に一本あって、毎朝その前を通るんですけど」
「ああ、正門の手前の」
「はい。朝、あの匂いがすると、秋が来たなって」
声が少しだけ柔らかくなった。自分の話をするとき、音羽の声は安定する。台本ではなく、自分の言葉で話しているとき。
二通目のお便り。音羽が読む番だ。
紙を持つ手が微かに揺れていた。文字を目で追っている。
「えっと……『二人の放送を聴いていると、昼休みが短く感じます。もっと長くやってほしいです』」
読み上げた。声は硬いまま。でも止まらなかった。
「ありがたいな。十五分枠だから延長は難しいけど」
「そうですね。でも、嬉しいです」
フリートークに入った。学園祭の準備の話。音羽のクラスの喫茶店。俺のクラスの展示。当たり障りのない内容。
話しながら、背後の空気を感じていた。夏希が頷いている気配。瀬戸が静かに聴いている気配。一年生二人が少し前のめりになっている気配。
音羽もそれを感じているはずだ。背中に当たる視線の温度。でも音羽は振り返らなかった。マイクだけを見ていた。
曲紹介。締めの挨拶。
「放課後のふたりごと、また来週」
「……ありがとうございました」
終わった。
沈黙。一秒。二秒。
夏希が最初に口を開いた。
「すごいな。ラジオみたいだ。いや、ラジオか」
瀬戸が笑った。一年生の二人も笑った。張り詰めていた空気が緩む。
音羽が椅子の上で小さく息を吐いた。手を膝の上に置いている。指先がまだ少し白い。力を入れていた痕。
先生が手を叩いた。拍手ではなく、注目を集める合図。
「はい。全員、感想を一言ずつ。音羽さんのためにも、正直に」
瀬戸が最初に言った。
「二人の掛け合いが自然で、聴いてて心地よかったです」
一年生の佐々木が「声が綺麗で聴き入りました」と言った。中村が「金木犀の話、共感しました」と続けた。
桐谷先生が頷いた。「先週より声が出てたわよ」。
最後に夏希。
「音羽さん、声綺麗だね」
率直だった。飾りのない、夏希らしい言葉。
音羽が目を見開いた。
「……ありがとうございます」
声が揺れた。感情が声の制御を超えたときの、あの揺れ。
五人が帰っていく。夏希が最後まで残って「本番も聴きに行くからな」と言い残して出て行った。瀬戸が軽く手を振って続く。
放送室に二人だけが残った。
パイプ椅子が五脚、扇形に並んだまま。さっきまで人がいた痕跡。
「……五人、終わった」
「ああ」
「声、硬かったですよね。自分でも分かりました」
「最初はな。途中からは大丈夫だった」
「……フリートークのあたりから、少し楽になりました」
「お便りのときも止まらなかった。紙を持つ手は震えてたけど、声は続いてた」
「……見てたんですか。手」
「見てた」
音羽が俯いた。耳が赤い。
「全部見られてるんですね」
「見てるし、聴いてる」
「……恥ずかしいです」
「恥ずかしがるところじゃない」
片づけを始めた。パイプ椅子をたたむ。二人で五脚を壁際に寄せる。椅子を運ぶとき、音羽の手がパイプの冷たい金属に触れて、小さく「つめたい」と声を漏らした。
その一言がやけに耳に残った。
放送室がいつもの広さに戻る。六畳。マイク二本。椅子二脚。
「次は十人だ」
「……はい」
「場所は教室になる。放送室の外で初めて声を出す」
「……はい」
音羽の声がまた硬くなった。十人。教室。防音壁のない場所。
「怖いか」
「……少し」
「少しなら大丈夫だ」
「根拠は何ですか」
「今日の音羽を見てた。少しの怖さなら、声は止まらない」
「……」
音羽が黙った。否定しなかった。
窓の外が暗くなり始めていた。帰り支度をする。鞄を持って、ドアの前に立つ。
音羽が振り返った。五脚のパイプ椅子が壁に並んでいるのを見ている。
「五人、聴いてくれました」
「ああ」
「放送室の中だけだった声が、五人に届きました」
「届いた。ちゃんと」
音羽の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「次は十人ですね」
「ああ。教室で待ってる」
廊下に出た。
隣を歩く音羽の足音が、来たときより少しだけ軽かった。
「声綺麗だね」。夏希の飾らない一言が、音羽の目を少しだけ潤ませた。五人はクリアした。次は十人、そして放送室の外へ。




