表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後のふたりごと 〜廃部寸前の放送部で始めた二人だけのラジオが、いつの間にか学校一の人気番組になっていた〜  作者: Studio Yodaca
一歩を踏み出す

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
41/75

逃げない

職員室のドアの前で、二人で立っていた。音羽が言った「やります」は、誰かに背中を押された声じゃなかった。

十一月の第二週。放課後の廊下は冷えていた。


 真白陸(ましろりく)は職員室の前で足を止めた。隣に音羽澪(おとわみお)がいる。二人並んで、ドアの前に立っている。


 音羽の呼吸がわずかに速い。


「大丈夫か」


「……大丈夫です」


 声が細い。緊張のときの声だ。普段より半音高く、語尾が短くなる。放送室(ほうそうしつ)で何度も聴いた音。


 ノックした。返事があって、ドアを開ける。


 桐谷(きりたに)先生がデスクの前にいた。赤ペンを持ったまま顔を上げる。


「あら、二人揃って。珍しいわね」


「公開放送の件で相談があります」


「ああ、学園祭の。企画書、出してくれたでしょう。職員会議で通ったわよ。体育館のステージ、四十五分枠」


「はい。それで、リハーサルの計画を組みたくて」


 先生がペンを置いた。眼鏡越しに音羽を見る。


「音羽さん。あなたはどう?」


 音羽が一瞬だけ俺の方を見た。すぐに視線を先生に戻す。


「……やります」


 声が小さかった。でも消えなかった。


「やります。公開放送」


 先生が両手を組んだ。音羽をまっすぐ見ている。


「本当に? 無理しなくていいのよ。放送室からの中継でも十分——」


「いえ」


 音羽が遮った。珍しいことだった。音羽が人の言葉を遮ることは、半年間でほとんどなかった。


「ステージに立ちます。真白くんと二人で」


 先生が黙った。数秒の沈黙。それから、ゆっくり頷いた。


「分かった。全力でサポートするから。機材も場所も、必要なものは言って」


「ありがとうございます」


 音羽が頭を下げた。職員室を出る。廊下に戻って、二人で歩き始めた。


 音羽の足音がいつもより硬い。上履きが廊下を叩く音の間隔が短い。早足になっている。


「音羽」


「はい」


「少しペースを落とせ」


「……すみません」


 音羽が速度を落とした。横顔を見ると、唇が一文字に結ばれている。緊張と決意が入り混じった表情。


「先生に言えたな」


「……はい」


「偉いとは言わない。音羽が自分で決めたことだから」


「……」


 音羽が何かを言いかけて、やめた。階段を上る。二階の廊下を西に向かう。放送室への、いつもの道。


 ドアを開けた。西日が差し込んでいる。六畳の空間。ミキサー卓。マイクが二本。椅子が二脚。いつもの放送室。


 椅子に座った。音羽も座る。いつもの距離。


「リハーサルの話をしよう」


「はい」


 俺はノートを開いた。先日ざっくり立てた計画を書き直す。


「まず五人。桐谷先生と橘夏希(たちばななつき)瀬戸颯太(せとそうた)。プラス二人。放送室の中で、本番形式で話す」


「はい」


「大丈夫だったら十人。教室を借りる。放送室の外で、初めて声を出す」


「……はい」


 ペンが止まった。音羽の声が少しだけ揺れた。十人のところで。


「三十人。二年C組の教室でクラスメイトの前で。これが最後のリハーサル。ここを越えたら、本番」


「……」


「音羽。一つ確認する」


「何ですか」


「どの段階でも、無理だと思ったら止める。止めることは逃げじゃない。俺が言ったこと、覚えてるか」


「覚えてます」


「なら、もう一つだけ言っておく」


 音羽がこちらを見た。


「逃げなくていいんだぞ」


 その言葉は、音羽のためだけじゃなかった。自分自身に向けても言っている。かつて声を上げて失敗した俺が、もう一度声を上げようとしている。


 音羽が目を細めた。


「逃げません」


 一拍置いて。


「逃げたくないんです」


 声のトーンが変わっていた。さっきの職員室で「やります」と言ったときとも違う。あれは決意で蓋をした声だった。今は違う。蓋をしていない。怖さも、決意も、そのまま声に乗っている。


 怖い。でも逃げたくない。


 その両方が正直に響いている声を聴いて、胸の奥が熱くなった。


「……分かった」


 それ以上は言わなかった。音羽の決意に言葉を足す必要はない。


 ノートに計画の続きを書く。日程。場所。必要な機材。台本の骨組み。


 音羽が隣でそれを覗き込んでいた。肩が触れそうな距離。髪から、微かにシャンプーの匂い。


 集中しろ、と自分に言い聞かせた。


「来週の木曜にまず桐谷先生だけのリハーサル。先生一人なら、負荷が少ない」


「はい。先生なら……大丈夫だと思います」


「その翌週に五人。人数を増やすペースは、音羽が決めていい」


「……真白くんが決めてくれた方が、楽です」


「楽な方を選ぶな」


「……」


「自分で決めろ。自分の声のことは、自分が一番分かる」


 音羽が黙った。数秒。それから、小さく息を吐いた。


「……五人は、桐谷先生のリハーサルの翌週で。一週間あれば、心の準備ができます」


「分かった。その間隔でいく」


 ノートに日付を書き込んだ。十一月の木曜日が四つ並ぶ。最後の木曜日が本番の週。


 音羽がその日付を見つめている。


「あと三週間」


「ああ」


「……短い」


「長いよりいい。長いと考えすぎる」


「……それは、真白くんの経験ですか」


「俺の経験だ」


 中学のとき。声を上げる前に何日も悩んだ。悩んだ時間の分だけ、失敗したときのダメージが大きかった。


「考える時間が長いほど、失敗が怖くなる。だから短期決戦がいい」


「……なるほど」


 音羽が少し笑った。唇の端がわずかに上がる程度。でも声は笑っている。


「真白くん、たまに体育会系みたいなこと言いますね」


「……気のせいだ」


「気のせいじゃないです」


 放送室に小さな笑い声が落ちた。


 窓の外の空が橙色に染まっている。十一月の夕日は低い。光がミキサー卓の上を横切って、音羽の手元を照らしていた。


 その手は、もう震えていなかった。

逃げないと決めたのは音羽だ。俺はただ、その決意が揺れないように隣にいる。それだけでいい。今は。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ