後編
「レナーテ」
「お久しぶりでございます、テオ殿下」
レナーテは幼い頃から教えられた所作で、テオに挨拶をする。テオが不機嫌になったのを肌で感じて、レナーテは思わず笑みを浮かべた。
レナーテ・ルース・カントールはカントール公爵家の令嬢である。幼い頃から病弱だったものの、最近ではそれもほぼ治り、今では第一王子のテオの婚約者候補の筆頭だ。
テオ・ウル・ラ・クロロフィーレはこの国の第一王子、すなわち王太子だ。御年18という彼に婚約者がいないのは異例のことで、それは幼なじみのレナーテを婚約者としたいものの、彼女が病弱であるため国の重鎮ともめている、というのが市井の見解だ。
そしてこの頃レナーテは病気にもかかりにくくなり、婚約は秒読みだと言われている。
そんな折に、レナーテは夜にも関わらずテオに呼ばれて登城していた。
「レナーテ、すまないが、あまり時間がない。本題へ入らせてもらう」
「はい」
テオがチラッと自らの従者を見た。従者は無言で頷き、この場の内容を決して話さないことを固く誓う。
テオがレナーテを見た。テオの瞳は無機質で、レナーテは緊張する。こんな目をするときは、この国に関する事柄だと、今までに経験していた。
テオが口を開く。
「……つい先日、ロイに婚約者ができただろう?」
「存じております」
数ヶ月王城を留守にしていたロイが突如婚約者を連れてきたことは、王都にいる誰もが知っていることだろう。婚約者はイスターツ伯爵家の次女のアティカ・イスターツらしい。
らしいというのは、アティカだと証明できる人物がイスターツ伯爵及び第二王子しかいなくて、何故かイスターツ伯爵夫人はアティカではないと言っており、彼女がアティカ・イスターツと確定していないからだ。
侍女たちの噂では、アティカは幼い頃から実母に冷遇されていたと言われている。その真偽は定かではないが、レナーテは真実だと思っていた。
「彼女は間違いなくアティカ・イスターツだ。彼女はロイの婚約者となることが生まれたときから決まっていた」
テオの言葉にレナーテは驚く。伯爵家の次女の婚約が、しかも相手が王族の婚約が生まれたときから決まっているなど、余程のことがない限り有り得ない。
「レナーテも、建国神話は知っているだろう?」
「もちろんでございます」
貴族の令嬢はあまり知らないことだが、いずれは王妃となるかもしれない、と思われていたので、レナーテには建国神話の知識もある。
昔々、神に愛された少年がいた。彼が望めば空は晴れ、花は一斉に咲き、傷はたちまち癒えた。人々は彼を「加護を持つ少年」と呼び、慕った。
ある日、少年は国の王族たちからその力を危険視され、国を追放された。少年は山や川を超え、ある土地に着く。そこが、今の王都であった。少年はそこで暮らし始めた。
そして幾日か過ぎ、まずやって来たのは少年の近所に住んでいた人たちだった。次にやって来たのはかつて少年によって助けられた人だった。その次はやって来た人の親戚。さらにその次は関わりのなかった人々……。
そして、何十年も経ち、この地に小さな国が形成された。小さな小さな国の王はかつての少年だ。王は人々と共に楽しく暮らしていた。
しかし、昔少年を追い出した国が、彼らの元へ軍を派遣した。国民は応戦するも、どこもかしこも劣勢だ。
そして王は祈った。この地が護られ、穏やかな生活を送れることを。
するとたちまち軍はこの地へ入れなくなり、穏やかな生活を送れるようになった。
そして何百年が経ち、その間に国土も広がり、今のこの国になった。それがこの国の歴史だ。
「彼女は、その建国神話に出てくる初代王と同じ、『加護持ち』だ。彼女が生まれた後、イスターツ伯爵が内密に王へと奏上し、そして王自ら確認した」
テオのその言葉に、レナーテは驚愕のあまり思考が止まる。それは従者も同じだったらしく、目を見開いていた。
そんな存在がいるなんて、と思うと同時に、それなら婚約者になると決まっているのも頷けた。
「『加護持ち』が本当にいると知っているのは、王族と上位貴族の当主だけだ。そして、『加護持ち』は王族に入れる……つまり、王族と結婚することが決められている。そして、その血を引くものを王にすることも」
何となく、次に言われる言葉を察してしまった。
「だが、私は、レナーテ、君と結ばれたいと望んだ。だから彼女との結婚はロイがすることとなり、私は子を残せないことが決まった」
テオの決意に満ちた言葉に、小さく、従者が息を飲んだ。レナーテは小さく深呼吸をして、鼓動を落ち着かせる。
「婚約しないなら、今のうちだ」
「……お父様はこの事をご存知で?」
「ああ。カントール公爵はレナーテの望むようにしていい、と」
父の思いを察し、レナーテは微かに笑う。父はどれほどレナーテがテオを愛しているのか知っている。きっと自信満々に先ほどの台詞を言っただろう。
「もちろんお受けしますわ」
「だが」
「私の体では、子供ができるのかは分からないのです。それなら、嫌味を言われることもない、こちらの方がいいですし、子供なら、次の王太子様を可愛がればいいことです」
レナーテは笑顔で言う。こんなことくらい、どうってことはない。
「これからもよろしくお願いします、殿下」
「……ああ、よろしく頼む、レナーテ」
レナーテは胸が温かくなり、とても幸せだった。
「そういえば、アティカ様は冷遇されてた、と聞きました。『加護持ち』なのに、何故伯爵夫人はそのようなことを?」
レナーテが、冷めた紅茶を1口飲んでから訊いた。テオは2人っきりの時と同じように、姿勢を少し崩して言う。
「イスターツ伯爵は、娘が『加護持ち』だと伝えれなかったのだ。それを知らない伯爵夫人は、彼女を忌み嫌い、屋敷の奥に閉じ込めていたらしい」
テオが眉を寄せる。彼は不機嫌な時はいつもそうする。幼い頃からの癖だ。
レナーテは、はて、と思う。何故イスターツ伯爵は「『加護持ち』だと伝えれなかった」のだろう。
テオがレナーテの疑問を察して言う。
「言っただろう。『加護持ち』が本当にいると知っているのは、王族と上位貴族の当主だけだ、と。夫人は教えられない。レナーテとイルミンは特例だ」
レナーテは、従者の名前はイルミンと言うのか、と場違いなことを思った。それにしても、と思い口にする。
「テオ殿下。次期王たる者、そのような特例を許してはなりません。一度許せば、他の者もつけ上がり、王としての力がなくなってしまいます」
レナーテの言葉に、テオは不機嫌になる。眉に皺が刻まれた。
「……レナーテとイルミンだから、だ。他の者には適用しない」
「ええ、是非そうしてください」
レナーテは再び紅茶を飲む。普段ならメイドが気をきかせて温かい紅茶を入れてくれるが、この場にいるのはレナーテとテオ、そしてイルミンだけだ。誰も入れることなどできはしない。
それはそうとして、レナーテは伯爵夫人が可哀想だと思った。夫に秘密を作られ、しかも冷遇していた娘が王弟の妻、そしてゆくゆくは国母となるなど。
伯爵夫人はただ運が悪かったのだ。彼女は生まれたときから異質であった娘を、自らの娘と見ることができなかった。それは仕方のない事だと思う。きっとレナーテも、同じような状況に立たされたら、似たことをしてしまうだろう。
「………どうか、お幸せになってもらいたいですね」
テオはレナーテのその言葉に首をかしげていた。




