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婚約破棄は承りました。では、王家の赤字もそちらでお引き受けください  作者: ハッピーミラクルエンジョイ


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9/11

9話 真実の愛にも予算がいる

「王太子妃になるには、毎月いくら必要ですか」


ミレーユ・コレットは、挨拶より先にそう尋ねた。


王都東区の商務事務所。翌朝九時。


彼女は侍女も王宮の書記官も連れず、一人で来た。淡い桃色の外套は上等だが、胸元の飾りは以前の夜会より少ない。


リディアは向かいの椅子を勧めた。


「王太子妃としての公的費用でしょうか。それとも、コレット伯爵令嬢個人の生活費でしょうか」


「違うのですか」


「支払う者と、決める者が違います」


ミレーユは膝の上で両手を組んだ。


「それを知りたいのです。わたくしのドレス代が王家の赤字を増やしたと聞きました。でも、何を着るかは王宮衣装局が決めます。値段を聞いても、王太子妃に必要だからとしか言われません」


先日確認したミレーユ名義の支払い一覧には、本人が見たことのない衣装や宝飾品まで含まれていた。


リディアは相談票を机へ置く。


「今日は個人依頼として承ります。初回相談料は五リール。調査が必要になれば、範囲と報酬を改めて決めます」


ミレーユは小さく息を飲んだ。


「話を聞くだけで五リールも?」


「払えませんか」


「払えます。ただ、誰かへ相談するのに値段があると思っていませんでした」


「値段があるから、依頼者として質問でき、わたくしも守る範囲を約束できます」


友情でも、王太子からの命令でもない。


婚約破棄の場でリディアの代わりに選ばれた令嬢と、捨てられた元婚約者でもない。


今日は依頼人と会計調査人だ。


ミレーユは財布から金貨ではなく、五枚のリール銀貨を数えて出した。リディアはその場で受領証を書き、控えを一枚渡した。


「最初に、今ご存じの費用をすべて教えてください」


ミレーユが持参した紙は三枚だった。


一枚目は王宮衣装局から渡された予定表。春の祝賀会、外国使節の歓迎会、慈善晩餐会、騎士団叙勲式。四か月で公的行事が十一回ある。


二枚目は衣装の指定。昼用正装四着、夜会服六着、喪服一着、乗馬服二着。宝飾品は行事ごとに変更。


三枚目には、コレット伯爵家が支払うよう求められた金額が並ぶ。


合計、一万二千四百リール。


「伯爵家の年間収入は」


「昨年は、たしか一万八千ほどです」


「手取りではなく総収入ですか」


「分かりません」


ミレーユの声が小さくなった。


「領地の橋の修理や使用人の給金を払ったあと、いくら残るかも?」


「知りません」


叱られると思ったのか、背筋を固くしている。


リディアは責めなかった。


王太子妃教育では、国の歴史、礼儀、舞踏、外国語、紋章、客の席順を教える。それなのに、自分の名で何が買われ、誰が払うかは教えられていない。


知らないことは、能力の欠如ではない。


尋ねる機会を与えられなかった結果だ。


「お父上から、婚姻に使える額を聞いていますか」


「王家に必要と言われたものは、できるだけ用意すると」


「上限は」


「聞いていません」


善意の約束ほど、数字がなければ止まりにくい。


伯爵は娘の立場を守りたい。王宮は王太子妃にふさわしい品をそろえたい。ミレーユは期待へ応えたい。誰も家を潰そうとは考えていないのに、三人とも「必要なだけ」と言えば、支出だけが増えていく。


リディアは別紙へ、伯爵家へ確認すべきことを書いた。


昨年の総収入。


領地運営の固定費。


借入金と返済日。


婚姻準備へ使える上限。


「この答えが届くまでは、伯爵家が払えるとも払えないとも決めません」


「父が、恥をかかせるなと言ったら?」


「誰に対する、どのような恥かを尋ねます。支払不能になる方が領民にも取引先にも大きな損失です」


ミレーユは紙の端へ、小さく〈父に聞く〉と書いた。


「では、分からない欄へ印をつけましょう」


リディアは紙へ三種類の印を作った。


本人が決めた費用。


王宮が決めた公務費。


誰が決めたか分からない費用。


「この青いドレスは?」


「衣装局が、エドガー様の瞳に合うからと」


「宝石の首飾りは」


「王妃様がお選びになりました。王家の所蔵品だと思っていました」


「請求は伯爵家へ来ています」


ミレーユの顔から血の気が引く。


「借りる物を、買ったことにされているのですか」


「まだ決めません。所蔵品の貸出記録と、宝石商の納品書を照合します」


「でも、わたくしの名前で」


「名義と、決定した人と、利益を受けた人を分けます」


リディアは同じ言葉を、ゆっくり繰り返した。


ミレーユ名義だからミレーユが浪費した、とは限らない。


反対に、本人が知らなかったから責任が一切ない、とも限らない。自分の名前を使わせる立場になった以上、これからは確認する責任が生じる。


「わたくしは、何をすればいいのでしょう」


「まず、署名しないことです。分からない紙には」


「王太子妃教育の先生は、王宮の決定へ逆らうなと」


「拒否ではありません。確認するまで保留します」


リディアは短い文を書いた。


〈支払者、所有者、使用目的、返却条件の確認後に署名します〉


「これを、ご自分の言葉で言えますか」


ミレーユは紙を見た。


「誰が払い、誰の物になり、何に使い、いつ返すのか。それが分かってから署名します」


「十分です」


難しい言葉を覚えることが教育ではない。


自分が理解できる言葉へ戻し、判断できることが必要なのだ。


次に、十一回の行事を一つずつ確認した。


外国使節の歓迎会は王家の外交行事。騎士団叙勲式も公務。慈善晩餐会は王妃主催だが、寄付者の名簿にはミレーユ個人の名が載る予定だった。


春の祝賀会だけは、婚約を披露する私的な意味と王家の公式行事が混ざっている。


「全部を一つの財布で払うから、誰も責任を決められないのですね」


ミレーユが言った。


「はい。公務費、王家の資産、伯爵家からの持参、あなた個人の支出を分ける必要があります」


「エドガー様の贈り物は?」


「誰のお金で買ったかによります」


「贈り物なのに?」


「王太子個人の年金からなら私的贈与です。王家の公費なら、相応の公務目的と記録が必要です」


ミレーユは、さらに小さな封筒を出した。


中には、エドガーから贈られたという真珠の耳飾りの明細がある。


価格は四百八十リール。


支払欄には〈王宮特別交際費〉。


承認欄はベルナール財務官。


受領者はミレーユ。


「エドガー様が、ご自分で選んでくださったと思っていました」


声が震えていた。


リディアは、耳飾りの価値を否定しなかった。


贈られたときの嬉しさまで帳簿で偽物にはできない。


「殿下が選んだことと、支払いを公費へ回したことは別です。まず確認しましょう」


「もし、エドガー様が公費だと知っていたら?」


「ご本人が説明し、必要なら返す責任があります」


「わたくしにも?」


「知った後の責任があります。耳飾りを公務用の王家資産として登録するか、個人で買い取るか、返却するか。選択肢を出せます」


ミレーユは耳元へ触れた。今日は、その真珠を着けていない。


「買い取るなら、わたくしのお金で?」


「はい。ただし生活を壊してまで買う必要はありません」


「王太子妃になるのに、生活が壊れることもあるのですか」


「収入より支出が多ければ、どの身分でも壊れます」


真実の愛で食卓のパンは増えない。


けれど、愛に値段をつけたいわけでもない。


続けるために、誰が何を負担するかを見えるようにするのだ。


リディアは仮の四か月予算を作った。


既存衣装の仕立て直し、千二百リール。


外交上必要な新調二着、千八百リール。これは王家公務費の候補。


個人用の昼服二着、三百リール。ミレーユ個人または伯爵家。


王家所蔵の宝飾品は貸与台帳を作り、新規購入を止める。


馬車、警護、招待状、席次表など衣装以外の費用は別表へ移す。


現在の一万二千四百リールから、少なくとも七千リール以上を保留できる。


リディアは、削った後の金額だけを見せなかった。


「公務費へ移した分は、消えたわけではありません。王家が払います」


「王家には赤字があるのに」


「だから公務の数と費用を、国王陛下と殿下が選ばなくてはなりません。あなたの名義へ移せば、赤字がなくなるわけではありません」


祝賀会を開くなら、警備や料理人の給金も要る。外国使節を迎えるなら、国の信用のために相応の支出も必要だ。すべてを削ればよいのではない。


限られた金で、何を守るか決める。


その決定を、飾りの陰へ隠さない。


「わたくしが同じ服を着れば、その分で兵士の手袋を買えますか」


「直接同じ財布ではありません。ただ、余った公務費の使途を決め直すことはできます。最初からそう記録すれば」


「では、手袋に使ってほしいと書けますか」


「意見としては。最終決定者は殿下と国王陛下です」


ミレーユは、予算案の余白へ自分で一文を加えた。


〈衣装費の減額分は、北部国境警備隊の未払装備費へ充当することを希望します〉


リディアはその文を消さなかった。


決裁権がなくても、希望を記録する権利はある。


「同じ服を二度着てもよいのですか」


ミレーユが真剣に尋ねた。


「汚れておらず、行事の格に合い、王家が同じ服を禁じる正式規則がないなら」


「先生は、王太子妃は毎回違う姿で国の豊かさを示すものだと」


「国境の兵士へ手袋代を払えない国が、同じ服を避けて豊かに見えるでしょうか」


ミレーユは答えられなかった。


少し前のリディアなら、もっと鋭く言ったかもしれない。


だが目の前の少女は、赤字を作るために王宮へ来たのではない。教えられた正しさを守ろうとしていただけだ。


「同じドレスへ襟や帯を足し、違う場に合わせる方法があります」


「見破られませんか」


「見破られて構いません。節約を隠す必要はありません」


「貧しいと思われたら」


「未払いを隠す方が、信用を失います」


ミレーユは長く考えた。


「わたくし、きれいな物が好きです」


「好きでいてください」


「好きだから、王家を苦しめたのでしょうか」


「いいえ。好きな物に、払える額を決めなかったことが問題です。そして決める権限をあなたへ渡さず、名前だけ使った人にも責任があります」


ミレーユの目に涙が浮かんだ。


泣くことを恥じるように瞬きを繰り返す。


「リディア様は、わたくしを嫌っていると思っていました」


「好意を相談の条件にはしておりません」


「そういうところが、少し怖いです」


「よく言われます」


「でも、安心します」


二人の間に初めて、短い笑いが生まれた。


そこへ、クロードが扉を叩いた。


彼は勝手に入らず、返事を待った。


昨日決めた役割分担の最初の実践で、書記官へ任せた支払照会の結果を持ってきたのだ。


「ロアン工房と王宮衣装局から回答が届いた。今、入ってよいか」


リディアはミレーユを見る。


「この方は契約上、調査補助と事務所責任者です。同席を許可しますか」


「はい」


許可を得てから、クロードは席についた。


回答書によれば、一万二千四百リールのうち二千六百リールは、まだ発注すらされていない仮見積もりだった。衣装局が将来の支出を確保するため、支払要求一覧へ混ぜていた。


さらに千九百リールは、王家所蔵品の貸出手入れ費であり、伯爵家へ請求する根拠がない。


「止められるのですか」


ミレーユが尋ねる。


「発注前の二千六百は止められます。千九百は王宮へ差し戻し、請求根拠を求めます」


「残りは?」


「実際に納品済みの物と、誰も現物を確認していない物を分けます」


すべてが一日で消えるわけではない。


それでも、四千五百リールは今この場で支払いから外せる。


ミレーユは自分の紙へ数字を書き写した。


「わたくしが、王宮で説明します」


「一人で行く必要はありません」


クロードが言った。


ミレーユは首を振る。


「一人で決めるという意味ではありません。わたくしの名前が使われているから、わたくしの口でも説明したいのです。資料を作るのを手伝ってください」


リディアは、新しい依頼範囲を書いた。


支払要求十三件の分類。


貸与台帳との照合。


四か月予算案の作成。


王宮衣装局との面談へ同席。


報酬は二十五リール。資料取得費は実費。期間は五日。


ミレーユは一行ずつ読み、先ほど覚えた言葉を使った。


「誰が払い、誰の物になり、何に使い、いつ返すか。分からないものは署名しません」


それから契約書へ、自分の名を書いた。


扉の外で、王宮の使者が到着を告げた。


エドガーからミレーユへ、午後の宝石商との打ち合わせに出席するよう命じる手紙だった。


添付された購入予定表には、婚約披露用の新しい首飾り。


価格、三千二百リール。


支払元は空欄だった。


ミレーユは以前なら、喜んで王宮へ戻ったのだろう。


今日は紙を裏返し、使者へ答えた。


「支払う人と、誰の物になるのかを確認してから伺います」


声は震えていた。


それでも、自分の名前で答えた。

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