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[記憶屋書店]  作者:
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[記憶屋書店]〜変わらない結末〜[四話]

人は失敗から学ぶ。

じゃあその失敗を、消してしまったら?

もし辛い思いを消してしまったら、

その人の歩く道はどうなるのか。

そんな四話となっています。

挿絵(By みてみん)

[ぽろりと花を落としては、次々に咲く日々(ニチニチソウ)の様に。きっと次は綺麗に咲けるはず。]


7月30日13時


今日は休みだ。

茹だるような暑さの日に、午前中から起きるなんて無理だ。

基本的に書店は毎日営業しているが、店長は「休みも大事だ」と言って休みをくれる。

私としては、休まなくてもいいくらい書店にいたい。


家にいたところでやることもない。


そんなことを考えていると、東山先生の顔が浮かんだ。

動物園に行って、絵を描いてみよう。

安いスケッチブックと筆箱を持ち、電車に乗って動物園までやって来た。

しまった。閉園は十七時か。


「二時間しか見られないなぁ」

そもそも十三時に起きたのだから、当然だ。


せっかく来たのだからと入園すると、入口付近でカップルが喧嘩をしていた。

あれだけ言い合っているのは、お互い本気だからなのだろう。

東山先生に会う前の私なら、きっと冷めた目で眺めて終わっていた。

でも、あの二人は本気なのだ。


時間もないし、可愛いと思った動物を一匹だけ描こう。

園内をぐるりと回っていると、見つけた。


よく知る目つきの、鳥がいた。

名前はハシビロコウというらしい。

仏頂面で、物静か。

まるで店長そっくりだ。

じっとその瞳を見つめ、目を合わせてみる。


けれど、まったく反応はない。


「この子に決めた」


新品の鉛筆を手に取り、さらさらとスケッチを始めた。

私は昔から要領がよかった。

何でも器用にこなせた。

でも、それ以上には進めなかった。

普通の人より何でも上手くできる。でも、本気で打ち込んでいる人には敵わない。


努力するのは、どこか格好悪い気がしていた。

努力する意味なんてない、とも思っていた。


高校生の頃、実は彼氏がいた。

同じ高校の人に告白されて付き合い、何度かデートもした。

それでも、手を繋ぐことさえなかった。

半年も経たないうちに、私は振られた。


特に悲しくはなかった。


けれど、一週間後元彼には新しい恋人ができていた。


そのとき、胸の奥がちりちりと小さく疼いた。

好きだったわけでもないのに、少しだけ嫌な気分になった。

そんなことを思い出しながら、ハシビロコウを描き終えた。


私なりに、本気で描いた一枚だ。


明日、綴店長に見せに行こう。

そう思いながら、私は帰路についた。


7月31日 21時


店長が怪しい。


店に入ってきたのは、二十代後半ほどの綺麗な女性だった。

「すいません。初めてなんですけど」


今にも泣き出しそうな顔で、女性は小さく頭を下げる。

私も、もう慣れたものだ。

「はい。記憶の売却についてですね。ご案内します」

こういう泣きそうな顔で入店してくるお客様は、少なくない。

記憶を手放そうとする人は、皆、何かを抱えている。


だからはじめは、必要以上にお客様の心へ踏み込まないようにしている。

淡々と、しかし冷たくはなく。


店長はよく言う。「最初はお客様も不安で、この書店に来てる。だから、そのくらいの距離感がお客様に寄り添えるんだ」

確かに最初この店に来た時店長はかなり淡々としてた。

……例のすまない事件だ。


私はその言葉を信じ、いつものように接客を進めていった。


すると、店の奥から店長が姿を現した。

「桜さん。そのお客様は私が対応するよ」


初めてではない。

店長が自らお客様の対応を申し出ることは、ときどきある。


強面の男性や、じっと嫌な視線を向けてくる中年男性。

あるいは、私一人では対応が難しそうなお客様。

そんな時は、決まって店長が代わってくれる。


でも、今回は違った。

相手は、どこから見ても綺麗な女性だった。

私でもきっと対応できる。


もしかして店長、美人だから対応変わった?

変に疑っていると、

知ってか知らずか。店長が話し始める。

「後で理由は話すから、桜さんは書斎の整理をお願いしてもいいかな?」


「分かりました。案内お願いします」


書斎へ向かいながら、ふと思う。

店長は結婚しているのだろうか。

恋人はいるのだろうか。


あまり身の上話をしない人だから、そういうことは何も知らない。


よくよく考えてみると、私はこの人のことを、ほとんど知らなかった。


一時間ほどして。


女性は一冊の本を売り、静かに店を後にした。

「桜さん。さっきはごめんね」

店長は申し訳なさそうに笑う。

「彼女、実はリピーターなんだ」

私は驚いた。

「えっ!?さっき『初めてなんです』って」


-女性の失恋-

店長は、先ほどの女性について話してくれた。

「あの人は、とにかく男運が悪いんだ。DV、借金、不倫そんな男ばかりを好きになってしまう。そして失恋するたび、この店へやって来る」


店長によると、彼女が二十歳の頃から、もう五度目の来店らしい。


「でもね、彼女自身にも原因はあるんだよ」


そう言って店長は、後学のためにと彼女の記憶の本を三冊読ませてくれた。



恋人同士肩を寄せ合い、酒に火照った身体を預け合う。

唇を重ね、彼がそっと彼女のショーツに手を添える。

「.....いいかい?」

恥ずかしそうに頷く彼女。


「待て待て待てーい!」


なんてものを読ませるんだ!

思わず本を一旦閉じた。一旦ね!一旦!

飛ばして読もう。

……しかし一度開いたら無理である


絶対にこれは店長のセクハラである。


決して『私の好奇心』ではない。


その後も何冊か読み進めるうちに、一つの共通点が見えてきた。

彼女には、誠実で優しい男性から好意を寄せられることもあった。


けれど、そのたびに相手を試すような言葉をぶつけ、疑い、難癖をつけてしまう。


そして、関係は壊れる。


逆に、甘い言葉ばかり並べ、嘘で身を固めたような男には簡単に心を許してしまう。


その結果、DVや借金、不倫を繰り返す男たちに傷つけられ、そのたびに記憶を売りに来る。


さらに、彼女が自ら手放した優しい男性たちは、その後それぞれ結婚し、幸せな家庭を築いていた。

彼女は、その姿を見るたびに苛立っていた。


そこまで読んで、私はようやく気づいた。


違う。


彼女は反省していないんじゃない。


反省できないんだ。


失恋の記憶も。


自分が相手を傷つけた記憶も。


何もかも、この店で売ってしまっているのだから。


失敗だけが消え、何度でも繰り返してしまう。

背筋が冷たくなった。


今まで、この店は不思議だけれど、人を救う場所なのだと思っていた。

でも違うのかもしれない。


私は立ち上がり、店長のいる方へ駆け出した。


「店長!あの人の事を止めてきます」

このままじゃ駄目だ。

今すぐ、彼女が記憶を売るのを止めなければ。


扉へ駆け寄り、手を伸ばそうとした、その瞬間だった。


優しく肩をつかまれる。

「今、その扉を開けても彼女はいないよ」

店長の声だった。

いつもと同じ穏やかな口調のはずなのに、今はどこか冷たく聞こえた。


「それに、記憶を売ってしまった者は、その記憶を思い出すことはできない。最初に説明したよね」


その言葉に、私は力が抜けた。


膝から崩れ落ちた。


「今日はもう店じまいにしよう」

店長は静かに言った。

「桜さんがよければ、少し話していかないか」


私は力なく頷き、書斎へ戻る。


-閉店後-

「嬉しいよ」

力ない私に、店長が話しかけてくる。


「……何がですか?」


「君がお客様のことを、本気で考えてくれていたことが」


何もできなかった。

そんな思いだけが胸に残っていた。

それでも店長は、いつもと変わらない優しい笑みを浮かべていた。


「……ありがとうございます。」


言葉と一緒に、涙がこぼれ落ちる。


大人になるって、本気で生きるって決めたのに。

私はまた、何もできなかった。

そんな気がしていた。


「君が気に病むことはない」

店長は穏やかに首を振る。

「彼女の接客をしたのは私だ」


私は顔を上げる。

「彼女の不幸の責任は、私にある」

その一言の重さに、息をのんだ。


そうか。


だから店長は、自分で彼女の対応をしたんだ。

私に、この重さを背負わせないために。


しばらく沈黙が流れたあと、店長が静かに口を開いた。

「もし、この店が記憶を買い取れないと言ったら、彼女はどうなると思う?」


私はこの店にきて、変われた。

だからきっと。

「私は……彼女は、この失恋から学べると思います」


「そうだね」


店長は小さく頷く。


「桜さんは強い。記憶を売らないと決めた君なら、きっとそうできる」


少しだけ寂しそうに笑って、続けた。


「でもね。世の中には、桜さんのように強い人ばかりじゃない」


「その記憶が、生きることを諦める理由になってしまう人もいる」


私は息を止めた。


「それって......記憶を売らなかったら、死んでしまうかもしれないってことですか?」


店長は、静かに頷いた。


「この仕事では、たとえ正しくないと感じても、お客様の決定は絶対だ」


「もし助言をするなら、その人の人生を背負うくらいの責任が必要になる」


「今回のことで、桜さんにも少し分かったんじゃないかな」


人の心は、本当に難しい。変わろうと決意しても、立ち上がれない人もいる。

店長は、そう静かに語った。


そして、店長は私をアルバイトに誘った理由を教えてくれた。


初めてこの店へ来た日。

私は、自分の記憶を売らなかった。


あの日、このまま私を家へ帰したら......私は死んでしまうかもしれない

そう思ったから、店長は私をアルバイトに誘ったのだという。


大人になるって、本気で生きるって決めた。


それでも今は、店長の優しさが胸に染みて、また涙があふれてしまう。


「ありがとうございます……店長」


しばらくして、私は涙をぬぐい、無理やり笑顔を作った。


「そうだ、店長!」


「店長そっくりの動物を描いたんです!」


そう言って一枚の絵を差し出す。


店長は絵を見つめ、笑った。


その笑顔が嬉しかった。


この店へ来るまで、乾ききっていた私の心が。

少しずつ血が通うように。

どくどくと脈打ち、

また動き始めているのが分かった。


[ぽろりと花を落としては、次々に咲く日々(ニチニチソウ)の様に。きっと次は綺麗に咲ける。]終

この書店にはお客様の決定は絶対と言うルールがあります。

しかしこれは、責任から守るための店長の気遣いのような桜のためのルールです。


誰かの人生を決める責任は、

その人自身にしか背負えないからです。


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