[記憶屋書店]〜ひとつ、また一つと落ちてゆく〜[十二話]
前店長の一色楓にいきなり、
店長の本の回収を宣言された桜。
人の過去を背負う責任を思い、踏み切れずにいたところ。
すみれさんからお出かけのお誘いが来る。
大切な人の苦しみを知ることを、それに大して何が出来るのか。
大事な決断が桜に迫る。
[馬酔木の少女]
3月3日10時
-桜自室-
よし!
今日は、すみれさんとお出かけだ。
家から四十分ほど、電車を使って移動する。
二人の移動距離を考えてここにした。
昼間に友達と出かけるなんていつぶりだろう。
服も揃えた、久しぶりに化粧もした。
あと一か月。
頭の中で変わらず響く。
こんなことをしている暇はない。
読みなさい。
心の中の私が焦らせてくる。
だけど今日くらいは、楽しみたい。
3月3日10時50分
-駅出口-
少し早めに着いたがすみれさんはもう待っていた。
「桜さん!久しぶり」
「お久しぶりです、すみれさん!」
赤いカーディガンに、紺色のシャツ。
メガネ姿の落ち着いた女性のファッションだ。
「なんか不思議な感じ。あの夜、夢じゃなかったんですね」
すみれさんは私の一つ上。
ただ、すみれさんは最初私のことを年上だと思っていたらしい。
「……桜さん、もうそろそろ私たち敬語やめません?」
「いいですけど、私年下ですし……」
私がタメ口で話すのは家族だけ、うまく喋れるかわからない……。
なんて情けない理由だろう。
「桜さんも、タメ口で話しましょう?」
「わかっ……た」
ぎこちない私にすみれさんは笑顔をくれた。
3月3日11時10分
-個室カフェ-
駅周辺にはたくさんの飲食店がある。
その中でも落ち着いて話せそうな、このカフェに決めた。
ただ平日の昼間ということもあり、店内のお客さんは私たちだけ。
ちょうどいいといえばちょうどいい。
「それで、桜さんの相談って?」
「実は……」
私は事細かに話した。
店長が過去に記憶を売ったこと。
その本を私が見つけたこと。
そしてその本が四月には読めなくなってしまうこと。
その本を見た店長の寂しそうな顔。
正直私は辛かった。
「その楓さんが本を持っていっちゃうから読もうかどうか悩んでるって話ね」
「そうなの……」
「そもそも店長と桜さんはどんな関係?」
「私と店長?」
そういえば、なんて言ったらいいのだろうか?
店長とアルバイト?
よくしてくれる親戚のような。
昔憧れていた家庭教師のような。
あまりしっくりくる例えが見つからない。
「すみれさんと私?みたいな感じかな?」
私も記憶を売らなかった。
だからこうして店長と過ごせてる。
自信はあまり持てないがこれが一番近い気がする。
「え!?じゃあ桜さんもお客さんだったの」
「うん、私もすみれさんと一緒で記憶は売らなかったけど。その後バイトをしないかって誘われて」
すみれさんの目は輝いていた。
「いいなー私もあの書店で働いてみたい」
紅茶を一口飲んだ後すみれさんは続けた。
「桜さんはなんで迷ってるの?」
「なんで?」
「うん。店長の記憶を見るのに」
「なんでだろう、店長が店長じゃなくなっちゃうような。もしかしたら店長を傷つけちゃうんじゃないかって」
「……傷つけないよ」
「……え?」
「桜さんは人の過去を知っても、その人を傷つけることなんてしない」
「なんで、そんなことが言えるの?」
「私、傷ついてないから」
「でも……」
「もし良かったら、桜さんの消したかった過去を教えて。無理にとは言わないけど」
私は話した。
専門学校を辞めたこと。
両親から、愛情を感じなかったこと。
友達もおらず一人ぼっちで、部屋に閉じこもっていたこと。
自分が嫌で、記憶を全て売りたかったこと。
黙って聞いていたすみれさんが口を開く。
「なんか嬉しい、私桜さんはもっと完璧な人だと思ってたから」
「そんなこと全然ない……」
この一年で私は変わった。
さまざまな人の思いに触れて。
「……傷ついた?」
すみれさんは変なことを聞いてきた。
「傷ついてない、むしろ少し楽になった気分」
「私もたくさんダサいところ桜さんに見せたと思う。だけどダサくてよかったって今は思えるよ」
すみれさんはにこりと笑う。
「大丈夫、桜さんはきっとうまくできる」
すごい自信だ。なんとなくすみれさんが私を高く買ってくれてることはわかる。
「それに」と、すみれさんは続けた。
「私のこと、助けてくれたお姉さんだもん」
すみれさんは微笑んだ。
「年下なのにお姉さんって」
すみれさんにつられて私も笑ってしまう。
「あの日はありがとう、私の話を聞いてくれて。私と友達になってくれて」
私は少し晴れやかな気持ちになった。
その後は買い物をして、スイーツを食べて、解散した。
駅のホームで手を振って見送ってくれるすみれさん。
電車に揺られながら今日を振り返る。
心の内を知る友達とのお出かけは、今までの人生で一番楽しかった。
……。
「桜さんは、きっと『うまくできる』」
すみれさんから言われた言葉だ。
本の内容は分からない。
だから、読んだらどうなるかなんて考えても仕方がない。
大切なのは、知った後だ。
知ったことで私にできることがあるなら、きっと私は行動しなくてはいけない。
私は記憶屋書店の店員だ。
この一年間、店長のそばにいた。
きっと私は、うまくできるはず。
3月6日3時
-バイト後書店-
「桜さん、この間聞きそびれたことがありまして」
珍しい店長がなにかを聞いてくるなんて。
「はい?」
「四月二十日、誕生日なんですってね。なにか欲しいものとかはありますか?」
欲しいもの……。
そんな事を考えていると一つの疑問が浮かんできた。
あれ?
「店長、なんで私の誕生日知ってるんですか?」
「たまたまお父さんと話しましてね」
お父さん?お父さん!?
なんでそんなことを……。
「それで、何かないかなと思いまして」
店長は微笑んだ。
一旦父への言及は後にしよう。
「ありがとうございます。少し考えておきます」
こういうものは断っちゃダメだよね。
「そういえば店長、私この後やることがあるんで少し書店に残りますね」
「はい、わかりました。あまり遅くならないようにしてくださいね」
それではと、店長は足早に上がってくれた。
私のやること……。
本棚から一冊の本を取る。
少女と馬酔木の花が咲くこの本が。
これが私の『大切な人』の本。
-緑野綴の過去-
私の名前は緑野綴。
華道の師範だ。
花を生けることを生業にしている。
私には妻がいる。名前は緑野咲
フルート奏者だ。
たまたま友人の紹介で出会った。
お互い、表現することを仕事にしているからか、不思議と話が合った。
そして、交際がはじまった。
交際から半年、私たちは結婚した。
幸せだった。
大げさなことは何もない。
私が花を生け、咲がフルートを吹く。
二人で旅行に出かけ、景色を眺めた。
私たち夫婦は、口数が多い方ではない。
ただ側にいる、それだけで心地よかった。
そんな毎日が、ずっと続くものだと思っていた。
けれど一つだけ。
咲は、昔から身体が弱かった。
そんな妻が妊娠をした。
妻は喜んだ。
しかし、医者からの話は暗かった。
このままお腹の子供が大きくなれば、母体に大きな負担がかかってしまう。
最悪の場合、
母子ともに亡くなってしまう可能性もある。
私の答えは決まっていた。
子供より、妻を選びたい。
咲とこの先もずっと生きていたい。
帰りの車で、そんなことを考えていると妻に頼まれた。
「綴、この子をお願いね」
まるで買い物を頼むくらい軽く言われたので、私は面食らってしまった。
嗚呼、こうなったら咲は何を言っても聞かないんだから。
涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。
「ああ、わかった」
「綴、本当にありがとう」
妻は噛み締めるようにそう言った。
ありがとう。
きっと咲は、私の気持ちもわかっているだろう。
覚悟なんて決まらない。
その夜、私は一人で泣いた。
娘は無事生まれ、そして妻は亡くなった。
二人で祝いたかった、娘の誕生日。
そして妻の命日。
この日を、きっと忘れることはないだろう。
今は亡き妻の忘れ形見が、小さな手で私の指を静かに握る。
まるで、一輪の花がそこに咲いたようだった。
咲が私に残してくれた、大切な宝物。
娘の名前は、緑野美咲
妻にもいくつか候補があったが、
私がこの名前を提案すると、妻もこの名前がいいと決めてくれた。
美咲は優しい子に育った。
そんな娘も、もう小学生だ。
ある日、突然美咲に聞かれた。
「なんで私にはお母さんがいないの?」
私も娘に、はぐらかすようなことはしたくなかった。
「お母さんは美咲を守って亡くなったんだ」
「お母さんが私を守ってくれたの?」
「そうだよ、お母さんはすごい強い人なんだ」
「そうか。じゃあ、ありがとうって言わなきゃね」
娘の言葉に私は呆気にとられた。
私は妻に娘のことで『ありがとう』と言えなかった。
それもそうだ。出産直後に亡くなってしまったのだから。
……違う。
『ありがとう』を伝える機会なんて、いくらでもあった。
この子のために命をかけてくれたこと。
この子を愛してくれたこと。
私は生前の咲に、ちゃんと『ありがとう』と伝えていなかった。
娘と一緒に、仏壇へ手を合わせる。
「おかあさん!ありがとう!」
咲に、感謝を伝える娘を誇らしくも感じた。
私は間に合わなかったから。
美咲が中学生になると、さまざまなものに興味を持ち始めた。
例えば私の仕事。
「お父さんこの花は何?」
「これは馬酔木っていう、春に咲く花だ」
「綺麗。小さくていっぱいあってお父さんはこの花好き?」
「ああ、好きだよ」
一緒に過ごしたことはなくても、やっぱり親子なんだな。
生前の妻もこの花が好きだった。
「美咲は将来やりたいこととかないのか?」
「まだ考え中、お父さんみたいにお花やろうかな。私、お花好きだもん」
娘に仕事を認められたようで、私は嬉しかった。
中学二年生の冬のことだ。
「私、音楽科のある高校に行きたい」
突然だった。部活だって運動部だ。
美咲が音楽に興味を持っているなんて、知らなかった。
「どうして音楽なんだ?」
「この間、お母さんのアルバム見て楽器を演奏してる写真があったの。私もやってみたいなって」
「美咲、楽器なんかやったことあるのか?」
「そりゃあ、まだないけど」
やったことないのに急に音楽科なんて。
不安で仕方がない。
「美咲、とりあえず高校は普通の高校へ行ってそれでも好きだったら音楽の大学に入るのはダメか?」
「でも、私音楽の高校に行きたい」
私が悩んでいると
「わかったよ……」
娘は部屋にこもってしまった。
娘と喧嘩なんてろくにしたことがない。
するような出来事さえ今までなかった。
でも、音楽をやったこともないのに音楽科なんて。
親としては頷けない。
どうしたものか。
そんな時、咲の遺影と目があった。
「この子をお願いね」妻との最後の約束を思い出す。
そうか。
やってみて、もしダメだったら私が支える。
この子のやりたいことをさせてあげよう。
コンコン。娘の部屋をノックする。
「美咲、少し話をしよう」
「なに?お父さん」
「お父さんは美咲が心配なだけなんだ」
「うん。分かってる」
「今まで楽器なんてやったこともないのに音楽科なんて」
「わかってるよ」
「でもやりたいんだな?」
「……うん」
「わかった、もしやめたくなったらやめていい」
「え?」
「だから、その。……高校目指したいんだろ?」
娘が目を丸くする。
「……お父さん!ありがとう!」
そこから一年、美咲は楽器を習い始めた。
毎日飽きることなく練習を続け、勉強にも励んだ。
春が来れば高校生になる。
「美咲、合格祝いなにか欲しいものとかあるか?」
「お買い物!遊園地!」
「わかった、せっかくのお祝いだ両方行こう」
今日は娘の合格祝いだ。
たくさんの荷物を持つことは覚悟しなければならない。
初めは洋服。
てっきり自分の服を選ぶのかとばかり思っていたら、まさかの私の服だった。
「お父さん、お花の先生だからって着物ばっかり着ないでたまにはこういうの着てよ」
派手なジャケットや、奇抜なシャツ。
娘が手に取るのはどれもこれも派手だった。
「お父さんはこういうの似合わないと思うんだけど」
「いいから着替えて!」
まさかはじめの荷物が自分の着物になるなんて。
次はカフェだ。
いつもより少し肌寒い、そして派手な服でこんな場所なんて恥ずかしい……。
「みて!お父さん!このパフェすっごい大きい!三千円だって!」
そんな私の気持ちとは違い、娘は楽しそうだった。
小腹を満たし、ゲームセンターへ。
「可愛い!」
クレーンゲームの人形を眺める。
「これが欲しいのか?」
「欲しいけど多分取れないよ」
それもそうだ、アームに対して人形があまりにも大きい。
ちゃりん。
物は試しだ、娘にいいところを見せてみよう。
ゴトン。
取れてしまった。
こんな大きな物抱えて歩くなんてまた、恥ずかしい。
「お父さん!取れたの!?」
「なんか取れたみたいだ」
娘は満面の笑みで喜んでくれた。
「お父さん!子供の頃行った小さな遊園地に行きたい!」
「あそこでいいのか?花屋の近くの?」
「うん!」
「覚えてるかわからないが子供向けだぞ」
「私もお父さんの子供だよ!」
いたずらに笑う娘。
そして遊園地に着いた。
子供向けの寂れた遊園地、人だってガラガラだ。
「観覧車に乗りたい!」
「観覧車って親子二人で乗るものなのか?」
美咲は戸惑う私を観覧車の前までぐいぐいと引っ張った。
「お父さん少し待ってて!目を閉じて。
観覧車乗るまで絶対開けちゃダメだよ!」
五分ほどだろうか。
観覧車の前で目をつぶる中年男性。
今日は恥ずかしいことだらけだ。
「お父さん!入るよ!」
私は目をつぶったまま観覧車に押し込まれた。
「もう、開けていいよ」
目の前には白い馬酔木の花束があった。
どうやら近くの花屋にあらかじめ頼んでいたらしい。
「珍しいな、馬酔木の花束なんて」
「お父さんの好きな花!」
そうか二年ほど前、そんな話もしたっけ。
「美咲……」
「みて!お父さん今日行ったカフェが見えるよ!」
全く、来月から高校生だというのに。
観覧車には、馬酔木の花が優しく香る。
「お父さん今日はありがとう。私高校頑張るから」
「ああ、何かあったらすぐに言うんだぞ」
「わかった!」
帰路につく親子二人。
信号は青だ。
青のはずだった。
突然車が突っ込んできた。
ドンッ、小さな手に私は突き飛ばされた。
え?
なにが起きた?
ふらふらしながら立ち上がるとそこに娘の姿はなかった。
救急車がやってくる。
周りの雑踏がやけにゆっくり聞こえてくる。
え?
……え?
待ってくれ。
違う。そんなわけない。
「女性一名、意識あり!」
「出血多量!」
「運転手、意識ありません!」
……嘘だ、嘘だ。
「美咲……美咲!」
救急隊員の男性に止められる。
「この方の知り合いですか?」
「娘です!」
「今から搬送先の病院を探します。一緒に来てください」
救急車に乗る。
美咲は血だらけだった。
どうすれば、どうしたらいい?
今にも叫びたい気持ちを押し殺して、娘の手を握る。
「おと……さん?」
「美咲!大丈夫だぞ!今病院に向かってるからな!」
「よか……た。無事で」
「もうしゃべるな!大丈夫!大丈夫だから!」
「い……きて」
そう言うと娘は目を閉じた。
娘は亡くなった。
娘も妻も、なにもかも。
私は失ってしまった。
深夜、今日美咲と歩いた道を、一人で歩いていた。
遊園地の前の道路、折れた道路標識のそばに、白い馬酔木の花がいくつも散らばっていた。
私はその小さな花を、一つ一つ丁寧に拾い上げた。
私はきっともうダメだ。
……生きてはいけない。
そんな時だ、美咲の最後の言葉が胸に突き刺さる。
『生きて』
なんでだ、なんで私を……。
馬酔木の花束をもらった時に娘に伝えたかった一言。
また言えなかった。
また間に合わなかった。
私は、私はどうすれば……。
深夜だというのに、一つぽつんと灯りが見えた。
『貴方の大切な記憶、買い取ります。辛い記憶も引き取ります。』
店長の本はここで終わっていた。
3月6日10時
-書店-
書店の外では、日がもうこんなに高く昇っている。
いつから朝になっていたのかすら、分からなかった。
私は、一体何を読んでしまったんだろう。
頬を伝う涙が止まらない。
こんな救いのない……。
ちゃりん。ちゃりん。
乾いた鈴の音が鳴る。
コツ、コツ。
足音がこちらへ近づいてくる。
顔を上げると、そこに楓さんがいた。
「桜君、やっぱり君は……」
[馬酔木の少女]終
実は店長の過去はこの作品を作りはじめて三話目ほどから決まっていました。




